旅のエッセイ:ルーツを訪ねて 前編2022年11月24日

 

   ルーツを訪ねて

 

「ひとみが生まれたのは、神戸のすずらん台という所。すごく田舎だったわ」

 私の生まれた土地について、母から聞いていたのはそれだけだった。父の転勤で神戸に住んだのだが、生後半年で東京に移ってきたので、記憶はまったくない。ほかにも聞いたかもしれないが、覚えているのはそれだけだ。

 昨年母が亡くなった。今になって、もっといろいろと聞いておけばよかった、話をすればよかったという思いが募ってくる。

 すずらん台に行ってみよう。大阪で開催されるコンサートを聴きに行くついでに、神戸まで足を伸ばしてみよう。そうだ、ルーツを探す旅だ。……ふと思い立ったのだった。

 神戸は新婚の頃に夫と訪れて以来40年ぶりで、右も左もわからない。とはいえ、今は交通系アプリや地図さえあれば、ひとり旅だろうと安心してどこへでも行けるのである。

 

 コンサートの翌朝、大阪のホテルを出て、JRで神戸へ。車窓からは、ビルの向こうに六甲山の緑が間近に迫って見える。東京界隈では見慣れない景色だ。

午前中に神戸三宮のホテルに到着。荷物を預け、市営地下鉄に乗る。途中の谷上駅で神鉄有馬線に乗り換え、いよいよ目指すは鈴蘭台駅だ。降り出しそうな曇天の下、電車は北へ向かう。

 高校生の時、大阪出身の同級生に、

「すずらん台って知ってる? 今でも田舎なの?」と尋ねたことがある。

「ベッドタウンとして開発されて、人気があるよ」と聞いて、なぜかうれしかった。

 しかし、電車はうっそうとした山の緑に飲み込まれるように走っていく。トンネルを出たり入ったり。ちょっと不安がよぎる。

 トンネルを抜けてたどり着いた鈴蘭台駅は、新しそうなビルの中だった。上の階は神戸市北区の区役所になっている。外へ出てビルを見上げると、ビルの壁面には緑の植物が植えてある。駅前のバスロータリーにも、手入れの行き届いた花壇がたくさん並んでいる。東京近郊のどこかの町にありそうな、エコでこぎれいな今どきの〈駅と区役所のコラボ〉といった感じだ。

区役所に入り、地域の歴史が知りたい、と尋ねてみたが、若い職員は首をかしげるばかり。でも、現在の北区の様子がよくわかった。この地域は、神戸の軽井沢とも言われているそうで、夏は涼しく、有名な有馬温泉もある。住宅地もあり、里山には農園があり、牧場や養蜂場があり、ビール工場まであり、土地の食材を使った古民家の食堂もあり……と、かつての「すごく田舎」は様変わりして、楽しめるエリアとなっているらしい。

「神戸市北区で休日さんぽ」というパンフレットをもらった。カラフルで写真もたくさん。地域の魅力があふれている。次回はこれを片手に、誰かと遊びに来たい、と思った。

 小雨が降り出した。傘をさして、駅の近くを歩く。平日とはいえ、人の往来は少ない。チェーン店のイタリアンレストランや調剤薬局など、わが町にあるのと同じで、親しみを感じてひとりで笑った。

「のぼり屋」という地元のお店らしい和菓子屋さんがあったので、入ってみた。季節の栗を使った最中やお饅頭が美味しそう。

店の一角にモノクロの写真が並べてある。古い歴史がありそうだ。平屋の店舗の写真には、「昭和28年創業当時」と説明が添えてあった。

なんと、私の生まれる前の年だ。だったら、甘党の母はきっとこの店に立ち寄ったのではないだろうか。私の筋金入りの甘党も、この店にルーツがあるにちがいない。想像が膨らんで、やっと旅の目的が少しだけ果たせたような気分になった。

私のほかにお客さんもいなかったので、50代ぐらいの女性の店員さんに声をかけた。じつは……と、私が鈴蘭台にやって来たわけを聞いてもらった。

「私が生まれて最初に食べたあんこは、のぼり屋さんのお饅頭かもしれませんね」

「あら、きっとそうですよ」

 ふたりで笑った。旅先で見知らぬ人とおしゃべり。ひとり旅はこれが楽しい。母はよく、そんな私を、「すぐお友達になっちゃうのね」とあきれたものだった。

店員さんの話では、創業当時の店は町内の別の場所にあったそうで、この店舗は平成6年の大震災の後に、ここに新しく建てられたのだという。

 鈴蘭台にちなんで鈴音(すずね)最中という名の、可愛らしい鈴の形の和菓子をおみやげに買って、店をあとにした。

 

