現状のご報告2023年12月06日



 

前回の記事を載せてから、あっというまにひと月がたちました。

脳卒中で倒れてリハビリ病院に入院中の77歳の義姉と、今まで義姉と二人暮らしをしていたのに突然独りになった102歳の義母。2人の心配を抱えていることは、これまでにも書いてきました。

 

そのさなか、2ヵ月ほど前になりますが、今度は長男が、よりによって自分の誕生日に、バスの中でパニックを起こして乗客に迷惑をかけてしまったのです。

翌日から、住んでいるグループホームから職場への通勤に、付き添うことになりました。夫はバスと電車に同乗、私は車で送迎。福祉サービスの支援は受けられず、実費を支払ってヘルパーさんにお願いする日もありますが、なんとか欠勤をしないで続けています。

 

ところが、今度は義母が、体調を崩して一人暮らしができなくなり、わが家に移ってきました。

万事休すとはこのことです。長男の送迎のこともあり、予定していた旅行もすべてキャンセル、趣味のあれこれも休会、今月はエッセイ教室の仕事もお休みにさせてもらいました。

夫と2人で「3人分の介護」をしながらも、義母と半身まひの義姉がこれまでどおり一緒に暮らせる介護付き老人ホームを探して奔走しました。ようやく、実家の近くに良いところが見つかり、義母が体験入居をしたうえで、「ここにする」と言ってくれたのです。やれやれ! 

今は契約に向け、あちこち駆け回ってもろもろの手続きを進めているところです。

1月半ばには、義姉も退院して、ホームに入居することになります。

それが落ち着けば、ひとまず肩の荷が下りることでしょう。

 

長男のトラブルについては、今はまだあまり詳しくは書けませんが、3ヵ月ほど通勤に付き添って、来年からはまた単独で行動させるつもりです。

しかし、「今回の一件は障害者の人権にかかわる社会的な問題でもあるのだから」と、主治医の先生から言われました。近いうちに先生から紹介していただいた弁護士に相談することになりそうです。

そのことについても、いずれご報告できればと思います。

 



800字のエッセイ:「モヤモヤするバアバたち」2023年11月05日





         モヤモヤするバアバたち

 

私の友人たちの多くは、子ども世代の子育てを手伝う日々を送っている。

たまに集まると、孫話で盛り上がる。

 

ある時、M子がこんな話をした。

娘が幼い孫たちに昼食を用意する時に居合わせた。

「お昼、何が食べたい」と娘。

「ラーメン!」と孫たち。

「わかった」と言って娘は、スーパーに食材を買いに行き、そして作り始めたという。

「娘は、子どもの自主性が育つから、と言うんだけどねぇ」とM子は首をかしげる。「私たちの子育て中は、子どもに聞いたりしないで、冷蔵庫にある材料で、栄養も考えて作って、はい食べなさい、と与えたよね」。

 

すると、今度はA子が話し始める。

嫁が2歳の孫娘を連れて泊まった時、パンをたくさん買ってきた。

嫁は孫に、「これ好きでしょ?」とパンをちぎって与える。「これもおいしそうだね」と別のパンを与える。すぐに2歳の胃袋はいっぱいになり、ごちそうさまとなる。

そして、残ったパンを嫁がゴミ箱に捨てた時は、さすがにA子の目が点になった。

「フードロスだけはいけないよね」

私たちは昔から「食べ物を残すな。粗末にするな」と言われてきた。

 

私たちの子育ての常識が子ども世代に通用しない。わが子の気持ちを大事にするのはわかるけれど、今のご時世、なんだかね……とみんなでモヤモヤする。

でも、私たちの子育てだって、親の世代からすれば「ちょっと変」だったことだろう。時代が変われば子育ても変わる。温かく見守ってあげなくては、と思う。「でもさ、絶対譲れないことだけは、きちんと説明してわかってもらおうね」と、みんなでうなずき合うのだった。


 


数字のメモリー2023年10月21日


「シャラリーン!」

106日、見事な秋晴れのドライブ日和。1年ぶりに一時帰国をした娘を乗せて、湘南の海を目指していました。運転中に、ナビがなんとも軽やかでハッピーな音を発したのです。

初めて聞いた助手席の娘が、「なにこれ!?」とびっくり。

 

最近の車は安全のためにやたらと音を発しては警告してくれるのですが、これは警告ではなく、お知らせ音。

数キロ走ると、ふたたびシャラリーン!

