ロングエッセイ:「アー友とアートを見にいく」 ― 2024年04月09日
所属するエッセイグループでは、毎年1回、会誌を発行しています。各メンバー1編のエッセイを掲載します。1編の長さは冊子の2ページから4ページまで。字数にして1600字から3400字までとなっています。3400字で書くチャンスはめったにないので、今回もその長さに挑戦しました。
長いですが2編分だと思って、最後までお読みいただければ幸いです。
** アー友とアートを見にいく **
大学時代、西洋美術史を専攻した。キリスト教文化に始まって、ルネッサンスを経て、印象派やピカソに至るまで、西洋の芸術を追い求めた。歴史、哲学、美学など、新しいことを学ぶ興味は尽きなかった。
当時、同じ学科に属し、同じ美術部で油絵を描いていたC子は、私のアー友第1号だ。アート好きの友達を、私はこう呼んでいる。当時から2人で絵画展に足を運んだものだ。卒業後、人並みに結婚し、転勤や子育てに追われる時期を過ぎると、一緒にヨーロッパに出かけて、教室のスクリーンで見た絵画や建築の本物を、感激しながら見たこともあった。それぞれ埼玉県の大宮と神奈川県の川崎に住み、北と南から都心に出かけていっては芸術鑑賞をし、その後の食事でおしゃべりに花を咲かせるというのが最近のパターンだ。ある日のこと、
「クリムトやモネもいいけど、ここまでくると、その先を見たくなるよね」
「だから今、現代アートがおもしろいのよねー」と、2人の意見が一致した。
昨年の秋、3年に1度の国際芸術祭を開催中の直島(なおしま)へ出かけた。誘ってくれたのは2人のアー友。同じマンションに住む子育て仲間だったのが、今では趣味や旅行を一緒に楽しむ気のおけない友人たちだ。
直島は、穏やかな瀬戸内海に浮かぶ小さな島。およそ30年前、ベネッセの初代社長が、ここで壮大なプロジェクトを立ち上げた。その名も「ベネッセアートサイト直島」。自然豊かな島と、そこで暮らす人々と、人間の作り出すアートとがコラボして共生する特別な場所を生み出そうというのだ。長い年月をかけていくつものホテルや美術館ができ、周辺の島にもプロジェクトは広がっていった。
四国の高松港から船に乗る。船が接岸する前から、港に黒い水玉模様の大きな赤いカボチャが見えた。おなじみ草間彌生さんの作品だ。島のシンボル的存在で、来訪者を迎えてくれる。
着いたその日、夕刻にオープンするカフェのテラス席で、スパークリングワインのグラスを傾けながら、金色の太陽が海の向こうに沈んでいくのを見つめていた。それもまた一幅の絵のようだった。
宿泊するベネッセハウスは、ホテルと美術館とが一体化したような造りだ。コンクリートむき出しの壁や廊下やホールのあちこちに、現代アートが姿を見せる。夕食後にはそれらを巡る解説ツアーに参加した。
現代アートは、芸術の概念を打ち破るところから始まるのだから、四角い額縁などに収まってはいない。断崖で海風にさらされ続けた写真パネル。アリたちが巣作りをして模様を増やしていく砂絵。がれきを鉛の板でくるんだ巻き物の積み重ね。しゃべり続ける3人のロボット……。言葉では描写しきれない意味不明の作品たちだ。
解説者はわかりやすく謎解きをしてくれる。作品群の大きなテーマは、時の表現だという。たしかに、経年劣化した画材や、海辺の古木にも時が宿る。季節の移ろい、年月の流れのなかで形を変えていくのだ。
「なるほど……。よくわかるね」と、私たちは解説を聞いて、芸術鑑賞ができた気分でうれしくなる。
翌日は町に出て、芸術祭の「家プロジェクト」を楽しんだ。使われなくなった古い家屋を、著名なアーティストが芸術作品に変えているのだ。古民家がよみがえり、畑の中にオブジェが立ち、世界中から観光客が押し寄せる島で、お年寄りたちも元気に活躍している。日焼けしたバスの運転手さんはかなりのお年だが、狭い道もビュンビュンと走る。
「芸術のことはよくわかんないけどな」とつぶやいて、くしゃっと笑った。芸術祭に理屈はいらないのだ。島興しにも一役買っている。
直島の旅を終えて、現代アートがわかった気になったけれど、別の作品と向き合うと、やっぱりわからない。うーん、と考え込んでしまう。そんな時、ある友人から、1冊の本を薦められた。
『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』。タイトルを読んだだけでも衝撃的だ。一体どういうこと?
