南フランスの旅のフォトエッセイ:㉓エピローグ2025年08月11日

☆ご参考までに

プロローグとして出発前日に投稿した記事は、「南フランスへ」。

https://hitomis-essay.asablo.jp/blog/2024/06/03/9689926

 

帰国後に始めたシリーズ初回は、「南フランスの旅のフォトエッセイ:①ステファニーさんとの出会い」。

https://hitomis-essay.asablo.jp/blog/2024/06/21/9694865

 


☆ヴィラモンローズ

ダヴィッドさんと陽子さんご夫妻には、本当にお世話になり、ありがとうございました。

また、いつか日本でもお会いできたらうれしいです。

 

ご夫妻は、毎年シーズンオフの冬場には、日本に拠点を移して、アンティークやブロカントの仕事もされています。

ブロカントというのは、美しく愛すべき中古品といったらいいでしょうか。フランスには、長年使われてきた食器、道具、家具などを大切にして愛用するという文化が根づいており、新しい芸術を生み出す一方で、古いものにも価値を見出してきました。

お二人から、じかにその文化を感じとることができたことも、価値ある旅の記憶となりました。

ヴィラモンローズのサイトはこちらです。


笑顔がとても魅力的な町田陽子さん。リビングルームの窓辺で。▲


☆ルモアンヌ・ステファニーさん

彼女は、11月に2冊目の日本語の著書を出版する予定だそうです。

その際に来日されるとのことで、お会いできるのを楽しみにしています。

彼女の会社マイコートダジュールのサイトはこちらです。


▲ステファニーさんの一冊目の著書にサインをしてもらいました。


ルノワールの家で、3人を鏡に写してカシャリ!▲



帰国してしばらくは、Hiromiさんも私も、旅行で留守をした分、忙しい日々を送っていて、会う機会もありませんでした。

そんなある時、共通の友人から、こんな話を聞きました。

Hiromiさんに会って、南フランスの旅行はどうだった、と聞いたら、『過去一だった!』と言っていたわ」と。

私も同感! 

楽しく、おいしく、美しく、ちょっぴりスリリングで、過去最高の海外旅行でした。

 

1年以上もかかった、23回にわたる「南フランスの旅のフォトエッセイ」シリーズを、ようやくこれでお開きといたします。

根気よく見にきてくださった皆さま、どうもありがとうございました。

あらためて、心から感謝申し上げます。

感想やご意見など、コメント欄にお書きいただければ幸いです。



南フランスの旅のフォトエッセイ:㉒レ・ボー・ド・プロヴァンスにて2025年08月10日

 


私たちは、アルルを出て、レ・ボー・ド・プロヴァンスに向かいました。

そもそも、ボーというのは地元の言葉で「岩だらけの尾根」という意味。なるほど、車で走り抜けるのは、ごつごつした岩山の道路です。

アルミニウムの原料になるボーキサイトという鉱石の名前も、1822年にこの岩山で発見された時に、土地の名をとって付けられた……と、ダヴィッドさんが説明してくれます。ああそういえば、高校生の頃に化学の授業で習った、とHiromiさんと二人でうなずき合いました。


 

まずは、ランチ。

美味しいと評判のアルルのパン屋さんで、キッシュを買ってきました。そう、ピクニックです。

高所恐怖症のHiromiさんは、びくびくしながら座る場所を確保。私は彼女ほどではないので、ボーの眺めを楽しみながら、美味しいキッシュを味わうことができました。



食後は、日本でチケットも買って、楽しみにしてきた場所に向かいます。

カリエール・デ・リュミエール

かつて採石場だった広大な空間を利用して作られた、新しい展示施設といったらいいでしょうか。著名なアート作品をデジタル動画化して、この空間の壁や床、あらゆる場所に投影するのです。アートとの一体感、没入感を楽しめます。

最近では、日本でも小規模ながら見られるようになり、私も、ゴッホ・アライブや、ミュシャ・イマーシブなど、鑑賞したことがあります。

プロヴァンスが先駆けとなり、パリでも2018年、鋳物工場だった所に、アトリエ・ド・リュミエールが誕生しました。こけら落としには、グスタフ・クリムトのデジタルアートが披露されて、いち早く見に行った友人をうらやましく思ったものです。

