ダイアリーエッセイ:「花は咲く」を歌う2015年04月07日

次男は高校を卒業して2年になるのだが、母親の私は、今でも保護者会のコーラスグループに所属している。

週に一度、お腹の底から声を出すことが、私の唯一の健康法なので、そう簡単にはやめられない。

今日は、冷たい雨の降るなか、中学・高校の入学式が行われた。
生徒たちが退出した後、新入生の保護者に向けて、コーラスを披露する。

歌ったのは、東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」。

  真っ白な 雪道に 春風香る

  わたしは なつかしい

  あの街を 思い出す

  

     …………

    花は 花は 花は咲く

    いつか生まれる君に

    花は 花は 花は咲く

    わたしは何を残しただろう

私の大好きな歌だ。心を込めて歌うと、かならず涙が出る。

震災後に訪ねた東松島の変わり果てた姿や、被災地の人々の笑顔が浮かんでくるのだ。

だから、ステージの上では、まず音に集中する。

昨日までの暖かさで、この辺りの桜は散り急いでしまったのに、正門のそばの1本の木だけは、新入生を待ちわびていたかのように、まだきれいなままの枝を広げていた。

 




東北ドライブ1000キロの旅:裏磐梯へ2014年06月06日

昔から言ったものだ、「かわいい子には旅をさせろ」。

ついでに洗車もさせよう。

愛車ヨッシー、きれいになって、出発!

かわいい子には洗車を……

東松島を出て、東北道を福島まで南下、そこから西に向かって走る。

計画当初は、最後に仙台で1泊したかったのだが、ゴールデンウィークさなか、ホテルの予約が取れず、思い切って裏磐梯まで足を延ばすことにした。

以前にも、五色沼やダリ美術館を訪ねたことがあり、娘にも見せたいと思った。

道路は滞りなく流れ、200キロほどの道のりを3時間で到着。

裏磐梯は、まだ残雪がたくさんあった。

裏磐梯の道路。

陽が傾き始めたころに、ようやく五色沼探勝路の入り口で降車する。

最初の沼が、毘沙門沼。ここから先は、娘たち二人で歩いていく。1時間足らずで歩けるはずだ。私は、車で先回りして、出口付近で待つことにした。

二度目でもあったし、いささかの疲労感もあったし、たまには二人だけにしてあげようと思ったし……というわけで、文字どおりの老婆心(?)

毘沙門沼

娘たちは、いまやリケジョともてはやされる理系女子。大学時代の同級生だ。

五色沼湖沼群は、青や緑、赤茶色など、さまざまな水の色が魅力的な景勝地で、私など眺めるだけで満足なのだが、この二人にかかると、まずはその成分を考察するところから楽しんでいる様子。

さらには、「湖と沼の違いは?」「では、沼と池の違いは?」

などと、スマホ片手に素早くググりながら、クイズも飛び出す。

出口付近まで走り、探勝路の最後に位置する柳沼を見下ろしながら、二人を待った。

日没間近で、気温も下がってくる。さすがに涼しくて、大好きなソフトクリームも写真に収めるだけに……。

黄昏れゆく五色沼。

青い五色沼ソフトは写真だけ。

やがて、柳沼の向こうから、二人の姿が見えてきた。

柳沼の向こう側、二人が歩いてきた。

 

今夜の宿は、桧原湖畔ホテル。見かけはかなり古いホテルだが、年配のホテルマンたちが愛想よく応対してくれて、一所懸命もてなそうとするその気持ちが伝わってくる。

見かけは古いが……


部屋の窓からは、桧原湖が一望できる。その向こうには磐梯山。

部屋の窓から。


夕食には、こごみやたらのめなど、地元の山菜の天ぷら。

地元の山菜の天ぷら。


郷土料理のこづゆ。

会津地方の郷土料理、「こづゆ」も。

お正月や祝い事などのときに必ず作られるという。

里芋、人参、椎茸、干し貝柱、豆麩などたくさんの具材が入っている。かなり薄い醤油味だ。


 

