PRIDE2014年05月23日

長いこと彼らのファンだった。長男が生まれたころから、車の運転中はいつも彼らの曲をかけていた。

 

12年前に書いた「恋の歌」というエッセイの一節である。

彼らというのは、ほかでもない CHAGE&ASKA

今でも、同じ思いだ。

 

なんといってもASKAが好きだった。

その声も、作り出す歌も、クリーンでまっすぐな人間性も。

 

私のエッセイは、さらに続く。

 

長男は、3歳のときに自閉症と診断された。まだ生後2ヵ月の長女も連れて、療育施設へ通い始める。その往復にも彼らの歌を聞き続けた。意味のある言葉に慰められるというよりも、ビートの効いたロックや恋のバラードで魂を揺さぶられ、そこに生じるエネルギーで日々の子育てを乗り切っていたような気がする。

 

あの苦しかった時代に、私の大きな支えだったのだ。

 

いつか生のステージを見てみたい。行くなら息子と二人で。そう心に決めていた。

 

息子が15歳になったとき、その夢がかなった。彼らをまねて、二人とも黒ずくめのいでたちで、横浜アリーナのコンサートへ、腕を組んで出かけた。

 

懐かしの曲も、最近のお気に入りも、いっしょに歌い、ハートが熱くなる。そして、甘くやさしいありふれた恋の歌が始まったとき、ふと思った。

息子は、本当なら好きな女の子でも連れて、恋の歌を聞きに来るんだろうに……。いつまでもこの母親といっしょなのだろうか。いつまで私はこの子の恋人代わりでいられるのだろうか……。

不覚にもぽろりと涙がこぼれた。

 

この数年前にも、「プライド」というエッセイを書いている。

 

だれかが歌っている。眠りの底のわずかな意識でそれを聞いていた。

 

  伝えられない事ばかりが

  悲しみの顔で 駆けぬけてく

 

だれだろう……。ああ、息子の声だ、隣の部屋の……。一人でじょうずに歌ってる……。

 

  心の鍵を壊されても

  失くせないものがある

  プライド

 

チャゲ&飛鳥の「プライド」だ。こんなにいい歌だったなんて、今まで思わなかった。母親が運転中にかけるCDの曲を、息子は歌詞カード片手に聴いて、暗記してしまうらしい。午前6時まであと少し、ベッドの中で息子の独唱に聞き入っていた。彼がまだ小学校1年生のときのことだ。

 

自閉症の息子は、難しい歌詞を覚えてしまうほどの能力がありながら、言葉を使ってコミュニケーションをとるという社会性が育たない。

エッセイはさらに、小学校5年生のときのエピソードがつづられる。2泊の自然教室に参加したのだが、学校側の配慮で、女性の先生方の部屋に寝かせてもらった。

 

11時には寝てました。でも、起きたのは3時半。カーテンをぜんぶ開けて、『自然教室終了まで、あと36時間30分!』ってアナウンスするんです」

 先生が、もうちょっと寝てようね、と言うと、はーい、と布団を被るのだが、しばらくするとまたがばと起き出してカーテンを開けて「終了まで○時間×分」の繰り返し……。

 もうしわけなくて言葉もなかった。

 息子の障害は、相手の心が見えないところにある。目の不自由な人が触覚や聴覚を頼りに歩いていくように、息子も、手探りの体験を通して、人の心がわかる術を少しずつ覚えていかなければならない。

 でも、何より大切なのは自分の心。見失うことなく、プライドを持って生きてほしい。

「プライド」を聞くたび、凛とした気持ちで息子の将来に目を向ける勇気が湧いてくる。

 

やがて息子は立派に成長し、プライドを持って働けるようになった。

たくさんの人々、たくさんの歌に支えられて、がんばってきたのに……。

 

勇気をくれたはずのASKAは、いつのまに、プライドを失くしていたのだろう。

 


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