旅のフォトエッセイ:東松島へ(9)~大高森に登って~2013年07月28日

松島は、天の橋立、宮島と並んで、日本三景の一つである。
その松島の美しい景色を眺める四つのスポットが、「松島四大観」。それぞれ、壮観、麗観、幽観、偉観と呼ばれている。
今回はその一つ、壮観をめざして、太田さんの案内で、大高森へ。東松島市南端の宮戸島にある標高106mの山だ。
20分ぐらい、山を登るんだけど、大丈夫っすか」
やさしい太田さんが気遣ってくれる。よほどのお年寄りと見られているらしい。
「地下鉄に乗るときも、エスカレーターは使わないで、鍛えてるんだからね。平気よ、これぐらい」
と、ちょっとオーバーに、ちょっと強がって答える。

身長185㎝の太田さんが、長い歩幅ですたすたと登っていく後ろから、ちょこちょことついていく。
見よ、この軽快な足取りを……!



途中、奥松島縄文村が見下ろせた。
このあたりは、津波の被害が少なかったそうだ。



ヘタることもなく、見晴らし台に無事到着!


西側に臨む松島湾には、春の息吹が満ちあふれている。
煙るような山には新緑が芽吹いている。樹木の花々も満開。
何も言うことはない。絶景そのものだった。

が、しかし……




北側には、野蒜から大曲浜、その先の石巻まで、海岸線が続いている。
大きな被害を受けた地域だ。
震災前の眺めと比べることはできないのだが、たしかに海岸沿いには何もない。剥げ落ちてしまったかのような印象を受ける。

島々のおかげで難を逃れた地域と、そうではなかった地域。ここに立つと、それを見て取ることができた。
自然はときとして猛威を働く。そのとき、命を守ってくれるのも、地形という自然そのものなのだ。

震災から2年もたってしまったけれど、ここを訪れた意味はあった、と思った。


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次回をもって、「東松島へ」シリーズは最終回とするつもりです。
長い間お付き合いくださった皆さま、どうもありがとうございます。




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旅のフォトエッセイ:東松島へ(8)~松島へ~2013年07月07日

今日は、七夕。
七夕を別名「笹の節供」といい、今日は「笹かま」の日でもあるそうです。
七夕祭りといえば、仙台。「笹かま」といえば、宮城県の名産品ですね。

明治時代に、この辺りでヒラメの大漁が続き、消費地である仙台に盛んに運び込まれても持て余すほどだったそうです。そこで眼先のきく魚屋がヒラメで蒲鉾を作ってみたが、蒲鉾独特の腰の強さがない。試行錯誤の末、鰹節で味をつけ、みりん・酒・砂糖・卵白などで練り合わせて焼くことで、パリッとして保存のきく、笹の葉っぱの様な形の蒲鉾ができあがった。
これを「笹かま」と呼ぶようになったのは、仙台藩主伊達家の家紋「竹に雀」の笹にちなんでいるそうです。(「暮らし歳時記」Facebookページより)


瑞巌寺の参道で見かけた伊達家の紋章。

というわけで今回は、清美さんが連れていってくれた松島の「松かま」という蒲鉾屋さんを紹介しましょう。
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東松島からは車で30分ほどで、松島に着く。
日本三景の一つ、風光明媚な観光地である。
松島湾に浮かぶ島々のおかげで、大津波をまぬがれ、被害も小さかったという。

笹かまぼこの老舗「松かま」は、のり工房矢本とも取引があるそうだ。


これが、松かま門前店。
モダンな作りで、2階は松美庵カフェというおしゃれなカフェになっている。
津波の後は、この辺り一帯の道路も冠水した。店舗の中には汚泥が入り込んでいた。それでも、3か月後には営業を再開したという。


店頭の巨大笹かまの模型にすり寄るオバサンふたり。

店内では、笹かま手焼き体験ができる。


娘がかじっているのは、「むう」という名のお豆腐揚げかまぼこ。社長さんからのサービスで、こっそりいただいたもの。
アツアツの焼きたてで、甘くてとてもおいしかったです! ごちそうさま。

あ、ありました! のり工房の塩のり発見!