今回の旅を計画中に、プロヴァンスにも同じプロダクションの施設があると知り、即、必須の目的地に決めていたのでした。

 

▲道路沿いの入口。内部は深い洞穴と同じような涼しさだそうで、ジャケットを持参していきました。


奥に入ると、広いスペースにチケット売り場と入場口がありました。▼

 

この時のプログラムは、著名なアーティストではなく、古代エジプト文明の遺物や遺跡などが題材だったので、私の興味とは少しかけ離れていました。

それでも、巨大なデジタル動画は迫力があり、たっぷりと異国情緒を味わいました。

また、床も壁も石を掘ったままのワイルドな凹凸が残されているので、日常生活では体験しえない空間に身を置く楽しさもスリルもありました。






▲最後にこれまでの映像がちょっぴり投影され、クリムトやダ・ヴィンチの絵も見ることができました。

 

このブログでは、動画が載せられなくて、とても残念です。

(アサヒネットさん、そろそろブログサイトのリニューアルをしてもらえませんか)



その後、車を降りて、岩山の上に建つプロヴァンス城の見学へ、石畳の坂道を上っていきます。

 


しばらく歩くうちに、暗い雲がたちこめてきました。

「ゴロゴロゴローッ!」

突然、雷が鳴り響いたのです。

あたりの岩山や糸杉やお城に雷が落ちたりしたら……?

「危ない。下りよう!」 

用心深い私。日本では毎年のように落雷による犠牲者も出る。あなどってはいけない、旅先で命を落としてはならない、と思いました。

臆病なのは私一人で、近くにいた観光客のだれも、引き返そうとする人はいません。それでもHiromiさんは、「こわがりだね~」と笑いながらも、一緒に引き返してくれて、無事に帰ってくることができました。

 

ランチの時、岩の上に座るのを怖がったHiromiさんのことを、私は笑ったのでした。今度は私が笑われる番。

でも、彼女は未練もあったでしょうに、「いいよ、下りようね」と、すぐに私に合わせてくれました。いつも彼女にはそういうやさしさがあるのです。

ありがとね、Hiromiさん。

そして、ごめんなさい。てっぺんのお城を見てくることができなくて。



▲その時に、坂道の途中の店で、急いで買った小鉢3つ。今朝もヨーグルトをついで食べました。食べるたびに思い出すあの日のゴロゴロゴロ…… 



南フランスの旅のフォトエッセイ:㉑続・ゴッホの地で2025年08月05日

 

アルルではほかにも、ゴッホが自分の耳を切り落とした時に入院したアルル市立病院の跡地を訪れました。


▲病院の入り口には「HOTEL DIEU(神様のホテル)」と書かれているのです。そのわけは、あからさまに「病院」と掲げるよりも、少しでもおだやかな心持ちで門をくぐれるように、という患者へのやさしい気づかいだったのだろう、とダヴィッドさん。

 



かつての市立病院は、現在は図書館、店舗などが入った総合文化センターになっています。その中庭は、ゴッホの描いた絵「アルルの病院の中庭」を再現した美しい憩いの場所となっているのです。

その名も「エスパス・ヴァン・ゴッホ」と呼ばれ、市民や観光客の姿がありました。

 

その後も、不幸なことに、ゴッホの病状は回復を見せず、悪化していくばかりでした。

アルルから20キロほど離れたサン・レミ・ド・プロヴァンスにあるサン・ポール・ド・モーゾール修道院の療養所に移り、1年間の療養生活を送ります。





この建物にも行ってみました。12世紀に建てられた修道院ですが、17世紀にはすでに精神病院として使われていたといいます。

鉄格子の窓や、粗末な鉄のベッドのある個室など、粗末ではありましたが、精神病院の役割を担っていたことがうかがえます。




▲ひまわりの生花を持つゴッホの像。


ゴッホが歩いた廊下。▼


ゴッホが触ったにちがいない階段の手すり▼





再現されたゴッホの部屋▼





とはいえ、今でも静かな田園地帯の一角にあります。降り注ぐ日差しの下の糸杉、果樹園や畑、働く農民たち、咲き誇る花々、夜には星空、月夜などなど、ゴッホは絵の題材に困ることはなかったのでしょう。湧き上がる創作意欲に次々とキャンバスに向かっていったに違いありません。

彼は滞在した1年の間に、約150点もの絵を描いたそうです

 

