南フランスの旅のフォトエッセイ:⑮アビニョンの橋で♪2025年05月13日

 


フランスに来て4日目、ニースは早朝から真っ青な空が広がっていました。

郊外にある閑散としたサン・オーガスティン駅から電車に乗ります。




車両のドアまでが、まるで梯子段のようなステップなので、とてもスーツケースは持って上れない。どうしようかと迷う間もなく、後ろにいた男性が軽々と持って運び上げてくれました。Merci beaucoup!!

 

車窓からは、海が見えたり、山が見えたり……


乗り換えのマルセイユーサン・シャルル駅で。▲

この駅は大きくて、混雑していました。朝ごはんを食べずに出発してきたので、おなかが空いて空いて……。でもお昼時で売店はどこも人がいっぱい。仕方なく自販機で、コインの投入がわからなくて、もたもたしながら、ワッフルを買ってみました。

これがまた、美味しい! さすがフランス! と感激。▼


途中マルセイユで乗り換え、4時間半ほどの長旅でようやくアビニョン中央駅に到着。駅ビルも売店もない、田舎の駅。

それでもすぐ目の前には、立派な城壁が続いています。並木や花壇が整備されていて、気持ちがいい。ホテルは駅からすぐなので、スーツケースを預け、さっそく城壁の内側へと広い道路を渡っていきました。


城壁の中には、古い街並みが今も残されています。▲

広場には、きれいな回転木馬も置かれていました。▼


その広場を抜けて、目的地の教皇庁宮殿へ。▼

 

時代は14世紀にさかのぼります。ローマ教皇庁が、いろいろとごたごたがあって、約70年間にわたってイタリアからアビニョンに移されていました。いわゆる、世界史で習ったアビニョン捕囚です。

その立派な教皇庁宮殿を見学します。世界遺産にもなっている建築物で、チケットを買うと、まずタブレットを渡されて首からかけます。それを見れば地図や見学ルートがわかるのだけれど、いかんせん広い敷地で、迷路のように入り組んでいて、工事中の場所もあったりして、階段を上ったり下りたり、重いタブレットは役に立たず、迷子になりました。

どうしても出口が見当たらず、入り口にたどり着いてしまうのです。こっそり出ようとすれば、係員に「出口に行きなさい!」と叱られる。ほかにも迷子の人たちがいて、一緒にうろうろしているうちに、何とか出口を見つけました。


こんな工事現場の通路も歩かされて……。 ▲


古めかしい石造りの建物にも、ラベンダーやアーティチョークなどなど、花や野菜の畑があって、ほっとできました。▼



やれやれ、と気を取り直して、さらに城壁を越えていくと、滔々と流れるローヌ川に、サン・ベネゼ橋が架かっています。これがあのアビニョンの橋。

 


 アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ

  アビニョンの橋で 輪になって 踊ろう

 

アビニョンという地名は、この童謡で、子どもの時から知っていたような気がします。

 

橋は、途中までしかないのです。ローヌ川が氾濫するたびに橋は壊れ、修復に大金がかかり、財政を圧迫。とうとう17世紀には修復を諦めてしまいます。

そんな哀れな橋ですが、今では教皇の宮殿とともに世界遺産となって、町を潤していることでしょう。






橋の上で、

「アビニョンの橋で、踊るよ、踊るよ♪」

と歌いながら、軽くステップを踏みました。

すると、近くにいたグループの女性たちも、

「ランランラー、ランランラー♪」

と、声を合わせて歌い始める。腰に手を当て、リズムに乗ってスキップする人まで現れて……。

ほんの30秒ほどだったけれど、同じオバサンどうし、言葉は違っても、子どもの頃の懐かしい歌で、ひとつになりました。そのことをだれもがわかったかのように、みんなで笑い合いました。

こういう瞬間が何よりもうれしくて、私は海外旅行が好きなのです。

 




南フランスの旅のフォトエッセイ:⑭エッセイ:恋リアにハマって2025年04月29日

2ヵ月ほど前のこと、私のニース愛を知っている友人が「ぜひ見てごらん!」と教えてくれたのが、「オフラインラブ」というネットフリックスの番組だった。

10話、ニースが舞台だというので、ニース見たさに月額890円の料金を払って見始めた。

 


1話。ニースの街の一角にある、メゾン・マルゴーというおしゃれなカフェに、背の高い日本人らしい若い男の子が入っていく。椅子もテーブルも窓側に少しだけ。誰もいない。がらんとした屋内の壁に並んだポスト。彼は名前を確認して、自分のポストから手紙を取り出す。

