愛車がアフリカを走る!の夢は、形を変えて……2013年12月11日

さて、愛車ジョニーの話の続きである。

塩尻さんはとても喜んでくれた。
さっそく受け入れ態勢を整えるべく、費用を調べて手続きを開始したいとのことだった。しかし、それから2週間たっても返事が来ない。
「アフリカ時間」で進んでいるんですよ、と仲介者に言われて納得。急がせてはいけないと思った。

その数日後、届いた返事は、哀しい現実だった。
ケニアには、8年規制というのがあって、8年以上たった車を持ち込むことは法律で禁止されているのだそうだ。ジョニーは製造から10年になる。
それでも塩尻さんは、隣国のタンザニアかウガンダでナンバー登録し、そこからケニアに持ち込むことはできないか、と考えた。ところが、それもまた月々の手数料がかかる。輸送費、税金、今後の諸費用などを合わせると、莫大な資金が必要になることがわかったという。アフリカは国によって様々な規制が多く、外国からの支援を難しくしていると聞く。
塩尻さんは、涙をのんで、私の申し出を断念せざるを得ないという結論に至ったのだった。

ジョニーがもう2歳若ければ、塩尻さんのところに行けたかもしれないのに。
彼がアフリカを疾走する夢は、ついえた。
残念のひとことだった。

ジョニーの運転席


しかし、神様の仕掛けは、ここで終わらなかった。
「じつはタイミングよく、もう一人、車を探している人がいるんですよ」

そう言ってくれた仲介者の男性を、ここで紹介しておきたい。
彼、師岡さんと知り合ったのは、昨年、銀座で行われていた東北復興支援の東松島物産展で。チーム東松島の中心となって活躍していて、ボランティアに初めて足を運んだ私にも、わかりやすく復興支援の心構えを話してくれた。

彼は、震災の復興支援だけでなく、それ以前からボランティアの意識が高く、
human note というゴスペルシンガーズのメンバーとしても活動している。歌を通して社会活動を繰り広げ、アフリカ支援にも出向いて、ケニアで塩尻さんと知り合ったのだった。

サラリーマンであり、家庭を持ち、男の子の父親として保護者会にも参加する。みずから「サラリーマン社会活動家」の肩書を名乗っている。
人呼んでスーパー・サラリーマン・モロさん。
ピュアで人間愛に満ちた精神の持ち主、甘いマスクと穏やかな口調の癒し系……と言ったらほめすぎだろうか。

モロさんが見つけてくれた、もうひとつのジョニーの身の振り方。それは東北の被災地で活躍することだった。
そして、ジョニーを譲り受けたいというもう一人の人物というのは、岩手県陸前高田を拠点に支援活動を続ける、私の知っている女性だったのである。以前にも、チャリティバザーの物品を運んだり、養護施設の子どもたちの送り迎えをしたりして、ジョニーがお手伝いさせてもらったことがあるのだ。

またしても、偶然が微笑んだ。

今度こそ、話はとんとん拍子で進み、ジョニーは彼女のもとにもらわれることになった。別れの日、ガソリンスタンドできれいに掃除をし、ガソリンを満タンにして、都内の彼女の家に運転していった。

ガソリンスタンドのおにいさんたちが、丁寧に掃除をしてくれた。
ジョニーと私の最後のツーショット。


名義変更も済み、あさって13日、ボランティアのドライバーが運転して、いよいよ陸前高田へと旅立っていくという。

さよなら、ジョニー。10年間、ありがとう。
被災地の人々に寄り添って、第2の人生(車生?)を、元気に走り抜いて!

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かくして、わが家はニュー・オデッセイを買い入れました。
母の乗り降りは、少し楽になったようです。


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