新年のご挨拶 ― 2024年01月04日
皆さま、あけましておめでとうございます。
そんな挨拶さえ、はばかられるお正月です。
元旦から大きな地震に見舞われた私たち日本人は、地震大国の地面の上で暮らし、いつ、どこで、同じ震災に遭遇するかわからない。その事実を足元から突き付けられました。明るく新年を祝う気分ではありませんね。
3日後の今なお、能登半島では余震が続き、避難所の人びと、倒れた家々の中に閉じ込められている人びとが存在します。どれほどの恐怖と、絶望を抱えていることでしょうか。暖房の利いた部屋で、おなかがすけば食事をして、テレビのニュース映像を見ているだけの私たちも、被災地の人びとの気持ちに寄り添うことはできます。他人ごとではないのですから。
とはいえ、たまたま被災者にならずにすんでいる私たちは、日常の生活を続けなくてはなりません。いつものように。
ちょうど1年前の1月4日にも、ブログには「新年のご挨拶」の記事を載せました。今年も同様に、この1年を振り返ってみようと思います。
ひとことで言うと、昨年は「いい年ではなかった」。
予定どおり、2月に副甲状腺の手術を受け、特に問題もなく無事に退院しました。
4つある副甲状腺のうち、腺腫のある1つを摘除。つまり、骨密度を下げる悪さをしていた原因を取り除いたわけですが、骨の代謝はそれほどスピーディではありません。半年後の10月に体の状態が正常に戻ったところで、ようやくそこから骨密度を上げる治療が開始。半年に一度注射をして、2年間で治療が終わる。気の長い治療のスタートです。
手術の後、6月にはコロナになりました。旅行に出る朝に熱が出て、旅行を泣く泣くキャンセルした話は7月14日に書きました。
それからというもの、どうも体調が悪くなり、8月にはひどいぎっくり腰にやられて、車いすを夫に押してもらうという老老介護もスタートしたかに見えました。
その後のことは、12月6日の記事に書いたとおりです。
夏に夫の姉が脳出血で倒れ、入院。姉と二人暮らしをしていた義母も、体調を崩し、わが家に移ってきた。さらに、長男のアクシデント発生。
夫と二人三脚で「3人分の介護」を続けてきました。
旅行を何度もキャンセルしました。友人との付き合いも、趣味のことも、仕事さえも、あれこれ減らしながら、なんとか乗り越えてきました。
あれほど多難な年はもう終わりにしたいものです。
さて今年は、1月からぐんぐん上に向かって進んでいきたい。そう、辰年ですから、竜の背に乗るように。
来年のお正月には、「去年はいい年でいた」とご報告がしたいですね。
そして、以前のように、明るい話題や、旅行のエッセイなど、楽しみに覗きに来ていただけるような記事を載せていきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年と同じ風見鶏の家の前を通ったので、カシャリ。今日は風が強く、真っ青な空を背景に、くるくると動いていました。
ダイアリーエッセイ:私へのプレゼント ― 2023年12月24日
12月20日に、その日発売のCDが届く。
桑田佳祐&松任谷由実の「Kissin’ Christmas (クリスマスだからじゃない) 2023」。長男はサザンのCDやDVDのすべてを買いそろえてきた。
この曲は、桑田君の以前のアルバムに入っていたから知ってはいたのだ。それでも、今回はレコーディングもし直して、リメイクしたというので、楽しみにしていた。
翌朝、10月からのルーティンで、車で息子をグループホームに迎えに行き、職場に送り届ける。息子は、9月にバスの車内でトラブルを起こしたため、もっか「単独乗車は謹慎中」なのである。そのドライブの時にCDを聴いた。
イントロは10年前と同じなのに、なんと桑田君の歌い方はやさしいのだろう! 彼のこてこてハードロックの歌いっぷりからは想像もつかない。
ユーミンの少女のような高い声も、なんとかわいらしいのだろうか。
どちらも、今の私の心にしみこんできた。
2人とも、私とはほぼ同年齢。シンパシーとリスペクト……あえてカタカナ言葉が浮かぶ。
そして、以前のアルバムにはなかったフレーズが聞こえてきた。
「恋人がサンタクロース♪ 本当はサンタクロース♪」と、桑田君が歌う。
すると今度は、ユーミンがスローテンポで歌う。
「だから好きだと言ってー♪ 天使になってー♪」
あの名曲、「波乗りジョニー」だ!