 午後からはオシャレな神戸、旧居留地の辺りを散策して、夕方から港の花火見物へ。

コロナ禍で3年ぶりに開催されるのは、5日間にわたって毎晩10分間だけという規模の小さな打上げ花火だ。それでも、生まれ故郷の神戸で、たったひとりで傘をさしながら見上げる花火が、とても美しくて切なくて、涙が出そうだった。

 

          (後編に続く)

 

☆ 旅のフォト ☆

 

▼大阪で開催されるコンサートというのは、藤井風くんのスタジアムライブ。ガンバ大阪の本拠地、吹田パナソニックスタジアムで、初めての開催だそうです。半端なく♪♡でした。


▼神鉄有馬線は、森の深い緑に飲み込まれるかのように走ります。


ビルの中の鈴蘭台駅は想定外。


改札を出て最初に目に飛び込んできたのは、わが家から徒歩1分にもあるレストランの看板。あら、ここにもできたのね、と思わず苦笑い。


駅の外観。ビルの壁面に植物。


▼のぼり屋。


▼鈴音最中。


▼神戸開港の歴史を物語る地域は、レトロモダンなオシャレな街。旧居留地38番館。


パティスリー トゥーストゥースで、ひとりランチ。スパークリングワインのミニボトルも注文して、デザートにはコーヒーとエクレアも。


ライトアップされた大丸神戸店。


小雨に煙る夜のメリケンパークで打ち上げられた花火。動画で撮ったのに、このブログではアップできなくて残念です。


 

 


旅のフォトアルバム:京都の旅のハイライト2022年10月26日

 

前回の投稿記事が924日。もう1ヵ月以上もご無沙汰でした。

どうかしたのかなと覗いて心配してくださった皆さま、どうもありがとうございます。〈旅の秋〉を忙しく満喫中です。

 

前回の投稿を書いた翌週、京都に行きました。

テーマは「秋の味覚を楽しむ」。

と言いながら、洋菓子のモンブラン。

抹茶のお菓子で有名な、マールブランシュの本店で、この季節ならではの栗を使ったプレミアムなモンブランをいただきました。


 

まず、3種類のブランデーから一つチョイスします。味に詳しくはないので、いちばん高そうなVSOPにしました。


それを目の前で刻んだ栗に混ぜ、さらにマロンクリームを絞ってくれるのです。(動画でお見せできないのが残念!)



お味のほどは、言わずもがな。ほっぺたを落としてきました。

 

 

夜には、この季節最後の川床料理を堪能しました。

この日は、昼間は暑いほどだったけれど、京都でも奥深い貴船神社の辺りは涼しく、さらに川の流れるその上に床を設けているのですから、天然のクーラーです。




料理には氷の器が使われていたり、盆の上に塩を粉にして流れる水の絵を描き、焼いた鮎を泳がせたりと、涼を呼ぶ演出も見事です。

クーラーのない時代から昔の人たちは、こんなふうに涼しさを味わう工夫をしていたのだ、と実感しました。

終盤になると、熱燗も冷え、ひざ掛けをお借りしたほどでしたが、こちらのお味も舌鼓を打ちました。

 


さて、今月の旅は二回。

すでに大阪・神戸の旅は終わり、もう一つ、瀬戸内海の直島へ。

明日から、行ってきま~す!





おススメの本『赤と青とエスキース』2022年09月24日

1月の末に図書館で予約した本が、9月になってようやく順番が回ってきました。人気があるようです。もう、なぜ予約したのかも忘れましたが、とにかく何かの情報で、おもしろそうな小説だと思ったのでしょう。

青山美智子さんという著者の名前も知りませんでした。



物語は、プロローグに始まって、4つの章があり、エピローグで終わる構成。

各章には、赤色と青色をイメージするようなタイトルが付けられています。読み始めるうちに、各章は別べつの話のようで、じつは何かで繋がっているのだ、と気づきます。

エスキースとは、本番の絵を描く前の、いわば下絵のようなものだということもわかってきます。

 

少しずつ、私がこの本を読みたいと思った理由を思い出しました。絵にまつわる物語だったからです。

私は子どものころには漫画家になりたいと思ったくらい、絵を描くことが好きでした。高校の授業で油絵を始め、大学では4年間美術部に所属して、描き続けました。美術史の勉強はしましたが、絵画制作を専門的に学んだことはなく、趣味として楽しむだけで満足でした。

今では絵は描かず、絵は見て楽しむもの。アートにかかわる映画や物語も大好きなのです。

 