屋上テラスからは、松島湾の絶景が見渡せる。
お盆には、花火見物に最高の場所。(ただし、VIPのみご招待だそうです)






帰りには、瑞巌寺の五大堂を見物。
伊達正宗が再建した桃山建築だといわれる。重要文化財だ。

その小島に渡るために架けられた「すかし橋」。
橋げたの隙間から下に海が見える。五大堂へ行くときに気持ちを引き締めることができるように、と造られたという。

ゴールデンウィークのさなかで、松島は観光客でにぎわっていた。

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松島にお出かけのときは、ぜひ、松かまにもお立ち寄りください。
ショッピング専用サイトでもおいしい蒲鉾が買えます。

                            (続く)


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旅のフォトエッセイ:東松島へ(7)~続 あの店・この人~2013年07月03日



ゴローさんと一緒に写っている長身の男性が、太田さん。
東松島でお世話になったもう一人のナビゲーターである。
銀座での物産展のときには、チーム東松島を引き連れてやってきていたのだが、じつは千葉県出身で、震災の半年後に東松島に赴いたのだという。かつては青山や新宿にあるトレンディなインテリアショップで店長を務めていたこともある、というからなおさら驚く。
東松島の復興に向けて、何をしたらいいのか。それを見極め、具体化していく。彼のビジネスの能力がそんなところに生かされたのだろう。
「僕は、自分がボランティアだと名乗ったことは一度もない」
それが太田さんの矜持かもしれない。
彼が多くの信頼を得ているからこそ、彼に案内されていく先々で、娘と私が過分なおもてなしを受けたのだ、と思っている。
ケーキのジュリアンさんにも、相栄商店の高志さんにも、マルヤ鮮魚店のゴローさんにも……。

彼の愛車アウディで、あちこち案内してもらった。


太田さんのおかげで、ここでも初対面の店長に歓待を受けた。
牡蠣小屋、海鮮堂。奥松島の野蒜(のびる)という地域にある。


昨年の物産展のときに親しくなった慶子さんという女性から、この牡蠣小屋のチラシをもらった。彼女は関東の人だが、復興支援の活動を続けている。
「あっちに行ったら、ぜひ寄ってあげてね」
今回はその約束を果たしたくて、太田さんに連れていってもらったのである。
店長は、「慶子さんには、とても世話になっているんです」と言って、私たちにごちそうしてくれる、という。彼女の代わりでいいのだろうか。

恐縮してしまった。でも、ありがたくごちそうになった。

まずは、大粒の牡蠣を選んで、ざざっと鉄板にあけて……

O157の被害が出てからは、保健所からのお達しで、かならず、ふたをして蒸し焼きにしなくてはならなくなったそうだ。

待つこと5分。ふたを開けると……

片手に軍手をして殻を持ち、片手にナイフを持ってこじ開ける。ちなみに私たちは、親子そろってのサウスポー。

店長は、カメラを向けても顔を伏せてしまう。
「写真は魂を吸い取られるから、困る」という。東北の男性はシャイである。



一口食べると、濃厚な牡蠣の味が広がった。なんて美味しいのだろう。
今まで食べてきた牡蠣は何だったの? 
何も味付けはしないが、臭み、苦みはまったくない。ただただ、豊かな海の味。
こんなふうに殻付き牡蠣を鉄板で焼いて食べたのは初めてだ。またしても、人生のヨロコビが増えた。

店長、ごちそうさまでした。
慶子さん、太田さん、ありがとうございました。

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野蒜は本当に被害の大きかった地域です。
がれきだけは片付いたものの、まだまだ復興には程遠い印象です。それでも、去年に比べたら、お客さんが増えた、と店長は言っていましたが……。
慶子さんに代わって、お願いします。
皆さんも、ぜひ奥松島の海鮮堂へお出かけください。
このバケツ1杯で1,500円という良心的な価格。
都会では味わえない本物の牡蠣の美味しさを、ぜひどうぞ。

                            (もう少し続く)

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旅のフォトエッセイ:東松島へ(6)~あの店・この人~2013年06月19日


そもそもの出会いは復興支援のための「チーム東松島物産展in銀座」だった。
月に一度、美味しいものが銀座に運び込まれて、それを販売するお手伝いをしてきた。
だからおのずと、その生まれ故郷、生み出してきた人々に、興味を抱くようになる。
物産展に関わる人たちが、Facebookでつながる。毎日たくさんの情報がもたらされる。
こうして、私には縁もゆかりもなかった土地が、特別の場所に変わっていったのだった。


