続々・ジョニーからの伝言2015年04月16日

マザーリンク・ジャパンへのご支援、どうもありがとうございます!
おかげさまで本日、支援してくださった方の数は110名になり、目標の100万円を超えたそうです!

寝占理絵さんからも感謝の声が届きました。

 

今朝起きたらご支援者がちょうど100名に達していました~♪♪

本当に励まされる思いでいっぱいです。

ここ数日低迷していたのに昨夜から急に伸びました。何があったのでしょう?? どちらにしても本当に嬉しいです♪♪

 

きっと、このブログの読者の皆さんのご支援ですね!?

彼女に代わって、私からもお礼申し上げます。どうもありがとうございます。

今後は陸前高田だけでなく、大船渡、気仙沼でも同様のパソコン教室を立ち上げて支援活動を繰り広げたいとのこと。

「本当の目標は300万円です!」

  

411日発売の「週刊東洋経済」に、彼女の記事が載りました。

シングルマザーの想像を絶する実態が語られています。

 



寝占さんの支援活動など詳しい情報は、READYFOR? のサイトでご覧になってください。現在の資金支援状況もわかります。

https://readyfor.jp/projects/3714/detail

文字どおり私財をなげうって活動を続ける彼女を、これからも応援していきます。

皆さんも温かいご理解とご支援、どうぞよろしくお願いいたします。





続・ジョニーからの伝言2015年04月12日

201312月に、3回にわたって愛車ジョニーの話を書きました。

私のパートナーともいえる愛車オデッセイを3代目に買い替えるにあたり、2代目オデッセイ(通称ジョニー)の第2の人生が決まるまでの物語でした。

アフリカ行きの夢はかないませんでしたが、被災地の陸前高田にもらわれていき、今も元気に活躍しています。

ジョニーと一緒に写っているのが、新しい持ち主となった寝占理絵さんです。

彼女は、NPO法人マザーリンク・ジャパンを立ち上げ、陸前高田を拠点にして、おもにシングルマザーへの支援活動を続けています。

被災地の母子家庭では、食料や生活用品にも事欠いているそうで、それらを運び込むお手伝いも、ジョニーはさせてもらってきました。

また、仮設住宅で暮らす子どもたちは、学校も被害にあったりして遠くまで通わなくてはならない。そのための送迎は母親にとって大きな負担だし、仕事の時間にも支障が出る。おのずと、いい条件の仕事には就けない……。

そこで、寝占さんは、こうしたシングルマザーたちがよりたしかな収入の仕事に就けるよう、パソコン教室を開催する計画を立てました。

今回、クラウドファンディングを利用して、その活動資金を集めています。

目標額は100万円。512日までに達成しないと、決済されずに0円になってしまいます。現時点では8割が集まっていますが、あと少しの皆さんの支援が必要です。

クラウドファンディングのことや、今回の寝占さんの活動計画など詳しい情報は、READYFOR? のサイトでご覧になってください。

https://readyfor.jp/projects/3714/detail

同じ母親であるお友達の皆さん、美味しいランチの1回分でもいいので、ぜひぜひ、ご協力をお願いします!

 

それから、かつて私のジョニーに乗ったことのある方、それも何かのご縁でしょう。ご支援をどうぞよろしくお願いいたします!





ふたたび・ジョニーからの伝言2014年04月08日

なみなみジョニー

覚えておいででしょうか。

ジョニーというのは、以前の愛車のニックネームで、ベージュ色の7人乗りオデッセイのこと。

昨年の12月、車の買い替えで、10年乗っていたジョニーとさよならすることになりました。とはいえ、まだ車はきれいで、走行距離はわずか35000キロ。なのにディーラーに渡せば下取り価格もつかず、廃車になるという。もったいない。

そんなとき、偶然が重なって、第2の人生をアフリカで過ごす話が浮上したのです。ケニアの貧村で献身的な支援活動を続けている塩尻さんのもとで、救急車代わりの足となって走る……。

ところが、ジョニーがケニアを走るには、大きな壁がありました。8年を超える車の持ち込みは禁止という法律があったのです。塩尻さんがあらゆる手段を検討したものの実現不可能という結論に至ったのでした。

