ダイアリーエッセイ:私へのプレゼント ― 2023年12月24日
12月20日に、その日発売のCDが届く。
桑田佳祐&松任谷由実の「Kissin’ Christmas (クリスマスだからじゃない) 2023」。長男はサザンのCDやDVDのすべてを買いそろえてきた。
この曲は、桑田君の以前のアルバムに入っていたから知ってはいたのだ。それでも、今回はレコーディングもし直して、リメイクしたというので、楽しみにしていた。
翌朝、10月からのルーティンで、車で息子をグループホームに迎えに行き、職場に送り届ける。息子は、9月にバスの車内でトラブルを起こしたため、もっか「単独乗車は謹慎中」なのである。そのドライブの時にCDを聴いた。
イントロは10年前と同じなのに、なんと桑田君の歌い方はやさしいのだろう! 彼のこてこてハードロックの歌いっぷりからは想像もつかない。
ユーミンの少女のような高い声も、なんとかわいらしいのだろうか。
どちらも、今の私の心にしみこんできた。
2人とも、私とはほぼ同年齢。シンパシーとリスペクト……あえてカタカナ言葉が浮かぶ。
そして、以前のアルバムにはなかったフレーズが聞こえてきた。
「恋人がサンタクロース♪ 本当はサンタクロース♪」と、桑田君が歌う。
すると今度は、ユーミンがスローテンポで歌う。
「だから好きだと言ってー♪ 天使になってー♪」
あの名曲、「波乗りジョニー」だ!
目くるめく思いが沸き上がる。もう20年以上前の曲で、あの頃の思い出をすべて乗っけて、サーフボードがこちらに向かってくるようだった。
当時、新しく乗り換えたホンダ車オデッセイのナンバーには、
「7373」と付けた。曲のタイトルをもじって、この車を「ナミナミジョニー」と呼んでいたっけ。
歌詞のなかで、次のようなくだりがある。
「どこへ向かっているのか 時々わからなくて きっと大丈夫だよね 新しい日を夢で変えてゆける♪」(一部抜粋)
さらに、「あなたへの プレゼント……♪」と、ささやくように歌ってくれて、涙がこみ上げる。
今年は、激動と混乱の日々だった。必死で乗り越えてきた今、この曲は、私へのプレゼントなのだ、と思えた。
フロントガラスの向こうには、この日も冬晴れの青空が広がり、葉を落とした並木道の木々が、天に突き刺さるように並んでいる。
12月21日、この日は私の誕生日だった。
皆さん、メリークリスマス❣❣
1200字のエッセイ: ユーミンと私の50年 ― 2023年01月19日
ユーミンと私の50年
昨年来、ユーミン50周年の記事や広告が新聞に踊っている。
もう半世紀にもなるのだ……と、ある記憶がよみがえる。
彼女がデビューして間もない頃、私が通う大学の文化祭で、彼女のコンサートが開催されることになった。彼女の婚約者の松任谷正隆氏が、大学の卒業生だったからだ。まだ現役の学生で、ユーミンファンだった私たちサークル仲間は、コンサートの実行委員とかけあい、無料で見せてもらう代わりに、出演者の接待係を仰せつかった。
コンサートは古い校舎のホールで行われ、殺風景なステージで、彼女はつばの広い帽子をかぶり、当時流行りのパンタロンスーツという衣装で、ピアノを弾いて歌った。あぶなっかしい歌いっぷりは、レコードで聴いていたのと変わらなかった。
ユーミンほか、ハイファイセットなどの出演者とスタッフのために、私たちは楽屋で紅茶を入れてもてなす。屈強な男子学生が、校内をボディーガードのように連れて歩く。握手もサインもなし。
同年代のユーミンに対して有名人だという緊張感はなかったけれど、ティーカップを洗いながら、なぜかふと、彼女は私たちとは別格の女王様のように感じられたものだ。