翌朝には、磐梯山が雲をたなびかせていた。

朝の眺め。

湖畔に出てみる。寒い。


水仙が咲き、チューリップはようやく開き始めたところ。

残雪の傍で、ふきのとうが咲き、つくしが芽を出し……

 ○

フキノトウがたくさん。

 

残雪の傍には、つくしが芽を出して。

裏磐梯はようやく遅い春が始まったところだった。

 

雨にならないうちに、一路東京へ。

ヨッシーは快適に走ってくれた。

最終日は、Red Bullをちびちびと飲みながら、運転席をついぞ誰にも譲らず、帰着。

距離にして1000キロを優に超えるドライブだった。

RedBull もありがとう!

 ○

相棒二人とヨッシー、ありがとう。お疲れさまでした!

(完)


東北ドライブ1000キロの旅、8回に及ぶシリーズにお付き合いくだり、どうもありがとうございました。

 


東北ドライブ1000キロの旅:東松島へ-42014年06月05日

そもそも東松島とは縁もゆかりもなかった私が、こうやってわざわざ訪ねていくようにまでなったのは、2012年に数回にわたって銀座で開催された震災復興応援のための東松島物産展のお手伝いをしたのがきっかけだ。そのときに、リーダー的存在のSocialTOURという支援活動グループに入れてもらった。

グループが、その活動拠点である東松島に新しく事務所を構えた、と耳にした。せっかく来たのだから覗いてみようと、アポも取らずに、のこのこと出かけていったら、案の定お留守。


がっかりしたけれど、事務所の前に、面白いもの発見!

うわさに聞く「東松島復興支援自販機」だ。

この販売機でドリンクを買うと、売り上げの一部が被災地支援のために使われるという。

ボランティアができる自販機。


千佳子さんと。

この町には、航空自衛隊のアクロバットチーム、ブルーインパルスの基地がある。震災直後から関西に避難していたが、2年後に戻ってきたことで、市民の復興への心の支えになったことだろう。

自販機の横に立ち、ブルーインパルスの滑走路となっている?のは、去年もお世話になった、のり工房矢本の千佳子さん。

彼女のことをつづった20136月の記事もどうぞ。

旅のフォトエッセイ:東松島へ(3)~千佳子さん~ 

 

東松島のゆるキャラと言えば、「おのくん」である。

小野駅前の仮設住宅に暮らす女性たちが、ソックスを利用しておさるさんの人形を作るようになった。アメリカ生まれのソックスモンキー。

小野駅前だから「おのくん」という愛称もつけられた。なぜか、「めんどくしぇ」が口癖だそうで……。

「おのくんてなあに?」と、自販機の側面にも説明がある。

やがておのくんは、人形から生きたおのくんにも進化した。

そして、私たちが東松島を訪ねるちょっと前の421日、NHK番組「あさイチ」で紹介されたのである。おのくん、ついに全国にブレイク!

オリジナルのおのくん。

おのくんはこんなにカラフル。

そんなわけで、私たちが小野駅前仮設住宅におじゃましたときには、どれも非売品の札がついていて、連れて帰れるおのくんは一つもなかった。

おのくんは、買うのではなく、里親になる、という言い方をする。どうやら全国から里親が殺到したようだ。よかったね、おのくん。

ちょっと残念だけど、里親申請をしてきた。材料として企業などから贈られたカラフルなソックスがたくさんあり、その中から好みの一足を選んで、係の女性にお願いした。

「半年ぐらいかかるかもしれませんよっ」

放映後のおのくんは人気沸騰で、女性たちも忙しいのだろう。係の方、ちょっと殺気立った感じ……。

よろしくお願いします。気を長く、首を長くして待っていますね。

 

☆おのくんの公式ホームページはこちらです。皆さんも里親になってみませんか。

○ 

おのくんに会いにやって来た多賀城市のタガレンジャーと遭遇。

畳の上でも、ポーズ決まった!