その後、ご縁があって、ジョニーは東北の被災地で活躍する道が開かれました。今も仮設住宅の子どもたちを乗せて走っていることでしょう。

でも、車を必要とされていた塩尻さんは、どうなるのだろうか……。ずっと心配していました。

 詳しいいきさつは、以下の記事に書いています。ご興味のある方は、ぜひお読みください。

2013127日:「私の愛車がアフリカの大地を走る!の夢

20131211日:「愛車がアフリカを走る!の夢は、形を変えて……

20131213日:「ジョニーからの伝言

 

 

塩尻さんが車を探していると知って、ほかにも行動を起こした方がいました。映画『うたごころ』の榛葉監督です。

この映画は、震災直後からの南三陸を舞台にしたドキュメンタリー映画で、2011年版と2012年版、私は2編の上映会に足を運び、監督の講演とあわせて深い感銘を受けました。

榛葉さんは、中古車を扱う企業に話を持ちかけて賛同を得たのです。

この春、神戸港から一台の中古車が、ケニアの塩尻さんのもとに輸送されていきました。

そして、榛葉監督自身も現地におもむいて取材し、毎日放送のテレビ番組を制作。先月、関西圏で放映されましたが、インターネットでも同じ動画を見ることができます。

ケニアの子どもたちの現状、そこで支援活動をする塩尻さん一家、中古車寄贈の様子など、「中古車、未来を走る」という4編の短い動画ですので、ぜひぜひご覧になってください。

私個人の力では、どうにもなしえなかったことを、榛葉さんはその行動力で実現させてしまった。おそらく、多くの方がたの協力あってのことだったと思います。

本当にうれしいかぎりです。

 





ジョニーからの伝言2013年12月13日


ジョニーの背中

今、僕は、冷え込む夜の東北道を、北へ向かってひた走っているところです。
これまでの小柄なhitomiドライバーではなく、見知らぬ男性の運転で。
無事に陸前高田に到着するように祈っていてください。

さて僕は、ケニアの塩尻さんのもとへは運んでもらえなかった。
ケニアには、8年規制という法律があって、車体がどんなにきれいでも、走行距離が短くても、製造から8年以上たった車は持ち込めないそうです。
僕は10歳でした。

いまなお塩尻さんはオンボロカーに乗り続け、救急車を必要とされています。
現地の人々、とくに子どもたちのため、教育や医療活動を献身的に続けている彼には、なかなか新車を買い入れる余裕はないのでしょう。
これを読んでくださる皆さん、8歳以下の車をお持ちの方で、塩尻さんの支援活動のために提供してもいいという方、ぜひぜひご連絡ください。

ジョニーからの伝言でした。

先日、塩尻さんのことを紹介した記事に、あるコメントが届きました。アメリカに住む日本人女性からです。
彼女は大学時代にスワヒリ語を勉強していて、ケニアに留学することになりました。ところが直前になって、ケニア分校では学生がマラリアで亡くなり、分校は閉鎖。結局彼女はケニアへは行けなかったのですが、在校生の話によると、そのとき亡くなった学生が助からなかったのは、救急搬送の車がなく手遅れになったからだそうです。日常的に車両の管理が悪かったということでした。
塩尻さんのもとにも良い状態の車が届くように、と彼女も祈っています。

私は、はっとしました。
ジョニーの第2の人生が決まったからといって、これで終わりではなかった、と。
ケニアとしては、少しでも車社会の環境を整えるためにも8年規制はやむを得ないのかもしれません。
皆さん、ジョニーの伝言、どうかよろしくお願いします。

塩尻さんがケニア事務所の所長を務める〈アフリカ児童教育基金の会ACEF〉の活動の様子を、以下のサイトでご覧ください。
https://sites.google.com/site/afrikachildreneducationfund/home

エイズ感染孤児のための施設「希望の家」の子どもたち。



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愛車がアフリカを走る!の夢は、形を変えて……2013年12月11日

さて、愛車ジョニーの話の続きである。

塩尻さんはとても喜んでくれた。
さっそく受け入れ態勢を整えるべく、費用を調べて手続きを開始したいとのことだった。しかし、それから2週間たっても返事が来ない。
「アフリカ時間」で進んでいるんですよ、と仲介者に言われて納得。急がせてはいけないと思った。