白鳥さんは、50代の全盲の男性。幼い時から「あなたは目が見えないのだから、人の何倍も努力しなさい」と育てられた。やがて、盲学校の寄宿舎に入って身辺自立の訓練を受け、マッサージ師の資格も取る。「障害があって大変」「かわいそう」と言われることに疑問を持ちながら、白杖を頼りにどこへでも出かけていき、コンサートを楽しんだり、鉄道ファンになったり、〈普通〉の人に近い行動をとるようになっていく。
そして、彼女ができた。目の見える彼女が、ある時、「美術館に行きたい」と言った。デートにぴったりだ、と喜んで、白鳥さんは美術館を初体験。デートの楽しさと相まって、美術館がお気に入りの場所となる。盲人らしくないからこそ美術館に行ってみたい。持ち前の反骨精神だ。かくして白鳥さんは、見たい美術展があると自分で電話をかけては、盲人が鑑賞するという前例のない美術館の扉を、一つひとつ開いていったのである。
この本の著者は、川内有緒さんというノンフィクション作家だ。彼女の友人を介して白鳥さんと出会い、3人で美術鑑賞に出かけるようになった。まず、作品の前で目の見える2人がコメントする。何が描いてあるのか。どんな印象か。思いつくままに言葉を交わす。ときどき白鳥さんも質問を挟む。ありきたりの解説より、2人にもわからないことがあったり、意見が食い違ったりするほうがおもしろい。2人のやりとりの息遣いまでもが、白鳥さんにとっての絵画鑑賞となるのだという。
ある時、絵画の遠近法の話になった。「遠くにあるものは大きいビルでも、手前にある小さなリンゴに隠れてしまう」という説明を受ける。すると白鳥さんが叫んだ。
「えー、隠れるってなに? わかるけど、わからない!」
これを読んだ私は、頭をガツンとやられたようなショックを受けた。以前、自閉症の長男についてのエッセイで、自閉症の理解の難しさに言及し、「視覚障害を理解するにはアイマスクを付ければいいが、自閉症はその手段がない」と書いたことがある。なんと不遜だったことか。安易だったことか。健常者がアイマスクを付けたとしても、見える記憶がある限り、けっして全盲の人と同じにはなれないのだ。大きな間違いに気づいた。
川内さんは言う。どんなに一緒に絵を見たとしても、同じものを感じることはできない。たとえ見えても見えなくても、人間はみなひとり。そばにいて、一緒に絵を見て、そして一緒に笑っていられたらそれでいいのだ、と。
この本を紹介してくれたのは、独身時代、職場の同期だったK子だ。私がさっさと退職した後も、馬が合うのかずっと友達でいる。子育てが終わってから、彼女は都内の美術館で、見学に来る子どもたちの相手をするボランティアを続けている。ある日、彼女の美術館にも白鳥さんがやって来て、アテンドをしたそうだ。
そんなわけで、K子も私のアー友だ。美術館を巡る旅に2人で出かけることもある。やっぱりアー友と一緒がいい。この3年間はコロナ禍のせいで、1人旅も多かった。1人の自由や気楽さを満喫しながらも、背中合わせの緊張感や、気持ちを分かち合えない寂しさが付きまとった。
ちなみに、私は草間さんのカボチャが大好きだけれど、K子は「見ただけで気持ちが悪い」と顔をしかめる。私は思わず吹き出してしまう。
それでいい。そこがいいのだ。
☆直島の旅のフォト☆
▼直島の港に鎮座する草間さんのカボチャ。中に何人も入れるほど、大きい。
▼夕日を眺めながら、乾杯。
▼おしゃべりを止めない3人。
▼床から天井まで積み上げられた鉛の巻き物。年月を経て、だんだんつぶれてきて、天井に隙間が生じている。
▼壁のドル紙幣は、横1メートルほどのパネルに入った砂絵で、アリたちがせっせと通り道を伸ばしていく。
▼「町プロジェクト」の作品の一つ。もとは歯科医の家だったもので、吹き抜けには巨大な自由の女神が立ち尽くしている。
▼隣の島の女木島(めぎじま)には、海辺に帆の付いたピアノがあった。音は鳴らないけれど、風を受け、日を浴びながら弾く真似をすると、心の中に音楽が広がる。
▼川内有緒著『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』。ぜひ読んでいただきたい、オススメの本でもあります。
おススメの「山下清展」 ― 2023年08月03日
新潟県長岡市では、昨日と今日、長岡まつりの花火大会が開催されています。
昭和20年の長岡空襲で亡くなった方1,488名の鎮魂の花火です。
まだ実際に見たことはありませんが、一度訪れたいと思っています。
昨日、テレビのニュースの映像で思い出したのが、この絵はがきです。
