新シリーズの予告です! ― 2025年06月15日
いつまでも続いて、終わりが見えない「南フランスの旅のフォトエッセイ」ですが、予定では、あと4回ぐらいで最終回としたいと思っています。
終わらないうちから、次の予告をさせてください。
(というより、シリーズがちっとも続かない言い訳かも……)

今年の2月7日に、この写真をアップして、「招かれて」というエッセイを載せました。本当に、この絵に招かれるように、鳥肌に導かれるように、カヨさんと二人でニースに行くことになったのです。
彼女は一足早く、今はイタリアに滞在中で、6月26日にニースで落ち合うことにしました。
私はといえば、ニースへは直行便がなく、どうせパリを経由するならば、パリにも寄っていこう、と思いたちました。一人旅には慣れているし、大丈夫よ……と軽く考えてしまったわが身の浅はかさ。慣れている一人旅は日本国内のこと。ヨーロッパで一人旅をしていたのは、まだ怖いもの知らずだった20代の頃のはず。あの頃の私と今の私とは別人だというのに。体力も知力も判断力も順応力も、何もかもが違っているのに。
考えれば考えるほど、だんだんと不安が募ってくる。夜も眠れないし、体調不良の日が増えて……。
でも、もう後へは退けません。ここでへこたれてなんかいられない。
本を買い込んだり、ネットを駆使したりして、情報を手に入れ、パリの一人旅の計画に没頭し始めました。がんばれ、私。
そうそう、パリを訪れたいと思ったのは、5年前に火災に遭ったノートルダム大聖堂が昨年12月に復活したからです。ぜひ見に行きたいと思っていました。
そして、もう一つ、コロナ禍が終わったら、パリ近郊のランスの町も訪ねたい。画家の藤田嗣治が晩年を過ごした町で、彼はフジタ礼拝堂を作り、そこに埋葬されています。フジタの絵も好きですが、彼のロイドメガネの風貌が亡き父に似ているので、親しみを感じてもいました。
ランスは、シャンパンで有名なシャンパーニュ地方にあります。
そこで、はたと気がついたのが、この絵。

カヨさんに譲ってもらったこのアート作品は、ミュシャのリトグラフをプリントしたもので、貴族の男性が着飾った女性二人にシャンパンを注いでいます。エドシック社というシャンパン会社のために描かれたポスターでした。
今はわが家の玄関に飾ってあります。よく見ると、右下にReimsと書かれている。ライムではなく、ランスと読む地名だったのです。
この絵もまた、私を招いている気がして、鳥肌が立ちました。
かくして、偶然が出会いを生み、二人の夢をかなえようとしています。
次のシリーズは、この旅をつづるつもりです。
それでは、6月22日、古希の大冒険に行ってまいります!

南フランスの旅のフォトエッセイ:⑰Villa Montroseとの出会い ― 2025年06月06日
この南フランスの旅に出発した日から、とうとう1年が過ぎてしまいました。
出発の前日6月3日には前書きのような記事を書いています。そこに、2冊の本を紹介しました。1冊目の著者ステファニーさんについてはいろいろと書いてきましたが、これからはもう1冊の著者、町田陽子さんと夫のダヴィッドさんにお世話になって、旅が続きます。
そもそも、出会いは本より先に、南フランスの情報をあれこれインターネットで検索しているときに見つけたのが、Villa Montrose(ヴィラモンローズ)のホームページでした。
一目瞭然、ぜひご覧ください。私がひと目でとりこになり、「ここに泊まりたい!」と思ったことがおわかりいただけるでしょう。
シャンブルドット、つまりフランス版民宿。築120年の古民家をリフォームして、寝室・サロン・バスルームのスイート仕様で広々45㎡の客室に、毎日ひと組限りのお客さんをもてなしてくれるというのです。
宿を営むのは、東京でプロバンス料理のシェフを10年務めたというダヴィッドさんと、日本人の妻の陽子さん。例の本の著者というわけです。
しかも、ダヴィッドさんが自家用車を運転してプライベートツアーのサービスも提供してもらえる。「絶対ここに行きたい!」という気持ちが高まって、旅の計画が進んでいったのでした。
宿は、プロバンスのリル・シュル・ラ・ソルグという小さな町の中心部にあります。
舌をかみそうなこの名前は、ソルグ川に浮かぶ島という意味で、文字どおり町はソルグ川の透明な流れに取り囲まれています。
いつまでも散歩していたくなるような、穏やかで気持ちの良い街でした。



