旅のフォトエッセイ:東松島へ(5)~復興に向かって~2013年06月13日


そろそろ明るい写真を載せよう。
大曲浜の漁港。



港のライブカメラから。5月6日の映像。

こちらは、定置のライブカメラからの映像。
Facebookページ《「皇室御献上の浜」復活へ》から拝借した写真です)

少しずつ、整備されて、船もそろってきたという。
海底のがれきもみんなで撤去してきた。
そして、海苔の養殖も再開された。

新しい海苔の乾燥庫もできた。いくつかのチームが交代で利用する。
清美さんが中を案内してくれた。

海苔の乾燥庫

冬場には、摘み取った海苔をこの機械で乾燥させる。梯子を上って、中を覗く。

がれき処理もずいぶん片付いてきたという。
人手を使って、一つひとつ手作業で分別してきたから、東松島市のがれき処理は進んでいる、とテレビのニュースで聞いたことがあった。

遠くに黒く見えるのががれき。


この日、「皇室御献上の浜」サポーターズクラブに入会した。

リストバンドの後ろにあるのは、清酒「がんばっぺ!大曲浜」

この地域の海苔生産者を支援するために設立されたクラブで、11万円でサポーターになれる。この水色のリストバンドがサポーターの証。これをしていれば、船で漁に同行させてもらえるほか、海苔の加工所の見学や、地引き網の体験もできるという。
次回は、サケ漁に連れていってもらって、船の上でお刺身をごちそうになろうかな……!

サポーターズクラブのサイトはこちら。
http://ohmagarihama.jimdo.com/サポーターズクラブ/

                           (続く)

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先週末、味の素スタジアムで東松島のブースが出店しました。
そこで買い求めた品をご紹介します。

チョコボ
中身は、個包装のクランチチョコ。

ちょこっとボランティア、略して「チョコボ」。
美味しいクランチチョコレートが18個入って、1,000円。
売り上げの半分は、東松島市の皇室御献上の海苔と、奥松島のカキ養殖の復興支援にのために使わるのです。
包装紙には、漁師さんたちの写真が並んでいます。じつは、この中に清美さんの息子さんも写っています。彼らのために、食べるだけでボランティア、というわけですね。
残念ながら、流通経費がかかるため、遠方のお店にはありません。現地で、あるいは物産展などで、お求めください。



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(4)~それぞれの家は~2013年06月06日


「あの辺に、市民公園があってね、桜の木がたくさんあって、お花見してたの」
二人が指さす先には、何もない。わずかに残された松の木が、並んでいるだけ。
私たちと同じように、子育てのときには何家族も集まって、桜の木の下にシートを敷いて、大人たちは酒盛りをして、子どもたちははしゃぎまわって……。
目を閉じれば、そんな光景が見えてくる。でも、目を開けたら、何もない。


「ああ、ここだ、やっとわかった!」
わずかに家の土台が残っていたり、門柱の跡が残っていたり……。それさえも、雑草が生えてきて、わかりにくくしている。
それでも、清美さんにはわかった。自分の家があった場所が。

さいわい、千佳子さんの家は、海から離れていたので、流されはしなかったが、床上1メートルぐらいまで、泥が流れ込んだという。
「初めて戻ってみたら、どこも泥だらけで、冷蔵庫が倒れてたわ」
どれだけ大変だったろうか。
「でも、うちだけじゃなかったから。みんな同じだったから、何とかがんばれたのよ」


千佳子さんの家は、2度リフォームをして以前のように住めるようになった。
リビングまでおじゃましたけれど、被害の跡形もなく、きれいに片付いていた。
(わが家よりずっときれいだった……)
ピンク色の「ぷりん」は、千佳子さんの美容室。もう営業はしていない。
名前の由来は……プリンが好きだったから? プリンセスだったから?
今度会ったら、聞いてみよう。