そこで、「生誕100年 山下清展―100年目の大回想」という壮大な展覧会を見て、感動して買い求めたのでした。この写真からは、これが貼り絵だとはわからないでしょうね。花火の線は、1本ずつこよりにしたものが貼られている。緻密な手作業に驚きました。山下画伯の人生と、その芸術品のかずかずに、圧倒される思いでした。
展覧会は巡回して、現在は東京都新宿区のSOMPO美術館で開催中です。
私も期間中に行くことができれば、ぜひもう一度見たい。
皆さんも、ぜひどうぞ。
もう1枚買ったのは、ペンで描いてから水彩画に仕上げた「パリのエッフェル塔」。
パリを訪れた画伯が、どれほど心を動かされたことか、と想像に難くありません。
私も、今年こそはまたフランスに行きたいと、切れていたパスポートを改めて申請したところでした。でも、悲しいかな、わけあって私のパリは遠のきました。
せめて、この元気が出る絵はがきを飾って、またチャンスがありますようにと祈っています。
▼佐川美術館は、まるで琵琶湖の水面にたたずむような趣がありました。
旅のエッセイ: 旅するアートか、アートする旅か ― 2023年04月25日
私の趣味はと聞かれたら、いくつもあるけれど、小説を読むことと、美術を鑑賞することの2つは、必ず答えに入るだろう。それをダブルで提供してくれるのが、原田マハさんだ。
作家としても数かずの賞を受賞しているし、美術館のキューレーターをしていたくらいだから、芸術にも造詣が深い。天は二物を与えるのだ、といつも思ってしまう。
マハさんにはアートを題材にした小説もたくさんあるが、今手にしているのは、『原田マハの名画鑑賞術』という本。文字どおりハウツーものだ。
「日本は世界的に見ても美術館大国」と、帯には書いてある。
本書では、日本の美術館が所蔵する18人の芸術家の作品を取り上げて、鑑賞している。
この本を図書館で借りて読み始めたのは、3月上旬のこと。
ちょうどその頃、夫と名古屋に1泊する予定があり、そこで何をしようかと計画をしているところだった。
タイミングよく、この本が大きなヒントをくれた。愛知県美術館にグスタフ・クリムトの絵があるというのだ。この美術館の場所をグーグルマップで調べてみると、なんと滞在予定のホテルから歩いても10分とかからない距離にあるではないか。決まりだ。
私は彼をクリムトさまと呼ぶ。大ファンである。40年前からの筋金入りのファンだというのが、私の自慢である。金を用いたモザイク模様の中に写実的な人物が描かれていて、官能的な肢体やまなざしで、見る者を引きつけてやまない。あやしい魅力がたまらないのだ。
本書で紹介されている彼の絵は、「人生は戦いなり(黄金の騎士)」。
写真からわかるのは、騎馬に乗り、鐙(あぶみ)を踏んで直立する騎士が横向きに描かれていることぐらいだ。その絵のディテールや質感がすばらしいと書いてあるのに、残念ながら8cm四方の写真からは見てとれない。
これはもう、行って本物の絵を見るしかない。
この本は半分まで読んで図書館に返却した。自分で購入して手元に置こうと思ったのだった。
さて当日、名古屋到着後、ホテルにチェックインしてから美術館に出向いた。広い道路、広い歩道、大きなケヤキ並木は新緑が光り、根元の花壇には、黄色いチューリップと水仙が満開で美しい。
愛知県美術館は、愛知芸術文化センターの10階と8階にある。エレベーターを昇っていくと、吹き抜けの天井からぶら下がるような大きな作品が展示されている。人間に見えたり、鳥にも見えたり……。
休館かと思うほど、がらんとしている。平日だからか。事前に公式サイトも覗いてきた。今、企画展はなく、常設展のみだそうだ。
受け取ったチケットの半券には、クリムトさまのくだんの絵があった。やはりこの美術館の〈売り〉なのだろう。もうすぐ会えるのだ。
とはいえ、この絵を目指して一目散などという、はしたないまねはしたくない。現代美術の作品を一つずつ丁寧に見ていく。広い展示室が続く。絵画もあれば、彫刻や立体作品もある。説明がないと首をひねりたくなるようなものも。
訪れる人の少ない展示室で、近くにいたひとりの男性にふと目をとめた。背が高く、ウェーブした長めの黒髪、黒ずくめの服。後ろ姿からも日本人ではないとわかる。作品の解説にスマホを近づけているところを見ると、翻訳アプリを利用しているのだろうか。横顔を向けると、その白さにドキリとした。まるでギリシャ彫刻のようだ。どこの国の人だろう。この室内の、どの作品よりも美しいと思った。
夫はとっとと先の部屋を覗いて、どこに消えたかと思ったら、廊下のソファに座っていた。
どうもおかしい。近くにいたスタッフに、チケットの絵の場所を尋ねた。
「今はヨーロッパで展示のために、ここにはないんです」とのことだった。
