エッセイの書き方のコツ(1) 「客観的に見る」2012年01月04日


明けましておめでとうございます。
どのようなお正月を過ごされたでしょうか。
昨年のキーワード「絆」にふさわしく、いつものお正月以上に、家族や友人たちと共に過ごす時間が長かったのではないでしょうか。

私は昨年、義父と兄、大切な人を二人も失いました。
母も姉も弟もそれぞれ、きょうだい家族を失い、みな喪中です。
それでも、いつもどおりに実家に集まり、持ち寄った料理やお酒で、楽しいひと時を過ごしました。
私がいうまでもなく、2012年は日本中が絆を大切にしながら、2011年を乗り越えていくことになるでしょう。

ご縁あってこのブログを読んでくださる皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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さて今朝は、夫が初出勤。テレビ番組も平常どおりに戻りました。
いつものように、食後のコーヒーをすすりながら、NHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」を見て泣かされました。
そのまま「あさイチ」を見ます。これもいつもどおり。
今朝は、半年間国際宇宙ステーションに滞在した宇宙飛行士の古川聡さんが登場して、こんな話をしていました。
「宇宙から地球を見ると、地球にいるときにはわからなかったことが見えてきます。それはちょうど、外国に行くと日本の特色がわかるのと同じですね」
オーロラの全体像は、地上から見るだけではわからないのですが、宇宙から観測して初めて、リング状だということが実証されたそうです。

これは、どんな物事にも当てはまるのではないでしょうか。一歩離れると客観的に見えてくる。今まで気づかなかったことが見えてくる。とても大事なことです。
エッセイを書くときにも同じことが言えます。
自分を一歩離れて見る。この客観的な視線がエッセイには不可欠です。
とはいえ、幽体離脱するわけにもいきませんから、せいぜい想像力をたくましくして、他人の目で自分を見つめてみましょう。心の中をのぞいてみましょう。
それらをつづっていけば、独りよがりではない、他人が読んでもわかりやすい文章が書けるようになるはずです。さらには共感してもらえる文章につながっていきます。


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今年からは、折に触れて、エッセイの書き方のコツを少しずつ紹介してみたいと思います。
どうぞお楽しみに。


エッセイの書き方のコツ(2) 「他人の目になる」2012年01月06日


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前回は、エッセイには客観的な視線が不可欠、と述べました。
抽象的でちょっとわかりにくかったでしょうか。

他人の目になる。その簡単な方法を説明しましょう。
ひと昔前は、「書いたら三日三晩寝かせたのち、もう一度読み直して、それでも納得のいく文章であれば、公表すること」などと言われたものです。
でも、今の世の中、書いた直後にボタン一つで世界中に公開できてしまうのに、そんな流暢なことは言っていられません。
それでも、他人の目になるために、ちょっと待って。
書き終えたらそれで終了、即送信……とせず、書き終えたら、まず、自分の文章を忘れてください。時間の許す限り、せめて1時間でも30分でも。
そののちに、もう一度読み返してみる。すると、書いている最中には気がつかなかった誤字脱字、あるいは変換ミスが見つかることもあるでしょう。この文、ちょっと変かな。この説明ではわかりにくいかな。そんな個所が出てくるかもかもしれません。
つまり、自分の文章を客観的に見ているのですね。
少しだけ、自分の文章から離れることが、他人の目、読み手の目になれる一つの方法なのです。
そうなると、まだまだ完成ではない、と感じます。きっと書き直したくなる。そこから推敲が始まります。文章が磨かれていくのです。


客観的な視線で自分の文章を読み返しながら、スローフードのようにじっくりことこと、時間をかけて仕上げていく。それもエッセイの一つの書き方です


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エッセイの書き方のコツ(3) 「継続は力なり」2012年01月10日


新年から「エッセイの書き方のコツ」というシリーズで書き始めました。
青い文字で書き、******のラインではさんであるところが、そのシリーズです。
その日に気がついたこと、出会ったことなどからテーマを見つけています。けっして順序だててあるものではありません。
ですから、№1、№2……というのはおおげさだったと反省。タイトルも書き添えるようにしました。
今日のタイトルは「継続は力なり」。その言葉に思いいたった出来事をつづります。

