ご報告のためのエッセイ:「グループBになる」 ― 2023年07月14日
*** グループBになる ***
遅ればせながら、いや、遅まきながら、いや、いまさらですが、ついに、とうとう……と、友人に近況を伝えるまくら言葉が決まらなくて悩んだ。
6月下旬のある日、翌日からの旅支度をしながら、のどが痛くなってきて、あらちょっとヤバいかな、と小さな不安が湧いた。友人と2人で、1泊2日、青森の美術館を訪ねるツアーに出かけるのだ。あわてて風邪薬を飲んだ。
翌朝5時過ぎに起きて、ぼーっとした頭で身支度を始めた。大丈夫そうだ。でも念のため熱を測ると、37.6度。ダメだ! ぼーっとしているのは早朝だからではなく、熱のせいなのだ。ああ、ドタキャンするしかない。すぐに友人にラインをした。
「残念だけど、お大事に。当日キャンセルだと旅費は戻ってこないかなぁ」と返事が。
仕方ない。よりによって出発の日に、と不運を嘆くばかり。かっくりしてふたたび眠りに落ちた。お昼ごろ目覚めると、熱は39度近くに上がっていた。出かけていたら、向こうで大変なことになったにちがいない。ドタキャンできてよかったのだ。今度は解熱剤を服用し、自宅にあったコロナの抗原検査キットを試してみた。陰性だったのでひと安心。今大流行の夏風邪だろう。
翌日、まだ熱は37度台。念のため、ふらふらしながらも近くのクリニックの発熱外来に出向いた。
受付にもアクリル板、待合室にも大きな透明なカーテンがひらひらしている。コロナが5類に移行しても、ここは時間が止まったままなのだ、と改めて思う。
狭い部屋の診察台に腰かけて、しばし待つと、青い防護服に身を包んだ男性の医師が、カーテンの向こうから現れた。数年前にできたクリニックで、初めて会う先生だ。
「インフルエンザとコロナと、両方一度に検査できるので、それをしましょうか」
穏やかな口調で言われ、「はい、お願いします」と答えた。
検査は、自分でやればいいので楽だった。鼻の奥を拭った検査棒を看護師に手渡し、スマホをいじっているうちに、ふたたび先生が現れて、検査キットの表示板を見せてひとこと、「コロナ陽性ですね」。
え、まさか……。
もう、世の中はどんどんコロナ前に戻ろうとしていた。デパートの入り口に並んでいた消毒液や体温測定器が消えている。カフェのアクリル板もなくなった。緊張してそれらを利用していたあの頃が懐かしくさえある。電車に乗ればノーマスクの乗客が半分以上も。コロナが消えたわけではないのに、もうだれも何も守ってはくれないのだと心細さを感じる。5類になってもコロナはコロナ。いやいや、もうかつての脅威はない。……本当にそうなのだろうか。
疑心暗鬼になりながらも、飲み会は復活する。家から駅まではマスクをしないで歩くようになった。
そんな矢先に、コロナにつかまったのだ。
クリニックからの帰り道、呆然としながらも思いめぐらす。それにしてもどこで拾ったのだろう。ここのところ連日出かけていたけれど、周りに怪しい人はいなかった。憶測をしても始まらないのが5類というわけか。
ほぼ毎日家にいる夫も驚く。「じゃあ、当然僕もうつってるな」と何やらうれしそうだ。
北側と南側の窓を開けて換気をよくした。私がリビングやキッチンに立ち入るときは手の消毒をする。家族3人マスク着用。私の食事は時間差で。あとはひたすら自分の部屋にこもる。3日間は熱が上がったり下がったりで、頭痛も咳もつらい。薬を飲んでは眠っていた。
食欲もなかった。おかゆに豆腐の味噌汁に卵焼き、プリンにヨーグルト。幼児食のようなご飯を一人で食べていると、夫がテーブルに来て食後のコーヒーを飲もうとする。
「うつりたいの?」
「あ、そうか」と、何を考えているのか、能天気なことよ。
ついにこちら側に来てしまった。グループAからグループBの人間になってしまった。そんなふうに感じた。
以前はある種の偏見を持って、感染した人たちを見ていたかもしれない。かつては命を落とすリスクも大きかった。グループBへは行きたくない。そう思っていた。
でも、いざこちら側に来てみれば、もうリスクもだいぶ小さくなって、のんきにエッセイなど書いている。症状も何度かかかったことのあるインフルエンザとほとんど変わらない。5類になった今でよかったのだ。見返りとして3ヵ月の免疫抗体がもらえることだし。
「遅まきながらコロナにやられました」
結局そんな文面でさらりと近況報告をした。すると、あれよあれよと体験談が寄せられて、グループBの人の多さに今さらながら気がつく。
発症から3週間が過ぎた。もうとっくに元通りの生活をしているのだが、のどのいがらっぽい不快感だけがなかなか抜けない。これが今回のコロナの特徴らしい。
「それに、ちょっと物忘れがひどくなったみたいで、後遺症かも?」
「それはコロナのせいじゃなくて、お年ゴロのせい」
予想どおりの答えが返ってきた。
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