そして、半世紀が過ぎた。今なお、ユーミンは正真正銘の女王様であり続けている。あの時、こっそりサインの1枚でももらっておけばよかった……。
彼女は、想像できないほどの努力をしてきたことだろう。でも、それを感じさせないところが、女王様らしいかもしれない。
私はといえば、松任谷氏と同じ大学卒の男性と結婚したけれど、ユーミンとは違って3人の子を授かった。子育てをしながら、仕事も、趣味も、それなりにがんばってきたつもりだ。
非凡と平凡。たしかに違いは大きい。
しかし、かけがえのないそれぞれの命を燃やして生きてきた50年という歳月に、ユーミンと私、何の違いもないのだ。それだけは胸を張って言える。
▲当時、たまにレコードを買うこともあったけれど、たいてい貸しレコード店で借りてきてはカセットテープにダビングして聴いた。そのカセットケースには、曲のタイトルを書き、さらに曲のイメージの絵や写真を雑誌から切り取って挟み込んで、カスタマイズしたものだ。
もうテープを再生する機器も手元にはない。それでも、レコード以上に捨てがたいテープたちなのである。
ついに藤井風のライブへ♬ ― 2022年06月09日
昨年6月に、風沼にハマった。その不思議さを解き明かそうと、「藤井風の不思議」というエッセイを書いた。(2021年6月28日の記事)
それから風沼の中で1年がたち、人気急上昇中の彼のレアなライブチケットをついに手に入れることができた。
[alone at home Tour 2022]
という名のライブツアーで、全国各地のホールを巡って32回の公演を開催するという。チケットはもちろん、抽選。しかも、エントリーできるのは一人3ヵ所まで。当選も1回だけという厳しい条件が付いた。公平に、一人でも多くのファンに見に来てほしいという主催者の思いなのだろう。
ひとりで行くことも考えたけれど、私の風話に興味をもってくれた親しい友達を誘って、2名分のエントリーをした。
申込みも、当選したときのチケットも、すべてスマホのオンラインだ。2名分のメルアドと電話番号を小さな文字で入力する。オバサン世代だってメガネをかけて何とか細かい文字に対応していかなかったら、老後は暗黒の世界となりかねない。文字どおり必死にならないと、死活問題なのである。
「推し」先輩のアドバイスに従って、希望者の多い大都市周辺を避けて、地方都市にエントリーした。
当選をゲットできたのは、やはり新幹線を利用して片道2時間半の浜松での公演だった。
浜松は、月に一度、カルチャースクールのエッセイ教室があって訪れている地。せっかくだから、当日は1泊して浜松観光も楽しもうと二人で計画をたてた。
午前中に浜松着。最初に訪れたのは、銘菓うなぎパイの春華堂が新しく造った「スイーツバンク」。お菓子屋さんやカフェ、さらには銀行やオフィスまである複合施設なのだが、その建物を覆っているのが、実物の13倍の大きさのテーブルたちなのだ。
新聞で初めてその写真を見た時、行きたいと思った。実際に、椅子の脚は電柱のようだし、テーブルの上から垂れている新聞紙は実にリアル。手が届くわけではないけれど、写真に撮れば引っ張っているみたい?▼
▲春華堂の紙袋。
さらに、トイレは、とてもトイレとは思えない。
▼キッチンではない。トイレの手を洗うコーナー。
2階へ続く階段の前には、
「ここから先は働く小人の世界です」という立て札が置いてある。▼
まさにアミューズメントパークだ。
カフェで美味しいスイーツを食べ、うなぎパイやそのほかのお菓子をおみやげに買いこんだ。
(本題からは寄り道ですが、浜松観光ならここが一押し。施設の空間づくりを手がけた丹青社のホームページで、上空からの写真も見られるので、ぜひ!)