「東松島あんてなしょっぷ まちんど」。早い話、この町のよろず美味しいもの屋さんだ。
ここの商品も、銀座で販売してきた。そして、店員のゆきさんとも親しくなった。

ゆきさんと娘、すぐに仲良しになる。

娘と写っているのがゆきさん。
長身を生かしたバレーのエースだけあって、宝塚の女優さんみたいで、かっこいい。
しかも、お店の商品のことは、じつにきめ細やかに説明してくれるので、美味しいものは彼女に聞けば間違いない。まちんどのカリスマ店員なのだ。

オレンジ色のまちんど&ブルーのあごら

そのお隣の店「あごら」は、地元の食材で美味しいものを食べさせてくれるお食事処。
清美さん、千佳子さん、ゆきさんと5人で楽しくお昼ご飯。



娘は海鮮丼、私はお隣の石巻市の特産、えごま豚のメンチカツ定食をいただく。
メンチカツは、期待どおりに美味しかった。
さらに、意外な美味しさにうれしくなったのが、白いご飯! シャキッと甘くて、噛むほどに味が出る。
「私たち、いつも美味しいお米を食べてるのよ」と、清美さんがにこっと笑った。
そういえば、生協で予約購入しているわが家のお米も、宮城産だ。

ゆきさんは、毎日Facebookに「今日のまかない」をアップしている。
この日は、その本物をまのあたりにして、ちょっとカンゲキ!

物産展のときに、甘党の私が熱心に販売したのは、ジュリアンのお菓子。


地元産の米粉を使ったマドレーヌや、名物ずんだ餅ならぬ「ずんだ大福」。和洋ミックスの味がなんともいえず美味。甘党を満足させるだけの、妥協のないきっぱりとした甘さ。これがまた安心な美味しさのだ。


トトロやクロスケのケーキがかわいくて、買って帰りたいけれど、写真で持ち帰っただけ。

小柄なマダムには銀座でもお目にかかった。

マダムの3倍はありそうなご主人には、初対面。パティシエはシャイなのである。

ケーキも珈琲もごちそうになり、店頭には並んでなかったのに、奥から出してきた「ずんだ大福」まで、おみやげにたくさん頂戴してしまった。
本当にごちそうさまでした。
(日持ちのきく焼き菓子は、たくさん買って帰りましたので、あしからず)

さて、昼間は甘党、夜は日本酒党の私、物産展ではこちらのお酒も熱心に宣伝販売に努めてきた。
「がんばっぺ!大曲浜」
この日本酒は、仮設住宅の一角に店舗を構える相栄商店の店長、高志さんのオリジナル。


ダンディな彼は、代々続く酒屋さんでありながら、大曲浜の漁師さんでもあり、しかも名スキーヤーときている。
この日、さりげなく袋に入れて、渡してくれたのがこの2本。
ごちそうさまです! これからも、がんばっぺ、大曲浜の皆さん……!

そして、もう一人、忘れてならないマルヤ鮮魚店のゴローさん。

いつも穏やかな笑みを浮かべて、物静かな雰囲気からは、荒海に漕ぎ出していくイメージはないのだが、もとは遠洋漁業の漁師さんだったという。わが子の誕生を機に陸に上がった。漁師ならではの味を、このたくましい腕で作り出す。
イカの塩辛、イカの一夜干し、漬け牡蠣、漬け魚、殻つきの牡蠣ポン(パックのままレンジでチンできるスグレモノ!)、などなど。
物産展でも何度かご一緒した。口数が少ないのは、頭のなかでいつも、美味しいアイデアと、面白いことを考えているらしい、とわかってきた。

私たちが食事の後、訪ねていくと、
「そうか、腹いっぱいなのか……」
と言いながらも、火をおこし、冷蔵庫からホタテの串刺しを出してきて、焼いてくれた。



正直に告白すると、私はあまり貝類を得意としない。ホタテもしかりだった。
しかし! 黒コショウだけでの味付けで、こんなに美味しいとは……!
ホタテが、こんなに美味しい食べ物だったとは……!
人生のヨロコビがまたひとつ増えた。ゴローさんに出会えてよかった! 心底そう思った。