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大晦日に、1冊の本が送られてきました。
『シュークリームを食べる日』(日本文学館)


『シュークリームを食べる日』


著者の吉雄節子さんは、もう10年近く前、よみうり文化センター町田教室で、私がエッセイ講座を担当していたときに、生徒さんだった方です。その後すぐに、私は個人的な事情で講師を交代しましたが、節子さんはエッセイを書き続けていました。
そして、ようやく念願かなってエッセイ集を出版されたとの
こと。

この本の表紙を一目見ただけで、もう何年も会っていない彼女のことが脳裏に浮かんできました。70代というお年のわりには背も高く、華やいだ雰囲気で、彼女の周りにはいつも明るい笑いがこぼれていました。
本のあとがきには、こう記されています。
「あんなこと、こんなことを書き留めたいと、70歳を過ぎたころに、町田教室の門を
叩きました。原稿用紙への書き方も知らなかった私に、ひとみ先生はやさしく手ほどきしてくださいました」
そうそう、そうでした。彼女の文章は、どこか夢見心地で、文の端っこがふわりと飛んでいってしまったような……そんな印象の作品が多かったかもしれません。(ゴメンナサイ!)
彼女の原稿は私の赤ペンで真っ赤になったものです。やさしい手ほどきだったかどうかは、定かではありませんが……。
それでも、彼女のエッセイには持ち前の華やかさと女性的な感性が光っていました。まるで、きれいな毛糸玉をたくさん持っていて、これから編み方を教わる人のようでした。
10年がたちました。その間ずっと編み続けてきた節子さんには、いつのまにかこんなに素敵な作品がたくさん出来上がっていたのですね。素材の良さが一層際立つ作品集が生まれました

言葉ひとつひとつが磨かれ、文は尻切れトンボなどではなく、きちんとまとまって、彼女の思いを読み手の心に届けるための道具になっています。今は亡き人を懐かしむ気持ち、大切な人を思いやるやさしさ……どれも染み入るように伝わってきます。
「継続は力なり」
本を読んで、まずその言葉を思い出しました。
節子さん、80歳の記念に、エッセイ集の出版、本当におめでとうございます。

書き続けること。書き方のコツというにはあまりに当たり前のことかもしれません。それでも、いちばん確実なエッセイ上達法だと、改めて思ったのでした。


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「ブログの書き方セミナー」満員御礼のお知らせ2012年01月14日


来たる1月21日(土)に開催予定の、
東京都品川区の武蔵小山創業支援センター主催
「読まれる・集客につながるブログの書き方」
というセミナーは、おかげさまでお申込みが定員に達しました。
どうもありがとうございます。
皆さまの関心の高さがうかがえ、講師として、身の引き締まる思いでもあります。

なお、まだキャンセル待ちを受け付けていますので、あきらめないで、ぜひお申込みをなさってください。
女性限定のサロンです。
会場:当センター会議室
日時:来年1月21日14:00~16:30
参加費用:お一人1000円

サロンの概要・申込みなど、詳しくは当センターのホームページをご覧ください。



著書『歌おうか、モト君。』2012年01月17日


『歌おうか、モト君。』

2005年10月、文芸社から上梓した本です。
副題は、~自閉症児とともに歩む子育てエッセイ~ 。
25歳になるわが家の長男は、3歳の時に「自閉症」と診断されました。
その息子の子育ての日々は、たくさんの人々に支えられながら、泣いたり笑ったりの連続でした。障害がわかったころのこと、小学校でのこと、サザンの歌との出会い、母子二人の海外旅行、側わん症との闘い、きょうだいの葛藤……
それらを少しずつエッセイに書きつづって、1冊にまとめたのが、この本です。
書かれているのは子育ての記録ですが、そこに浮かび上がっているのは私自身の半生にほかなりません。

この本は、2007年から、ご縁があって、聖徳大学の「障害児保育」の科目で、テキストとして読んでもらえるようになりました。そのときから、学期に一度、授業に出向いて、自閉症児の母としてお話しする時間もできました。

