自閉症児の母として(35):障害者支援施設を見学2016年09月15日





 

今日は、市内の障害者支援施設「桜の風」を訪れました。

身体障害者、精神障害者にも対応し、自立訓練や通所支援などを行っている施設です。いずれは地域での生活をめざした支援をしていく、いわば、通過型の施設というわけです。

息子は、短期入所(ショートステイ)を体験する目的で、見学させてもらいました。


息子はこれまで、社会人として働く訓練を受け、がんばってきました。とはいえ、家庭においては、ついつい過保護だったかもしれません。

息子ももうすぐ三十路。両親は高齢者の仲間入りも近いのです。いつまでも子どものように家庭で過ごしていては、いざというときに困るのは目に見えています。親亡きあとの息子の暮らしを考えるのに、早すぎることはないでしょう。

 

小高い丘に建つ4年目の施設は、木材の温もりとカラフルな色づかいが明るい雰囲気を醸し出していました。

どの部屋も廊下も広くとってあり、ミストシャワーで全身浴できる設備も、保温と冷蔵の両方を備えた配膳車も、目をみはるばかりです。





個室には、ベッドや布団のほか、テレビやクロゼットがあり、さらに窓の外には、家々の屋根とこんもりした緑の木々が遠くまで見渡せる。

「じつは、これ全部、桜の木なんです」

案内してくれる男性支援員が教えてくれました。

なるほど、それで「桜の風」という名前……。

「じゃあ、桜の咲く頃、お世話になれるといいですね」

私が泊まるわけでもないのに、思わず口にしてしまいました。

今日はあいにくの曇天だったからなおのこと、この窓から桜の風を感じてみたい……、そう思ったのかもしれません。


まずは、区役所の障害課で利用登録の手続きをして、それが完了すると、体験入所ができるそうです。

自立に向け、一歩を踏み出します。





 

 


エッセイの書き方のコツ(30):初めての花が咲いたとき2016年09月19日

 

先日、植物園でアルバイトをしている夫が、「欲しかった花がようやく手に入った」と、小さな鉢をうれしそうに抱えて帰ってきました。

たくさんの葉をつけた30センチほどの茎が、ひょろりと伸びています。なんでも、ハイビスカスの一種で、じつにかわいらしい花が咲くのだとか。どんな花かと尋ねても、まあ咲くまでのお楽しみ、と言うだけでした。

 

その数日後、茎の先端、葉の間から花柄が伸びて、白っぽく細長いつぼみがぶらさがっていました。枯れてしまうのではと思うほど、頼りない糸のような細さで、下を向いています。

翌朝起きて見ると、出窓の白いカーテンを背景に、花は咲いていました。

わあ、きれい、線香花火みたい! まず、そう思いました。

薄紅色の花びらは、まるでレース編みのフリルように繊細で、四方に反り返っている姿は、一瞬の火花のようです。しかも花は下を向き、小さな赤い舌を垂らすように、しべが伸びています。

大きさは、子どものこぶしほどでしょうか。それでも、あの柿の種ほどのつぼみが、一晩でこんなにみごとな花になるのです。

ため息が出るようでした。

 

……と、ここまで読んで、どんな花か想像していただけたでしょうか。

よくわからないかもしれませんね。

では、写真をお見せしましょう。


 



いかがですか。

やっぱり、百聞は一見にしかず、ですね。どんなに詳しく描写したところで、文章は写真ほど正確に伝えることはできないかもしれません。

だからこそ、その時に感じたこと、心でとらえたものをつづってみるのです。

写真には写らないものを自分の感覚でとらえ、自分の言葉で伝えることこそ、エッセイの本領といえるのではないでしょうか。

 

ちなみに、この花の名前は、フウリンブッソウゲというそうです。

なにやら物騒な名前ですが、漢字で書くと、風鈴仏桑華。風鈴に似ているということから付いた名前のようですね。

やはり風鈴でしょうか。線香花火に見えませんか。

翌日にはぽとりと落ちて、はかない命を終えてしまったところも、似ているような気がしました。




 



ダイアリーエッセイ:舞台『CRESSIDA(クレシダ)』を観る2016年09月24日

 

世田谷線始発駅の三軒茶屋。その駅舎にくっつくように、小さな劇場がある。その名もシアタートラム。20年ほど前に造られたそうだが、レトロなデザインが、この町の雰囲気に溶け込んでいる。この辺り一帯は、小さな商店街がひしめき合っていて、まだまだ昭和の匂いが立ち込めているようだ。

世田谷線も、以前は玉電と呼ばれ、渋谷からチンチン電車が走る路線だったのである。私の祖父母が、玉電若林駅の近くに住んでいたので、子どもの頃は、よくチンチン電車に乗って出かけたものだ。

 

劇場の客席は200余り。私の席はほぼ中央の前から8列目だった。

いかにも演劇業界人的なお客さんが多い。私の2つ前の席には、フジテレビの笠井アナがいた。




 

舞台は、1600年代ロンドンのとある劇団のお話。かつては名優として活躍した老人シャンクは、今は若手の演劇指導を手掛けている。演じるのは平幹二朗さんだ。平さん自身は、82歳で今なお現役。長いセリフを覚え、ろうろうと発声し、軽やかに動き回る姿は、とてもそのお年には見えない。

 

当時のイギリスの演劇は、日本の歌舞伎界同様、女優は存在しなかった。女性の役は「少年俳優」が務めた。スティーヴンというその複雑な役どころを浅利陽介さんが演じる。現代日本の俳優が、女性役を務めた400年前の少年俳優という役を務めるのである。さぞや難しいことだろう。

彼は、NHK大河ドラマ『真田丸』で、秀吉の甥の小早川秀秋を演じていた。気弱な性格から、関ヶ原の戦いでは豊臣側を裏切ってしまう。スティーヴンもどこか似たような感じの少年で、色白でやさしい目をした彼の持ち味が生かせていると思った。

当時の「少年俳優」には、男色や同性愛のような一面もあったらしいが、明るくコミカルに描かれて、森新太郎氏の演出のうまさなのだろう。

 

スティーヴンは、シャンクの細かな演劇指導を受けて「少年俳優」として磨かれていく。この場面が素晴らしい。声の出し方、高低、強弱から、体の向き、手の上げ下げにいたるまで、シャンクは手本を見せてはスティーヴンにやらせてみる。芝居の中のワンシーンなのか、平さんが浅利さんに演技をつけているのかわからなくなるほど真に迫っていた。いや、文字どおり、スティーヴンの浅利さんは、シャンクを通して平さんから学び取るものが多かったにちがいない。

やがて、シェイクスピア作『トロイラスとクレシダ』のヒロイン役を演じて、拍手喝さいを浴びた。だが、シャンクは気に入らない。キスの場面で顔を赤らめたといってなじる。スティーヴンが、自分が教えた型どおりの「少年俳優」としてではなく、彼自身の内から湧き出るような演技で勝ちえた喝さいだった。そのことに、シャンクは気づいた。自分が教えてきた「少年俳優」の演技など要らなくなる。時代が動いていくのを悟ったのだ。いずれ女性も舞台に上がる日が近いことを予感する。

そして、彼が天に召されていくところで、幕は下りた。

 

名俳優の圧巻の演技は言うまでもない

難しい役どころを見事に演じきった若手俳優の浅利さんにも、拍手!

生の声でセリフが響き、飛び散るつばも汗も見える客席で、ただただ役者の芝居に引き込まれていた3時間。なんと贅沢な楽しみだろうか。





 


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