祝・直木賞、『カフェーの帰り道』 ― 2026年01月16日
1月3日の投稿で、直木賞を予想して、『カフェーの帰り道』を挙げました。
見事大当たりでした。
著者の嶋津輝さん、おめでとうございます!


▽本日の朝日新聞朝刊のコラム「ひと」欄に、著者の嶋津さん登場です。

そして自分にもおめでとう!
私は、
《西暦2000年から現在までの直木賞受賞作を読破する》
という目標を自分に課して、読み続けています。半年に一度発表されるたびに、課題図書をクリアして楽しんでいるのです。
そして、その後、新たな目標として、
〈直木賞に選出される前にその作品を読了する〉
という課題も打ち立てました。1ヵ月前に候補作が発表になると、なるべくたくさん読んで占ってみよう、と頑張っています。全候補作を読めればいいのですが、とても忙しくてそれはできません。
今回は、女性候補から読んでみて、これがイチ押し! とほぼ決めていました。
もう一作『白露立つ』も、もうひとつのイチ押しでしたが、ダブル受賞とはなりませんでしたね。著者の住田祐さんはまだお若く、これから期待できそうです。
「なぜ直木賞なの」という理由は、2023年06月02日のエッセイにつづっていますので、ご興味のある方はぜひお読みください。
一緒に楽しんでいただけたらうれしいです。

新年のご挨拶 ~直木賞占いとともに~ ― 2026年01月03日

皆さま、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
毎年、同じ言葉をつづっていますが、新しく年を迎えるたびに、その切実さを増しているように思います。
ブログをこのまま続けるべきか否か。
アクセス数ゼロの日が来たらやめよう。ぼんやりとそう思うこともありますが、大丈夫、私が最後の読者ですから、それはあり得ません、私の逃げ道です。
ところで、昨年の暮れは大変なことになっていました。
クリスマスイブの日に発熱し、検査の結果はインフルエンザA型でした。
12月はとにかく多忙だったのです。
12月1日には軽井沢に出かけ、1泊して帰りました。(どうしても見るべき展覧会があり)
高齢者のための運転講習にも緊張して行きました。(現役ドライバーですから、大したことはなかったのですが)
ゴスペルの発表会もありました。(発表会は必要なし、と思っていたのに、参加してみれば楽しかった~♪)
そして、自分の誕生日を迎え(何歳かも忘れた)、さらには一時帰国している娘夫婦の来訪もありました。(その日までに暮れの大掃除をやっつけて)
毎日のように栄養ドリンクを飲んで、何とか乗り切ろうと努力をしたのですが、とうとうクリスマスを過ごすところまで、もちこたえることができず、力尽きてダウン。万事休す……。
おせち料理はお雑煮だけは夫が作ってくれましたが、あとはデパートに予約しておいて大みそかに届けてもらった重箱。なかなか美味しかったです。
年賀状も、お正月になってから書いています。
ところで、インフルエンザは、あやしげな咳から始まりました。その次には発熱とつらい頭痛が2日も続いたのですが、薬が効いてくるとぴたっと止んでくれたので、これ幸いと読書三昧。
おりしも直木賞候補が発表になったばかりですから、私のiPad miniにはその電子本がすでにダウンロードしてありました。
さて、今日のブログの本題はここからです。
私の一押しはこれ、
『カフェーの帰り道』嶋津 輝著。

大正から昭和にかけて、戦前から戦後にかけてのカフェーの女給さんたちの群像劇に、静かな感動をもらいました。
いつの時代でも、女性はたくましく、そしていとおしいなあと、しみじみと思ったのでした。
ところが、もうひとつ読んだら、こちらも一押し! と言いたくなりました。
『白鷺立つ』住田 祐著。

