南フランスの旅のフォトエッセイ:⑨シャガール美術館へ ― 2024年08月28日
ステファニーさんのガイドツアーが終わって、ディナータイムにはまだ少し時間があったので、シャガール美術館まで送ってもらいました。
マルク・シャガールは、1887年、ロシアのユダヤ人の家庭に生まれます。画家を志して美術学校に通い、20世紀になると、芸術家の集まるパリへ。
しかし、世の中は第二次世界大戦のただなか、ユダヤ人である彼はナチスの迫害を受け、アメリカに亡命するのです。
戦後、フランスに戻ると、フランス国籍を取得。ニース郊外のサン・ポール・ド・ヴァンスに居を構えます。
やがて、当時の文化大臣アンドレ・マルローと親交を持つようになり、パリのオペラ座の天井画制作を依頼され、1964年に完成させました。
私はもう何年も前のこと、パリを訪ねた時、どうしてもシャガールの描いたその天井画が見てみたいと思った。でも見学のチャンスがなく、頼み込んで楽屋の小さな窓から、こっそりと覗き見させてもらったことがありました。いつ、誰と、どうして……はもう記憶にないのですが、シャガール独特のふわふわしたブルーの色調が、重厚な建造物の一部となっているのが垣間見えました。
また、1966年には17点に及ぶ『聖書のメッセージ』の連作も、フランス国家に寄贈しています。
マルローは、この連作をはじめとしたシャガールの作品を展示する国立美術館を造ることに尽力し、1973年、ニースのこの地に建設したのです。
その後もシャガールは1985年に亡くなるまで、この美術館に作品の寄贈を続けたそうです。
さてその日、チケット売り場で入場券を買おうとすると、
「本日は無料です」
と言われました。ほとんどの作品が、どこかの町か外国か、展覧会にお出かけ中で、少ししか残っていないそうで……。
なんという不運でしょうか。それでも「館内に入ることはできる」というので、入りました。
小ぢんまりとしたコンサートホールの壁面にはステンドグラスがあり、ステージに置かれているのは、彼の絵が施されたグランドピアノです。このピアノの音色からは、画家の魂が響いて聞こえるのかもしれませんね。
さらに、『聖書のメッセージ』の大作がずらりと並び、残り時間が少なくて、心残りでした。本当に無料では申し訳ないくらい。こんなにたくさんの大作に会えるなんて、不運どころかラッキーだったのでしょう。どの絵も、2メートル、3メートルという大作なのです。
▲「人類の創造」
▲「楽園」
縦が2メートル、横が3メートルほどの大きな絵です。
▲「アブラハムと三人の天使」
この絵はどこかで見たような……と思いました。それは私が持っている手のひらサイズの小さなカードでした。
この絵は15世紀にロシア人の画家が描いたもので、ロシアには古くからイコンという宗教画の歴史があり、シャガールもその影響を受けているといわれています。三人の天使の顔の向きも似ているし、テーブルについているというのも同じ。画家はきっとこの絵から着想を受けたのでしょう。
彼が描いたのは、旧約聖書の創世記のお話です。後ろの青い服の男性がアブラハムで、左の女性が妻のサラ。夫は100歳、妻90歳の老夫婦なのに、天使たちは「来年男の子を授かる」と神のお告げを伝えるシーンです。
私が持っていたカード。ルヴリョフというロシア人画家による「三位一体」。▼
▲「イサクの犠牲」
神様のお告げのとおり、1年後にサラは男の子を生み、お告げに従って、イサクと名付けます。それがこの絵の横たわる人物です。神様はアブラハムの信心を試すために、「イサクをいけにえとして捧げなさい」と言われます。(なんということを!) しかし、アブラハムは神を恐れ、神に従うのです。最愛の息子を薪の上に寝かせ、その胸にナイフを突き立てようとした瞬間、天から「わかった、もういい。何もするな」という声が聞こえてきて、イサクの命は助かったのでした。
アブラハムがどれほど苦しみ、そして、安堵したことか。赤く燃えるような血の色が、アブラハムの心からにじみ出ているような絵です。
まだまだ他にもありましたが、
「閉館の時刻です!」というアナウンスに、追い立てられるように展示室を後にしました。
広い敷地に緑あふれる庭も、木陰の小さなカフェも、次の機会にはゆっくり立ち寄りたいと思いました。▼
【⑩エズ村】に続く