手紙には、この番組からの指示が書かれている。携帯電話は電源を切って金庫に入れてカギをかけること。それが「オフライン」の意味なのだ。やがて彼は一冊の青い表紙の冊子を手に、店を出て街を歩いていく。

 

こうして、日本からやって来た互いを知らない若い男女が順番に現れては、1人ずつニースの街へ繰り出す。男女5人ずつ。この日から10日間、番組からの青いガイドブックを目印に、彼らは互いに出会い、言葉を交わし、交際を始めていくのだという番組の設定が、だんだんにわかってきた。

連絡を取りたいと思ったら、ポストのあるマルゴーで、手紙を書いて相手のポストに入れる。連絡手段はそれだけ。番組からの指示も手紙だけで、第三者が現れることはない。

 

いわゆる恋愛リアリティーショー(恋リア)というらしい。最近できた新しい番組の形だという。それを見るのは初めてだけれど、数年前に出演者が誹謗中傷を受けて自死したという不幸な事件は聞いたことがある。

見ていても、どこまで脚本があるのか、「やらせ」があるのかはわからない。リアルとはいえ、そこには初めからカメラが回っているわけで、果たして、製作者の思惑どおりにリアルなドラマが展開するのだろうか。

登場する10人は、実際の〈人となり〉が紹介されていく。役者の卵だったり、水泳の選手だったり、モデルだったり……という具合で、ほぼ無名の人たち。ただし、誰もがイケメンで、チャーミングで、人選には力を入れたことがわかる。


さらに、見る楽しさを一層盛り上げているのは、途中にMCが入ること。

まるで、ニュース番組のコメンテーターよろしく、ニースの街のイラストの前で、中央に小泉今日子、両側に令和ロマンの2人が座っている。視聴者と同じ目線で同じ映像を一緒に見ながら、表情豊かに感想を述べたり、展開を予想してみたりして、視聴者の思いを言葉にしてくれるのだ。

 


彼ら10人は、運命の相手と出逢い、運命の恋をしたいと思って、このニースへの旅に参加している。だから、最初から相手を1人に絞らずに、いろんな人と話してみたい。そういう気持ちを汲むように、番組側は上手に出会いの機会を与える。何種類かの日帰り観光のデートを用意して、それぞれがデートに誘い合うようにと指示が出た。

ワイナリーへのサイクリングだったり、香水の手作り体験だったり、国境を越えてモナコへ行ったり……。こうして、数日の間に、いくつかのカップルが生まれたり離れたりして、意中の人への気持ちが絡み合いながら、番組は終盤に入っていく。

 

その頃には、私もすっかりハマってしまっていた。わが子よりも若い人たちのドラマなのに、こんなオバサンでも、ハラハラ、ドキドキ、キュンキュンしながら、見ているのである。自分でも不思議だった。

なぜだろう。昔を思い出している? 恋愛模様とは縁のない年ごろではあるけれど、自分だったら……なんて思っている? まさかね……と思い直しながら気づいたのは、オフラインの効果。簡単に電話ができたり、思いをスマホに打ち込んで送ったり、写真を撮って残したりなどできない状態というのは、まさに私の世代が経験した昭和の恋愛事情ではないか。それこそリアルな体験が私の記憶に眠っていたのだ。それが今よみがえってきて、相手だけを見つめ、自分の言葉だけで胸の内を伝えようとする彼らに、自分のことのように心を震わせ、共感しているのではなかろうか。

 

もちろん、ニースの映像は絵のように美しい。レストランの料理は本当においしそう。昨年の短い旅行では見つくせなかったし、彼らが訪ねていく場所にも行きたくなる。そんな相乗効果もあるのだろう。

この番組を見終わるのがもったいなくて、最終話はしばらく見ないでいた。

その頃だ、ステファニーさんがこの番組のコーディネーターを務めたことを知ったのは。

 

先日のトークイベントでは、たくさんのスライドを見せながら、彼女はたくさん話をしてくれた。最後のほうで、「オフラインラブ」にも話は及ぶ。

「ご覧になった方、いらっしゃいますか」と、ほとんど女性ばかり100人ほどの客席を見渡すと、急に熱を帯びたように、一斉に手が上がった。皆、番組の媚薬にやられているのだ。コーディネーターのステファニーさんが散りばめたニースの魅力に。

 

そして、とうとう最終話を見終えた。

3組のカップルが成立した陰で、恋を実らせることができずに泣いた人もいる。私はその後も、未公開映像や、帰国後の同窓会や、カップルのその後などを、YouTubeで見続けた。

1ヵ月が過ぎ、2ヵ月目の料金も引き落とされてしまった。でもいい、もう一度ニースの街を見てみたい。


今年も6月にニースを再訪する。ホテルは、メゾン・マルゴーの目と鼻の先。「聖地巡礼」をしてこよう。恋愛に一役買った壁のポストは、もう撤去されて、そこにはないそうだけれど。

 

 


★このシリーズは、次回からいよいよプロヴァンス地方のアヴィニョンに向かいます。お楽しみに!