目くるめく思いが沸き上がる。もう20年以上前の曲で、あの頃の思い出をすべて乗っけて、サーフボードがこちらに向かってくるようだった。
当時、新しく乗り換えたホンダ車オデッセイのナンバーには、
「7373」と付けた。曲のタイトルをもじって、この車を「ナミナミジョニー」と呼んでいたっけ。
歌詞のなかで、次のようなくだりがある。
「どこへ向かっているのか 時々わからなくて きっと大丈夫だよね 新しい日を夢で変えてゆける♪」(一部抜粋)
さらに、「あなたへの プレゼント……♪」と、ささやくように歌ってくれて、涙がこみ上げる。
今年は、激動と混乱の日々だった。必死で乗り越えてきた今、この曲は、私へのプレゼントなのだ、と思えた。
フロントガラスの向こうには、この日も冬晴れの青空が広がり、葉を落とした並木道の木々が、天に突き刺さるように並んでいる。
12月21日、この日は私の誕生日だった。
皆さん、メリークリスマス❣❣
「会いたい人リスト」 ― 2020年01月06日
昨年のお正月に、「会いたい人リスト」というのを作りました。
著名人とかアイドルとかではありません。文字どおり、会っておしゃべりしたい人のリストです。
年賀状をいただいて、「今年こそ会いましょう」と書いてくださる人のなんと多いことでしょう。私も、暮れにしたためる賀状に、同じように書いて送っています。
本心からそう思っているのに、そのうち何人の人と再会を果たしているでしょうか。いつのまにか社交辞令のようになってしまって、また次の年にも同じ文言を書いている……。
これではいけないと思いました。それには、わけがあります。
もう10年ほど前のこと。
高校時代の同級生が、リンパ腺のがんに侵されていました。自然療法を選び、都会を離れて空気のきれいな土地で、ご主人と暮らしていました。
「遊びに来て」
彼女は、近くの温泉場を紹介するチラシを同封して、手紙をくれました。
私たちはいつ行こうかと相談するのですが、
「3月は忙しいから」
「ゴールデンウィークが終わったらね」
などと、みんなの事情が合わず、なかなか日取りが決まりません。
そうこうしているうちに、彼女は帰らぬ人となったのでした。
自分一人でも行けばよかった。大きな悔恨は、今も私を責め立てるのです。
昨年のリストには、8人の名前を書きました。
そのうち、年内に会えたのは、4人だけ。
今年はその残りの4人に、新たに数名を加えて、リストを作りました。
なるべく早く、連絡を取りましょう。
それは、今これを読んでいるあなたかもしれませんよ。
その節はどうぞよろしく。
ダイアリーエッセイ:クリスマスリースの思い出 ― 2018年12月25日
クリスマスリースを23日になってようやく飾りました。
思い出すのは、地方の社宅のアパートに住んでいた30年も前の昔のこと。
玄関のドアの外に、ちょっと奮発して、銀座のソニープラザで買ってきた綺麗なリースを飾りました。
ところが、2、3日して気付いたら消えていたのです。あちこち捜しましたが、どこにもありませんでした。
あれ、盗まれた? それとも誰かのいたずら?
いずれにしても、クリスマスに他人の物を? それを自分の家に飾ってうれしいの?
その誰かの心の中を想像すると、背中が寒くなるようでした。
それ以来、リースはいつも屋内に飾ります。飾るたびに、今でもその誰かのことを思います。
せめて、いっときでも私のリースが誰かの心を温めたのだったらそれでいいわと思ったり、もしかしたらサンタさんが、恵まれない子どもたちのためのプレゼントが足りなくなって、持って行ってしまったのかも……などと、絵本のお話のようなことを空想したりするのです。
昨晩は長男を連れて、夜半のクリスマスミサに行ってきました。
北風が吹いてとても寒かったけれど、リースのように丸い月が美しく輝いていました。
皆さん、メリークリスマス☆☆☆❣
ダイアリーエッセイ:誕生月 ― 2017年12月03日
早くも12月になりました。
師走に忙しいのは当たり前で、私は午年の講師、走りまくります。
さらに12月は、私が誕生日を迎える月。
まずはあっちのお店、こっちの企業から、「すてきなバースデープレゼント」と称して、割引やポイント追加のお知らせがたくさん舞い込みます。これをラッキー!と思って買い物していたら、誕生月貧乏になること請け合い。それでも、せっかくだからと、財布と相談しながら、ちょっとだけ安くなる買い物を楽しむこともあり、心浮き立つ忙しさです。
昨日は、同じマンションの仲良し4人組で、まだ早いのだけれど私の誕生日を祝ってもらいました。
毎年、この日はどこかのイルミネーションを見に行きます。今年は、渋谷の代々木公園ケヤキ並木の「青の洞窟」。
点灯時刻の17時に間に合うように出かけて、待つこと数分。すっかり暗闇に目が慣れた頃、突然青い光が頭上から降ってきて、それはちょっと衝撃の一瞬でした。
