自閉症児の母として(74):映画『梅切らぬバカ』を見て来ました!2021年11月15日

 


この写真は先週金曜のNHK「あさイチ」に出演した加賀まりこさん。

まず、とても77歳には見えないはつらつとした美しさにびっくり。

さらに、久しぶりの主演映画『梅切らぬバカ』で、自閉症児の母親役になると知ってびっくり。彼女自身のパートナーも、自閉症児の父親なのだそうです。

 

この映画、ぜひ見てみたいけど、忙しくていつ行かれることやら、と思っていたところに、友人からの誘いが! 「一緒に行くはずの人が行かれなくなったチケットがあるから」と私を誘ってくれたのでした。しかも、出演者の舞台挨拶がある回だとのこと。これはもう、行くしかない。万難を排して、昨日、銀座まで行ってきました。





息子役の塚地武雅さんの横で、加賀さんは小さく見えました。それでも、いつもの歯切れのよい挨拶。「映画を見て、息子を好きになって帰ってください」。

 

監督の和島香太郎氏は、背の高いイケメン。山形出身の彼は、高校時代のこと、ある映画をどうしても見たいと思ったけれど、東京でしか上映していなかったので、わざわざ山形から日帰りで見に来たことがあった。その映画館というのが、今回のシネスイッチ銀座だったそうです。それから20年後に、まさか自分が舞台挨拶に立つなんて思ってもみなかった、というわけです。

「あなた、横にも大きかったら、今ごろ相撲部屋に入れられてたかもしれないのにね」と加賀さんらしいジョークが。ちなみに彼は、元横綱北の富士の甥御さんなのですね。

この映画、最初は上映してくれる映画館が3つしか決まっていなかったのに、今では70越えにまでなっているそうです。監督も出演者も、テレビや新聞で紹介してきたおかげなのでしょう。

 

さて映画が始まりました。自閉症のチュウさんは、障害者の職場で働く50歳。母親とふたり暮らしです。塚地さんはとても自然に、自閉症特有のしぐさを交えて演じています。

母親役の加賀さんも、ちょっと気の強そうな占い師をコミカルに演じて、笑いを誘います。

ふたりは梅の木のある一軒家で穏やかな日々を送っているのですが、チュウさん50歳の誕生日に、ケーキのろうそくを吹き消そうとして、親子でぎっくり腰になってしまいます。このままでは共倒れになるのでは……と心配がよぎる。ついにグループホームに入る決心をするのです。

 

グループホームというのは、障害者が支援を受けながら、地域で暮らす家。それぞれ個室に住み、共同生活をします。そのために、近所の理解も必要になります。

この映画では、近隣とのトラブルや偏見も描かれて、ストーリーが展開していきます。

 

年齢も環境も違うけれど、チュウさんはわが家の長男とダブるところがたくさんありました。

例えば、チュウさんは気持ちがいらいらして、つい扇風機を倒してしまう。うちの息子も、よく扇風機に八つ当たりをしては壊したものです。

それでも、職場ではチュウさん同様、まじめに、几帳面な仕事をしています。

チュウさんは、ホームの利用者間のトラブルや「近所迷惑」を理由に、ホームを退去することになってしまう。これも息子と同じ。

 

結局、チュウさんは母親のもとに戻ります。そして、穏やかな生活がふたたび始まるのですが……。本当にこのままで、いいの? 私は、疑問に思いました。

このままでは、元のもくあみです。また同じことが起きて、いよいよという時に困ったことにならないでしょうか。

でも、別の思いもわいてきました。最後は少しずつご近所の偏見も薄れ、理解が広まっていくことを感じさせて終わります。そこに希望が見えます。このまま地域に支えられて暮らすことができれば理想的なのかもしれないなあ、と。

 

息子の新しいグループホームは、近所の方がたにも内部を見ていただいたりして、理解を深める努力をしています。

チュウさん親子が自宅で幸せに暮らしていくように、息子はグループホームで自立して充実した生活が送れたら、と願っています。

 

最近のグループホームでは、映画の中のホームのように、全員そろってご飯を食べるようなことはしなくなっているようです。もちろん、コロナの影響もあるのですが、それ以前に、なにも家族のようになる必要はないのではないか、個人の意思を尊重して、団体行動はとらなくてもいいのではないか、という考えも出てきているようです。