その数日後、届いた返事は、哀しい現実だった。
ケニアには、8年規制というのがあって、8年以上たった車を持ち込むことは法律で禁止されているのだそうだ。ジョニーは製造から10年になる。
それでも塩尻さんは、隣国のタンザニアかウガンダでナンバー登録し、そこからケニアに持ち込むことはできないか、と考えた。ところが、それもまた月々の手数料がかかる。輸送費、税金、今後の諸費用などを合わせると、莫大な資金が必要になることがわかったという。アフリカは国によって様々な規制が多く、外国からの支援を難しくしていると聞く。
塩尻さんは、涙をのんで、私の申し出を断念せざるを得ないという結論に至ったのだった。

ジョニーがもう2歳若ければ、塩尻さんのところに行けたかもしれないのに。
彼がアフリカを疾走する夢は、ついえた。
残念のひとことだった。

ジョニーの運転席


しかし、神様の仕掛けは、ここで終わらなかった。
「じつはタイミングよく、もう一人、車を探している人がいるんですよ」

そう言ってくれた仲介者の男性を、ここで紹介しておきたい。
彼、師岡さんと知り合ったのは、昨年、銀座で行われていた東北復興支援の東松島物産展で。チーム東松島の中心となって活躍していて、ボランティアに初めて足を運んだ私にも、わかりやすく復興支援の心構えを話してくれた。

彼は、震災の復興支援だけでなく、それ以前からボランティアの意識が高く、
human note というゴスペルシンガーズのメンバーとしても活動している。歌を通して社会活動を繰り広げ、アフリカ支援にも出向いて、ケニアで塩尻さんと知り合ったのだった。

サラリーマンであり、家庭を持ち、男の子の父親として保護者会にも参加する。みずから「サラリーマン社会活動家」の肩書を名乗っている。
人呼んでスーパー・サラリーマン・モロさん。
ピュアで人間愛に満ちた精神の持ち主、甘いマスクと穏やかな口調の癒し系……と言ったらほめすぎだろうか。

モロさんが見つけてくれた、もうひとつのジョニーの身の振り方。それは東北の被災地で活躍することだった。
そして、ジョニーを譲り受けたいというもう一人の人物というのは、岩手県陸前高田を拠点に支援活動を続ける、私の知っている女性だったのである。以前にも、チャリティバザーの物品を運んだり、養護施設の子どもたちの送り迎えをしたりして、ジョニーがお手伝いさせてもらったことがあるのだ。

またしても、偶然が微笑んだ。

今度こそ、話はとんとん拍子で進み、ジョニーは彼女のもとにもらわれることになった。別れの日、ガソリンスタンドできれいに掃除をし、ガソリンを満タンにして、都内の彼女の家に運転していった。

ガソリンスタンドのおにいさんたちが、丁寧に掃除をしてくれた。
ジョニーと私の最後のツーショット。


名義変更も済み、あさって13日、ボランティアのドライバーが運転して、いよいよ陸前高田へと旅立っていくという。

さよなら、ジョニー。10年間、ありがとう。
被災地の人々に寄り添って、第2の人生(車生?)を、元気に走り抜いて!

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かくして、わが家はニュー・オデッセイを買い入れました。
母の乗り降りは、少し楽になったようです。


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旅のフォトエッセイ:東松島へ(7)~続 あの店・この人~2013年07月03日



ゴローさんと一緒に写っている長身の男性が、太田さん。
東松島でお世話になったもう一人のナビゲーターである。
銀座での物産展のときには、チーム東松島を引き連れてやってきていたのだが、じつは千葉県出身で、震災の半年後に東松島に赴いたのだという。かつては青山や新宿にあるトレンディなインテリアショップで店長を務めていたこともある、というからなおさら驚く。
東松島の復興に向けて、何をしたらいいのか。それを見極め、具体化していく。彼のビジネスの能力がそんなところに生かされたのだろう。
「僕は、自分がボランティアだと名乗ったことは一度もない」
それが太田さんの矜持かもしれない。
彼が多くの信頼を得ているからこそ、彼に案内されていく先々で、娘と私が過分なおもてなしを受けたのだ、と思っている。
ケーキのジュリアンさんにも、相栄商店の高志さんにも、マルヤ鮮魚店のゴローさんにも……。

彼の愛車アウディで、あちこち案内してもらった。


太田さんのおかげで、ここでも初対面の店長に歓待を受けた。
牡蠣小屋、海鮮堂。奥松島の野蒜(のびる)という地域にある。


昨年の物産展のときに親しくなった慶子さんという女性から、この牡蠣小屋のチラシをもらった。彼女は関東の人だが、復興支援の活動を続けている。
「あっちに行ったら、ぜひ寄ってあげてね」
今回はその約束を果たしたくて、太田さんに連れていってもらったのである。
店長は、「慶子さんには、とても世話になっているんです」と言って、私たちにごちそうしてくれる、という。彼女の代わりでいいのだろうか。

