旅のフォトエッセイ:世界遺産の五島列島めぐり⑤旧五輪(ごりん)教会堂2019年01月26日

 


旅の2日目、若松島のキリシタン洞窟を訪ねた後、さらに船を走らせて、久賀島(ひさかじま)の旧五輪教会へ向かいました。

 

▼濃緑色の海のすぐ脇、瓦屋根の日本家屋のような旧五輪教会が見えました。そして、横には明るいオレンジ色の新聖堂があります。


 


五島列島のほぼ中央に位置するこの島では、明治になって、厳しい弾圧が行われたそうです。

ようやく禁が解け、明治14年、この聖堂は当初、島の西側に建てられました。昭和になって新聖堂を建てることになったので、旧聖堂は解体されます。

私たちも船でこの場所に来ましたが、解体された旧聖堂も船で運ばれ、島の東側の五輪地区に引っ越してきました。昭和6年、この地の最初の教会として生まれ変わり、新しい使命を担ったわけです。

とはいえ、140年近い歳月がたっており、木造の教会としてはとても古いものです。昭和60年には、信徒の祈りの場としての使命を終えました。現在は隣の新聖堂がその役目を負っていますが、旧教会堂は貴重な遺構として、国の重要文化財に指定されているそうです。

そして昨年、この五輪集落も世界遺産に登録されました。

 

▼玄関の上に掲げられた看板の文字「天主堂」も読み取れないほど薄くなっていました。



 

▼中に入ると、まず正面の祭壇には、聖ヨセフが幼子イエスを抱いた像が私たちを見下ろしています。

この教会の守護の聖人は聖ヨセフ。聖母マリアの婚約者でしたが、マリアが精霊によって身ごもったことから、イエスの養父と呼ばれています。彼は大工としてまじめに働きながら、聖母マリアとイエスを愛情深く見守る立場に身を置いて生きました。その聖ヨセフが選ばれたのは、五島の漁村で清貧のうちに生きる信徒たちと重なるものがあったからだろう、と言われています。


 

▼両脇の祭壇には、キリスト像とマリア像があります。




▼堂内にはすでに椅子などは置かれておらず、がらんとしています。その分、天井が目を引きます。木材で造られたリブ・ヴォールト天井。木材を少しずつ温めて曲げるのだそうで、素人目にもすごい技術であったことがわかります。




ところで、五輪という地名、この文字を見た覚えがありませんか。そうです、シンガーソングライターの五輪真弓(いつわまゆみ)さん。この地区には「五輪」姓が多く、彼女のお父さんもこの地区の出身だそうです。おじいさんは教会でオルガンを弾いていたとか。ちなみに、「ごりん」と名乗るのは本家のみ、それ以外は「いつわ」と名乗っているとのことです。





 

▲教会堂を出ると、おだやかな海はすでにたそがれ始めていました。


ふたたび船に乗り込み、五島で一番大きな福江島の福江港へ。 


▼操縦士さんが、今度は荷物運びもしてくれます。お世話になりました。

沈んでいく夕日が、長い光の一すじを海に浮かべていました。

 







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