何年も前に、かの地から日本にやってきた絵画は、現在帰省中だったのだ。ホームページを見ても、気がつかなかった。
改めて、ページを開いてみる。そのお知らせは、「新着情報」を昨年7月までスクロールしてやっと見つけた。せめてトップページにそれを貼り付けておいてくれたら、落胆することもなかったのに。
しかたない。仕切り直しだ。また絵が帰国したときに、見に来よう。お楽しみ期間が増えたと思えばそれもまた楽し。
▲愛知県美術館のチケットの半券。手のひらサイズの小さなものです。
さらにもう一つのアートの話。
この本のクリムトの次の章には、エゴン・シーレの絵が紹介されていた。
折しも、東京では「エゴン・シーレ展」が都美術館で開催中。
10年前、彼の大きな展覧会を見た時、かなりの衝撃を受けた。クリムトさまの弟子でもあり、嫌いではないのだが、いかんせん、その時の重さと暗さが忘れられず、たださえ病院通いの重く暗い気分のこの時期に、わざわざ見に行きたいとは思わなかった。
本書に載っているのは、「カール・グリュンヴァルトの肖像」という人物画で、豊田市美術館所蔵とある。同じ愛知県だ、名古屋ついでに行ってみようか。
しかし、電車を乗り継いでいくと、名古屋からでも1時間半を要するらしい。残念ながら諦めた。
こうして、本書の中の2点のアートにそっぽを向かれたのだった。
ところが。
名古屋に行った後、友人にこの本を見せると、パラパラとめくって、
「この絵も、シーレ展にあったよね」とつぶやいた。
「えー! そうなの? 名古屋から豊田に行かなくて正解だったのね」
その日のうちに、シーレ展のチケットを予約。最終日の3日前だった。
▲エゴン・シーレ展で買ったえはがき「カール・グリュンヴァルトの肖像」。
かくして、今度こそは会えた。まぎれもなくマハさんの本の写真で見た絵だ。小さな写真と違って、グリュンヴァルト氏が、ほとんど等身大に描かれた縦長の堂々とした作品だった。
愛知県豊田市から、わざわざ上野の山へやって来てくれてありがとう。
マハさんは解説で、次のような言葉で、この絵を語っている。
「グリュンヴァルトの本質的なもの、内面を引き出して描くことこそが、おそらく表現したかったことではないか。(中略)シーレはやりきった。素晴らしい。この肖像画は歴史的なもの」
これまでの肖像画の常識は、本物よりも見栄えがするように、偉そうに見えることが大事だった。しかし、そんな既成の価値観を打ち破ってこそ、芸術なのだ。
マハさんの鑑賞術を読んでからシーレの絵と向き合ったことで、別の見方ができたような気がする。今回はさほど重さも暗さも感じなかった。
才能ある一人の若者が、作品を生み出し、仲間と交わり、信仰を持ち、恋をし、そして28歳の若さで病に倒れて死んでいく。かけがえのない人生の、命の、はかりしれない重さ。私は、それだけを背負って、片道1時間の旅を終えた。
まるで、クリムトに会えなかった代償のように、彼の弟子に会えた。不思議な出会いだった。
おススメの本『赤と青とエスキース』 ― 2022年09月24日
1月の末に図書館で予約した本が、9月になってようやく順番が回ってきました。人気があるようです。もう、なぜ予約したのかも忘れましたが、とにかく何かの情報で、おもしろそうな小説だと思ったのでしょう。
青山美智子さんという著者の名前も知りませんでした。
物語は、プロローグに始まって、4つの章があり、エピローグで終わる構成。
各章には、赤色と青色をイメージするようなタイトルが付けられています。読み始めるうちに、各章は別べつの話のようで、じつは何かで繋がっているのだ、と気づきます。
エスキースとは、本番の絵を描く前の、いわば下絵のようなものだということもわかってきます。
少しずつ、私がこの本を読みたいと思った理由を思い出しました。絵にまつわる物語だったからです。
私は子どものころには漫画家になりたいと思ったくらい、絵を描くことが好きでした。高校の授業で油絵を始め、大学では4年間美術部に所属して、描き続けました。美術史の勉強はしましたが、絵画制作を専門的に学んだことはなく、趣味として楽しむだけで満足でした。
今では絵は描かず、絵は見て楽しむもの。アートにかかわる映画や物語も大好きなのです。
この小説の中では、絵を学んでいる若い人たちが恋をしたり、画家を目指す若者が新しい絵に挑戦したり、若手漫画家の才能が認められたり……と、次々と展開する各章それぞれの物語に、涙が出そうになります。懐かしい気持ちにもなります。
そして、30年以上におよぶ歳月が流れていくのですが……。
