ニーハオ、上海!:①びっくり7選2024年11月22日

「南フランスの旅のフォトエッセイ」も中断したままだし、前回の投稿がちょうど同じ日付の1022日。1ヵ月もご無沙汰しておりました。娘の駐在先の上海へ行っていたのです。準備にも、帰国後の忙しさも、目の回る1ヵ月でした。

 

初体験の中国です。まず観光とはいえ、ビザが必要で、申請も受け取りも江東区有明にある中国ビザセンターに出向き、それぞれ狭い部屋で2時間半待たされました。それだけで気持ちが折れそうでした。

とはいえ、娘がどんな場所でどんな暮らしをしているのか、この目で見てこよう。そんな強い思いで、夫とふたりで、かの地へ向かいました。

娘が上海に行くことになったいきさつは、2021210日の記事につづっていますので、そちらもお読みいただけたらうれしいです。

コロナ禍の真っ最中に単身赴任してから早くも3年半。娘もさることながら、聞きしに勝る中国とそこに住む人々のおもしろさに圧倒されるやら呆れるやらの5日間でありました。

 

びっくり・その1

まずは初日、仕事帰りの娘が空港に迎えに来てくれるので、夜に到着。出口で待っていた娘は、タクシードライバーと電話でやりとりしています。もちろん、中国語。彼女が中国語を話すのを初めて聴いたので、まずびっくり。3年半も暮らしてきたのだから、当たり前だとはわかってはいても、感動してしまったのでした。

 

その2

彼女のひとり暮らしの住まいが立派なのでびっくり。26階建てのホテル兼レジデンス。2回お掃除が入ると聞いてはいたけれど、要するにホテル住まいだから、タオルも寝具も取り換えてもらえる。キッチンや大きな冷蔵庫はあっても、ほとんど外食だとか。広い寝室もバスルームも2つずつあって、私は高級ホテルのシングルルームに泊まった気分。ああ、うらやましい。(と私が言うのがわかっていて、これまで娘は詳しく話してくれなかったようです) 


その3

まあ、街中の賑やかなこと。車はクラクションをブブブーと鳴らして走り、バイクは歩道さえもビービー鳴らしながら通行人を縫うように走るのです。これにはいつもびくびくして歩いていました。

人々は大きな声で会話をします。近くの人とでも。まるでけんかしているみたい、と言われるとおりでした。

 

その4

上海は都会ですから、人口も多い。その混み具合は、東京とあまり変わらないでしょうか。ただ大いに違うなと思ったのは、どこを歩いていても、人がよけてくれないこと。いつも向こうから突進してくる人をこちらがよけている、という感じがしてなりません。こちらを人間として見ていないの? 物体のように思ってる? ……とすら思えてくる。娘もそうなのよ~と同意。日本なら、どちらからともなくぶつからないように自然と身をかわすのに。

とはいえ、あちこちでぶつかって倒れる人もいないので、うまくすれ違っているのでしょうね。ひと月もすれば慣れるのかもしれないけれど、新参者としては戸惑うばかりでした。


▲南京東路・西路と呼ばれる繁華街。いつでも歩行者天国でにぎわっていました。

 

その5

同じように、地下鉄の中でも、当たり前のように電話をしています。しかも、スピーカフォンで、相手の声まで聞こえてくる。これもまた日本ではありえない。

みんながみんな同じようにしていて、お互いさまだから?

話し声も大きいから、電話だって同じ?

「車内ではお静かに」というマナーはないのかもしれません。


 珍しく空いていたので、撮ってしまった地下鉄の車内▲ なぜか樹脂製の硬いシートの車両も多く、お尻が痛くなりました。


その6

さすがに中国は、日本の先を行くIT社会です。

まず、出発前に娘の指示どおり、中国のAlipayというアプリをダウンロードして、アカウントの初期設定をしました。中国の人民元で支払いをするためのアプリで、娘が夫と私のそれぞれのアカウントに、滞在中に使う程度の人民元をチャージしてくれました。手持ちのクレジットカードも登録すれば使えますが、その都度3%の手数料がかかるので、使ったのはチャージした元だけ。地下鉄に乗るときも、改札口にQRコードをかざすだけで、アプリから電車賃が支払われます。買い物の支払いも、店頭で同様にQRコードだけで決済が完了します。

結局、滞在中は中国の紙幣も小銭も、現金には一切触れず、目にもせず、でした。

 