今日は、東京は港区三田にある聖徳大学付属の専門学校で、お話ししてきました。
40名ほどの学生さんたちの、きらきらと輝く目が私に注がれます。わかりにくいといわれる自閉症児の話に聞き入ってくれます。
「モト君に障害があるとわかったとき、何を思いましたか」
「周囲の理解を得るために、どのようなことをしましたか」
寄せられた質問に答えるたび、熱心にメモを取っています。
将来、保育のプロを目指す彼女たちの記憶のなかに、私の文章が、私の話が、少しでも
残ってくれたら、と思う。これから彼女たちが出会う障害児の母たちの、確かな支えになってほしい、と思う。
……若いエネルギーをおみやげにもらった気分で、東京タワーが間近に見える道を帰ってきたのでした。


「読まれる・集客につながるブログの書き方」セミナー開催2012年01月22日


昨日、東京都品川区の武蔵小山創業支援センター主催の

「読まれる・集客につながるブログの書き方」
が、予定どおり開催され、セミナーの講師を務めてきました。
みぞれの降り続く寒い一日でしたが、横須賀や所沢からも参加の方がいて、定員の20名、全員ご出席でした。
どうもありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

当日の様子は、センターのブログでも紹介されています。

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セミナーでは、まず、ブログの目的を考えてみました。
ブログは、集客の道具ではなく、セルフブランディングの貴重な手段です。
ただ漠然と日々のつれづれを書いているのでは、もったいない。

では、何を書いたらいいのでしょう。
それは、自分をよく知ること。何をアピールしていったらいいか、よく考えること。
事業のイメージも大事ですが、個人的な話題で親近感を持ってもらうことも効果的です。その一方で、お客様に専門的な情報を提供することも、忘れてはなりません。
そのバランスが必要ですね。

それらをどうやって上手に書くか。
そのテクニックは、エッセイと変わりません。読み手に親切な文章、つまり、読みやすい文章こそが読み手の心をとらえます。
ブランディングが上手に表現できれば、集客につながる道も開けるのではないでしょうか。
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テキストには具体的な文例をたくさん載せて、ざっと以上のようなお話をしました。
少々盛りだくさんだったかと、反省もしています。

そこで、今回のセミナーを補う形で、銀座のエッセイクラスを企画いたしました。
エッセイもブログも、大事なのは読みやすい文章をつづること。
ブログに興味のない方も、エッセイなんて書けない……と思っている方も、ぜひ、朝の銀座で、文章を磨くひとときをご一緒しませんか。
ブログに載せるためのショートエッセイを書いてきていただければ、それが生のテキストになります。皆さんで意見を出し合ってみましょう。
もちろん、手ぶらの参加も大歓迎。
クラスの後は、ランチをいただきながらのおしゃべりタイムです。

★日時:228日(火)10101145
★場所:銀座三越 デンマーク・ザ・ロイヤルカフェ
★参加費:4000円(教材費・ランチ代を含む)
★お申し込みは、石渡まで。ご質問などもお気軽にどうぞ。
   hiotomi3kawasaki@gmail.com


ここでの様子は、最近の記事「11月のエッセイクラスin銀座」をご覧ください。

また、お店のオフィシャルブログもぜひどうぞ。
「コミュニケーション・プレイス」というたくさんのクラスがあります。

それでは、たくさんの方のご参加をお待ちしています。
定員7名とさせていただきますので、お早めにお申し込みください。
次は、銀座でお目にかかりましょう!

