南フランスの旅のフォトエッセイ:㉑続・ゴッホの地で ― 2025年08月05日
アルルではほかにも、ゴッホが自分の耳を切り落とした時に入院したアルル市立病院の跡地を訪れました。


▲病院の入り口には「HOTEL DIEU(神様のホテル)」と書かれているのです。そのわけは、あからさまに「病院」と掲げるよりも、少しでもおだやかな心持ちで門をくぐれるように、という患者へのやさしい気づかいだったのだろう、とダヴィッドさん。


かつての市立病院は、現在は図書館、店舗などが入った総合文化センターになっています。その中庭は、ゴッホの描いた絵「アルルの病院の中庭」を再現した美しい憩いの場所となっているのです。
その名も「エスパス・ヴァン・ゴッホ」と呼ばれ、市民や観光客の姿がありました。
その後も、不幸なことに、ゴッホの病状は回復を見せず、悪化していくばかりでした。
アルルから20キロほど離れたサン・レミ・ド・プロヴァンスにあるサン・ポール・ド・モーゾール修道院の療養所に移り、1年間の療養生活を送ります。



この建物にも行ってみました。12世紀に建てられた修道院ですが、17世紀にはすでに精神病院として使われていたといいます。
鉄格子の窓や、粗末な鉄のベッドのある個室など、粗末ではありましたが、精神病院の役割を担っていたことがうかがえます。



▲ひまわりの生花を持つゴッホの像。
ゴッホが歩いた廊下。▼

ゴッホが触ったにちがいない階段の手すり▼



再現されたゴッホの部屋▼






とはいえ、今でも静かな田園地帯の一角にあります。降り注ぐ日差しの下の糸杉、果樹園や畑、働く農民たち、咲き誇る花々、夜には星空、月夜などなど、ゴッホは絵の題材に困ることはなかったのでしょう。湧き上がる創作意欲に次々とキャンバスに向かっていったに違いありません。
彼は滞在した1年の間に、約150点もの絵を描いたそうです。
もともと熱心なクリスチャンだったゴッホは、かつての修道院という場所で、修道女たちの世話を受けて、聖書の中の話を題材にした絵も描いています。神から授かった才能が、平和な環境の中で存分に花開いていったことが、ひしひしと伝わってきました。
都会からも人々からも離れたこの地で、一人の天才が数多の作品を遺してくれたことを、静かな感動とともに理解できたのでした。
ここまで訪ねてきてよかった。こんどははっきりとそう思いました。


9月に神戸から始まる「大ゴッホ展」は、「夜のカフェテラス」、「アルルの跳ね橋」などの名画に、日本で出合えるまたとないチャンスです。ぜひ、観にいくことにします。
ゴッホの名画ゆかりの地が、後から作り上げられたものであっても、それは後世の人びとの熱意の表れだと思いましょう。皆、ゴッホを想い、作品を感じていたいだけなのですね。
私も同じようにゴッホを追い求める一人のファン。
本物のゴッホを楽しみにしています。
(「大ゴッホ展」の公式サイトはこちら)
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