そんな違和感もちょっぴりありましたが、全体的には、温かい目線で障害者を見つめ、ユーモラスに描き、肩ひじ張らないわかりやすい映画だったと思います。

ぜひ、ご覧になってください。 

 



自閉症児の母として(73):新しいグループホームに入居しました!!!2021年11月01日

 

去る916日に、それまで暮らしていたグループホームを退去したことをお伝えしました。

8月末日を退去日とする」という一方的な通達を受け、母が危篤だという事情も考慮してもらえず、母の葬儀の3日後には退去せざるを得なかったのです。

 

でも、そのブログの最後にこう記しています。

 

今、息子は自宅から職場に通っています。

次のグループホームは半年前から探し始めていたので、「ここがいい!」と思えるホームに出会うことができました。「入居決定」は体験入居をしてから、ということになります。息子も、家族も、希望を胸に、その日を待ちわびています。

ぜひとも、いいご報告ができますように

 

最初に出会ってから8ヵ月、ようやく入居がかないました。

8ヵ月も待ったのにはわけがあります。出会ったのは、新しく社団法人を始めたばかりの青年で、ホームは建設中。まだ基礎工事が終了したという段階だった。しかも、コロナ禍のおかげで木材は不足し、竣工の予定がひと月も遅れたのです。

それでも待ち続けました。そこしか考えられないと思ったのです。

 

なぜかと言えば、息子の迷惑の原因は、まず騒音と大声。このホームは、床も壁も防音対策がしっかりとされており、窓も二重サッシを使っています。

そして、建物という箱だけではなく、なにより、その法人の代表である若者に、息子を託すだけの信頼感を抱いたのでした。

 

息子は、最初の入居希望者として名乗りを挙げ、最初に体験入居をさせてもらって「何も問題はありません。どうぞお入りください」と言われ、入居第1号となりました。

10月最後の週末は、息子の引っ越し作業に明け暮れました。衣類や生活用品を整えたり、備え付けの家具はないので、夫と二人がかりでロフトベッドを組み立てたり……。

そして本日、111日、晴れて入居日を迎えることができました。

 

息子が家に戻ってからの2ヵ月は、亡き母の住まいの売却のために遺品の整理や片付けなど、あまりに忙しい日々でした。疲れているのに眠れない夜も多く、頭痛や腰痛にさいなまれることもたびたび。それでも、2ヵ月前に比べたら、明るい希望があり、だからこそがんばれました。

 

「今のホームはやめて、新しいグループホームに入るからね」と告げた瞬間、パッと輝いた息子の顔を忘れられません。彼も、前のホームに居続けることがつらかったのでしょう。

退去してからは、何度か工事中のホームの前まで見に行ったこともあります。

ずっと楽しみにして待っていました。

 

とはいえ、一度家を出た息子が戻って家にいるのは、「やれやれ」という思いもありました。息子の入居決定を祈り、入居日を指折り数えていたのは、ほかならぬこの私。それなのに……。

今日、息子は仕事を終えたら新しいホームに帰っていくのですが、朝は自宅から出勤。グータッチをしながら「行ってらっしゃい!」と言うと、いつもと変わらずそっけなく「行ってきます」と息子が出て行ったあと、涙ぐんだのも、この私。

母心は複雑で勝手なものですね。

 

まだまだ書きたいことはありますが、今日のところは、うれしくてちょっぴり寂しいご報告まで。


▲これが息子の新居。部屋は、向こう側、南側の二階の部屋です。

ハナミズキの並木が続く坂の途中にあります。いま紅葉真っ盛り。▼

▲坂道からは、8年前まで働いていた「障害者ふれあいショップ」のある武蔵小杉の高層ビルが遠くに見えました。




自閉症児の母として(72):グループホームを退去しました2021年09月16日


 あれほど気に入って、長男の入居にこぎつけたグループホームでしたが、2年半をもって退去しました。まずはそのご報告です。

 

はじめは、親亡き後も安心して生活できるように、グループホームでの自立を目指したのでした。ところが、コロナ禍の世の中になってしまうと、このホームはちょっと違うかも……と思うことが増えていきました。

