自閉症児の母として(73):新しいグループホームに入居しました!!!2021年11月01日

 

去る916日に、それまで暮らしていたグループホームを退去したことをお伝えしました。

8月末日を退去日とする」という一方的な通達を受け、母が危篤だという事情も考慮してもらえず、母の葬儀の3日後には退去せざるを得なかったのです。

 

でも、そのブログの最後にこう記しています。

 

今、息子は自宅から職場に通っています。

次のグループホームは半年前から探し始めていたので、「ここがいい!」と思えるホームに出会うことができました。「入居決定」は体験入居をしてから、ということになります。息子も、家族も、希望を胸に、その日を待ちわびています。

ぜひとも、いいご報告ができますように

 

最初に出会ってから8ヵ月、ようやく入居がかないました。

8ヵ月も待ったのにはわけがあります。出会ったのは、新しく社団法人を始めたばかりの青年で、ホームは建設中。まだ基礎工事が終了したという段階だった。しかも、コロナ禍のおかげで木材は不足し、竣工の予定がひと月も遅れたのです。

それでも待ち続けました。そこしか考えられないと思ったのです。

 

なぜかと言えば、息子の迷惑の原因は、まず騒音と大声。このホームは、床も壁も防音対策がしっかりとされており、窓も二重サッシを使っています。

そして、建物という箱だけではなく、なにより、その法人の代表である若者に、息子を託すだけの信頼感を抱いたのでした。

 

息子は、最初の入居希望者として名乗りを挙げ、最初に体験入居をさせてもらって「何も問題はありません。どうぞお入りください」と言われ、入居第1号となりました。

10月最後の週末は、息子の引っ越し作業に明け暮れました。衣類や生活用品を整えたり、備え付けの家具はないので、夫と二人がかりでロフトベッドを組み立てたり……。

そして本日、111日、晴れて入居日を迎えることができました。

 

息子が家に戻ってからの2ヵ月は、亡き母の住まいの売却のために遺品の整理や片付けなど、あまりに忙しい日々でした。疲れているのに眠れない夜も多く、頭痛や腰痛にさいなまれることもたびたび。それでも、2ヵ月前に比べたら、明るい希望があり、だからこそがんばれました。

 

「今のホームはやめて、新しいグループホームに入るからね」と告げた瞬間、パッと輝いた息子の顔を忘れられません。彼も、前のホームに居続けることがつらかったのでしょう。

退去してからは、何度か工事中のホームの前まで見に行ったこともあります。

ずっと楽しみにして待っていました。

 

とはいえ、一度家を出た息子が戻って家にいるのは、「やれやれ」という思いもありました。息子の入居決定を祈り、入居日を指折り数えていたのは、ほかならぬこの私。それなのに……。

今日、息子は仕事を終えたら新しいホームに帰っていくのですが、朝は自宅から出勤。グータッチをしながら「行ってらっしゃい!」と言うと、いつもと変わらずそっけなく「行ってきます」と息子が出て行ったあと、涙ぐんだのも、この私。

母心は複雑で勝手なものですね。

 

まだまだ書きたいことはありますが、今日のところは、うれしくてちょっぴり寂しいご報告まで。


▲これが息子の新居。部屋は、向こう側、南側の二階の部屋です。

ハナミズキの並木が続く坂の途中にあります。いま紅葉真っ盛り。▼

▲坂道からは、8年前まで働いていた「障害者ふれあいショップ」のある武蔵小杉の高層ビルが遠くに見えました。




母を想う日々 2:「母の遺したカレンダー」2021年11月09日

    

          母の遺したカレンダー

 

98歳で母が亡くなって、同じマンションに住む私は、部屋の片付けを始めた。まずはタンスの小引き出しや本棚からだ。若い頃から整理整頓をきちんとやる母だったが、最後は玄関先で倒れて入院したまま戻れなかった。金銭の類はいちおう預かってはいたが、もっと大事なものが出てくるかもしれない。

筆不精で書くことの嫌いな母だと思っていたのに、何冊もの手帳に細かなメモが残されていて、驚いた。目が悪くなったと言いながら、旅の記録や、家族の年表、父の闘病記など、小さな文字でつづっている。

いくつものビニール袋に入れてとってあったのは、カレンダーの束だった。朝日新聞でチラシと一緒に月末に配られるB4サイズのカレンダー。日付の横にメモのスペースがある。予定を書き込んでいたのは知っていたが、いつからかその日の出来事や、ちょっとした感想まで書くようになっていた。

 

たまたま開いてみたのは2010年。母は80代後半で、父が亡くなって8年がたち、元気で独り暮らしを送っていた頃だ。

当時、母はマージャンを楽しんでいた。どこで、だれと、勝敗のほどは、などが記されている。高齢者向けの教室に通ったり、自宅に来てくれる古くからの友人たちと楽しんだり。その合間を縫って、私の家族も母の相手をしていた。

「ヒロ、パソコンで勉強しているので、さすがに勝ってばかり」

次男ヒロは、幼い時からよく母にボードゲームの相手をしてもらっていた。

「ヒロ、国士無双できて、大コーフン」

 この時のことは私もよく覚えている。次男の手が震えてきて、高い手で上がりそうなのだとバレバレだったのに、結局振り込んだのは、母だった。

「ひとみ、新聞に投稿が出る」

 そんな親子3代、年齢差72歳の家族マージャンをエッセイにして、朝日新聞の「ひととき」欄に載せてもらったのだった。

 