これ、なんだかわかりますか。耳です。耳の形をした彫刻が川底にあります。ゴッホが自ら切り取った彼の耳……などというまことしやかな都市伝説もありますが、れっきとしたアーティストの作品だそうです。

リル・シュル・ラ・ソルグは、パリ、ロンドンに次ぐヨーロッパ第3のアンティークの町だとか。骨董品には手が出ないし、興味もなかった私ですが、ここに来るならにわか勉強でもしてから来ればよかった、とちょっぴり後悔……。
毎週日曜日には骨董市がたちます。さらに春と秋の2回、道路を封鎖して大きな国際アンティーク市も開催されるそうです。
川沿いにも、こんな雑貨屋さんが。▼

川沿いの道を折れて、土壁の家々に挟まれた道を進み……


ようやく見つけました。ヴィラモンローズです。
漢数字の七のように家を抱きしめているのは、ジャスミンの木。白い花が満開です。




では、扉の奥のご案内は、まだ次回。⑱に続きます。
南フランスの旅のフォトエッセイ:⑯エッセイ:ピカッと降りてきた ― 2025年05月19日
ピカッと降りてきた!
アビニョンからはバスで、旅の最後の目的地、リル・シュル・ラ・ソルグへと向かう。バスターミナルの906番から13時20分発のバスに乗って、約1時間だ。
駅の周りにはたくさんのバス停もあるし、乗り場もすぐにわかるだろうと、高をくくっていた。ところが、いくらバス停の時刻表を調べても行き先は見つからないし、行きかう人に尋ねても英語が通じなかったりで、またしても迷子になった。
「さっき、バスがそこの角を曲がったから、行ってみよう」
スーツケースをゴロゴロ引きずりながら歩いていったけれど、結局、駅をぐるりと一周してしまっただけで、それらしきものはどこにもない。
時刻は午後1時を過ぎている。20分発を逃すと、次のバスまで2時間待たなくてはならない。
その時、ピカッとひらめいて、思い出した。さっきのバスが消えた角に、倉庫のような建物があったはず……!
もう一度行ってみると、果たしてフランス語で「テルミネ」と書いてあるではないか。この建物内こそがバスターミナルだったのだ。バス停はバスターミナルにあらず。思い込みは恐ろしいのだと悟る。
薄暗い建物に入っていくと、いくつものホームが斜めに並んでおり、バスも何台か止まっていた。
窓口に駆け寄る。目的地まで大人2枚の料金を払って、係員に確認した。
「906番のバス、まだ出発5分前ですよね」
彼は時刻表を確認しながら、厳しい顔で「ノー」と言うではないか。もう出てしまったのだろうか。
「5分前ではない。10分前だ」。そう答えて、彼はニコッと笑った。
焦ってやって来た乗客はちょっとからわれて、ほっと力が抜けたのでありました。
やれやれ……

▼アビニョンで人気のジェラート屋さん、アモリーノ。ステキな薔薇の形に仕上げてくれます。


南フランスの旅のフォトエッセイ:⑮アビニョンの橋で♪ ― 2025年05月13日

フランスに来て4日目、ニースは早朝から真っ青な空が広がっていました。
郊外にある閑散としたサン・オーガスティン駅から電車に乗ります。


車両のドアまでが、まるで梯子段のようなステップなので、とてもスーツケースは持って上れない。どうしようかと迷う間もなく、後ろにいた男性が軽々と持って運び上げてくれました。Merci beaucoup!!



この駅は大きくて、混雑していました。朝ごはんを食べずに出発してきたので、おなかが空いて空いて……。でもお昼時で売店はどこも人がいっぱい。仕方なく自販機で、コインの投入がわからなくて、もたもたしながら、ワッフルを買ってみました。
これがまた、美味しい! さすがフランス! と感激。▼

途中マルセイユで乗り換え、4時間半ほどの長旅でようやくアビニョン中央駅に到着。駅ビルも売店もない、田舎の駅。
それでもすぐ目の前には、立派な城壁が続いています。並木や花壇が整備されていて、気持ちがいい。ホテルは駅からすぐなので、スーツケースを預け、さっそく城壁の内側へと広い道路を渡っていきました。