タガレンジャー

 ○

たくさんの仮設住宅が並ぶ運動公園。

もう一か所、矢本運動公園の仮設住宅を訪問。去年もおじゃました所だ。

おりしもこの日は春祭りが開催。快晴の空の下、大勢の市民でにぎわっている。

春祭の会場

風船の鯉のぼり。

東松島大曲浜には、江戸時代から伝承されている獅子舞がある。

大曲浜獅子舞保存会では、今回の震災で、前会長はじめ4名の方が犠牲になり、獅子頭などの大事な道具もほとんどが流されてしまったという。それでも、震災から1年を待たずに活動を再開。全国各地からの支援を受け、復興のシンボルとしてがんばってきた。

銀座の物産展にもやって来た。

今年の310日放送のNHK「震災から3年 ”明日へ“コンサート」では、石川さゆりさんとのステージで、獅子舞を披露した。

チカちゃん、ガブリ!

運の良いことに、この日もその勇壮な獅子舞を見ることができたのである。

「獅子舞って初めて見たー!」と、娘たちは大喜び。そのうえ、頭をがぶりと食べてもらって大感激! 今年も健康で過ごせそうだ。

本当は、この日の獅子舞は、仮設住宅に暮らす方々、被災した方々を慰めるためのものだろうに……。よそ者がやってきても、笑顔で受け入れてくれる。

東松島の人たちは、皆やさしい♡

☆大曲浜の獅子舞は、こちらの動画をご覧ください。


東北ドライブ1000キロの旅:東松島へ-32014年05月30日

 

私は根っからの甘党である。体の半分は砂糖でできている、と自認する。

え?と思われる方も多いかもしれない。お酒も好きだが、けっして強いわけではない。

父親はまったくアルコールを受けつけない体質の人だったから、家の中にお酒がないのが当たり前。子どものころ、日曜日に家族そろってケーキ屋さんに行き、好きなケーキを買ってもらい、みんなで食べる。わが家の楽しみの一つだった。

 

そんな私に、東松島で、このお店は外せない。

パティスリー・ジュリアン。

物産展のお手伝いのときは、販売にも熱が入るし、自分でもたくさん買い込む。

もちろん、昨年も足を運んだ。これは、その時の写真。

女の子の指さしているのは……

 ○

トトロとクロスケ! 食べるのがもったいないくらいかわいい。

  

ふわふわ生クリームのようなお店のマスターは、私たちのことを覚えていてくれて、当店人気ナンバーワンのチーズプリンを、コーヒーとともにごちそうしてくれた。

とろけるようで濃厚な味わいのプリン。甘党の私も大満足の美味しさ!

ごちそうさまでした!



もう一つ感激したのは、店内のボード。2012年の銀座で開催された東松島物産展のときの寄せ書きが貼ってあったのだ。みんなで一緒に撮った写真を真ん中に、お手伝いをしたメンバーがコメントを書いた。

みなさんに会えてうれしかったです。今度、東松島に行きますネ! 石渡

石渡の文字の上あたりにいるのが私。



ジュリアンでは、地元の食材を生かしたケーキ作りにこだわっている。

ずんだ大福、ホヤ味のパイ、トマトのゼリー、米粉を使ったマドレーヌなどなど、この食材が!?と驚くほどの美味しいお菓子に生まれ変わっているのだ。

そろそろ恋しくなってきたので、私もお取り寄せしなくては……

☆ジュリアンの商品は、Yahoo! 復興デパートメントで購入することができます。

スイーツ大好きの皆さん、ぜひ一度お試しくださいね。

 

 



