ロンドン旅のフォトエッセイ ⑥ 大英博物館 ― 2026年09月24日
今回のロンドン観光の大きな目的が、夫の憧れの大英博物館、そして二人とも大好きな美術館を訪れることでした。よくばって、できるだけたくさん見て回りたい。
日本だったら、途中でゆっくりランチを食べたり、お茶を飲んで休憩したりして、1日せいぜい2ヵ所。それなのに、次はないかもしれないという思いからか、二人で調子に乗って、1日で4ヵ所を見て回ろうという無謀な計画を立ててしまったのです……!
その日は朝からあいにくの雨。しかも寒い。暑さの心配なんていりませんでした。
ありったけの夏服を重ね着して、晴雨兼用の傘を持って出かけました。
まず目指したのは、大英博物館。入場整理券はオンラインで準備してきましたが、開館30分前から並ぼうと、夫は脇目もふらず、歩いていきます。
私は、さほどの雨ではなかったので、コートのフードをかぶって、傘を差さずに歩きました。昔とちっとも変わらない街の雰囲気を楽しみながら。



▲Seven Dials(セブン-ダイアルズ)。その名のとおり、7本の道路が交差しています。子供の頃、近所に「六道辻(ろくどうつじ)」という場所があったのを思い出しました。

左側の赤レンガの建物は、5つ星のコヴェント・ガーデン・ホテル。▲

▲シャフツベリー・シアター。古めかしい建物に、この看板!
この辺りは劇場の多い地域です。

▲あまりに素敵な建物だったので、通りすがりに撮った一枚。
シシリアン・アベニューという歩行者天国の商店街の一角でした。次に来たときは、ゆっくり見て歩いてみたい。


ようやく博物館に到着。まだ開館前ですが、大きな博物館の周囲には、すでにたくさんの人が並んでいました。平日だからか、中学生や高校生が、引率者とともに見学に来た、という感じです。
この博物館は、始まった17世紀当初から入場料無料だったそうです。今でも同じ。日本では信じられません。
入場整理券をゲットするときに、寄付を募っていたので、ほんの少し、気持ちばかりを振り込みました。


▲ロゼッタ・ストーン。18世紀末にエジプトで発見された石碑の一部で、三段に分かれており、神聖文字、民衆文字、ギリシャ文字の3種類が刻まれていて、プトレマイオス5世がBC196年に発した儀礼に関する勅令が書いてあるとか。
はあ……。紙などない時代に石に記した作業も、それを解読した近代の学者も、途方もない時間を費やしたことでしょう。ため息しか出ません。

▲耳にも鼻にも、金のピアスを付けて、おしゃれな猫。ゲイヤー・アンダーソン氏が寄贈したので、「ゲイヤー・アンダーソンの猫」と呼ばれているそうです。古代エジプトでは、女神バステトの頭部が猫として描かれていることから、猫は神聖な生き物とされたようです。猫好きな私、ちょっと興味がわきました。



世界初の国立博物館である大英博物館には、現在800万点の所蔵品があるそうです。すべてを見るには、いったいどれだけの時間が、日数が必要でしょうか。私たちの予定の滞在時間は1時間半。夫は前もってインターネットで予習をし、その中から17点を選び、館内の地図を印刷して、目星をつけておきました。
しかし、いざ入ってみると、展示はその図のとおりではなく、広い展示場を行ったり来たり、階段を上って下りての繰り返し。まるで、体育会系迷路のよう。
エジプト文明にはあまり興味のない私は、すぐにギブアップ。日本の展示を見ることにしました。
日本の展示には、三菱商事ギャラリーという名前が付いています。あまり人もいなくて、静かで、親近感もあって、ほっとできました。




▲大河ドラマでおなじみの鎧兜。
根付の展示品がたくさんあることに驚きました。確かに、日本の根付は細工も細かく、世界に誇れるミニチュアンアートと言えるのではないでしょうか。

▲十二支のうち、午だけいないのはなぜ? 今年の干支だから? 謎のままでした。

「あの大波の絵は、どこ?」
このポスターには苦笑い。
この木版画のような繊細な素材は光によるダメージを受けやすいので、数年に一度しか展示しないそうです。「これらの版画は、オンラインでどうぞ」とのこと。
私たち日本人は、日本での展示を何回も見ることができますが、本物を見るために、遠くからここへ足を運んだ人たちには、ちょっと酷な話です。
さて次は、コートールド美術館へ向かいます。
ロンドン旅のフォトエッセイ ⑤ エッセイ「くしゃみの効用 後編」 ― 2026年08月15日
前回「くしゃみの効用 前編」の続きです。
◇◇ くしゃみの効用 後編 ◇◇
娘の夫と、彼らの住まいに早々に別れを告げて、娘の案内で隣町グリニッジへ向かった。目指すは、誰もがその名を知っているグリニッジ天文台だ。

▲1675年に建てられた王立のグリニッジ天文台。
1884年に国際子午線会議が開かれた。その頃からすでにイギリスの航海用地図と時刻の仕組みが世界で広く使われていたそうで、グリニッジを通る線を経度0度とし、世界標準時の基準にすることが正式に決まったという。