コーヒーまでいれてもらって、本当に、ごちそうさまでした!!
牡蠣ポンは、宅配便で送ってもらい、わが家でも大好評だったことはいうまでもない。

ちなみに、彼の本名は康さん。なぜ、ゴローなのか。
「今度、教えてやる」とニヒルに言ったきり、いまだに教わっていない。


~あの店・この人~ さらに続きます。
次回も、とっておきの、もじどおり垂涎の写真をご覧いただきます。乞うご期待。

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お知らせです。
のり工房矢本、ジュリアン、マルヤ鮮魚店など、ご紹介してきた東松島の美味しいものたちが、ネット通販で手に入るようになりましたよ!
「復興デパートメント」プロジェクトは、ふるさと東北の息吹を感じられるさまざまなモノたち、東日本大震災で被災し、復興を目指す人びとの手による商品を紹介しています。
その中の「東松島フロア」はこちらです。ぜひ、お買い求めください!
http://fukko-department.jp/higashimatsushima/



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(5)~復興に向かって~2013年06月13日


そろそろ明るい写真を載せよう。
大曲浜の漁港。



港のライブカメラから。5月6日の映像。

こちらは、定置のライブカメラからの映像。
Facebookページ《「皇室御献上の浜」復活へ》から拝借した写真です)

少しずつ、整備されて、船もそろってきたという。
海底のがれきもみんなで撤去してきた。
そして、海苔の養殖も再開された。

新しい海苔の乾燥庫もできた。いくつかのチームが交代で利用する。
清美さんが中を案内してくれた。

海苔の乾燥庫

冬場には、摘み取った海苔をこの機械で乾燥させる。梯子を上って、中を覗く。

がれき処理もずいぶん片付いてきたという。
人手を使って、一つひとつ手作業で分別してきたから、東松島市のがれき処理は進んでいる、とテレビのニュースで聞いたことがあった。

遠くに黒く見えるのががれき。


この日、「皇室御献上の浜」サポーターズクラブに入会した。

リストバンドの後ろにあるのは、清酒「がんばっぺ!大曲浜」

この地域の海苔生産者を支援するために設立されたクラブで、11万円でサポーターになれる。この水色のリストバンドがサポーターの証。これをしていれば、船で漁に同行させてもらえるほか、海苔の加工所の見学や、地引き網の体験もできるという。
次回は、サケ漁に連れていってもらって、船の上でお刺身をごちそうになろうかな……!

サポーターズクラブのサイトはこちら。
http://ohmagarihama.jimdo.com/サポーターズクラブ/

                           (続く)

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先週末、味の素スタジアムで東松島のブースが出店しました。
そこで買い求めた品をご紹介します。

チョコボ
中身は、個包装のクランチチョコ。

ちょこっとボランティア、略して「チョコボ」。
美味しいクランチチョコレートが18個入って、1,000円。
売り上げの半分は、東松島市の皇室御献上の海苔と、奥松島のカキ養殖の復興支援にのために使わるのです。
包装紙には、漁師さんたちの写真が並んでいます。じつは、この中に清美さんの息子さんも写っています。彼らのために、食べるだけでボランティア、というわけですね。
残念ながら、流通経費がかかるため、遠方のお店にはありません。現地で、あるいは物産展などで、お求めください。



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(4)~それぞれの家は~2013年06月06日


「あの辺に、市民公園があってね、桜の木がたくさんあって、お花見してたの」
二人が指さす先には、何もない。わずかに残された松の木が、並んでいるだけ。
私たちと同じように、子育てのときには何家族も集まって、桜の木の下にシートを敷いて、大人たちは酒盛りをして、子どもたちははしゃぎまわって……。
目を閉じれば、そんな光景が見えてくる。でも、目を開けたら、何もない。


「ああ、ここだ、やっとわかった!」
わずかに家の土台が残っていたり、門柱の跡が残っていたり……。それさえも、雑草が生えてきて、わかりにくくしている。
それでも、清美さんにはわかった。自分の家があった場所が。

さいわい、千佳子さんの家は、海から離れていたので、流されはしなかったが、床上1メートルぐらいまで、泥が流れ込んだという。
「初めて戻ってみたら、どこも泥だらけで、冷蔵庫が倒れてたわ」
どれだけ大変だったろうか。
「でも、うちだけじゃなかったから。みんな同じだったから、何とかがんばれたのよ」