大曲浜は地盤が沈下して、いたるところで水が引かなくなった。池に囲まれてしまった家は、重機が近寄れず、撤去もできないままになっている。


「これ、カズちゃんの実家。まるで、金閣寺だよね」
そう言って、二人はカラカラと笑った。私たちもつられて笑ってしまう。
和子さんも、のり工房のメンバーだ。実家で立派な家を建てたばかりだったという。近代的な工法の家の構えは、津波の猛威にも流されなかったのに、だからこそ無残な姿をさらすことになってしまった。
カズちゃんはどんな思いで、2年もの間、この姿を見ているのだろう。

清美さんも、千佳子さんも、和子さんも、じつに明るい。屈託なくよく笑う。
だから、一緒に笑う。私はみんなが大好きだ。
だから、「行くよ~!」と、押しかけてきたのだ。

彼女たちの乾いた笑い声を聞きながら、ふっと自分のことを思った。
私も、「明るいね」と言われる。障がい児の母なのにね。
26歳の長男は、自閉症という障がいを持っている。たくさんの人々に支えられて、ここまでやってきた。落ち込んではいられない。暗くなんかしていられないのだ。
でも、人知れず泣いた。何度も、何度も……。
その時があったからこそ今がある。少しは強くなった。明日を信じて楽しく生きていける。

彼女たちを、私と同じというつもりはない。
息子は命に関わる障がいではなかった。命を燃やして成長し続ける存在でいてくれた。
しかし、彼女たちは、未曽有の災害の恐怖にさらされ、生死の境に立った。かけがえのない人々の命を奪われた。培ってきた家や仕事場や財産を失くした。
どれだけの涙を流したことだろう。どれだけの絶望を味わったことだろうか。
2年がたった今だからこそ、それを乗り越えて、笑えるようになったのかもしれない、と思う。

たしかに、同じ体験をしないかぎり、その気持ちを完全に理解することはできない。
でも、できる限りの想像をしてみる。気持ちに沿ってみる。
それが、愛でしょ、愛。

キザな結論に至ったところで、この続きは、また次回。
次回からは、復興に向けて明るく……!

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ここで、お知らせ!
明日7日から3日間、東松島の美味しいものたちが、東京にやってきます。
調布市で開催される「日本陸上競技選手権大会」会場の味の素スタジアム内で、東松島市ブースが出店されます。
牛たんつくねやスペアリブ、海産物なら炙りイカに炙りホタテ、そして、きゅうりの一本漬けなどなど。ぜひ、この物産展でお求めください! 
当日は、元漁師さんがその場で焼いてくれますよ。



そして、清美さんも、8日・9日に「のり工房矢本」を引っ提げてお出ましです。
私も9日にお手伝い参上の予定です。
皆さん、味スタでお会いしましょう!



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(1)2013年05月17日


2011
年初めのころ。
当時の私には、乗り越えなければならない大きな挫折が重くのしかかっていた。
そろそろ答えを出すべき、行き詰まりの問題も抱えていた。
「具体的に書きましょう」と、いつもエッセイ教室では口にするのだが、上記の内容だけはお許し願いたい。 

そして、311日。東日本大震災。

あたりまえの日常があっけなく覆されるのを目の当たりにした。
これまでの価値観の修正を迫られた。多くの日本人がそうであったように。

明けて2012年。
何かしなくては。気持ちだけは突き動かされるのに、何をしたらいいのかわからない。
被災地と直接関わりのない自分は、何をすべきなのか。模索し続けているときに、友人を介して、東北の復興支援をするためのボランティアグループと関わるようになった。
2月から8月まで、月に一度、銀座で行われる「東松島物産展」の手伝いをさせてもらった。白状すれば、東松島市という存在さえ知らなかったのだが……。


大勢の仲間ができた。年齢的なギャップは多少の引け目だったけれど、それでも楽しく銀座に通った。
さらに、Facebookを通して、世界が広がった。
いつか被災地に行ってみよう。行かなくては、と思うようになった。

そんなある日、Facebook上の1枚の写真に吸い寄せられた。青い空に、青い鯉のぼりだけが泳いでいる。
そこで初めて、東松島市大曲浜の「青い鯉のぼりプロジェクト」を知ったのである。