自閉症児の母として2012年01月29日

昨日は、冷たい北風の吹く中、千葉県松戸市にある聖徳大学に出かけました。ある授業のゲストとして呼ばれ、お話をしてきたのです。
1月17日の記事にも書きましたが、今日初めてブログを読んでくださる方のために、もう一度、そのいきさつを書きましょう。

『歌おうか、モト君。』

これは、200510月、文芸社から上梓した本です。
副題は、~自閉症児とともに歩む子育てエッセイ~ 。
25歳になるわが家の長男は、3歳の時に「自閉症」と診断されました。
その息子の子育ての日々は、たくさんの人々に支えられながら、泣いたり笑ったりの連続でした。障害がわかったころのこと、小学校でのこと、サザンの歌との出会い、母子二人の海外旅行、側わん症との闘い、きょうだいの葛藤……それらを少しずつエッセイに書きつづって、1冊にまとめたのが、この本です。
書かれているのは子育ての記録ですが、そこに浮かび上がっているのは私自身の半生にほかなりません。

この本は、2007年から、ご縁があって、聖徳大学の「障害児保育」の科目で、テキストとして読んでもらえるようになりました。
履修する学生の皆さんに、そのレポートや感想文を書いてもらい、私も読ませてもらっています。そして、学期に一度、授業にも出向いて、自閉症児の母としてお話しする機会がある、というわけなのです。

今学期のレポートでは、一番印象に残ったエッセイを一つ選び、それについて書いてもらっています。
一番多く取り上げられていたのは、「おにいちゃんのこと」というエッセイでした。
3つ下の妹、8つ下の弟。自閉症の兄を持った二人に焦点を当てて書いたものです。
若い学生さんたちは、それぞれにきょうだいがいて、共感しやすいテーマだったのでしょう。
「私が妹だったら……」
「じつは私も弟が自閉症で……」
「泣きながら読みました……」
たくさんの思いがつづられていました。

ブログを訪れてくださった皆さまにも、お読みいただければ幸いです。
出版社にはすでに在庫がありません。私の手元に何冊かありますので、送付先をお知らせいただければ、お送りいたします。

コメントにお書きいただくか、
hitomi3kawasaki@gmail.com  まで、メールでお知らせください。
定価1,260円のところ、送料込み1,000円とさせていただきます

著書『歌おうか、モト君。』より エッセイ「おにいちゃんのこと」(前半)2012年01月29日


平成元年夏、当時3歳の長男モトは自閉症と診断されました。生まれたばかりの長女を連れて、療育施設に通う日々が続いていました。
エッセイの前半は、その娘についてつづっています。
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   おにいちゃんのこと

    ◇きょうだいがほしい

 娘は、生後2ヵ月から息子の療育のお供をさせられていたから、幼いころは家庭と障害児施設とが彼女の世界のすべてだった。なんのわだかまりがあるはずもなく、あるがままのモトが、唯一無二の兄であった。
「あたし、いくつになったら、ほのぼの組さんになるの。はたちになったら?」
 兄の通うM学園に、いつか大きくなったら自分も入れてもらえる。それを楽しみにしている時期もあった。
 1歳、2歳、3歳と、娘が日増しに言葉を覚えて成長していく日々。コミュニケーションの障害を抱え、生きる困難を背負っている息子を見ていると、娘の人並みの成長こそが、奇跡のようにすばらしいことなのだ、と感じられてならなかった。
 そして、おしゃまな娘との会話に、どれだけ慰められてきたことだろう。
「大きくなったら、だれと結婚していい?」
「お友達のなかで一番好きな男の人と結婚したらいいわ」
「じゃ、あたしはモト君と結婚する。一番好きだから」
 やがて娘は保育園へ入る。普通の子どもたちと関わるようになって、少しずつ、自分の兄が園児たちとはどこか違っていることに気がつき始めたのかもしれない。あるとき、こう言ったのである。
「もっと、おりこうさんのおにいちゃんがよかったなぁ……!」
 一瞬ドキッとしたが、彼女の屈託のない言い方に、心配ない、と直感した。
「あーら、どして。かけ算もできるし、英語だって読めるし……」
と、モトの得意なことを並べてたててみる。
 そうだね、とそのときはあっさり思い直してくれた。