時代小説、しかも、過酷な行に身をゆだねる比叡山の修行僧の物語だと聞いて、ちょっとばかり敬遠したくなったのですが、巧みな推薦文で、それならば、と読み始めました。
引き込まれてしまうのに、時間はかかりませんでした。
面白いのです!
文体こそ古めかしく感じますが、読んでいるうちに、まるで現代小説のように、登場人物は生き生きと動き、彼らの個性も人柄も、人間同士のかかわり合いも、映像を見ているかのごとく感じられました。
しかもこれが著者のデビュー作と聞いて、またまた驚きました。
1月14日に直木賞の選考会が開かれ、受賞作が決まります。
この2作のどちらか。はたまた、ダブル受賞というのも、ありなのでは。
年末の病のおかげで、今回の直木賞発表が、いつにもまして楽しみになりました。

〈湘南エッセイサロン〉終了のお知らせ ― 2025年07月13日
おかげさまで、古希の大冒険から無事帰還いたしました。
ヨーロッパも日本と同様に、6月から想定外の熱波に襲われ、猛暑疲れと、時差ボケとで、帰国後も体調のよくない日が続きましたが、それもここ数日の涼しさで、少しずつ回復してきています。
それでも、8割ほどは計画どおりに楽しめました。
ハプニングあり、後日談あり……という今回の旅を、早くエッセイにしたためていきたいと思っています。

ところで、私のエッセイ教室の一つ、12年間続いてきた湘南エッセイサロンは、6月にとうとう幕をおろしました。コロナ禍をはじめ、メンバーの病気や、家族のトラブルなど、何とか乗り越えてここまでやってきましたが、やはり、時の流れには逆らえず、そろそろ潮時では、と考えるようになりました。メンバーとも相談し、熟慮を重ねて、お開きといたしました。
最後は、せめて華やかなグランドフィナーレを、とばかりに、エッセイ集を発行しました。『たから貝』第2号です。
桜のエッセイも多かったので、桜色の表紙にして、作者一人ずつの中表紙には、薄紫色の紙を使っています。日本のレディの集いにふさわしい冊子になったのではないかと、編集者の私は悦に入っております。


サロンは閉じても、メンバーの絆は消えることはありません。
形を変えても、一人になっても、エッセイを書き続けてくださることを、心から願っています。
南フランスへ ― 2024年06月03日

明日から、5年ぶりの海外旅行に出かけます。
行き先は、オリンピックで賑やかしそうなパリを避けて、南フランスを訪ねます。
★『ニースっ子の南仏だより12カ月』ルモアンヌ・ステファニー著
★『南フランスの休日 プロヴァンスへ』町田陽子著
この2冊に導かれて、旅の計画が出来上がっていきました。
ニースと、アヴィニョンで、それぞれの著者にお世話になる予定です。
帰国したら、少しずつ、旅のフォトエッセイをブログに載せていけたら、と思っています。
それでは、行ってまいります❣
新年のご挨拶 ― 2024年01月04日

皆さま、あけましておめでとうございます。
そんな挨拶さえ、はばかられるお正月です。
元旦から大きな地震に見舞われた私たち日本人は、地震大国の地面の上で暮らし、いつ、どこで、同じ震災に遭遇するかわからない。その事実を足元から突き付けられました。明るく新年を祝う気分ではありませんね。
3日後の今なお、能登半島では余震が続き、避難所の人びと、倒れた家々の中に閉じ込められている人びとが存在します。どれほどの恐怖と、絶望を抱えていることでしょうか。暖房の利いた部屋で、おなかがすけば食事をして、テレビのニュース映像を見ているだけの私たちも、被災地の人びとの気持ちに寄り添うことはできます。他人ごとではないのですから。
とはいえ、たまたま被災者にならずにすんでいる私たちは、日常の生活を続けなくてはなりません。いつものように。
ちょうど1年前の1月4日にも、ブログには「新年のご挨拶」の記事を載せました。今年も同様に、この1年を振り返ってみようと思います。
ひとことで言うと、昨年は「いい年ではなかった」。
予定どおり、2月に副甲状腺の手術を受け、特に問題もなく無事に退院しました。
4つある副甲状腺のうち、腺腫のある1つを摘除。つまり、骨密度を下げる悪さをしていた原因を取り除いたわけですが、骨の代謝はそれほどスピーディではありません。半年後の10月に体の状態が正常に戻ったところで、ようやくそこから骨密度を上げる治療が開始。半年に一度注射をして、2年間で治療が終わる。気の長い治療のスタートです。
手術の後、6月にはコロナになりました。旅行に出る朝に熱が出て、旅行を泣く泣くキャンセルした話は7月14日に書きました。
それからというもの、どうも体調が悪くなり、8月にはひどいぎっくり腰にやられて、車いすを夫に押してもらうという老老介護もスタートしたかに見えました。
その後のことは、12月6日の記事に書いたとおりです。
夏に夫の姉が脳出血で倒れ、入院。姉と二人暮らしをしていた義母も、体調を崩し、わが家に移ってきた。さらに、長男のアクシデント発生。
夫と二人三脚で「3人分の介護」を続けてきました。
旅行を何度もキャンセルしました。友人との付き合いも、趣味のことも、仕事さえも、あれこれ減らしながら、なんとか乗り越えてきました。
あれほど多難な年はもう終わりにしたいものです。
さて今年は、1月からぐんぐん上に向かって進んでいきたい。そう、辰年ですから、竜の背に乗るように。
来年のお正月には、「去年はいい年でいた」とご報告がしたいですね。
そして、以前のように、明るい話題や、旅行のエッセイなど、楽しみに覗きに来ていただけるような記事を載せていきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年と同じ風見鶏の家の前を通ったので、カシャリ。今日は風が強く、真っ青な空を背景に、くるくると動いていました。

