玉村豊男さんが亡くなりました2026年08月25日

 

私が最初に玉村さんの著書を手にしたのは、もう半世紀近く前のこと。ヨーロッパに憧れていた頃でした。書店の本棚で、『パリ 旅の雑学ノート』というタイトルに惹かれて、パラパラとめくってみたのです。

文章だけでなく、写真やイラストをふんだんに使って、その雑学をあれこれと詰め込んだ本でした。もちろん買って帰りました。

78.1.24」と、私の字で日付が記してあります。

翌年、『パリ 旅の雑学ノート 2冊目』が出版され、それも買いました。

何度も読み返し、見返して、旅の参考書でした。

 

それからは、おひげにメガネと人懐こい笑顔の玉村さんの大ファンになりました。

画家として描く絵は緻密であたたかく、文章は極上。憧れのエッセイストでした。

晩年には長野県にヴィラデストワイナリーを設立しました。私はいつか行きたいと思いながら、いまだその願いが叶っていません。


 

▲芦ノ湖畔にある、玉村豊男ライフアートミュージアムで購入したお皿と箸置き。

 

御殿場のクレマチスの丘で購入したノート。▲行くたびにたくさん買って、旅の記録をつづる手帳として愛用していました。

 

▼私を旅好きにしたのはこの本、と言っても過言ではないでしょう。

 

私は、読んだ本をあまり保存しておくことはしません。というより、できません。狭い住居には保管場所がないのです。それでも、「これだけは」という本は保存しています。

玉村さんの処女出版本である『パリ 旅の雑学ノート』、『パリ 旅の雑学ノート 2冊目』も、処分せずに、本棚の奥に並べていました。

ところが……

 

はじめは気がつきませんでした。

一瞬、これが表紙のデザインだと思ってしまったのです。

よく見ると、赤い色がこすれて白い部分に付いている。爪の先でこすると、やはり爪に付きました。クレヨンで描かれたようです。

自閉症の長男が幼い時、本棚から本を落としたりして遊んでいた時期がありました。その中から、この2冊に目をとめた?

赤と青。文字。四角の重なり……。いったい何が彼の興味を引いたのか、まったくわからないけれど、彼はクレヨンを持ち出して、赤の絵には赤のクレヨン、青の絵には青のクレヨンで、四角を描き入れたのです。

この時から几帳面な息子の個性は芽を出していたのかもしれない。いえ、芽を出したのはデザインの才能だったか……? 今となっては詮ない親ばかのたわごとです。

でも、週末に帰ってきた時に、見せてみようと思います。なんと言うかな。

 

  


玉村豊男さんは、89日、肝細胞がんのため、亡くなられたそうです。

ご冥福をお祈りいたします。

 


ロンドン旅のフォトエッセイ ⑤ エッセイ「くしゃみの効用 後編」2026年08月15日

 

前回「くしゃみの効用 前編」の続きです。

 

   ◇◇ くしゃみの効用 後編 ◇◇

 

娘の夫と、彼らの住まいに早々に別れを告げて、娘の案内で隣町グリニッジへ向かった。目指すは、誰もがその名を知っているグリニッジ天文台だ。

 

1675年に建てられた王立のグリニッジ天文台。見晴らしのよい丘の上に建っている。

1884年に国際子午線会議が開かれた。その頃からすでにイギリスの航海用地図と時刻の仕組みが世界で広く使われていたそうで、グリニッジを通る線を経度0度とし、世界標準時の基準にすることが正式に決まったという。


 ▲この大きな時計は、世界標準時を示す24時間表示。現在102分を指している。

門の奥に、地上に引かれた子午線があり、跨いでいる人もいた。でもそのために入場料5000円も払うのはいかがなものかと、思い留まった。門扉の柵の間からとった一枚。


 

▲丘からは、広々としたグリニッジ・パークが見渡せる。その向こうには、カナリー・ワーフのビル群がそびえている。


 丘を降りて、グリニッジ桟橋へ向かう途中、大きな帆船が現れた。



カティーサーク号だ。私にはウィスキーの名前の記憶しかなかったけれど、かつてはインドや中国から快速で紅茶を運んだという。




桟橋から公共交通機関の水上バス(その名もUber Boat)に乗る。

しかも、客席の一番前で、ロンドンの名所を船上から見物というわけだ。


まもなく、タワーブリッジが正面に見えてくる。あっという間に、船はその下をくぐり抜けた。


▲娘の部屋の窓から見えていた超高層ビルのザ・シャードが左側に見えた。

72階建ての尖塔が、鋭く空を突き刺すようだ。2009年に造られた。


ロンドンの新しい目、ロンドン・アイ。イギリスのミレニアムプロジェクトによって、1998年に造られたという。

2008年に、娘とロンドンを訪ねた時、すでに操業していたが、乗ることはなかった。乗らなくてよかった、と今は思える。一緒に乗る相手は私ではないだろうから。



 時計台ビッグ・ベンと、国会議事堂が見えてきたところで、終点のウェストミンスター桟橋で、下船する。

グリニッジからバッキンガム宮殿に近いこの場所まで、約1時間たらず。天気も良く、最高のクルージングだった。



さて、ここで下船したのには、訳がある。 

旅行計画中に、娘がAIに尋ねたところ、「613日は、国王の祝賀パレードや、イギリス空軍の祝賀飛行が行われる」と教えてくれたのである。以前から、チャールズ国王の誕生日は11月だが、好天に恵まれる6月に祝うことにしているそうだ。たしかに朝から青空が広がる祝賀日和だ。