この小説の中では、絵を学んでいる若い人たちが恋をしたり、画家を目指す若者が新しい絵に挑戦したり、若手漫画家の才能が認められたり……と、次々と展開する各章それぞれの物語に、涙が出そうになります。懐かしい気持ちにもなります。

そして、30年以上におよぶ歳月が流れていくのですが……。

最後にエピローグを読み終えると、まるで赤と青のリボンの両端が結ばれて、愛しい物語をひとつ、プレゼントされたような気持ちになりました。プレゼントは、たくさんの想いを運んできてくれました。

 

私も若い時にきちんと絵の勉強をしていたら、どうなっただろう。凡人並みの才能が花開くほどの奇跡は起こらなかっただろうけれど……と、歩むことはなかった別の人生に、空想が膨らみます。

大学卒業後、大手の画廊の採用試験にもパスしたのに、そちらには進まなかった。画廊という職業には今でも憧れがあります。

せめて、クローゼットの奥に眠っている若かりし頃の絵を、素敵な額縁に収めて飾ってみようか……とも思ったりします。

 

もっと現実的に、図書館に返却した本を、今度は本屋さんに買いに行こう。もう一度読み返したい。そして、いつでもそばに置いておきたい。

それほど、この本が好きになりました。


さらに、ネタバレを避けるために詳しくは言えませんが、私の個人的な興味を離れても、小説としてのストーリー展開がよくできていると思います。


そして、もうひとつ。

この本のほとんどのページを、私はクリニックの待合室で読みました。

おかげで、精密検査の結果には喜べなかったけれど、さほど落ち込まずに済んで、救われました。タイムリーに私を支えてくれたのです。

 

絵の好きな方、小説が好きな方、そして明るい希望が必要な方に、おススメの一冊です。

 


女王陛下の葬儀2022年09月20日


昨晩は、エリザベス女王の葬儀を見続けました。


 



もう40年以上前ですが、半年ほどロンドンで英語学校に通っていたことがあります。

学校のお仲間とウェールズ地方を旅行した時に、女王陛下をお見かけしました。帽子もコートもピンクの装いでした。

誰かが「ピンクパンサーみたい!」と言うので、私たちは笑いました。当時人気のあったアニメのキャラクター。それほど親しみを持っていたのでしょう。

その時、写真を撮ったはずだけれど、今は押し入れの奥にしまい込まれており、もっか肩痛持ちの私、探すのは諦めました。




手元にある女王陛下は、この50ポンド紙幣。

これは2008年、娘とロンドンに行く時に両替したもので、当時1ポンドが200円でしたから、約1万円なり。というわけで、日本の壱万円札と並べてみました。

今後、紙幣の女王も、切手の女王も、少しずつチャールズ国王に交代していくとのこと。ちょっと残念です。このお札は、次のイギリス旅行で使おうと思っていたのですが、大事にしまっておくことにします。

 

遠い国の私でさえ、遠い昔の思い出を忘れずにいるのですから、ましてイギリス国民にとって、女王陛下は身近で特別な存在であり、悲しみは深いことでしょう。

最後のお別れをするために、ウェストミンスター宮殿まで何時間もかけて行列に並んだという国民の気持ちが、よくわかります。これこそが本当の国葬だと思いました。

女王は、天国のフィリップ殿下のおそばにいらしたのです。悲しいけれど、安らかな気持ちでお見送りするしかありませんね。


イギリスという大国を70年の長きにわたって統治してきた偉大な君主であり、国民に慕われたチャーミングでやさしい母のようなエリザベス女王に、改めて敬意を抱きます。

どうぞ安らかにお眠りください。








『瓢箪から人生』を読んで2022年09月10日



皆さまもご存じの俳人夏井いつきさんのエッセイ集です。

彼女の存在を知ったのは、ご多分に漏れず、人気番組の「プレバト」。歯切れ良い俳句の添削と、愛情こもった褒め方、𠮟り方、気取らないオバちゃん然としたところも好感が持てます。

 

先月の新聞で、この本の紹介記事を読みました。そこには「俳句の種まき運動」を推し進めている、とあります。

夏井さんの生まれは愛媛県南宇和郡。現在も松山市在住です。松山といえば、あの正岡子規や高浜虚子を輩出した俳句の聖地。あたかも高齢者の趣味のように言われる俳句が、このままでは絶滅してしまう。危機感を持った夏井さんは中学校の国語教員だったので、まず子どもたちに俳句を広めようと思ったそうです。

 

「俳句の種まき」と聞いて、頭に浮かんだのは「エッセイの輪を広げる」という言葉でした。私は20代の頃から、カルチャースクールの木村治美教室でエッセイの書き方を学んできました。木村先生は当時、「エッセイスト」を名乗る草分けでした。教室には、先生に憧れてさまざまな年代の主婦が集まってきます。先生はそんな弟子たちを束ねて、主婦にも社会活動を促したのです。それが「エッセイを書く輪を広げる」活動でした。