現状のご報告 ― 2023年12月06日

前回の記事を載せてから、あっというまにひと月がたちました。
脳卒中で倒れてリハビリ病院に入院中の77歳の義姉と、今まで義姉と二人暮らしをしていたのに突然独りになった102歳の義母。2人の心配を抱えていることは、これまでにも書いてきました。
そのさなか、2ヵ月ほど前になりますが、今度は長男が、よりによって自分の誕生日に、バスの中でパニックを起こして乗客に迷惑をかけてしまったのです。
翌日から、住んでいるグループホームから職場への通勤に、付き添うことになりました。夫はバスと電車に同乗、私は車で送迎。福祉サービスの支援は受けられず、実費を支払ってヘルパーさんにお願いする日もありますが、なんとか欠勤をしないで続けています。
ところが、今度は義母が、体調を崩して一人暮らしができなくなり、わが家に移ってきました。
万事休すとはこのことです。長男の送迎のこともあり、予定していた旅行もすべてキャンセル、趣味のあれこれも休会、今月はエッセイ教室の仕事もお休みにさせてもらいました。
夫と2人で「3人分の介護」をしながらも、義母と半身まひの義姉がこれまでどおり一緒に暮らせる介護付き老人ホームを探して奔走しました。ようやく、実家の近くに良いところが見つかり、義母が体験入居をしたうえで、「ここにする」と言ってくれたのです。やれやれ!
今は契約に向け、あちこち駆け回ってもろもろの手続きを進めているところです。
1月半ばには、義姉も退院して、ホームに入居することになります。
それが落ち着けば、ひとまず肩の荷が下りることでしょう。
長男のトラブルについては、今はまだあまり詳しくは書けませんが、3ヵ月ほど通勤に付き添って、来年からはまた単独で行動させるつもりです。
しかし、「今回の一件は障害者の人権にかかわる社会的な問題でもあるのだから」と、主治医の先生から言われました。近いうちに先生から紹介していただいた弁護士に相談することになりそうです。
そのことについても、いずれご報告できればと思います。