それは、大曲浜に住んでいた、当時17歳の青年のエピソードから始まる。
彼は、祖父母、母、そして5歳の弟が津波の犠牲になった。がれきの中から見つかったのは、弟が好きだった青い鯉のぼり。家族の象徴であり、天に昇って竜となる伝説もある鯉のぼりだ。
彼は、その泥だらけの鯉のぼりを近くの川で洗った。やがて、次々と出てきた鯉のぼりを、母や祖父母たちへの思いも込めて、家の在ったあたりに空高く揚げた。
さらに、その年の55日には、全国から200尾以上の青い鯉のぼりが集められ、震災で亡くなった子どもたちのため、青空に掲げられた。
その年だけに終わらせずに、毎年311日から55日まで、青い鯉のぼりを泳がせよう。犠牲になった子どもたちの鎮魂のためにも、復興のシンボルとしても、続けていこう……。
それがこのプロジェクトである。

泣き虫の私は、二人の男の子を持つ母親として、涙が止まらない。
今すぐには無理でも、来年こそは、この鯉のぼりの下に立ちたい。
その願いが、私を被災地に向かわせるきっかけとなった。

願い叶って、今年のゴールデンウィーク、娘と二人、ついに東松島を訪ねることができた。5月3日、大曲浜の空に泳ぐ青い鯉のぼりたちを仰ぐことができたのである。

20130504 東松島市大曲浜の青い鯉のぼり


真っ青な空。強い海風。
津波に押し流されたたくさんの家々が在った場所。
近くにはまだ、家の中を波が暴れていったままの立派な住宅が1軒、撤去されず残っている。

残されたままの家


聞こえるのは、鯉たちが空に泳ぐ音だけ。
その向こうの空の高みから、子どもたちの走り回る歓声が、聞こえてくるような気がした。

去りがたかった。
翌日も、ここを訪れて、鯉のぼりを見上げて立ち尽くしていた。 

21030504 青い鯉のぼり

                        
                                 (続く)


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新年のご挨拶~2012年を振り返って~2013年01月03日

皆さま、明けましておめでとうございます。

2012
年は本当にあっという間の1年でした。
写真とともに、ちょっと振り返ってみます。

まず、エッセイに関わることから……

☆新しくエッセイ教室を開講。
横浜市磯子区の区民センターで10回の講座の後、「磯の綴り会」という自主グループが生まれました。30代から80代までの生徒さんで、いつも笑いの絶えない2時間です。
磯子の生徒さんと



☆銀座のエッセイサロンも充実していました。
毎回、常連さんと新しくご参加の方がたとの出会いが生まれ、講師としてうれしいひと時です。
私もまた新しいエッセイ教室のご縁をいただきました。今年の春から横浜南部にも、もう一つ開講の運びとなりました。

11月のエッセイサロン



☆著書をオンデマンドで再版することになりました。
在庫がいつの間にかなくなってしまった……ということは、まだまだ皆さんがご購読くださっているからにほかなりません。改めて御礼申し上げます。
また、時流に乗って、電子本にもしてみました。
新しいものにはなかなか飛びつけない性格なのですが、ここにも新しいご縁があり、その方のお勧めでした。



OFFの時間も充実していました。
まるで向こうからやって来たような、思いがけない体験がたくさんあった年でした。

2月にチーム東松島に加えていただき、初めてのボランティアに参加したことは、私の人生でも大きな出来事です。
たくさんの方がたとの出会いが広がりました。

ばんざ~い! がんばったね!



7月には湘南の海でセイリング~~~!!
船酔いするかと思いきや、潮風に吹かれていると、まるで波の一つになったような心地よさ……! これも初体験です。
ヨットの上で飲むビールの美味しさと言ったら……! 

葉山マリーナ

葉山沖

江の島と、ウィンドサーファーと……

海の男たちが、タコを生け捕った。

潮風に乾杯!



