ダイアリーエッセイ:柏餅 ― 2016年05月05日

毎年ゴールデンウィークが近くなると、母のリクエストで、柏餅を買って帰った。母は、昔から「のどにぐっとくる物」が好きなのである。串刺しのおだんごや、名古屋のういろうのような和菓子が。
柏餅は、こしあんがお好み。私は粒あんを選んで、お相伴したものだ。
今年は、もうそんなこともできない。
胃の3分の2を切除する手術から1週間を過ぎ、ようやく口からお粥などの食事をとるようになったのだが、翌日には吐き戻してしまった。まだ、胃と小腸をつなぎ合わせた部分がうまく開通していないらしい。
ちなみに、本来、胃の出口とつながっているのは十二指腸だが、手術ではさらに奥の小腸をひっぱり出してきてつなぐのだそうだ。
そして、若い人なら術後3日目から食事をとるところを、母は年齢を考慮して1週間待った。それでも時期尚早だったのだ。振出しに戻って、経管栄養だけで様子を見る。タイミングの悪いことに、連休に入ってしまい、仕切り直しの日はさらに遠のくことになった。
朝昼晩の食事の時間に、ゼリーやババロアのようなデザートだけが出る。飲み込む力を保つためだという。
楽だからといって、寝てばかりいては快復が進まない。少しでも体を動かしたほうがいい、と医師からも言われているのだ。
「早く治って、また美味しいフランス料理でも食べに行きましょ!」と声をかけてみる。
ところが、返ってきた言葉は、「あなたは食べることばっかりね」。
痛い思いをして治療しているのは、ほかならぬ胃袋だ。食の喜びを取り戻さないで、何のための手術だろう。
さらに、
「私は、フランス料理はあまり好きじゃない。どちらかというと和食がいいわ」ときた。
空いた口がふさがらなかった。
日本食は家でも食べているからつまらない、どうせ食べに行くなら美味しいフランス料理ね、と言っていたのは誰だった?
もう忘れたのだろうか。
たしかに、今は食欲も皆無で、フランス料理の美味しさなど想像できなくなっているのかもしれない。だからと言って、私の車でフレンチレストランに連れて行ってもらって、舌鼓を打っていたことなど、切り取った胃袋の半分と一緒に忘れ去ってしまったのだとしたら、あまりにも寂しい。
今はもう手術直後の顔をしかめるようだった痛みのことも、けろりと忘れている。私が毎日洗濯物を持って通っていることも、退院したら忘れてしまうのだろうか。
母は、認知症の入り口に立っているのだ。いずれ深いところに進んで行って戻れなくなるのだとしたら、古い思い出は残っても、最近の記憶は消えていくのだとしたら、介護とはなんと不毛なのだろう。
それは介護をする者の身勝手な言い草だろうか。娘の恩返しをずっと覚えていてほしい。そう願うこと自体、しょせん叶わぬことなのだろうか。
母が完治するころには、私が胃潰瘍になっていそうな気がする。
今日は、病院の帰りに、甘党の息子たちのために、柏餅を買って帰った。

ダイアリーエッセイ:母の手術が終わって ― 2016年04月18日

ご心配をおかけしました。
10時間に及ぶ手術を、93歳の母はがんばり抜きました。そして、胃の3分の2を切除しました。
あまりに時間がかかるので一時は気をもみましたが、意識も戻り、今夜はICUで、管に繋がれたまま眠ります。
長い長い一日でした。
私は姉と二人、病室で待機しながら、テレビで九州の地震の映像を見続けていました。
そういえば、21年前の1月、次男のお産のときもこの同じ病院に入院し、翌日起きた阪神淡路大震災の映像を毎日見ていたものです。
次男は成長して、神戸の街も見事に復興しました。
母もこれから、少しずつでも回復していくことを信じています。
九州の被災された方々も、大地震の恐怖のなか、守り抜いた命を大切にして、復興に立ち向かってほしいと思いました。
写真は、パリのオルセー美術館の大時計。内側から撮りました。
はるか向こうに、モンマルトルの丘が見えています。
皆さま、まだまだ母の快復には時間がかかることでしょう。
どうぞこれからもお祈りいただけたら幸いです。

旅のフォトエッセイParis2016(2)ノートルダム大聖堂にて ― 2016年04月04日

「どうせ、すぐには帰国できないだろうし、帰ってくるまで知らせないでおこう」
それはパリ旅行中の私のために、家族が出した思いやりのある結論でした。
私がパリに立った2日目。マンションの4軒隣で独り暮らしをしている93歳の母が、体調を崩したのです。かかりつけの医師に診てもらったところ、ひどい貧血で、即入院。検査の結果、胃がんが見つかったのでした。
帰国した羽田空港では、荷物も一つ置き忘れられたことがわかり、風邪も引いたようで、くたびれ果てて帰宅すると、家族の様子がなんだかおかしい。初めて母のことを知らされました。
翌日には、私がインフレンザになって万事休す。母は病室から電話をかけてきて、私の体を心配してくれました。どちらが重病人かわかりません。
幸い母は、転移もなく、痛みもなく、年齢のわりには心臓も肺も元気で、手術が可能とのこと。胃の3分の2を切り取ることになるでしょう。進行性のがんだから、何もしなければ数か月……。
なんだか私には事の重大さがピンときません。
4月は年に一度のエッセイコンテストの審査もあって、一番忙しい時期。それでも仕事に出かけない日はすべて母の病院に通います。自分の時間はなくなりました。ブログもますます書けなくなってしまいますが、時間を見つけて何とか続けたいと思っています。何か月かかっても、パリ旅行をアップしていきたい。

写真は、パリのノートルダム大聖堂の中。母の健康と長寿のためにキャンドルを灯して祈りを捧げてきました。ノートルダムはフランス語で「われらの貴婦人」つまり、聖母マリアのこと。母の守護聖人でもあります。母を守ってくれると信じています。
皆さまも、どうぞ母のためにお祈りください。

ダイアリーエッセイ:敬老の日、来年こそは ― 2015年09月21日
◎

母の庭には、毎年彼岸花が咲く。
その年の夏が、暑かろうと涼しかろうと、日照りが続こうが、長雨が続こうが、律儀にこの時期になると、こつ然と姿を現す。赤くにぎにぎしい花弁やしべを反り返らせて、窮屈そうに寄り固まって咲いている。
こんなに長生きしても、しょうがないねぇ。
一人じゃ何にもできないし、迷惑かけるばっかりで、だれの役にも、何の役にも立てなくて……。
92歳の母に、そんなふうにこぼされて、とっさに返事ができなかった。
そんなことないでしょ……とは言うものの、その先が出てこない。
〈ここにいて、そうやって息をしているだけで、私はうれしいわ〉
そう言ってあげるんだった。何も言えなかったことが、悲しくなる。
来年こそは、言ってあげよう。
だから、もう一年、長生きしてね。
私には、毎日が敬老の日。