 〈中略〉

 ある日の夕方、子ども部屋でテレビを見ていた娘が、私のところへやってくると、しょぼんとしてつぶやいた。
「あたし、きょうだいがほしい」
 え? モト君がいるじゃない。
「遊んでくれるきょうだいがほしい」
 ははーん、相手になってくれないからだな。
「でもね、けんかしたり、いじめたりするおにいさんも多いのよ、お友達に聞いてごらん。うちのおにいちゃんはそんなことないよね」
とかなんとか、モトを弁護した。
 娘は黙って、人差し指で目じりをこするいつものやり方で涙を拭いていた。
 私の大きなおなかの中には、赤ちゃんが入っていることを、娘は知っている。でも、それとは関係なく、兄に対する寂しさ、物足りなさのような気持ちを、そんなふうに表現したのだろう。
 3人目ができて、よかった。
 本気でそう思えるようになったのは、ようやくこのときからだった。


    ◇守られなかった約束

 娘が、モトと同じ小学校に入学するとき、それなりに心配がなかったわけではない。
 おにいちゃんのことで、不愉快な思いをすることはないだろうか。傷つくことはないだろうか。どんなことがあっても、ひとりで抱え込まないで、話してほしい、と思っていた。
 入学式の日、娘とふたりで歩きながら、言ってみた。
「ママと三つだけ約束してくれるかな」
 きちんとあいさつをすること。
 だれとでもなかよくすること。
 学校でのことはなんでもママに話すこと。
 この三つめこそ、いちばん守ってほしいのである。
 ほかの二つは付け足しのようなもの。通っていく先が保育園から学校に変わったところで、「しっかり者」と呼ばれてきた娘には、言うまでもないことだ。新しい環境にもすぐに慣れてしまうだろう。
 入学式の翌日から、兄と妹は、そろいの青い制帽をかぶり、手をつないで登校していった。
「おにいちゃんね、きょうも図書室にいたよ」
「水道のお水で遊んでた」
 娘は毎日、学校で見かけた望人の様子を報告してくれた。もちろん自分の一日の生活ぶりもよくしゃべる。心配するほどのこともなさそうだ、と思っていた。

 娘がすでに2年生になっていたころのこと。
 休み時間の校庭で、コミュニケーションの行き違いから、モトとほかの子どもとのあいだに小さなトラブルが起きた。たまたま居合わせた妹が兄をかばって割って入り、泣きながら砂を投げ合うようなけんかになってしまったという。
 私がその話を耳にしたのは、一年も経ってからだった。しかも、娘の口からではなく、同級生のお母さんから聞かされた。
 今さら真偽のほどを確かめたところでどうしようもない。相手の子のことも気にはなったが、なにより、娘が私に黙っていたことのほうが心に重かった。
 娘は約束を守ってはいなかったのだ。だからといって、この一件を問いただす気持ちにはなれなかった。

 家庭のなかだけで一緒に暮らしてきたあるがままの兄を、娘は学校という社会のなかで見るようになった。普通の子どもとは違うという事実も、当然わかってくる。
 私に話さなかったのは、心配をかけまいとする彼女なりの気遣いだったかもしれない。おそらく、娘の小さな胸のなかには、言葉にすらできない、戸惑いも、葛藤もあるのだろう。兄をめぐるトラブルはこれだけではなかったのかもしれない。
 いつのまにか三つめの約束を守らなくなっていたのは、娘が成長している証なのだろう。
 娘は障害児の妹として生まれてきた。そういう星の下に生まれた、という言い方をするならば、その星は、彼女が成長するための栄養をたくさん与えてくれるだろう。そして、いつでも行く手を明るく照らしてほしい。
 私は、あえて何も言わないでおこうと決めた。望人の障害のことも、自閉症という言葉すら、面と向かって口にするのはやめよう。彼女が聞いてきたら答えればいい。おとなの言葉で娘の胸のうちをかき混ぜるよりも、これまでと同じように、あるがままの兄をよく見てほしい、理解してほしい……、それだけを思っていた。