もともと熱心なクリスチャンだったゴッホは、かつての修道院という場所で、修道女たちの世話を受けて、聖書の中の話を題材にした絵も描いています。神から授かった才能が、平和な環境の中で存分に花開いていったことが、ひしひしと伝わってきました。

都会からも人々からも離れたこの地で、一人の天才が数多の作品を遺してくれたことを、静かな感動とともに理解できたのでした。


ここまで訪ねてきてよかった。こんどははっきりとそう思いました。

 



9月に神戸から始まる「大ゴッホ展」は、「夜のカフェテラス」、「アルルの跳ね橋」などの名画に、日本で出合えるまたとないチャンスです。ぜひ、観にいくことにします。

ゴッホの名画ゆかりの地が、後から作り上げられたものであっても、それは後世の人びとの熱意の表れだと思いましょう。皆、ゴッホを想い、作品を感じていたいだけなのですね。

私も同じようにゴッホを追い求める一人のファン。

本物のゴッホを楽しみにしています。

 

(「大ゴッホ展」の公式サイトはこちら


南フランスの旅のフォトエッセイ:⑳ゴッホの地で2025年08月04日

今回は、晩年のゴッホが暮らした地を訪れたことをアップしようと思っていた矢先、思いがけないニュースに出合いました。

「夜のカフェテラス」
「アルルの跳ね橋」

オランダのクレラー・ミュラー美術館が所蔵するゴッホの代表作であるこの2点が、2025年から27年にかけて、神戸、福島、東京と、日本国内を巡回するそうです。

 

複雑な思いにかられて、もう1週間も書きあぐねていました。

 

 

昨年の旅で、ヴィラモンローズのご主人ダヴィッドさんには、自家用車でプライベートツアーもお願いしていました。目的のひとつは、ゴッホが暮らした場所、アルルに連れて行ってもらうこと。

 

ゴッホは1988年に、パリからアルルに移り住みました。

「この地は、明るい日差しが降り注いで、まるで日本のようだ」

そう言って喜んだのでした。まだ訪ねたこともない日本なのに、浮世絵などの美術作品から強い印象を受けていたのでしょう。

確かにプロヴァンスの日差しは強烈。湿気の多い日本の日差しとは少し違うように感じますが、冬は寒くて暗い天気が続くパリからやってくれば、その明るさだけでも解放されたような心地になったにちがいないと推測できます。

クリスチャンとしての信仰も厚く、繊細で、人との交わりが上手ではなかった彼は、少しずつ精神を病んでいきました。それでも、弟テオのような数少ない理解者の支援を受けて、貧しい暮らしの中、多くの作品を生み出していったのでした。

 

「夜のカフェテラス」

美術の教科書にも載っているような、誰でも知っている絵画の一つです。

 


アルルのフォルム広場にあるカフェは、修復されて、ゴッホが絵に描いた当時のように復元されている、と聞いていたし、照明の下で賑わう写真も見たことがある。そこに案内してもらえるというので、とても楽しみにしていました。

 


ところが、行ってみると、店は閉じられたまま、放置されていました。

ダヴィッドさんの話では、店はひと儲けしようとたくらんだ人たちの手から手に渡り、今は営業停止状態だとのこと。

国家の大切な遺産として、なぜきちんと保存に努めないのか、と彼は憤慨していました。私も同感でした。

憧れてきたカフェは、よこしまな意思が通り過ぎた跡地のようで、がっかりでした。ここで撮った写真の私は、作り笑いをしています。(とてもアップできません)

 

さらに、ネットでいろいろと調べてみたところ、ゴッホが描いた店は、フォルム広場ではなく、別の広場にあったのが第二次世界大戦で破壊されたという説もありました。

その後、2000年代の初めに、ゴッホの代表作をもとに店を再現しようと企てた実業家たちが現れる。店は、「カフェ・ラ・ニュイ(夜のカフェ)」として、現在の広場に生まれ変わった。ゴッホの絵を細部まで再現したカフェは、ユネスコの世界遺産にも登録されて、観光客で賑わったらしい。

しかし、経営者たちの脱税行為が明らかになり、処分を受け、営業停止になるという残念な結末を迎えたということでした。

 