城壁の中には、古い街並みが今も残されています。▲
広場には、きれいな回転木馬も置かれていました。▼

その広場を抜けて、目的地の教皇庁宮殿へ。▼

時代は14世紀にさかのぼります。ローマ教皇庁が、いろいろとごたごたがあって、約70年間にわたってイタリアからアビニョンに移されていました。
その立派な教皇庁宮殿を見学します。世界遺産にもなっている建築物で、チケットを買うと、まずタブレットを渡されて首からかけます。それを見れば地図や見学ルートがわかるのだけれど、いかんせん広い敷地で、迷路のように入り組んでいて、工事中の場所もあったりして、階段を上ったり下りたり、重いタブレットは役に立たず、迷子になりました。
どうしても出口が見当たらず、入り口にたどり着いてしまうのです。こっそり出ようとすれば、係員に「出口に行きなさい!」と叱られる。ほかにも迷子の人たちがいて、一緒にうろうろしているうちに、何とか出口を見つけました。

こんな工事現場の通路も歩かされて……。 ▲
古めかしい石造りの建物にも、ラベンダーやアーティチョークなどなど、花や野菜の畑があって、ほっとできました。▼



やれやれ、と気を取り直して、さらに城壁を越えていくと、滔々と流れるローヌ川に、サン・ベネゼ橋が架かっています。これがあのアビニョンの橋。

アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ
アビニョンの橋で 輪になって 踊ろう
アビニョンという地名は、この童謡で、子どもの時から知っていたような気がします。
橋は、途中までしかないのです。ローヌ川が氾濫するたびに橋は壊れ、修復に大金がかかり、財政を圧迫。とうとう17世紀には修復を諦めてしまいます。
そんな哀れな橋ですが、今では教皇の宮殿とともに世界遺産となって、町を潤していることでしょう。




橋の上で、
「アビニョンの橋で、踊るよ、踊るよ♪」
と歌いながら、軽くステップを踏みました。
すると、近くにいたグループの女性たちも、
「ランランラー、ランランラー♪」
と、声を合わせて歌い始める。腰に手を当て、リズムに乗ってスキップする人まで現れて……。
ほんの30秒ほどだったけれど、同じオバサンどうし、言葉は違っても、子どもの頃の懐かしい歌で、ひとつになりました。そのことをだれもがわかったかのように、みんなで笑い合いました。
こういう瞬間が何よりもうれしくて、私は海外旅行が好きなのです。

南フランスの旅のフォトエッセイ:⑭エッセイ:恋リアにハマって ― 2025年04月29日
全10話、ニースが舞台だというので、ニース見たさに月額890円の料金を払って見始めた。

第1話。ニースの街の一角にある、メゾン・マルゴーというおしゃれなカフェに、背の高い日本人らしい若い男の子が入っていく。椅子もテーブルも窓側に少しだけ。誰もいない。がらんとした屋内の壁に並んだポスト。彼は名前を確認して、自分のポストから手紙を取り出す。
手紙には、この番組からの指示が書かれている。携帯電話は電源を切って金庫に入れてカギをかけること。それが「オフライン」の意味なのだ。やがて彼は一冊の青い表紙の冊子を手に、店を出て街を歩いていく。
こうして、日本からやって来た互いを知らない若い男女が順番に現れては、1人ずつニースの街へ繰り出す。男女5人ずつ。この日から10日間、番組からの青いガイドブックを目印に、彼らは互いに出会い、言葉を交わし、交際を始めていくのだという番組の設定が、だんだんにわかってきた。
連絡を取りたいと思ったら、ポストのあるマルゴーで、手紙を書いて相手のポストに入れる。連絡手段はそれだけ。番組からの指示も手紙だけで、第三者が現れることはない。
いわゆる恋愛リアリティーショー(恋リア)というらしい。最近できた新しい番組の形だという。それを見るのは初めてだけれど、数年前に出演者が誹謗中傷を受けて自死したという不幸な事件は聞いたことがある。
見ていても、どこまで脚本があるのか、「やらせ」があるのかはわからない。リアルとはいえ、そこには初めからカメラが回っているわけで、果たして、製作者の思惑どおりにリアルなドラマが展開するのだろうか。
登場する10人は、実際の〈人となり〉が紹介されていく。役者の卵だったり、水泳の選手だったり、モデルだったり……という具合で、ほぼ無名の人たち。ただし、誰もがイケメンで、チャーミングで、人選には力を入れたことがわかる。
さらに、見る楽しさを一層盛り上げているのは、途中にMCが入ること。
まるで、ニュース番組のコメンテーターよろしく、ニースの街のイラストの前で、中央に小泉今日子、両側に令和ロマンの2人が座っている。視聴者と同じ目線で同じ映像を一緒に見ながら、表情豊かに感想を述べたり、展開を予想してみたりして、視聴者の思いを言葉にしてくれるのだ。