タクシーにも何度も乗りましたが、すべて娘がアプリで手配。近くのタクシー乗り場を指定すると、利用する車のナンバーや、あと何分で来るかもわかり、安心して待っていればいいのです。

日本でもたまに「GO」のタクシーを利用しますが、それより進歩していて便利なように感じました。

ちなみに電車賃もタクシー料金も、およそ日本の3分の1程度でした。

 

なんともかわいかったのは、娘の住むレジデンスのロビーで、充電しながら待機している青とピンクのロボット2体。日本でもファミレスなどで料理を運んでいるのを見かけるようになりましたね。

このビルでも、ときどきエレベーターに乗っていたり、扉が開くと降りてきたりして驚いたものです。ビルの玄関先まで届けられた居住者宛ての配達物を、従業員が受け取り、ロボットたちに指令を出すと、それを間違いなく部屋のドアの前まで届けるのです。娘も熱々のご飯や通販での買い物など、しょっちゅうお世話になっているようです。

ちなみに、彼らの名前は、トムとジェリーですって。かわいい働き者たちでした。

 

その7

こうやって、驚いてばかりの初めての異国を、中国語しか通じない街で、老夫婦ふたりが迷子にもならず、けがもせず、(当局に捕まりもせず?)歩き回れたのは、ひとえに娘のおかげです。

思い起こせば、3人の子どもたちが小さい頃、私たち親は苦にもせずに車を運転したり、電車に乗せたりしては、あちこち連れて行ったものです。

それが今、まったく立場が逆転してしまった。感無量の思いです。娘がここまで成長したのも、親の力なんてほんのわずか、自分の努力と我慢をたくさん積み重ねてきたからだと、私は思っています。

立派になったね。ほめてあげたい。

 

☆びっくりの番外編です!

これを書いている最中に、たった今、ニュース速報が入りました。

「日本人の中国訪問 短期ビザ免除再開へ 今月30日から」

1ヵ月早かったら楽だったのに……。


▲有明の中国ビザセンターからの眺め。ビッグサイトが見えます。もうここで待たされなくとも娘に会いに行けますね。

 

★次回は、美味しい中国料理のかずかずや、上海の人気スポットなど、たくさんの写真とともにアップするつもりです。お楽しみに!

 



ロングエッセイ:「最後の愛車」2024年05月04日

         

私が運転免許を取ったのは、結婚した年だった。費用は家計費からねん出して取得すればいい、と学生時代から考えていて、そのとおり実行した。夫は免許を持ってはいても、運転はあまり好きではなさそうだ。そのせいか、私の運転に協力的で、助手席に座り、文字どおり私の運転助手となった。

子どもが生まれると、車のある暮らしは何かと便利だった。しかし、その必要性がはっきりしたのは、長男が2歳半の頃。息子は自閉症という障害があり、いわゆる多動児で親と手をつなぐのも嫌がり、勝手にどこかへ行ってしまう。買い物も、通院も、遊びに行くのも、チャイルドシートから降ろすとベビーカーに乗せ、どこへでも出かけたものだ。

子どもが2人に増えても、リトラクタブルライトの付いたスポーティブな車の後部座席に、チャイルドシートを2つ並べて子どもたちを乗せる。それを見た友人から、「ミスマッチねー」とあきれられたこともあった。カーナビなどない時代、高速道路の出入り口を事前に頭に入れておいたり、膝の上に地図を広げたりしては、あちこち走りまわった。

家族で旅行をする時には、全行程ドライバーは私で、到着後の子どもの世話や食事のしたくは夫の役目。この分業はスムーズだった。

そして、子どもが3人になった頃、ワンボックスカーが主流になり、7人乗りのホンダ・オデッセイを選んだ。大きい分、パワフルで運転しやすく、見晴らしもいい。車内も広く快適だ。オデッセイはほぼ20年にわたって3台乗り替えた。その頃にカーナビという画期的な道具が生まれ、これさえあれば地の果てまでも運転していける気がして、うれしかった。