光沢のあるシートを敷いて、水面が光を反射しているかのように見せる工夫がされているのですが、残念ながら人が多くて、そこまでは……。
冬の空気が冷えて冴えわたり、空には綺麗な月が浮かんでいます。
ケヤキの枝越しに見あげれば、まるで青く光る細い指が、真珠の粒を摘まもうとしているようでした。
その後は、地元に帰ってきて、地元には珍しくおしゃれなレストランで、フランス料理をいただきます。
自家製ハムのパテも、お魚のポアレも、どれもリッチで大満足。
バースデープレートには、小さなオルゴールの生演奏まで付いています。
そして、これも毎年恒例、仲間から手作りのバースでカードをもらいます。
この一年間の写真が満載で、メッセージにはこの年を振り返っての出来事や、温かい励ましの言葉がつづられているのです。
12月は、年をとるのはいやだけれど、毎年こうやって、やさしくて楽しい仲間がいて、美味しい幸せがあれば、何歳になろうともうれしいものです。
「いつか、みんなで認知症のグループホームに入ろうね」
などと、冗談とも本気ともつかない未来を語り合いながら、最後は笑い転げて終わる私たちでした。
新春に、皆さまへ年賀状 ― 2016年01月02日
ダイアリーエッセイ:魔のクリスマス!? ― 2015年12月26日
クリスマスはいかがお過ごしでしたか。
平日とはいえ、クリスマスイブの午後9時を回った街はひっそりしていましたから、きっと皆さんはご家族と暖かい夜をお過ごしだったのかもしれません。
私のイブは毎年恒例、母と長男を乗せて、近くの教会で夜のミサにあずかり、帰りは、これまた恒例、母へのプレゼント、深夜の街を走り回ってイルミネーションを見せてあげました。
昨日25日は、38年ぶりのクリスマス&満月というスペシャルコラボだったそうですが、私の住む辺りでは雲が切れず、見ることは叶いませんでした。
そして、私はといえば、朝、激しい頭痛とともに目覚め、立っていることもできず、頭痛薬を飲んでも効かず、結局夕方まで寝ていました。
それだけ眠れるということが、そもそも異常です。超多忙な師走を走り終えないうちに、赤信号でダウンしてしまったようです。
思い起こせば1年前の12月25日にも、高い熱を出し、翌日にはインフルエンザとの診断を受けたのでした。
どうも私のクリスマスには、病魔が潜んでいるのでしょうか。
もっとも今年のわが家は、早々と19日のうちに、クリスマス&ひとみ誕生祝いのディナーを、シェフが腕によりをかけて用意してくれました。ボリューム満点のオードブル、チーズキッシュ、カブのシチューなどなど。
大好きなグリューワインのプレゼントもありました~♡
リフォーム業者が出入りする予定があり、早く済ませてしまったのが幸いしたのでした。
そうはいっても、この25日はシェフが不在。もう一度薬を飲むと、なんとか快方に向かったので、ハンバーグやサラダなど、家族4人分のいつもの夕食をこしらえました。
わが家特製のハンバーグは、たくさんの美味しいパンの耳を入れたり、隠し味を何種類も加えたり……。しかもちょうど大きな満月のように、ひと塊にしてオーブンで焼いてしまいます。今では自称「おふくろの味」。
息子たちはこれを切り分けると、ご飯に載せてハンバーグライスにして食べています。
昼間、あんなにたくさん眠ったのに、夜はいつもどおりに眠れました。
あまり忙しすぎないで、少しはのんびりしなさい、というやさしい神様のお告げだったのかもしれない、と思います。
天使の輪10人分でしめつけられているような頭痛でしたから……
2000字エッセイ:ロクマルの呪い ― 2015年04月19日
3月22日の「じつは、私……」は、じつは〈続く〉となっていました。
その続きを書かないままでしたが、続編の内容を混ぜ合わせて、2000字のエッセイにリメイクしてみました。
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◎
ロクマルの呪い
◎
好きなスポーツは、と聞かれたら、スキーです、と答えてきた。
始めたのは大学生のときで、札幌に住む叔父の家に泊まりこむと、従兄たちが手取り足取り教えてくれて、気分よく滑りを覚えた。
その後も、学生仲間でスキーに出かけた。安い宿を予約し、スキー板を担いでは電車や夜行バスに乗りこみ、ゲレンデに繰り出したものだ。その仲間には、未来の夫となる人もいた。楽しくないわけがない。
子どもができてからは長いブランクもあったが、末っ子が5歳になったころ、思い切って家族5人でスキーへ。夫婦の夢だった。子どもたちはスキースクールで手ほどきを受け、大人は懐かしい雪の感触を堪能した。
数年たったころ、スキーウェアを新調した。イタリア製で光沢のある抑えめの赤が素敵だ。値は張ったが、「還暦まで着るから」と宣言して買ったのだった。
しかし、子どもが3人もいれば、受験やら就職やら、スキーどころではない年が続く。ひと段落すると、こんどは腰痛に悩まされる。