恐縮してしまった。でも、ありがたくごちそうになった。

まずは、大粒の牡蠣を選んで、ざざっと鉄板にあけて……

O157の被害が出てからは、保健所からのお達しで、かならず、ふたをして蒸し焼きにしなくてはならなくなったそうだ。

待つこと5分。ふたを開けると……

片手に軍手をして殻を持ち、片手にナイフを持ってこじ開ける。ちなみに私たちは、親子そろってのサウスポー。

店長は、カメラを向けても顔を伏せてしまう。
「写真は魂を吸い取られるから、困る」という。東北の男性はシャイである。



一口食べると、濃厚な牡蠣の味が広がった。なんて美味しいのだろう。
今まで食べてきた牡蠣は何だったの? 
何も味付けはしないが、臭み、苦みはまったくない。ただただ、豊かな海の味。
こんなふうに殻付き牡蠣を鉄板で焼いて食べたのは初めてだ。またしても、人生のヨロコビが増えた。

店長、ごちそうさまでした。
慶子さん、太田さん、ありがとうございました。

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野蒜は本当に被害の大きかった地域です。
がれきだけは片付いたものの、まだまだ復興には程遠い印象です。それでも、去年に比べたら、お客さんが増えた、と店長は言っていましたが……。
慶子さんに代わって、お願いします。
皆さんも、ぜひ奥松島の海鮮堂へお出かけください。
このバケツ1杯で1,500円という良心的な価格。
都会では味わえない本物の牡蠣の美味しさを、ぜひどうぞ。

                            (もう少し続く)

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旅のフォトエッセイ:東松島へ(6)~あの店・この人~2013年06月19日


そもそもの出会いは復興支援のための「チーム東松島物産展in銀座」だった。
月に一度、美味しいものが銀座に運び込まれて、それを販売するお手伝いをしてきた。
だからおのずと、その生まれ故郷、生み出してきた人々に、興味を抱くようになる。
物産展に関わる人たちが、Facebookでつながる。毎日たくさんの情報がもたらされる。
こうして、私には縁もゆかりもなかった土地が、特別の場所に変わっていったのだった。


「東松島あんてなしょっぷ まちんど」。早い話、この町のよろず美味しいもの屋さんだ。
ここの商品も、銀座で販売してきた。そして、店員のゆきさんとも親しくなった。

ゆきさんと娘、すぐに仲良しになる。

娘と写っているのがゆきさん。
長身を生かしたバレーのエースだけあって、宝塚の女優さんみたいで、かっこいい。
しかも、お店の商品のことは、じつにきめ細やかに説明してくれるので、美味しいものは彼女に聞けば間違いない。まちんどのカリスマ店員なのだ。

オレンジ色のまちんど&ブルーのあごら

そのお隣の店「あごら」は、地元の食材で美味しいものを食べさせてくれるお食事処。
清美さん、千佳子さん、ゆきさんと5人で楽しくお昼ご飯。



娘は海鮮丼、私はお隣の石巻市の特産、えごま豚のメンチカツ定食をいただく。
メンチカツは、期待どおりに美味しかった。
さらに、意外な美味しさにうれしくなったのが、白いご飯! シャキッと甘くて、噛むほどに味が出る。
「私たち、いつも美味しいお米を食べてるのよ」と、清美さんがにこっと笑った。
そういえば、生協で予約購入しているわが家のお米も、宮城産だ。

ゆきさんは、毎日Facebookに「今日のまかない」をアップしている。
この日は、その本物をまのあたりにして、ちょっとカンゲキ!