南フランスの旅のフォトエッセイ:⑬ニースの街のフォトアルバム2025年04月28日

ニースは予想以上に美しい街でした。

その魅力は、見た目の美しさだけではありません。

さわやかな空気、やさしい花々の香り、美味しそうなスパイスの香りなどなど、写真だけでは伝えきれないのが残念です。


ニースの中心、マセナ広場。▼


▼路面電車のケーブルは地下に埋めて、芝生の上を走る姿は、優雅です。


マセナ公園には、地面から噴き出る噴水があって、子どもたちがとても楽しそうに水を浴びて遊んでいました。▼


公園の周囲の花たちも満開! 

ピンクはブーゲンビリア。オレンジ色はランタナ。


ガリバルディ広場には、きれいなメリーゴーランドも。▼



旧市街の中心には、ロセッティ広場があり、17世紀に創建されたサン・レパラート大聖堂が建っています。サン・レパラートは旧市街の守護聖人です。▼



ロセッティ広場には、一番人気のジェラート屋さんFenocchio(フェノッキオ)があります。▼


旧市街でも、広場でも、カフェやレストランはたいていお店の外におしゃれな色柄の椅子を並べています。▼



私たちも、気持ちの良いテラス席で、ニース風サラダと、名物のピザ、そして地元のビールをいただきました。とびっきりおいしくて、幸せでした♡


南フランスの旅のフォトエッセイ:⑫ステファニーさんのトークショーへ2025年04月12日

南フランスの旅のきっかけともなった『ニースっ子の南仏だより12ヵ月』という著書、その著者であるルモアンヌ・ステファニーさんについては、これまでもご紹介してきました。

彼女のおかげで、昨年のニースの旅はとても楽しいものとなったのでした。

 

そのステファニーさんが来日。先週の5日(土)に、東京神田で彼女のトークショーが開催され、行ってきました。

すぐ近くの北の丸公園や千鳥ヶ淵の桜は、満開! 午後からのトークショーに間に合うように、午前中にお花見をして、晴天の空の下、桜を堪能するというプレおまけつき!

 

 


トークショーの会場は、東京神田の出版クラブ。なかなかにオシャレなところです。▼

 

ショーの初めに、一緒に来日した彼女の夫と二人の息子、夫の父親という総勢五名が登壇して、紹介されました。男性は白いワイシャツ、彼女は白いスーツ姿で、まるで洗剤のCMのようにさわやかな一家でした。▼


その後、ニース出身のフランス人の自称「落語パフォーマー」のシリル・コピーニさんが登場。彼女とは、高校時代からの同級生とのことで、二人の南仏トークも息が合って、なかなか面白い。


 

ステファニーさんは、南仏のたくさんの写真映像を見せながら、話をしてくれました。

おススメのレストランは? おススメのおみやげは? ニース近くのおススメの街は?……などなど、参加者が事前に送っておいた質問に、丁寧に答えてくれるのです。

レストランは、私が前回のブログに書いたシェ・ダヴィアも挙げていました。

おススメの街は、アンチーブ、ヴァルボンヌ、サントロペ。

 

じつは、今年の6月にふたたびニースを訪れます。今回は、2月7日の記事に書いたカヨさんと一緒に。このトークショーにも二人で参加して、「アンチーブは外せないわね」と意見が一致しました。ここにはピカソ美術館があるのです。


最後に、参加者全員、ステファニーさんからのフランスのおみやげをもらいました。配ってくれたのはご次男のガブリエル君。

10歳ながら、お母さんに似てチャーミングな紳士です。▼


いただいたのは、フレーバーティーのティーバッグと、もうすぐイースターなので、かわいいウサギと花の模様の紙ナフキン。

手書きのカードも付いていました。▼


 

さてさて、それにつけても、早くこのシリーズを終わらせなくては、ニース第2ラウンドの旅が始まってしまう。

がんばります。

 


南フランスの旅のフォトエッセイ:⑪エッセイ:「4」にご用心!2025年03月11日

大変お待たせいたしました。

「南フランスの旅のフォトエッセイ」を半年ぶりに再開します。

今回は、1800字のエッセイにまとめましたので、お読みください。

 

 

   4」にご用心!