門の奥に、地上に引かれた子午線があり、跨いでいる人もいた。でもそのために入場料5000円も払うのはいかがなものかと、思い留まった。門扉の柵の間からとった一枚。▼


▲丘からは、広々としたグリニッジ・パークが見渡せる。その向こうには、カナリー・ワーフのビル群がそびえている。

カティーサーク号だ。私にはウィスキーの名前の記憶しかなかったけれど、かつてはインドや中国から快速で紅茶を運んだという。


▲ 桟橋から公共交通機関の水上バス(その名もUber Boat)に乗る。
しかも、客席の一番前で、ロンドンの名所を船上から見物というわけだ。

まもなく、タワーブリッジが正面に見えてくる。あっという間に、船はその下をくぐり抜けた。

▲娘の部屋の窓から見えていた超高層ビルのザ・シャードが左側に見えた。
72階建ての尖塔が、鋭く空を突き刺すようだ。2009年に造られた。

ロンドンの新しい目、ロンドン・アイ。イギリスのミレニアムプロジェクトによって、1998年に造られたという。
2008年に、娘とロンドンを訪ねた時、すでに操業していたが、乗ることはなかった。乗らなくてよかった、と今は思える。一緒に乗る相手は私ではないだろうから。

時計台ビッグ・ベンと、国会議事堂が見えてきたところで、終点のウェストミンスター桟橋で、下船する。
グリニッジからバッキンガム宮殿に近いこの場所まで、約1時間たらず。天気も良く、最高のクルージングだった。
旅行計画中に、娘がAIに尋ねたところ、「6月13日は、国王の祝賀パレードや、イギリス空軍の祝賀飛行が行われる」と教えてくれたのである。以前から、チャールズ国王の誕生日は11月だが、好天に恵まれる6月に祝うことにしているそうだ。たしかに朝から青空が広がる祝賀日和だ。
下船して宮殿を目指したけれど、人が多くて思うように動けない。宮殿の手前のセント・ジェームズ・パークで、大勢の人たちと芝生に腰を下ろして祝賀飛行を待つことにした。

▲芝生には、同じように腰を下ろして空を見上げる人たちがたくさんいる。国王のお祝いの日だからか、正装のカップルもいる。
午後1時、売店で買ったソフトクリームを食べながら待っていると、轟音が鳴り響いた。
その瞬間、私は「あ、祝砲だ!」と声を上げたけれど、娘は「テロ?」と、ひきつった顔をした。外国で暮らす彼女の緊張を思い知らされた気がした。
やがて、空軍のさまざまな形態の飛行機が、順番に頭上の空を宮殿の方角に飛んでいく。最後に三角形を描いた連隊機が、赤白青の煙を吐きながら飛んできて、芝生の上から一斉に歓声が上がった。


空のショーが終わり、宮殿の裏側の道を歩いていると、軍楽隊の音色が聞こえてきた。祝祭の演奏を終えて、裏門から宮殿内の宿舎に戻るところらしい。黒くて丸い帽子、赤い軍服、黒いズボン、衛兵たちのお決まりのいでたちだ。指揮官は黄色い衣装でスカートを履いて、号令をかける声も姿勢もかっこいい! 行進しながらも、演奏を続けている。
私たちはちょうど裏門の近くにいたので、しばし立ち止まって演奏を楽しんだ。



と、その時、夫が、
「ハックショーン!」と大音量のくしゃみをしたのだ。
「ガッ・ブレッス・ユー!」
「ブレッス・ユー!」
すかさず周囲から、いくつもの声が上がる。
そうだ、これもあった。夫に注意するのを忘れていた、くしゃみも最小限にクシュンとするのがマナーなのだと。
イギリスではくしゃみをすると魂が抜けだすとか、病気にかかるとか言われていて、くしゃみをした人に「神のご加護を!」と、すぐに近くにいる人が祈ってくれるのである。
何のことやらと、きょとんとしている夫のそばに寄りながら、私が彼の代わりに周りの人にサンキュー、サンキュー、と言って笑いかけた。すると、その中のひとりの若い男性が、私たちが夫婦だと気づいたのだろう、「お二人の写真を撮りましょうか」と声をかけてくれた。
「では娘も一緒に……」と、3人で門の前に並んで撮ってもらった。彼もまた女性と二人連れだったので、写してあげた。
結局、ロンドン滞在中に3人で写っているのは、*この時の1枚だけだった。神のご加護のおかげだろうか。
* 残念ながら、その唯一の写真は非公開ですので、あしからず。
ロンドン旅のフォトエッセイ ④ エッセイ「くしゃみの効用 前編」 ― 2026年08月12日
「くしゃみの効用」というエッセイを、仲間の合評会に提出しました。
それを前編・後編に分けて写真とともにアップします。
今年の1月、娘が上海の単身赴任から、彼女の夫の赴任地ロンドンに異動となった。晴れてひとつ屋根の下で夫婦が暮らせることになったのである。
さっそく訪ねて行きたいものだけれど、娘が慣れないうちから押しかけては迷惑だろう。とはいえ、行くなら今年のうちに、暑くならないうちに……と思い、一番良い季節だといわれる6月に1週間の予定で行くことにした。しかも、ほぼ海外旅行初心者といえる夫を連れていくという一大決心をしたのだった。
娘の赴任地を訪問する今回の旅は、夫をヨーロッパに連れていく絶好のチャンスだ。これまで、自分は留守番で私を自由に行かせてくれた夫への恩返しを、今こそしておきたい。最後のチャンスかもしれない。私にはスーツケースもうひとつ分の負担になるだろうけれど。
最新版の旅行ガイドを2冊買いこみ、ネットを駆使して、娘とも相談しながら、1週間分の予定を立てていく。
「ロンドンで、どこに行きたい」と、夫に問うと、
「キュー・ガーデン!」と即座に返ってきた。植物オタクの夫のため、たっぷり3時間は滞在時間を設けて予定に組んだ。夫は嬉々として園内の地図をダウンロードし、行くべき箇所をマーク。準備万端、楽しみにしているようだ。
私は独身の頃に、ロンドンに数ヵ月滞在した。英語学校の午後のコースに通うためだった。いつも午前中はひとりで街を散策し、夜には学友たちとパブやミュージカルを楽しんだ。半世紀たった今でも、地名や駅の名前を読むだけで、当時が懐かしくよみがえってくる。
そんなある日、夕食の時に、夫がゲップをした。私への遠慮などとうに消えたのか、ただ年をとったからなのかわからないけれど、これはまずい、と思った。
「イギリスでは、ゲップをするのはとても失礼なのよ」
ところが、夫はまた次の日もゲップが出る。
「ロンドンでそんなことしたら、置いてきちゃうからね」と、冗談半分にたしなめた。
6月上旬の火曜日にロンドンに到着し、その週末の土曜日、ようやく娘夫婦のマンションを訪ねる日が来た。
ロンドン東部のカナリー・ワーフというこの辺りは、かつてテムズ川の船着き場だったのだが再開発され、オフィスビルとタワーマンションが林立する新しい街に生まれ変わった。ロンドンの中心にあるシティと並ぶ世界の金融街、ビジネスの中心地として指定されており、欧州最大の超高層ビル街なのだそうだ。
二人は、ここに住んでシティに通勤する。便利な新しい鉄道が敷かれ、二つの街を直結している。

