ダイアリーエッセイ:秋分の日 ― 2018年09月23日
気が遠くなりそうな忙しさの中にいる。山積の仕事が、雪崩を起こしそう。
どうしてこんなことになったのか。
気がついたら、9月下旬の10日間のなかに、教室が3つ。さらに、原稿締め切りがあり、紙面編集の締め切りがあり、エッセイ募集の取りまとめがある。6名分の作品集もおんぶにだっこさせられている。おまけに、何もこの時期でなくてもいいのに、自閉症者の母としての講演もある。もちろん美容室の予約も、長男の誕生会のためのレストラン予約もある。
関係者の皆さま、誤解のないように。どれもみんな、私の大切な仕事で、どれ一つ、嫌なものはないのですが。
私のスケジュール管理がずさんだったのかもしれないし、たまたまのことなのかもしれない。
「忙しい」という字は、心を亡くす、と書く。
こんな時期だからこそ、日曜のミサにあずかり、内省と祈りの静かなひと時を持つ。
主のいない母の部屋に行く。
荒れた庭にも、今年も忘れずに彼岸花が咲いている。
ああ、今日は秋分の日なのね。だから、明日は振り替え休日。そんなことも忘れていた。「忘れる」という字も、心を亡くすと書く。
こうやって、今の気持ちをつづってブログに載せ、パソコンの向こう、訪れてくれる人に思いを馳せることも、大切な時間なのだと気づく。
皆さん、お変わりありませんか。
さて、夕飯のしたくの前に、もうひと頑張り。仕事に戻ります。
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