 

ニースに着いた翌日、朝からマティスやルノワールのゆかりの場所を訪ねたあと、ステファニーさんに教わったおすすめのレストランで、夕食をとることにした。予約をせずにお店に向かったので、室内は予約で満席だったが、テラスの席に案内してもらえた。外のほうがさわやかで気持ちがいい。

 

南仏のワインと言えば、ロゼ。まずはそれを頼んで乾杯してから、翻訳アプリを使ってはメニューを解読し、次々と注文していく。

「大好きなラタトゥイユは外せないよね」

「ニースに来たんだから、ニース風サラダじゃなくて、ずばりニースサラダだね」

「牛肉の料理も食べたいね」

「デザートは、ラベンダーの香りのクレームブリュレにしてみようか」

 

いつものようにおしゃべりに花が咲く。料理は期待以上に美味しい。なんとも形容しがたいスパイスの利いたラタトゥイユの美味しさに感激し、紫色のクレームブリュレに驚き、ワインも進んだ。

 

すっかり心地よくなったところで、テーブルで会計を頼む。レシートには手書きの文字で10種類ほどの料理やドリンク名が並んで、最後に合計149.5とあった。2人で26000円あまり。円安のせいでけっして安くはないけれど、ニースならではの食事が楽しめたのだから、気分は上々、満ち足りていた。

 

 若いHiromiさんに、いつも2人分の現金を入れた財布を預けて、支払いを任せている。

150ユーロと、あとチップを少し足せばいいんじゃない」

と、私は言ったつもりだった。軽くうなずいて、彼女は店内のトイレを借りるついでに、室内で支払いもすませてテーブルに戻ってきた。

200ユーロとチップ、渡してきた」

「え? なんで。細かいの、なかったの?」

「だって、199.5ユーロでしょ」

「ええ? 149.5よ。ほら見て」

手書きのレシートを見せた。


 

たしかに4ではなく9にも見える。その隣には、アルファベットのgのような数字の9があって、彼女は錯覚してしまったようだ。

どうしよう! と困り顔のHiromiさん。

満席の店内で、会計担当の従業員は忙しくてよく見ないままお札を受け取り、たくさんのお金が入ったザルのようなお皿の上に、ぽいと置いたというのだ。

「私がいくら払ったか、もう確かめられないと思う」

「大丈夫、取り返してくるから」

50ユーロは見過ごせない。日本円で8600円なり。たとえチップとしても取り過ぎだ。

 

 私たちのテーブルの担当だったウェイターをつかまえて、手書きのレシートを見せながら、つたない英語で事情を説明した。読み間違えてごめんなさい。でも、お返しくださったら、とてもとてもうれしい、とかなんとか……。

 彼は数秒考えたのち、

50ユーロでいいんですね。OK!」

と、気持ちよく紙幣を1枚返してくれた。2人でほっと胸をなでおろした。いいお店でよかったね。



 レストランの名は、シェ・ダヴィア。ダヴィアおばあさんが始めた店で、もう70年以上も家族で営んできた。地元では人気のイタリアンレストランだという。シェフは京都や大阪でも経験を積んだそうで、奥さんは日本人。そういえばデザートメニューの中に「キョウコのお菓子」というのがあった。

 日本人だから信用してもらえたのかもしれない。

 

 ふと思いついて、昨年のパリオリンピック2024のポスターを見てみた。案の定、数字の4の横棒が縦棒を突き出ていない。9にも見える。▼


『地球の歩き方』のフランス編をパラパラめくっていたら、「フランス人の数字の書き方」というコラムがあった。0から9までの手書きの数字が並び、

「特に日本人にわかりにくいのは1、4、7だ」と書いてあった。▼ 






新年のご挨拶2025年01月01日

 


皆さま、明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今日、いただいた年賀状の中にも、「ブログを読んでいます」というお言葉がありました。どうもありがとうございます。
とてもうれしく、それを励みにまだ続けていこう、と決意も新たにしました。

 

年の初めのブログに「新年のご挨拶」を載せることが恒例になりました。昨年の1月4日には前年を振り返って、


ひとことで言うと、2023年は「いい年ではなかった」。
 

などと書いています。でも今年は違います。

 