▲カナリー・ワーフ駅前。地名のモニュメントがある。

▲ドックランズ・ライト・レイルウェイという鉄道の下をくぐっていく母と娘。
カラフルなガードの上を、ときどき赤い電車が走っていく。

▲これが娘夫婦の住むマンション。
▽エレベーターを降りると、27階の表示が。

そのタワマンの27階が二人の住まいだ。きょろきょろ室内を見回していると、
「窓の外以外、撮影禁止だからね」と、厳しいご法度。
はいはい、わかってますよ。夫も私も、窓の外の景色が見たかったのだ。リビングの壁は足元までガラス張り。眼下にはテムズ川が蛇行しており、少し遠くにタワーブリッジ、その向こうには中心街の新しいモニュメントも見える。夜はさぞ夜景がきれいだろう。
若夫婦に並んでもらって記念撮影をしたかったが、それも写真嫌いの娘に拒まれてしまった。

▲遠く左の方に見えるとがった塔がシャードという名の超高層ビル。高さ309.6m。
その右下にはタワーブリッジが見えている。

〔後編に続く〕
ロンドン旅のフォトエッセイ ③ ストーンヘンジへ ― 2026年07月20日
昨日の朝は早起きをして……というより、朝早く目を覚ましてしまう残念なお年頃なので、4時半ごろには目覚め、思い切ってそのまま起床。テレビをつけました。サッカーワールドカップの3位決定戦が、日本時間の午前6時から始まります。
今回のW杯は、順当に世界ランク1位から4位までのチームが準決勝まで勝ち残りました。
準決勝で敗れた世界ランク3位のフランスと4位のイングランドが、3位決定戦で対決するのです。すっかりイギリスびいきの私、もちろんイングランドを応援しました。
結果はもうご存じのとおり、イングランドが6対4で勝ちましたが、高得点の試合運びはじつにおもしろかった! 前半で4点を獲得したイングランドが後半で1点差まで追い込まれ、どうなることかとはらはらしたり、それでもフランスのエムバペ選手の卓抜したプレーには、ほれぼれしたり。
そんなわけで、今朝も午前4時に起きて決勝を観戦。アルゼンチン対スペイン戦です。
ところが、前日の試合のおもしろさに比べ、何かすっきりしません。互いにゴールが決まらないだけではなく、ボールを保持すると、当然のように背中から倒される。かと思えば自分から相手を背負うようにして見せかけのファウルを誘う。どこまでが許され、どこからがファウルなのか、にわかファンには判別がつかない。これが、こんな姑息な手段で勝ちに行くのが、ワールドカップの頂上決戦なのだろうか……、と落胆にも似た気持ちで眠気をこらえて見ていました。

長い前置きでした。
イギリス南部の広大な草原の中にある遺跡、巨大な石を円形に並べたり、積み上げたりした構造物です。紀元前3000年から2200年にかけて造られたと考えられており、1986年に世界文化遺産に登録されています。
現在、イングリッシュ・ヘリテージという英国政府の団体が保護管理をしているので、そのサイトのアプリから、日本語で解説を聞くこともできます。
イギリスに着いた翌日、ロンドンから車で2時間ほど、現地のバスツアーに参加しました。
大型バスにはヨーロッパ各地からの観光客(たぶん)がほとんど。バスの半分ぐらいを占めているでしょうか。日本人はいません。
ドライバー兼ガイドのジョンさん、なまりの強い巻き舌英語で話してくれるのですが、なかなか聞き取れず、それでも集合時間の「5時5分前」だけはキャッチ。さらに、「10分以上遅れたら、置いていく」と言うのも聞き逃しませんでした。
バスを降りた所で、彼にもう一度確認すると、「大丈夫、あなたのことは待っていますよ」と、ニコッと笑ってくれたので、ひと安心。東洋の小さなおばさんを置いていかないでね。
道中、あいにくと雨が降り出して、フロントグラスにたたきつけていましたが、到着する頃には止んでくれました。

