続・想像力 ― 2021年02月02日
前回の記事には続きがあります。
ヤマザキマリさんの『たちどまって考える』を読んで、想像力の大切さを説いているように感じた、と書きました。
ちょうどその本を読んだのと同じころ、朝日新聞のオピニオン&フォーラムに、「不寛容の時代」と題して、作家の桐野夏生氏が寄稿していました。

桐野氏といえば、20年以上前に『OUT』という小説を書いています。パート勤めのふつうの主婦が、何かのきっかけで夫を殺してしまう。その遺体をパート仲間で解体するという壮絶なシーンがありました。登場人物と一緒になって悲鳴を上げながら読み、友人たちと本を回し読みしたものです。すごい作家だと驚きました。女性でもこれだけ凄惨なシーンを書くのだと、半ばあきれ、半ば敬服したい思いに駆られたのでした。
新聞の寄稿文では、桐野氏はこんなふうに述べています。
あるインタビューで、「なぜ犯罪者を書くのですか」と問われます。それは彼女自身にもわからない。わからないまま闇の中を進むのも、小説を書くことなのだという。
正義と悪、右と左のように、二元論で語られるほど、人間は単純ではないから、法を犯すという事実を、単なる「犯罪」という言葉だけで片付けて、おもんぱかろうともしない人々は、傲慢で不寛容だ、とも書いています。
小説は、自分だけの想像力を育てる。他者と違うことが他者を認める礎となり、他社が取り巻かれている事実をおもんぱかる力を養うのである。それが想像力という力だ。
その言葉は、ヤマザキマリさんの言わんとする想像力の大切さと同じなのだと思いました。
そしてそれは、小説を読む醍醐味でもあり、小説愛好家へのエールにも思えたのでした。
(赤い文字は、ほぼ原文のまま引用させていただきました)
自閉症児の母として(68):ふたたび緊急事態宣言が出て ― 2021年02月06日
老人介護施設や障害者施設で、新型コロナのクラスターが発生していることもあり、長男がお世話になっているグループホームでも、感染防止に真剣に取り組んでくれています。
息子は、土曜の朝にエレクトーンのレッスンを受け、そのまま自宅に戻って1泊。翌日、日曜の昼食を済ませて、空いた電車でクループホームに戻る。これが毎週末の彼のルーティンです。
1月になって緊急事態宣言がふたたび発出されると、グループホームの責任者の方から、あるお願いをされました。土曜に帰宅したら、翌日ホームに戻らずに2泊して、月曜の朝、自宅から出勤するようにしてもらえないかと。電車で移動する時間を少しでも短くして、感染リスクを減らしてほしい、というのです。
わかりました、と二つ返事ができませんでした。リュックを背負って、職場へ行き、夕方の時間にホームに戻ることによって、どれだけリスクが減らせるのか。いつもは日曜の昼食が終わると、彼の頭の中にはホームに戻ってやるエレクトーンの練習や、自分の部屋の掃除など、午後の予定が渦巻くようになって、いそいそとしだすのに、そのまま自宅に居続けて、時間を持て余すのではないだろうか。心配になります。
そこで、こちらから提案したのは、緊急事態宣言が解除されるまで、週末も自宅には戻らないで、ホームで過ごすことにしてはどうか、ということでした。
本人も全く問題なしの様子で、すんなりと受け入れてもらえました。
これなら、週末の移動のリスクも減らせます。一件落着したと思いました。
ところが――
いつにもまして、ホームで大声を出すようになったのです。ゲームに興奮するのはいつものことですが、目覚まし時計が止まっちゃったと言っては、大声を出し、ゲーム機がおかしいと言っては、大声を出し……。さらには、持たせた50枚入りのマスクが粗悪品だったようで、ひもが切れてしまうことが度重なり、大声も度重なり……。
ほかの利用者さんからも苦情が出て、お世話人の方々を悩ませるようになってしまいました。
もちろん、困っているのは息子本人のはず。今度は私の所にも、出勤前やお昼休みになると、時計が、マスクが、……と電話がかかるようになりました。
あらら、少し不安定になってきたかな。あわてて替えのマスクの箱を抱えて、職場に出向きました。
息子は落ち着いた顔で仕事をしてはいましたが、責任者の方に尋ねると、
「そういえば先日、小さなトラブルがありました。今まで見たことがなかったから、ちょっとびっくりしました」と言われました。
やっぱりそうだったか。
緊急事態宣言の再発令で、緊張もしているだろうに、言葉の説明だけでは完全に理解することは難しいのに。それをわかっていながら、いつものルーティンを変更したばかりか、自宅に戻ってくつろぐ機会さえもなくしてしまった。
いけない、いけない、勇み足。親として、大いに反省しました。
春の緊急事態宣言の時に万事うまくいったからと、今回の宣言下ではついつい彼を過信して、先を急ぎすぎてしまったようです。
彼は、言葉で言い表すことが難しい代わりに、大声を出してみたり、電話をかけてきてSOSを発信したりしていたのでしょう。もっと早く気がついてあげればよかった。
この週末は、以前のように、土曜に帰ってきて、翌日ホームに戻ることにしました。これを書いている今は、お風呂上がりのひととき、のんびりとお決まりのテレビ番組(なぜかNHKBS4K)を見ながら、スマホをいじっています。
この帰宅を、以前のように毎週ではなく、一週おきに続けてみることにしました。
グループホームの責任者も、息子の状態を理解し、快諾してくれました。
これまでも、そしてこれからも、焦ることなく少しずつ自立の道を進んでもらいましょう。
3歩進んで、2歩下がる。息子も、そして親としても。