ひとことで言うと、2024年は「いい年だった」。
 

前年に脳出血で倒れた義姉も、1月にはリハビリ病院を退院し、義母と二人、実家の近くの有料老人ホームに入居することができました。24時間看護師が常駐し、隔週で往診があり、至れり尽くせりです。

103歳の義母が、78歳の義姉の車いすを押して廊下を歩く姿は、なんとも言えません。

 

肩の荷も下りてやれやれ……と、3月に夫と慰労の旅をしました。大好きな琵琶湖巡りで、レンタカーを走らせてドライブを満喫。まだまだ桜のつぼみも硬く、寒かったです。

 

4月には京都と奈良へお花見。インバウンドですごい人でしたが、上手に人混みを避けて、まだ少し早い桜を楽しめました。

また、東山の邸宅や、嵐山の福田美術館を見て歩き、日本画家の大家、竹内栖鳳の芸術と、初めて触れあうことができました。

 

5月には、静岡ドライブの旅。35年ほど前に住んでいた清水から駿河湾のカーフェリーに乗り、西伊豆まで。お天気が良くて、富士山もきれいに見えて、感激したのはつかの間でした。まあ揺れたこと揺れたこと。まいりました。

 

という具合に、春だけで3回もミニ旅行へ。

そして、すでにブログに書いているとおり、念願の海外へ。6月には南フランス、11月には上海と、年に2回も海外旅行をしたのは初めてのこと。それだけでも、充実の一年だったと思えるのです。

 

12月末には、ついに古希を迎えました。

もっとも、「古来、希(まれ)なり」だから古希、と言ったのは昔の話。近来はざらにあることなので、キンザラというのよ、と人生の先輩から教わりました。

 

ところで、その誕生日から、夢のような、運命のような、タイムスリップのような、不思議な偶然が重なって、そのことに気持ちが持っていかれてしまっています。

今はそこまでしか書けませんが、いずれ、それを書いてみたい。

2025年からの私の70代は、ますます素敵な出来事で“満ちてゆく”。藤井風君の歌のように。その予感を信じて進みます。

 

中断していた「南フランスの旅のフォトエッセイ」も⑪から再開します。また覗きにいらしてください。

皆さまにとっても、素敵な年となりますように。


 

 


ニーハオ、上海!:④サイチェン、上海!2024年12月22日






最後の夜は、近くのホテルのちょっとリッチなレストランで、北京ダックをいただきました。もちろん、とても美味しゅうございました。


横のテーブルには、小学生ぐらいの男の子と父親らしきふたり連れがいる。こんな上等な店にふたりきりで?

「お母さんはいないのかな」と娘に小声で言うと、「まだ働いているんじゃない?」との答え。中国は女性も当然のように仕事を持っているのでした。

彼らは富裕層に見えました。男の子は大きなメガネをかけて名探偵コナンのように賢そう。しきりと私たちのほうを気にしています。

それから、お父さんに何か話しかけました。

娘の通訳によると、

「この人たち、日本語を話している」と言ったという。

でもお父さんはにこりともせず、さっさと帰る支度を始めていました。

 

マスコミの情報によれば、中国人の9割が「日本は嫌い」だといいます。それでも、日本に滞在経験がある中国人の場合は、「嫌い」の割合がぐっと下がるとか。もちろん、どこまで信ぴょう性があるのか、わかりません。

とはいえ、日本人が襲われる事件もあり、心配な事態だということだけはわかります。国家のあり方が違って、情報操作もされているそうですから、国民感情も日本人と同じように分析はできないのかもしれません。

 

娘は上海だけではなく、中国各地に出張をしたり、旅行して回ったりしています。

「くれぐれも気をつけてね」と言えば、

「大丈夫。私は黙って歩いていれば、中国人にしか見えないから」とのたまう。

まあ、たしかにそうだけれど、他の国に行ったって、日本にいたって、親の心配は尽きないのでしょう。

ともかく、彼女が帰国する日まで、無事を祈り続けるしかありません。

 

 

これで最終章です。

次回から、南フランスの旅のフォトエッセイシリーズを再開します。

どうぞまた覗きに来てくださいませ。



ニーハオ、上海!:③一番のお気に入りは、ここ2024年12月16日

  

「上海に、世界一大きいスタバがあるらしい。行ってみようよ」

「え、スタバなんて日本にだってたくさんあるじゃない」

上海の街を歩けばどこにだってスタバはあるし……、ただ大きいというだけでわざわざ見にいくの? とあまのじゃくな私は思いました。

 

が、しかし。

午後の便で帰国という日の朝、早起きして8時の開店に合わせて行ってみたら、いつも行列ができるらしいけれど、平日ということもあって、お客さんは少ない。

しかも、一歩中に入れば、フレッシュなコーヒーの香りに満ち満ちている。

スタバなんて東京にだってあるし……と思っていた私は、大まちがい!