最後にエピローグを読み終えると、まるで赤と青のリボンの両端が結ばれて、愛しい物語をひとつ、プレゼントされたような気持ちになりました。プレゼントは、たくさんの想いを運んできてくれました。
私も若い時にきちんと絵の勉強をしていたら、どうなっただろう。凡人並みの才能が花開くほどの奇跡は起こらなかっただろうけれど……と、歩むことはなかった別の人生に、空想が膨らみます。
大学卒業後、大手の画廊の採用試験にもパスしたのに、そちらには進まなかった。画廊という職業には今でも憧れがあります。
せめて、クローゼットの奥に眠っている若かりし頃の絵を、素敵な額縁に収めて飾ってみようか……とも思ったりします。
もっと現実的に、図書館に返却した本を、今度は本屋さんに買いに行こう。もう一度読み返したい。そして、いつでもそばに置いておきたい。
それほど、この本が好きになりました。
さらに、ネタバレを避けるために詳しくは言えませんが、私の個人的な興味を離れても、小説としてのストーリー展開がよくできていると思います。
そして、もうひとつ。
この本のほとんどのページを、私はクリニックの待合室で読みました。
おかげで、精密検査の結果には喜べなかったけれど、さほど落ち込まずに済んで、救われました。タイムリーに私を支えてくれたのです。
絵の好きな方、小説が好きな方、そして明るい希望が必要な方に、おススメの一冊です。
1年前のエッセイに、春馬君がいた ― 2020年10月19日
自分のエッセイリストの中には、内容が思い出せないタイトルもたくさんあります。
今回、ここに載せるのも、そんなエッセイでした。たった1年前なのに、何を書いたか思い出せない。ひょっとしてブログにはすでに載せたろうか……などと不安に思うほどの記憶の不確かさ。
だからこそ、エッセイに書き留めておくことが今こそ大事なのだと感じるのです。
長い前置きはさておき、「おススメは悪天候」をお読みください。
ちょうど去年の今頃は、強暴な台風も襲来して、雨の多い時期でした。
エッセイストグループの勉強会で、テーマ「お得感」で書いた800字エッセイです。
おススメは悪天候
10月25日は、前日から大雨の予報だった。でも、行くしかない。
上野の東京都美術館で開催中のコートールド美術館展。夫が職場で招待券を2枚もらった。ただし会期半ばこの日までの期限付きだ。印象派のコレクションが展示され、タダ券とあらば行かぬ手はない。ところが、10月上旬に海外旅行をした私は、帰国後は超多忙。気がつくと最終日になっていた。
2日前、夫から「一緒に行く?」と誘われたのに、「絵画展は一人で見るものよ」と偉そうな口をきいて断ったので、バチが当たった。朝から土砂降りで風もある。めんどくさいな。でも、夫の手前、行くしかない。
レインコート、パンツ、スニーカーに防水スプレーをたっぷり吹きかけて出かけたけれど、徒歩4分の駅に着くまでにすでにびしょびしょ。上野の山でふたたびぐしょぐしょ。それでも、館内は優れた空調のおかげか、ほどなく乾いて、雨のことは忘れた。
それより、受付を通ったとたん、がらがらで驚く。いつもここでの美術展は、平日でもたいてい混んでいる。まして、大々的に宣伝され、人気のモネやゴッホが並ぶのだから、混んでいて当然。その先入観は一気に吹き飛んだのである。悪天候のせいにちがいない。
500円払って、音声ガイドを首にかけてもらった。俳優三浦春馬の若々しい声が解説をしてくれる。それを聞きながら、絵と向き合う。「理屈はわかるけど、セザンヌはつまらない」、「やっぱりモネの絵がピカイチよね」、「モジリアニの女性はどうしてこんなに不幸そうな顔なの」などと胸の中でつぶやく。春馬君と2人で見ている気分、悪くない。
ほとんどの絵を、真正面から近づいたり離れたりして、満足のいくまで鑑賞できた。
美術展は大雨の日に限る。タダ券がさらに三倍お得になる。
自分のエッセイの中で、今は亡き三浦春馬氏に出会いました。
改めて、ご冥福をお祈りします。
『デトロイト美術館の奇跡』を読んでから観るか、観てから読むか! ― 2016年10月22日
この本の著者は、私の好きな原田マハさん。
そして現在、上野の森美術館で開催されているのは、デトロイト美術館展。
そこで、読んでから観るか、観てから読むか、という悩ましい問題が生まれたのです。
私が興味を持ったのは、本が先でした。大好きなマハさんの新刊でもあり、著者お得意の美術にまつわる物語のようです。
これは読まないわけにはいきません!
さらに、デトロイト美術館展のために書かれた小説だということを友人が教えてくれました。
しかも、表紙のセザンヌの人物画が、この美術展にやってくるというのです。
これは観に行かないわけにはいきません!
