旅のフォトエッセイ:世界遺産の五島列島めぐり②「心に残る」 ― 2018年11月30日
当時、それをエッセイにつづりました。まずはお読みいただきましょう。
「心に残る」――母バージョン
ゴールデンウィークが明けた日、ひさしぶりに一人の静けさを味わっていると、次男の中学校から電話がかかってきた。
「38度5分のお熱がありまして、今保健室で休んでいるのですが……」
車を飛ばして20分後、保健室には青い顔の息子がいた。
ちょうど、アメリカ帰りの大阪の高校生が、重症になりやすい新型インフルエンザで隔離された、というニュースが日本列島を不安に陥らせていた頃だ。
保健室の先生の話では、息子のクラスにもインフルエンザの生徒が数名出ているという。
私も青くなった。中3の息子たちは、5日後に長崎への修学旅行を控えていたのである。
「でもご安心ください、B型ですから」と、先生はにこっと笑った。
恐怖の新型はA型で、学校では安心のB型というわけだ。おそらく息子もその菌をもらったのだろう。
「発熱して1日たたないと菌が出ないことがあるので、検査は明日のほうが確実かもしれませんね」
とりあえず息子を連れて帰って寝かせる。夜には40度になり、解熱剤を飲ませた。大丈夫、出発まで5日ある。諦めるにはまだ早い。
あいにく私は、翌日の午前中は自分の習い事、午後からは仕事先の年に一度の総会が控えていた。しかたがない。午前中は休むことにして、医者に連れて行こう。総会では大事なお役目もあるから休むわけにはいかない。薬を飲んで眠っているうちに出かけてこよう。
翌日、午前中にかかりつけの小児科に連れて行く。検査の結果は予想どおりのインフルB型。
「ほうっておいても寝てれば自然に治るんだけどね」と医者は前置きして、「一刻も早く治したい事情があるということなので、特効薬を処方しましょう」。
薬はリレンザ。従来のタミフルは、副作用でまれに幻覚や妄想が起こるとされている。子どもの患者が異常行動で亡くなって以来、未成年には許可されなくなった。
「リレンザでも同様の副作用があるという報告もあります。服用したら24時間、目を離しちゃだめですよ」
大声を上げて外へ飛び出したり、窓から飛び降りたりする可能性もあるというのだ。
万事休す。午後からの総会もあきらめ、急きょ欠席のお詫びを入れて、代理を頼んだ。
吸飲式のリレンザは、簡単な器具に薬のパックを装てんして投与する。息子はやがて眠りについた。1時間おきに部屋をのぞいても、いつも死んだように眠っていた。
結局その日は、夜まで息子の爆睡を見守っただけだった。総会に出かけても大丈夫だったのに、と思う。でもそれは結果論だ。
わが家にはもう一人保護者がいるのだが、夫の育児への協力は土日祝日限定である。育児のために仕事を犠牲にするのはいつだって私。収入の多寡だと言われればそれまでだけれど、仕事である以上、私にも社会的な責任はあるんだけどな……。
翌日には息子の熱も下がり、リレンザのおかげで快方に向かった。2日間平熱が続けば完治とみなされる。旅行の前日には医者の診断書をもらって、午後からは登校できた。なんとか修学旅行に間に合ったのだ。
さて旅行当日の朝、最後のリレンザを吸いこんで、いざ出発……のはずが、トイレに入ったきり出てこない。薬の副作用から下痢を起こしたようだ。今度は下痢止めを飲ませる。ぎりぎりの時刻まで待って、集合場所の羽田へ向かわせた。中学生にとって、修学旅行に行かれないことぐらい悲しいことはない。そんな私の信念が、息子を送り出したのだった。
3泊4日の旅を終え、元気に帰ってきた息子は、開口一番、こう言った。
「ありがとう、母さん!」
初日は辛かったけれど、2日目からは食欲も出たという。五島の海の青さ、班長として班別行動をとった思い出……口下手な息子の話でも、楽しかった様子が想像できた。
母さんが治してあげたわけではないけど、でもよかったね、みんなと行けて。
1ヵ月後、さらにおまけがつく。
国語の苦手な息子が書いた「心に残る」というタイトルの修学旅行記が、学校通信に載ったのである。
「仕事を休んでまで看病してくれた親のためにも、楽しめなければ悪いという気がした」
旅行記は、私の”心に残る“最高傑作だった。
次回、「③頭ヶ島教会」に続きます。
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