東北ドライブ1000キロの旅:東松島へ-22014年05月26日

この時期、東松島に出向く目的は、この青い鯉のぼりの下に立ちたいから。

今年も大曲浜にやって来ることができた。

☆「青い鯉のぼり」プロジェクトのことは、マスコミでもずいぶん取り上げられてきたので、ご覧になった方も多いと思います。

ホームページはこちらです。

また、私も昨年のブログ記事に詳しく書きましたので、それをお読みいただけたら、うれしいです。

旅のフォトエッセイ:東松島へ(1

昨年はまだ取り残されていた家屋があったが、それも撤去されており、辺りはすっかりきれいになった印象だ。

でも、同じ五月の青い空の下、強い風のなかで鯉のぼりたちは今年も元気に泳いでいた。

近くに、震災と津波の犠牲者の名前を刻んだ慰霊塔がある。

昨年は、のり工房矢本の清美さんと千佳子さんがここに案内してくれて、お線香をつけて祈った。

今年は、自分でお線香とライターを持参したが、強風にあおられてなかなか火がつかない。若者ふたりは意外と根気よく、15分かけてようやく火をつけてくれた。

観音様の頭のてっぺんまで約6メートル。この地を襲った津波の高さだという。

                          (続く)

 

 




東北ドライブ1000キロの旅:東松島へ-12014年05月25日

宮城県東松島市。昨年のゴールデンウィークに訪れて、2回目の旅となる。

郡山から東北道に乗ったとたん、道路は混んでいた。

東松島を通り過ぎて先に女川へ向かうはずだったが、思いのほか時間がかかったので、途中、東松島に寄り道をした。どうしても、会いたい人たちがいたのだ。

それは、昨年、初めてやって来たときに、とてもお世話になった太田さんとゴローさん。彼らについては、昨年のブログに詳しく書きましたので、お読みください。

旅のフォトエッセイ:東松島へ(6)~あの店・この人~ 

旅のフォトエッセイ:東松島へ(7)~続 あの店・この人~ 

残念ながら太田さんは、ゴローさんのマルヤ鮮魚店で商品の仕込みを済ませると、入れ替わるように東北道を南下して、埼玉県東松山市へ出かけてしまう。

「東松」つながりで、復興支援をしてもらっているそうで、翌日は物産展が開催されるとか。ゴールデンウィークも忙しい。

 


ゴローさんは、大きな鍋を持ってきて、ホタテ貝を茹で始めた。

「運がいいなあ。明日はこれ、なかったぞ。来るなら来るって連絡してくれないと……」

しましたよ。フェイスブックに皆さんあてにメッセージ送りましたけど。

「そうか。忙しくて読んでない」

おだやかな笑みを浮かべながら、その漁師のフト腕で、茹で上げてくれたホタテ貝の、まあ美味しかったこと! 黒い部分は苦味があるので、取り除いて食べたほうがいいというのに、娘はそれまでもパクパク食べた。

そういえば、本名は康さんなのに、何故ゴローさん?という問いに、今度教えてやる、と言ったきり、もう1年になる。

とにかく、ごちそうさまでした、ゴローさん!

 

車の旅で、一度だけ電車に乗った。

仙石線。仙台と石巻を結んでいる。津波の被害で、いまなお高城町―陸前小野の七つの駅の間が不通で、代行バスが走っている。

私たちは石巻の小さなホテルにチェックインして、石巻駅から東松島市の矢本駅まで、15分の旅だった。

何故に電車かといえば、それはもちろん、夜のお楽しみが待っていたから。

東松島の友達6名が集まってくれて、ご覧のとおりの美女子会!


地元の美味しい海の幸、山の幸に舌鼓を打ちながら、女子トークで大盛り上がり。

帰りは、おうちでお留守番の旦那さまが車でやってきて、ホテルまでわざわざ送ってくれました。どうもありがとうございます!!