▲うなぎパイが刺さったドリンクと、掛川茶のラテ。
浜松と言えば、昨年まで餃子日本一に輝いた浜松餃子だ。昼間の時間帯でも営業中の店を選んで、石松餃子の駅ビル内の店舗へ出向いた。
具には野菜がたくさん使われ、もやし炒めも一緒に食べる浜松餃子は、あっさりしていて、たくさん食べられる。静岡麦酒と一緒にいただく。
かくして、本日のメインイベントに向かうエネルギー補給もすんで、いざライブ会場へ。開場にはまだ30分もあるのに、すでに行列ができている。やはり女性が多いが、男性どうしで来ている人たちや、制服を着た高校生、ママと一緒の小学生などもいて、ファン層の厚さを思う。そう、彼の音楽には年齢もジェンダーも関係ないのだ。
それにしても、皆おとなしい。コロナ禍の暮らしに慣れすぎたせいか、マスクを付けたまま声を出さない。本来なら、待ちきれないワクワク感に満ちているはずなのに、ちょっと寂しい気がした。マスクを外すようになれば、もっとはしゃいで喜びを表す日が来るだろうか。
グッズ販売で手に入れた「きらり」のTシャツを着て、友と二人、興奮を持て余しながら、開場の時を待った。
▲胸に大きなきらり。背中にはミニサイズのきらりが1ダース縦に並ぶ。
ワンマンライブだというので、ステージにピアノが一台ぽつんと置いてあるようなイメージを勝手に抱いていた。とんでもなかった……。
ここから先はネタバレ厳禁、書かないでおく。まだツアーは3分の1が終わったところだ。これから見る人のお楽しみは明かさない。
ただし、ご当地ネタなら、ほかで再演されることもないだろうから、書いてしまおう。浜松ネタとなったのは、ほかでもないうなぎパイと石松餃子だったのだ。その日のライブ前に私たちが楽しんだ二つともが大当たり。さすがはくじ運が強かった私たち、と自画自賛。袋に入ったうなぎパイひとつ、彼はピアノの上に置いて弾いた。浜松へのリスペクトね?
石松餃子は、裏に磁石が付いた作り物の餃子と、お店のお品書きが登場した。
「磁石だから、ピアノの上には置かないで……」とつぶやいた彼に、楽器を大切にするやさしさを感じる。
私たちの席は残念ながら、遠くから小さな彼を見下ろすような3階席だった。
それでも、期待以上のすばらしい生の演奏を見て、聴いて、「ロンリーラプソディ」の歌詞のように、同じ空間にいて、同じ呼吸をしている。それだけでよかった。あっという間の2時間、至福のひとときだった。
「燃えよ」と歌うから燃え尽きて、1週間が過ぎた。梅雨入りした今は、「青春病」ならぬ気象病に冒されて脱力状態……。
そして、1年前の私自身の分析は正しかった、と改めて思う。ライブを見終えて、確信している。
ベジタリアンの彼のパフォーマンスから、溢れるほど心のビタミンをもらった。明日からもがんばろう。
「きらり」、「ロンリーラプソディ」、「燃えよ」、「青春病」、すべて彼の曲のタイトルです。
全曲ご存じなら、あなたも風沼のお仲間ですね♪
藤井風の不思議 ― 2021年06月28日
昨年の10月、車を買い替えた。これまで20年以上も7人乗りを乗り継いできたけれど、これからは自分が高齢になっても楽しめる安全な車がいい。
選んだのはホンダのヴェゼル。発売された時から、次はこれだと決めていたスタイリッシュなSUV。サポート機能も充実、当然ハイブリッド。アメジストパールという渋い大人の色にする。
ようやく運転操作にも慣れてきた。愛車を伊豆の海岸にとめて撮った写真を、スマホの壁紙にしている。
ところが半年もたたないうちに、ヴェゼルのフルモデルチェンジが発表された。ちょっとがっかり。がしかし、CMが放映されるようになると、そのテーマ曲「きらり」に惹かれた。リズミカルでさわやかな疾走感。ファルセットボイスも、日本語だけの歌詞も心地よい。
作者は藤井風(ふじいかぜ)。彼の名を耳にしたのは1年ほど前、若いママ友からだった。当時は動画を見てもイメージが定まらなくて今一つだったが、その後、カーラジオから流れる彼の歌にもなじんで、悪くないかも、と思えるようになっていた。
そこへヴェゼルのCM曲。さらに別の友人が彼のライブに埼玉まで行ったと知り、がぜん彼の輝きが増す。彼女から次々とライブ配信やCDなどの情報が送られてくる。
極めつけは「藤井風アプリ」だった。インストールしたら、彼の顔をしたアイコンが、壁紙のヴェゼルのフロントグラスに、しかもちょうど助手席の辺りに貼りついたではないか。ドキリとした。運命の人だわ!