バブル景気に沸く世の中で、グループのメンバーはエッセイ講師として各地で教室を持ち、少しずつエッセイを書く仲間を増やしていったのでした。

主婦だって、やればできる。そんな自信を持たせてくれました。

 

俳句とエッセイ、文芸の種類は違っても、目指すところは同じではなかろうか。

この本を買い求めたのは、そんな興味が湧いたからでした。

 

さて夏井さん。最初に相手にしたのは子どもたち。

男子校で、俳句を作らせて互いに良い句を選ばせると、1位になって拍手喝采を浴びる句は、

 

いもくえばパンツちぎれるへのちから

 

だというのですから、夏井先生のご苦労がしのばれます。しかし先生は怯まない。彼らの笑いを味方につけて、上手に俳句の楽しさを教え込んでいきます。

 

やがて先生は俳句集団を作り、句会ライブを思いつきます。会場に来たお客さんに、簡単な型をひとつだけ教え、俳句を作ってもらう。休憩時間に先生が選句し、決勝に残った7句から参加者全員の拍手で1位を決めるというやり方をとったのです。

無記名の俳句から、作者が明かされると、会場に笑いがこぼれたり、あらためて拍手が湧いたり、先生の人柄が醸し出す、なごやかな交流の場が目に浮かぶようです。

 

夏井先生はラジオやテレビにも顔を出し、「プレバト」はまさに種まきの効率を上げる格好の道具になりました。

さらに、リモートの句会やYouTubeまで利用し、時代の波に乗り遅れることなく、コロナ禍にもへこたれることはありませんでした。

そこには、おおぜいの人々との出会いと繋がりがありました。先生は、自分ひとりの力ではないのですよ、と強調します。

 

 

ところでもうひとつ、私が本を手にした理由があります。あれほど一語一語に神経をとがらせる俳人のエッセイには、さぞや煌めく言葉や表現が散りばめられているのでは、と期待したのです。

 

著書は、女性週刊誌に連載された文章を基にしていることもあって、口語に近い文体で、読みやすくてわかりやすい。期待したほどの文学的情緒的表現こそなかったけれど、読み始めるとすぐに引き込まれました。

教師として、俳人として、俳句の種まきに明け暮れる様子や、シングルマザーから再婚して家族会社を立ち上げるというエネルギッシュな生きざまは、文体がどうのこうのというレベルではなく圧倒的なおもしろさ。先生すごい! の一言です。

 

終盤には、生い立ちや家族のことも出てきました。温暖な土地とほのぼのとした愛情あふれる家族が、夏井先生を育てたことが伝わってきます。

父親が胃がんで亡くなって18年後、鰊(にしん)蕎麦をきっかけにして、嗚咽が噴き出したというくだりがあります。父の死を受け入れた瞬間を、てらいのない平易な言葉遣いでつづっているのに、読み返すたびにこちらまで泣けてくる。

まさしく名文でした。

 

俳句とエッセイと、違いは多々あるでしょう。とはいえ、どちらにも大切なのは、文体や言葉遣いなのではなく、作り手の魂が、日本語で伝えたい、言葉にしたいと思うことなのだと、改めて気づかされました。

 

 


GO, GO, GO!の旅(3)フォトエッセイ:しまなみ海道をゆく2022年09月06日





いつか、しまなみ海道をドライブしてみたい。私の小さな夢でした。

これまで長距離ドライブといえば、子どもの小さい頃に、よく夏の信州方面に出かけました。

10年前に北海道をレンタカーで走ったことは、ブログにも書きました。(☆この旅の記事については、最後にご案内しています)

2014年には「東北ドライブ1000キロの旅」も決行。

次はぜひ、海の上を……と思っていたのです。

 

ちなみに「しまなみ海道」というのは、広島県尾道市から、愛媛県今治市を結ぶ全長約60キロの自動車専用道路。途中、向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島の6つの島々を通り抜けています。(▼地図は、るるぶのガイドブックを写させていただきました)

 

私のしまなみ海道ドライブは、四国側から始まります。

高知から北上して海岸沿いに出れば、しまなみ海道から中国地方に渡れる、と簡単に考えていました。間違いではないけれど、初めての土地で、けっして近い距離ではありません。

 