物産展のときに、甘党の私が熱心に販売したのは、ジュリアンのお菓子。


地元産の米粉を使ったマドレーヌや、名物ずんだ餅ならぬ「ずんだ大福」。和洋ミックスの味がなんともいえず美味。甘党を満足させるだけの、妥協のないきっぱりとした甘さ。これがまた安心な美味しさのだ。


トトロやクロスケのケーキがかわいくて、買って帰りたいけれど、写真で持ち帰っただけ。

小柄なマダムには銀座でもお目にかかった。

マダムの3倍はありそうなご主人には、初対面。パティシエはシャイなのである。

ケーキも珈琲もごちそうになり、店頭には並んでなかったのに、奥から出してきた「ずんだ大福」まで、おみやげにたくさん頂戴してしまった。
本当にごちそうさまでした。
(日持ちのきく焼き菓子は、たくさん買って帰りましたので、あしからず)

さて、昼間は甘党、夜は日本酒党の私、物産展ではこちらのお酒も熱心に宣伝販売に努めてきた。
「がんばっぺ!大曲浜」
この日本酒は、仮設住宅の一角に店舗を構える相栄商店の店長、高志さんのオリジナル。


ダンディな彼は、代々続く酒屋さんでありながら、大曲浜の漁師さんでもあり、しかも名スキーヤーときている。
この日、さりげなく袋に入れて、渡してくれたのがこの2本。
ごちそうさまです! これからも、がんばっぺ、大曲浜の皆さん……!

そして、もう一人、忘れてならないマルヤ鮮魚店のゴローさん。

いつも穏やかな笑みを浮かべて、物静かな雰囲気からは、荒海に漕ぎ出していくイメージはないのだが、もとは遠洋漁業の漁師さんだったという。わが子の誕生を機に陸に上がった。漁師ならではの味を、このたくましい腕で作り出す。
イカの塩辛、イカの一夜干し、漬け牡蠣、漬け魚、殻つきの牡蠣ポン(パックのままレンジでチンできるスグレモノ!)、などなど。
物産展でも何度かご一緒した。口数が少ないのは、頭のなかでいつも、美味しいアイデアと、面白いことを考えているらしい、とわかってきた。

私たちが食事の後、訪ねていくと、
「そうか、腹いっぱいなのか……」
と言いながらも、火をおこし、冷蔵庫からホタテの串刺しを出してきて、焼いてくれた。



正直に告白すると、私はあまり貝類を得意としない。ホタテもしかりだった。
しかし! 黒コショウだけでの味付けで、こんなに美味しいとは……!
ホタテが、こんなに美味しい食べ物だったとは……!
人生のヨロコビがまたひとつ増えた。ゴローさんに出会えてよかった! 心底そう思った。


コーヒーまでいれてもらって、本当に、ごちそうさまでした!!
牡蠣ポンは、宅配便で送ってもらい、わが家でも大好評だったことはいうまでもない。

ちなみに、彼の本名は康さん。なぜ、ゴローなのか。
「今度、教えてやる」とニヒルに言ったきり、いまだに教わっていない。


~あの店・この人~ さらに続きます。
次回も、とっておきの、もじどおり垂涎の写真をご覧いただきます。乞うご期待。

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お知らせです。
のり工房矢本、ジュリアン、マルヤ鮮魚店など、ご紹介してきた東松島の美味しいものたちが、ネット通販で手に入るようになりましたよ!
「復興デパートメント」プロジェクトは、ふるさと東北の息吹を感じられるさまざまなモノたち、東日本大震災で被災し、復興を目指す人びとの手による商品を紹介しています。
その中の「東松島フロア」はこちらです。ぜひ、お買い求めください!
http://fukko-department.jp/higashimatsushima/



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(5)~復興に向かって~2013年06月13日


そろそろ明るい写真を載せよう。
大曲浜の漁港。



港のライブカメラから。5月6日の映像。

こちらは、定置のライブカメラからの映像。
Facebookページ《「皇室御献上の浜」復活へ》から拝借した写真です)

少しずつ、整備されて、船もそろってきたという。
海底のがれきもみんなで撤去してきた。
そして、海苔の養殖も再開された。

新しい海苔の乾燥庫もできた。いくつかのチームが交代で利用する。
清美さんが中を案内してくれた。

海苔の乾燥庫

冬場には、摘み取った海苔をこの機械で乾燥させる。梯子を上って、中を覗く。

がれき処理もずいぶん片付いてきたという。
人手を使って、一つひとつ手作業で分別してきたから、東松島市のがれき処理は進んでいる、とテレビのニュースで聞いたことがあった。

遠くに黒く見えるのががれき。


この日、「皇室御献上の浜」サポーターズクラブに入会した。

リストバンドの後ろにあるのは、清酒「がんばっぺ!大曲浜」

この地域の海苔生産者を支援するために設立されたクラブで、11万円でサポーターになれる。この水色のリストバンドがサポーターの証。これをしていれば、船で漁に同行させてもらえるほか、海苔の加工所の見学や、地引き網の体験もできるという。
次回は、サケ漁に連れていってもらって、船の上でお刺身をごちそうになろうかな……!