彼ら10人は、運命の相手と出逢い、運命の恋をしたいと思って、このニースへの旅に参加している。だから、最初から相手を1人に絞らずに、いろんな人と話してみたい。そういう気持ちを汲むように、番組側は上手に出会いの機会を与える。何種類かの日帰り観光のデートを用意して、それぞれがデートに誘い合うようにと指示が出た。
ワイナリーへのサイクリングだったり、香水の手作り体験だったり、国境を越えてモナコへ行ったり……。こうして、数日の間に、いくつかのカップルが生まれたり離れたりして、意中の人への気持ちが絡み合いながら、番組は終盤に入っていく。
その頃には、私もすっかりハマってしまっていた。わが子よりも若い人たちのドラマなのに、こんなオバサンでも、ハラハラ、ドキドキ、キュンキュンしながら、見ているのである。自分でも不思議だった。
なぜだろう。昔を思い出している? 恋愛模様とは縁のない年ごろではあるけれど、自分だったら……なんて思っている? まさかね……と思い直しながら気づいたのは、オフラインの効果。簡単に電話ができたり、思いをスマホに打ち込んで送ったり、写真を撮って残したりなどできない状態というのは、まさに私の世代が経験した昭和の恋愛事情ではないか。それこそリアルな体験が私の記憶に眠っていたのだ。それが今よみがえってきて、相手だけを見つめ、自分の言葉だけで胸の内を伝えようとする彼らに、自分のことのように心を震わせ、共感しているのではなかろうか。
もちろん、ニースの映像は絵のように美しい。レストランの料理は本当においしそう。昨年の短い旅行では見つくせなかったし、彼らが訪ねていく場所にも行きたくなる。そんな相乗効果もあるのだろう。
この番組を見終わるのがもったいなくて、最終話はしばらく見ないでいた。
その頃だ、ステファニーさんがこの番組のコーディネーターを務めたことを知ったのは。
先日のトークイベントでは、たくさんのスライドを見せながら、彼女はたくさん話をしてくれた。最後のほうで、「オフラインラブ」にも話は及ぶ。
「ご覧になった方、いらっしゃいますか」と、ほとんど女性ばかり100人ほどの客席を見渡すと、急に熱を帯びたように、一斉に手が上がった。皆、番組の媚薬にやられているのだ。コーディネーターのステファニーさんが散りばめたニースの魅力に。
そして、とうとう最終話を見終えた。
3組のカップルが成立した陰で、恋を実らせることができずに泣いた人もいる。私はその後も、未公開映像や、帰国後の同窓会や、カップルのその後などを、YouTubeで見続けた。
1ヵ月が過ぎ、2ヵ月目の料金も引き落とされてしまった。でもいい、もう一度ニースの街を見てみたい。
今年も6月にニースを再訪する。ホテルは、メゾン・マルゴーの目と鼻の先。「聖地巡礼」をしてこよう。恋愛に一役買った壁のポストは、もう撤去されて、そこにはないそうだけれど。

★このシリーズは、次回からいよいよプロヴァンス地方のアヴィニョンに向かいます。お楽しみに!
南フランスの旅のフォトエッセイ:⑬ニースの街のフォトアルバム ― 2025年04月28日
ニースは予想以上に美しい街でした。
その魅力は、見た目の美しさだけではありません。
さわやかな空気、やさしい花々の香り、美味しそうなスパイスの香りなどなど、写真だけでは伝えきれないのが残念です。
ニースの中心、マセナ広場。▼

