新しい春が来た!2017年04月09日



かつての私にも、春にはたくさんの人生の節目があった。卒業や入学、転勤など、自分自身のことばかりではなく、結婚後は夫や子どものことで、春はいつも忙しかった。

それがなくなってきたのはいつごろからだろう。気がつくと、年度末の忙しさも、別れの切なさも、4月の新しさも、感じることが少なくなっていた。

 

今年の春は、変化の春にしよう。新しくしよう。願いを込めてそう思った。

 

1週間ほど前、胃カメラの検査を受けた。あまりに胃の不調が続き、いよいよ心配になってきたのである。

胃カメラは初めてではない。大人になり、いらいら、くよくよすることの多い私が、ストレスを胃で受け止めるようになってからは、何回もお世話になっている。

しかし、今回の医師は、鼻から挿入することを勧めた。これは初体験。痛いのでは……と怖気づいた。

 

言うまでもないのだが、胃はストレスでダメージを受けやすい。

1年前の母の入院、手術、その後の介護……。毎日、毎日、毎日、そばに住む私には大きなストレスとなってのしかかってきた。

親の介護は、物理的、時間的な負担だけではなく、精神的な負担があまりにも大きい。実の娘だからこそ、遠慮なく言いたいことを言う母。母のわがままを聞き入れてあげないのは、冷たい娘だからだろうか。残り少ない時間を、なぜ安らかに過ごさせてあげられないのか。ことあるごとに、自分を責めてしまう。

でも、私にも家族があり、仕事があり、自分の人生がある。

そのせめぎ合いに苦しむのだ。かくして、胃の痛む日が増えていく。

 

内視鏡には、胃の表層に櫛でひっかいたような赤い筋が何本も写っていた。

「気苦労が多いもので……」と言うと、

「まさにその痕ですね」と医師。

しかし、重篤な病気ではなさそうで、いくぶんほっとした。

胃痛が完全に消えたわけではないが、気にしないで大丈夫だ、と医師は薬を処方するでもなく、つれなかった。

 

介護がいつまで続くのか、見通しを立てることはできない。それはタブーだ。

ならば、他のストレスを少しでも軽くするほかはないだろう。

 

そこで、思い切って仕事の断捨離をした。

一時期は5つも抱えていたエッセイ教室を3つに減らす。そして、NHK学園の通信エッセイ講座の専任講師も、職を離れることにした。

これで、仕事は半分になったといえる。

 

自由な時間が増えた。少なくとも、月に7日はフリーになる。

さて、何をしようか。新しく何かを始めようか。

まずは、のんびり、ゆったり、考えることからだ。自分のための時間の使い道に、楽な気持ちで思いを巡らす。

胃に優しく、そしてなんと贅沢なひとときだろうか。

  

  

 


映画『ムーンライト』を観る2017年04月18日


先月、新聞の8ページ全面を使ったすごい広告がありました。(写真はそのうちの4ページ)。

今月になって、その映画を観てきました。アカデミー賞の作品賞に輝いた『ムーンライト』です。アカデミー賞の白人偏重問題に対する「忖度」だとか、移民を排除しようとする現政権に対する抗議だとか、何かと話題の映画賞だったようですが。

 

これは、黒人の主人公シャロンのゲイの物語です。いじめられてばかりの子ども時代から、大人になった現在まで、3章に分かれており、役者も替わっていきます。

章が替わっても、ほとんど解説はありません。でも、寡黙にして饒舌。見ていると腑に落ちてくるのです。

全体を通して、ひたすら暗い。でも、時のたつのを忘れるほど、引き込まれます。

その映像は前評判どおりに美しい。浜辺、水の中、月夜……。青く冷たいけれど、どこか温もりが感じられます。

なんとも形容しがたい映画です。

 

映画を観たのは、桜が満開になってきた頃。桜の枝を見上げながらも、映像がふっと脳裏をよぎるのでした。

桜が散ってしまった今もなお、不思議な感動がひたひたとよみがえります。

そして、いくつかの忘れられない言葉も――

 

「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」

シャロンを不憫に思い、何かと目をかけてやる屈強な男フアンのセリフです。しかし、彼は麻薬密売人であり、シャロンの母親にも麻薬を売っている。

シャロンをかわいがるのは、その罪の意識、それとも自責の念でしょうか……? いえ、そんな単純なものではないかもしれません。

 

フアンがシャロンに泳ぎを教えるシーンでは、海に彼の体を浮かせながら、こう言うのです。

「感じるか? 地球の真ん中にいる」

 

フアンは、母子家庭のシャロンにとって父親代わりだったのかもしれません。

シャロンもまた、長じては屈強な肉体に自らを鍛え上げていました。そして、フアンと同じ生業に手を染めていったのです。

 

彼の人生は、哀しくもある。

一方で、肌の色や性別や生まれた環境がどうであっても、人間の真実……つまり、生きる意味や、人を愛する衝動は、それらを超越して、純粋で崇高なものといえるのではないか。

私は未消化ながらも、言葉にすればそんなことを感じました。 

 




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