「アルルの跳ね橋」

これも、ゴッホの代表作。アルルの水路にかかるラングロワ橋。水辺で洗濯する女性たち。明るいブルーとイエローのコントラストで描かれて、明るくのどかな絵です。

 


ゴッホが描いた橋も、第二次世界大戦で破壊されてなくなっています。これは、離れた場所にかかっていた、似たような跳ね橋を、ここに移築したとのこと。近くに、彼の絵を載せた案内板が置かれていました。▼



辺りには何もない。少しばかりの木立と、空き地と、誰も住んでいない家がぽつんとあるだけ。絵の中の橋は、白く輝いて見えるのに、実際には朽ち果てる寸前の動かない橋。人けのない場所で、曇りがちだったせいか、こちらもまた、絵の明るい雰囲気とは程遠いものでした。

それでも、ここでゴッホが描いたのだ、と思えばいいのでしょうか。

それとも、係員のいるカフェスタンドや、土産物のひとつでも扱う小屋があればよかったのでしょうか。

私も正直なところ、よくわからない。

 

ただ、ダヴィッドさんに聞いた話が、心を暗くするのです。

この辺りに、一人きりでやって来る観光客が、狙われるのだとか……。

 

 

さてさて、期せずして来日するという2点の絵を、私はどう観るのでしょう。どう観たらいいのでしょう。

はるばるアルルまで訪ねていって、落胆を持ち帰ったなんて、意味がなかった? 行く必要はなかった? そうは思いたくない。

 

アルルではほかにも、ゴッホが入院した市立病院の跡地や、アルルから20キロほど離れたサン・レミにある修道院の療養所なども訪ねました。

その暮らしの中で、彼は素晴らしい作品を描き続けているのです。

 

それは、次回㉑に続きます。


南フランスの旅のフォトエッセイ⑲Villa Montroseのお食事2025年07月26日


宿のご主人ダヴィッドさんのお料理を楽しみにしてきた私たち。

夕方、ちょっとおしゃれをして、2階に上がります。そこが、ゲストのためのダイニングルーム。もちろん、家具も食器も装飾品も、魅力的なアンティークのかずかず。いつまでもここで暮らしたくなるような空間です。

 





事前に、メインディッシュは魚料理をお願いしていたので、この晩のメニューはブイヤベース。本場プロヴァンスでいただくのは、どんなブイヤベースかしら。楽しみです。

 

前菜、まずはタパス。ニースではソッカと呼ばれるプロヴァンス風お好み焼きのような、ひよこ豆の粉とオリーブ油でできているもの。


ホワイトアスパラガスも、今が旬。日本ではグリーンアスパラが主流ですが、こちらではホワイトが人気だそうです。▼


いよいよブイヤベース。エビとタラが、食欲をそそる美味しそうな色のスープに入っています。

付け合わせに、カリッと焼けたパンやディップが並んでいたので、つい手を伸ばして、パンにディップを載せていただきました。

すると、ダヴィッドさんから「まだまだ!」とNGが出てしまったのです。

パンにディップとチーズも載せて、スープに浸して食べるのだそうです。

食いしん坊の私の失敗。シェフ、ごめんなさい。



それから4種類のチーズ。とくに、ブルース・デュ・ロヴという山羊のチーズが絶妙でした!▼


デザートは、ベリー系の甘さを生かしてとてもさっぱりとした一皿。▼


ごちそうさまでした。

大変美味しゅうございました!


さて翌朝。

フランスの朝食といえば、大学生の時に初めてパリのホテルで食べたクロワッサンが忘れられません。もちろん、フランスパンも。

その期待を大きく上回るVilla Montroseの朝食でした。

パンは毎朝、ダヴィッドさんみずから、徒歩10分の所にあるパン屋さんまで焼き立てを買いに行ってくれるそうです。



▼そして、フレッシュなトマト! そのお皿もなんと美しいこと! 

