ダイアリーエッセイ:花嫁の母の“べっぴん” ― 2016年12月23日
娘の結婚式までひと月を切った。
忙しさのなかで、17センチ四方のリングピローを作り続けてきた。結婚式で、二人の指輪を結びとめておくためのものだ。
今日、ようやく仕上がった。

今年7月のこと。手芸用品の店でこのキットを見つけたとき、母に作ってもらえたら、とひらめいた。胃がんを患い、入院手術を経てようやく退院できたのに、すっかり生きる気力を失った93歳の母。それまでは、手先が器用で洋服を作ったり編み物をしたりしていたのだ。そんな母が、せめて孫娘のために……と、手芸ごころを取り戻してくれたらしめたもの。だめもとでもいいからと、買ってきたのだった。
しかし、結局母は、封を開けることもないまま、3ヵ月が過ぎた。
そうだ、私が作ってみよう。刺繍なら経験がないわけではない。開けてみれば、必要な材料もすべてそろっているし、作り方も書いてあるし、何とかなるだろう。
そう思い立ってからも、なかなか時間が取れない。
12月になってしまった。
ドキドキしながら麻の生地にはさみを入れたのを手始めに、ちくちくと針を刺し、ビーズを通し、リボン刺繍をほどこしたりして、完成をめざした。
手を動かしながら、子どもたちの小さいころを思い出していた。私もよく洋裁をしたっけ。子供服の作り方の本を買って、兄妹おそろいの生地で半ズボンとスカートをこしらえたり、イニシャルの刺繍を入れたり……。同じ焦げ茶の小花模様で、娘はベスト、私はマタニティワンピースを作ったこともあった。捨てられず、今も押入れの奥で眠っている。
私は「門前の小僧」だった。物心ついた時には、すでに母がミシンをかけたり編み機を動かしたりするそばで遊んでいた。私の服は下着から学校の制服にいたるまで、すべて母の手作りだった。
小学校で手芸部に入り、中学の家庭科ではパジャマを縫った。どうしてもわからないところは、母が教えてくれた。
家を離れ、自分が子供服を縫うころには、母がそばにいなくても、気がつくと母の手つきをまねて、要領よくこしらえていたのだった。
洋裁も手芸からも遠のいて久しい。
そして今、母が作れなくなった小さな手芸品を、私が代わりに作っている。
何十年という歳月を想いながら。
おりしも、NHKの朝の連続ドラマは、子供用品店「ファミリア」の創始者のお話。あまり好みのドラマではないのだが、毎朝ケチをつけながらもついつい見てしまう。
「下手でも思いを込めて作ったもの、それがべっぴん」
子どもを残して逝ったヒロインの母親の言葉が、心にしみた。
私も、娘のために、“べっぴん”を仕上げることができた。
達成感とともに、いろいろな想いが込み上げて、思いがけず涙がこぼれる。
今から泣いていたら、式の当日はどうなることやら……。