ワンランク、いえ、ツーランク上の店舗だったのです。

 


スターバックス ・リザーブ・ロースタリー(Starbucks Reserve Roastery)という名称で、2014年にアメリカのシアトルに1号店ができて、上海には2号店として2017年に完成。南京西路駅のすぐそば、目抜き通りの角地にあります。
2階建ての広さは2,700㎡あるそうで、普通の店舗の10倍近い印象です。(もっとかも?)

大がかりな焙煎機の装置があり、自家製パンやケーキも店舗内で焼き、お茶の販売も、さらにはアルコール類をおくバーまであり、スタバグッズの種類も充実の品ぞろえなのです。


▼内部は、天井も、椅子もテーブルも、ほとんどが木材。


ここが焙煎工房▲


パンの販売コーナー▲ 店員さんたちはみな、それぞれ好みの帽子をかぶっていてオシャレ。デニッシュパンからクロワッサンサンドやピザまで、たくさんの種類が並んでいます。出来立てで本当に美味しそう。


迷い迷って、やっぱり大好きなデニッシュをチョイス。レーズン・ピスタチオ味と、シナモンロールを娘と半分こして食べました。どちらも直径15センチほどで、ボリュームもおいしさも満点。ちなみに1つ630円ほど。シナモンアップル・マキアートと一緒に。

クロワッサンサンドは普通のソーセージときゅうりのサンドで、1050円。店内で淹れ立てのブレンドコーヒーは3杯分たっぷりポットに入っていて、お値段1600円ほど。
決して安くはないけれど、上海最後の朝食として、思い出に残りました。


2階に上がる階段を下から見上げて一枚▲

吹き抜けになっているので、2階から1階を見下ろすこともできます▼

2階にはバーやお茶のカウンターがありました。




▲充実のグッズたち。早くもクリスマスの飾りも。


ゆっくりと店内を見て歩き、写真をシャカシャカと撮り、出来立てパンの朝食をいただいて、しっかりと自分用のおみやげも買いました。

上海限定のタンブラーは、上海の人気スポットのかわいいイラストが。

さらに、オリジナルのプリントもオーダーできるというので……▲

ちなみにタンブラーの写真は、帰国してすぐに稲城教室があり、その時に稲城のスタバで撮りました。もちろん、中には熱々のコーヒーが入っています。

 

思いがけず、素晴らしかった。
ここの魅力は、広さや美味しさだけではなく、アメリカや日本のスタバにはない、上海ならではの魅力そのものなのかもしれない。伝統に胸を張る一方で、新しいものもすかさず取り入れて、前に進んでいこうとするこの街とその人々。そんな印象を持ったのでした。

 

上海の最後に訪れて、イチ押しの場所となりました。

皆さんも上海にいらしたら、ぜひ!


ニーハオ、上海!:②上海の美味しいものたち2024年12月08日

  

中国初上陸で、中華料理は大きな楽しみのひとつでした。

そんな親の思いにこたえようと、娘があれこれ考えて選んで、必要なら予約も入れておいてくれました。

 

夜に到着して、翌朝はまず街に繰り出して朝ごはんです。8時ごろでも下町風の商店街はすでににぎわっていて、湯気の上がる店もありました。営業は朝だけという店もあるそうです。

中国では女性も仕事に出るので、朝ごはんを家族そろって自宅で食べるという習慣はあまりない、と聞いたことがあります。

娘のおススメは、焼き小籠包。小籠包なら日本でも食べたことがあるけれど、この〈焼き〉が美味しいのだとか。目星をつけておいたという店を目指します。

 

新装開店の店には行列が▼


肉屋の店先で、ハガキより大きいぐらいの包丁で肉を切り分ける(というより、ぶった切るという感じの)人、それを見守る人たち。


これが、焼き小籠包。大きな鉄板のような鍋で転がして焼き、ゴマとねぎをトッピング。

調理は店の奥ではなく、道路に面したガラス張りの調理場。女性が何人もいて、せっせと手を動かして、作っていました。

店内は、ちょっとレトロな雰囲気。一人で朝ごはんを食べている男性客が多かったです。



アツアツのところに、お酢の利いたタレをつけて食べます。まあ、美味しいこと! 

