母を想う日々 5:母の命日に2022年08月21日

 

今朝、日曜のミサにあずかりました。

1年前の今日、821日に母が亡くなって、ちょうど1年になります。

昨年、告別式をお願いした神父様に、命日にはミサの中でお祈りをしてくださるよう、事前に依頼しておきました。

昨年の8月はコロナ第5波の真っただ中で、身内15名だけの告別式でした。今年もまた、第7波のさなか、集まることは避けなければなりませんでした。

とはいえ、ミサの時刻にはみんな心を合わせて遠くで祈っているはず。その思いを胸に、母のために祈りました。

 

帰宅して、広げたのは昨日の新聞の夕刊でした。ある見出しとその写真に、くぎ付けになりました。



1945518日、特攻隊員たちが、みずからの命を差し出して敵を攻撃する30分前に撮られた写真です。なんと明るいいい笑顔なのでしょうか。死に向かう直前にも、こんなにも屈託のない表情を見せるなんて……。涙が出ました。

未来への果てしない可能性とエネルギーを持った息子と同じぐらいの若者たち。彼らの笑顔を犠牲にしてまで戦い続けた戦争の残酷さを、愚かさを、むしろ笑顔だからこそ強烈に訴えかけてくるようでした。

涙が止まらなくなりました。

 

こうやって、私はこの一年、母を失った悲しみを何か別のことにすりかえて、涙してきたように思うのです。テレビドラマの死のシーンだったり、小説の文章だったり……。まだ本当に母の死と向き合えていないのかもしれません。

 

8月は、2つの原爆の日があり、終戦記念日があり、戦争と平和を考える日々でもあります。

私には、今年からもう一つ、母の命日が加わりました。

命と死の意味に、向き合ってみたいと思います。




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