今度はさすがに、娘が素早くナビ画面を読みました。

「もうすぐ記念距離メモリーです」

……と書いてあるかどうか、じつは私もさだかではない。1秒ほどしかそのお知らせが出ないので、読み終えないうちに消えてしまうのですね。

 

またもシャラリーン!

車の走行距離には、7777㎞という数字が出ていました。

その後は、お知らせ音は鳴らなくなりました。

 

3年前、初めてこの音を聞いたときは、私もびっくりしたものです。

なになに?? 画面に何か文字が……、と思っているうちに消えてしまう。これでは、思わずブレーキを踏みたくなって、事故を起こしかねないのでは、と心配になりました。

助手席の夫が「設定で鳴らないようにできるはずだよ」と言ったのでしたが、ちょっと考えてそのままにしました。こういう遊びごころ、嫌いではない。

 

それから10日ほどたって、またしてもシャラリーン!

今度は、後ろの席で、長男が「な、なんだ?」とびっくり。

この日は8000㎞の記念距離達成でした。

 

ところで、このブログのアクセス数も、今月1日に80,000回を記録しました。残念ながら、ジャストの写真を撮りそこないましたが、皆さまが覗いてくださるおかげです。

いつも、ご覧いただき、どうもありがとうございます♡


 

ちなみに、前回の記念メモリーは、202176日の70,000回でした。






 


陽子さんをしのぶエッセイ:『深夜特急6』2023年10月03日


826日に、親しかった友人が急逝しました。

エッセイグループの月例会で、ちょうど「本」というテーマが出されたので、惜別の意を込めて、このショートエッセイをつづりました。


 

『深夜特急6』

          

陽子さんとは、40年前に木村治美先生のエッセイ教室に足を踏み入れた初日に出会った。同期のよしみである。さらに、私の夫と誕生日も同じ、しかもひと回り年上で干支も同じだとわかって、「ご縁があるのよ、私たち」と言って親しくしてくれた。

40年の間にはいろいろなことがあった。彼女は胃がんを患っても全快し、家族の健康に気遣いながら生きた。私は3人の子を授かり、障害児を抱える子育てを続ける。何があっても、私たちはエッセイグループの仲間として、たしかな絆でつながっていた。

 

最近では、木村教室を去ったもうひとりの仲間と3人で、ワイン片手に食事をしながら、おしゃべりに花を咲かせるようになった。

コロナ大流行の前年だったろうか。私がポルトガル旅行をした話をすると、2人が沢木耕太郎の『深夜特急』は読んだか、と聞いてきた。彼が若いころに、香港から陸路ロンドンまで旅をした紀行文だという。

「旅の最後にポルトガルを訪れているから、ぜひ読んでごらん」

陽子さんはそう言うと、エッセイグループの月例会の時に、自分の文庫本を持ってきて貸してくれた。

私はちょうどそのころ、村上春樹のギリシャ滞在記を読んでいた。明るい音楽のようにリズミカルな春樹に比べると、沢木の本はどうも暗くて楽しく読み進めることができない。陽子さんには正直に伝え、返す約束をした。

 

その後、コロナ禍になり、会えなくなってしまった。「いつでもいいわよ」と言われ、送ることもしなかった。ようやくこの4月、手帳の「月例会」と書いた横に「陽子さんに返本」とメモをした。すると、それを見ていたかのように彼女からメールが来て驚く。

「『深夜特急6』をお持ちください。1から買い揃えたから、全集でとっておきたいので」

当日、お詫びの品も添えて、本は返した。

 

返さなければよかった。

旅の終わりの本を返さなければ、陽子さんは今でもこの世の旅を続けていたような気がする。


 


安らかにお眠りください、陽子さん。


 


ダイアリーエッセイ:彼岸花に出会って2023年09月23日


 

脳卒中で倒れた77歳の義姉と、突然一人になった102歳の義母。二人の心配を抱えていることは、8月24日に書いたとおりです。

2か月たった今なお、夫の実家とリハビリ病院に車を走らせる日も多い。記録的な猛暑に負けないようにいつも以上に気をつけながら、ぎっくり腰の治療にも通いながら、仕事も休まないようにと、目の回る毎日です。

 

昨日は、稲城教室の日でした。残暑厳しい強烈な日差しを浴びながら、車で向かいました。軽い昼食をとろうと、稲城市内のスタバの駐車場に車を入れたとき、その奥の梨畑に目が留まり、思わず声が出ました。

