「ちょんぼり」という言葉2024年03月14日


 コロナ禍以降、月に一度、エッセイ仲間数人で、Zoomを利用したオンライン合評会を続けています。

先日の会でのこと。私のエッセイは、老人ホームに入居した義母の様子をつづったもので、その中にこんな一文がありました。

……(義母は)一ヵ月の献立表を虫メガネでくまなくチェックしては、今日のは大したことはなかった、ちょんぼりだった、などと批評をする。……

すると、あるメンバーから、

「ちょんぼりって、なあに? ちょっぴりとは違うの?」

という疑問が投げかけられたのです。ほかのメンバーも、同じように「?」という顔をします。「しょんぼり、でもないの?」と言う声も。

私のほうこそ、びっくり! 私が日常的に使う言葉を、長いお付き合いのみんなが知らない、と言うのですから。

「お義母さんはどちらのご出身?」

夫の家族も、私の両親も、戦前から東京で暮らしてきました。どこかの方言とも思えません。

逆に、合評のメンバーも、ほぼ同じような言語環境のはずですが……。

 

夫に尋ねたところ、

「ああ、お父さんは鎌倉の出身だったから、神奈川県の方言かなぁ」

そう言えば、私の両親は転勤族で、茅ケ崎と横浜に移り住み、50年近く神奈川県民でした。

どうやら夫の説が正解かもしれません。

 

ちなみに、広辞苑では、「ちょんぼり」は「『ちょんびり』に同じ」とあり、「ちょんびり」を引くと「少しばかり。ちょっぴり」とある。

でも、微妙に違う気がします。

つまり、合評でコメントされたように、「少ししかなくて、しょんぼりするような気分」を含んでいる。ちょっぴりで、しょんぼり、というわけです。

だからこそ、食べ物に使うことが多いようです。

「お釜にはご飯がちょんぼりしか残っていない」

「箱ばかり立派で、中のお菓子はちょんぼり」という具合に。

贈り物、お祝い金などにも、謙遜の気持ち、申し訳ない気持ちを込めて、

「ちょんぼりだけど、もらってね」のように使える気がします。

 

さてさて、これをお読みくださった皆さん、「ちょんぼり」を知っていましたか。

使っているならば、あなたも神奈川県民でしょうか??

 

 今日は、ホワイトデー。画像はfreepikからお借りしました。


〈生もの〉エッセイ 「ウクライナの悲劇」2022年04月07日

 

新型コロナのパンデミックのように、日々刻々と変化していくものを題材にエッセイを書くことを、エッセイ仲間では「生もの」を書くという言い方をします。

ある程度、状況が落ち着いたら、また見方も変わってくるかもしれませんが、今しか書けないこと、現在の状況を記しておくことも、必要ではないかと思うのです。

このエッセイもその一つ。報道を知るにつけ、胸の内に膨らむ思いを吐き出さずにはいられません。43日の時点で、ひとまず書いてみました。



     ウクライナの悲劇

                        

2022224日、ロシアによるウクライナ侵攻が始まって以来、日本のテレビ報道は、この戦い一色になってしまった。それ以前は新型コロナとの闘いだったはずだが、まん延防止措置に緊張感はなく、日本社会にはウィズコロナが穏やかに浸透しつつある。そんな今、現実とは思えない砲撃の様子や、逃げ惑う人々の姿が、報道番組のトップになり、スタジオには医学博士と入れ替わって、軍事や国際関係の専門家が居並ぶ。

 

ウクライナ情勢を知れば知るほど、憤りとともに救いのない絶望的な思いにとらわれる。21世紀の世界に、隣国がでっち上げの理由をかざして攻め入るような暴挙が起きるとは。プーチン大統領がそこまで倫理観を持たない人間だったとは。それを世界の誰にも止めることができないとは……。

 

短期的な戦争だという大方の予想に反して、すでにひと月がたち、事態は泥沼化している。ウクライナも士気高く反撃し、その間にも犠牲者は増えているというのに、ロシアに対抗する西側諸国はウクライナを支持して武器を送り込む。経済制裁がどこまで効果を上げているのだろう。親ロシア派の中国やインドは、ロシアとの友好関係を保つために、制裁にも仲裁にも消極的だ。

 

さらに、現代の戦争は情報戦でもあると言われる。プーチン大統領は化学兵器や核兵器の使用までほのめかす一方で、情報を制御してロシア国民には偽の情報を信じ込ませ、みずからの支持率を上げていく。

西側の大国アメリカの大統領も、負けじとロシアの劣勢を報じる。プーチンが誤情報を受けているとまで伝えるのだが、それもまた情報戦の一端ではないのか。嘘が飛び交う混とんとした報道のなか、いったい何を信用したらいいのだろうか。

 

焼け落ちて障子の桟のようになった団地が続くマリウポリの惨状。凍った地面を掘り起こして遺体を埋める男たち。暖房のない地下室で病気の子どもを抱きしめる母親の涙……。それらの映像に嘘はないはずだ。戦争の理由が何であれ、犠牲になる人々は、かけがえのない人生をすべて壊されてしまうのだ。

ある映像では、爆撃を受けた室内で、逃げる間際の若い女性が、残されていたピアノのほこりを払い、ショパンを弾く。哀しすぎる最後の調べが、荒れ果てた部屋に流れていた。

 