オデッセイ2代目の時に、初めて希望のナンバーが付いた。お気に入りの曲、桑田佳祐の「波乗りジョニー」をもじって、ナミナミ、つまり7373にした。

ところで、車をゆりかご代わりにして育った長男は、毎年発売になる自動車ガイドブックをいつからか買い続けていて、さすがに車に詳しい。また、近くのホンダカーズの担当者とも仲良くなり、行くたびに新しいホンダ車のカタログやミニカーをもらい、コレクションしている。ディーラーとは、もう30年以上のお付き合いだ。他社の車に目を向けることもなくホンダ車ひとすじのわが家は、いいお客さんだろう。薦めるでもなく売りつけるでもなく、こちらの言い分、気持ちをすべて肯定して受けとめてくれる。気がつくと、魔法にかかったように買いたくなっているのだ。

 

時は流れ、家族旅行の機会も減り、わが家の車は7人乗りである必要がなくなってきた。とはいえ、オデッセイの走りの良さは捨てがたい。そこで買い替えたのが、やはりホンダのヴェゼル。SUVと呼ばれる、走りを楽しむスタイリッシュな車だ。長男は発売当時から、街中で見かけると、「ヴェゼルだ!」と指さした。私も次に買い替えるならこれ、と決めていた。これが最後の愛車になるだろう。BGMはもっぱらサザンだから、ナンバーは12ヵ月サザン、1233とした。

ところが、である。買ってから2週間目に、夫と紅葉の軽井沢に出かけた。もう少しで到着という辺りで、ディスプレーに赤い警告が出て運転中止を余儀なくされたのだ。驚いて緊急連絡をすると、レッカー車がやって来て、新車ヴェゼルはあえなく修理工場に運ばれて行ってしまった。まる1日かけて検査をしたが異常は見つからず、コンピュータ内部にも原因は見当たらなかったという。別の車に交換してもらうこともできず、問題のない安全な車だと信じて乗り続けるしかなかった。幸いその後は、同じ警告が出ることはなかった。

さらなるショックは、半年もたたないうちにやってきた。ヴェゼルのフルモデルチェンジが発表されたのだ。担当者は「営業にも知らされなかったんです」と、とぼける。それがわかっていれば、新型車発売まで待ったのに、と悔やまれた。

新型ヴェゼルはあまりにも斬新なスタイルで、いかつい顔が好みではない。とはいえ、皮肉なことに、この新車のCMで流れる曲「きらり」を歌う藤井風にはどんどん惹かれていく。旧型ではあってもヴェゼルに乗って彼の歌を聴くことは、最高にクールな時間だった。それでも、ドライブ中にすれ違う新型車は、気になってしかたがない。

やがて、気がつくとテールゲートに何かをぶつけられたようなへこみができていた。私がぎっくり腰で歩けなくなり、医者に行くため運転を任せると、夫は2年ぶりの運転で、やはり前方のバンパーを激しくこすった。

愛車の傷は、私の心の傷となっていく。3年後の初回車検のおり、「新型に買い替えようかな」と軽い気持ちで呟くと、

「今、納車は1年先ですよ」とのこと。世界的な半導体不足で、自動車業界も厳しい状況にあるのだ。とても1年は待てないと、買い替えの件はあっさり撤回した。

 

「新型ヴェゼルの納期は3ヵ月程度になりました」

と、その半年後の定期点検の時に、担当者が言う。消えたはずの買い替えの気持ちが、また膨らみ始める。

夫は「運転するのは僕じゃないから」と、にこにこ笑っているだけで何も言わない。ただ、2人とも新型ヴェゼルがすっかり目になじんで、「いいねー」「いいよねー」と、気に入っていることだけは共通していた。

それでも買い替えをためらう最大の理由は、なんといっても年齢的なこと。今年の年末には古希を迎える。腰が痛い、ますます目が悪くなったと言いながら、新しい車が扱えるようになるのだろうか。ブレーキとアクセルを踏みまちがえたりしないだろうか。

その迷いは、試乗することで解決した。運転操作はほぼ今の車と同じ。ナビの画面は今の倍はあるし、メーターの表示も大きい。ちょっとでも物体に接近しすぎると警告音が鳴る。片足を上げればセンサーが反応してテールゲートが開く……。むしろ高齢ドライバーに優しい車ではないか、と夫も私も納得した。

そうだ、古希のお祝いに買うことにしよう。あと5年間、ドライブを楽しめればいい。ヴェゼル2号の色は「プレミアムサンライトホワイト・パール」。日の光で微妙に変化する上質な白い色。愛車人生で初の白だ。ちなみに、10台目のホンダ車である。