▼路面電車のケーブルは地下に埋めて、芝生の上を走る姿は、優雅です。

マセナ公園には、地面から噴き出る噴水があって、子どもたちがとても楽しそうに水を浴びて遊んでいました。▼

公園の周囲の花たちも満開!
ピンクはブーゲンビリア。オレンジ色はランタナ。


ガリバルディ広場には、きれいなメリーゴーランドも。▼


旧市街の中心には、ロセッティ広場があり、17世紀に創建されたサン・レパラート大聖堂が建っています。サン・レパラートは旧市街の守護聖人です。▼


ロセッティ広場には、一番人気のジェラート屋さんFenocchio(フェノッキオ)があります。▼


旧市街でも、広場でも、カフェやレストランはたいていお店の外におしゃれな色柄の椅子を並べています。▼



私たちも、気持ちの良いテラス席で、ニース風サラダと、名物のピザ、そして地元のビールをいただきました。とびっきりおいしくて、幸せでした♡
南フランスの旅のフォトエッセイ:⑫ステファニーさんのトークショーへ ― 2025年04月12日
南フランスの旅のきっかけともなった『ニースっ子の南仏だより12ヵ月』という著書、その著者であるルモアンヌ・ステファニーさんについては、これまでもご紹介してきました。
彼女のおかげで、昨年のニースの旅はとても楽しいものとなったのでした。
そのステファニーさんが来日。先週の5日(土)に、東京神田で彼女のトークショーが開催され、行ってきました。
すぐ近くの北の丸公園や千鳥ヶ淵の桜は、満開! 午後からのトークショーに間に合うように、午前中にお花見をして、晴天の空の下、桜を堪能するというプレおまけつき!


トークショーの会場は、東京神田の出版クラブ。なかなかにオシャレなところです。▼

ショーの初めに、一緒に来日した彼女の夫と二人の息子、夫の父親という総勢五名が登壇して、紹介されました。男性は白いワイシャツ、彼女は白いスーツ姿で、まるで洗剤のCMのようにさわやかな一家でした。▼

その後、ニース出身のフランス人の自称「落語パフォーマー」のシリル・コピーニさんが登場。彼女とは、高校時代からの同級生とのことで、二人の南仏トークも息が合って、なかなか面白い。


ステファニーさんは、南仏のたくさんの写真映像を見せながら、話をしてくれました。
おススメのレストランは? おススメのおみやげは? ニース近くのおススメの街は?……などなど、参加者が事前に送っておいた質問に、丁寧に答えてくれるのです。
レストランは、私が前回のブログに書いたシェ・ダヴィアも挙げていました。
おススメの街は、アンチーブ、ヴァルボンヌ、サントロペ。
じつは、今年の6月にふたたびニースを訪れます。今回は、2月7日の記事に書いたカヨさんと一緒に。このトークショーにも二人で参加して、「アンチーブは外せないわね」と意見が一致しました。ここにはピカソ美術館があるのです。
最後に、参加者全員、ステファニーさんからのフランスのおみやげをもらいました。配ってくれたのはご次男のガブリエル君。
10歳ながら、お母さんに似てチャーミングな紳士です。▼

いただいたのは、フレーバーティーのティーバッグと、もうすぐイースターなので、かわいいウサギと花の模様の紙ナフキン。
手書きのカードも付いていました。▼

さてさて、それにつけても、早くこのシリーズを終わらせなくては、ニース第2ラウンドの旅が始まってしまう。
がんばります。
南フランスの旅のフォトエッセイ:⑪エッセイ:「4」にご用心! ― 2025年03月11日
大変お待たせいたしました。
「南フランスの旅のフォトエッセイ」を半年ぶりに再開します。
今回は、1800字のエッセイにまとめましたので、お読みください。

