モトの誕生日に ― 2012年10月02日
9月29日は、長男の26歳の誕生日。
お祝いは、家族の都合で、翌日30日の夜に、去年と同じ二子玉川のレストランで食事をする予定にしていました。
息子は自閉症です。その障がいの特性から、よく言えば几帳面なのですが、時間やスケジュールへのこだわりが強く、きちんと予定が立っていないのを一番嫌がります。まして、急な変更や、突発的な出来事が大の苦手。すべてが予定どおりに粛々と過ぎていくことを何より平和に感じているようです。
そういうわけで、本人はきちんと29日当日に誕生会をやりたかったに違いない。でもそこは、我慢。なぜなら、家族5人+祖母が全員そろうことが、彼にとってお誕生日の正しいありかた。1人でもそろわないと落ち着かないのでその翌日で妥協してくれたのでしょう。
ところが、誕生日が近づくとともに、台風17号も近づいてきた。さあ、大変。
レストランは、自宅から20分でも、電車で4つ目の駅です。嵐の中出かけていくのはちょっとキビシイ。昨年は台風で電車が止まったこともありました。
モトも私も、台風の動きがおおいに気になる毎日……。
それてほしい願いもむなしく、30日の朝には、「関東地方は今日の18時ごろから暴風雨圏内に入ります」という予報で、ついにレストラン行きを断念せざるをえませんでした。
モトはもっと悲しむかと思いきや、意外とあっさり中止を受け入れてくれました。中止の理由は台風襲来のため。それがはっきりしていれば、諦められる。そこまで大人になったのです。
急きょホームパーティに変更です。
台風の来る前に買い出しに行き、わが家のもう一人のシェフである夫と二人で料理を作りました。野菜スープ、ミートローフ、シーフードサラダ、クリームチーズとアボカドのディップ……etc.バースデーケーキは、デパ地下で購入。
子どもが小さいころは、とてものんびりと外食などはできなかったので、お誕生日はいつも自宅でした。お菓子作りも得意な夫が、ケーキまでこしらえていました。そして、そのたびにビデオカメラを回して、テーブルを撮影し、ろうそくの火を吹き消す様子を記録してきたのに……。
いつのまにか、それをやらなくなってしまった。
今回も、せっかくきれいに盛り付けた料理は、あっという間にみんなのおなかの中。
買ってきたケーキは、ろうそくも立てず、Happy Birthday! の歌もなく、「おれ、デカいの」「あたし、生クリームたっぷり」などという声とともに切り分けられて、ペロリ……!
家の外では風がものすごい音を立てていました。
それでも部屋の中では、満腹ほろ酔いの家族が、おだやかな気分でくつろいでいます。どこにも出かけずにのんびりできて、こういうディナーもたまにはいいかも。
成長したモト。大人になった子どもたち。
台風17号は、思いがけず、わが家の変わりように気づかせてくれたのでした。
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ピンボケでわかりにくいですが、モト17歳の誕生日。
イチゴの季節ではないので、節約してキウィとバナナのケーキを作りました。
そして、今回買って来たケーキ。
もちろん、見た目も、味も、価格も、格段の差! でしたが……
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旅のフォトエッセイ:旭山動物園 ― 2012年10月07日
9月2日からシリーズで書いてきた北海道の旅も、ちょうど7回目のラッキーセブン、今回で終わります。
それでは、hitomi版ガイドで、旭山動物園をお楽しみください。
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8月23日。この日も朝から快晴。雲一つない空の下、旭川の街が広がっている。
この日は動物園まで、娘が運転する。碁盤の目の道路で、渋滞もなく、のどかなドライブですぐに到着。
この日本最北の動物園は、知恵を絞って、動物の生き生きとした本来の姿を見られるような工夫をほどこした。それからは、遠くからもお客さんが来てくれるようになったという。
その目玉の一つが「もぐもぐタイム」。餌を食べるときこそ動物の特徴が見て取れる。そこで、それぞれの食事時刻が表示されていて、その時間に見に行くと、係の説明を聞きながら、観察ができるというわけだ。
アシカのもぐもぐタイム。そばでウミネコが見張っている。おこぼれをもらうの?
ペンギンのもぐもぐタイムは水中。マイクがなくても、絵や文字が書かれたボードをめくって解説。
「エサはオキアミです」→「水のていこうがすくない体の形」→「尾と足はかじとりとブレーキにつかう」→「目は水中でも陸上でもよくみえる」→「食べにきませんでした。ごめんなさい。またきてね!」→「おしまいです」
紙芝居みたいで、大人だって楽しい!