それから毎晩YouTubeの動画を見ては、取り寄せたCDを聴き、〈風沼〉に突き落とされるのに3日とかからなかった。
彼は、岡山県出身の24歳。父親の影響で幼い頃からピアノを習い始める。中学生の時、YouTubeチャンネルを作り、演奏をアップ。才能の頭角を表した。彼の成長と進歩を追うように、演奏ぶりが次々とアップされていく。ショパンの幻想即興曲から昭和の歌謡曲やフォークソングまで、力強いタッチで弾きこなす。
しかも、才能はピアノだけではない。さまざまなジャンルの洋楽のスタンダードナンバーを、みずからアレンジしたピアノ伴奏とともに、見事に歌いこなしている。
YouTubeで注目され、高校を出ると、順調にプロへの道をたどる。ファーストアルバムは各チャートで1位になり、高い評価を得た。
岡山の田舎から出たことのなかった青年が、インターネットを駆使して世界と繋がり、多くを学び、才能を開花させてしまうなんて、努力家でもあるわけで。
多才なうえにルックスも半端ない。「ハイスペック・イケメン」とか、「彼の顔で城田優と福山雅治がシェアハウスしてる」などとコメントされる。
都会的でクールな雰囲気と、ふとこぼれるピュアな微笑み。岡山弁の純朴な語り口と、ネイティブのような英語のトーク。かつてイメージが定まらないと思ったのは、つまりは多面体の魅力だったのだ。
それにしても不思議でならない。彼の年齢の3倍近くも生きている私が、その現実に少しの後ろめたさもなく、彼の歌にとろけ、とりとめのない歌詞の深い意味に心打たれている。イケメンの豊かな表情に魅入っている。
そんな時、私の中にひらりゆらりと高揚感が立ち昇るのだ。
これって〈何なんw〉。
風沼にハマって3週間。やっと気づいた。
例えば、「きらり」のミュージックビデオ。肌の色も、年齢も、ジェンダーも、さまざまな人たちが現れて、彼を取り巻きながら楽しげに踊っている。そういえば、ほかのMVでも同じような人々が登場する。歌詞にしても、岡山弁だったり、やんちゃな物言いだったり、女言葉だったりする。
つまり、男と女のありきたりな愛だの恋だのとは、ひと味違っている。もっと広くて深い愛、神さまのようなやさしさ。それなのだ。
だから、どんな人でも素直に溺れることができる。ありのままの自分でいいのだと思えてくる。
だから、彼の歌を聴いて湧き上がる高揚感は、自己肯定感にとって代わる。どんなに年をとったって、私は私でいい、やりたいことをやっていこう。そんなふうに思えてくるのだ。
こんな出会いは初めて。そう、やっぱり風は不思議。
そして、もうひとつ、彼の世界にはたびたび、もがいた後に解放される喜びが描かれる。癒しは希望をもたらす。誰にとっても、コロナ禍の無味乾燥な日々だからこそ、風沼は瑞々しいオアシスなのだろう。
今日もまた、助手席に彼を乗せて、ヴェゼルを走らせる。
「どこまでも どこまでも……♪」
文中の「何なんw」は、アルバム『HELP EVER HURT NEVER』の1曲目のタイトル。
同じく「どこまでも どこまでも」は、「きらり」の一節です。