そこで、事前に計画を立てました。

グーグルマップで、だいたいの道順と距離を確かめ、時間を計って、食事や休憩などの行動予定を決めていきます。

高知から目的地の広島まで、ざっと300キロ。長距離ドライブを体験してきたとはいえ、残念ながら加齢による衰えや、視力の低下も気になります。ハンドルを握るのは、すべて私。事故でも起きない限り、夫はナビ係。いつものことです。

しかも、レンタカーは乗り慣れた愛車ではなく、HondaFitという小型車。ナビにも意外とくせがあるので、いつものような快適運転は望めないかもしれない。……見た目と違って気の小さい神経質な私です。

 

というわけで、あちこち見て回ろうなどと欲張らずに、ゆとりを持ってドライブスケジュールを立てたいとは思うのです。しかし、広島には、できれば夕方までに到着して、平和記念資料館に閉館前に入りたい。翌日は世界遺産の宮島まで足を伸ばしたい。厳島神社を見て、昼食にはカキとあなご飯を食べるお店まで決めていました。(やっぱりあちこち欲張っていましたね)

「干潮の時には歩いて鳥居まで行けるよ」との友人の勧めで、干潮時刻をネットで調べてみました。すると、あろうことか、鳥居は現在修繕中で白いシートに覆われていることが発覚! 出発の2日前でした。やむなく宮島行きは断念。

ということは、幸か不幸か、神社の神様のご配慮か、しまなみ海道を渡って広島にたどり着くのは、急がなくてもよくなり、とても気が楽になりました。

宮島へは、次の機会にぜひ!

 

そんなわけで、旅の2日目。いつもの時間までぐっすりと眠り、朝食をたっぷりと食べ、ホテルを出ました。

高知城を横目に、高速入口へと走ります。地元のドライバーなら慣れた道でも、余所者にはどうもわかりにくい。歴史のある街というのは、そんなものかもしれません。道を間違えて遠回りしました。

ちょっと予定時刻をオーバーしましたが、いざ四国横断自動車道に入ると、前後に車がほとんど見えないほど。すいすいと走ります。

四国横断道の名のとおり、高知から北上し、瀬戸内海を目指します。海沿いの四国中央市で松山自動車道に入り、こんどはほぼ真西に向かいます。そして、小松からふたたび北上して今治へ。地図上では三角形の二辺を通る進み方ですが、整備された自動車道を行くほうが結果的には早いわけで。

ここまで約150キロ。3時間で来ました。


これも友人のおススメの、来島(くるしま)海峡サービスエリアで一休み。最初に渡る来島海峡大橋が目の前に見えるのです。

うっすらと靄がかかっていますが、これから渡っていく来島海峡大橋が見えます。



▲レモン味のソフトクリーム。私はソフトクリームに目がないので、旅先では必ずと言っていいほど食べます。真冬の雪降る中でも食べます。今回も、ご当地フレーバーでエネルギーチャージは完ぺき。




最初の橋、来島海峡大橋を走ります。前にも後ろにも車がいないなんて、平日とはいえ、関東近辺の観光地では見られない景色。写真の画像が今一つさえないのは、天気が悪いのではなく、車窓越しに夫がさえないデジカメで撮ったからなのです。運転しながら写真撮影ができたらいいのに……。


予定では、最初に渡る大島で、亀老山展望公園に立ち寄って橋を見下ろす壮大な絶景を眺めるつもりでしたが、ドライブがあまりに快適なので、そこには寄らず、次の目的地を目指すことにしました。

4つ目の島、生口島(いくちじま)です。


▼大三島(おおみしま)から生口島へと向かう多々羅大橋。


生口島に上陸、耕三寺(こうさんじ)というお寺の広い駐車場に車を止めます。

今回の相棒、HondaのFit。よく走ってくれて、かわいい。▼


▲境内には蓮の植わった鉢が、ずらっと並んでいます。昼下がりには咲いていません。

 

ここもまた、友人の勧めで、耕三寺がおもしろいというので、行ってみたのです。

この寺は、昭和の半ばごろに、耕三寺耕三という名の大阪の実業家が、浄土真宗のお寺を建立したのが始まりだそうです。かなりのお金持ちでいらしたようで、東西の美術品や文化財などをたくさん集め、それらを博物館として公開することにしたとか。




金ぴかなお堂や、地下に掘られた長い洞窟には、興味がわきませんでしたが、白亜の大理石でできた「未来心の丘」は、国内ではなかなかに珍しいスポット。小径も階段もベンチも、そびえたつモニュメントも、すべてが真っ白な大理石で出来ているのです。

日本人の彫刻家が手掛けたというその広さは5000平方メートル。小高い丘をすっぽり覆うほどの大理石は、イタリアで採掘され、コンテナ船で運ばれたそうです。どれほどの費用が掛かったことか、お寺の財力はいかばかりか……と、観光客の私は俗な思いに駆られてしまいますが、瀬戸内海の青さ、空の青さ、そして白い石のコントラストは、たしかに印象的でした。




▲八百屋さんの店先のポストはレモン色!