もう一つの工夫は、手作り看板。飼育係の手作業でこしらえている。
どの看板も「かわいい動物たちのここがおもしろい!」といわんばかり。動物に対する愛情があふれている。
中身は……ご想像にお任せします。
こんな仕掛けもある。
シロクマの歩き回る地面には、のぞき窓のドームが。
地下には梯子があって、ヒトが順番を待って行列していた。
クモザルは、するすると上っていき、高いところでオシッコをする。当然、下を歩くヒトに降りかかる。
私の大好きなネコの親類たち。
暑くてたまらん、という態度のヒョウ、トラ。
さすがに百獣の王は、涼しい顔をしている。
そのたてがみは、いかにも暑そうだが、いい顔だ。キングと呼ばれるだけのことはある。改めて惚れなおした♡
サルたちには、そりゃ親近感がわくというものだ。
チンパンジーの子どもたちは元気。でんぐり返しを何回もしている。
娘いわく、母さんが「今日は何ぽ歩いたかしら」って、ポケットから万歩計を取り出してるところとそっくり。
こらぁ!
テナガザルの敏捷な動きが気に入って、連れて帰ることにした。
クロか、茶色か……
かなり迷ったが、茶にした。
キリンは物憂げな目をしている。
鳥たちも近くで見ると面白い。
首をぐるりと捻じ曲げて背中に置き、一本足で立ち、休んでいる。
7月には仲間が1羽逃げ出したという。その捕獲のため、おとりに使われた2羽が犠牲になった、というニュースもあった。
ペンギンのチュッ!? ナイスショット by 娘。
ペンギンが泳ぐ池の底には、ペンギンがヒトを観察するためのトンネルあり。
娘の大好きなカピバラ!!!
水に入っても、ぼーっと立っているだけ。そのまんまで、天然ゆるキャラ。
お土産に買った名刺大のマグネット。一緒に暮らすカピバラとクモザルの楽しいイラストだ。
冷蔵庫にぺたんと貼って、開けるたびに思い出す。
ああ、カピバラ……なぜか笑いたくなる。
☆☆☆
動物園を後にして、まっすぐ小樽へ向かった。
この日もあまりの暑さに、旭川ラーメンを食べる気にはなれず、前日同様、アイスクリームが昼食代わり。その分、小樽の夜は「寿司屋通り」に出かけて、美味しいお寿司を堪能した。
翌日、私は午後の飛行機で帰宅。娘は札幌にもう一泊。一人で市内を見て歩いた。
見逃した所も、食べそこなった物も、買えなかったおみやげも、たくさんあるけれど、それは次回のお楽しみということにしよう。5日間で準備してやって来たわりには、お天気にも恵まれて、上出来の旅だった。
この次は、もう少し東の方まで足を延ばして、釧路湿原をドライブしてみたい。
……と総括したところで、北海道の旅のフォトエッセイもおしまいです。
長い間のお付き合い、どうもありがとうございました。
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マイブログ、満1歳! ― 2012年10月10日
今日は、このブログを始めてから、ちょうど1年目になります。
ブログも満1歳になりました。
1年前、それまでのエッセイと仕事との関わり方に、閉塞感のようなものを感じていました。そんな私に、年下の友人が勧めてくれたのが、ブログとFacebook。
昨年9月にFacebookを始めて、遅れること1ヵ月、10月10日にブログ開設と相成ったのです。
Facebookは、あまり乗り気ではありませんでした。ネット上でお友達付き合いなんて、実体のない関わりに思えて、それまで拒んできたのです。
ブログについては、所属するグループのホームページの管理人をやっていましたから、抵抗はありませんでした。エッセイを発表する場としても積極的に取り組めました。
ともかく、どちらも1年間だけやってみよう、というつもりでした。
そもそもエッセイとは、自分をさらけ出すもの。自己開示して他人に読んでもらうために書くのです。
そんなエッセイを書いてきた私にとって、Facebookやブログに熱中するのに、時間はかかりませんでした。まさに、多少の形態はちがっても、自己開示するという本質は、どちらもエッセイと同じだったのです。
そして、1年やってみました。
ブログにアップした記事の数は82。週に1回か2回というところです。
最初のころは、それまで書きためてきたエッセイをアップするのがやっとでした。しかも、カットも写真もなく……。「文章で勝負」の心意気だったのです。
それが今では、写真が9割以上のフォトエッセイをアップするようになってしまいました。
ただでさえ忙しいのに、時間と労力を注ぎ込んで、なぜこんなことをしているのだろう……そう思わないわけではないのです。
