小説『ドライブ・マイ・カー』と、映画『ドライブ・マイ・カー』2022年03月13日

 

おススメしたい映画ではあるのです。でも、そのわりにはネタバレが多くて、がっかりされるかもしれない。じつは映画を見て、頭の中に「?」がたくさん浮かんだので、整理する意味でエッセイを書いてみようと思ったのです。

まだ見ていない方には先に「ごめんなさい」と言っておきます。

 

5ヵ月ほど前、この映画がカンヌ映画祭の脚本賞を受賞したと知り、まず村上春樹の原作を読んでみようと思った。ハルキストほどではないが、これまでに何冊か読んで、彼の小説には不思議な魅力を感じている。世界が認める作家という先入観もあるだろうが、文学的価値がわからなくても、おもしろいものはおもしろいと思う。特に、実在する具体的な地名が出てくるのに、その場所で平然と繰り広げられるファンタジックな物語。キツネにつままれたような感覚で読み進んでも、最後は謎解きもないままあっけなく終わってしまう。でも、それが不快ではないのだ。迷宮に閉じ込められた余韻に浸って、いつまでも忘れられなくなる。


 

しかし、映画と同名の原作は、『女のいない男たち』という短編集の中の一編で、どの小説もいたってリアルな現代の人間たちを描いている。妻を病気で亡くした舞台俳優の家福が主人公。彼は、年代物の外車サーブの運転手を雇った。現れたのは愛想のない若い女性、みさき。抜群の運転スキルを持っている。ほかにも、妻と不倫関係にあったイケメン俳優の高槻も登場して、二人で亡き妻を偲びながら、お酒を飲んだりする。女のいない男たちというのは、こんなふうにいつまでも女性を思い続け、悲哀に満ちてしまうのか。なんとなく情けない気がした。

 

濱口竜介監督の映画には、主人公に西島秀俊や、私の好きな岡田将生が出演する。いつか、映画も見てみたい、と思っているうちに、次々と海外の賞を獲得して、ついに日本映画史上初めて、アカデミー賞の作品賞にノミネートされたというではないか。 

それはぜひとも早く見なくてはと、ひとりで映画館に出かけた。約3時間にも及ぶ大作である。

初めのうちは、原作を思い出しながら見ていた。小説の車は黄色だったが、映画では赤いサーブだ。車が都会を走行するシーンと、さらりとしたベッドシーンが繰り返されるうちに、どんどん映画のストーリーに引き込まれる。妻が寝物語に語り始める女子高生の片思いの話は、短編集の別の小説に出てきた、と思い当たる。

さらに、映画では原作の東京での話が広島に移されており、家福が広島の芸術祭でチエホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』の演出を任されるという設定になっていた。

 

劇中劇であるこの舞台がじつに興味深い。十名足らずの配役は、年齢も国籍も言語さえ問われず、オーディションで決められる。日本語、英語、ベトナム語、韓国語……、中には手話を用いて、役のセリフを言い、演技をするのである。ワーニャが日本語で問いかけると、エレーナが中国語で答える、という具合。いくつもの言語が飛び交うのだ。舞台の役者たちもこの演技方法に戸惑いながらも稽古を重ね、本番を迎える。まるで同一の言語が交わされている錯覚を抱くほど、息の合った芝居が続く。セリフはすべて日本語の字幕で理解できる。意表を突いたこの劇中劇が、映画を見る者をも圧倒していく。

芝居の最後のシーンでは、うなだれるように腰かけた家福扮するワーニャ伯父の背後から、姪のソーニャが両手を回し、彼の顔の前で、手話でやさしく語りかける。

〈仕方ないわ。生きていかなくちゃ……〉

饒舌な手話の、静寂の数分間。美しく感動的だった。

 

もう一つ、印象に残ったシーンがある。岡田将生が演じるのは、ご想像のとおり不倫相手の高槻だ。自分を律することができない弱さがあって、最後はみずから破滅していく役柄。その彼が、車の中で人生について長いセリフをえんえんと語る。緊迫感のある場面だ。大映しの彼の双眸のきらめきに、吸い込まれそうだった。

 

映画の後半で、さらに原作にはないストーリー展開がある。みさきは、母親が災害で死んだのは助け出さなかった自分のせいだと、自責の念を持っている。同様に家福は、妻の死は自分が早く発見しなかったからだと悔恨する。そんな二人が、みさきの郷里である北海道の小さな町まで、サーブを走らせる。その旅の途中で、二人が心を開いていく過程が丁寧に描かれた。過去から解き放たれ、明るい未来を感じさせて終わる。

 

海外でも定評のある村上春樹が原作だから映画の評価も高いのでは……と見ないうちから決めつけていたが、見終わった後はそんな自分を恥じた。

ズシリと重い感動。脚本も演出も研ぎ澄まされている。濱口監督は、村上氏の文学作品を、見事な映像作品へと昇華させた。見る人の心の奥底に響く映像や音声は、文化や言語を超えて、海外の人々の心をも動かすのだろう。映画を見て、改めて納得する。

 

余談ながら、この赤いサーブは、わが地元の区内の自動車整備工場から提供されたものだそうだ。親しみが湧くとともに、ますます応援したいと思った。

今月28日の朝、アカデミー賞授賞式の生中継を見よう。彼らの受賞シーンが見られることを期待して。





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