自閉症児の母として(56):「うちの子に限って、どうして……」 ― 2019年02月06日
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今日は、東京都の発達障害者支援センターで行われた支援員のための研修会で、障害児の母として、お話をさせていただきました。
この支援センターは、息子がお世話になっている社会福祉法人「嬉泉」が都の委託を受けて運営しており、その関係で、毎年私にお呼びがかかります。
おもに子どもたちの支援をしている方がたが対象なので、長男が幼いころの子育てを振り返ります。話す時間は40分。話したいことは山とあって、全部話したら明日の朝までかかるでしょう。
毎年、少しずつ変えてみたり、最近気づいたことを加えたりしますが、いつも必ず話していることがあります。
息子が3歳から通った「めばえ学園」の女性の園長先生は、いわば母親たちの教育係で、たくさんのことを教えてくれました。
息子の障害がわかった頃は、「うちの子に限って、どうして……」と私もずいぶん思いました。子どもたちから見えないように、台所の片隅にうずくまって泣くこともありました。
ある日、園長先生が私たちにこんな話をしてくれたのです。
「現在、自閉症児は1000人に1人の割合で生まれると言われています。皆さんが苦労して自閉症のお子さんを育てているからこそ、ほかの999人のお母さんはフツウの子育てを楽しんでいられる。つまり、皆さんは、1000人の代表となって自閉症児を育てているんですよ」
ああ、私たちは代表なんだ。選ばれたんだ、神様に。そう思えました。
その時から、私は吹っ切れたのです。「うちの子に限ってなぜ」と思うことはなくなったのでした。
神さまに選ばれたプライドを心に抱くことで、今でいうポジティブシンキング、前を向いてひたすらがんばることができたのです。
涙をふきながらのところもありましたが、無事話し終えて帰宅すると、さっそく参加者のアンケートに書かれたコメントが、メールで届いていました。
皆さんは私の思いをまっすぐに受け止めてくれたようで、ほっとしました。
その中に、こんな言葉がありました。
「涙が出た。まさに1000人に1人の代表だと思った」
またまた私も涙……。
障害児を授かって、苦労が多い分、私の人生は豊かになった。それを改めて感じた瞬間でした。
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自閉症児の母として(57):グループホームに入所します! ― 2019年02月27日
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自閉症の長男は、ついに家を出て、グループホームに入所することになりました。自立への大きな第一歩を踏み出します。
息子が30歳の誕生日を迎えるころ、これから先の10年間はグループホームを目指してがんばろう、と目標を立てました。
私たち両親は高齢者の仲間入りも近い。いずれは年老いて自分たちこそ誰かの世話になりながら暮らしていくようになるかもしれません。いつまでもそんな両親のもとで過ごしていては、いよいよというときに、一番困るのは本人。親亡きあとの息子の暮らしを考えるのに、早すぎることはありません。
障害の状況や程度からして、いきなり自立と言うのは、やはり難しい。家を離れても、社会の支援は必要です。
そこで、このころからグループホームの見学を始めました。「百聞は一見に如かず」です。
また、ショートステイのできる場所を探し、宿泊体験を始めました。
2017年3月、障害者支援施設「桜の風」で、初めての1泊体験。その半年後には、「陽光ホーム」というグループホームで、そこに泊まりながら職場に通うという実地体験もしてきました。
両方を組み合わせて月に一度、1泊か2泊。それを2年間、続けてきたのです。大きな体験を積んで、彼にはたしかな自信になったはずです。息子にとっては、どれほど詳しく説明するよりも、体験が大きくものをいうことを、子育ての中でつかんできましたから。
それでは、どこのグループホームに入所できるのか。これもまた簡単ではなく、需要はあっても、まだまだ数は少ないようです。
支援センターの担当者にお願いして、どこかに空きが出ると知らせてもらい、何ヵ所か見てきましたが、どこも帯に短したすきに長し。ここぞというホームには出会えず、気長に構えていました。焦ることはありません。10年がかりの自立が目標です。
また、自立に向けて歩き始めたころは、ちょうど私の母が病気やけがで入退院を繰り返した時期と重なりました。午前中に息子のためのグループホームを見て、午後からは母の老人介護施設を見に行く、ということもありました。
私自身も、毎年インフルエンザにかかったり、骨粗しょう症の薬の副作用で体調を崩したりして、なんとも慌ただしい時期でした。
そんな日々のなか、息子が小学生のときから東京都世田谷区の施設で一緒に療育を受けてきたお仲間のうち、たまたま同じ川崎市内に住む二人が、同じグループホームに入ったのです。男性6名のためのオシャレできれいなホームで、厳しいルールもなく、楽しく過ごしているということでした。
息子にはまだハードルが高いだろうか。見学だけでもさせてもらおうか。
ためらったり迷ったり……。
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▲玄関ホール。
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みんなで食事をするダイニング▲と、その食器棚▼
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私の背中を押してくれたのは、主治医の精神科のドクターでした。障害者福祉にも詳しく、20歳のときからお世話になっている先生です。
息子がいま抱えている問題を解消するためにも、まずは家を離れて生活環境を大きく変えること。課題があっても、できることできないこといろいろとあっても、それをひっくるめて社会に託していけばいい、戻れる家があるうちに。そう言ってドクターは励ましてくれました。
思い切って、くだんのホームに電話を入れてみると、なんと2名の空きがあると言うではありませんか。事はとんとん拍子に進み、すぐに見学、そして3泊4日の体験をさせてもらい、晴れて本日、契約を交わしてきました。数日後には、入居です。
電話をかけた日から一ヵ月半の早さですが、ご縁とはそんなものかもしれません。機は熟していたのでしょう。
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▲息子が入ることになった部屋。家具付きです。
オシャレなラグやクッションまで置いてあります▼
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息子本人は、「ぼくは自立しますよ」と言ったり、「3月から新生活のスタートです」とテレビのCMまがいの言葉を口にしたり、心躍らせているようで、ほっとしています。
もちろん、手放しで喜んでばかりもいられません。うまくいかなくて戻ってくることも視野に入れて、家から巣立つのです。親は、社会の支援と手を組んで、これからの自立を見守っていくという、新体制のスタートです。
息子にも、親にも、新しい春がやって来ます。
このホームの良さは、見かけだけではありません。
それは、また後日、ご報告したいと思います。お楽しみに。
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