下船して宮殿を目指したけれど、人が多くて思うように動けない。宮殿の手前のセント・ジェームズ・パークで、大勢の人たちと芝生に腰を下ろして祝賀飛行を待つことにした。


▲芝生には、同じように腰を下ろして空を見上げる人たちがたくさんいる。国王のお祝いの日だからか、正装のカップルもいる。

 

午後1時、売店で買ったソフトクリームを食べながら待っていると、轟音が鳴り響いた。

その瞬間、私は「あ、祝砲だ!」と声を上げたけれど、娘は「テロ?」と、ひきつった顔をした。外国で暮らす彼女の緊張を思い知らされた気がした。


やがて、空軍のさまざまな形態の飛行機が、順番に頭上の空を宮殿の方角に飛んでいく。最後に三角形を描いた連隊機が、赤白青の煙を吐きながら飛んできて、芝生の上から一斉に歓声が上がった。



 

 

空のショーが終わり、宮殿の裏側の道を歩いていると、軍楽隊の音色が聞こえてきた。祝祭の演奏を終えて、裏門から宮殿内の宿舎に戻るところらしい。黒くて丸い帽子、赤い軍服、黒いズボン、衛兵たちのお決まりのいでたちだ。指揮官は黄色い衣装でスカートを履いて、号令をかける声も姿勢もかっこいい! 行進しながらも、演奏を続けている。 

私たちはちょうど裏門の近くにいたので、しばし立ち止まって演奏を楽しんだ。




と、その時、夫が、

「ハックショーン!」と大音量のくしゃみをしたのだ。

「ガッ・ブレッス・ユー!」

「ブレッス・ユー!」

すかさず周囲から、いくつもの声が上がる。

そうだ、これもあった。夫に注意するのを忘れていた、くしゃみも最小限にクシュンとするのがマナーなのだと。

イギリスではくしゃみをすると魂が抜けだすとか、病気にかかるとか言われていて、くしゃみをした人に「神のご加護を!」と、すぐに近くにいる人が祈ってくれるのである。

何のことやらと、きょとんとしている夫のそばに寄りながら、私が彼の代わりに周りの人にサンキュー、サンキュー、と言って笑いかけた。すると、その中のひとりの若い男性が、私たちが夫婦だと気づいたのだろう、「お二人の写真を撮りましょうか」と声をかけてくれた。

「では娘も一緒に……」と、3人で門の前に並んで撮ってもらった。彼もまた女性と二人連れだったので、写してあげた。

 

結局、ロンドン滞在中に3人で写っているのは、*この時の1枚だけだった。神のご加護のおかげだろうか。


                ◇◇ おしまい ◇◇


 * 残念ながら、その唯一の写真は非公開ですので、あしからず。


 



ロンドン旅のフォトエッセイ ④ エッセイ「くしゃみの効用 前編」2026年08月12日

 

「くしゃみの効用」というエッセイを、仲間の合評会に提出しました。

それを前編・後編に分けて写真とともにアップします。


       ◇◇ くしゃみの効用 前編 ◇◇

 

今年の1月、娘が上海の単身赴任から、彼女の夫の赴任地ロンドンに異動となった。晴れてひとつ屋根の下で夫婦が暮らせることになったのである。

さっそく訪ねて行きたいものだけれど、娘が慣れないうちから押しかけては迷惑だろう。とはいえ、行くなら今年のうちに、暑くならないうちに……と思い、一番良い季節だといわれる6月に1週間の予定で行くことにした。しかも、ほぼ海外旅行初心者といえる夫を連れていくという一大決心をしたのだった。

娘の赴任地を訪問する今回の旅は、夫をヨーロッパに連れていく絶好のチャンスだ。これまで、自分は留守番で私を自由に行かせてくれた夫への恩返しを、今こそしておきたい。最後のチャンスかもしれない。私にはスーツケースもうひとつ分の負担になるだろうけれど。

 

最新版の旅行ガイドを2冊買いこみ、ネットを駆使して、娘とも相談しながら、1週間分の予定を立てていく。

「ロンドンで、どこに行きたい」と、夫に問うと、

「キュー・ガーデン!」と即座に返ってきた。植物オタクの夫のため、たっぷり3時間は滞在時間を設けて予定に組んだ。夫は嬉々として園内の地図をダウンロードし、行くべき箇所をマーク。準備万端、楽しみにしているようだ。