さらにびっくりなことに、この美術展では、月曜・火曜に限り、写真撮影が許可されるというのです。
ヨーロッパの美術館では当たり前のように写真が撮れます。パリのルーブル美術館では、モナリザや、ミロのビーナスとのツーショットを写して、ミーハー気分も堪能しました。
日本では非常に珍しいのではないでしょうか。
(ただし、ピカソの6点をはじめ、その他数点の作品は、SNSなど不特定多数への公開は禁止とのことです)
私は結局、本を読み終わらないうちに、美術展の入り口に来ていました。
今年の5月、終了間近の若冲展を観るため、やはりこの上野公園で、平日でも3時間行列して待たされた記憶がよみがえり、とにかく一日でも早く行かなくては、とスケジュールの空いた日に上野に急いだのです。
開催から4日目でした。
若冲展の教訓は見事に生きて、館内は空いていました。
ゆっくりと解説を読み、絵に向き合い、そして、最後に写真を撮る。
なんと優雅な美術鑑賞でしょう。
本の表紙の絵の前でさえ、このとおりです。
ポール・セザンヌ作『画家の夫人』。
彼女の衣服は、表紙の写真より青みが強く、そして淡い。どちらかというと、ブルーグレイという感じでした。
やっぱり本物を見なくては、見たことにはならないのだ、と思いました。
自分で本を持って、絵にかざして、パチリ!
空いていたので、こんなことも簡単にできました。
本展のポスターにも使われているフィンセント・ファン・ゴッホの『自画像』。
クロード・モネの『グラジオラス』。明るい陽光が満ちあふれています。
アンリ・マティスの『窓』。
白いカーテンの帯状の縦線、窓枠の縦と横のライン、椅子の脚、テーブルのふち、カーペットのジグザグ模様……という具合に、目線がたくさんのラインに沿って絵の中を移動していく。いつまでも見飽きない絵ですね。
芸術の秋。
皆さまもぜひ、デトロイト美術館展に足を運ばれてはいかがですか。
会期は来年の1月21日までですが、なるべくお早めに!
ところで、この本は100ページほどの短編で、すぐに読み終えました。
マハさんの美術にまつわる物語は、月並みな言い方ですが、実在の絵に新たな命を吹き込んでくれるようで、わくわくします。
ほこりをかぶって眠っていた宝物が、磨かれて輝きだすようです。
読んでから観るか、観てから読むか。
どちらでも、楽しめるのは同じかもしれませんが、私のように、本を買ってから観ることをおススメします。
その訳は、本にはさまれているしおりで、入場券が100円割引になりますから。
ダイアリーエッセイ:舞台『CRESSIDA(クレシダ)』を観る ― 2016年09月24日
世田谷線始発駅の三軒茶屋。その駅舎にくっつくように、小さな劇場がある。その名もシアタートラム。20年ほど前に造られたそうだが、レトロなデザインが、この町の雰囲気に溶け込んでいる。この辺り一帯は、小さな商店街がひしめき合っていて、まだまだ昭和の匂いが立ち込めているようだ。
世田谷線も、以前は玉電と呼ばれ、渋谷からチンチン電車が走る路線だったのである。私の祖父母が、玉電若林駅の近くに住んでいたので、子どもの頃は、よくチンチン電車に乗って出かけたものだ。
劇場の客席は200余り。私の席はほぼ中央の前から8列目だった。
いかにも演劇業界人的なお客さんが多い。私の2つ前の席には、フジテレビの笠井アナがいた。
舞台は、1600年代ロンドンのとある劇団のお話。かつては名優として活躍した老人シャンクは、今は若手の演劇指導を手掛けている。演じるのは平幹二朗さんだ。平さん自身は、82歳で今なお現役。長いセリフを覚え、ろうろうと発声し、軽やかに動き回る姿は、とてもそのお年には見えない。
当時のイギリスの演劇は、日本の歌舞伎界同様、女優は存在しなかった。女性の役は「少年俳優」が務めた。スティーヴンというその複雑な役どころを浅利陽介さんが演じる。現代日本の俳優が、女性役を務めた400年前の少年俳優という役を務めるのである。さぞや難しいことだろう。
彼は、NHK大河ドラマ『真田丸』で、秀吉の甥の小早川秀秋を演じていた。気弱な性格から、関ヶ原の戦いでは豊臣側を裏切ってしまう。スティーヴンもどこか似たような感じの少年で、色白でやさしい目をした彼の持ち味が生かせていると思った。
当時の「少年俳優」には、男色や同性愛のような一面もあったらしいが、明るくコミカルに描かれて、森新太郎氏の演出のうまさなのだろう。
スティーヴンは、シャンクの細かな演劇指導を受けて「少年俳優」として磨かれていく。この場面が素晴らしい。声の出し方、高低、強弱から、体の向き、手の上げ下げにいたるまで、シャンクは手本を見せてはスティーヴンにやらせてみる。芝居の中のワンシーンなのか、平さんが浅利さんに演技をつけているのかわからなくなるほど真に迫っていた。いや、文字どおり、スティーヴンの浅利さんは、シャンクを通して平さんから学び取るものが多かったにちがいない。
やがて、シェイクスピア作『トロイラスとクレシダ』のヒロイン役を演じて、拍手喝さいを浴びた。だが、シャンクは気に入らない。キスの場面で顔を赤らめたといってなじる。スティーヴンが、自分が教えた型どおりの「少年俳優」としてではなく、彼自身の内から湧き出るような演技で勝ちえた喝さいだった。そのことに、シャンクは気づいた。自分が教えてきた「少年俳優」の演技など要らなくなる。時代が動いていくのを悟ったのだ。いずれ女性も舞台に上がる日が近いことを予感する。
そして、彼が天に召されていくところで、幕は下りた。
名俳優の圧巻の演技は言うまでもない。
難しい役どころを見事に演じきった若手俳優の浅利さんにも、拍手!
