ノートルダム大聖堂の復活を祈って2019年04月18日

 


おとといの朝、ノートルダム大聖堂から火の手が上がる映像に、わが目を疑いました。

次々と送られてくる写真や動画のかずかず。高い尖塔が、その骨組みを炎の中に黒く浮かび上がらせ、やがてあまたの火の粉を撒き散らしながら、ゆっくりと二つに折れ、なすすべもなく崩れて落ちていく……。その様子には、さすがに涙が出ました。

初めて訪れたのは大学生の時。その後も何度となく訪ねたものでした。

 

フランス人にとってのノートルダム大聖堂は、日本人にとっての富士山のようなものだ、と言った人がいます。そうであれば、富士山のように永遠にそこにあり続けるはずだったのに。

世界遺産としての価値にとどまらず、今なおカトリックの信仰の場でもあります。パリ市民にとって、フランス人にとって、そして、私のような遠い国の外国人にとってさえ、心の支えでした。

 

でも私は、どのような形であれ、かならずや復元されることを信じています。

 

最近訪ねたのは、3年前の春でした。


▲ここがパリのゼロ地点。



パリへ飛び立つ直前の空港で、母が通うデイサービスの介護士さんから電話を受けました。

「お母さまは顔色もすぐれず、娘さんが外国旅行に行かれるので不安なのかもしれません」

今ここでそんなことを言われても……と途方にくれたのでした。

ところで、ノートルダムはフランス語で「われらの貴婦人」つまり、聖母マリアのこと。この大聖堂は、聖母マリアに捧げられて建立された教会です。母もまた、クリスチャンネームは聖マリア。つまりマリア様が母の守護聖人なのです。

パリに着いた翌日、ノートルダム大聖堂を訪ね、母の健康と長寿のためにキャンドルを灯して祈りを捧げました。



 ところが日本ではちょうどそのころ、母は病院で診察を受け、胃がんが見つかっていたのです。手術をしなければ、余命半年。私がその事実を知らされたのは、5日後に帰国した夜のことでした。

93歳という高齢でしたが、胃の3分の2を摘出する手術を受けました。その後の経過は順調で、若い人の何倍も時間はかかったものの、完全に回復することができたのです。

だから、あの大聖堂はきっと再建される。私にはそう思えます。今こそ、母を救ってくれたノートルダムのために、今度は私が祈りを捧げましょう。

 

しかも、悲劇が起こったのは、もうすぐイースターというこの時期でした。来たる日曜日が、イースター。つまり、キリストが十字架にはりつけになって亡くなり、3日後に復活した日にあたります。

そのことにむしろ明るい希望を感じるのです。大聖堂も、きっと復活を遂げるにちがいない、と。

キリストのように3日で復活は無理でも、すでに1日にして1000億円もの寄付が表明されているとか。また、再建に向けた募金活動も各方面で始まっています。世界中の人々の気持ちが、祈りが、悲劇を乗り越える大きな力となって、復活を実現させていくことでしょう。



3年前の内部の様子。美しいステンドグラス「バラ窓」なども、被害を受けたようです。







祭壇のあるこの辺り、昨日の映像では、屋根が焼け落ち、ステンドグラスも抜け落ち、床にがれきが積もっていました。十字架だけは同じところにありました。▲



 ▲セーヌ川クルーズをした時、船の上から大聖堂の裏側を撮りました。崩落した尖塔がそびえていました。




 



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