東松島の男性は、皆やさしい……♡

                             (続く)



 

 


東北ドライブ1000キロの旅:続・女川へ2014年05月18日

 

前回の補足です。

タカコさんの勤務している「蒲鉾本舗 高政」では、震災からの復興をめざして、

「万石の里」というショップをオープンしました。

そこで、タカコさんのお話を聞いた後、私たちもたくさん買って自宅に送り、家族や近所の友人たちにも食べてもらいました。

ぷりぷりとした触感がたまらない。

少し甘くて、とても美味しい。

ご飯のおかずにはもちろん、お酒のつまみにもいいし、ワインのつまみにもなる。

……と大好評でした。

あまりの美味しさに、写真を撮るのを忘れてしまい、お見せできないのが残念ですが、

高政のホームページをご覧になってください。

オンラインショップでも買うことができますので、皆さんもぜひどうぞ。

やはり翌日は筋肉痛……でした


熊野神社からの眺め。


200段もの階段を上って振り返ると、目の前に広がった景色。入り江の海の穏やかさ。季節が来れば咲くピンク色の桜……。

思わず、涙がこぼれました。


東北ドライブ1000キロの旅:女川へ2014年05月17日

2日目は、宮城県牡鹿郡女川町へ。

女川は、海に突き出た牡鹿半島の付け根の辺りに位置し、東日本大震災では津波によって壊滅的な被害を受けた。

そして、この町には昨年から暮らしている友人がいる。

彼女に会いたくて訪ねてきたのである。

タカコさんは、2012年に銀座で開催された東松島物産展の手伝いをしたときの仲間だ。

被災地のために働きたいという高い志を持ち、たまたま女川町に求人があるのを知り、独身ゆえのフットワークの軽さから、思い切って移り住んでしまった。

彼女が就いた仕事は、女川の蒲鉾製造業「高政」のウェブ業務。

被災地から現地の人々の声を発信したい。町の産業を復興させて、被災地だからというのではなく、都会の消費者を相手に営業をしていくために、ウェブの充実は欠かせない。だから、企業で働く地元の人々の意識も変えていきたい……。

彼女の口調には、無理な気負いもなければ、危うさもない。彼女なら、時間がかかっても、少しずつ目標をクリアしていけそうな気がする。頑張ってほしいと思う。


石巻の海岸沿いを走る。



さすがに4連休の初日とあって、郡山からの道は混んでいた。約束の時間を大幅に過ぎて、ようやく女川町に到着。入り江の向こうに、高政の工場が見えてきた。




高政の店頭で、ようやくタカコさんと再会。

笹かまを目の前で焼きながら、震災被害の説明をしてくれた。

写真を見せるタカコさん。


ビデオも見せてくれた。

スクリーンに、女川の街が津波に流されていく凄まじい映像が流れる。


店の一隅にはスクリーンが津波の映像を流している。


工場見学もさせてもらった。

蒲鉾の工場。

その後、町立病院のある高台へ。この建物の1階部分まで津波はやってきたという。

○○

女川町立病院。

 ○○

見下ろす街に、あの日、津波は襲ってきた。

横倒しのままの銀行のビル。

ほとんど片づけられて、今残っているのは、横倒しになった七十七銀行女川支店の建物。緑色のところが屋上だ。当時、建物内にいた人たちが屋上に逃げて、犠牲になった。

銀行社屋ということで、いまだに撤去できない事情があるらしい。

「ビルが倒れている下に、高政の店長の実家があったんですって」

だから店長は、店頭であのビデオを流すのも、本当は嫌なのだという。車は水に浸かると警笛を発し続ける。何台もの車が流されていく、その大音響を店長は聞きたくない。当時の記憶がよみがえるからだろう。