母から娘へ(1600字エッセイ) ― 2021年02月10日
◆ 母から娘へ ◆
昨年11月の末のこと、娘が夕飯を食べに来て、言った。
「上海へ転勤することになりました」
大卒で銀行に就職して10年目。同期入社の男性と結婚して4年になるが、子どもはない。2人とも本社勤務だった。夫を残して妻の単身赴任など、近頃は珍しくないらしい。
私の影響もあってか、娘は学生の頃から海外旅行が好きで、いずれは海外で働くのだろうと自然に思っていた。私の夢でもあったから、楽しみだった。
ところが、いざ現実となるとどうリアクションしていいのか、わからない。よりによってコロナ禍のこの時期に……と、ただ唖然とするばかりだ。娘が言うには、上司に「早く私を出してくださいよ」とちょっと口にしたら、すぐ上海行きの話が来たとか。好きこのんで今出たがる人も少ないのだろう。
もっとも、ヨーロッパに比べたら発生源の中国は収束に向かっており、上海も厳しい感染対策が敷かれているので、東京にいるよりよほど安全かもしれない。
海外とはいえ、時差も1時間で、片道4時間足らずの隣国ではないか。日本人も大勢住んでいると聞く。いやいや、隣国とはいえ、国の仕組みが根本から異なる社会主義大国だ。思わぬ事態が待ち受けているかもしれない。
やがて、出国の準備を進める娘から、出生届け先はどこだったかと聞かれたり、色あせた母子手帳の予防接種のページを写メして送ってみたり……。そのぐらいしか私にできるサポートはない。
そんな時、ふっと脳裏に浮かんだ私の母の言葉があった。
今から40年以上前、私がまだ独身で両親と住んでいた頃のこと。
就職先を1年半で飛び出し、日本語教師養成講座を修了した私は、最後の仕上げという名目で、英語の勉強に半年ほどイギリスに滞在する予定でいた。
これまでの勉強の費用はすべて自分でためこんだ資金でまかなった。イギリスでの授業料は、現地の奨学金をもらう手はずを整えた。特に両親に相談するまでもなく、すべては自分で決めたことだった。
両親は反対することもなく、見守ってくれた。結婚適齢期の娘が、結婚には興味を示さず、はるか遠くに半年も行くというのだ。パソコンもインターネットもない時代、エアメールか高額な国際電話ぐらいしか、連絡を取る手段はない。どれほど心配だったことだろう。
もうすぐ出発というある日、二人で昼食を作っていると、母がふと呟いた。
「そんなとこに、行かなくてもいいのに」
私は黙っていた。ただじっと、自分の半そでから出ている腕を見つめていた。どう思ったのかさえ覚えていない。何も感じなかったのだろうか。
あの時の母の気持ちが、今ようやくわかった気がする。応援したい気持ちは大いにある。でも、心配しだしたらきりがない。そんな複雑な母親の胸のうち。まさしく「子を持って知る親心」であろうか。
でも私は、母と同じセリフはけっして呟かない。
「そこへ行って、がんばっていらっしゃい。新しい経験を、日本と違う経験を、たくさん積んで帰っていらっしゃい!」
そう言って、送り出してやりたいと思う。