「4」にご用心!
ニースに着いた翌日、朝からマティスやルノワールのゆかりの場所を訪ねたあと、ステファニーさんに教わったおすすめのレストランで、夕食をとることにした。予約をせずにお店に向かったので、室内は予約で満席だったが、テラスの席に案内してもらえた。外のほうがさわやかで気持ちがいい。
南仏のワインと言えば、ロゼ。まずはそれを頼んで乾杯してから、翻訳アプリを使ってはメニューを解読し、次々と注文していく。
「大好きなラタトゥイユは外せないよね」
「ニースに来たんだから、ニース風サラダじゃなくて、ずばりニースサラダだね」
「牛肉の料理も食べたいね」
「デザートは、ラベンダーの香りのクレームブリュレにしてみようか」
いつものようにおしゃべりに花が咲く。料理は期待以上に美味しい。なんとも形容しがたいスパイスの利いたラタトゥイユの美味しさに感激し、紫色のクレームブリュレに驚き、ワインも進んだ。
すっかり心地よくなったところで、テーブルで会計を頼む。レシートには手書きの文字で10種類ほどの料理やドリンク名が並んで、最後に合計149.5とあった。2人で26000円あまり。円安のせいでけっして安くはないけれど、ニースならではの食事が楽しめたのだから、気分は上々、満ち足りていた。
若いHiromiさんに、いつも2人分の現金を入れた財布を預けて、支払いを任せている。
「150ユーロと、あとチップを少し足せばいいんじゃない」
と、私は言ったつもりだった。軽くうなずいて、彼女は店内のトイレを借りるついでに、室内で支払いもすませてテーブルに戻ってきた。
「200ユーロとチップ、渡してきた」
「え? なんで。細かいの、なかったの?」
「だって、199.5ユーロでしょ」
「ええ? 149.5よ。ほら見て」
手書きのレシートを見せた。

たしかに4ではなく9にも見える。その隣には、アルファベットのgのような数字の9があって、彼女は錯覚してしまったようだ。
どうしよう! と困り顔のHiromiさん。
満席の店内で、会計担当の従業員は忙しくてよく見ないままお札を受け取り、たくさんのお金が入ったザルのようなお皿の上に、ぽいと置いたというのだ。
「私がいくら払ったか、もう確かめられないと思う」
「大丈夫、取り返してくるから」
50ユーロは見過ごせない。日本円で8600円なり。たとえチップとしても取り過ぎだ。
私たちのテーブルの担当だったウェイターをつかまえて、手書きのレシートを見せながら、つたない英語で事情を説明した。読み間違えてごめんなさい。でも、お返しくださったら、とてもとてもうれしい、とかなんとか……。
彼は数秒考えたのち、
「50ユーロでいいんですね。OK!」
と、気持ちよく紙幣を1枚返してくれた。2人でほっと胸をなでおろした。いいお店でよかったね。

レストランの名は、シェ・ダヴィア。ダヴィアおばあさんが始めた店で、もう70年以上も家族で営んできた。地元では人気のイタリアンレストランだという。シェフは京都や大阪でも経験を積んだそうで、奥さんは日本人。そういえばデザートメニューの中に「キョウコのお菓子」というのがあった。
日本人だから信用してもらえたのかもしれない。
ふと思いついて、昨年のパリオリンピック2024のポスターを見てみた。案の定、数字の4の横棒が縦棒を突き出ていない。9にも見える。▼

『地球の歩き方』のフランス編をパラパラめくっていたら、「フランス人の数字の書き方」というコラムがあった。0から9までの手書きの数字が並び、
「特に日本人にわかりにくいのは1、4、7だ」と書いてあった。▼