生の声でセリフが響き、飛び散るつばも汗も見える客席で、ただただ役者の芝居に引き込まれていた3時間。なんと贅沢な楽しみだろうか。
旅のフォトエッセイ:Vacance en France 13 モネの庭 ― 2016年07月14日
2年前のちょうど今ごろ、娘と二人でフランスを訪れていました。
このタイトルは12回で終わってしまっています。続きを書くつもりでいたのが、2年目にしてようやく13回目をアップ。お待たせいたしました。
私が油絵を始めたのは、高校生のときだ。
まだ、何の知識もないころで、なんとなくいいなと感じる絵は、光をまとったような風景画。おそらくそれが印象派の作品だったのだろう。
やがて、クロード・モネの睡蓮の絵と出合う。
高校の中庭には、小さな池があり、初夏になると、睡蓮が咲いた。
美術の時間、モネを真似て、それを描いてみた。先生は描きたいように描かせるだけ。麻布のキャンバスなどではなく、せいぜい6号ぐらいのボードだった。
混ぜれば色が濁るが、乾いてから上塗りすると、油彩画らしい色の重なりが出てそれらしく見える。試行錯誤で学んでは油絵具の質感を楽しんだ。
やがて大学に入るとすぐ、美術部に籍をおいて、油絵を続ける。
ある夏の合宿では、野反湖へ。湖畔にイーゼルを立てて、1本の木の枝の向こうに、湖を描いた。
秋の合評会で、部の大先輩でもある著名な画家先生がやってきて、
「印象派のような構図ですね」と、この絵にお褒めの言葉をいただいた。
しかしながら美術部では、絵の描き方より、お酒の飲み方を教わったような気がする。
そのころの仲間の一人と、今も一つ屋根の下で暮らしている。
彼は今でも写実的な植物画を楽しんでいるが、私はもう絵はやらない。
ときどき本物を見に出かけるだけである。
そして、憧れていたモネの庭を訪れるために、パリからバスに乗って1時間、ジヴェルニーへと出かけていったのだった。
バスを降りて、静かな通りを歩いて……
小川に添って進めば……
印象派の人々は、屋外に出て、自然光を絵筆でとらえようとしたのである。
その名前の由来となった『印象・日の出』を描いたクロード・モネは、光の画家とも呼ばれた。
家の中には、たくさんの浮世絵のコレクションが飾ってあった。
日本庭園に憧れていたモネは、太鼓橋や蓮池のある庭を造った。
彼の描く絵の中には、浮世絵が登場したり、モデルがあでやかな和服を着ていたりする。
そんなモネの住んだ家を、今は日本からの観光客がおおぜい訪れている。
またいつの日か、バラの花の香るころ、そしてまた、藤の花房が咲き垂れるころ、光が満ちあふれるお天気の日に、もう一度訪ねてみたい。
願いは叶うだろうか。
旅のフォトエッセイ:Vacance en France 12 オンフルールで ― 2014年10月11日
どこが一番よかった?
帰国してから、娘に尋ねたら、「オンフルール」という答えが返ってきた。
○
ドーヴィルの次に向かったオンフルール。何世紀も前から、セーヌ川の河口に開けてきた港町だ。
パリからモン・サン・ミッシェルを訪ねるツアーはたくさんあったけれど、その帰り道にオンフルールに立ち寄るということが一番の決め手となって、このドライバー付きのミニツアーを選んだのだ。
○
大好きな印象派とは切っても切れない町で、印象派という名前は、クロード・モネがオンフルールで描いた『印象・日の出』という絵のタイトルに由来している。印象派の画家たちは、この町の海や港町の美しさに魅せられて、たくさんの絵を残した。
日本の安野光雅画伯の描いたこの町の絵も有名だ。
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その旧港町の写真。もう少し晴れてくれたら……と、曇天がうらめしかったが、フランス特有のアンニュイなムードは、快晴の空の下では生まれないのかもしれない、と思い直す。
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サント・カトリーヌ教会。
15世紀に建てられたもので、当時、石で作る経済的な余裕がなく、船大工たちが知恵を寄せ合ってこしらえた。フランス最大の木造の教会だという。
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鐘楼ももちろん木造。石の建造物を見慣れてきた目には、木造りの古い建物が、何やら懐かしく親しみを感じる。
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町で最古のサン・テティエンヌ教会。
現在は教会ではなく、海洋博物館となっていた。
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その教会と狭い路地を挟んで隣のレストランでは、この地方のりんごで作ったシードルという軽いお酒で、のどを潤す。
何とも古めかしい旧総督の館。
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街で出合った回転木馬。
娘がじっと見つめていた。
彼女だって20年くらい前には少女だった。でも今はもう、乗りたかった木馬も、あの日の夢も、目の前でくるくると回っているだけ……。
彼女がこの町を気に入ったのは、そんなノスタルジーのせいだったのかもしれない。
