24年目の1.172019年01月17日



24年前の早朝、「淡路島で大きな地震が起きたらしい」とその一報を聞いたのは、市内の病院のベッドの上だった。空腹と、点滴の針の痛みと、ニュースの恐怖とで、一瞬ふらっと貧血状態になったのを今でも覚えている。

予定日を10日近く過ぎて、陣痛が始まって夜中に入院。結局、次男が生まれたのは翌18日だった。

 

入院中、どのテレビからも、地震のすさまじさを物語る映像ばかりが映し出されていた。

6人部屋の病室には、横倒しになった高速道路のすぐそばに実家がある、という人がいて、「里帰り出産していたら、今ごろどうなっていたか……」と話していた。

退院してからは、次男に母乳を飲ませながらも、泣きながらテレビ報道を見続けた。

阪神淡路大震災。6434人が亡くなり、私は一つの命を授かった。その現実をかみしめていた。

 

毎年のように、この日のエッセイを書く。震災が起きたことと、次男出産の記憶とは、私のなかでしっかりとリンクしている。それを書かずにはいられない。

 

今年は、前日に『BRIDGE はじまりは1995.1.17神戸』というドラマを見た。関西出身の友人がFacebookにアップした記事で知ったものだ。

震災で分断された鉄道を復旧させるため、技術者たちは崩れかけた駅舎を復元しなければならなかった。2年以上はかかると言われた工事を74日で成し遂げた男たちの物語だ。たくましく誠実に難工事に立ち向かう姿も感動的だが、その駅を取り巻く人びとの温かな人情や、犠牲者への悲しみも描かれ、丁寧に作られた見ごたえのあるドラマだった。

 

私がどうも気になったのは、春日という少年。震災当時、世をすねて盗みを働くようなワルだった。23年たった2018年の彼も語り部として登場するのだが、なんとも得体のしれない人物である。彼は罪を償わないまま、大人になった。そのことが彼の心の傷になっているらしい。それぞれ野村周平と椎名桔平が好演している。




春日のような悪さをしたわけではないのに、次男が春日にダブって見えた。

明日24歳になる次男は、大学に入ってから挫折を味わい、卒業の見とおしも持たずに、人生に迷子になっているように思える。

いつも、彼の誕生日が近づくと、世の中はあの大震災を振り返り、犠牲者を悼むとともに、災害への備えを話題にする。それに呼応するように、私の気持ちのなか、次男の誕生日には暗い影が落ちる。明るく素直に喜べない気がするのだ。それは震災のせいばかりではないのかもしれないが……

 


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