ダイアリーエッセイ:娘はふたたび大空へ ― 2022年02月27日
朝から雲一つない真っ青な空が広がる。
娘は、東京勤務の夫に見送られて、ふたたび上海へと向かう。
彼女を乗せた飛行機が飛び立つ時刻、私はひとり空を仰いだ。
コロナ禍の収束が見えない今、次に会えるのは何年先だろうか。
今回は日本で1週間、上海で3週間の隔離が必要とされた。重責の仕事に就く身で、そうたびたび許されることではないだろう。
さらに、この一時帰国の間に、彼女の夫のロンドン勤務が決まった。
娘が数年後に長期休暇をもらえる時には、帰る先は日本ではない。夫のもとに向かうのだ。二人にとっての〈わが家〉は、もう日本にはなくなるということだ。
いずれはそんな日が来ることぐらいわかっていたはずなのに。
娘と同じ志を持つパートナーと二人、海外に羽ばたいていくことを、応援してきたはずなのに。
先日来、まさかのロシアのウクライナ攻撃に、憤りを覚え、胸を痛めている。
一昨日のテレビで、ウクライナ人女性のインタビューを見た。
彼女は日本在住で、彼女の母親はウクライナで暮らしている。母親とはSNSで連絡が取れているという。
「大丈夫、怖くない、と母は言うけれど、その表情には恐怖しかない」
彼女は流ちょうな日本語で語り、涙をぬぐった。
明日は我が身などと思いたくはない。
戦争でなくても、災害や、今回のようなパンデミックで、互いに何が起きてどうなるか、未来のことはわからないのだ。
娘が、また遠くなった。
その思いが募るばかりで、まだ何の覚悟もできていない。
元気でいるようにと、祈るほかはない。
そして、ウクライナの人々に平和が戻るようにと祈っている。

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