バスが停まった場所は、ビジターセンターの近く。レストランやショップ、遺跡解説のパネル展示や、出土品の展示コーナーなどもあります。
まずは、真っ先に遺跡を目指します。
歩くと20分はかかり、シャトルバスもあるそうですが、360度見渡す限りの牧草地が広がって、気持ちの良い風が吹いているので、歩いていくことにしました。まっすぐな道が、木立に向かって続いています。

地平線には牛の群れ。





真っ青な空を背景に、ダイナミックな雲と、微動だにしない石の列。
誰が、何のために、どうやって。謎はまだまだ残されています。
石の重さは30トンを超えるものもあるとか。最も高い石は地上7メートル以上あり、しかも2.5メートルが地中に埋まっているそうです。
さらに驚くのは、この巨石が20キロメートル以上離れた場所から運ばれているというのです。小さな石でも、240キロも離れた場所から来ているそうです。
大勢の人々が関わる、大掛かりなプロジェクトだったのでしょう。
それらは、長い時代を経て、さまざまな民族によって行われたということなのかもしれません。
これまでの発掘調査でわかっているのは、火葬された人骨があることから、墓地としての役割があったこと。
明らかに、夏至の太陽を意識した配置になっていることから、天文学的な知識、暦のようなものを持っていたこと。夏至や冬至にここで祭りや儀式を行っていたのではないか、ということ。

▲この石はヒール・ストーンと呼ばれ、太陽の動きに合わせて配置されています。夏至の日、ストーンサークルの中からは、この石の方向に日の出が見えるそうで、そのための目印になっているといえます。
世界遺産に登録されてからも、ふだんはサークルの内側には進入禁止ですが、夏至の日だけは無料開放されて、大勢の人々が集まり、中に入り、巨石に触れ、日の出を見ることができるのだそうです。
アプリのガイドに従って歩いていたら、なぜか柵の外側に導かれ、また引き返してきて近寄りました。そんなこともあって、時間がかかってしまったので、帰りはシャトルバスに乗り、ビジターセンターまで戻りました。
無事に定刻にジョンさんのバスに乗り込むことができました。
帰りの車中では、ロンドンの見るべき観光地の情報も教えてくれましたが、そのたびに、
「私の名前はジョンです。ぜひツアーのコメントをよろしく!」を繰り返していました。
ふと、私がストーンヘンジの存在を知ったのはいつだったのかと、思い巡らせました。
思い当たったのが、イギリス映画「テス」。ナスターシャ・キンスキー演じる主人公のテスが、不幸な運命に翻弄され、思い余って人を刺し殺してしまう。その部屋から逃げ出した後、階下の天井の赤黒い血のしみが少しずつ広がっていく映像をなぜか覚えているのです。そして、最後のシーンに石の立ち並ぶ不思議な遺跡が出てきました。それが初めて見たストーンヘンジでした。
半世紀もたって、私は実物を目の当たりにしました。
日本からイギリスへと向かった旅は、時間を遡る太古への旅でもありました。
ロンドン旅のフォトエッセイ ② さっそくパブへ ― 2026年07月08日

イギリスといったら、何はさておき、パブでビールでしょう。
着いた日の夕方6時ごろ、長旅の疲れをいやすべく、ホテル近くのパブに行きました。
お店の外にはきれいに花鉢が飾ってあり、歩道には白い椅子とテーブル。窓ガラスの模様も美しい。懐かしい雰囲気のおしゃれなパブ、The Stanhope Arms(スタンホープ・アームズ)です。
中に入ると、所狭しと並んだ椅子やテーブル、お客さんでいっぱいで、空席には予約のプレート。カウンターの隅っこにでも腰かけようか……と思っていると、そばのテーブルで食事をしていた男性が、声をかけてくれました。
「もうすぐ家族が迎えに来て、僕は出かけるから、この席、どうぞ!」
なんとやさしいこと。夫の白髪が功を奏したのかも。

まずは、カウンターへ行き、サーバーからついでもらうのは、私はラガー、夫は黒ビールのギネス。
さすがにすっきりと美味しい。日本の黒ビールはちょっと敬遠気味の私も、一口飲ませてもらって、その雑味のない美味しさに驚きました。場所が変われば、味覚も変わる、のかもしれませんね。


そして、定番のフィッシュ&チップス!
揚げたてで、タルタルソースもとても美味しい。
レモンはなぜか焼いてあります。
付け合わせの、軽くクラッシュしたグリーンピースは、少々青臭さが気になりましたが、夫は「イケる」と言いながら、きれいに食べました。慣れればクセになる味かも。
この一皿で、19.95ポンド。約4500円!
私は、かつて毎晩のように通ったパブを思い出し、当時と変わらない、と思ったのでした。がしかし、ひとつ大きく変わったのは、まずその値段。以前はカウンターでビールを受け取る時に、たしか中グラス1杯分のハーフパイントが日本円で200円もしなかったと思うのですが、この日は900円ほどしていました。
さらに、もうひとつ変わったことは、支払いはレジへ行って、タッチ決済で済ませること。現金のやり取りはなくなり、便利になりましたね。

店内に2台もあるテレビは、ライブスポーツの観戦用です。
この日はまだ、サッカーワールドカップの開幕直前でしたが、今頃は大盛り上がりで、賑わっていることでしょう。そうそう、発祥の地イギリスでは、サッカーではなく、フットボールと呼ぶのでした。
イングランドは、準々決勝であのハーランドを擁するノルウェーと対決します。ロンドンでは11日(土)の夜10時キックオフ。ロンドンの街中のパブが、ビール片手に熱狂する人々であふれかえるにちがいありません。
日本時間は日曜朝6時。私も早起きをして、コーヒー片手に応援したいと思っています!
ロンドン旅のフォトエッセイ ① 地下鉄に乗って ― 2026年07月03日

