ロングエッセイ:「最後の愛車」2024年05月04日

         

私が運転免許を取ったのは、結婚した年だった。費用は家計費からねん出して取得すればいい、と学生時代から考えていて、そのとおり実行した。夫は免許を持ってはいても、運転はあまり好きではなさそうだ。そのせいか、私の運転に協力的で、助手席に座り、文字どおり私の運転助手となった。

子どもが生まれると、車のある暮らしは何かと便利だった。しかし、その必要性がはっきりしたのは、長男が2歳半の頃。息子は自閉症という障害があり、いわゆる多動児で親と手をつなぐのも嫌がり、勝手にどこかへ行ってしまう。買い物も、通院も、遊びに行くのも、チャイルドシートから降ろすとベビーカーに乗せ、どこへでも出かけたものだ。

子どもが2人に増えても、リトラクタブルライトの付いたスポーティブな車の後部座席に、チャイルドシートを2つ並べて子どもたちを乗せる。それを見た友人から、「ミスマッチねー」とあきれられたこともあった。カーナビなどない時代、高速道路の出入り口を事前に頭に入れておいたり、膝の上に地図を広げたりしては、あちこち走りまわった。

家族で旅行をする時には、全行程ドライバーは私で、到着後の子どもの世話や食事のしたくは夫の役目。この分業はスムーズだった。

そして、子どもが3人になった頃、ワンボックスカーが主流になり、7人乗りのホンダ・オデッセイを選んだ。大きい分、パワフルで運転しやすく、見晴らしもいい。車内も広く快適だ。オデッセイはほぼ20年にわたって3台乗り替えた。その頃にカーナビという画期的な道具が生まれ、これさえあれば地の果てまでも運転していける気がして、うれしかった。

オデッセイ2代目の時に、初めて希望のナンバーが付いた。お気に入りの曲、桑田佳祐の「波乗りジョニー」をもじって、ナミナミ、つまり7373にした。

ところで、車をゆりかご代わりにして育った長男は、毎年発売になる自動車ガイドブックをいつからか買い続けていて、さすがに車に詳しい。また、近くのホンダカーズの担当者とも仲良くなり、行くたびに新しいホンダ車のカタログやミニカーをもらい、コレクションしている。ディーラーとは、もう30年以上のお付き合いだ。他社の車に目を向けることもなくホンダ車ひとすじのわが家は、いいお客さんだろう。薦めるでもなく売りつけるでもなく、こちらの言い分、気持ちをすべて肯定して受けとめてくれる。気がつくと、魔法にかかったように買いたくなっているのだ。

 

時は流れ、家族旅行の機会も減り、わが家の車は7人乗りである必要がなくなってきた。とはいえ、オデッセイの走りの良さは捨てがたい。そこで買い替えたのが、やはりホンダのヴェゼル。SUVと呼ばれる、走りを楽しむスタイリッシュな車だ。長男は発売当時から、街中で見かけると、「ヴェゼルだ!」と指さした。私も次に買い替えるならこれ、と決めていた。これが最後の愛車になるだろう。BGMはもっぱらサザンだから、ナンバーは12ヵ月サザン、1233とした。

ところが、である。買ってから2週間目に、夫と紅葉の軽井沢に出かけた。もう少しで到着という辺りで、ディスプレーに赤い警告が出て運転中止を余儀なくされたのだ。驚いて緊急連絡をすると、レッカー車がやって来て、新車ヴェゼルはあえなく修理工場に運ばれて行ってしまった。まる1日かけて検査をしたが異常は見つからず、コンピュータ内部にも原因は見当たらなかったという。別の車に交換してもらうこともできず、問題のない安全な車だと信じて乗り続けるしかなかった。幸いその後は、同じ警告が出ることはなかった。

さらなるショックは、半年もたたないうちにやってきた。ヴェゼルのフルモデルチェンジが発表されたのだ。担当者は「営業にも知らされなかったんです」と、とぼける。それがわかっていれば、新型車発売まで待ったのに、と悔やまれた。

新型ヴェゼルはあまりにも斬新なスタイルで、いかつい顔が好みではない。とはいえ、皮肉なことに、この新車のCMで流れる曲「きらり」を歌う藤井風にはどんどん惹かれていく。旧型ではあってもヴェゼルに乗って彼の歌を聴くことは、最高にクールな時間だった。それでも、ドライブ中にすれ違う新型車は、気になってしかたがない。

やがて、気がつくとテールゲートに何かをぶつけられたようなへこみができていた。私がぎっくり腰で歩けなくなり、医者に行くため運転を任せると、夫は2年ぶりの運転で、やはり前方のバンパーを激しくこすった。

愛車の傷は、私の心の傷となっていく。3年後の初回車検のおり、「新型に買い替えようかな」と軽い気持ちで呟くと、

「今、納車は1年先ですよ」とのこと。世界的な半導体不足で、自動車業界も厳しい状況にあるのだ。とても1年は待てないと、買い替えの件はあっさり撤回した。

 

「新型ヴェゼルの納期は3ヵ月程度になりました」

と、その半年後の定期点検の時に、担当者が言う。消えたはずの買い替えの気持ちが、また膨らみ始める。

夫は「運転するのは僕じゃないから」と、にこにこ笑っているだけで何も言わない。ただ、2人とも新型ヴェゼルがすっかり目になじんで、「いいねー」「いいよねー」と、気に入っていることだけは共通していた。

それでも買い替えをためらう最大の理由は、なんといっても年齢的なこと。今年の年末には古希を迎える。腰が痛い、ますます目が悪くなったと言いながら、新しい車が扱えるようになるのだろうか。ブレーキとアクセルを踏みまちがえたりしないだろうか。

その迷いは、試乗することで解決した。運転操作はほぼ今の車と同じ。ナビの画面は今の倍はあるし、メーターの表示も大きい。ちょっとでも物体に接近しすぎると警告音が鳴る。片足を上げればセンサーが反応してテールゲートが開く……。むしろ高齢ドライバーに優しい車ではないか、と夫も私も納得した。

そうだ、古希のお祝いに買うことにしよう。あと5年間、ドライブを楽しめればいい。ヴェゼル2号の色は「プレミアムサンライトホワイト・パール」。日の光で微妙に変化する上質な白い色。愛車人生で初の白だ。ちなみに、10台目のホンダ車である。

もうひとつの言い訳。私は長男の子育てで、車に大いに助けられた。便利だっただけでなく、好きな音楽を聴きながらひとりでドライブすれば、つらいことからも解放されるような気分に浸れた。そうやって苦難の日々を乗り越えてきたのだ。私にとって、かけがえのない相棒であり必需品だったといえる。長男は車とセットで授かった、と言ったら神様に笑われるだろうか。

ナンバーは、1231。今度こそ、これが最後の愛車となる。


        ▼さよならしたヴェゼル1号。


▼最後の愛車、ヴェゼル2号。

 

 


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