テーマは「思い出の曲」でつづる800字エッセイ ― 2020年10月28日
「アルプス一万尺」
20代半ばのころ、ほんの4ヵ月だけロンドンで暮らした。英国人家庭にホームステイして、近くの英語学校に通ったのである。ヨーロッパの各国からやって来る学生たちと交わる生活は、毎日刺激に満ちていた。
ホームステイ先からは、住宅街を30分歩いて通う。学校はそんな地域の一角にある古いお屋敷を利用した小さな所だった。
帰り道は、同じ方向の生徒と一緒になる。同じ家庭に住むホームメイトのスイス人女性マリスと、別の家から通うイタリア人のファビオ。マリスはキリンのように背が高く大きな目をした社交家で、1つ年下だけれどお姉さんのように頼もしい。ファビオは黒ぶちメガネに足元は革靴。いかにもイタリアのお坊ちゃんという感じの十代の青年だ。
3人のおしゃべりは尽きることがない。3国共通の食べ物を発見したり、共通だと思っていた習慣が自国特有だと知って驚いたり……。
ある日のこと、マリスが、
「同じ歌をそれぞれの言葉で同時に歌ってみない?」
と提案した。それが「アルプス一万尺」だった。
「アルプスいちまんじゃーく、こやりのうーえで、アルペン踊りをさあ踊りましょ!」
ふたりも負けじとドイツ語とイタリア語で声を張り上げる。何を言っているのかわからないけれど、メロディはまったく一緒だ。
「……ラーンラランランララララ、ラララララーン、ヘーイ!」
と、最後だけは声がそろった。その歓声はすぐに笑い声に変わる。言葉は違っても、曲は同じ。そんな当たり前のことを実感して、うれしくておかしくて、いつまでも笑い転げた。秋の黄昏の中、若い声が閑静な住宅街に響いていた。
マリスとはその後も友情が途切れず、今ではSNSでつながっている。
ファビオはどうしているだろう。今年、新型コロナのパンデミックのニュースに、ふと心配になる。
沖仁さんのライブへ♫ ― 2018年02月24日
大好きなフラメンコギタリスト沖仁さんのライブへ。
それは不思議なコラボでした。
会場からして、能楽堂。日本の伝統芸術文化が公演されるような場所です。
今回は、この舞台で、バイレ(フラメンコの踊り)と長唄とのコラボです。
全員が黒ずくめの衣装と地下足袋姿で登場しました。
バイレの女性ダンサーもパーカッションの男性も、靴は履かずに足袋。床を踏み鳴らす音が木の温もりを伝えます。
繊細なギターの音色と、リズミカルに床を打つ音と、一点の曇りもないほどに澄んでなおかつ力強い長唄の声音とが、重なり合っていきます。
黒いスカートのダンサーは、時に素早く、時に緩慢に、豊かなフリルのストールやスカートの裾を揺り動かしては、狭い舞台を無言で動き回ります。
中学生か高校生のころだったでしょうか。わが家にギターがありました。
ギターは右手で弦をはじいて奏でる楽器です。左利きの私は、どうもうまく弦がはじけません。試しに、6本の弦を張り替えて左右逆の順番にしてみました。こうすれば、左利き用のギターになるわけです。
あら、左手で弾ける!