娘の一時帰国 ― 2025年02月25日
上海に赴任中の娘が、人間ドックを受診するために帰国した。どこかが悪いわけではなく、会社からの指示。よって往復の搭乗券は会社が負担。赴任してもう丸4年がたっている。
仕事の合間を縫って、1週間わが家に滞在し、今朝、ふたたび上海に戻った。
久しぶりというわけではない。これまでにも、ロンドン駐在の夫と二人で、お正月に来てくれたこともあったし、数ヵ月前には、私たち夫婦が上海を訪ねたばかりだ。
でも、これまでの帰国では、なかなか母娘二人だけの時間が取れなかったし、普段のラインや電話では、あまりおしゃべりな娘ではないので、娘の本心が覗けない歯がゆさがあった。やはり今回は、一緒の時間のなかで、母と娘の会話もできて、何よりそれがうれしかった。
近くで見ると、頬の赤い吹き出物が気になる。髪の毛も傷んでいて、水や空気があまりよくないらしい。
食事も外食ばかりだと、中国料理はどうしても脂っこいので、健康が心配になるから、忙しい日々でも、要領よく自炊するようにしているという。果物や野菜は新鮮で安く手に入るけれど、便利な冷凍野菜は質が悪い。日本からのフリーズドライなどの食材を使って工夫しているというので、帰る時には、おにぎり用の美味しい海苔や即席みそ汁などをたくさん持たせた。
娘は、日本にいる間に、人間ドックだけでなく、歯科検診やら、運転免許の更新やら、美容院やら、銀行の手続きやら、免税での買い物やら、たくさんの用事をこなしていた。外国に2年以上住んでいると、店舗によっては消費税が免税になるそうだ。
もちろん、たくさんの友人たちとも会った。30代半ばの娘たちは、すでに離職、転職した人、離婚した人、家を買った人、それぞれに人生を切り開いているという。娘もいろいろと感じるところがあったことだろう。
最後の夜は、たまたま招待されていた、ホテルの牛肉尽くしのスペシャルディナーコースを二人で堪能した。何杯もワインや日本酒を飲みながら、私の食べきれないお肉も余分に食べながら、いつになく饒舌な娘となって、胸の内を見せてくれたように思う。今は離れ離れになっている夫との暮らしも、将来の設計図も、上海での仕事内容も、少しだけではあったけれど、私には新しい発見があった。わが子ながら誇らしく思えた。
(もちろん、企業秘密や、口外したら怒られそうなことだから、ここには書けないのが残念)
そして、中国ではなかなか食べられない日本の美味しいものたち。握り寿司、たこ焼き、もんじゃ焼き、あんこの美味しい和菓子、母親、父親の手料理……などなど、彼女の好物を連日食べつくして帰っていった。
また、いつでも帰っておいで。
中国駐在は、まだあと1年か、長くても2年か……。そして、そのあとは???
娘の成長と、生活の変化と、見守りながら楽しんでいこう。

写真を撮られるのを好まない娘。今朝の出発間際にやっと一枚撮らせてくれた。娘を歓迎しようと、4年ぶりに飾ったお雛様の前で。

1200字のエッセイ:「招かれて」 ― 2025年02月07日
「夫が出張なので、来月の20日か21日に、拙宅にいらしていただこうかな」
と、カヨさんからラインが来た。昨年の11月のことだ。
「わー、うれし過ぎるわ♡ だって12月21日は、私の誕生日。それも70の大台に乗っちゃうのよ。きっと神様のプレゼントね」
「わーい、ばっちりね。ぜひいらして。なんと、私は今日が誕生日!」
偶然が重なるお招きに、鳥肌が立った。
カヨさんとはもう5年以上のお付き合いなのに、なにかと共通点があることがわかってきたのは、ごく最近になってからだ。はじめは、地域の小さな集いで顔を合わせて仲良くなった。年の頃もほぼ同じ。スリムな体にジーンズ姿が似合って、雰囲気はおだやかでおっとりとしている。
ひょんなことから、私がエッセイを書いていることがばれ、彼女も出版社に勤めるライターだったというので、おしゃべりが弾んだ。
さらに、私がアートを見にあちこち旅行する話をすると、カヨさんが言った。
「私の母がずっと画廊をやっていたの。もう高齢になって、6年前に店を閉じたのよ」
それも、おもにミュシャを扱う画廊だったという。女性をきらびやかに装飾した絵が、世紀末のパリで人気を博したアーティストで、私は若い頃から大好きだったのだ。聞いただけで気絶しそうだった。
「まあ、そうだったのね。じゃあこんどわが家にいらして。いっぱいあるから」
そして、私の誕生日にお呼ばれは実現した。
カヨさんの住まいは、わが家から車で10分のマンションの6階。リビングに通されると、富士山も見えるというテラスからは、太陽の光があふれんばかりに注いでいる。
真っ白な壁にかかった絵に、まず目が留まった。意外にもミュシャではなく、シャガールだった。人魚と花束と、そして、カーブを描いたニースの青い海岸線。
私が歓声をあげると、カヨさんが言う。
「いいでしょう! さすがヒトミさんね」
私はこの夏、ニースに行ったばかり。すっかり魅了されて、「また行きたい」と、言い続けている。
カヨさんも、母上がアートの買い付けにパリに出かける時には、たいていお供でついていった。ひと仕事終えてニースで骨休めをしたことはあったけれど、まだよく知らないので、「ぜひまた行きたいの」と言う。
シャガールが手がけたその絵は、ニースの観光局が発足した当時、ポスターとして描かれたものだ。
「ニース、太陽、花」というフランス語も、シャガールの手書きの文字が躍っている。