私は独身の頃に、ロンドンに数ヵ月滞在した。英語学校の午後のコースに通うためだった。いつも午前中はひとりで街を散策し、夜には学友たちとパブやミュージカルを楽しんだ。半世紀たった今でも、地名や駅の名前を読むだけで、当時が懐かしくよみがえってくる。

 

そんなある日、夕食の時に、夫がゲップをした。私への遠慮などとうに消えたのか、ただ年をとったからなのかわからないけれど、これはまずい、と思った。

「イギリスでは、ゲップをするのはとても失礼なのよ」

ところが、夫はまた次の日もゲップが出る。

「ロンドンでそんなことしたら、置いてきちゃうからね」と、冗談半分にたしなめた。



6月上旬の火曜日にロンドンに到着し、その週末の土曜日、ようやく娘夫婦のマンションを訪ねる日が来た。

ロンドン東部のカナリー・ワーフというこの辺りは、かつてテムズ川の船着き場だったのだが再開発され、オフィスビルとタワーマンションが林立する新しい街に生まれ変わった。ロンドンの中心にあるシティと並ぶ世界の金融街、ビジネスの中心地として指定されており、欧州最大の超高層ビル街なのだそうだ。

二人は、ここに住んでシティに通勤する。便利な新しい鉄道が敷かれ、二つの街を直結している。


カナリー・ワーフ駅前。地名のモニュメントがある。   

 

▲ドックランズ・ライト・レイルウェイという鉄道の下をくぐっていく母と娘。

カラフルなガードの上を、ときどき赤い電車が走っていく。 


これが娘夫婦の住むマンション。

▽エレベーターを降りると、27階の表示が。


そのタワマンの27階が二人の住まいだ。きょろきょろ室内を見回していると、

「窓の外以外、撮影禁止だからね」と、厳しいご法度。

はいはい、わかってますよ。夫も私も、窓の外の景色が見たかったのだ。リビングの壁は足元までガラス張り。眼下にはテムズ川が蛇行しており、少し遠くにタワーブリッジ、その向こうには中心街の新しいモニュメントも見える。夜はさぞ夜景がきれいだろう。

若夫婦に並んでもらって記念撮影をしたかったが、それも写真嫌いの娘に拒まれてしまった。


▲遠く左の方に見えるとがった塔がシャードという名の超高層ビル。高さ309.6m。

その右下にはタワーブリッジが見えている。


  

〔後編に続く〕



ロンドン旅のフォトエッセイ ③ ストーンヘンジへ2026年07月20日

 

昨日の朝は早起きをして……というより、朝早く目を覚ましてしまう残念なお年頃なので、4時半ごろには目覚め、思い切ってそのまま起床。テレビをつけました。サッカーワールドカップの3位決定戦が、日本時間の午前6時から始まります。

今回のW杯は、順当に世界ランク1位から4位までのチームが準決勝まで勝ち残りました。

準決勝で敗れた世界ランク3位のフランスと4位のイングランドが、3位決定戦で対決するのです。すっかりイギリスびいきの私、もちろんイングランドを応援しました。

 

結果はもうご存じのとおり、イングランドが6対4で勝ちましたが、高得点の試合運びはじつにおもしろかった! 前半で4点を獲得したイングランドが後半で1点差まで追い込まれ、どうなることかとはらはらしたり、それでもフランスのエムバペ選手の卓抜したプレーには、ほれぼれしたり。

 

そんなわけで、今朝も午前4時に起きて決勝を観戦。アルゼンチン対スペイン戦です。

ところが、前日の試合のおもしろさに比べ、何かすっきりしません。互いにゴールが決まらないだけではなく、ボールを保持すると、当然のように背中から倒される。かと思えば自分から相手を背負うようにして見せかけのファウルを誘う。どこまでが許され、どこからがファウルなのか、にわかファンには判別がつかない。これが、こんな姑息な手段で勝ちに行くのが、ワールドカップの頂上決戦なのだろうか……、と落胆にも似た気持ちで眠気をこらえて見ていました。

 

 

長い前置きでした。

 

 さてさて、ストーンヘンジをご存じでしょうか。

イギリス南部の広大な草原の中にある遺跡、巨大な石を円形に並べたり、積み上げたりした構造物です。紀元前3000年から2200年にかけて造られたと考えられており、1986年に世界文化遺産に登録されています。

現在、イングリッシュ・ヘリテージという英国政府の団体が保護管理をしているので、そのサイトのアプリから、日本語で解説を聞くこともできます。

 

イギリスに着いた翌日、ロンドンから車で2時間ほど、現地のバスツアーに参加しました。

大型バスにはヨーロッパ各地からの観光客(たぶん)がほとんど。バスの半分ぐらいを占めているでしょうか。日本人はいません。

ドライバー兼ガイドのジョンさん、なまりの強い巻き舌英語で話してくれるのですが、なかなか聞き取れず、それでも集合時間の「5時5分前」だけはキャッチ。さらに、「10分以上遅れたら、置いていく」と言うのも聞き逃しませんでした。

バスを降りた所で、彼にもう一度確認すると、「大丈夫、あなたのことは待っていますよ」と、ニコッと笑ってくれたので、ひと安心。東洋の小さなおばさんを置いていかないでね。

