おススメの本、宮下奈都著『羊と鋼の森』2016年02月06日

 


読み始めて数ページのうちに、その静ひつな文体が心地よく、すぐに引き込まれました。

雪が降り積もってやんだ朝の、しんと冷たい白い空気のように、吸い込むだけで気持ちがよくなる。何度も深呼吸がしたい。そんな文章でした。

 

ピアノ調律師の物語です。

その職業について、どれほど知識があったでしょうか。以前、わが家にもピアノがあり、調律を依頼したこともあったのに、まるで初めて出合った世界のようでした。

ちょうど、『邂逅の森』を読んだときの衝撃に似ています。(2015314日の記事に書いています。)マタギと呼ばれる熊猟師たちの人生を初めて読み、圧倒されたものです。

マタギは日本古来より営まれていた土着の生業。調律師は西洋音楽に関わる近代的な職業。まったく異なるように見えますが、ひとりの人間がその仕事にすべてをかけていく生き様には、なんであれ胸を打たれます。人生の尊さに違いはないことを、改めて知らされる思いがします。

 

そして、音色という聴覚の領域を、ここまでていねいな言葉で表現した小説を読んだことがありません。

一つひとつの言葉を吟味して並べる。さらに、文章を構築する。その根気のいる作業を、作者はどれほどの手間ひまをかけて、成し遂げていったことでしょう。

いえいえ、もしかしたら、こともなげに仕上げてしまえる文才の持ち主かもしれません。そのまばゆさに、ため息が出てしまうほどの文才……。

しかしながら、主人公の青年は、ピアノを弾いたこともなかったのに、調律師を目指して成長していく。同じように、作者の執筆作業も手探りだったのでは、という気がします。調律師が音を決めるように、この作家も心を研ぎ澄ませて言葉を選ぶ。主人公は作者自身であるかのように思えたのでした。

 


この本は、直木賞候補作の中から、受賞作になる予想と期待を込めて選んだ2冊のうちの1冊です。

受賞は逃しましたが、受賞作に次いで、選考者の評判がよかったとか。

次回に期待したいですね。



 



2000字エッセイ:「ありのままで……?」2016年02月21日

 

   ありのままで……?

 

「うわっ、すごい!」

今年の正月のこと、年賀状のなかの一枚に、思わず歓声を上げた。

それは、70代後半の女性Sさんからだった。はがきを横長に使った写真に、ご夫妻の顔が、はみだしそうなほどのアップで写っている。最近はやりの自撮り写真のようだ。それにしても斬新な構図。その顔の上に、

「日々是好日 平成27年元旦」の文字がかかる。

画面の半分以上を占めるご主人は、おかしくておかしくてしかたがないといった表情で笑っている。なんともしわくちゃな笑顔。深く刻まれたしわも、白い眉も口ひげも、グランパパの津川雅彦さんによく似ている。

ちょっと後方で顔を寄せるSさんも、口元を横にひき、眉間にしわを寄せて目を細め、「困った主人でしょ」とでも言いたげな苦笑を浮かべている。いつもおしゃれで上品な彼女にしては、マイナスイメージだろうに……。

 しかし、見れば見るほど、失礼ながらつられて笑ってしまうのだ。まさに笑いと幸せを運んでくれる年賀状だ。

「今年の最優秀年賀状に決定!」 

と、勝手に宣言させてもらった。

 

 子どもたちが小さいころ、年賀状といえば出すのももらうのも、家族の写真入りが多かった。友人知人の半分以上は現役の企業戦士の家族で、わが家をはじめ、転勤族も少なくなかった。お互いに、しばらく会えない間の子どもたちの成長ぶりを見てください、という思惑が大きかったのだろう。

やがて、いつのまにかわが家の年賀状から夫婦の姿が消え、子どもたち3人だけの写真を使うようになる。さらに彼らが大きくなると、ビデオは撮っても、3人一緒の写真は撮れなくなった。思春期の子どもたちはカメラを向けると顔を隠すのだ。無理強いはできない。かくして年賀状から写真そのものが消えた。ついには、家族一人ひとりの年賀状へと変遷をとげていくのである。

ところが近年、パソコンを駆使してはがきのデザインができるようになったから、私個人の年賀状に、写真入りが復活している。

そうはいっても、今さら家族の写真は照れくさい。せいぜい1年間の出来事や旅の思い出を、小さなスナップ写真を添えて紹介する程度にとどめる。それも、みんなの顔映りのいいものを選び、自分の写真はとびきり若く見えるものを厳選する。

いい年をして、旅先のスナップなんていうのも恥ずかしい。まして、顔のアップは厳禁だ。美しい風景の中、豆粒のような姿でたたずんでいる写真に限る。

昨年の暮れに、還暦を迎えた。50代半ばまでは、ただ明日が今日になって昨日へと移っていくように、誕生日が来て、59歳が60歳に切り替わるだけだ、と高をくくっていた。しかし、現実は違ったのだ。

坂を転がり落ちるように、加速度がついて若さが失われていく。重力には逆らえないたるみ具合にも、シミしわ白髪の増殖具合にも、がく然とする。見かけだけではなく、機能的にも体のあちこちがおかしくなった。健康診断の結果の数値に目をむくこともある。

私は見えっ張りだ。こんな年になってまで、年賀状に写真は載せたくない。そう思っていた

 

 そんな年の正月だったからこそ、Sさんからの年賀状には打ちのめされた。なんというインパクトだろうか。後期高齢者の素顔をあえて披露しているのだ。

でも、魅力的な写真だ……。ああ、これでもいいのか、と気がついた。目からうろことはこのことだろう。

これからは私も、Sさん夫妻ほど潔くとはいかないまでも、もっと写真を送ってみようか。年を重ねて変化していくところを、年に一度、見ておいてもらうのもいいかもしれない。久しぶりに会って、ずいぶんおばあさんになったね、とがっかりされたら、それこそ悲しい。懐かしい人と気がねなく再会できるように、予備知識を送っておくのだ。

きれいでなくてかまわない。シミもしわも白髪も、ありのままで……と、そこまでの勇気はないが、せめて加齢による衰えよりも、内面の充実ぶりがにじみ出ているような写真、というのはどうだろう。日頃からそれ相応の日々を送らなければならないわけで。

憂うつだった還暦に、元気が出そうなチャレンジを思いついた。

 

                    20157月)





エッセイの書き方のコツ(29):テーマは「袋」2016年02月27日



 

この1月から、あちこちのエッセイ教室で、「袋」というテーマで書いてもらってきました。

スカートをほどいてオシャレな手提げ袋を縫った話、古いお弁当袋の思い出、エコバッグがたまってしまう悩み、堪忍袋の緒が切れた話、旅先で失くした信玄袋が見つかった奇跡……と、さまざまな袋が登場しました。

そのほかにも、紙袋、お年玉袋、祝儀袋、巾着袋、体操袋、におい袋などなど、たくさんの袋が脚光を浴びました。

そして、どの袋からも、懐かしい思い出が見つかったり、自分の気持ちを再発見したり、思わぬ掘り出し物に出会った筆者が多かったようです。

テーマで書くと、そんな楽しさもあるのですね。

 

ただし、概して男性には難しいテーマだったかもしれません。ふだんの生活で、袋物には女性のほうがご縁がありそうです。

それに、なんと言っても、「おふくろ」ですものね。

 

さて皆さんだったら、どんな袋を思い浮かべますか。

何か素敵なものが入っているでしょうか。



 

 


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