「ああー、咲いてる!」

フェンス越しに、オレンジがかった赤色の彼岸花がたくさん咲いていたのです。

そうだ、彼岸花の季節だ。明日は秋分の日だもの。

あでやかな彼岸花に思いがけず出会ったことよりも、この花のことをすっかり忘れていた自分に、驚きました。

彼岸花は、毎年この日を忘れずに、ちゃんと開花する。今年は例年にない日照り続きで、お米も野菜も不作のニュースばかり見ていたのに……。彼岸花はすごい。強い日差しを受けて、輝いて見えました。

 

季節の移ろいさえも、うわの空だったこの夏、ひと群れの彼岸花が、秋の訪れに気づかせてくれた。もうすぐ涼しい季節が、間違いなくやってくる。

そんな当たり前のことがうれしくて、もう少しがんばれそうな気がしてきたのでした。




800字のエッセイ:「熱中症の記憶」2023年09月08日

 

もう60年近く前、小学校4年か5年の頃だったと思う。

体育の時間、強い日差しの校庭で、野球のバットの代わりに、ラケットを使うラケットボールをしていた。

ふと、「なんか、変」と感じた。目がよく見えない。見えてはいるのに、目玉がぐるぐるして視点が定まらないような感覚。周りの音も友達の声も聞こえているのだけれど、遠くの方から聞こえてくるみたい……。なんだかおかしい。

それでも並んで待ち、私の番になると、ボールを打って一塁の方に走った。記憶はそこで途切れる。

目が覚めた時は、保健室の白いベッドの上にいた。白衣の先生から、えんじ色の液体の入ったグラスを「はい、飲んで」と渡される。ごくりと飲むと、のどの辺りがかーっとした。

 

遠い遠い記憶だが、今でもしっかりと覚えている。

そして最近見たテレビ番組で、熱中症の症状として目が見えにくくなったり、聞こえが悪くなったりすることもある、という医師の話を聞いて、あれは熱中症だったのだと思った。当時は日射病という言い方をしていたけれど。

子どもはあまり自覚症状がなかったり、うまく訴えることができなかったりする。先日、熱中症で亡くなったお子さんのニュースには胸が痛んだ。

子どもの「なんか、変」を大人が素早くキャッチして助けてあげてほしいと思った。

 

それにしても、あのえんじ色の液体は何だったの? 

今、私が大好きなアレだったのかな……


           写真:vecstockFreepik

 



ダイアリーエッセイ:起震車で震度7を体験!2023年09月03日


毎年、9月の防災の日の前後に、私の住むマンションの管理組合では、防災訓練を実施しています。

これまでにも、煙の充満した中を歩くとか、担架でけが人を運ぶ方法、LEDや消火器の扱い方など、実際に体験してきました。

 

関東大震災から100年目の今回は、初の起震車です。

30年以内に南海トラフ地震が起きる可能性が70パーセント。私たちは命を守るために、備えなければなりません。

その揺れの強さを体験しておけば、実際に起きた時に、少しは冷静でいられたらという思いがありましたが……


 

大きなトラックの荷台のサイドが開くと、手すりの付いたスペースがあります。その中に4人ずつ上っていき、手すりにつかまります。

「危ないですから、しっかりつかまっていてください! 気分が悪くなったら、手を挙げてくださいね。すぐに止めますから」

ますます緊張します。胸がドキドキしてきます。

スピーカーから、緊急地震速報が流れます。

「チャラリン、チャラリン……、強い揺れが来ます!」

あの音を聞いただけで不安がこみあげてくる。そして、揺れだす。横にゆさゆさだけではなく、突き上げるような揺れも加わって、遊園地の絶叫型のゴンドラが上下左右に揺れるかのよう。少しずつ揺れが激しくなって、壁の震度計の数字が震度7を表示すると、すごい揺れ!

必死でしがみつかないと、とても立ってはいられません。

これが室内だったら、扉が開いて飛び出した食器や、壁に飾った額や、いろいろなものが頭上に飛んできそうです。わが家の食器棚の上のつっかえ棒はとっくに折れるか外れるかしてしまいそう。

腰かけていたら、椅子ごと転げたことでしょう。

でも、最初から40秒で終わることを知っていますから、気持ちはどこか楽だったはずなのに、それでも、かなりの恐怖を味わい、起震車から降りた後も、猛暑のせいもあって、頭がふらふらしました。

 

マンションの住民、希望者全員が終わったあとの解説では、

「東日本大震災では、この揺れが3分続きました。さらに、関東大震災では、10分も続いたのです」

 