道中、あいにくと雨が降り出して、フロントグラスにたたきつけていましたが、到着する頃には止んでくれました。



バスが停まった場所は、ビジターセンターの近く。レストランやショップ、遺跡解説のパネル展示や、出土品の展示コーナーなどもあります。

まずは、真っ先に遺跡を目指します。

歩くと20分はかかり、シャトルバスもあるそうですが、360度見渡す限りの牧草地が広がって、気持ちの良い風が吹いているので、歩いていくことにしました。まっすぐな道が、木立に向かって続いています。


地平線には牛の群れ。


かわいらしい羊もいます。 


爽やかな風が吹いてきて、暑くもなく寒くもなく、最高のウォーキング日和です。


そして、眼前に現れました。

本物のストーンヘンジです。これでは大きさがわかりませんよね。



真っ青な空を背景に、ダイナミックな雲と、微動だにしない石の列。

誰が、何のために、どうやって。謎はまだまだ残されています。


石の重さは30トンを超えるものもあるとか。最も高い石は地上7メートル以上あり、しかも2.5メートルが地中に埋まっているそうです。

さらに驚くのは、この巨石が20キロメートル以上離れた場所から運ばれているというのです。小さな石でも、240キロも離れた場所から来ているそうです。

大勢の人々が関わる、大掛かりなプロジェクトだったのでしょう。

それらは、長い時代を経て、さまざまな民族によって行われたということなのかもしれません。

 

これまでの発掘調査でわかっているのは、火葬された人骨があることから、墓地としての役割があったこと。

明らかに、夏至の太陽を意識した配置になっていることから、天文学的な知識、暦のようなものを持っていたこと。夏至や冬至にここで祭りや儀式を行っていたのではないか、ということ。

 

▲この石はヒール・ストーンと呼ばれ、太陽の動きに合わせて配置されています。夏至の日、ストーンサークルの中からは、この石の方向に日の出が見えるそうで、そのための目印になっているといえます。


世界遺産に登録されてからも、ふだんはサークルの内側には進入禁止ですが、夏至の日だけは無料開放されて、大勢の人々が集まり、中に入り、巨石に触れ、日の出を見ることができるのだそうです。

 

アプリのガイドに従って歩いていたら、なぜか柵の外側に導かれ、また引き返してきて近寄りました。そんなこともあって、時間がかかってしまったので、帰りはシャトルバスに乗り、ビジターセンターまで戻りました。

 

無事に定刻にジョンさんのバスに乗り込むことができました。

帰りの車中では、ロンドンの見るべき観光地の情報も教えてくれましたが、そのたびに、

「私の名前はジョンです。ぜひツアーのコメントをよろしく!」を繰り返していました。

 

ふと、私がストーンヘンジの存在を知ったのはいつだったのかと、思い巡らせました。

思い当たったのが、イギリス映画「テス」。ナスターシャ・キンスキー演じる主人公のテスが、不幸な運命に翻弄され、思い余って人を刺し殺してしまう。その部屋から逃げ出した後、階下の天井の赤黒い血のしみが少しずつ広がっていく映像をなぜか覚えているのです。そして、最後のシーンに石の立ち並ぶ不思議な遺跡が出てきました。それが初めて見たストーンヘンジでした。

半世紀もたって、私は実物を目の当たりにしました。

 

日本からイギリスへと向かった旅は、時間を遡る太古への旅でもありました。




ロンドン旅のフォトエッセイ ② さっそくパブへ2026年07月08日


イギリスといったら、何はさておき、パブでビールでしょう。

着いた日の夕方6時ごろ、長旅の疲れをいやすべく、ホテル近くのパブに行きました。

お店の外にはきれいに花鉢が飾ってあり、歩道には白い椅子とテーブル。窓ガラスの模様も美しい。懐かしい雰囲気のおしゃれなパブ、The Stanhope Arms(スタンホープ・アームズ)です。

中に入ると、所狭しと並んだ椅子やテーブル、お客さんでいっぱいで、空席には予約のプレート。カウンターの隅っこにでも腰かけようか……と思っていると、そばのテーブルで食事をしていた男性が、声をかけてくれました。

「もうすぐ家族が迎えに来て、僕は出かけるから、この席、どうぞ!」

なんとやさしいこと。夫の白髪が功を奏したのかも。

 



まずは、カウンターへ行き、サーバーからついでもらうのは、私はラガー、夫は黒ビールのギネス。

さすがにすっきりと美味しい。日本の黒ビールはちょっと敬遠気味の私も、一口飲ませてもらって、その雑味のない美味しさに驚きました。場所が変われば、味覚も変わる、のかもしれませんね。



 

そして、定番のフィッシュ&チップス!

揚げたてで、タルタルソースもとても美味しい。

レモンはなぜか焼いてあります。

付け合わせの、軽くクラッシュしたグリーンピースは、少々青臭さが気になりましたが、夫は「イケる」と言いながら、きれいに食べました。慣れればクセになる味かも。

この一皿で、19.95ポンド。約4500円!

