旅のフォトエッセイCroatia2019 ②ドゥブロブニクの城壁を歩く ― 2019年11月05日

紀元前の昔から、ヨーロッパという地域は、多くの巨大勢力が台頭し、領土を奪い合う歴史を繰り返してきました。クロアチアも例外ではありませんでした。ローマ帝国、フランク王国、ビザンツ帝国、オスマン帝国、ハプスブルグ家、ナポレオン軍、そしてハンガリー、オーストリア、イタリア、ナチス・ドイツ、ユーゴスラビア……などなど、次々と支配が入れ替わる変遷の歴史をたどってきました。
そんな中で、ドゥブロブニクはローマ人がラグーサ共和国をうち建てて、14世紀に独立し、ベネチア同様の海洋都市国家となりました。海運貿易で富を蓄え、イタリアからルネサンス文化が入り、15、16世紀には繁栄を誇ったそうです。
都市をぐるりと取り囲む頑強な城壁が完成したのもその頃でした。
「アドリア海の真珠」と呼ばれるほどに美しい街、ドゥブロブニク。その旧市街は、1979年に世界文化遺産に登録されています。
着いた次の日の夕方、ロープウェイで町の北側にそびえるスルジ山に上りました。標高412mのこの山からは、旧市街を見下ろすことができます。
「みなさま、下に見えますのが、ドゥブロブニクの旧市街で、ございます!」というぐらい、手に取るように見えました。

▼旧市街が城壁で囲まれているのがおわかりいただけるでしょうか。

日が落ちて、城壁がライトアップされてきました。


その翌日には、朝から城壁を歩きました。1周2km。快晴の空の下、真夏のような強烈な日差しが降り注ぎます。
▼ここが入り口。この階段を上って城壁に上がります。
料金は大人150Kn(クーナ)。日本円にして約2550円。

城壁にはところどころに要塞が設けられ、狭い通路や階段が続きます。幅1メートルほどしかない箇所もあります。当時の兵士たちは戦闘服を着て、武器を持ち、この狭い城壁の上を機敏に動き回ったのでしょうか。
今は、のんびりと観光客が歩くばかりです。

▲今回の旅の相棒、ヒロミさんです。赤い帽子と黒いサングラスがお似合い。
私はといえば、スーツケースに一度入れた半袖のTシャツを、寒そうだからと出して置いてきたことが悔やまれてならず……。寒さ対策だったストールが、直射日光を遮ってくれる日よけになりました。

対岸の崖の上にも、ロヴリイェナツ要塞という名の大きな要塞が、海をにらんでいます。手前の、大砲が置いてある所が、今通ってきたボカール要塞です。▼

▼これは何の箱でしょう。銃や弾丸を入れたのかしら。謎の石の箱です。


城壁に守られている内側の家々を見るのも楽しい。
洗濯物、よく乾くでしょうねぇ。


さて、ほぼ半周を歩いたところで、聖イヴァン要塞に来ました。北側には、昨日上ったスルジ山がこちらを見下ろしています。▼

▼ここから、旧港が見下ろせます。

さらに進んで、聖ルカ要塞へ。
旧港の手前に見えるのは、ドミニコ会修道院。▼

えっちらおっちら上り坂を進んでいくと、向こうに筒状の建物が見えてきます。ミンチェタ要塞です。城壁ウォークのなかでも最も高い場所なのです。暑い暑い。さらに要塞の中の狭い階段を何段も上って……

▼やったー! 城壁征服! 真っ青な空に踊るクロアチアの旗の下で、思わずVサイン。

そして、見下ろす旧市街。オレンジ色の屋根の波。▼


私が滞在している間、ドゥブロブニクは毎日明るい陽ざしを浴びて、平和そのもののように見えました。
しかし、「アドリア海の真珠」と呼ばれるこの街は、世界遺産になった12年後、爆撃を受けてかなり破壊された。それでも、ユネスコの支援のもと、再び元の姿を取り戻したのでした。
戦争の話は、また次回に。
ともあれ、お疲れさまでした!!

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