「禁じられた遊び」のさわりの部分も、何とか爪弾いてそれなりにメロディーになるではありませんか。
小さい頃から左手で字を書いていた私は、矯正され、右手でも書けるようになっていました。そもそも日本語の文字は、右手で書きやすいように書き順が決まっている。つまり、左手だと裏返しの文字が書きやすいということです。右手で普通の文字が書けるようになると、左手で鏡文字がすらすら書けるようになっていたのです。
そんな私ですから、コード表を裏返しで読み取ることなど、さほど難しくもなかったようです。
うれしくて、コード進行もいくつか覚えて、ギターを弾きながら、当時流行っていたフォークソングなど歌っては、楽しい時間を過ごしました。
そんな幸せなひと時も、長くは続きませんでした。きょうだいたちからギターの弦を元に戻すようにと言われ、従わざるをえませんでした。
私は左ぎっちょだからギターが弾けない。そう決めつけて、諦めたのです。
さて、不思議な音楽の世界に酔いしれて2時間、ライブは終了。
その後、アルバムを買って、沖仁さんにサインをもらいました。
彼はなんと、字を書くのは左手。私と同じサウスポーだったのです。でも、ギターを弾くときは右利きの人と同じように弾く。それを知ってますます彼のとりこになりました。
左利きの彼は、どれだけの努力をして、右利きの世界に挑んでいったことでしょう。ハンデをものともせずに、ギターを習得し、スペインで開催されたフラメンコギターのコンテストで優勝するなど、並大抵のことではありません。
自閉症児の母として(46):福山くんの「トモエ学園」を聴いて♪ ― 2017年12月30日
ちょうど1週間前の金曜日の夜、息子がテレビ朝日の「ミュージックステーション スーパーライブ2017」を見ていました。彼が毎週欠かさず見る番組の一つで、私のお気に入りのアーティストが出てくると、教えてくれるのです。
その夜は、福山くんで呼ばれました。歌うのは、「トモエ学園」という曲。黒柳徹子さんの自伝的ドラマ『トットちゃん!』の主題歌だとか。ドラマはちらりと見たことがありますが、曲は聞いたことがありません。
バイオリンのイントロで始まりました。
うれしいのに さみしくなる
たのしいのに かなしくなる
子どもの頃の学校を懐かしんで、感謝する気持ちが歌われていきます。
そして……
わたしたち 違うんだね
顔のかたち 心のかたち
歌詞を見ながら聞いているうちに、私は涙が出てきました。
息子たちの歌だ、と思ったのです。
自閉症に限らず、障害者すべての歌だと思えました。
先生 友達 わたしの明日 作ってくれたの
学び舎の日々 ありがとう
黒柳さんは、子どもの頃、今でいう学習障害だったそうです。
そんなトットちゃんを、じょうずに育んだ先生方は、息子がお世話になったすべての先生と重なります。
福山くんは、明るく楽しくというよりも、彼の精いっぱいの誠実さを込めて、バイオリンの演奏とともに、ろうろうと真面目に歌い上げていきます。
彼の歌は、力強くまっすぐに、息子たちを肯定しているように感じられました。
彼はミュージシャンとして、これまでより、ひとまわり大きくなったのではないでしょうか。
今年も、私の中にたくさんの歌を取り込んでは、人生の彩を感じてきました。
音楽は、心のビタミン。それがなかったら、心は干からびて体まで栄養失調になってしまいそう。
今年最後に、思いがけず、すばらしい歌と出会いました。
大晦日の紅白でも、彼はこの歌を歌ってくれます。
皆さまも、ぜひぜひお聴きくださいね。
そして、自閉症児の母の心にシンクロしてくださったら、うれしいかぎりです。
この一年、なかなか時間がとれず、気持ちの余裕もなく、思うように書けませんでした。書きたいことをずいぶん置き去りにしてきました。
そんな私のブログに、わざわざ読みに来てくださって、本当にどうもありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。