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〈続く〉
旅のフォトエッセイ:Vacance en France 3 モンマルトルの丘であの人と出会う! ― 2014年07月31日
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パリで一番高い場所といえば、モンマルトルの丘。ここは外せない名所だ。
ここから見下ろすパリの街を、娘にも見せたい。
新婚旅行で訪ねたかどうかはまったく記憶にないのだが、まだ独身のころ、ここへ来た忘れられない思い出がある。
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それは、私が25歳になったばかりの、クリスマスを過ぎたころのことだった。
人通りもまばらになった夜のモンマルトルの街を、スイス人の友達マリスとふたりで歩いていた。
マリスは、ロンドンで同じ家庭にホームステイをして、同じ英語学校に通った仲良しだ。年は一つ下だけれど、何もかもお姉さんのようだった。秋学期が終わり、クリスマスはスイス・ベルン郊外のマリスの実家に招かれ、その後、二人でパリにやって来た。
この日、モンマルトルに住んでいるという彼女の友人に電話をしてみると、今夜はパーティをするから遊びにおいでよと言われた。
高級住宅街にある彼のアパルトマンには、たくさんの友達が集まっていて、パーティが始まっていた。とつぜんの訪問者も歓迎されて、仲間に加えてもらう。
ちょうど、ケーキを切り分けるところだ。ケーキといっても、殺風景な丸い焼き菓子。でも、この中に小さなマリア像が一つだけ入れてあり、それをゲットした人が今晩の主役になれる、という楽しい仕掛けがある。残念ながら、私の食べた中には入っていなかったけれど、それを手に入れた人は紙で作った王冠をかぶり、うれしそうに威張って見せた。
隣の部屋にも、別のグループがいた。
「あちらは、ハッシッシよ」とマリスが小声で教えてくれた。最後まで、こちらの部屋と交わることはなかった。
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そして、今、あの日の私と同じ年齢になった娘を連れて訪ねてきた。
まず、メトロをアベス駅で下車。改札を出てから、のぼりの螺旋階段がぐるぐるぐると続く。やれやれ……と思ってふと見ると、この階段の壁が楽しい。次々と絵が変わっていく。
いかにもパリだわ……と感心している間に、つらさも感じないで(いやちょっとだけ感じながら)出口に到達できる仕組みになっているのだ。
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階段を上りきると、アベス広場に出る。
さてどちらに向かうのでしょうねぇ、ときょろきょろしていたら、向こうからやって来る女性に目が留まった。
中山美穂さんだ!
黒髪で長めのボブスタイル。大きなサングラス。特徴のある口もと。細身の体。地味なモノクロファッションだが、一瞬でわかった。
パリに住んでいるという彼女が、最近日本のマスコミでも何かと騒がれている。日本人の観光客なんて、一番関わりたくないのだろう。そそくさとメトロの階段を降りていってしまった。
ミーハーの私がかろうじて撮った1枚。
アベス広場の向かいには、「ジュテームの壁」がある。
落書きではなくて、ちゃんとした現代アートだという。250の言語で書かれた、愛の告白の言葉。
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サン・ジャン・ド・モンマルトル教会。
エッフェル塔が作られたのと同じ時期に、鉄筋コンクリートで作られた珍しい教会だ。神聖な空間というより、どこか少女趣味的なかわいらしさのある建物。いかにもパリらしいと言えなくもない……?
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娘の地図を頼りに、丘の頂上を目指す。
坂道があり、階段があり、おっと、登山電車まであった。その名もフニクレール。
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駅から、15分ぐらいてくてくと登ってきたろうか。
ようやく、サクレクール寺院の前の広場に出た。
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なんだかたくさんの人で、にぎわっている。
空に人がいる! 街灯に登って曲芸をやっている。
よく見ると、サッカーボールまで足で動かしているのだ。空中ドリブル!?
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パリを見下ろす階段にも、サクレクール寺院にも、観光客がいっぱい。もちろん、お祈りのために来た人も。
内部のモザイクは20世紀に入って完成したという。
新しいキリスト像は、ちょっとハンサム過ぎ……。
学生のころ、ここを訪れてパリの街を見下ろした覚えが、確かにある。そのときの記憶の眺望には、エッフェル塔があった。
が、それはどこからも見えなかった。
かすんだ記憶は、夢の中の景色だったのか、絵の中の景色だったのか……。
「わあ、すごい!」
と喜ぶ娘の横で、自分の記憶の不確かさに、茫然としていた。
〈続く〉