 

私は、かつて毎晩のように通ったパブを思い出し、当時と変わらない、と思ったのでした。がしかし、ひとつ大きく変わったのは、まずその値段。以前はカウンターでビールを受け取る時に、たしか中グラス1杯分のハーフパイントが日本円で200円もしなかったと思うのですが、この日は900円ほどしていました。

さらに、もうひとつ変わったことは、支払いはレジへ行って、タッチ決済で済ませること。現金のやり取りはなくなり、便利になりましたね。



店内に2台もあるテレビは、ライブスポーツの観戦用です。

この日はまだ、サッカーワールドカップの開幕直前でしたが、今頃は大盛り上がりで、賑わっていることでしょう。そうそう、発祥の地イギリスでは、サッカーではなく、フットボールと呼ぶのでした。

イングランドは、準々決勝であのハーランドを擁するノルウェーと対決します。ロンドンでは11日(土)の夜10時キックオフ。ロンドンの街中のパブが、ビール片手に熱狂する人々であふれかえるにちがいありません。

日本時間は日曜朝6時。私も早起きをして、コーヒー片手に応援したいと思っています!



ロンドン旅のフォトエッセイ ① 地下鉄に乗って2026年07月03日



帰国してようやく半月がたちました。

ロンドンの旅も、毎度おとくいの欲張りハードな旅でした。その疲労からなかなか抜け出せないまま、夜中のワールドカップ応援という時差ボケの「延長戦」が加わってしまいました。

でも、日本代表の戦いぶりから、元気が湧いてきました。ブログに向かわなくては、とやる気も出ました。

 

まずは初日のエピソードから。

 

ホテルは、地下鉄グロースター・ロード駅から徒歩2分。地下鉄の3つの路線が通っていて、ここから3駅目には大きなビクトリア駅もあって、旅行者にはとても便利。ビクトリア駅は日本でいえば新宿駅のような感じで、たくさんの長距離電車の発着駅でもあり、長距離バスなどのターミナルもあるのです。

 

出発前に、いろいろと娘に相談しました。

「ヒースロー空港からホテルまで、大きなスーツケースを転がしていくのは大変だから、タクシーで行こうかな」

「タクシーは高いからやめときなさい」

その娘によれば、ロンドンの地下鉄のサイトで、グロースター・ロード駅を調べたら、「バリアフリーではないとは書いてないから大丈夫、とのこと。「空港からピカデリー線一本で行けるから、それが便利よ」と言います。

50年近く前、私は数ヵ月だけロンドンで暮らしたことがあります。その頃のロンドンが頭を過り、50年程度でそれほど便利な駅になっているとは思えない……。半信半疑でしたが、娘のアドバイスに従うことにしました。

大丈夫、と確信がありました。

 


始発のヒースロー・ターミナル5駅からピカデリー線に乗ります。さすがに、空港の駅は大きなリフト(エレベーターのことをイギリスではこう呼びます)があって、ホームに立ちました。

乗り込んだ電車は昔ながらの小さな列車。それはそうでしょう、日本がまだ江戸時代だったころに、ロンドンに生まれた世界初の地下鉄です。最小限に掘ればすむようにと、土を円形にくり抜いて作ったから、まるで細長いチューブの形。駅の構内もチューブ状なら、電車もまるい。正式にはunderground(アンダーグラウンド)という名前だけれど、tube(チューブ)という愛称で親しまれているのです。

 

乗り込むと、同じようにスーツケースを携えた乗客が多い。シートに腰かけても、向かいの人の膝が触れそう。天井も低く、こぢんまりとかわいらしい列車です。

地下鉄ですが、地上を走る区間も多く、昔ながらの長屋づくりの建物が続きます。私は懐かしい思いで見ていましたが、初めて見る夫は、面白そうに見ています。

そう言えば、私もこのロンドンの住宅街を初めて見た時には、「メリー・ポピンズの世界だわ!」と胸躍ったものでした。


40分ほどで、グロースター・ロード駅に到着。

案の定、バリアフリーだと聞いていたのに、エレベーターを降りると、さらに10段以上の階段がありました。

まず、夫が自分のスーツケースを持って上がっていきました。夫が戻ってくるのを下で待っていると、すぐに男性が近づいてきて、私の荷物を持とうとする。見れば、夫より年配らしき背中の丸くなったご老人です。

「夫がすぐに下りてきますから」と指さして丁重にお断りしました。

すると、また別の男性も声をかけてくれる。そこへ夫が降りてきたので、私のスーツケースはふたりの男性が仲良く運ぶ形になったのでした。

夫は、「みんな親切だねえ」と感慨深く驚いていたけれど、私は驚きませんでした。やっぱり、と思ったのです。きっと大丈夫、と思っていたのです。

 

50年前、ロンドンからパリへ、ひとりで旅行をしたことがありました。ホームステイ先のお宅で、四角くて重くて古めかしいトランクを借りて行きましたが、困ったことは一度もなかった。階段の前で立ち止まると、すぐに誰かが声をかけて、当たり前のように運んでくれました。