 それでも、ついに、改まって兄の障害について話さなければならないときが来た。
 娘が私立の中学校を受験する。試験には面接があり、兄弟のことを聞かれることが多いという。しかも、親と子、別々の面接だから、話が食い違っては困る。このさい、きちんと共通理解を深めておかねばならないだろう。
「モト君が自閉症という障害児だっていうことはわかってるわね。面接で、おにいさんのことを聞かれたら、自閉症なので養護学校へ行っています、と言えばいいのよ。何も恥ずかしいことじゃないものね。だいじょうぶね」
 一気に言ってしまうと、娘はいつものように、こくりとうなずいた。
「中学校へ行ってからも、お友達におにいちゃんのこと聞かれたら、同じように答えればいいし、隠す必要なんてないんだからね」
 そこまで言うと、涙をこぼしたのは、ほかならぬ私のほうだった。
「今さら、なにもお母さんが泣くことないのにねえ」
 照れ隠しで饒舌になる私のそばで、娘は何も言わなかった。
 かつて、おしゃまでおしゃべりだった女の子は、もうそこにはいなかった。娘はいつのまにか、多くを語りたがらない少女に変わっていた。


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娘は、大学4年になりました。ますますしっかり者の妹……というより、お姉さんのよう。モトには一目置かれています。


著書『歌おうか、モト君。』より エッセイ「おにいちゃんのこと」(後半)2012年01月30日


昨日は娘についてつづった前半を載せました。
今日はその続き、8歳年下の弟についてのエピソードです。
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   おにいちゃんのこと

   
    ◇『光とともに』とともに

さて、つぎは次男の番……と身構えるまでもなく、あっというまに、小学校四年生の彼は〈告知〉というハードルを飛び越えてしまった。
「あのさ、自閉症って知ってるよね」
 おやつを食べながら、次男のほうからそう言ってきたのである。
 内心びっくり仰天の私の返事を待たずに、彼は続けた。
「『光(ひかる)とともに…』って知ってるよね」

「ああ、あのドラマね」
 主人公は6歳になる光という名の自閉症児。母親の奮闘ぶりや、教師との関わりなどが描かれていて、幼いころの望人を思い出しては、泣きながら見ていた。その原作のコミック本が、教室の文庫にあるのだそうだ。
「自閉症っていうのは、ことばが遅いとか、触られるのを嫌がるとか、危険を察知できないとかの特徴がある」
 次男は得意そうに覚えたての知識を教えてくれた。
 それで?

「うん、まだ続きがあるんだけど、誰かが借りちゃってて、まだ読んでない」
 思い切って言ってみた。
「モト君って、自閉症なのよ」
 ふうん……とたいして驚くでもなく、わかっていた、というふうでもなく。私の言葉の意味がよく理解できず、頭の中で、虫眼鏡を上下させてピントを合わせるような作業をしているのかもしれない。
 自閉症の光君のことは理解できても、その症状を兄と同じだ、とは気づかないでいたらしい。
 3年くらい前に、一度だけ、
「うちのおにいちゃんはさぁ、普通の人と違う気がする。あんまりしゃべらないところとか」
と言ったことがあった。
 それにしても、自分のただ一人の兄が、よもや、今夢中になって読んでいるコミックのなかの、自閉症という新鮮な言葉に当てはまるなんてこと、想像もつかなかったのだ。
 それから何日か、次男は光君のことを話題にし続けた。それはあくまでもコミックの話であり、おにいちゃんの話には結びついていかなかった。
 そうそう、それでもかまわない。おにいちゃんはおにいちゃん、だものね。


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次男も高校2年生になりました。
自閉症というのは、こだわりが強いという特質があります。言い換えれば、とても几帳面。ところが、兄弟とは思えないほど、弟はだらしがないのです。
「おなかの中にあった〈几帳面〉を、おにいちゃんが全部持って生まれちゃったから、僕には残ってなかったんだ」というのが、弟の言い分です。

戸部けいこ作『光とともに…』


ところで、『光とともに…』の原作者、戸部けいこさんは、2年前、52歳の若さで亡くなりました。連絡先がわかったので私の本を送って、このエッセイを読んでもらおうと思っていたところだったのです。何か月もメモのままで、さっさと実行に移さなかったことが、とても悔やまれました。
命日は、128日。
おととい、聖徳大学の「障害児保育」の授業でお話をしたその日でした。学生さんたちが、このエッセイを一番印象に残るものとして取り上げてくれたのも、何か戸部さんの励ましをいただいたような、不思議な偶然でした。
ご冥福をお祈りいたします。



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