行ってきました、桑田くんのライブ「がらくた」in東京ドーム♪ ― 2017年11月16日
これ以上ないぐらいの青空がまぶしい秋の一日、行ってきました東京ドーム。
座席はスタンド1階の中ごろ。何と言っても広い広い野球場だから、遠くは霧にかすんでいるけれど、ま、しょうがない。
1曲目のイントロが始まった瞬間から、5万人のファンの歓声と拍手とリズムに乗った動きが炸裂する。少し懐かしい曲から、アルバムの新曲まで、期待どおりの演奏が、がんがん続いていく。
盛り上がったころ、入場のときに受け取った腕時計式のライトが、曲の始まりと同時に一斉に点灯。曲調によって色も変わり、カラフルに点滅したりもする。ドームの中は、5万個のライトのうねりが美しい。一人ひとりのハートがきらめいているかのようだ。気分は最高潮……。
桑田くんは、相変わらずおちゃらけたMCやギャグやコントで、時に爆笑、時に失笑を買う。彼のサービス精神旺盛な温かいキャラと、それに応えるファンのやさしさとがコラボする空間に、ああ、今夜ここに来られてよかった、としみじみ思う。
そして、彼の歌に酔いしれ、一緒に歌いながらも、心の中では、また別の思いが広がる曲がいくつもあった。
2曲だけ、ここに記しておきたい。(ネタバレごめんなさい)
「MY LITTLE HOMETOWN」
今、上映中の『茅ヶ崎物語』の副題にもなっていて、彼が少年期を過ごした茅ヶ崎の歌だ。私も8歳までこの町にいた。
野球少年だったという歌なのだが、神輿の掛け声がバックに入る。映像にも祭りのシーンが出てくる。7月の浜降り祭だ。
私も子どもの頃には、この日だけは朝早く起きて、浜へ出かけていった。学校もお休みだった。若者たちが神輿を担いだまま威勢よく海に入っていくのを、遠くから見ていた。
あの日いた場所は
More, more, more 何処でしょう?
スローテンポになって最後の歌詞がせつなく問いかけてくると、
「もうどこにもないね……」と胸の中で答えながら、ちょっぴり泣けてくる。
「オアシスと果樹園」
恋はブルーの便箋ひとつ
言葉言葉に愛をしたためて
こんな男が今も君を想う
そういえば、その昔、エアメールといえば青くて薄い紙の便箋だった。
大学生のとき、ヨーロッパの旅の途中で知り合った日本人の男性がいた。私よりも九つ年上で、とても大人に見え、頼もしく感じた。私が帰国した後も、彼は仕事で旅を続けていた。その旅先から青い便箋が届く。
「浜辺では、波が寄せては返す奇跡を描いています」
今なら、違うダロー!と突っ込みを入れて笑い飛ばしていただろうか。
若かりし頃の私は、たったひと文字のミスが気に障り、「何が大人の魅力だか……」と、急に白けて、青い便箋も色あせて見えたのだった。
もうとっくに時効の、40年も昔の思い出でした。
ちなみに、おみやげにもらって帰ったのは三ツ矢サイダー。WOWOWの特番のCMでも流れましたが、来年はサザンオールスターズでの活動があるようですね。
See you in 2018!
ぜひ、来年もまた来たいです。
ぜひ、来年もまた着たいです。
「がらくた」を聴いて♪ ― 2017年11月01日
10月は、公私にわたり、忙しくて目が回った。
そういう月は、たいてい月末に熱を出す。10月もそうだった。
夏には原因不明の発熱で不安だったけれど、今度は風邪の症状もあって、ちょっと安心。
ようやく治って、さて11月だ! しょぼくれてなんかいられない。
もうすぐ東京ドームが待っているのだ。
桑田佳祐とは、因縁のファンだと勝手に思っている。ブログにもさんざん書いてきたので、今日は割愛。
彼のソロ活動30年目を期して作られた渾身のアルバム、『がらくた』の話。すでに、このアルバムを引っさげて、全国ツアーが始まっている。
私はこの夏、リハビリ病院に入院する母のもとへ、週に一度は通った。往復4時間近く、中央高速と圏央道のドライブで、このアルバムを聴き続けた。ざっと計算しても、リピート30回は優に超えている。