イギリスの人びとは昔と変わっていない。そのことが何よりうれしく思えたのでした。


▼グロースター・ロード駅を出ると、駅舎は100年以上の古さを感じます。


ロンドンといえば、この赤い二階バス。▼



▼大通りの向こうは高級住宅街のマンションが立ち並んでいます。

ロンドンは快晴の空が迎えてくれました。この時はまだ午後6時前でしたが、日の入りは午後9時を過ぎます。



▼これは翌朝乗った別の線。国旗の赤白青がオシャレ。


ロンドンへ、行ってまいります!2026年06月07日


今年1月に娘がロンドンに赴任してから、この日に思いを巡らせてきました。

行けるうちに、行ける時に、なるべく早く行こうと。

 

そのためにも、白内障の手術を早く済ませること。

猛暑の夏は避けること。

年に一度エッセイグループが発行する会誌のエッセイをきちんと書きあげておくこと。そして、その合評会には必ず参加すること。

健康でいること。

 

もろもろのことに気を使いながら、準備を整えつつ、この半年近くを過ごしてきました。それでも、大なり小なりのアクシデントがありました。そんなキャンセルの危機も、何とか乗り越え、今日になりました。

明後日の便でロンドンへ向かいます。

 

今回は、英語の苦手な夫を連れての長旅です。しかも、彼にとっては新婚旅行以来のヨーロッパ、初のイギリスです。

上海の娘のもとへ、夫婦で2回ほど行ったけれど、今回はそれ以上に、私は大きなスーツケース並みの荷物を背負いこんだ気分……w

ホテル手配や搭乗券の座席指定、入国手続きのアプリ、eSIMの手配、留守宅の管理、旅先の天候と衣服の調整……などなど、準備はすべて私任せでしたが、その間の食事作りはほぼほぼ夫任せだったので、役割分担と思って、まあ良しとしましょうか。

 

娘とは、週末だけ一緒に過ごすことにしました。到着の日は出張だとのことですし。

彼女が、試しに私たちの観光計画をAIに聞いたところ、土曜に王室のお祝いのパレードや、航空隊による祝賀飛行があることを教えてくれたのです。

ラッキーでした。この日はお天気もよさそうで楽しみにしています。

 

ロンドンではそのほかに、大英博物館に始まって、たくさんの美術館でのアート鑑賞。そして、なんといっても、植物オタクの夫が一番行きたい場所だったキューガーデンズを訪れます。

また、評判のパイの美味しいレストランを予約しました。

ほかには、150年の歴史あるレストランで、シャンパン付きのアフタヌーンティーの予約も済ませました。

それから、ロンドンから日帰りで、コッツウォルズ地方の村々を訪ねたり、謎の多いストーンヘンジの遺跡を訪ねたりする予定です。

 

予定を書きだしたら、きりがありませんね。帰国したら、夏の間は涼しい部屋にこもって、旅の記録をエッセイにしたためたいと思っています。

どうぞ、楽しみにしていてくださいね。

 

ロンドンは24歳の時に半年ほど、イギリス人家庭にホームステイしながら、英語学校に通っていたことがあるのです。日本語教師として、ここで働くことも考えなかったわけではありませんが、実現には至りませんでした。

 

最後に訪れたのは、18年前。娘が大学受験で志望校に合格したお祝いに、初めて海外旅行に連れて行ったのでした。

そのロンドンで、娘は上海勤務から異動となって、働くことになりました。

運命のような、神様の導きのような、母としては不思議な思いを抱かずにはいられません。

4年間、ロンドンで単身赴任をしていた夫と、ようやくひとつ屋根の下で暮らせるようになりました。どんな生活をしているのでしょうか。

ちょっと覗いてきます。

 

ではでは、行ってまいります。


▲3月2日には、この2冊を買っていました。



草間彌生美術館へ2026年05月24日


 

久しぶりに、アート鑑賞。目がよくなって、心も弾みます。

以前から行きたかった、都内にある草間彌生美術館へ。

半年ごとに治療に通っている大学病院の近くなのですが、美術館は週休3日。しかも、日時指定の完全予約・定員制。入場券はウェブサイトでの販売のみ。

なかなか気軽に、時間ができたからフラッと行くことができない。近くて遠い憧れの美術館でした。

今回は、さわやかな五月晴れの午後、事前に予約を入れ、アー友と待ち合せて、新宿区の早稲田駅から歩きました。

 

道路に面して駐車場もなく、白くて細長い5階建てのビルが美術館です。 

現在、『クサマズ・ポップ』という展覧会が開催されています。

 

▼真っ赤な水玉に覆いつくされた自動販売機が、1階の足を踏み入れた場所に置かれています。壁の絵も、実際のバルーンも同じポップな水玉模様。



 