帰国してようやく半月がたちました。
ロンドンの旅も、毎度おとくいの欲張りハードな旅でした。その疲労からなかなか抜け出せないまま、夜中のワールドカップ応援という時差ボケの「延長戦」が加わってしまいました。
でも、日本代表の戦いぶりから、元気が湧いてきました。ブログに向かわなくては、とやる気も出ました。
まずは初日のエピソードから。
ホテルは、地下鉄グロースター・ロード駅から徒歩2分。地下鉄の3つの路線が通っていて、ここから3駅目には大きなビクトリア駅もあって、旅行者にはとても便利。ビクトリア駅は日本でいえば新宿駅のような感じで、たくさんの長距離電車の発着駅でもあり、長距離バスなどのターミナルもあるのです。
出発前に、いろいろと娘に相談しました。
「ヒースロー空港からホテルまで、大きなスーツケースを転がしていくのは大変だから、タクシーで行こうかな」
「タクシーは高いからやめときなさい」
その娘によれば、ロンドンの地下鉄のサイトで、グロースター・ロード駅を調べたら、「バリアフリーではない」とは書いてないから大丈夫、とのこと。「空港からピカデリー線一本で行けるから、それが便利よ」と言います。
50年近く前、私は数ヵ月だけロンドンで暮らしたことがあります。その頃のロンドンが頭を過り、50年程度でそれほど便利な駅になっているとは思えない……。半信半疑でしたが、娘のアドバイスに従うことにしました。
大丈夫、と確信がありました。

始発のヒースロー・ターミナル5駅からピカデリー線に乗ります。さすがに、空港の駅は大きなリフト(エレベーターのことをイギリスではこう呼びます)があって、ホームに立ちました。
乗り込んだ電車は昔ながらの小さな列車。それはそうでしょう、日本がまだ江戸時代だったころに、ロンドンに生まれた世界初の地下鉄です。最小限に掘ればすむようにと、土を円形にくり抜いて作ったから、まるで細長いチューブの形。駅の構内もチューブ状なら、電車もまるい。正式にはunderground(アンダーグラウンド)という名前だけれど、tube(チューブ)という愛称で親しまれているのです。
乗り込むと、同じようにスーツケースを携えた乗客が多い。シートに腰かけても、向かいの人の膝が触れそう。天井も低く、こぢんまりとかわいらしい列車です。
地下鉄ですが、地上を走る区間も多く、昔ながらの長屋づくりの建物が続きます。私は懐かしい思いで見ていましたが、初めて見る夫は、面白そうに見ています。
そう言えば、私もこのロンドンの住宅街を初めて見た時には、「メリー・ポピンズの世界だわ!」と胸躍ったものでした。
40分ほどで、グロースター・ロード駅に到着。
案の定、バリアフリーだと聞いていたのに、エレベーターを降りると、さらに10段以上の階段がありました。
まず、夫が自分のスーツケースを持って上がっていきました。夫が戻ってくるのを下で待っていると、すぐに男性が近づいてきて、私の荷物を持とうとする。見れば、夫より年配らしき背中の丸くなったご老人です。
「夫がすぐに下りてきますから」と指さして丁重にお断りしました。
すると、また別の男性も声をかけてくれる。そこへ夫が降りてきたので、私のスーツケースはふたりの男性が仲良く運ぶ形になったのでした。
夫は、「みんな親切だねえ」と感慨深く驚いていたけれど、私は驚きませんでした。やっぱり、と思ったのです。きっと大丈夫、と思っていたのです。
50年前、ロンドンからパリへ、ひとりで旅行をしたことがありました。ホームステイ先のお宅で、四角くて重くて古めかしいトランクを借りて行きましたが、困ったことは一度もなかった。階段の前で立ち止まると、すぐに誰かが声をかけて、当たり前のように運んでくれました。
イギリスの人びとは昔と変わっていない。そのことが何よりうれしく思えたのでした。
▼グロースター・ロード駅を出ると、駅舎は100年以上の古さを感じます。



▼大通りの向こうは高級住宅街のマンションが立ち並んでいます。
ロンドンは快晴の空が迎えてくれました。この時はまだ午後6時前でしたが、日の入りは午後9時を過ぎます。