その15曲の中で、初めて聴いた瞬間から、気に入った曲はいくつかある。でも、何度か聴いているうちに、最初の感動は薄れる。しかし、何度聴いても、そのたびに斬新な曲想に魂を揺さぶられる曲が、一つだけあった。
「簪/かんざし」である。
イントロからしてどうだ。ピアノのメロディラインは予想をかわしてくる。
あっという間に引きずり込まれてみれば、そこに広がっているのは、大正ロマンのような、昭和モダンのような、セピア色の男と女の危うい世界。
かと思うと、ジャズだとかブルースだとか、曲調も少しずつ変化して、アンニュイなムードに酔わされる。
そして、彼の表情豊かな声音(こわね)のなかでも、私の一番好きな色の声がおおいに突き刺さる。
さらに、脱帽なのは、その歌詞。
鉛色の空の下 うんざり晴れた世の中
このフレーズには、参ったなあ、と思った。
私も、こういう感覚のエッセイが書きたい。書いたら、うん、わかるわ、と言われてみたい。
ちなみにこの曲は、「真夏の果実」に勝るとも劣らない名曲だと私は持っているのだが、いかがなものであろうか。
他の曲だって、つまらない曲は一つもない。上質ながらくたたちだ。
けっして目新しくはないけれど、「大河の一滴」。
私も若いころは、よく渋谷の駅のホームで待ち合わせをしたっけ。山手線だとか、ラケルだとか、歌詞のひと言ひと言で、瞬時にしてあのころの思い出が立ち上がる。その懐かしさを、アコーディオンの音色が逆なでしていく。
もう一曲、やはりアップテンポの「オアシスと果樹園」。
JTBのCMのために作られたそうだが、じつに旅ごころを刺激してくる。JTBさんもいい曲を作ってもらったものだ。
これも大好きで、聴きすぎたせいか、思わず国際航路を利用する旅の予定まで立ててしまった! 曲の効果絶大。でも、JTBは使わずに……。JTBさん、ゴメンナサイ。
以上は、音楽評論でも何でもない、私個人の感想。
さて、予習はこれでばっちり。12日の東京ドームに、がらくたたちに会いに行く。「オアシスと果樹園」のビデオの中で、彼が来ていたシャツと同じデザインのTシャツも用意してある。
あとは、風邪で痛めた喉をきちんと治しておこう。
ダイアリーエッセイ:神奈川県立音楽堂へ ― 2016年01月30日
じつは1週間前の話で恐縮です。
1月23日、神奈川県立音楽堂で行われた「沖仁con渡辺香津美」のライブに行ってきました。
フラメンコとジャズ、それぞれのトップギタリストのデュオです。一人だけだってすばらしいのに、それが二人でセッションするのですから、なんと贅沢なパフォーマンスでしょうか。1+1=2ではなく、3にも4にも、無限に膨らむかのような演奏でした。
渡辺さんは、私と一つちがいのお年。だから、MCにも、演奏の中にも、昭和の香り懐かしい言葉や曲が飛び交うのです。トワイライトゾーンのテーマ、007のテーマ、スモーク・オン・ザ・ウォーター……。懐かしすぎて、ハートが引きつりそうでした!
そしてもうひとつ、大感激だったのは、この開館60年になる神奈川県立音楽堂は、私も50年近く前にステージに立ったことがあるのです。
当時中学生の3年間、吹奏楽部に所属して、フルートとピッコロを吹いていました。市内中学校の合同音楽会が、毎年このホールで開催されていたのでした。
その頃、私はトランペットの先輩に片思いをして……。それは私の「公認」の初恋だったのです♡
まさか音楽堂が当時のままだとは思わなかった。びっくりポンです。
沖仁さんのMCによれば、このホールの音響は東洋一だとか。ちょっとうれしくなりました。
最後は二人がギターを弾きながら、客席まで降りてくるという大サービス!
ギターの音色って、とてもSEXYです。ハートがぴっかぴかになりました。今思い出しても、ドキドキ……。
明日はこのCDが届く予定です。楽しみで、ドキドキ……。