ホームに見切りをつけたのは、今年の3月頃。ここではだめだ、他所を探そう。そう決めたのです。

その後、コロナ禍の影響もあって、息子とホームの問題は、ちょうど母の入院から危篤状態の続く夏の日々と重なるようにして大きくなっていきました。そして、とうとうホーム側から「退去」という言葉が出たのです。私にはふたつの重荷が両肩にのしかかったようで、苦しい毎日でした。

私の事情を話し、母が落ち着くまで(つまりは亡くなるまで、ということです)しばし待ってもらえないかと何度か願い出ましたが、受け入れてはもらえず、「10日後には退去してほしい」と一方的に決められてしまいました。福祉を提供するはずのこの組織のトップには、血も涙もない。それもまた、ショックでした。

そして、その10日の間に、母は亡くなりました。それでも、悲しむ間もなく、葬儀の翌日には片づけ、その2日後には退去し、息子は自宅に戻りました。

 

どんな理由があったのか、どんな経緯だったのか、とてもひとことでは言えません。

今は具体的な説明は控えますが、今後少しずつ整理して書いていくつもりです。

これからグループホームに入居することを考えている方に、少しでも参考になればと思います。

 

今回の挫折で、私は多くのことを学びました。グループホームの実態も、福祉のことも、そして息子自身についても。

息子は2年半でずいぶん成長した一方で、やはり変わることのない「自閉症」という難しい障害を持っている。改めて突き付けられた思いです。

 

今、息子は自宅から職場に通っています。

次のグループホームは半年前から探し始めていたので、「ここがいい!」と思えるホームに出会うことができました。「入居決定」は体験入居をしてから、ということになります。息子も、家族も、希望を胸に、その日を待ちわびています。

ぜひとも、いいご報告ができますように。

 


 


自閉症児の母として(71):『52ヘルツのクジラたち』を読んで2021年05月02日


町田そのこ著『52ヘルツのクジラたち』は、今年の本屋大賞に選ばれ、今話題を呼んでいるようです。新聞広告や書評欄でも何度も目にし、朝日新聞のコラム「天声人語」でも取り上げられました。

私も興味を持ち、書店で購入。読み始めたら止まりませんでした。

子どもに対する虐待や育児放棄、さらには耳新しいヤングケアラー、トランスジェンダー、自殺などの社会問題が詰め込まれています。

とはいえ、著者のたしかな文章力で、登場人物はキャラクターがくっきりと立ち上がり、主人公を取り巻く愛すべき人々が織りなすドラマを見ているようなわくわく感も味わえます。

 

424日の「天声人語」によると、本のタイトルになっているのは、米国の西海岸に生息すると信じられてきた一頭のクジラ。仲間には届かない超高音の52ヘルツで歌い続け、「世界一孤独なクジラ」と呼ばれるのだとか。

この小説の中では、親からたばこの火を舌に押し付けられるという虐待を受け、そのショックから言葉が発せなくなった少年のことを指しています。

 

私がこの物語のクライマックスを読んだのは、前回のブログ記事で書いた『僕が跳びはねる理由』の映画を見に行く前夜でした。本を読んで、久しぶりに涙腺全開、滂沱の涙。翌朝の瞼の腫れ具合を思うと、これ以上先へは進めない。結末を読まずにそこで本を閉じたのでした。

 

そして、映画を見て、思ったのです。

自閉症の息子たちもまた、52ヘルツのクジラなのだと。

言葉を発することがなかったり、たとえ話せたとしても、自分の感情や本当の思いを伝えることができなかったりする。そんな自閉症者も同じだと思いました。

小説のヒロインのように、52ヘルツのクジラの声を聞こう。息子の本当の心の叫びに耳を傾けなければ。初心に返った瞬間でした。

これからも、息子の代弁者として、彼の声を世の中に伝えていきます。親亡き後も、息子を支援してくださる人々に、息子の声が正しく届きますように。母としての願いです。


ところで、物語の少年はどうなったか。声なき声は届いたのか。

それは、ぜひご自身で読んで、お確かめくださいね。

本屋さんがいちばん売りたい本として、一押しのこの一冊、もちろん文句なしに私からもおススメの本です。




自閉症児の母として(70):映画『僕が飛びはねる理由』を観てきました!2021年04月24日

320日の記事で紹介した映画を、ようやく昨日、観ることができました。

横浜駅の繁華街から少し外れた所にあるジャック&ベティというミニシアターへ。時間は午前9時からの1回のみ。いつもより早起きして出かけました。



 