それでも、遠方から訪ねてくる客のために、あえてあの映像を流す。

熊野神社。

さらに病院の裏手から、200段の階段を上ったところに、熊野神社がある。あの日も高いところから津波を見下ろしていたのだ。

ちょうど訪ねた日が例大祭で、神輿や太鼓も出ていた。

境内の八重桜も、女川湾を見下ろすように咲いていた。

境内から見下ろす女川湾。

タカコさんと、二人の旅の仲間。真ん中が娘の友人のチカさんで、右側が娘

被災した地域は5メートルほど嵩上げしてから、ふたたび家を建てるのだという。

そのため、この神社のある丘を一部崩し、その土が使われる。神社はまもなく解体されて一時移転ということになるそうだ。

女川は、まだまだ気の遠くなるような復興の途上だった。




東北ドライブ1000キロの旅:郡山へ2014年05月12日

わが家の車を3代目のオデッセイに替えてから、半年が過ぎた。

ヨッシーと呼んで、今ではすっかり私のかわいいパートナー。毎日毎日、四六時中でも乗っていたい……。

そこで、とことんヨッシーと過ごすために、このゴールデンウィークにドライブの旅に出ることにした。娘とその友人と、女3人、34日の旅だ。

目的地は、宮城県東松島市。ちょうど1年前の5月にもそこを訪ねたのだが、その時は仙台まで新幹線を利用した。今年は、いささか大冒険である。

これまで、私が車で一番遠くまで行ったのは、長野県の白馬あたりだろうか。距離にして270キロほどだ。千葉県の市川市に住んでいたころ、房総半島を一周したら、ちょうど300キロだった。この程度が、1日で走る限度かもしれない。

東松島までは400キロを軽く超えている。

ゴールデンウィークの東北道、渋滞は覚悟の上だ。

連休でなかったら、社会人の娘たちを連れていかれない。

それでも、渋滞回避の策として、私一人で平日のうちに北上し、郡山まで行くことにした。娘たちは勤めを終えてから、夜遅く新幹線で到着。合流して1泊する。

52日、午前9時に出発。

朝から快晴。吹く風もさわやか。絶好のドライブ日和だ。

前日、お気に入りのアーティストの曲を、USBスティックにダウンロードしておいた。いつものサザンや福山くん、懐かしのチャゲアス、ちょっとお試しのコブクロや嵐まで、アルバム15枚ほど。これなら、CDを入れ替える手間もない。便利になったものだ。ひとりハンドルを握りながら、次から次へと、大好きな歌を聴く。

青い空、沿道の木々の若葉がまぶしい。水をたたえた水田も春の陽を受けて光っている。

予定どおり、佐野と那須高原のサービスエリアで休憩をとった。

佐野サービスエリア


那須高原サービスエリア


那須高原サービスエリア

那須高原特産のおいしそうなチーズがたくさん並んでいる。今夜の一人きりの夕食で、ワインのおともにしようと、一つ買っておいた。


那須高原の特産のチーズ

午後3時、大した渋滞もなく、無事、郡山に到着。

ハナミズキがきれいに咲き誇っていた。

郡山




石畳のおしゃれな街並み

近くを散歩してみた。不思議な街だ。

駅前の広場に、なぜかどこでもドアが……。



壁にはスパイダーマンが張り付いていて……。


今夜の宿は、駅前のビジネスホテル。

窓からは、駅前の広場と、新幹線のホームが見下ろせる。そこで一人の晩餐。

クリームパンのように見えるのは、じつは餃子パン。那須高原SAで仕入れた。中にはごろんと大きな餃子が入っている。ピリ辛でなかなか美味しかった。



○○○                        (続く)



旅のフォトエッセイ:東松島へ(10)~最終回だけれど~2013年10月06日

最終回を目前に、ぴたりと止まってしまっていた。
とにかく忙しかったし、パソコンも入院した。
それ以上に、どうやって終わらせようか、その迷いがどんどん膨らんだ。
さらに、もったいなくて、終わりたくないという気持ちが立ちふさがる。

最後まで書かないでいたのは、仮設住宅を訪問したことだ。
次はどこへ行く? ということになり、清美さんがその場でちゃちゃっと電話をして約束を取り付けてくれたのは、のり工房の仲間、まきさんのお宅。


テレビで見ていただけの仮設住宅が、目の前に並んでいた。少しでも住みやすいようにと、スロープや日よけ、物干しなど、工夫されているのがわかる。
まきさんのお宅も、狭いながらも家電が置かれ、ラグが敷かれ、カーテンがかかり、壁にはカレンダーや状差しがかかっている。どこもきれいに整えられていた。