▼階段の上から見下ろす3階の展示場。アクリル絵の具でキャンバスに描かれた作品が、所狭しと並んでいます。



▼少々グロテスクな黄色い植物に覆いつくされた部屋。テーブルの上にはワインボトルもグラスも置かれています。

「黄樹リビングルーム」。YELLOW TREE を訳して「黄樹(きじゅ)」だそうです。暗かったので、写真に撮ると目立ちませんが、実物は不気味な黄色です。特異な才能を持つ彼女の真骨頂かもしれません。


 



▲これは新しい初公開作品のようです。私も初めて見ました。

題して「天国へのぼった階段で見た宇宙の姿」。高さ2メートルほどのアクリルでできた直方体の壁面に、いくつも覗き穴がついていて、覗いてみると、このとおり。大きな万華鏡のようにも感じます。内部には鏡が組み合わされて、たくさんのカラフルなボールたちが写っている。どれが実物でどれが鏡の反射かわからない。たがいに写り合って永遠の彼方に消えていく世界が見える。かと思うと、覗いている人の顔やカメラの姿も写って映っている。とても不思議な世界です。でも、楽しい!


 

ショップで、この企画展のカタログと、おなじみ水玉カボチャのシールを買いました。

カタログの表紙も作品のひとつで、航空便に貼る「VIA AIR MAIL」のステッカーを、一面びっしりと並べて貼ってあります。▼




学生時代の友達と二人、気分はとってもポップ♪♪

神楽坂のイタリアンに繰り出し、ワイン片手にアンチエイジングの情報交換で、時のたつのもしばし忘れたのでした。

 

 


白内障手術後1ヵ月~これから手術を考えている方へ~2026年04月29日

 

両目の手術を終えてから4週間がたちました。

今回は、いわば反省項目を書きます。

これから手術を受ける方に、少しでも参考になれば、と思います。

 

■入院

私が診察を受けた病院は、自宅から電車で15分ほどの駅。便利ではあるけれど、当日眼帯をして片目で帰宅し、翌朝もまた同じ状態で受診に出かけていくことを考えたら、安心の1泊入院を希望しました。

ちなみに、義母が受けた病院の眼科では、通常3泊の入院です。

昨今は、近所のクリニックで日帰り手術が当たり前のようですが、万一のことを考えると、入院は安心、安全ではあります。もちろん事情が許せば、ですが。

 

■術後の目薬

23種類の感染予防のための目薬を、14回点眼します。しかもそれぞれ5分の間隔をあけて。これはけっこう面倒です。

朝昼晩の食事の前後と、就寝前。さいわい規則的な生活を送っているので、それに合わせて毎日スマホのアラームを鳴らし、点眼すると5分のタイマーをかけ、その時刻を手作りのカレンダーに記録。ほぼ完ぺきに点眼してきました。

そして、おととい4週間後の診察の時に、医師からは目薬終了宣言が出ました。スマホのアラームは解除。残ったのは朝起きる時刻だけ。

「けっこう面倒」などと言いながら、まじめに取り組んだ私は、終了がちょっと寂しくもあり……。



■禁忌事項

いとも簡単といわれる手術に、こんなにやってはいけないことが多いとは。甘く見ていました。

まず、手術当日は、大きな絆創膏を眼帯の上から貼られて、洗顔もシャンプーも入浴もできません。ま、一日ぐらいは我慢しましょう。

しかし、化粧も洗顔もシャンプーも、1週間禁止です。しかも、顔の片面だけ解禁というわけにもいかないので、結局2週間は禁止が続くことになる。

シャンプーは、ドライシャンプーを買ってきて地肌にスプレーして、なんとか爽やかさを保ちました。真夏だったら、こうはいかないでしょう。

洗顔のかわりには、硬く絞ったガーゼなどで顔を拭きました。

 

むしろ、一番こたえたのは、ノーメイク問題。普段は身だしなみとしてのメイクが欠かせないのに、マスクをしても隠せるのは下半分。伊達メガネも持っていない。以前に使っていたサングラスは遠近両用の度付き。視力が上がった眼には合わない。

この現実にはすっかり落ち込んで、スーパーの買い物ぐらいなら何とか行けても、いくつかの集まりは欠席せざるをえませんでした。

家にいても、鏡を見ると、70代の老婆がいる。これが私。シミもしわもはっきりくっきり見えてしまう。せっかくよく目が見えるようになったのに、このQOLの低下は何なの。日にちがたつのを指折り数えるしかありませんでした。

手術の日程については、よくよく考えるべきでした。

 

■メガネ

私がおススメしたいのは、老眼が進んで役に立たなくなった、以前に使っていたメガネを、白内障の手術が終わるまで残しておくことです。

 

ちなみに、私の手術では、遠くに焦点を合わせた単焦点レンズを入れました。

かつては2.0まで視力があった遠視気味の私には、術後も遠くがよく見えるようにして、手元はメガネで調整するというのが最善の方法だ、と主治医に言われたのです。

手術が終わってみると、二重に見えていた視界は消え、室内から窓の外の景色まではっきりと見えます。家事も、ドライブも、メガネは不要! 新聞やスマホなどの細かい文字を読む時と、字を書く時だけはメガネが必要です。