この1年で、右手親指の関節炎が悪化の一途。明らかにパソコンのやりすぎ。こんな弊害も生んではいるのです。
タイムリーに書けず、いらいらすることもあります。それを意識するあまり、文章の推敲が足りなくて、アップした後で手直しすることもあります。
内容をもう少し吟味しなくては、と反省もあります。
アクセスカウンターは、もうすぐ5000になろうとしています。
じつを言えば、この数字の変化がとても気になる。四六時中チェックしているのです。
ぞろ目になっていたり、ぴたり大台に乗った切りのいい数だったりすると、写真に撮ることもあります。
いいえ、何よりも、毎日少しずつ数が増え続けている。そのことがうれしい。
1日平均13人。最多の日は51でした。顔は見えないけれど、それだけ多くの方がたが、インターネットの向こうで、私のブログを読みに来てくださっている。そのことがとてもうれしいのです。
そのことに支えられて、1年間やってきました。
本当にどうもありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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新聞に投稿が載ってみると…… ― 2012年10月12日
半月ほど前、9月25日の朝日新聞「声」欄に私の投稿が掲載されました。当日のブログ記事でご紹介したとおりです。
掲載については事前に連絡があったので、その日の朝、朝刊で自分の投稿を確認するとすぐに外出してしまい、夕方帰宅しました。
すると、Facebookにはすでに、私の投稿の紙面を写真に撮って、アップしてくれた方がいました。さらに、その記事を10人以上の方が、「シェア」をして、さらに友達の友達へと拡散させてくれました。
私の投稿に共感してくれて、広めたいと思ってくれたのです。
改めて、命の問題を、障害の問題を、考えるきっかけとしてくれたのです。
たかが10人と思われるかもしれませんが、私のFacebook歴1年のなかで、初めてのことでした。
Facebookには実名で登録し、まず「友達」を作ります。「友達リクエスト」が承認されると「友達関係」ができ、さまざまな情報を共有できるようになるのです。ある友達の情報を「シェア」すると、今度は自分の友達にもその情報を広めることができる。
つまり、たかが10人、されど10人。100人の友達がいる10人がシェアしたら1000人に広まる、というわけです。
これが広がっていけば、あっという間に何万、何十万人となるわけで、どこかの国のように、革命だって起こしてしまえるエネルギーになるのです。私には、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の底力を垣間見た思いでした。
ただ、冷静に考えると、けっして私の投稿内容だけがすべてではない、といえそうです。
その媒体が朝日新聞だったからではないでしょうか。新聞という確かな後ろだてがあるから、安心して受け入れてもらえたのではないでしょうか。
もちろん私自身も、新聞が認めてくれたという安心感を持ちました。
逆から言えば、マスコミの情報はいつも正しい気がしている。
でもちょっと待って。本当に真実だろうか。
マスコミが容疑者をあたかも犯人扱いして、無実の人を苦しめたことがありました。原発事故以降の報道にも、いろいろと問題があるようです。
自分の投稿を載せてもらっておいて、こんなことを言ってはなんですが、新聞といえども、疑ってみる必要があるでしょう。
私の場合は、たかが一介の市民の体験談。どうこう言うほどのことはない。大げさだと思われるかもしれません。
でも、そんなちっぽけな私の投稿でさえも、新聞という権威を借りて、広めてしまうことができるのです。そのことを生で感じたのでした。
私自身、これからはますます責任あるエッセイを書かなくては、と襟を正しました。
ところで、この投稿文の主人公、次男ですが、これを読ませたところ、1行目を見るなり、
「母さん、もう57かよ~」ですと……。
でも、最後まで読んで、こう言いました。
「母さんが、そういう覚悟でオレを生んでくれたことが、よーくわかったよ」
きざなセリフを冗談めかしてサラリと言ってのけ、親を喜ばせる。彼にはそういう才覚が備わっているのです。末っ子ならでは、なのでしょう。
そして、私のその覚悟は、今でも変わりない、と思っています。
(いえ、もう生めませんが……)
どうもありがとうございます!