これは、イギリスで作られたドキュメンタリー映画で、5人の自閉症の若者とその家族の日常を映し出していきます。

そして、おそらく彼らの目にはこんなふうに見えているだろう映像や、こんなふうに聞こえているだろう音声が、ふんだんに盛り込まれます。きらきら、ひらひら、ジージー……。無垢であり、美しくさえ感じられます。

ドキュメンタリーとしての自閉症の世界が、繰り広げられていくのです。

 

あえて説明のない部分もありますが、そこに、自閉症者である東田さんの文章が、英文の字幕になり、ナレーションとしても挿入されています。

彼の著作は以前にも読んだことがあるのに、改めて明晰な文章であることに驚き、感動します。

具体的な内容を私がここに書き記すことは、あまりに僭越だと思えました。私の言葉からではなく、ぜひ、東田さんの著書をお手に取って読んでください。機会があれば、この映画を見てください。驚嘆とともに自閉症の理解が深まることと思います。

 

これまでの歴史の中で、自閉症者は普通ではない変わった人、何も理解できない人、知能の低い人として、扱われてきました。

この映画のインド人の女性、言葉は持たずとも、こだわるように絵を描き続け、見る人を魅了する芸術作品を生み出すようになりました。それが彼女の自己表現であったのです。

言語療法だけでは改善を見られなかった重い自閉症者であっても、言葉で表出することができないだけで、内なる意思や、秘めたる能力はけっして劣るものではないことがわかります。


映画に登場するイギリス人の青年は、言葉による会話はできませんが、ひとたびアルファベットの表を持てば、一つずつ指さすことでスペルをつづり、自分の考えを伝える文章を作り上げます。言語能力がないと評価されることについてどう思ったか、という質問には、「人権が拒否された」というような文言で回答。そこには普通の同年代の若者と変わらない知性がうかがえました。

彼は東田さんと同じです。東田さんは子どもの頃に、ひらがな表を持たされて初めて、みずからの気持ちを伝えることができました。

 

彼らは、健常者の子どもたちと同様に、学ぶ権利がある。知的能力の有無ではなく、自閉症の思考回路は、平凡な私たちのそれとは大きく違っている。たったそれだけのことなのです。そのことに気がつくまで、いわゆる健常者の集まりであるこの社会は、長い年月が必要だったのですね。

 

私もまた、ひとりの自閉症者の親として、息子を理解するのに、ずいぶん時間がかかりました。今でも、新しい発見があります。

映画が始まってすぐから、涙が止まりませんでした。母親として初心に返る時、途方に暮れた30年前の記憶がよみがえるのです。

 

映画の中で、一人のお父さんが息子について語っていた時、「そして私は……、そして私は……、そして……、そして……」と、途中で次の言葉が出てこなくなりました。必死で込み上げるものをこらえている。ようやく言えたのは、「彼の将来が心配でならない」。

親亡き後、息子は一人ぼっちになってしまう。お父さんの思いが、痛いほど伝わってきます。私はマスクを濡らして一緒に泣きます。

大丈夫、お父さん。今の社会は、彼らをほったらかしにはしませんよ。かならず、理解者が支援の手を差し伸べてくれますよ。それを信じてがんばりましょう。

彼にも私自身にもエールを送って、明るい春の陽射しの街に出ていきました。




 



自閉症児の母として(69):映画『僕が飛びはねる理由』を観てください!2021年03月20日

東田直樹さんをご存じでしょうか。

言葉をあやつる会話はできないのに、文章を書くことはできる。その奇跡のような、稀有な才能を生かして、中学生のときに書いたのが、

『自閉症の僕が跳びはねる理由』 ()エスコアール出版部発行

という本です。

 

201411月に、彼の著書についての詳しい記事を書いています。よかったら、そちらもお読みくださいね。

自閉症児の母として(21):東田直樹さんのこと

 