ちょうど、40代半ばで老眼が始まり、初めてメガネを作った頃の見え方に戻った感じです。

つまりこれからは、メガネのレンズの上半分は度なし、下半分には老眼を補う軽い度付きのメガネが必要なのですが、メガネを作るのは、術後1ヵ月ぐらいして視力が安定した頃がいいのだそうです。

今持っているのは、60代以降に作った比較的新しいメガネで、遠くも近くも補うための遠近両用ばかり。もう、それらのメガネでは遠くがぼやけて使えません。手元近くの細かい文字を読むのならなんとか使えそうです。

術後2週間ほどたったある日、しかたなく、その中でもゆるめのメガネを使って、電車の中で本を読んでいた時のこと。下車駅であわてて降りようと、メガネをかけたまま立ち上がってしまい、視界が揺らいで足元がふらついたのでした。

そんなこともあって、40代半ばの頃のメガネが手元にあれば、少しは役に立ったのにと、処分してしまったことが悔まれるのです。

 

とにかく、視力が安定するのを待たずに、一刻も早く、使えるメガネ作ろうと決心してメガネ屋さんへ。いつものように、ていねいな検眼。それから、遠くと近くの見える部分を、レンズ面のどのくらいの割合にするかもよくよく検討して、慎重にあつらえたつもりでした。

ところが、1週間後に出来上がったメガネは、どうも今一つ。手元はちょうどよく見えるけれど、近くから遠くにかけての中間は、うまくピントが合わず、不自然な見え方です。

40代半ばの頃の目と、術後の今の目と、見るための動きが少し違うのかもしれない……というのが、医師の忠告を無視した私の自己診断(自己弁護?)です。

 

■脳の問題

〈見る〉という機能は、文字どおり目先のことではなく、脳が支配しているわけで、これからは脳にも新たな働き方をしてもらわなくてはならない。

残念ながら、瞳のレンズのように、古くなったからといって脳みその入れ替えはできません。

だからこそ、がんばれ、私の脳みそ!

 





続・白内障手術を終えて2026年04月01日


先週の23日に左目の手術、そして1週間後のおととい、右目も無事に終えました。今回の手術直後のテーピングは容赦なく、右目の周囲を覆いつくし、口の真横まで。たださえ片目の食事はままならないのに、口を開けるのも難しく、やっとの思いでした。

そんな時、テレビも見にくいので、イヤホンでポッドキャストを聴くことにしました。

たまたま、以前チェックした番組が、画面にありました。このブログでも著書を紹介した石井健介さんと、ジェーン・スーさんとの対談です。

聴いているうちに、またまた目からうろこの落ちる心境になりました。たかが一昼夜の片目状態、たかが1週間の不便に対して、不平ばかり言い募っている自分を恥じました。彼はそれを、新しく誰かとつながるための便利な道具のようにとらえている。頭が下がります。

 

👁右目の手術で

 

手術中のドクターは、私に言葉をかけるだけでなく、後輩のドクターがその場にいるので、指導のため、そちらとも話をしています。

「クリスマスツリー○○があって……」

たしかにそう聞こえました。

クリスマスツリー?? 何のこと……? 

私の聞き違いだと、また笑われてしまうから、退院してから検索して調べてみようと思いました。

確信を持てたので、今日の診察で、思い切って尋ねました。

「先生、手術中にクリスマスツリーなんとか、っておっしゃいましたよね」

「ああ、クリスマスツリー白内障ね。ツリーみたいにきらきら光って見えるの。僕は好きなんだよ」

顕微鏡で見ると、さまざまな色と形で輝いていて、まさにクリスマスツリーのようだとか。よくこんなものがあって見にくくならないと思うほどだけれど、残念ながら本人には何も見えない。100人に1人あるかないかという珍しいものらしい。ああ、やっぱり。ネットの情報どおりでした。

ひとみの瞳の中にクリスマスツリーがあったなんて、ステキすぎる!

「でも、もうないけどね」と、ドクターは笑います。そう、超音波で砕かれて吸い出されてしまって、そこに新しい人工レンズが入ったというわけです。

代わりに授かった瞳で、今年のクリスマスツリーは、くっきりキラキラと美しく見えることでしょう。

 

私は子どもの頃からキラキラ光るものが大好きでした。ダイヤやサファイヤの付いた(もちろんおもちゃの)ブローチやネックレスをたくさん集めていたっけ。

その趣味は今でも変わりません。クリスタルのアクセサリー、スパンコールやラメ入りの服など、好んで着ています。加齢でみすぼらしくなった部分をキラキラで補いたいから、と自分では思っていたけれど、じつは目の中のキラキラを感じていたからかも。それとも、あまりキラキラを見すぎて、瞳の中にその映像がたまってしまったのかな……などと想い巡らしてみるだけでも楽しい。

 

さらに言えること。私の「ひとみ」という名前は、正真正銘のキラキラネームだったのですね。

 

▲本日午前中、1週間前と同じ大学のキャンパスで、桜を見てきました。降りだしそうな空の下、風に吹かれて花びらがたくさん舞っていました。


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