古代麦のサラダだそうです。ヘルシーで美味しい。朝から栄養満点。



グリーンサラダも、スイカやメロンなどのフルーツも、すべてが新鮮で、農業大国フランスの豊かな食のすばらしさを感じずにはいられませんでした。 

 




南フランスの旅のフォトエッセイ:⑱Villa Montroseのフォトアルバム2025年07月20日



シリーズ前回の「Villa Montroseとの出会い」で、Villa Montrose(ビラ・モンローズ)という宿に泊まったことを書きました。覚えておいでの方はもちろん、忘れてしまった方はもう一度読んでくださったら、いかに素敵な宿なのか、お分かりいただけるでしょう。

今回はその写真のかずかずを、ご披露します。


まず、咲き誇るジャスミンに占拠される寸前のドアを開けて、中に入ります。


 ツインの寝室。愛らしいベッドカバーや、壁にかかるアンティークの額や絵。いい夢が見られそうなお部屋です。



▼Hiromiさんの背中の向こうに、隣のリビングルームが見えます。この淡いブルーの両開きのクローゼットも、とても素敵でした。扉を開けたら、妖精が隠れていそうで……


リビングルームのこの机は、ちょこっと旅日記をつけたり、お金の計算をしたりと、私のお気に入りの場所となりました。▼


バスルームもまた、6畳ほどの広さがあったでしょうか。ガラス張りのシャワールームと、バスタブと、洗面台、そしてたくさんのアンティークの小物たち。ひとつひとつ眺めていると、時間のたつのも忘れてしまいそうでした。▼




私たちが使うのは、玄関から入って一階の両サイドの、寝室とリビングルーム。窓の鎧戸は自分たちで外から開け閉めすることになっています。

朝晩、背が高くて力持ちのHiromiさんが率先してやってくれました。
Merci




さて、もうひとつの楽しみは、シェフお任せのディナー。メインにはお魚料理をお願いしてありました。

それは、また次回にご覧いただきましょう。



新シリーズの予告です!2025年06月15日


 

いつまでも続いて、終わりが見えない「南フランスの旅のフォトエッセイ」ですが、予定では、あと4回ぐらいで最終回としたいと思っています。

終わらないうちから、次の予告をさせてください。

(というより、シリーズがちっとも続かない言い訳かも……)


 

今年の27に、この写真をアップして、「招かれて」というエッセイを載せました。本当に、この絵に招かれるように、鳥肌に導かれるように、カヨさんと二人でニースに行くことになったのです。

 

彼女は一足早く、今はイタリアに滞在中で、626日にニースで落ち合うことにしました。

私はといえば、ニースへは直行便がなく、どうせパリを経由するならば、パリにも寄っていこう、と思いたちました。一人旅には慣れているし、大丈夫よ……と軽く考えてしまったわが身の浅はかさ。慣れている一人旅は日本国内のこと。ヨーロッパで一人旅をしていたのは、まだ怖いもの知らずだった20代の頃のはず。あの頃の私と今の私とは別人だというのに。体力も知力も判断力も順応力も、何もかもが違っているのに。

考えれば考えるほど、だんだんと不安が募ってくる。夜も眠れないし、体調不良の日が増えて……。

でも、もう後へは退けません。ここでへこたれてなんかいられない。

本を買い込んだり、ネットを駆使したりして、情報を手に入れ、パリの一人旅の計画に没頭し始めました。がんばれ、私。

 

そうそう、パリを訪れたいと思ったのは、5年前に火災に遭ったノートルダム大聖堂が昨年12月に復活したからです。ぜひ見に行きたいと思っていました。

そして、もう一つ、コロナ禍が終わったら、パリ近郊のランスの町も訪ねたい。画家の藤田嗣治が晩年を過ごした町で、彼はフジタ礼拝堂を作り、そこに埋葬されています。フジタの絵も好きですが、彼のロイドメガネの風貌が亡き父に似ているので、親しみを感じてもいました。

 

ランスは、シャンパンで有名なシャンパーニュ地方にあります。

そこで、はたと気がついたのが、この絵。

 

 

カヨさんに譲ってもらったこのアート作品は、ミュシャのリトグラフをプリントしたもので、貴族の男性が着飾った女性二人にシャンパンを注いでいます。エドシック社というシャンパン会社のために描かれたポスターでした。

今はわが家の玄関に飾ってあります。よく見ると、右下にReimsと書かれている。ライムではなく、ランスと読む地名だったのです。

この絵もまた、私を招いている気がして、鳥肌が立ちました。

 

かくして、偶然が出会いを生み、二人の夢をかなえようとしています。

次のシリーズは、この旅をつづるつもりです。

 

それでは、622日、古希の大冒険に行ってまいります!