これから渡っていく生口橋が見えてきました▼

▲青いのはフロントグラスの色。


 

生口島を離れ、尾道でようやく本州に到着。途中、休憩を取りながら、ひたすら広島まで西方向にどんどん走っていきます。

広島のビル群が見えてきた時には、ようやくホッとできました。

午後4時ごろ、無事300キロを完走!

うん、まだまだいけそう。



 

 

2012年、始めたばかりのブログに、8月の北海道の旅を、7回シリーズで載せています。写真も選りすぐりで、旅のアルバムを一緒に楽しんでいただけたらうれしいです。

カテゴリ一覧の「北海道の旅」をクリックしても選択できるのですが、ブログの設定上、新しい順、つまり7回目が最初に出てきてしまいます。

1回目からお読みいただけるよう、以下に一つずつリンクを貼りましたので、ぜひご覧ください。

20120902日 旅のエッセイ: 突然ですが、北海道へ。

20120904日 旅のエッセイ: 「トマム?」から「トマム!!」へ (1 

20120905日 旅のエッセイ: 「トマム?」から「トマム!!」へ(2

20120908日 旅のエッセイ:ドライブin富良野(1 

20120916日 旅のフォトエッセイ:ドライブin富良野(2

20120923日 旅のフォトエッセイ:ドライブin富良野(3

20121007日 旅のフォトエッセイ:旭山動物園

 


母を想う日々 5:母の命日に2022年08月21日

 

今朝、日曜のミサにあずかりました。

1年前の今日、821日に母が亡くなって、ちょうど1年になります。

昨年、告別式をお願いした神父様に、命日にはミサの中でお祈りをしてくださるよう、事前に依頼しておきました。

昨年の8月はコロナ第5波の真っただ中で、身内15名だけの告別式でした。今年もまた、第7波のさなか、集まることは避けなければなりませんでした。

とはいえ、ミサの時刻にはみんな心を合わせて遠くで祈っているはず。その思いを胸に、母のために祈りました。

 

帰宅して、広げたのは昨日の新聞の夕刊でした。ある見出しとその写真に、くぎ付けになりました。



1945518日、特攻隊員たちが、みずからの命を差し出して敵を攻撃する30分前に撮られた写真です。なんと明るいいい笑顔なのでしょうか。死に向かう直前にも、こんなにも屈託のない表情を見せるなんて……。涙が出ました。

未来への果てしない可能性とエネルギーを持った息子と同じぐらいの若者たち。彼らの笑顔を犠牲にしてまで戦い続けた戦争の残酷さを、愚かさを、むしろ笑顔だからこそ強烈に訴えかけてくるようでした。

涙が止まらなくなりました。

 

こうやって、私はこの一年、母を失った悲しみを何か別のことにすりかえて、涙してきたように思うのです。テレビドラマの死のシーンだったり、小説の文章だったり……。まだ本当に母の死と向き合えていないのかもしれません。

 

8月は、2つの原爆の日があり、終戦記念日があり、戦争と平和を考える日々でもあります。

私には、今年からもう一つ、母の命日が加わりました。

命と死の意味に、向き合ってみたいと思います。




長崎の原爆の日に2022年08月09日

 

201811月に五島列島を旅した帰り、立ち寄った長崎平和公園。

  



77年前の夏、86日に広島に原爆が投下され、さらに9日には長崎にも投下されました。

毎年、夏休みやお祭りなど、浮かれることの多い8月は、その一方で、戦争と平和について考える大切な時期でもあります。

特に今年は、ロシアがウクライナを攻撃するという現実の戦争が起きてしまいました。核を手放したウクライナを、核によって威嚇するという卑劣な手段で、ロシアは侵攻を続けています。

日本も、他人ごとではありません。「核兵器の使用がもはや杞憂ではなく、今ここにある危機だ」と、長崎市の田上市長も、今日の式典で述べていました。

日本は、世界唯一の被爆国として、その立場をはっきりさせ、核廃絶のための努力を続ける責任があります。まずは核兵器禁止条約に批准してから、核保有国に核軍縮を働きかけていかなければ。



原爆死没者慰霊碑。花もたくさん供えてありました。

長いこと、広島を訪ねたかった。初めて原爆投下された地に立ってみたかったのです。ようやく、この5月、悲願がかないました。

77年前のその日と同じように快晴で、広島の平和公園は、きれいに手入れをされた薔薇や緑が美しく、かつての惨状を想像することはできませんでした。

原爆ドームだけが時間の止まった芝居のセットのように、そこに佇んでいました。

 

