渡辺えりさんのもう一つの言葉2020年07月24日


昨日のえりさんの記事で、もう一つ、心に響いたのは、次の一文でした。

 

マスクで表情の見えない時期だからこそ、言葉は前にもまして大事になってくる。

 

3日前のことが思い出されたのです。

仲間うちのエッセイの合評会に参加しました。アクリル板の仕切りもありませんから、皆マスクをしたままです。

合評会は、感想ばかりではなく、作品の気になる点を伝え、こんなふうに直してはいかが……と率直な意見を述べ合います。

そのとき、ふっと不安になりました。自分ではソフトな表情で伝えているつもりでも、口元を覆っていては相手に見えていないわけで、マイナスな印象を持たれていないだろうか。笑ってごまかすのは通用しない。その分、ついつい饒舌になっている気がしました。

 

同じことは、こうした書き言葉にも言えますね。

お互いに顔の見えない通信添削では、言葉を選び、言葉を尽くして伝えることに努めますが、それが本当に私の意図するとおりに伝わっているのかどうか。誤解されたり、まして読み手を傷つけたりしていないだろうか。いつも気がかりです。

 

先日の合評会では、じつはバッグの中にフェイスシールドを忍ばせていました。マスク以上に煩わしいので、結局付けずにすませましたが、やはり、これを付けてマスクを外せばよかった。今さらながらに思いました。

 

マスクをしていても、していなくても、言葉は大切です。

伝えたいことが、きちんと伝わるように、ときに表情の力を借りながらも、いつもその時その時にふさわしい、最善の言葉を選んでいきたいものですね。




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