4畳半くらいの広さだろうか、ご主人がこたつでテレビを見ているところに、おじゃまします、と恐縮しながら入っていった。
ご主人ものり養殖の漁師さんだった。震災後、引退したという。
清美さんたちとは、家族ぐるみの古いお仲間同士なのだろう。気のおけない会話を交わしている。
ひょいとやってきた私たちを、何のきがねもなく、お茶と漬け物でもてなしてくれた。

ご主人が、大事そうに大きな紙を持ってきて、こたつの上に広げた。
新居の設計図だ。高台の場所に建てることになっているそうだ。
20畳もありそうな和室ができるのだとか。でも、まだ着工時期は決まっていない。

じつは、私にはご主人のお国訛りがよく聞き取れない。
思わず、「え?」と聞き返すと、みんなが笑いながら通訳してくれて、やっと会話が成り立つ。
家が持てる。それをこのご夫婦は心待ちにしていた。笑顔が明るかった。

まきさんと、お宅の前で。


でも、ここに住む人がみな、まきさんたちのようなわけにはいかない。
防音に配慮はなく、プライバシーはないに等しい。冬の寒さも厳しい。将来の不安は大きい。
後から聞いた話では、ここでは殺傷沙汰の喧嘩も起きるらしい。せっかく津波から逃れた命だったのに、絶望のなかで自らの命を絶った人も少なくないという。
2年もの長い間、不安や不便に耐えながらも、ここで暮らしてきた人々の忍耐強さに、頭が下がる。
山を崩して宅地に造成中の現場も車の中から見たが、着々と進んでいる様子ではなかった。復興資金が流用されているニュースにも憤りを感じる。
被災地の人々の忍耐強さに頼っているような復興では、あまりに情けないのではないか……。
まきさんのお宅の居心地のよさが、むしろ哀しく思えた。


さて、この日の夕食は、私が心配するまでもなく、清美さんたちが段取りを考えて、居酒屋を予約して、東松島の皆さんに声をかけてくれていた。
物産展で顔なじみになった皆さんが、私たちのために次々と集まってきた。

ちょっとぶれているのは、笑いすぎのせい!?


大いに飲み、食べ、楽しい話題で盛り上がって、みんなで笑い転げた。
おなかがよじれるほど笑った。こんなに笑ったのは久しぶり。笑いすぎて、翌朝は本当におなかと背中が筋肉痛だった。

2日間の東松島の旅で、私たち親子は思いがけないほどのあたたかい歓迎を受けた。月並みな言い方だけれど、むしろ私たちのほうが元気をもらって帰ってきた。
被災地を訪れた人が誰しも口にするように。そして、それを再確認するための旅だったかのように。
たかが2日間、されど2日間。
現地を訪れた意味は大きい。思い切って出かけていって、本当によかった。

おりしも、ちょうど1週間前、被災地の岩手が舞台だったNHKの連続ドラマ「あまちゃん」が最終回を迎えた。社会現象となるほどの大人気のドラマだったが、私も第1回目から欠かさず見てきた。
終盤は、被災しながらも支えあって力強く生きていく登場人物に、東松島の人々を重ね合わせて見ていた。みんなよく笑うところもそっくりだった。

ドラマは終わったけれど、被災地の復興はまだまだ終わらない。
連載を終わらせるのに、旅から5ヵ月もかかったけれど、それも無意味ではないと思っている。
連載は終わっても、まだまだ私のなかで続いている思いがある。
大事なのは、忘れないこと。語り継いでいくこと。
これから先もずっと。


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ご登場の皆さま、実名で書かせていただいたこと、感謝いたします。どうもありがとうございました。
書き足りない点や、お気に障る点もあろうかと思いますが、どうかご容赦ください。間違った記載がありましたら、お知らせください。すぐに訂正いたします。

最後までお読みくださった皆さま、気長にお付き合いくださり、感謝いたします。
また、海苔やかまぼこをお買い上げくださった方もあるそうで、とてもうれしく思っています。どうもありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

なお、この「旅のフォトエッセイ:東松島へ」(1)~(10)は一つのカテゴリーにまとめました。通してお読みいただけたら幸いです。



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