数字のメモリー ― 2023年10月21日
「シャラリーン!」
10月6日、見事な秋晴れのドライブ日和。1年ぶりに一時帰国をした娘を乗せて、湘南の海を目指していました。運転中に、ナビがなんとも軽やかでハッピーな音を発したのです。
初めて聞いた助手席の娘が、「なにこれ!?」とびっくり。
最近の車は安全のためにやたらと音を発しては警告してくれるのですが、これは警告ではなく、お知らせ音。
数キロ走ると、ふたたびシャラリーン!
今度はさすがに、娘が素早くナビ画面を読みました。
「もうすぐ記念距離メモリーです」
……と書いてあるかどうか、じつは私もさだかではない。1秒ほどしかそのお知らせが出ないので、読み終えないうちに消えてしまうのですね。
またもシャラリーン!
車の走行距離には、7777㎞という数字が出ていました。
その後は、お知らせ音は鳴らなくなりました。
3年前、初めてこの音を聞いたときは、私もびっくりしたものです。
なになに?? 画面に何か文字が……、と思っているうちに消えてしまう。これでは、思わずブレーキを踏みたくなって、事故を起こしかねないのでは、と心配になりました。
助手席の夫が「設定で鳴らないようにできるはずだよ」と言ったのでしたが、ちょっと考えてそのままにしました。こういう遊びごころ、嫌いではない。
それから10日ほどたって、またしてもシャラリーン!
今度は、後ろの席で、長男が「な、なんだ?」とびっくり。
この日は8000㎞の記念距離達成でした。
ところで、このブログのアクセス数も、今月1日に80,000回を記録しました。残念ながら、ジャストの写真を撮りそこないましたが、皆さまが覗いてくださるおかげです。
いつも、ご覧いただき、どうもありがとうございます♡

ちなみに、前回の記念メモリーは、2021年7月6日の70,000回でした。


おススメの「山下清展」 ― 2023年08月03日
新潟県長岡市では、昨日と今日、長岡まつりの花火大会が開催されています。
昭和20年の長岡空襲で亡くなった方1,488名の鎮魂の花火です。
まだ実際に見たことはありませんが、一度訪れたいと思っています。
昨日、テレビのニュースの映像で思い出したのが、この絵はがきです。

そこで、「生誕100年 山下清展―100年目の大回想」という壮大な展覧会を見て、感動して買い求めたのでした。この写真からは、これが貼り絵だとはわからないでしょうね。花火の線は、1本ずつこよりにしたものが貼られている。緻密な手作業に驚きました。山下画伯の人生と、その芸術品のかずかずに、圧倒される思いでした。
展覧会は巡回して、現在は東京都新宿区のSOMPO美術館で開催中です。
私も期間中に行くことができれば、ぜひもう一度見たい。
皆さんも、ぜひどうぞ。
もう1枚買ったのは、ペンで描いてから水彩画に仕上げた「パリのエッフェル塔」。
パリを訪れた画伯が、どれほど心を動かされたことか、と想像に難くありません。

私も、今年こそはまたフランスに行きたいと、切れていたパスポートを改めて申請したところでした。でも、悲しいかな、わけあって私のパリは遠のきました。
せめて、この元気が出る絵はがきを飾って、またチャンスがありますようにと祈っています。
▼佐川美術館は、まるで琵琶湖の水面にたたずむような趣がありました。






『木挽町のあだ討ち』やりました、直木賞! ― 2023年07月19日
7月2日の投稿で、ご紹介した本が、直木賞を受賞しました!
『木挽町のあだ討ち』。著者は、永井 紗耶子さん。
おめでとうございます!!
この小説は受賞できるかも……とひそかに期待していました。
そして、私の二つ目の目標、
〈直木賞を受賞する前にその作品を読了する〉
というのも、ついに達成しました。ダブルでうれしいです。
ますますおススメしたい本になりました。