エッセイの書き方のコツ(11):体験は強し ― 2012年10月18日
私も少しずつ買い揃えています。
たとえば、断水になったとき、給水車から水をもらってこられるように、持ち手の付いた折り畳みのポリタンクも、すでに買ってあります。アウトドアにも使えそうだし。
そんな話を自慢げにしていたら、東北の被災地に住む友人が、
「リュック型のがいいのよ。お水って意外と重いんだから」と教えてくれました。
なるほど、たしかに……。非常時には、どれほどの距離を運ぶことになるかもわからない。背負えるほうが絶対便利です。体験者の話は説得力あり!!
書いてある内容に体験談があるとないとでは、説得力も迫力も大きく違ってくるはずです。
またまた手前ミソでごめんなさい。先日の新聞の投稿も、私の妊娠というかなり個人的な体験を通して、出生前診断に反対の意見を伝えたつもりでした。
「倫理的に問題があるから、命の選択を迫る安易な診断は反対だ」
などと抽象的な意見文だけをとうとうとつづっても、一日に200通以上という投稿の狭き門をくぐることはなかったでしょう。
自分の体験を通して、社会的な問題を考える。個人から一般へ。
このプロセスが、エッセイにはとても大切だと思います。
それから、リュック型のポリタンクも、どうぞお忘れなく。
敬語の話 ― 2012年10月25日
敬語とは、目上の人に敬意を表すために使うもの。ところが、最近の敬語は、上下関係だけではなく、横の関係、つまり親しさのバロメーターにもなってきている、といいます。
――例えば、頑固なお父さん。
娘が彼氏を連れてきた。最初はこちこちで、
「お嬢さんとお付き合いさせていただいております」
なんて、上司に対するような敬語を使っているけれど、お酒でも入ってうちとけてくると、
「お父さん、この家、広いっすね。高かったっしょ。ご苦労様でーす」
などと、砕けすぎの口調に……。
ご苦労様なんて、下の人に使う言葉ですよね。
彼氏は、親しみを込めたつもりなのに、お父さんは、なれなれしくされて、気に入りません。今の若者は言葉遣いを知らんのか、というわけです。
私は、40歳のときに3人目の子が生まれましたから、そのママ友は、ほぼ全員年下。なかには当然一人目の子のお母さんもいて、20歳近く年下という人もいました。
それでも同じ学年のママ友同士、ため口でおしゃべりをして、年齢と関係なく仲良くなれました。
ところが、いつまでたっても、私には敬語のままの人もいました。
その人の目に、私はものすごく年上のオバサンに映っていたのでしょうね。ママ友というよりは、人生の大先輩みたいな……。
「今度の飲み会、いらっしゃいませんか~」
などと誘われても、楽しくなさそうな気がして、丁重にお断りしました。あちらもほっとしたことでしょう。
結局、そういう人とは仲良くなれませんでした。
頑固なお父さんは上下関係をはっきりさせたいけれど、私は親しさ、近しさを感じていたかったのです。
敬語って、難しいですね。
いいえ、本当に難しいのは、人間関係なのかもしれませんね。
エッセイの書き方のコツ(12):敬語は控えめに ― 2012年10月27日
前回の「敬語の話」を受けて、エッセイを書くときの敬語について考えてみましょう。
例えば、エッセイのなかの次の文。
Aさんは、傘を貸してくださった。
書き手にとっては、とても親切なAさんだから、思わず感謝と敬意を表したにちがいありません。あるいは目上の人だったのかもしれませんね。
Aさんは、傘を貸してくださった。ご自分は雨の中を走って帰られた。おやさしい方でいらっしゃった。
ここまで来ると、もやもやとした読みづらさを感じませんか。
敬語がくどいだけではありません。敬意という書き手の気持ちが、読み手に向いているのではなく、Aさんに向いているからです。読むうえでじゃまな情報なのです。
Aさんは、傘を貸してくれた。自分は雨の中を走って帰った。やさしい人だった。
これなら読みやすいですね。
ときどき、年配の生徒さんのエッセイに登場するのが、恩師のエピソード。
B先生も一緒に校歌を歌われたとき、目に涙を浮かべておいでだった。
一般に、年配の方ほど、敬語がなじんでいます。まして、先生のことを書くのに、敬語を使わずにはいられないのでしょう。いけないと決めつけるつもりはありません。
それでも、読み手がもやもやとしないために、工夫が必要になってきます。
せめて1か所だけにする。
軽く受身形の敬語にとどめる。
などなど、控えめにする方法はありそうですね。
B先生も一緒に校歌を歌ったとき、目に涙を浮かべておいでだった。
B先生も一緒に校歌を歌ったとき、目に涙を浮かべておられた。