初中国の初シャオチー(軽食)は、本当にハオチー(美味しい)。忘れられない味になりました。


 

11月といえば、上海蟹のシーズンです。この貴重な時期に行くことになったのは、ラッキーこのうえなし。2日目の昼食に、新光酒家という人気のお店へ。





カニ丸ごとよりも、むき身の料理がとても美味しい。アスパラと炒めたり、ソースと絡めたり。とくに、パクチー大好きな娘と二人で、山のようなパクチーと大豆と炒めたような一皿、ぺろりと堪能いたしました。

もちろん、陶製のボトルに入った紹興酒も、毎日飲んでいたあっさりしたチンタオビールも、大変おいしゅうございました。


 

3日目のランチは、ミシュラン2つ星の中華料理店へ。

喜粤8号/CANTON 8という元は香港料理のシェフが、上海らしい広東料理にアレンジした高級店だそうで、娘の一押し。

下町のようなごみごみとした地域に、タクシーでたどり着きました。





店構えはこざっぱりとして、従業員の制服はちょっとおしゃれ、食器類もちょっとあか抜けている印象で、お客さんたちも、いかにもちょっと……という雰囲気。

 




 


フランス料理でおなじみのオマールエビは、くどいホワイトソースではなく、あっさりとやさしい味で、エビのうまみがよくわかります。

ありふれた酢豚とはいえ、今まで食べた中で一番! 周りはカリッと、中はジューシー。プロの味です。

たかがチャーハン、されど広東料理のチャーハンは逸品でした。

広東料理の特色は、甘辛醤油味。それが濃すぎずまろやかで食材本来の味をしっかり残していて美味しい。

私は四川料理のような辛すぎるのは苦手だけれど、一切それを感じませんでした。


 

ただし、最後のデザートのこれは!

お汁粉のようです。確かに小豆で作られています。が、ひとさじ口にすると、ほんのりと甘い小豆の味の最後に、舌の奥に柑橘類のピールのような苦みが残るのです。「私の体の半分はお砂糖でできている」と豪語するスイーツ大好きな私ですが、どうしても食べきれず、残しました。ごめんなさい。デザートを残すなんて、生まれて初めてかも。

 

ちなみに、このレストランは、2年前に銀座に上陸したとのこと。懐かしくなったら、行ってみようかと思ったり、いやいや上海だったからこそ美味しかったのだと思いとどまったりしています。

どうせなら、ふたたび上海へ……というのがいいかな。 

 

                (③に続く)

 


ニーハオ、上海!:①びっくり7選2024年11月22日

「南フランスの旅のフォトエッセイ」も中断したままだし、前回の投稿がちょうど同じ日付の1022日。1ヵ月もご無沙汰しておりました。娘の駐在先の上海へ行っていたのです。準備にも、帰国後の忙しさも、目の回る1ヵ月でした。

 

初体験の中国です。まず観光とはいえ、ビザが必要で、申請も受け取りも江東区有明にある中国ビザセンターに出向き、それぞれ狭い部屋で2時間半待たされました。それだけで気持ちが折れそうでした。

とはいえ、娘がどんな場所でどんな暮らしをしているのか、この目で見てこよう。そんな強い思いで、夫とふたりで、かの地へ向かいました。

娘が上海に行くことになったいきさつは、2021210日の記事につづっていますので、そちらもお読みいただけたらうれしいです。

コロナ禍の真っ最中に単身赴任してから早くも3年半。娘もさることながら、聞きしに勝る中国とそこに住む人々のおもしろさに圧倒されるやら呆れるやらの5日間でありました。

 

びっくり・その1

まずは初日、仕事帰りの娘が空港に迎えに来てくれるので、夜に到着。出口で待っていた娘は、タクシードライバーと電話でやりとりしています。もちろん、中国語。彼女が中国語を話すのを初めて聴いたので、まずびっくり。3年半も暮らしてきたのだから、当たり前だとはわかってはいても、感動してしまったのでした。

 

その2

彼女のひとり暮らしの住まいが立派なのでびっくり。26階建てのホテル兼レジデンス。2回お掃除が入ると聞いてはいたけれど、要するにホテル住まいだから、タオルも寝具も取り換えてもらえる。キッチンや大きな冷蔵庫はあっても、ほとんど外食だとか。広い寝室もバスルームも2つずつあって、私は高級ホテルのシングルルームに泊まった気分。ああ、うらやましい。(と私が言うのがわかっていて、これまで娘は詳しく話してくれなかったようです) 


その3

まあ、街中の賑やかなこと。車はクラクションをブブブーと鳴らして走り、バイクは歩道さえもビービー鳴らしながら通行人を縫うように走るのです。これにはいつもびくびくして歩いていました。