☆夏の北海道の旅は、ブログにも詳しく書いたとおり、次男が受験生だから、旅行はしないつもりでした。が、ひょんなことから行くことになってしまった。
レンタカーのドライブ旅行も初めてでしたが、改めて北海道の素晴らしさを実感してきました。



☆京都で紅葉狩り。
障害児の母として講演するというありがたいお話を頂戴して、大阪まで出向き、その帰りには京都であでやかな紅葉を楽しむことができました。
前年訪れたときは11月の初めで紅葉には少し早く、今回は11月下旬。まさに紅葉絶頂期でした。

東福寺の紅葉

嵐山祇王寺の紅葉

嵐山の化野念仏寺

高台寺のライトアップと月と



☆クリスマスのゴスペルライブ。
横浜の商業施設が募集した「100人で歌うゴスペルライブ」。
コーラス仲間で受験生の母3人が、祈りを込めて歌いました。
イルミネーションの灯った大きなツリーの前で、おなかの底から出した声が、夜空の下に響き渡っていく快感。これもまた初めてでした。病み付きになりそうです。

友人が撮影



☆何といっても最後を締めくくったのは、7年ぶりの横浜アリーナ!
桑田君の年越しライブです。
チケットは、ファンクラブに入っていても「抽選」の狭き門。もちろん、自閉症の長男と二人で行ってきました。
13000人のファンとともに、2013年の到来をカウントダウン。0時の瞬間には花火の代わりに銀色のテープが放たれた。舞い降りてきたそのテープを、息子は大事に持ち帰ってきました。
サザンとの出会いは、13年前に彼がもたらしてくれたものなのです。著書に詳しく書きましたので、お読みいただければ幸いです。

横浜アリーナ入口

ライブで舞った記念のテープ




そして、今年もまた、皆さんに支えていただきながら、ぼちぼちとブログを続けていきたい、と思っています。
明るく楽しいことばかりではないけれど、心のなかには闇もたくさん抱えているけれど……
私の言葉を皆さんのハートに、生き生きと届けられたら、うれしいです。

今年も、~HITOMI'S ESSAY COLLECTION~をどうぞよろしくお願いいたします。



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著書のチャリティ販売in銀座2012年08月15日


今年は、月に一度のチーム東松島物産展で、ボランティアとして参加してきました。
2月から始まって、今月が第7回目、この週末1819日です。
銀座5丁目のTSビルは、復興支援のために東急不動産が無償で提供し、東日本復興応援プラザとして利用されています。そのビルの歩道にブースを並べて展開するのです。
大勢のボランティアが集まって、販売からチラシ配布まで、手分けして物産展を手伝います。
でも残念ながら、ビルの取り壊しが決まっていて、この場所での物産展は今回限りとなってしまいました。

歩道の出店。前を行く人に声をかけます。

海産物、野菜、精米、和菓子、洋菓子、醤油、ドレッシング、日本酒……。
仮設住宅の女性たちの手芸品……。
毎回、たくさんの品々が東松島から運ばれてきて、回を追うごとにその数も種類も増えていきました。
東松島の美味しい物たち。

キャラクターたち。

プラザの2階でチャリティライブも行われるようになりました。
大曲浜獅子舞保存会の方たちの力強いパフォーマンスも行われました。
イートくん&イーナちゃんのキャラクターや、スタンプラリーも登場。
子どもから大人まで楽しめるにぎやかなイベントに発展してきました。
本当に残念ですが、最終回です。


『歌おうか、モト君。』再版本の表紙

この日に合わせて発行日819日が決まったのです。
『歌おうか、モト君。~自閉症児とともに歩む子育てエッセイ~』
私の著書の再版本。
19日、チャリティライブの会場の片隅で、本を販売させてもらうことになりました。
売り上げは、全額寄付。

私の持っている何か、私なりの何かを生かして、協力ができたら、と思いました。
そんな時期に、私の本が生まれ変わることになったのです。
ボランティアに関わったのも、本の再版を決意したのも、この時期に仕上がったのも、偶然ではない。苦しい日々のなかで出会った人たちが、私を導いてくれた。私はそう思っています。
〈ご縁〉という言葉が好きになり、よく使うようになりました。

私が自閉症の長男を25年間なんとか無事に育ててこられたのも、たくさんの人たちの支えがあったればこそ。感謝の気持ちでいっぱいです。
今度は私が、ご恩返しをする番です。