文は人なり。文体からも、書き手の年齢や人となりが表れる。
それもまたエッセイのおもしろさですね。
秋のエッセイ:ハロウィーンの夜に ― 2012年10月31日
宝物。それはこのエッセイです。
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ハロウィーンの夜に
今年も風が冷たくなって、店先に黒とオレンジ色の飾りが目につくようになった。この時期になると、忘れられない思い出がよみがえる。
ハロウィーンという言葉さえ日本では知られていなかった30年前の話である。
大学卒業後、英語の勉強を名目に、新学期の始まる9月半ば、ロンドンへ飛んだ。一度旅行をしたこともあるし、英語学校もホストファミリーも日本から決めてきた。万全のはずだった。が、予期せぬ事態発生。着いて2日目、強烈なホームシックにかかってしまったのである。
ホストファミリーは部屋の家具も食事も予想以上に質素だった。お客さんじゃないのだからとわかってはいても、涙が止まらなくなった。腫れあがったまぶたを隠すようにして街に出れば、ゴミが舞う商店街、臭気のする地下鉄……。何を望み、何に憧れてここにやってきたのか、わからなくなっていた。
その日の夕方、私と同じ学校に通うという女性が、スイスから到着した。
「マリスです、よろしくね」
身を屈めるように手を差し出してきた。すらりと背が高く、くりくりした目と金髪のウェーブ。私よりひとつ年下だけれど、英語ははるかに上手だ。私のつたない言葉をよく理解して、おしゃべりをつないでくれるのだった。
学校に着くとまず、半地下にある食堂へ。そこで午前の授業を終えたマリスと落ち合う。社交的な彼女の周りには、たくさんの仲間がいた。ヨーロッパ各国の生徒たちである。
10月になると、食堂の入口に顔をくりぬいたランタンが置かれた。そういえば、子どものころ教会学校でもらってくる外国の冊子に、お化けと子どもたちの漫画が載っていた。そこで見たランタンと同じだ。私は今、あの漫画の子どもたちと同じ世界にいるのだ……。
ハロウィーン。11月1日はカトリックの聖人たちの祝日で、その前夜は邪悪なる者たちがお祭りをするのである。英語学校でもその夜は仮装パーティーが開かれるという。
でも、最小限の服しか持ってきていないし……とあきらめていたら、「大丈夫、私に任せて」と、ホストファミリーの奥さんが、近所を駆け回って衣装をそろえてくれた。
マリスにはグリーンのジャンパースカートに白いブラウス。私には同じ色のブレザーにネクタイ。この地域の小学生の制服だそうだ。ふたりとも、赤い頬紅をまるくさし、目の下には大きなそばかすをたくさん描きこむ。マリスはリボンで髪を束ね、私は男の子っぽくキャップを斜にかぶった。こうして出来上がったノッポとチビの小学生カップルは、ペロペロキャンディを片手になかよく手をつないで、夕暮れのなか、学校へと向かった。
いつもの通学路に、白いチュチュを着た無精ひげのバレリーナが通る。笑い転げていると、血を滴らせたドラキュラがマントをひるがえして追いかけてくる。悲鳴をあげて逃げると本当に怖くて、ドキドキしながら大笑い!
パーティー会場の食堂も、今宵はかぼちゃのランタンに火がともり、薄暗いディスコになっていて、ダンスパーティーが始まる。先生も生徒も、狭いフロアでダンスに興じる。
やがて魔法使いのおばあさんが登場して……。じつは校長先生、男の子と女の子ひとりずつに仮装大賞を贈ります、と発表した。
「女の子の賞は、キュートな宇宙人に……」
銀色のぴったりしたコスチューム、揺れる2本の触角をつけたドイツ人の女の子だった。
「次に、男の子のベストワンは、日本から来た小さくてかわいらしい小学生に!」
私のことだった。なんと、男の子の賞をもらってしまったのである。
その夜、私の頬には祝福のキスの雨が降り注いだ。描きこんだそばかすはかき消され、ホームシックも嘘のように消え去っていた。
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このエッセイ、読んだことがある、と言われる方、そのとおりです。
1年前にもアップしています。
ところで、この夜の写真があるはずなのですが、どうしても見つかりませんでした。
来年までに探し出しておきましょう。お楽しみに。
わが家の子どもたちも、小学生のころは「お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ」と言って、お菓子をもらい歩いていました。
また、近ごろはハロウィーンではなく、ハロウィンと書くようになっていますね。
そんなことにも時の流れを感じます。