千佳子さんの家は、2度リフォームをして以前のように住めるようになった。
リビングまでおじゃましたけれど、被害の跡形もなく、きれいに片付いていた。
(わが家よりずっときれいだった……)
ピンク色の「ぷりん」は、千佳子さんの美容室。もう営業はしていない。
名前の由来は……プリンが好きだったから? プリンセスだったから?
今度会ったら、聞いてみよう。


大曲浜は地盤が沈下して、いたるところで水が引かなくなった。池に囲まれてしまった家は、重機が近寄れず、撤去もできないままになっている。


「これ、カズちゃんの実家。まるで、金閣寺だよね」
そう言って、二人はカラカラと笑った。私たちもつられて笑ってしまう。
和子さんも、のり工房のメンバーだ。実家で立派な家を建てたばかりだったという。近代的な工法の家の構えは、津波の猛威にも流されなかったのに、だからこそ無残な姿をさらすことになってしまった。
カズちゃんはどんな思いで、2年もの間、この姿を見ているのだろう。

清美さんも、千佳子さんも、和子さんも、じつに明るい。屈託なくよく笑う。
だから、一緒に笑う。私はみんなが大好きだ。
だから、「行くよ~!」と、押しかけてきたのだ。

彼女たちの乾いた笑い声を聞きながら、ふっと自分のことを思った。
私も、「明るいね」と言われる。障がい児の母なのにね。
26歳の長男は、自閉症という障がいを持っている。たくさんの人々に支えられて、ここまでやってきた。落ち込んではいられない。暗くなんかしていられないのだ。
でも、人知れず泣いた。何度も、何度も……。
その時があったからこそ今がある。少しは強くなった。明日を信じて楽しく生きていける。

彼女たちを、私と同じというつもりはない。
息子は命に関わる障がいではなかった。命を燃やして成長し続ける存在でいてくれた。
しかし、彼女たちは、未曽有の災害の恐怖にさらされ、生死の境に立った。かけがえのない人々の命を奪われた。培ってきた家や仕事場や財産を失くした。
どれだけの涙を流したことだろう。どれだけの絶望を味わったことだろうか。
2年がたった今だからこそ、それを乗り越えて、笑えるようになったのかもしれない、と思う。

たしかに、同じ体験をしないかぎり、その気持ちを完全に理解することはできない。
でも、できる限りの想像をしてみる。気持ちに沿ってみる。
それが、愛でしょ、愛。

キザな結論に至ったところで、この続きは、また次回。
次回からは、復興に向けて明るく……!

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ここで、お知らせ!
明日7日から3日間、東松島の美味しいものたちが、東京にやってきます。
調布市で開催される「日本陸上競技選手権大会」会場の味の素スタジアム内で、東松島市ブースが出店されます。
牛たんつくねやスペアリブ、海産物なら炙りイカに炙りホタテ、そして、きゅうりの一本漬けなどなど。ぜひ、この物産展でお求めください! 
当日は、元漁師さんがその場で焼いてくれますよ。



そして、清美さんも、8日・9日に「のり工房矢本」を引っ提げてお出ましです。
私も9日にお手伝い参上の予定です。
皆さん、味スタでお会いしましょう!



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(3)~千佳子さん~2013年06月01日

「東松島に、一度おいで!」
銀座の物産展のとき、最初にそう言ってくれたのが、千佳子さんだった。東松島からやってきた、のり工房矢本のメンバーの一人だ。
Facebookのプロフィール写真には、ハワイのお姫様のようなステキな写真が使われている。
「あの写真は、どこかで撮影したんですか」と聞いたら、
「ハワイで撮ってもらったの。もう何年も前だけど」という。
「私だって、7年前の写真よ」と私。
おたがいナイショにしとこうね、と二人で笑った。
(ただし、私の現在のプロフィールは半年前のです。誤解のなきように……)
あとからわかったのだが、千佳子さんはフラダンスの名手。ハワイのお姫様にだって負けていないわけだ。

千佳子さんと清美さん

清美さんと千佳子さんは義理の姉妹。海苔養殖を営む千佳子さんの実家に嫁いできたのが清美さん。お兄さんと結婚した。
二人とも、私より年下だが、お孫ちゃんがいる。若くてかわいらしいおばあちゃんたちだ。

