若かりし頃のエッセイ「エッセイ教室初日」2020年07月06日

 



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エッセイ教室に新しく生徒さんを迎えると、多くの方がこのテーマでエッセイを書かれます。初めての場での新鮮な驚きや不安、あるいはワクワクした思いがあることでしょう。初心忘れるべからず、ですね。

 

今はエッセイ教室の講師を務めていますが、そんな私にも、生徒としてのはじめの一歩がありました。

 

 

   ・・・ エッセイ教室初日 ・・・

 

とんでもないことを始めてしまった、と思い始めていました。「エッセイの書き方」という教室で、Jさんの原稿のコピーが配られ、朗読が終わって間もなくのことです。 

その日、初めてこの教室に足を運んだ私は、門外漢のような顔をしてそこに座っておりました。なんでも、毎回この教室生のエッセイの中から一つ選んでみんなで合評するのだそうです。

 Jさん自らの朗読を聞いて、私はのんきにも、「あら、お上手。私もこのぐらい書けるようになるのかしら」などと感慨にふけっていました。が、それもつかの間、講師の先生の「ご意見をどうぞ」の一言を合図に、Jさんのエッセイに対する鋭い批評が教室のあちこちから一斉に飛び出したのです。あらお上手どころではありませんでした。他人の欠点はよく目につくというもの。次から次へと手厳しい批評が並べ立てられ、しかもご本人には弁明の機会は与えられないようで、それはもう〈さらしもの〉にほかなりませんでした。

新顔の私は、これはすごいことが始まったとあっけにとられていましたが、やがてその熱い雰囲気にのまれ、新顔の恥じらいも忘れ、よせばいいのに御大層に名乗りを上げて意見を述べてしまっていたのです。

次の瞬間、しまった! と心の中で叫びました。考えてもごらんなさい。哀れなJさんの姿は、明日のわが身ではありませんか。いずれ私にも〈さらしもの〉の番が回ってくるはずです。どうしてもっと早くそのことに気づかなかったのでしょう。

時すでに遅し。名乗りを上げてしまったからには、Jさんだけでなくみんなが私の名前を記憶に留めておき、生意気なこの新顔のエッセイにも鋭い批評で切り込んでくるに違いありません。

なんと恐ろしいこと。その日の私が身に見えるようです。私のエッセイは酷評のつぶてを受け、私の自尊心もプライドもいたく傷つけられてしまうことでしょう。

そうとわかってからは、もう生きた心地はしませんでした。現実のJさんが〈さらしもの〉になる日の自分にすり替わり、意見が出されるたびに震え上がりました。「とんでもないことを始めてしまった」という後悔とともに、ここにいる自分を恨めしく思いながら。

 

ではなぜ、この教室に通う気など起こしたのでしょうか。

今までの私は、エッセイはおろか、自分から進んでものを書くということはめったにありませんでした。どうしても書かなければならない場合は、苦しみながらもなんとか文字を連ねてまとめ上げていましたが。

書く機会を与えられなければ、私はめったに物事を深く考えることのない、文字どおり浅はかな人間です。感性だけが物事の表面を滑っていき、それで満足してしまいます。

これではいけない。真剣に書くことを始めよう、もっと考えるために。そう思うようになったのです。

もっとも、決してそのような自己修練的な理由だけではありません。私を行動へと駆り立てたのは、エッセイストたちへの憧れであり、隠れた文才を信じる自惚れであり、いずれ本の一冊でも、という甘い夢であったのです。

それだけで十分。いまさら何を臆することがありましょう。

 

「それではJさん、反論をどうぞ」

 講師の言葉に、やっと胸をなでおろしました。Jさんにも弁明の機会が与えられたのですから。Jさんが〈さらしもの〉だと思い込んだ私のほうが、よほどどうかしていたのです。

 もっと冷静になるべきでした。この教室に足を踏み入れた時から、自分でも気づかない意気込みと興奮状態の中にあったようです。

 そして、Jさんの何気ない言葉に、目からうろこの落ちる思いがしました。

「よくわかりません。自分では見えないんです」

 自分が書きたいことを書き、他人に読んでもらうのがエッセイだとしたら、自分の目ではなく他人の客観的な目こそが、エッセイを評価しうる立場にあるわけです。それを恐れていたら、この教室に通う意味はありません。

〈さらしもの〉にでも何でもならなければと覚悟を決めて帰宅し、さっそくペンをとりました。が、またもや「とんでもないことを始めてしまった」と思いました。書けないのです。心身ともに固くなり、ペンが進んでくれません。

どうやら私の興奮状態は当分続きそうな気配です。この肩の力が抜けた時、初めてエッセイストに近づけるのかもしれません。

 

・・・・・・・・・・・・

                               

今読み返すと、なんとまあくどい文章かとあきれます。

2000字以内という規定を300字も超えていたので、今回その分だけは削って載せましたが、それでもまだ4分の1ほどは省きたい。

さらに、これを教室に提出したのだから、私も若かったものです。

28歳当時の、気負いたっぷり、自信もそこそこ……そんな自分が見え隠れして、赤面ものですが、あえてこのままお披露目することにしました。

皆さんだったら、どんなご批評をくださるでしょうか。

ちなみに、当時はどんな批評を受けたのかほとんど覚えていないのですが、ただ一つ、「何が感性だか知りませんが……」と言われた先輩のきついお言葉だけが今でも脳裏に残っています。

それにもめげず、やめようとは思わなかったところを見ると、やはり温かい愛のムチだったのでしょう。

 

 



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