さらに母のメモからは、当時は知らなかったわが家のあれこれが明らかになる。

高校生の次男は勉強がいやで、ときどき母の部屋に逃げ込んでいたこと。長女は母の一室を借りて寝起きしていたが、夜遊び、朝寝坊、散らかった部屋のひどさなどに、母が気をもんでいたことも。私が旅行に出る時は、留守家族のために母が張り切って料理をした様子も伝わってくる。

わが家だけではなく、東京に住む姉や弟の家族も、よく泊まりに来ていた。連れだって買い物に出かけたり、母と姉と3人でハワイ旅行までしたのもこのころだ。

 

そして、こんなつぶやきも残っていた。

「楽しいこと続きで、健康で、長生きできて幸せ」

 




自閉症児の母として(74):映画『梅切らぬバカ』を見て来ました!2021年11月15日

 


この写真は先週金曜のNHK「あさイチ」に出演した加賀まりこさん。

まず、とても77歳には見えないはつらつとした美しさにびっくり。

さらに、久しぶりの主演映画『梅切らぬバカ』で、自閉症児の母親役になると知ってびっくり。彼女自身のパートナーも、自閉症児の父親なのだそうです。

 

この映画、ぜひ見てみたいけど、忙しくていつ行かれることやら、と思っていたところに、友人からの誘いが! 「一緒に行くはずの人が行かれなくなったチケットがあるから」と私を誘ってくれたのでした。しかも、出演者の舞台挨拶がある回だとのこと。これはもう、行くしかない。万難を排して、昨日、銀座まで行ってきました。





息子役の塚地武雅さんの横で、加賀さんは小さく見えました。それでも、いつもの歯切れのよい挨拶。「映画を見て、息子を好きになって帰ってください」。

 

監督の和島香太郎氏は、背の高いイケメン。山形出身の彼は、高校時代のこと、ある映画をどうしても見たいと思ったけれど、東京でしか上映していなかったので、わざわざ山形から日帰りで見に来たことがあった。その映画館というのが、今回のシネスイッチ銀座だったそうです。それから20年後に、まさか自分が舞台挨拶に立つなんて思ってもみなかった、というわけです。

「あなた、横にも大きかったら、今ごろ相撲部屋に入れられてたかもしれないのにね」と加賀さんらしいジョークが。ちなみに彼は、元横綱北の富士の甥御さんなのですね。

この映画、最初は上映してくれる映画館が3つしか決まっていなかったのに、今では70越えにまでなっているそうです。監督も出演者も、テレビや新聞で紹介してきたおかげなのでしょう。

 

さて映画が始まりました。自閉症のチュウさんは、障害者の職場で働く50歳。母親とふたり暮らしです。塚地さんはとても自然に、自閉症特有のしぐさを交えて演じています。

母親役の加賀さんも、ちょっと気の強そうな占い師をコミカルに演じて、笑いを誘います。

ふたりは梅の木のある一軒家で穏やかな日々を送っているのですが、チュウさん50歳の誕生日に、ケーキのろうそくを吹き消そうとして、親子でぎっくり腰になってしまいます。このままでは共倒れになるのでは……と心配がよぎる。ついにグループホームに入る決心をするのです。

 

グループホームというのは、障害者が支援を受けながら、地域で暮らす家。それぞれ個室に住み、共同生活をします。そのために、近所の理解も必要になります。

この映画では、近隣とのトラブルや偏見も描かれて、ストーリーが展開していきます。

 

年齢も環境も違うけれど、チュウさんはわが家の長男とダブるところがたくさんありました。

例えば、チュウさんは気持ちがいらいらして、つい扇風機を倒してしまう。うちの息子も、よく扇風機に八つ当たりをしては壊したものです。

それでも、職場ではチュウさん同様、まじめに、几帳面な仕事をしています。

チュウさんは、ホームの利用者間のトラブルや「近所迷惑」を理由に、ホームを退去することになってしまう。これも息子と同じ。

 

結局、チュウさんは母親のもとに戻ります。そして、穏やかな生活がふたたび始まるのですが……。本当にこのままで、いいの? 私は、疑問に思いました。

このままでは、元のもくあみです。また同じことが起きて、いよいよという時に困ったことにならないでしょうか。

でも、別の思いもわいてきました。最後は少しずつご近所の偏見も薄れ、理解が広まっていくことを感じさせて終わります。そこに希望が見えます。このまま地域に支えられて暮らすことができれば理想的なのかもしれないなあ、と。

 

息子の新しいグループホームは、近所の方がたにも内部を見ていただいたりして、理解を深める努力をしています。

チュウさん親子が自宅で幸せに暮らしていくように、息子はグループホームで自立して充実した生活が送れたら、と願っています。

 

最近のグループホームでは、映画の中のホームのように、全員そろってご飯を食べるようなことはしなくなっているようです。もちろん、コロナの影響もあるのですが、それ以前に、なにも家族のようになる必要はないのではないか、個人の意思を尊重して、団体行動はとらなくてもいいのではないか、という考えも出てきているようです。

そんな違和感もちょっぴりありましたが、全体的には、温かい目線で障害者を見つめ、ユーモラスに描き、肩ひじ張らないわかりやすい映画だったと思います。

ぜひ、ご覧になってください。 

 



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