 

 


南フランスの旅のフォトエッセイ:⑰Villa Montroseとの出会い2025年06月06日

 

この南フランスの旅に出発した日から、とうとう1年が過ぎてしまいました。

出発の前日6月3日には前書きのような記事を書いています。そこに、2冊の本を紹介しました。1冊目の著者ステファニーさんについてはいろいろと書いてきましたが、これからはもう1冊の著者、町田陽子さんと夫のダヴィッドさんにお世話になって、旅が続きます。

 

そもそも、出会いは本より先に、南フランスの情報をあれこれインターネットで検索しているときに見つけたのが、Villa Montrose(ヴィラモンローズ)のホームページでした。

一目瞭然、ぜひご覧ください。私がひと目でとりこになり、「ここに泊まりたい!」と思ったことがおわかりいただけるでしょう。

シャンブルドット、つまりフランス版民宿。築120年の古民家をリフォームして、寝室・サロン・バスルームのスイート仕様で広々45㎡の客室に、毎日ひと組限りのお客さんをもてなしてくれるというのです。

宿を営むのは、東京でプロバンス料理のシェフを10年務めたというダヴィッドさんと、日本人の妻の陽子さん。例の本の著者というわけです。

しかも、ダヴィッドさんが自家用車を運転してプライベートツアーのサービスも提供してもらえる。「絶対ここに行きたい!」という気持ちが高まって、旅の計画が進んでいったのでした。


 

宿は、プロバンスのリル・シュル・ラ・ソルグという小さな町の中心部にあります。

舌をかみそうなこの名前は、ソルグ川に浮かぶ島という意味で、文字どおり町はソルグ川の透明な流れに取り囲まれています。

いつまでも散歩していたくなるような、穏やかで気持ちの良い街でした。

 

 



これ、なんだかわかりますか。耳です。耳の形をした彫刻が川底にあります。ゴッホが自ら切り取った彼の耳……などというまことしやかな都市伝説もありますが、れっきとしたアーティストの作品だそうです。


リル・シュル・ラ・ソルグは、パリ、ロンドンに次ぐヨーロッパ第3のアンティークの町だとか。骨董品には手が出ないし、興味もなかった私ですが、ここに来るならにわか勉強でもしてから来ればよかった、とちょっぴり後悔……。

毎週日曜日には骨董市がたちます。さらに春と秋の2回、道路を封鎖して大きな国際アンティーク市も開催されるそうです。

川沿いにも、こんな雑貨屋さんが。▼


川沿いの道を折れて、土壁の家々に挟まれた道を進み……



ようやく見つけました。ヴィラモンローズです。

漢数字の七のように家を抱きしめているのは、ジャスミンの木。白い花が満開です。





では、扉の奥のご案内は、まだ次回。⑱に続きます。



南フランスの旅のフォトエッセイ:⑯エッセイ:ピカッと降りてきた2025年05月19日

 

  ピカッと降りてきた!

 

アビニョンからはバスで、旅の最後の目的地、リル・シュル・ラ・ソルグへと向かう。バスターミナルの906番から1320分発のバスに乗って、約1時間だ。

駅の周りにはたくさんのバス停もあるし、乗り場もすぐにわかるだろうと、高をくくっていた。ところが、いくらバス停の時刻表を調べても行き先は見つからないし、行きかう人に尋ねても英語が通じなかったりで、またしても迷子になった。

 

「さっき、バスがそこの角を曲がったから、行ってみよう」

スーツケースをゴロゴロ引きずりながら歩いていったけれど、結局、駅をぐるりと一周してしまっただけで、それらしきものはどこにもない。

時刻は午後1時を過ぎている。20分発を逃すと、次のバスまで2時間待たなくてはならない。

 

その時、ピカッとひらめいて、思い出した。さっきのバスが消えた角に、倉庫のような建物があったはず……!