もうひとつの言い訳。私は長男の子育てで、車に大いに助けられた。便利だっただけでなく、好きな音楽を聴きながらひとりでドライブすれば、つらいことからも解放されるような気分に浸れた。そうやって苦難の日々を乗り越えてきたのだ。私にとって、かけがえのない相棒であり必需品だったといえる。長男は車とセットで授かった、と言ったら神様に笑われるだろうか。

ナンバーは、1231。今度こそ、これが最後の愛車となる。


        ▼さよならしたヴェゼル1号。


▼最後の愛車、ヴェゼル2号。

 

 


現状のご報告2023年12月06日



 

前回の記事を載せてから、あっというまにひと月がたちました。

脳卒中で倒れてリハビリ病院に入院中の77歳の義姉と、今まで義姉と二人暮らしをしていたのに突然独りになった102歳の義母。2人の心配を抱えていることは、これまでにも書いてきました。

 

そのさなか、2ヵ月ほど前になりますが、今度は長男が、よりによって自分の誕生日に、バスの中でパニックを起こして乗客に迷惑をかけてしまったのです。

翌日から、住んでいるグループホームから職場への通勤に、付き添うことになりました。夫はバスと電車に同乗、私は車で送迎。福祉サービスの支援は受けられず、実費を支払ってヘルパーさんにお願いする日もありますが、なんとか欠勤をしないで続けています。

 

ところが、今度は義母が、体調を崩して一人暮らしができなくなり、わが家に移ってきました。

万事休すとはこのことです。長男の送迎のこともあり、予定していた旅行もすべてキャンセル、趣味のあれこれも休会、今月はエッセイ教室の仕事もお休みにさせてもらいました。

夫と2人で「3人分の介護」をしながらも、義母と半身まひの義姉がこれまでどおり一緒に暮らせる介護付き老人ホームを探して奔走しました。ようやく、実家の近くに良いところが見つかり、義母が体験入居をしたうえで、「ここにする」と言ってくれたのです。やれやれ! 

今は契約に向け、あちこち駆け回ってもろもろの手続きを進めているところです。

1月半ばには、義姉も退院して、ホームに入居することになります。

それが落ち着けば、ひとまず肩の荷が下りることでしょう。

 

長男のトラブルについては、今はまだあまり詳しくは書けませんが、3ヵ月ほど通勤に付き添って、来年からはまた単独で行動させるつもりです。

しかし、「今回の一件は障害者の人権にかかわる社会的な問題でもあるのだから」と、主治医の先生から言われました。近いうちに先生から紹介していただいた弁護士に相談することになりそうです。

そのことについても、いずれご報告できればと思います。

 



数字のメモリー2023年10月21日


「シャラリーン!」

106日、見事な秋晴れのドライブ日和。1年ぶりに一時帰国をした娘を乗せて、湘南の海を目指していました。運転中に、ナビがなんとも軽やかでハッピーな音を発したのです。

初めて聞いた助手席の娘が、「なにこれ!?」とびっくり。

 

最近の車は安全のためにやたらと音を発しては警告してくれるのですが、これは警告ではなく、お知らせ音。

数キロ走ると、ふたたびシャラリーン!

今度はさすがに、娘が素早くナビ画面を読みました。

「もうすぐ記念距離メモリーです」

……と書いてあるかどうか、じつは私もさだかではない。1秒ほどしかそのお知らせが出ないので、読み終えないうちに消えてしまうのですね。

 

またもシャラリーン!

車の走行距離には、7777㎞という数字が出ていました。

その後は、お知らせ音は鳴らなくなりました。

 

3年前、初めてこの音を聞いたときは、私もびっくりしたものです。

なになに?? 画面に何か文字が……、と思っているうちに消えてしまう。これでは、思わずブレーキを踏みたくなって、事故を起こしかねないのでは、と心配になりました。

助手席の夫が「設定で鳴らないようにできるはずだよ」と言ったのでしたが、ちょっと考えてそのままにしました。こういう遊びごころ、嫌いではない。

 

それから10日ほどたって、またしてもシャラリーン!

今度は、後ろの席で、長男が「な、なんだ?」とびっくり。

この日は8000㎞の記念距離達成でした。

 

ところで、このブログのアクセス数も、今月1日に80,000回を記録しました。残念ながら、ジャストの写真を撮りそこないましたが、皆さまが覗いてくださるおかげです。

いつも、ご覧いただき、どうもありがとうございます♡


 

ちなみに、前回の記念メモリーは、202176日の70,000回でした。






 


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