ロンドンへ、行ってまいります! ― 2026年06月07日
今年1月に娘がロンドンに赴任してから、この日に思いを巡らせてきました。
行けるうちに、行ける時に、なるべく早く行こうと。
そのためにも、白内障の手術を早く済ませること。
猛暑の夏は避けること。
年に一度エッセイグループが発行する会誌のエッセイをきちんと書きあげておくこと。そして、その合評会には必ず参加すること。
健康でいること。
もろもろのことに気を使いながら、準備を整えつつ、この半年近くを過ごしてきました。それでも、大なり小なりのアクシデントがありました。そんなキャンセルの危機も、何とか乗り越え、今日になりました。
明後日の便でロンドンへ向かいます。
今回は、英語の苦手な夫を連れての長旅です。しかも、彼にとっては新婚旅行以来のヨーロッパ、初のイギリスです。
上海の娘のもとへ、夫婦で2回ほど行ったけれど、今回はそれ以上に、私は大きなスーツケース並みの荷物を背負いこんだ気分……w
ホテル手配や搭乗券の座席指定、入国手続きのアプリ、eSIMの手配、留守宅の管理、旅先の天候と衣服の調整……などなど、準備はすべて私任せでしたが、その間の食事作りはほぼほぼ夫任せだったので、役割分担と思って、まあ良しとしましょうか。
娘とは、週末だけ一緒に過ごすことにしました。到着の日は出張だとのことですし。
彼女が、試しに私たちの観光計画をAIに聞いたところ、土曜に王室のお祝いのパレードや、航空隊による祝賀飛行があることを教えてくれたのです。
ラッキーでした。この日はお天気もよさそうで楽しみにしています。
ロンドンではそのほかに、大英博物館に始まって、たくさんの美術館でのアート鑑賞。そして、なんといっても、植物オタクの夫が一番行きたい場所だったキューガーデンズを訪れます。
また、評判のパイの美味しいレストランを予約しました。
ほかには、150年の歴史あるレストランで、シャンパン付きのアフタヌーンティーの予約も済ませました。
それから、ロンドンから日帰りで、コッツウォルズ地方の村々を訪ねたり、謎の多いストーンヘンジの遺跡を訪ねたりする予定です。
予定を書きだしたら、きりがありませんね。帰国したら、夏の間は涼しい部屋にこもって、旅の記録をエッセイにしたためたいと思っています。
どうぞ、楽しみにしていてくださいね。
ロンドンは24歳の時に半年ほど、イギリス人家庭にホームステイしながら、英語学校に通っていたことがあるのです。日本語教師として、ここで働くことも考えなかったわけではありませんが、実現には至りませんでした。
最後に訪れたのは、18年前。娘が大学受験で志望校に合格したお祝いに、初めて海外旅行に連れて行ったのでした。
そのロンドンで、娘は上海勤務から異動となって、働くことになりました。
運命のような、神様の導きのような、母としては不思議な思いを抱かずにはいられません。
4年間、ロンドンで単身赴任をしていた夫と、ようやくひとつ屋根の下で暮らせるようになりました。どんな生活をしているのでしょうか。
ちょっと覗いてきます。
ではでは、行ってまいります。

▲3月2日には、この2冊を買っていました。
2000字のエッセイ:「一人で行く旅のなぜ」 ― 2026年01月12日

ノンフィクション作家の川内有緒さんのエッセイを読んだ。一人旅のことをつづっていた。
「毎年一度は一人旅をしたい。何もしないで、ただ小説を読みふけるような船の旅がいいかも」
彼女は51歳。たくさんの経歴を持ち、海外でも暮らし、一人で娘さんを育てている。そんなパワフルな人だからこそ、のんびりした船の旅に憧れるのかもしれない、と70代に突入した私は思う。
私も一人旅をするが、旅に出たら、いや、出る前から綿密な計画を立て、時間を無駄にしないで、目的地を目指し、目的を果たすことに楽しみを見出す。私が元気でいられる時間は限られている。彼女との歴然とした年の差を感じてしまう。
なぜ一人旅をするの、と聞かれたことがある。とっさに答えが出てこなかった。しばらくそのことが引っかかっていたが、少しずつ答えが見えてきた。
最初のきっかけはコロナ禍だ。不要不急の外出は控え、人との交流も途絶えた。さすがに「一緒に行かない?」と誘える雰囲気ではなかった。それならばと、一人で出かけた。夫の休みがとれれば、一緒に行くこともあった。世の中ではGoToトラベルなどと旅行業界を支えるキャンペーンが盛んで、格安で旅行ができるし、どこへ行っても旅行客は少なく、むしろ快適な旅ができた。
コロナ禍でも、ミュージシャンのコンサートは人数制限を設けるなど、厳しい条件下で行われた。チケット入手は、別の意味でも厳しくなった。転売を防ぐために、本人のみならず同行者にも、事前登録と当日の本人確認が義務付けられるようになったのだ。
「一緒に行こうね」などと気軽に約束しても、万が一の時のキャンセルには手間がかかり、気やすく誘えない。コロナ禍をどう潜り抜けるかは、個人個人の状況や価値観に負うところが大きく、デリケートな問題だ。それならばと、やっぱり一人で行くことを選ぶようになる。
また、全国ツアーの場合には、首都圏よりも地方の会場のほうが当選確率が高いといわれる。そのチケットをゲットするためには、自分だけの都合で日程と会場を選ぶほうが気を使わないですむ。推し仲間と盛り上がるのなら、会場のロビーや近くのレストランなどで待ち合せて会える。会場の座席には、同じようにおひとり様が多く、お互い和気あいあいの雰囲気で寂しいことはない。
そして、翌日はライブの余韻に浸りながら、会場近くの旅を楽しみ、美味しい名物料理を食し、一人旅の醍醐味を満喫して帰っていく。私は、そんなふうに、浜松、名古屋、大阪での藤井風君のライブ&一人旅を楽しんできた。
ほかにも、一人旅の目的地を選ぶ時、参考にする本がある。
『日本の最も美しい教会』という写真集だ。
国内の61ヵ所のキリスト教会を紹介している。この本との出合いはコロナの少し前だった。2016年に発行されると、興味がわいて、アマゾンで購入。わが家に届いたのは日曜の午後で、その日の朝は、友人に誘われて都内の教会でミサにさずかってきたところだった。
梱包をほどいて驚いた。本の表紙になっている写真は、今朝訪れたばかりの碑文谷教会の聖堂内部だったのだ。この本に呼ばれている気がした。
そうだ、これらの教会を一つずつ、巡礼のように訪問してみようか。すでに訪れたことのある教会も少しはあるけれど、北は北海道から南は長崎まで、旅行のたびにチェックしてみよう。私ならではの楽しい旅の目的ができた。
弘前のお花見旅行のついでに2ヵ所、五島列島の旅で4ヵ所など、いくつか巡ってきたが、その後はコロナ禍に突入、教会も入場制限がかかるようになって、訪ねた数がなかなか増えない。
そんななかでも印象に残っているのは、たかとり教会だ。コロナの真っただ中、神戸に一人旅をした時、震災の被害が大きかった地域に足を延ばした。この教会も焼け落ちたが、震災後の復興の拠点となり、信徒たちの努力で再建された、と本には解説があった。しかも、私が幼児洗礼を受けた教会なのだ。
また、現在地元の教会の主任司祭をしている神父がここに赴任していた時期があり、掲示板には彼の若い頃の写真も貼ってある。教会のお世話役をしている中年の女性と、そんな話題でついつい話しこんでしまった。彼女はベトナム難民だったという。
今年はもう少したくさん巡ってみようかと、これを書きながら心が浮き立った。無理なく自由気ままに計画を立てる。初めての場所で知らない人と語らう。一人静かに祈りの時を持つ。それには、やっぱり一人旅がいい。
夫や友達と行く旅も楽しいけれど、一人で行く旅だからこその魅力が、そこにはある。