もう一度行ってみると、果たしてフランス語で「テルミネ」と書いてあるではないか。この建物内こそがバスターミナルだったのだ。バス停はバスターミナルにあらず。思い込みは恐ろしいのだと悟る。

 

薄暗い建物に入っていくと、いくつものホームが斜めに並んでおり、バスも何台か止まっていた。

窓口に駆け寄る。目的地まで大人2枚の料金を払って、係員に確認した。

906番のバス、まだ出発5分前ですよね」

彼は時刻表を確認しながら、厳しい顔で「ノー」と言うではないか。もう出てしまったのだろうか。

5分前ではない。10分前だ」。そう答えて、彼はニコッと笑った。

焦ってやって来た乗客はちょっとからわれて、ほっと力が抜けたのでありました。

やれやれ……



▼アビニョンで人気のジェラート屋さん、アモリーノ。ステキな薔薇の形に仕上げてくれます。




南フランスの旅のフォトエッセイ:⑮アビニョンの橋で♪2025年05月13日

 


フランスに来て4日目、ニースは早朝から真っ青な空が広がっていました。

郊外にある閑散としたサン・オーガスティン駅から電車に乗ります。




車両のドアまでが、まるで梯子段のようなステップなので、とてもスーツケースは持って上れない。どうしようかと迷う間もなく、後ろにいた男性が軽々と持って運び上げてくれました。Merci beaucoup!!

 

車窓からは、海が見えたり、山が見えたり……


乗り換えのマルセイユーサン・シャルル駅で。▲

この駅は大きくて、混雑していました。朝ごはんを食べずに出発してきたので、おなかが空いて空いて……。でもお昼時で売店はどこも人がいっぱい。仕方なく自販機で、コインの投入がわからなくて、もたもたしながら、ワッフルを買ってみました。

これがまた、美味しい! さすがフランス! と感激。▼


途中マルセイユで乗り換え、4時間半ほどの長旅でようやくアビニョン中央駅に到着。駅ビルも売店もない、田舎の駅。

それでもすぐ目の前には、立派な城壁が続いています。並木や花壇が整備されていて、気持ちがいい。ホテルは駅からすぐなので、スーツケースを預け、さっそく城壁の内側へと広い道路を渡っていきました。


城壁の中には、古い街並みが今も残されています。▲

広場には、きれいな回転木馬も置かれていました。▼


その広場を抜けて、目的地の教皇庁宮殿へ。▼

 

時代は14世紀にさかのぼります。ローマ教皇庁が、いろいろとごたごたがあって、約70年間にわたってイタリアからアビニョンに移されていました。いわゆる、世界史で習ったアビニョン捕囚です。

その立派な教皇庁宮殿を見学します。世界遺産にもなっている建築物で、チケットを買うと、まずタブレットを渡されて首からかけます。それを見れば地図や見学ルートがわかるのだけれど、いかんせん広い敷地で、迷路のように入り組んでいて、工事中の場所もあったりして、階段を上ったり下りたり、重いタブレットは役に立たず、迷子になりました。

どうしても出口が見当たらず、入り口にたどり着いてしまうのです。こっそり出ようとすれば、係員に「出口に行きなさい!」と叱られる。ほかにも迷子の人たちがいて、一緒にうろうろしているうちに、何とか出口を見つけました。


こんな工事現場の通路も歩かされて……。 ▲


古めかしい石造りの建物にも、ラベンダーやアーティチョークなどなど、花や野菜の畑があって、ほっとできました。▼



やれやれ、と気を取り直して、さらに城壁を越えていくと、滔々と流れるローヌ川に、サン・ベネゼ橋が架かっています。これがあのアビニョンの橋。

 


 アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ

  アビニョンの橋で 輪になって 踊ろう

 

アビニョンという地名は、この童謡で、子どもの時から知っていたような気がします。

 

橋は、途中までしかないのです。ローヌ川が氾濫するたびに橋は壊れ、修復に大金がかかり、財政を圧迫。とうとう17世紀には修復を諦めてしまいます。

そんな哀れな橋ですが、今では教皇の宮殿とともに世界遺産となって、町を潤していることでしょう。






橋の上で、

「アビニョンの橋で、踊るよ、踊るよ♪」

と歌いながら、軽くステップを踏みました。

すると、近くにいたグループの女性たちも、

「ランランラー、ランランラー♪」

と、声を合わせて歌い始める。腰に手を当て、リズムに乗ってスキップする人まで現れて……。

ほんの30秒ほどだったけれど、同じオバサンどうし、言葉は違っても、子どもの頃の懐かしい歌で、ひとつになりました。そのことをだれもがわかったかのように、みんなで笑い合いました。

こういう瞬間が何よりもうれしくて、私は海外旅行が好きなのです。

 




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