とてもいい経験になりました。

今回はVRのようなアイテムは使いませんでしたが、それでも十分、地震の恐ろしさを体験できました。

危ないものは部屋に置かない。いざ揺れだしたら、どこでどのように身を守るか。できる限りの備えをしておこうと思いました。

 

皆さんも、機会があればぜひ、体験してみてはいかがでしょうか。


▲動画ではないのでわかりにくいのですが、揺れている最中。みな必死で手すりにしがみついています。(右端が私)


 


ダイアリーエッセイ:慶応高校、祝優勝!2023年08月24日

 


105回目の高校野球大会で、わが神奈川県の代表になったのは、慶応義塾高校。夫の母校です。

彼は、慶応高校から慶応義塾大学へと進みました。私も大学から慶応へ。同じ美術部の仲間たちと、六大学野球の早慶戦にもたびたび応援に行きました。

二人の結婚披露宴では、応援の時の赤と青のとんがり帽子をかぶせられ、応援歌の「若き血」を歌った思い出もあります。

今回の高校野球決勝戦は、特別な思いで、夫の家族みんなで応援していました。

 

夫の母は、現在102歳。一人息子が慶応に合格してからというもの、たいそうな慶応びいきとなり、慶応卒の人ならだれでも、セールスマンだろうと保険の外交員だろうと、「息子のお友達だからね」と言って、たくさん買ってあげたり、保険に入ってあげたりするほどでした。

今もとても元気で、頭も足腰もしっかりしています。77歳の義姉と、役割分担をきちんと決めて、都内で二人暮らし。義姉が買い物をして、母が料理をするという具合に。

 

ところが、今月初め、だれも予想していなかったことが起きました。

義姉が脳卒中で倒れてしまったのです。左半身に麻痺があり、現在もリハビリ病院に入院中で、退院後の生活は予断を許しません。

自分よりも先に娘が倒れた……。義母の心中を想像するだけで、私も胸がつぶれそうです。

 

これまで義姉のおかげで楽をさせてもらっていました。これからは、義姉のことはもちろん、義母の望むとおりの幸せな余生も、夫と私で支えてあげなくては、と思っています。

 

今回、慶応高校が107年ぶりの優勝を果たしたことで、とても明るい気持ちになれました。義姉はきっと大丈夫、回復する。希望を持ちました。

ちょうど、東日本大震災の直後、なでしこジャパンがワールドカップで優勝した時のように、私たち家族は大きな勇気をもらいました。

慶応高校の球児たち、本当におめでとう!

そして、ありがとう!






おススメの「山下清展」2023年08月03日


新潟県長岡市では、昨日と今日、長岡まつりの花火大会が開催されています。

昭和20年の長岡空襲で亡くなった方1,488名の鎮魂の花火です。

まだ実際に見たことはありませんが、一度訪れたいと思っています。

 

昨日、テレビのニュースの映像で思い出したのが、この絵はがきです。



 今年4月に、滋賀県の琵琶湖のほとりにある佐川美術館を訪ねました。

そこで、「生誕100年 山下清展―100年目の大回想」という壮大な展覧会を見て、感動して買い求めたのでした。この写真からは、これが貼り絵だとはわからないでしょうね。花火の線は、1本ずつこよりにしたものが貼られている。緻密な手作業に驚きました。山下画伯の人生と、その芸術品のかずかずに、圧倒される思いでした。

 

展覧会は巡回して、現在は東京都新宿区のSOMPO美術館で開催中です。

私も期間中に行くことができれば、ぜひもう一度見たい。

皆さんも、ぜひどうぞ。

 

もう1枚買ったのは、ペンで描いてから水彩画に仕上げた「パリのエッフェル塔」。

パリを訪れた画伯が、どれほど心を動かされたことか、と想像に難くありません。



私も、今年こそはまたフランスに行きたいと、切れていたパスポートを改めて申請したところでした。でも、悲しいかな、わけあって私のパリは遠のきました。

せめて、この元気が出る絵はがきを飾って、またチャンスがありますようにと祈っています。

 

▼佐川美術館は、まるで琵琶湖の水面にたたずむような趣がありました。










『木挽町のあだ討ち』やりました、直木賞!2023年07月19日


72日の投稿で、ご紹介した本が、直木賞を受賞しました!

『木挽町のあだ討ち』。著者は、永井 紗耶子さん。

  おめでとうございます!!

この小説は受賞できるかも……とひそかに期待していました。

 

そして、私の二つ目の目標、

〈直木賞を受賞する前にその作品を読了する〉

というのも、ついに達成しました。ダブルでうれしいです。

ますますおススメしたい本になりました。




 


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