日本のカトリック教会は、広島原爆の日の86日から長崎の9日を経て、終戦記念日の15日までの10日間を「平和旬間」としています。これらの出来事を深く記憶に留め、平和について考え、平和を祈り、平和のために行動することを求めています。




 


GO, GO, GO!の旅 (2)エッセイ:はりまや橋へ2022年07月27日

 


    はりまや橋へ

 

夫が「高知の牧野植物園に行きたい」と言った。

「えー、植物園? じゃあ私はその間に桂浜に言って、竜馬ぁ~~! って叫んでるわ」

 

というわけで、空港近くでレンタカーを借りて、最初に訪ねたのが桂浜。観光写真でおなじみの竜馬像が立ち、そのすぐ横には、櫓を組んで展望台が設けてあった。

年に2回の期間限定で、「竜馬と同じ目線で太平洋が眺められます」ということらしい。

100円を払って櫓に上ってみた。高さ13.5メートルの竜馬と同じ目線になっても、太平洋はほんの少し見えるだけ。松が大きくなりすぎているのだ。

あの松の木をなんとかしないと、桂浜は観光地として生きていかれないのでは、と心配になる。

 

私には、もう一つ訪ねたい場所があった。

はりまや橋である。

 

   ☆☆☆

 

さかのぼること40年以上前、大学卒業後もクラブのおおぜいの仲間たちと親しくしていた。その中には現在の夫も含まれており、結婚後も、さらには子持ちになってからも家族ぐるみでよく遊んだものだ。

 

飲み会の後には、当時流行り始めたカラオケにも行った。

そんなとき、なぜかまったく理由がわからないのだが、私が歌わされる定番の曲があった。

 

  南国土佐を後にして 都へ来てから 幾歳(いくとせ)

  思い出します 故郷の友が……

 

曲のタイトルは「南国土佐を後にして」。私たちが子どものころ、ペギー葉山が歌って大ヒットした。

カラオケで最初に振られた時から、私でもすらすらと歌えてしまったほどだ。

それにしても、なぜ私にこの歌を?

仕掛けたのはたぶんN君だ。湘南ボーイの一人で、工学部とは思えない軽いノリの男子。いつもくだらない駄洒落を考えては、自分でバカ笑いしていた。

ウィンドサーフィンを楽しみ、スポーツタイプの車を乗り回し、夏は海、冬はスキーにと、よくみんなで遠出を楽しんだ。

彼は、お酒にはあまり強くないので、飲み会に車でやって来て、家まで送ってくれることもあった。とは言え、あくまでも、一つ年下の友人の一人だった。

N君はカラオケでこの歌を選曲しては、私を指名する。お決まりの流れに、私もマイクを握って、情緒たっぷりに熱唱しては、喝さいを浴びたものだ。

 

やがて、仲間は次々と所帯を持つ。N君もピアノ講師のかわいい奥さんをもらった。やがてかわいい女の子の父親になる。

湘南の海が見える閑静な住宅街に、広い庭のあるオシャレな家を建てた。玄関の壁には海岸で拾った貝殻が埋め込まれ、娘のグランドピアノを置くための防音室もしつらえてある。誰もがうらやむほどの暮らしぶりだった。

 

しかし、人生は何が起きるかわからない。

50代で、彼はくも膜下出血で倒れた。一命こそとりとめたものの、家族とは暮らせない状態になり、ホームに入所した。

詳しい話を聞くのもつらく、いつのまにか奥さんとも疎遠になったままである。

 

   ☆☆☆

 

高知へ行くなら、はりまや橋へ行かなくては。

牧野植物園でひとり感激して歩き回る夫を残し、私は一足先にホテルへ。車を置いて、高知の街へ向かった。

 

橋は、広い道路の交差点の一角にあった。

朱塗りの欄干の太鼓橋と、その横には大きなかんざし店。

橋は、江戸時代に造られて以来、何回か架けかえられ、昭和33年に初期の朱塗りの橋が復元されたとか。今では歌の知名度も落ちただろうに、「はりまや橋公園」として整備され、昭和を偲ぶレトロな観光スポットになっている。

 

  土佐の高知の はりまや橋で

  坊さんかんざし 買うをみた

 

木造りの橋をゆっくりと踏みしめながら、マスクの中で歌った。

N君、この歌まだ覚えてる? ついにここまで来ちゃったわ。

何か、おもしろいこと言ってよ。

 