これを読んでくださっている皆さん、お時間がありましたら、1819日、銀座5丁目にいらしてください。
私のチャリティ販売は19日だけですが、18日でもかまいません。
最終回のチーム東松島物産展&チャリティライブを楽しんでいってください。
お待ちしています。



銀座でボランティア2012年04月07日


銀座は大好きな街です。
今年から、私にとって新しい出会いの場が生まれました。

ご縁があって、東日本大震災からの復興を支援する「チーム東松島」のお手伝いをするようになったのです。
3回目の「チーム東松島物産展」が、414日(土)・15日(日)に、銀座5丁目の東日本復興応援プラザ前で開催されます。
私が参加するのも3回目。今回は15日(日)にお手伝いをします。


東松島物産展4/14・15


東松島からやってくる商品の一部をご紹介すると……
皇室御献上の浜から、海苔、わかめ。いかの一夜干し、塩辛。
米粉を使ったマドレーヌやクッキーの詰め合わせ。ずんだ大福。
牛タン、豚の角煮。レトルト牛タンカレーに、カップ味噌ラーメン。
日本酒。ペットボトルに入ったお米。醤油。そば。
仮設住宅の女性たちが作った、「おしゃねこ」という名のピンチになる猫たち。
また、今回新たに登場するのは、松島きゅうり、「つけもの工房 純」のお婆ちゃんの漬け物、そして野蒜から生シラウオ……などなど、という情報も入っています。

それに加えて、今回の目玉は、なんといっても……大曲浜保存会の獅子舞が参上!!
私もとても楽しみにしています。

皆さんも、ぜひお時間を作ってお立ち寄りくださいね!
お待ちしています!


復興支援in銀座 リポート2012年03月18日

ご縁があって、震災の復興を支援するチーム東松島のお手伝いをするようになりました。この週末、銀座で2回目の物産展が開催され、参加してきました。

開店前のミーティングで、20名ほどの参加者が自己紹介。
震災直後から被災地に出かけては、さまざまなボランティアをしてきた人もいましたが、それは少数。1年間、何もしないできたけれど、何かしたいと思って今回参加した、という人が多数。私だって、そうなんです。
チームリーダーも挨拶。
「明るく、楽しく、やっていきましょう!」
という彼の笑顔に、ボランティアの極意をかいま見た気がしました。


東松島からの美味しいものたち。

銀座5丁目の、東日本復興応援プラザ前にブースを作り、東松島から運んできた商品を並べていきます。
皇室献上の浜から、海苔、わかめ。いかの一夜干し、塩辛。
米粉を使ったマドレーヌやクッキーの詰め合わせ。ずんだ大福。
牛タン、豚の角煮。レトルト牛タンカレーに、カップ味噌ラーメン。
日本酒。ペットボトルに入ったお米。醤油。そば。
仮設住宅の女性たちが作った、ピンチになる猫たち……などなど。

ところが、昨日は朝からあいにくの雨。
負けてはならぬと、おそろいの青い法被を着て、大きな声で呼び込みます。

雨なんかに負けない!

グループに分かれて、チラシ配りに出ます。
「東松島の物産展やってまーす!」
雨の中、傘を持つ街行く人々は、なかなか受け取ってはくれません。
チラシも濡れてぐしょぐしょ。
こんどは、地下道で配布。受け取ってくれる人が多少は増えました。
「復興支援の物産展です。よろしくお願いします!」
ちらりと見ても、知らん顔の人。会釈して受け取らない人。
道を聞かれることもしばしば。教えてあげるけれど、物産展もよろしくね!
とにかく関心を持ってもらうことが大事なのです。

雨足は変わらないままですが、午後からは買い物帰りの人の波が増え、試食をしては買っていってくれます。声をかけておいた友人たちも駆けつけて、たくさん買い込んでいってくれます。
ありがとうございます! ご支援に感謝です!

結局、先月の売り上げを上回って、大成功!
小さな力も集まれば成果を上げることができる。ばんざ~い!!

ばんざ~い! がんばったね!

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