▲『日本の最も美しい教会』
八木谷涼子=文、鈴木元彦=写真
株式会社エクスナレッジ発行
ゴッホの「夜のカフェテラス」を見てきました! ― 2025年11月22日

今年8月4日の記事、「南フランスの旅のフォトエッセイ:⑳ゴッホの地で」の中で、この絵のことを書きました。
晩年のゴッホが暮らした地を訪れたことをアップしようと思っていた矢先に、思いがけないニュースに出合ったのです。
「夜のカフェテラス」
「アルルの跳ね橋」
オランダのクレラー・ミュラー美術館が所蔵するゴッホの代表作であるこの2点が、「大ゴッホ展」と称して2025年から28年にかけて、神戸、福島、東京の順に、日本国内を巡回するということでした。

現在、「大ゴッホ展」は9月20日から神戸市立博物館で始まっており、その「夜のカフェテラス」も公開されています。
今月、大阪に出向く用事があったので、そのついでに神戸元町まで足を延ばしました。来年5月の東京開催を待たずに、一足早くこの絵を見るために。
そこで、昨年のプロヴァンスの旅の話に戻ります。
ヴィラモンローズのご主人ダヴィッドさんには、自家用車でプライベートツアーもお願いしていました。目的のひとつは、ゴッホが暮らした場所、アルルに連れて行ってもらうこと。
ゴッホは1988年に、パリからアルルに移り住みました。
「この地は、明るい日差しが降り注いで、まるで日本のようだ」
そう言って喜んだのでした。まだ訪ねたこともない日本なのに、浮世絵などの美術作品から強い印象を受けていたのでしょう。
確かにプロヴァンスの日差しは強烈。湿気の多い日本の日差しとは少し違うように感じますが、冬は寒くて暗い天気が続くパリからやってくれば、その明るさだけでも解放されたような心地になったにちがいないと想像できます。
ゴッホはクリスチャンとしての信仰も厚く、繊細で、人との交わりが上手ではなかった彼は、少しずつ精神を病んでいきました。それでも、弟テオのような数少ない理解者の支援を受けて、貧しい暮らしの中、多くの作品を生み出していったのでした。
現在もアルルのフォルム広場にあるカフェは、修復されて、ゴッホが絵に描いた当時のように復元されている、と聞いていたし、照明の下で賑わう写真も見たことがあるのです。そこに案内してもらうのを楽しみにしていました。
ところが、行ってみると、店は閉じられたまま、放置されていました。
ダヴィッドさんの話では、店はひと儲けしようとたくらんだ人たちの手から手に渡り、今は営業停止状態だとのこと。国家の大切な遺産として、なぜきちんと保存に努めないのか、と彼も憤慨していました。私も同感でした。
憧れてきたカフェは、よこしまな人たちの思いが通り過ぎた跡地のようで、がっかりでした。

さらに、ネットでいろいろと調べてみたところ、ゴッホが描いた実在したカフェは、第二次世界大戦で破壊されたという説がありました。
その後、2000年代の初めに、ゴッホの代表作を基に、店を再現しようと企てる実業家たちが現れる。店は、「カフェ・ラ・ニュイ(夜のカフェ)」として、現在の広場に生まれ変わった。ゴッホの絵を細部まで再現したカフェは、ユネスコの世界遺産にも登録されて、観光客で賑わったらしい。
しかし、経営者たちの脱税行為が明らかになり、処分を受け、営業停止になるという残念な結末を迎えたということでした。
ゴッホの描いたカフェが、その後にたどった運命を想うと、複雑な思いにかられます。それでも、とにかく絵を見てみよう、そう決心して神戸へ、市立博物館の展示室へと向かいまいした。
▼神戸市立博物館の玄関前には、開場時刻の1時間前から行列が。

思ったよりも小さな絵です。
電燈の明るみを黄色で表し、テラスの壁も天井も、きらめくように黄色い。そこへやって来る人たちも、すでにテーブルを囲んでいる客たちも、白い衣装のウェイターを中心に、細かく生き生きと描き込まれています。
濃紺の空には、星々。まるで青白い花びらを付けたように描かれているのは、星の瞬きを表現したかったのでしょうか。