 ☆ 旅のフォト ☆


▼ご存じ竜馬像。


▼展望台の櫓が並んで……


▼竜馬さまとツーショット♡♡


▼櫓の上からようやく見えた太平洋。

 

▼日本最古で日本最長23.5キロの路面電車が通る高知市の目抜き通り。


▼感慨もひとしお。本物のはりまや橋。

 


▼橋の向こうのビルの壁面に見える掛け時計。じつはからくり時計だったと、帰ってから知りました。1時間おきに、時計の上下左右から、はりまや橋や高知城など、高知の名物が現れるそうです。あと10分待っていればよかったのに。


▼高知城。


▼高知城に沈みゆく夕日。


▼先を急いだのは、ここへ来るため。夫と二人で下調べをして厳選した、高知名物藁焼きカツオのたたきのお店。その名も「たたき亭」。


▼この店のこだわりは、注文が入ってから捌いたカツオを、無農薬の藁で焼くのだそうです。


▼塩味でいただくたたき。今まで食べたことのない美味しさ! 高知まで来てよかったと思う瞬間でした。


▼酔鯨。日本人でよかったと思う瞬間。近くの「ひろめ市場」でおみやげに買って帰りました。


 


 


『同志少女よ、敵を撃て』を読んで2022年07月14日


(▲はじめは図書館で借りたが、とても期限内には読み終わらないと判断して、途中で電子書籍に切り替えた)

 

ロシアのウクライナ侵攻が長期化するなかで、逢坂冬馬著『同志少女よ、敵を撃て』(2021年)を読んだ。戦争物などほとんど読んだことはなかったが、主人公がソ連の少女狙撃小隊だというので、興味がわいた。

小説では、第二次大戦中のナチドイツの攻撃を受けて、ソ連が防衛戦を繰り広げる。そこに加わった少女たちが主人公である。

 

大学に進学する予定だったセラフィマは、目の前で自分の母親が銃殺され、村が焼き払われる。

「おまえは戦いたいか、それとも死にたいか」

彼女は、おそろしく美しい女性兵士から、究極の選択を迫られて、銃を取った。

その長身の女性兵士イリーナの部下となり、セラフィマの運命が変わっていく様子が、冷めた文体なのにドラマティックにつづられていく。当時の戦争についての解説も、史実に沿って淡々と語られ、毛嫌いするほど難解ではない。ぐいぐいと引き込まれる。

とはいえ、「斥候」など聞きなれない言葉が出てきて、その部分をなぞるだけで語義がわかり、電子本のありがたさを実感する。

 

しかし、今、毎日報道される現実の戦争は、ソ連崩壊後のロシアが攻める立場であり、国を守ろうとするのはウクライナだ。その違い。パラドックスに出くわしたような、小説と現実を錯覚するかのような臨場感が重すぎる。現実の映像が脳裏に浮かんで、長時間読み続けることができない。毎日少しずつ読み進む。

 

それにしても、この著者は36歳の若い男性。処女作で本屋大賞を受賞したのだという。戦争に巻き込まれた体験もないのに、銃を持って前線で戦ったこともないのに、どうしてこれほど戦いの場面を克明に描けるのか。しかも男性だというのに、どうしてここまで少女の心理を捉えているのか。膨大な量の資料を読んだとはいえ、それが作家の仕事とはいえ、すごい小説家だと思った。

 

銃は、猟師が生きるために獣をしとめる道具。人を殺める道具であってはならない。戦死した少女兵士や、セラフィマやイリーナたちのその後は、不条理な戦争の無意味さを静かに突き付けてくる。作者の反戦の思いが汲みとれた。

また、戦争では女性という性そのものが蹂躙され、犠牲となることが多い。作者はそのことにも疑問を抱いていたという。

「自分が書かなければ、誰書く。いや、自分が書かなければ、誰書く?」

そうやって自分を奮い立たせて執筆に向かったとか。その観点からも、女性の共感を呼ぶのだろう。私がこの本に興味を持ったように。

彼の才能に、今後もおおいに期待したい。

 

 

この本のことを書きたいと思っていた矢先、元首相が銃で撃たれ、亡くなった。しかも、凶器は容疑者自ら作製したという。この規制の厳しい平和な日本で。

犯人が銃を向けた映像や、傷の状態の説明記事に、またも小説を読んだ時の戦慄がよみがえった。

戦争で犠牲になる兵士も、凶弾に倒れた元首相も、命の重さは変わらない。

かつては、銃が自らの命を守るための道具だったアメリカでも、今は銃の乱射事件が後を絶たず、大きな社会問題となっている。

銃のない社会、人が人を殺めることのない世界は、もはやどこにもないのだろうか。



 

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