清美さんの運転する車に、千佳子さんも乗り込んで、私と娘をまる一日案内してくれた。
まずは目的の大曲浜へ。
清美さんの住居、つまり千佳子さんの実家も、大曲浜にあった。
そして、津波によって、跡形もなく流された。
その場所へ連れていってくれたのである。

(青い鯉のぼりについては、「東松島へ(1)」に書きました)

防波堤のこちらからは、海が見えない。海を見ようよ……。
防波堤へ
なんと穏やかで、美しく青い海だろう!
どうしても、あの日、豹変して狂暴となった海を想像することができない。


昨年8月に完成した慰霊碑。


この地域で犠牲になった方々の名前が刻まれている。
その数、311名。悲しすぎる偶然だ。
観音様の頭のてっぺんまで、約6メートル。この地を襲った津波の高さだという。


千佳子さんが、強い海風をよけて、手際よくお線香に火をつけてくれた。
どれだけの数、火をともしてきたのだろう、とふと思った。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 
今日はここまで。まだまだ続きます。
なかなか続きが書けないのは、目下、超多忙という事情もあるのですが、軽々しく書き進めることができません。
被災地の状況は、聞いてはいたつもりでした。テレビや新聞などからも、情報を得て知っているつもりでした。
それでも、実際に足を運んだ場所について情報を確かめるたびに、被害の大きさ、重さに圧倒されるのです。
それらをひとつずつ受け止めながら、少しずつ書き進んでいきたい、と思っています。

東松島市のホームページには、被害状況についての情報や、当時の被害状況の写真が掲載されています。2年を経た私の写真と、比べてみてください。



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(2)~清美さんと「のり工房矢本」~2013年05月23日


5
2日の夜、娘の勤務が終わるのを待って、二人で東京をたち、夜遅く仙台に到着。
翌朝、快晴の仙台から、予約しておいたレンタカーに乗って、東松島に向かった。

インターを降りてすぐ、真っ赤な車で迎えに来てくれたのは、
「のり工房矢本」の社長、清美さんだった。
同じ色のスカーフがおしゃれに決まっている。


清美さんの赤い車

清美さん

☆ ☆ ☆
宮城県は美味しい海苔の養殖地だ。
県内の塩釜神社では、年に一度、乾海苔品評会が行われ、優勝・準優勝した海苔は、皇室に献上されるのだという。東松島の大曲浜で作られる海苔は、この6年連続その栄誉に浴してきた。漁師たちの努力と研鑽があってのことだろう。
そして、その妻たちも、海苔を使った商品を販売しよう、と数年前に立ち上げたのが「のり工房矢本」である。

しかし、津波はすべてを流し去った。
清美さんの自宅も、工房も、船も、養殖の道具も、何もかも。

このままでは、大曲浜の海苔がすたれてしまう。忘れ去られてしまう。
そんな絶望の淵で、泥の中から優勝トロフィーが見つかった。発見したのは、清美さんのご主人。もちろん海苔養殖の漁師だ。
彼はそのとき、「海苔を作れ、ということなんだ」と感じたという。
さらに、奇跡は重なる。被災を免れた地域で、出荷を待っていたワゴン車の荷台に、大曲浜の海苔が残されていたのだ。

清美さんたちは、希望を見出して、立ち上がった。
大曲浜の海苔を買い戻し、自分たちの手で少しずつ加工して販売を再開。さらに、東松島市の学童保育用に建てられたプレハブが借りられることになり、そこに移転する。機械を入れて、以前の海苔作りが、なんとかできるようになった。

銀座の物産展で、清美さんたちと出会ったのは、そんな時期だ。
「皇室御献上の浜」と書かれたのぼりを立てて、販売のお手伝いをさせてもらった。
☆ ☆ ☆

清美さんの車の後をついて、まずはのり工房へ。
のり工房の玄関


室内には、商品が並べられ、加工機械も据えられている。

海苔を加工する機械

そして、これがくだんのトロフィー。足の付け根がひしゃげてしまっているが、きれいに磨かれていた。
漁師さんたちは、泥の中からトロフィーを見つけ出したことで、プライドも取り戻したのだ、と思った。