ダイアリーエッセイ:よりによって、バレンタインデーに ― 2021年02月14日
もうすぐ午後1時半になろうとしている。ちょうど今頃、娘は上海の地に降り立ったのではなかろうか。
出発の日は、2月14日だと聞いていた。早めにチケットを予約したらしい。
「送りに行こうかな」と私が言うと、成田発9時台のフライトなので、前日は空港に泊まることにしたから、来なくていいと言う。
そういうことか。夫だけが空港で見送るのだ。
今日は、聖バレンタインデー。よりによって、そんな日にしばしの別れをするのである。しばしと言っても、コロナの今、1年は行き来ができないかもしれないではないか。
娘の転勤が決まったら、彼は「寂しくなるなあ」ばかりを口にするようになったという。それはそうだろう。新天地へ飛び立っていく娘に比べたら、残される彼は、どれだけ寂しさを味わうことか。
今日は、誰もいないわが家でひとり、お雛様を飾ってみた。
よりによって、娘が遠くなる時間帯に、わざわざ娘の思い出に浸ることなどしなくてもいいだろうに、当然のように涙が出てくる。
昨日まではあんなに強がっていたけれど、強がっていたって、応援していたって、寂しいものは寂しい。それが母親の気持ちというものだ。
そうだ、お姫様とお内裏様の二人を、くっつけて置いてあげよう。二人が早く再会できますようにと祈りを込めて……。
うりざね顔のお人形が、しょうゆ顔の娘夫婦に見えてきた。
そして聖バレンタインにも、二人の絆を見守ってください、と祈っておいた。


ダイアリーエッセイ:ステキな一日! ― 2021年02月17日
日本でも、ついにワクチン接種が始まった。明るい希望のニュースだ。
初めは心配だったが、有効性が高く、副反応のリスクは低いそうだ。特異体質ではないので、ぜひ喜んで受けたいと、今は思っている。
午前中から、仲良しグループのラインが入る。
「次の月例会の日時を決めましょう。みんなでおしゃべりして笑い合って、そうやってみんなで年を取っていこうね!」
うれしくて奮い立った。けじめをつけて、緊急事態宣言が解除になったらすぐにでも……。こうして春3月の最初のお楽しみ行事が決まる。
関西は冷え込んだらしいけれど、東京地方は青い空が広がり、朝から春の日差しが暖かい。近所の郵便局へ。お気に入りの風見鶏の家の前を通ってみたら、ミモザの花が、もう咲き始めていた。


夕方、ポストに入っていたのは、友人が上梓したエッセイ集。白い地に生き生きとした金木犀の絵が楽しい。誘われるように開くとオレンジ色の装丁がまたオシャレ。彼女の朗らかで闊達なエッセイが、今の季節にふさわしい気がした。

郵便局へ出向いたわけは、年賀はがきのお年玉が当たっていたので、交換に。
3等賞の切手シートだけれど、85枚のうちの5枚。確率は悪くない。今年はツイているかもね。
おまけに、なぜか郵便局で、ミツカンのお酢を配っていた。

酢テキな一日でした!(お粗末)
俳句のエール ― 2021年02月27日
明るくユーモアたっぷりのエッセイを書くかたわら、俳句もたしなむ80代の華子さん。コロナ禍の今、俳句会もリモートになり、横書きでパソコンから投句するとか。そんな選考会で、華子さんの句が選ばれたそうです。
選者のコメントとともに、その句が送られてきました。
春浅し 夫(つま)を残して転勤す 華
〈選者のコメント〉
共に仕事を持つ若きご夫妻。妻の方に転勤の辞令。迷ったか、迷わずか、転勤を決めたのですね。夫も励ましたのでしょう。
浅春の出来事であるのと同時に、現代に生きる若い夫婦のあり様を詠んで、春浅きがぴったりだと思います。
すぐにわかりました。華子さんは、私の娘のことを詠まれたのです。
たまたま娘の住まいが華子さんのご近所だということもあり、以前から娘のことを気にかけてくださっていました。転勤のことも伝えてあったのでした。
その句には、華子さんの温かなやさしい思いが感じられました。
そのコメントは、的確な表現で、句のすばらしさを私に届けてくれました。
二つがセットで、私の胸に響いた時、思わず涙が……。
浅い春の、ちょうどバレンタインデーの日に、離ればなれの暮らしを始めた娘夫婦。
それを見守るだけの母親の私。
それぞれへのエールなのだと思えました。
娘はようやく2週間の隔離が終わり、明日いよいよ上海の街に足を踏み入れます。