本は世界中で117万部も売れ、ついに、その本を原作としたドキュメンタリー映画がイギリスで誕生しました。


 

 映画についての詳しい説明は、映画.comのサイトでお読みください。サイトはこちらです。

ポスターの写真もそちらからお借りしています。

 

公開日の42日(金)は、世界自閉症啓発デーです。

ぜひ、ご覧になってくださいね。

私も今からとても楽しみにしています。






自閉症児の母として(68):ふたたび緊急事態宣言が出て2021年02月06日

老人介護施設や障害者施設で、新型コロナのクラスターが発生していることもあり、長男がお世話になっているグループホームでも、感染防止に真剣に取り組んでくれています。

 

息子は、土曜の朝にエレクトーンのレッスンを受け、そのまま自宅に戻って1泊。翌日、日曜の昼食を済ませて、空いた電車でクループホームに戻る。これが毎週末の彼のルーティンです。

1月になって緊急事態宣言がふたたび発出されると、グループホームの責任者の方から、あるお願いをされました。土曜に帰宅したら、翌日ホームに戻らずに2泊して、月曜の朝、自宅から出勤するようにしてもらえないかと。電車で移動する時間を少しでも短くして、感染リスクを減らしてほしい、というのです。

わかりました、と二つ返事ができませんでした。リュックを背負って、職場へ行き、夕方の時間にホームに戻ることによって、どれだけリスクが減らせるのか。いつもは日曜の昼食が終わると、彼の頭の中にはホームに戻ってやるエレクトーンの練習や、自分の部屋の掃除など、午後の予定が渦巻くようになって、いそいそとしだすのに、そのまま自宅に居続けて、時間を持て余すのではないだろうか。心配になります。

そこで、こちらから提案したのは、緊急事態宣言が解除されるまで、週末も自宅には戻らないで、ホームで過ごすことにしてはどうか、ということでした。

本人も全く問題なしの様子で、すんなりと受け入れてもらえました。

これなら、週末の移動のリスクも減らせます。一件落着したと思いました。

 

ところが――

いつにもまして、ホームで大声を出すようになったのです。ゲームに興奮するのはいつものことですが、目覚まし時計が止まっちゃったと言っては、大声を出し、ゲーム機がおかしいと言っては、大声を出し……。さらには、持たせた50枚入りのマスクが粗悪品だったようで、ひもが切れてしまうことが度重なり、大声も度重なり……。

ほかの利用者さんからも苦情が出て、お世話人の方々を悩ませるようになってしまいました。

もちろん、困っているのは息子本人のはず。今度は私の所にも、出勤前やお昼休みになると、時計が、マスクが、……と電話がかかるようになりました。

あらら、少し不安定になってきたかな。あわてて替えのマスクの箱を抱えて、職場に出向きました。

息子は落ち着いた顔で仕事をしてはいましたが、責任者の方に尋ねると、

「そういえば先日、小さなトラブルがありました。今まで見たことがなかったから、ちょっとびっくりしました」と言われました。

やっぱりそうだったか。

 

緊急事態宣言の再発令で、緊張もしているだろうに、言葉の説明だけでは完全に理解することは難しいのに。それをわかっていながら、いつものルーティンを変更したばかりか、自宅に戻ってくつろぐ機会さえもなくしてしまった。

いけない、いけない、勇み足。親として、大いに反省しました。

春の緊急事態宣言の時に万事うまくいったからと、今回の宣言下ではついつい彼を過信して、先を急ぎすぎてしまったようです。

彼は、言葉で言い表すことが難しい代わりに、大声を出してみたり、電話をかけてきてSOSを発信したりしていたのでしょう。もっと早く気がついてあげればよかった。

 

この週末は、以前のように、土曜に帰ってきて、翌日ホームに戻ることにしました。これを書いている今は、お風呂上がりのひととき、のんびりとお決まりのテレビ番組(なぜかNHKBS4K)を見ながら、スマホをいじっています。

この帰宅を、以前のように毎週ではなく、一週おきに続けてみることにしました。

グループホームの責任者も、息子の状態を理解し、快諾してくれました。

 

これまでも、そしてこれからも、焦ることなく少しずつ自立の道を進んでもらいましょう。

3歩進んで、2歩下がる。息子も、そして親としても。

 