栄誉あるトロフィー、奇跡のトロフィーの説明も。


工房の向かいは、震災以前から広々と畑が広がっていたところ。
瓦礫もようやく片付けられたとか、広い広い空間と、青い空が視界を占める。





の向こうに住宅街があったが、すべて消えてしまった。だから、海沿いの松が見える。
「家がなくなって初めて、こんなに海が近かったんだ、って感じたのね」
清美さんが言った。



千佳子さんと清美さん
さて、この日、工房で再会したもう一人の女性、千佳子さんは、清美さんの義理の妹だ。
清美さんと二人で、あちらこちらに案内してくれた。
その話は、また次回。どうぞお楽しみに。

                       (続く)

 

☆ ☆ ☆
 偶然にも、

 今日5月23日は、清美さんのお誕生日。
 ぜひともこの日に、清美さんのことを書きたかったのです。
 おめでとうございます!
 さらに、偶然にも、
 娘も同じ誕生日。東松島で出会った二人。不思議なご縁がうれしいです。

 

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旅のフォトエッセイ:東松島へ(1)2013年05月17日


2011
年初めのころ。
当時の私には、乗り越えなければならない大きな挫折が重くのしかかっていた。
そろそろ答えを出すべき、行き詰まりの問題も抱えていた。
「具体的に書きましょう」と、いつもエッセイ教室では口にするのだが、上記の内容だけはお許し願いたい。 

そして、311日。東日本大震災。

あたりまえの日常があっけなく覆されるのを目の当たりにした。
これまでの価値観の修正を迫られた。多くの日本人がそうであったように。

明けて2012年。
何かしなくては。気持ちだけは突き動かされるのに、何をしたらいいのかわからない。
被災地と直接関わりのない自分は、何をすべきなのか。模索し続けているときに、友人を介して、東北の復興支援をするためのボランティアグループと関わるようになった。
2月から8月まで、月に一度、銀座で行われる「東松島物産展」の手伝いをさせてもらった。白状すれば、東松島市という存在さえ知らなかったのだが……。


大勢の仲間ができた。年齢的なギャップは多少の引け目だったけれど、それでも楽しく銀座に通った。
さらに、Facebookを通して、世界が広がった。
いつか被災地に行ってみよう。行かなくては、と思うようになった。

そんなある日、Facebook上の1枚の写真に吸い寄せられた。青い空に、青い鯉のぼりだけが泳いでいる。
そこで初めて、東松島市大曲浜の「青い鯉のぼりプロジェクト」を知ったのである。

それは、大曲浜に住んでいた、当時17歳の青年のエピソードから始まる。
彼は、祖父母、母、そして5歳の弟が津波の犠牲になった。がれきの中から見つかったのは、弟が好きだった青い鯉のぼり。家族の象徴であり、天に昇って竜となる伝説もある鯉のぼりだ。
彼は、その泥だらけの鯉のぼりを近くの川で洗った。やがて、次々と出てきた鯉のぼりを、母や祖父母たちへの思いも込めて、家の在ったあたりに空高く揚げた。
さらに、その年の55日には、全国から200尾以上の青い鯉のぼりが集められ、震災で亡くなった子どもたちのため、青空に掲げられた。
その年だけに終わらせずに、毎年311日から55日まで、青い鯉のぼりを泳がせよう。犠牲になった子どもたちの鎮魂のためにも、復興のシンボルとしても、続けていこう……。
それがこのプロジェクトである。

泣き虫の私は、二人の男の子を持つ母親として、涙が止まらない。
今すぐには無理でも、来年こそは、この鯉のぼりの下に立ちたい。
その願いが、私を被災地に向かわせるきっかけとなった。

願い叶って、今年のゴールデンウィーク、娘と二人、ついに東松島を訪ねることができた。5月3日、大曲浜の空に泳ぐ青い鯉のぼりたちを仰ぐことができたのである。

20130504 東松島市大曲浜の青い鯉のぼり


真っ青な空。強い海風。
津波に押し流されたたくさんの家々が在った場所。
近くにはまだ、家の中を波が暴れていったままの立派な住宅が1軒、撤去されず残っている。

残されたままの家


聞こえるのは、鯉たちが空に泳ぐ音だけ。
その向こうの空の高みから、子どもたちの走り回る歓声が、聞こえてくるような気がした。

去りがたかった。
翌日も、ここを訪れて、鯉のぼりを見上げて立ち尽くしていた。 

21030504 青い鯉のぼり

                        
                                 (続く)


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