去年あたりからそれも治った。また行きたいなあ、と思っていたところに、一回りも年上の従姉からスキーの誘いが舞い込んだ。
が、すぐには飛びつけない。6年のブランクは怖い。ふだんから運動らしいことはやっていない。うれしい反面おおいに悩む。
結局は日程の都合がつかず、スキー場の間近で地震が起きたこともあって諦めたのだが、それと入れ代わるように、札幌雪祭りの旅に誘われて出かけた。そのとき、雪の中の寒さが妙に心地よく、「私、氷点下ハイよ」などと言っては子どものようにはしゃいでいた。
帰ってくると、今度は娘からスキーの誘惑が。すっかり雪に魅せられていた私は、とうとうスキー決行の計画を立ててしまった。
それでも不安がつきまとう。体が動くだろうか。けがをしないだろうか。この年になってスキーだなんて、無謀すぎるだろうか……。
◎
昨年の暮れに、還暦を迎えた。女優の夏木マリさんが、60歳をロクマルと言っていたので、私もマネしてみたが、あまり市民権を得ていないらしく、友人たちにはきょとんとされた。呼び名がどうであれ、60の大台に乗ったことはゆるぎない事実なのだ。
半年前から、憂うつでたまらなかった。50代半ばまでは、ただ明日が今日になって昨日へと移っていくように、誕生日が来て、59歳が60歳に切り替わるだけだ、と高をくくっていた。でも、現実はあなどれなかった。
この冬は初めてインフルエンザにかかった。それ以外に3度も風邪を引いた。体のあちこちが痛むようになった。医者には、変形した関節は治らないと言われる。
さらに、3つ年上の女性から、とどめを刺された。
「還暦になると、今までかからなかった病気になったり、けがをしたりするから、気をつけなさいね」
まるで呪いの言葉だ。冗談じゃない。
泥縄で筋トレのスクワットをせっせとやっていたら、ふとひらめいた。
そうだ、「まだスキーをする」んじゃなくて、これから「シニアスキー」というスポーツを始めるのだ、と考えればいい。娘と二人旅なら気遣いはいらない。たっぷり休憩を取り、絶対無理をしなければ大丈夫だろう。
やっと気持ちが楽になった。
◎
そして、予言どおり、赤いちゃんちゃんこ代わりに赤いスキージャケットを着ることができた。3月はじめの越後湯沢は暖かく、快適な春スキーとなった。
自転車と同じで、ひとたび体が覚えた滑り方は忘れないものだ。とはいえ、頭では覚えていても体がいうことをきかないかもしれないから、慎重に、慎重に……。ちょっとでも疲れると、娘をゲレンデに残して、ロッジでひと休み。でもビールは飲まない。ほろ酔い滑走はみずから禁止。ここで怪我でもしたら、「年寄りの冷や水」と笑われてしまう。
2泊3日、最後まで上級コースには近づかなかった。なだらかな斜面でのんびりゆったりの滑りを、鼻歌まじりで楽しんできた。
何度も転んだし、筋肉痛にはなったけれど、けがひとつないまま帰宅。やれやれ、呪縛を解き放つことができた。来年は従姉と一緒に滑りに行こう、と思った。
◎
ところが、帰宅して2日目、ビルの廊下で転んだ。ぺったんこのブーツを履いていたのに、かかとが斜めに着地してツーッと滑った。次の瞬間、左ひざをガツンと着いた。まさか、こんなところで転ぶなんて……。骨折はなかったが、青あざが10日たっても消えなかった。
あ、これかぁ……。
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◎
じつは、私…… ― 2015年03月27日
〇
ずっと迷ってきた。
言うべきか、いや黙っていたほうがいいのか。
〇
これは2009年の2月初め、受験日で学校が休みの次男と二人、越後湯沢でスキーをした時の写真だ。
別にペアルックで赤いジャケットを着ているわけではない。息子のはたまたま、長男が紺色、次男が赤を色違いで買ったまで。
私のは、便利なポケットがたくさんついていて、着やすく、深みのある赤が気に入った。イタリア製で少々お値段は張ったけれど、思い切って買った。
「還暦まで着るから」と言い訳をして。
今から6年前のことだ。
その翌年あたりから、私は腰痛が出たり、子どもたちの受験があったりで、スキーどころではなくなった。
それでも数年がたち、身辺が落ち着いてくると、治らないかとあきらめていた腰痛も治った。また行きたいなあ、と思っていたところに、スキーへの誘いが舞い込んだ。
……が、すぐには飛びつけない。6年のブランクは怖い。ふだんから運動らしいことはやっていない。うれしい反面おおいに悩んだ。
結局は、日程の都合がつかず、断ることになったのだが、3月6日のブログに書いたように、それと入れ替わるように、札幌雪祭りの旅に誘われて出かける。
帰ってくると、今度は娘からスキーの誘惑が。すっかり雪に魅せられていた私は、とうとうスキー決行の計画を立てた。
それでも、不安がつきまとう。体が動くだろうか。怪我をしないだろうか。この年になってスキーだなんて、無謀すぎるだろうか。