ご報告のためのエッセイ:「グループBになる」 ― 2023年07月14日
*** グループBになる ***
遅ればせながら、いや、遅まきながら、いや、いまさらですが、ついに、とうとう……と、友人に近況を伝えるまくら言葉が決まらなくて悩んだ。
6月下旬のある日、翌日からの旅支度をしながら、のどが痛くなってきて、あらちょっとヤバいかな、と小さな不安が湧いた。友人と2人で、1泊2日、青森の美術館を訪ねるツアーに出かけるのだ。あわてて風邪薬を飲んだ。
翌朝5時過ぎに起きて、ぼーっとした頭で身支度を始めた。大丈夫そうだ。でも念のため熱を測ると、37.6度。ダメだ! ぼーっとしているのは早朝だからではなく、熱のせいなのだ。ああ、ドタキャンするしかない。すぐに友人にラインをした。
「残念だけど、お大事に。当日キャンセルだと旅費は戻ってこないかなぁ」と返事が。
仕方ない。よりによって出発の日に、と不運を嘆くばかり。かっくりしてふたたび眠りに落ちた。お昼ごろ目覚めると、熱は39度近くに上がっていた。出かけていたら、向こうで大変なことになったにちがいない。ドタキャンできてよかったのだ。今度は解熱剤を服用し、自宅にあったコロナの抗原検査キットを試してみた。陰性だったのでひと安心。今大流行の夏風邪だろう。
翌日、まだ熱は37度台。念のため、ふらふらしながらも近くのクリニックの発熱外来に出向いた。
受付にもアクリル板、待合室にも大きな透明なカーテンがひらひらしている。コロナが5類に移行しても、ここは時間が止まったままなのだ、と改めて思う。
狭い部屋の診察台に腰かけて、しばし待つと、青い防護服に身を包んだ男性の医師が、カーテンの向こうから現れた。数年前にできたクリニックで、初めて会う先生だ。
「インフルエンザとコロナと、両方一度に検査できるので、それをしましょうか」
穏やかな口調で言われ、「はい、お願いします」と答えた。
検査は、自分でやればいいので楽だった。鼻の奥を拭った検査棒を看護師に手渡し、スマホをいじっているうちに、ふたたび先生が現れて、検査キットの表示板を見せてひとこと、「コロナ陽性ですね」。
え、まさか……。
もう、世の中はどんどんコロナ前に戻ろうとしていた。デパートの入り口に並んでいた消毒液や体温測定器が消えている。カフェのアクリル板もなくなった。緊張してそれらを利用していたあの頃が懐かしくさえある。電車に乗ればノーマスクの乗客が半分以上も。コロナが消えたわけではないのに、もうだれも何も守ってはくれないのだと心細さを感じる。5類になってもコロナはコロナ。いやいや、もうかつての脅威はない。……本当にそうなのだろうか。
疑心暗鬼になりながらも、飲み会は復活する。家から駅まではマスクをしないで歩くようになった。
そんな矢先に、コロナにつかまったのだ。
クリニックからの帰り道、呆然としながらも思いめぐらす。それにしてもどこで拾ったのだろう。ここのところ連日出かけていたけれど、周りに怪しい人はいなかった。憶測をしても始まらないのが5類というわけか。
ほぼ毎日家にいる夫も驚く。「じゃあ、当然僕もうつってるな」と何やらうれしそうだ。
北側と南側の窓を開けて換気をよくした。私がリビングやキッチンに立ち入るときは手の消毒をする。家族3人マスク着用。私の食事は時間差で。あとはひたすら自分の部屋にこもる。3日間は熱が上がったり下がったりで、頭痛も咳もつらい。薬を飲んでは眠っていた。
食欲もなかった。おかゆに豆腐の味噌汁に卵焼き、プリンにヨーグルト。幼児食のようなご飯を一人で食べていると、夫がテーブルに来て食後のコーヒーを飲もうとする。
「うつりたいの?」
「あ、そうか」と、何を考えているのか、能天気なことよ。
ついにこちら側に来てしまった。グループAからグループBの人間になってしまった。そんなふうに感じた。
以前はある種の偏見を持って、感染した人たちを見ていたかもしれない。かつては命を落とすリスクも大きかった。グループBへは行きたくない。そう思っていた。
でも、いざこちら側に来てみれば、もうリスクもだいぶ小さくなって、のんきにエッセイなど書いている。症状も何度かかかったことのあるインフルエンザとほとんど変わらない。5類になった今でよかったのだ。見返りとして3ヵ月の免疫抗体がもらえることだし。
「遅まきながらコロナにやられました」
結局そんな文面でさらりと近況報告をした。すると、あれよあれよと体験談が寄せられて、グループBの人の多さに今さらながら気がつく。
発症から3週間が過ぎた。もうとっくに元通りの生活をしているのだが、のどのいがらっぽい不快感だけがなかなか抜けない。これが今回のコロナの特徴らしい。
「それに、ちょっと物忘れがひどくなったみたいで、後遺症かも?」
「それはコロナのせいじゃなくて、お年ゴロのせい」
予想どおりの答えが返ってきた。