新しい年を迎えて2021年01月08日

 

新年のご挨拶が大変遅くなりました。

「明けましておめでとうございます」と言えるのは松の内、つまり7日までだそうですから、またも出遅れた私です。

今年も最初からこんな調子ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

◆◆

 

去年を振り返れば、誰が何と言おうと、地球上の人類は新型コロナの猛威に襲われました。年が明けても、それは変わりません。

そんなコロナ禍にあって、ブログという発信の場があることはラッキーでした。「発信」だなんて、かっこつけてちょっと生意気? でもそれは真実。書く場所がある、読んでくださる人がいるということは、幸せなことです。コロナ禍に身を置きながら、日々の出来事や思いをつづってきました。

 

そして、ある日の出来事を、その晩のうちに450字に仕上げて投稿したエッセイが、「ドアノブのマスク」という題で朝日新聞の「ひととき」欄に載りました。

それが思いがけずに反響を読んで、記事にまでなったり、その後も渡辺えりさん執筆の「心に残るひととき」で取り上げてもらったりしました。

まさに、瓢箪から駒とはこのこと。照れくさいやら、うれしいやら……。それでも、障害児の子育てと、それをエッセイに書き続けてきた30年間へのご褒美のように感じられたのです。コロナ禍なのにいい年だった、と言っては叱られそうですが、素直に喜ぶことにしました。

 

さらに、今年は「ひととき」が始まって70年目だそうでだそうで、年末年始に連載する特集記事にも、ちょこっとだけ載っています。

紙面では、1230日の「投稿欄ひととき、なぜ始まったの?」という大きな記事に添えられた年表「70年の歴史と特集が組まれた主な投稿」の2020年代の欄に載っています。こちらです▼


(写真はクリックすると拡大し、もう一度クリックすれば元に戻ります)

 

また、連載記事の14日付け「ひととき ことば考 5にも、取り上げられましたが、紙面ではなく、デジタル版です。コロナ禍のさまざまな言葉がひととき欄を席巻したという内容で、私の投稿はさておき、興味深くお読みいただけるのでは、と思います。

 

◆◆

 

さて、今年は……と抱負を述べたいところですが、現在の状況では予測ができませんね。

昨年の1月には、のんきなことに「会いたい人リスト」を作って、再会を楽しみにしていました。結局、リストのうちの一人にしか会えないまま2020年は終わりました。

ブログをリニューアルしたい。そんな抱負も書いていましたが、それも実現していません。それよりも、日々新たなネタのエッセイをつづるほうが忙しかったのです。

 

そして、今日から緊急事態宣言がふたたび発令されました。今年もステイホームの時間が長くなりそうです。

そんな時こそ、見たり、聴いたり、読んだり、リモートで話したり、時間を有効に使いたい。そこからたくさん考えて、たくさん書いて、ブログで発信していきたい。それが抱負と言えば抱負です。つまりは去年と同じだけれど、それが自分らしい過ごし方のような気がします。


今年もどうぞ、覗きに来てください。お待ちしております。




自閉症児の母として(67):洗剤の香りに2020年11月29日


長男がグループホームに移ったのは、昨年の33日。丸一年目の今年の「自立記念日」には、息子の変化について書きたいと思っていたのに、ほかならぬコロナ禍の変化に押し流されて、書きそびれたままになってしまった。

今でも気にはなっているのである。

 

そんなおり、925日の朝日新聞「天声人語」は胸に刺さった。

詩人23人が輪番でつづるサイト「空気の日記」が紹介されていた。

「コロナで世の中の変化がすさまじい。僕ら詩人の感性で日々を克明に書きとどめる実験です」

というのは、発案者の松田朋春さんの弁。
さらに、いくつもの引用では、「緊急事態」や「不要不急」という言葉に戸惑ったり、カタカナ言葉や横文字の羅列を「犬みたいだ」と揶揄したり……と、詩人たちの思いや感覚がみずみずしい。

 

この記事を読んで、数日前の小さな出来事が頭に浮かんだ。

息子は、毎週土曜日に帰宅して1泊していく。その時に、職場で着た作業着を私が洗濯する。ほかの衣類は週2回自分で洗っているのだが、作業着だけは週末に持ち帰って月曜に間に合うように、自宅で洗わなくてはならない。