ふと、思った。そうだ、「まだスキーをする」んじゃなくて、これから「シニアスキー」というスポーツを始めるのだ、と考えればいい。
娘と二人旅はなんといっても気楽だ。たっぷり休憩を取り、絶対無理をしなければ大丈夫……。やっと気持ちが楽になった。
そして、気がつけば私は60歳。
みずからの予言どおりに、赤いちゃんちゃんこ代わりに、赤いスキージャケットを着ることになったのである。
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冒頭、迷っていたのは、年齢を明かすべきか否かということ。
迷っているうちに、立ち止まったまま動けなくなってしまった。カンレキという言葉にこだわっていたのだ。
でも、カミングアウトしないことには、次へ進めない。
はい、私はカンレキです。生まれ変わったつもりで、どうぞよろしく。
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白い寒さにハートがふるえ…… ― 2015年03月06日
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先月、札幌の雪まつりに出かけました。
夕方ホテルにチェックイン。カバンに詰めてきたあらゆる防寒グッズを身につけて、街に繰り出したのは午後5時。
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まずは、人が入れるほどの超特大の氷のジョッキがお出迎え!
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祭りの雪像はライトアップされて、たくさんの人でにぎわっていました。
上の写真は、ご存じ「スター・ウォーズ」のダース・ベイダー。世界初、ルーカス・フィルム公認です。
前々日の雨で一部が解けたと言われていましたが、いやいやどうして、大迫力でした。
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下の写真は、ほぼ原寸大の春日大社。
夜は、精巧なプロジェクション・マッピングのショーが行われ、すばらしかったです!
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日が落ちて暗くなり、時折、雪が降ってきます。スノーブーツを履いていても、油断をすると滑って転びそうな足もと。
気温はどんどん下がっていき、天気予報どおりマイナス10度だったかもしれません。とにかく寒かったです。
立ち並ぶスポンサーの出店で、ホットウィスキーやグリューワインを飲んでも、10分後には車の運転もできそうなほど、酔いが飛んでしまう。それほどの寒さです。
〇
ところが、寒くなればなるほど、なんだか楽しくなってきました。
「氷点下ハイ」などと、チューハイのような名前を付けて大はしゃぎ。観光客ならではの楽しさであり、ここに暮らす人々にとっては厳しい環境であることはわかっているのですが。
寒いと、発熱を促して体がふるえだすように、私はまずハートがふるえて熱を帯びる。楽しい気分が高揚してくる。結局は動き回って体温が上がり、寒さから身を守っているだけなのかもしれない。
氷点下ハイの理由も、そんなところでしょう。
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雪の降る街角にソフトクリーム屋さんを見つけて駆け寄って食べました。あまり冷たく感じられなくて不思議な美味しさでした。
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でも、若いころには、こんなふうに書いたこともありました。
「冬至生まれの私の心には、いつもどこかで雪が降っている……」
おのれの心の冷たさを持て余し、言い逃れていた。肯定していたかったのかもしれません。
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翌日は、小樽の雪明かりの路を歩きました。
雪深い街に、たそがれが忍び寄るにつれて、雪にしつらえられた手作りの明かりが浮かび上がる。静謐な美しさでした。
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その翌朝は、支笏湖畔の氷濤まつりへ。
氷点下ハイを言い訳にして、年がいもなく氷の滑り台で笑い転げては、日ごろのストレスをおおいに発散してきました。
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そして今度は、白い寒さにひかれて、スキーへ。
5年ぶりです。滑り方は体が覚えているでしょうから心配はないけれど、ギプスでもはめて帰ってきたら、年寄りの冷や水、とお笑いください。