サポーターズクラブのサイトはこちら。
http://ohmagarihama.jimdo.com/サポーターズクラブ/

                           (続く)

**********************************************************
先週末、味の素スタジアムで東松島のブースが出店しました。
そこで買い求めた品をご紹介します。

チョコボ
中身は、個包装のクランチチョコ。

ちょこっとボランティア、略して「チョコボ」。
美味しいクランチチョコレートが18個入って、1,000円。
売り上げの半分は、東松島市の皇室御献上の海苔と、奥松島のカキ養殖の復興支援にのために使わるのです。
包装紙には、漁師さんたちの写真が並んでいます。じつは、この中に清美さんの息子さんも写っています。彼らのために、食べるだけでボランティア、というわけですね。
残念ながら、流通経費がかかるため、遠方のお店にはありません。現地で、あるいは物産展などで、お求めください。



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(4)~それぞれの家は~2013年06月06日


「あの辺に、市民公園があってね、桜の木がたくさんあって、お花見してたの」
二人が指さす先には、何もない。わずかに残された松の木が、並んでいるだけ。
私たちと同じように、子育てのときには何家族も集まって、桜の木の下にシートを敷いて、大人たちは酒盛りをして、子どもたちははしゃぎまわって……。
目を閉じれば、そんな光景が見えてくる。でも、目を開けたら、何もない。


「ああ、ここだ、やっとわかった!」
わずかに家の土台が残っていたり、門柱の跡が残っていたり……。それさえも、雑草が生えてきて、わかりにくくしている。
それでも、清美さんにはわかった。自分の家があった場所が。

さいわい、千佳子さんの家は、海から離れていたので、流されはしなかったが、床上1メートルぐらいまで、泥が流れ込んだという。
「初めて戻ってみたら、どこも泥だらけで、冷蔵庫が倒れてたわ」
どれだけ大変だったろうか。
「でも、うちだけじゃなかったから。みんな同じだったから、何とかがんばれたのよ」


千佳子さんの家は、2度リフォームをして以前のように住めるようになった。
リビングまでおじゃましたけれど、被害の跡形もなく、きれいに片付いていた。
(わが家よりずっときれいだった……)
ピンク色の「ぷりん」は、千佳子さんの美容室。もう営業はしていない。
名前の由来は……プリンが好きだったから? プリンセスだったから?
今度会ったら、聞いてみよう。


大曲浜は地盤が沈下して、いたるところで水が引かなくなった。池に囲まれてしまった家は、重機が近寄れず、撤去もできないままになっている。


「これ、カズちゃんの実家。まるで、金閣寺だよね」
そう言って、二人はカラカラと笑った。私たちもつられて笑ってしまう。
和子さんも、のり工房のメンバーだ。実家で立派な家を建てたばかりだったという。近代的な工法の家の構えは、津波の猛威にも流されなかったのに、だからこそ無残な姿をさらすことになってしまった。
カズちゃんはどんな思いで、2年もの間、この姿を見ているのだろう。

清美さんも、千佳子さんも、和子さんも、じつに明るい。屈託なくよく笑う。
だから、一緒に笑う。私はみんなが大好きだ。
だから、「行くよ~!」と、押しかけてきたのだ。

彼女たちの乾いた笑い声を聞きながら、ふっと自分のことを思った。
私も、「明るいね」と言われる。障がい児の母なのにね。
26歳の長男は、自閉症という障がいを持っている。たくさんの人々に支えられて、ここまでやってきた。落ち込んではいられない。暗くなんかしていられないのだ。
でも、人知れず泣いた。何度も、何度も……。
その時があったからこそ今がある。少しは強くなった。明日を信じて楽しく生きていける。

彼女たちを、私と同じというつもりはない。
息子は命に関わる障がいではなかった。命を燃やして成長し続ける存在でいてくれた。
しかし、彼女たちは、未曽有の災害の恐怖にさらされ、生死の境に立った。かけがえのない人々の命を奪われた。培ってきた家や仕事場や財産を失くした。
どれだけの涙を流したことだろう。どれだけの絶望を味わったことだろうか。
2年がたった今だからこそ、それを乗り越えて、笑えるようになったのかもしれない、と思う。

たしかに、同じ体験をしないかぎり、その気持ちを完全に理解することはできない。
でも、できる限りの想像をしてみる。気持ちに沿ってみる。
それが、愛でしょ、愛。

キザな結論に至ったところで、この続きは、また次回。
次回からは、復興に向けて明るく……!