人々は大きな声で会話をします。近くの人とでも。まるでけんかしているみたい、と言われるとおりでした。

 

その4

上海は都会ですから、人口も多い。その混み具合は、東京とあまり変わらないでしょうか。ただ大いに違うなと思ったのは、どこを歩いていても、人がよけてくれないこと。いつも向こうから突進してくる人をこちらがよけている、という感じがしてなりません。こちらを人間として見ていないの? 物体のように思ってる? ……とすら思えてくる。娘もそうなのよ~と同意。日本なら、どちらからともなくぶつからないように自然と身をかわすのに。

とはいえ、あちこちでぶつかって倒れる人もいないので、うまくすれ違っているのでしょうね。ひと月もすれば慣れるのかもしれないけれど、新参者としては戸惑うばかりでした。


▲南京東路・西路と呼ばれる繁華街。いつでも歩行者天国でにぎわっていました。

 

その5

同じように、地下鉄の中でも、当たり前のように電話をしています。しかも、スピーカフォンで、相手の声まで聞こえてくる。これもまた日本ではありえない。

みんながみんな同じようにしていて、お互いさまだから?

話し声も大きいから、電話だって同じ?

「車内ではお静かに」というマナーはないのかもしれません。


 珍しく空いていたので、撮ってしまった地下鉄の車内▲ なぜか樹脂製の硬いシートの車両も多く、お尻が痛くなりました。


その6

さすがに中国は、日本の先を行くIT社会です。

まず、出発前に娘の指示どおり、中国のAlipayというアプリをダウンロードして、アカウントの初期設定をしました。中国の人民元で支払いをするためのアプリで、娘が夫と私のそれぞれのアカウントに、滞在中に使う程度の人民元をチャージしてくれました。手持ちのクレジットカードも登録すれば使えますが、その都度3%の手数料がかかるので、使ったのはチャージした元だけ。地下鉄に乗るときも、改札口にQRコードをかざすだけで、アプリから電車賃が支払われます。買い物の支払いも、店頭で同様にQRコードだけで決済が完了します。

結局、滞在中は中国の紙幣も小銭も、現金には一切触れず、目にもせず、でした。

 

タクシーにも何度も乗りましたが、すべて娘がアプリで手配。近くのタクシー乗り場を指定すると、利用する車のナンバーや、あと何分で来るかもわかり、安心して待っていればいいのです。

日本でもたまに「GO」のタクシーを利用しますが、それより進歩していて便利なように感じました。

ちなみに電車賃もタクシー料金も、およそ日本の3分の1程度でした。

 

なんともかわいかったのは、娘の住むレジデンスのロビーで、充電しながら待機している青とピンクのロボット2体。日本でもファミレスなどで料理を運んでいるのを見かけるようになりましたね。

このビルでも、ときどきエレベーターに乗っていたり、扉が開くと降りてきたりして驚いたものです。ビルの玄関先まで届けられた居住者宛ての配達物を、従業員が受け取り、ロボットたちに指令を出すと、それを間違いなく部屋のドアの前まで届けるのです。娘も熱々のご飯や通販での買い物など、しょっちゅうお世話になっているようです。

ちなみに、彼らの名前は、トムとジェリーですって。かわいい働き者たちでした。

 

その7

こうやって、驚いてばかりの初めての異国を、中国語しか通じない街で、老夫婦ふたりが迷子にもならず、けがもせず、(当局に捕まりもせず?)歩き回れたのは、ひとえに娘のおかげです。

思い起こせば、3人の子どもたちが小さい頃、私たち親は苦にもせずに車を運転したり、電車に乗せたりしては、あちこち連れて行ったものです。

それが今、まったく立場が逆転してしまった。感無量の思いです。娘がここまで成長したのも、親の力なんてほんのわずか、自分の努力と我慢をたくさん積み重ねてきたからだと、私は思っています。

立派になったね。ほめてあげたい。

 

☆びっくりの番外編です!

これを書いている最中に、たった今、ニュース速報が入りました。

「日本人の中国訪問 短期ビザ免除再開へ 今月30日から」

1ヵ月早かったら楽だったのに……。


▲有明の中国ビザセンターからの眺め。ビッグサイトが見えます。もうここで待たされなくとも娘に会いに行けますね。

 

★次回は、美味しい中国料理のかずかずや、上海の人気スポットなど、たくさんの写真とともにアップするつもりです。お楽しみに!

 



copyright © 2011-2021 hitomi kawasaki