その日、背負ってきたリュックの中から、作業着を取り出すと、見知らぬ香りが立ち昇った。

そういえば、ホームのお世話人さんから、「今までの液体式ではなくボール状の洗剤を使ってもらうことにしました」という報告を受けていた。その新しい香りだ。

次の瞬間、思いがけず、寂しさが込み上げた。わが家とは違う匂いの衣類を身につけて、もう息子はよその人だ、家族ではない、と感じたのだ。

そのことを書いておかなくては、と思った。

 

あの日から2か月もたったけれど、やっと書けた。あの瞬間を書き残せた。

今ではその香りをかいでも、なんとも思わない。作業着を持ったまま固まってしまうほどの寂しさは、どこに消えたのだろう。

 

天声人語の文章は、白井明大さんの次の一節で結ばれていた。

 

〈わざわざ書くまでもないような ささいなことを ううん わざわざ書いておかないと あとあと喉元過ぎて忘れてしまうだろうから〉。

 

 





ダイアリーエッセイ:重なる日2020年11月24日

 

今日は、午前中に長男の主治医のクリニックに行く予定だった。

 

ところが昨日の夕方、母のホームから連絡が入った。

「右手の腫れがひどくなって、痛くてご飯の時も使えないご様子です。整形外科にお連れいただけますか」

前日に、手が腫れているが、痛くはないとのことなので様子を見たい、という電話があったのだった。どうやらそれが悪化しているらしい。骨折かもしれない。

原則、通院は家族が付き添うことになっている。もちろん、ホームから車いす専用車で送迎はしてくれる。

「わかりました。午前中に行きます」と返事をした。息子のクリニックへは、朝一で予約の変更をしてもらえばすむ。

 

その電話から、1時間もしないうちに、今度は息子のグループホームから電話が来る。

「モトさんが、食欲がないと言って、夕飯を召し上がらないのですが」

世話人さんの言葉にびっくりした。腹痛もなければ熱もないし、風邪気味でもないという。それなのにご飯を食べないなんて、あの子に限ってありえない。どうしたんだろう。

もしかして、コロナ……? 最悪の事態が脳裏をよぎる。

とりあえず、夜中にお腹がすくかもしれないので、おにぎりを作っておいていただけますか、と丁重にお願いをして、明日まで様子を見てもらうことにした。

 

もし、明日の朝、熱が出ていたら? どこの医者に、どうやって連れていく?もし、コロナだったら? どこで隔離する? どこに入院する? 

息子は独りでは無理だ。私が防護服を身に着けて看病する???

たくさんの疑問の湧き上がるなか、はっきりしているのは、明日、息子の体調が悪化していたら、母はホームにお任せして、いち早く息子のもとに駆け付けるということ。母を世話してくれる人はたくさんいても、病気の息子にはこの私が必要だ。いずれ母亡き後は、福祉にお世話になるけれど、今はまだ私しかいない。

 

緊張して朝を迎えた私に、電話の息子の声は明るく元気だった。

「朝ごはんは全部食べました。お腹も痛くない。大丈夫です!」

世話人さんの話では、換気のため窓を開けたままで、ゲームに熱中していたので、体が冷えたのではないか、ということだった。

とにかくほっとした。

 

安心して、母を連れて外科へ。

レントゲンの結果、骨折はなく、細菌が入って腫れたのでしょうとのこと。念のため、採血して検査をし、明日もう一度、私一人で結果を聞きに行く。こちらも、ひとまずほっとした。

通院のおかげで、9か月ぶりに生の母に会えた。文字どおり怪我の功名に感謝する。

 

長引くコロナ禍でも、感染対策をしながら、何とか楽しみや生きがいを見つけて日常生活を送れるようになってきた。とはいえ、いつどこでコロナを拾ってしまうかわからない。そのリスクは誰もが持っているのだ。

私にはまだ、家族を守る役割がある。

改めて、そんなことを考えた一日だった。

 

それにしても、私の〈GoTo旅行〉の日と重ならなくてよかった、と三たび胸をなでおろしたのでありました。




 



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