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ここで、お知らせ!
明日7日から3日間、東松島の美味しいものたちが、東京にやってきます。
調布市で開催される「日本陸上競技選手権大会」会場の味の素スタジアム内で、東松島市ブースが出店されます。
牛たんつくねやスペアリブ、海産物なら炙りイカに炙りホタテ、そして、きゅうりの一本漬けなどなど。ぜひ、この物産展でお求めください! 
当日は、元漁師さんがその場で焼いてくれますよ。



そして、清美さんも、8日・9日に「のり工房矢本」を引っ提げてお出ましです。
私も9日にお手伝い参上の予定です。
皆さん、味スタでお会いしましょう!



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旅のフォトエッセイ:東松島へ(1)2013年05月17日


2011
年初めのころ。
当時の私には、乗り越えなければならない大きな挫折が重くのしかかっていた。
そろそろ答えを出すべき、行き詰まりの問題も抱えていた。
「具体的に書きましょう」と、いつもエッセイ教室では口にするのだが、上記の内容だけはお許し願いたい。 

そして、311日。東日本大震災。

あたりまえの日常があっけなく覆されるのを目の当たりにした。
これまでの価値観の修正を迫られた。多くの日本人がそうであったように。

明けて2012年。
何かしなくては。気持ちだけは突き動かされるのに、何をしたらいいのかわからない。
被災地と直接関わりのない自分は、何をすべきなのか。模索し続けているときに、友人を介して、東北の復興支援をするためのボランティアグループと関わるようになった。
2月から8月まで、月に一度、銀座で行われる「東松島物産展」の手伝いをさせてもらった。白状すれば、東松島市という存在さえ知らなかったのだが……。


大勢の仲間ができた。年齢的なギャップは多少の引け目だったけれど、それでも楽しく銀座に通った。
さらに、Facebookを通して、世界が広がった。
いつか被災地に行ってみよう。行かなくては、と思うようになった。

そんなある日、Facebook上の1枚の写真に吸い寄せられた。青い空に、青い鯉のぼりだけが泳いでいる。
そこで初めて、東松島市大曲浜の「青い鯉のぼりプロジェクト」を知ったのである。

それは、大曲浜に住んでいた、当時17歳の青年のエピソードから始まる。
彼は、祖父母、母、そして5歳の弟が津波の犠牲になった。がれきの中から見つかったのは、弟が好きだった青い鯉のぼり。家族の象徴であり、天に昇って竜となる伝説もある鯉のぼりだ。
彼は、その泥だらけの鯉のぼりを近くの川で洗った。やがて、次々と出てきた鯉のぼりを、母や祖父母たちへの思いも込めて、家の在ったあたりに空高く揚げた。
さらに、その年の55日には、全国から200尾以上の青い鯉のぼりが集められ、震災で亡くなった子どもたちのため、青空に掲げられた。
その年だけに終わらせずに、毎年311日から55日まで、青い鯉のぼりを泳がせよう。犠牲になった子どもたちの鎮魂のためにも、復興のシンボルとしても、続けていこう……。
それがこのプロジェクトである。

泣き虫の私は、二人の男の子を持つ母親として、涙が止まらない。
今すぐには無理でも、来年こそは、この鯉のぼりの下に立ちたい。
その願いが、私を被災地に向かわせるきっかけとなった。

願い叶って、今年のゴールデンウィーク、娘と二人、ついに東松島を訪ねることができた。5月3日、大曲浜の空に泳ぐ青い鯉のぼりたちを仰ぐことができたのである。

20130504 東松島市大曲浜の青い鯉のぼり


真っ青な空。強い海風。
津波に押し流されたたくさんの家々が在った場所。
近くにはまだ、家の中を波が暴れていったままの立派な住宅が1軒、撤去されず残っている。

残されたままの家


聞こえるのは、鯉たちが空に泳ぐ音だけ。
その向こうの空の高みから、子どもたちの走り回る歓声が、聞こえてくるような気がした。

去りがたかった。
翌日も、ここを訪れて、鯉のぼりを見上げて立ち尽くしていた。 

21030504 青い鯉のぼり

                        
                                 (続く)


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