もっと見たい。いつまでも見ていたい。
……と思うのですが、開館前から大勢の人が並んで待っていたのです。この絵の前のスペースには、写真を撮る人、鑑賞する人の位置がロープで区切られ、移動を強いられます。写真を撮った後は、何度も場所を往復して、鑑賞しました。
絵を見ているうちに、後年このカフェを再現したいと思った人の気持ちがわかるような気がしました。
ゴッホは、フォルム広場にイーゼルを立て、夜の闇の中で、この絵を描いたそうです。妹への手紙にも、「夜の絵を現場で描くのはとても楽しい。現場で直接描いてよかった」と書いているとか。
その楽しさが、絵を見る人にも伝わってくるのでしょう。
この絵を見ていると、昨年の旅の途中、忘れられた祭りの跡のようなカフェの前にたたずんで、寂しい歯がゆい思いに浸ったことをいやおうにも思い出していました。
と同時に、確かにあの場所は、この絵を模したものだったと感じます。
この絵を愛した人たちが、オマージュのようにあのカフェを作ったのではないか。あれは、ゴッホが見つめた本物ではない。逆に、このゴッホの絵を見つめた人々の思いが結晶している。ゴッホの絵の力、名作の力が働いている。それだけで十分なのでは。
ゴッホの楽しさがこの絵に込められて、それを見た多くの人を幸せにして、後世に名作として残されていく。名作はこの絵であり、この絵こそが真実。それだけで十分なのではないか。
東京からはるばる関西に赴いて、自分なりの結論が出せました。
1年前のもやもや気分はようやく消え去り、カフェテラスの黄色い輝きに満たされたような気分になっていました。



★ちなみに、「アルルの跳ね橋」が日本にやって来るのは、2027年6月。また神戸から巡回するそうです。
中国の旅のエッセイ:「本場で食べてみた」 ― 2025年11月14日
エッセイの勉強会で、「ラーメン」とうテーマが出ました。
本場中国から帰って来たばかりで、書かないわけにはいかないでしょ……と、腕まくりしたエッセイです。

本場で食べてみた
5年前から中国の上海に単身赴任していた娘が、ようやく転勤することになった。
「10月1日からの国慶節が最後だから、一緒に旅行しない?」と誘ってくれた。
昨年の11月にも夫と上海の娘を訪ねている。まったく言葉の通じない中国で、右も左もわからない2人のために、娘は休みをとり、5日間の計画を立てて、連れ歩いてくれた。初中国は予想どおり何もかも刺激的だった。
中国料理は大いに期待していった。娘がたくさんの情報を集めては、ここぞという店に出かける。ちょうどシーズンだった上海蟹に始まって、北京ダック、ちょっと高級な広東料理から庶民の朝食の小籠包まで、ひとつとしてハズレはなく、大満足だった。
さて、今年は何を食べようか。去年食べ逃したものに、麺類がある。
「今度こそ本場のラーメンを食べよう」と、麺キチの夫もうれしそうだ。
着いた翌日は、上海から新幹線で小1時間の蘇州へ出かけた。どこもかしこも聞きしに勝る中国国慶節の混雑に出合う。今頃日本にも中国人観光客があふれていることだろう。
ここには有名な蘇州麺がある。古い街道沿いに何軒も店が並ぶ。老舗風の店に入った。テーブルには、皿やコップ、箸などを一人分ずつラップに包んで置いてある。これも70円ほどの料金がかかるのだ。
さっそく娘がメニューを読み解き、麺とトッピングを適当に選んでくれた。運ばれてきた麺は、日本のラーメンのように縮れてはいない。まっすぐな麺の束を丸めた形で丼に入れてある。野菜炒めとカニの卵とじを麺にのせ、さらに別添えのスープをかけていただく。
こちらの箸は先端でも五ミリほどの太さがあって、扱いにくい。1杯の麺を娘と2人で分けようとしたけれど、ひと苦労だった。
私は顎関節炎になって以来、硬い物が食べにくくなった。しこしこした麺の歯ごたえは苦手だが、この蘇州麺は食べやすい。
「ラーメンとそうめんを足して2で割ったような食感ね」
スープも辛くない。どろっとしたカニみそ風のトッピングもおいしかった。
記念に持ち帰った赤い箸袋の裏面には「一人一箸・健康新理念」と書いてある。「食器は消毒済みですので、安心してお使いください」とも。コロナ禍の教訓なのかもしれない。


▲水郷のある蘇州の街並み。赤い提灯が映える。
そして上海を去る日にも、空港内の有名チェーン店で最後の麺を味わった。娘の一押しの牛肉麺だ。これは、蒸した牛肉の薄切りが何枚も麺の上にのっていて、さらに好みでパクチーをどさっと入れる。蘇州麺の教訓から、1人1丼にした。
はて、箸がない。店の人に尋ねてみて気づいた。テーブルの下に、学習机のように引き出しがある。開けると、何本もの箸がむき出しのままケースに入っていた。一瞬だけ衛生面が気になったけれど、中国も2度目ともなれば、「まあいっか」と食べてしまえる。
ほど良い辛さと、お肉のだしのまろやかさ。これでほぼ600円なりの安さにも感激。
さすがは中国3000年の味でした。


▲牛肉麺を食べた陳香貴という店舗。上海の浦東国際空港内にある。