今回のウクライナ情勢は、彼らの悲劇が日本でも現実に起こりうることを示唆している。他人事ではないのだ。

その事実に、恐怖を抱かずにはいられない。




エッセイの書き方のコツ(35):「近ごろ気になる言葉」2021年06月08日


近ごろ耳にするけれど、どうも気になる言葉や言い回しなど、ありませんか。

今、各地の教室で、このテーマで書いてもらっています。

 

私が気になるのは、今まで「人の流れ」と言っていたところに使われる「人流(じんりゅう)」という言葉。耳障りで好きになれません。

新聞の見出しなどでは、字数が少ないほうが便利なのはわかりますが、早口でしゃべる必要のない記者会見で、東京都知事の小池さんが最初に言い出したように思います。「人流が減らない。人流を抑えたい」などという具合に。

なんとなく、粉塵の塵、つまり塵芥(ちりあくた)のチリを思い浮かべます。

人の流れをチリの集まりとは、いかがなものか。国民ひとりひとりの行動の集合体を、そんなふうに表現されて、あまり気持ちの良いものではありません。

そのうちに新語登録されて辞書に載るようになっても、私は使わないでしょう。

 

「まん延防止等重点措置」という言葉は、はじめのうちは「まん防」と略されるようになり、すぐに世間のひんしゅくを買いました。魚のマンボウみたいで間が抜けているとか、「ウー、マンボー!」と言いたくなるなど批判を浴び、きちんと「まん延防止」と使うようになりましたね。

 

ところで、「コロナ禍」という言葉、エッセイを書くときはもちろん、日々のメールでも、使わない日はないように感じます。

これを「コロナ」と書くか、「コロナ」と書くか。

エッセイ仲間の泰子さんは、そこが気になって、自身のホームページ「エッセイ工房」に、考察する記事を書きました。なかなか興味深く、参考にもなりますので、ぜひお読みください。

(彼女は201912月にエッセイ集を出版。その折に、私もブログ記事で紹介しています)

 

私はほとんど「コロナ禍」を使います。いくら「コロナ下」と書いても、そこに、わざわいがもたらすマイナス面の印象は拭えないと思えるからです。

そして、「エッセイ工房」の記事を引用すると、

「ウィキペディアの〈コロナ禍〉の解説によれば、新聞報道においては20204月に全国紙に登場したそうです」とのこと。

私自身はもっと早くから使っていたような気がして、自分のブログを調べてみました。

……ありました、419日の記事の最後のほうに。

朝日新聞の天声人語に登場したのが、420日だそうですから、私はそれよりもひと足(一日)早く使っていたのです。いつもぐずぐずしているうちに出遅れる私ですが、こればかりはちょっと自慢したい気分になりました。

ちょうど、パンデミック小説ばかり読んでいた時期だったので、「○○禍」という言葉に馴染んでいたのでしょう。

やはり、読書は語彙を増やすにはもってこい、なのかもしれませんね。そこもぜひご参考に!



 

自閉症児の母として(67):洗剤の香りに2020年11月29日


長男がグループホームに移ったのは、昨年の33日。丸一年目の今年の「自立記念日」には、息子の変化について書きたいと思っていたのに、ほかならぬコロナ禍の変化に押し流されて、書きそびれたままになってしまった。

今でも気にはなっているのである。

 

そんなおり、925日の朝日新聞「天声人語」は胸に刺さった。

詩人23人が輪番でつづるサイト「空気の日記」が紹介されていた。

「コロナで世の中の変化がすさまじい。僕ら詩人の感性で日々を克明に書きとどめる実験です」

というのは、発案者の松田朋春さんの弁。
さらに、いくつもの引用では、「緊急事態」や「不要不急」という言葉に戸惑ったり、カタカナ言葉や横文字の羅列を「犬みたいだ」と揶揄したり……と、詩人たちの思いや感覚がみずみずしい。

 

この記事を読んで、数日前の小さな出来事が頭に浮かんだ。

息子は、毎週土曜日に帰宅して1泊していく。その時に、職場で着た作業着を私が洗濯する。ほかの衣類は週2回自分で洗っているのだが、作業着だけは週末に持ち帰って月曜に間に合うように、自宅で洗わなくてはならない。

その日、背負ってきたリュックの中から、作業着を取り出すと、見知らぬ香りが立ち昇った。

そういえば、ホームのお世話人さんから、「今までの液体式ではなくボール状の洗剤を使ってもらうことにしました」という報告を受けていた。その新しい香りだ。

次の瞬間、思いがけず、寂しさが込み上げた。わが家とは違う匂いの衣類を身につけて、もう息子はよその人だ、家族ではない、と感じたのだ。

そのことを書いておかなくては、と思った。

 

あの日から2か月もたったけれど、やっと書けた。あの瞬間を書き残せた。

今ではその香りをかいでも、なんとも思わない。作業着を持ったまま固まってしまうほどの寂しさは、どこに消えたのだろう。

 

天声人語の文章は、白井明大さんの次の一節で結ばれていた。

 

〈わざわざ書くまでもないような ささいなことを ううん わざわざ書いておかないと あとあと喉元過ぎて忘れてしまうだろうから〉。

 

 





エッセイの書き方のコツ(34):「プレバト‼」から学んで2020年08月23日


「プレバト!!」という番組をご存じでしょうか。

俳句、水彩画、生け花などなど、タレントたちが意外な才能を発揮して創り上げる作品を、著名な講師が査定をして、順位をつけるというものです。

「俳句がおもしろいのよ」と、友人に勧められて、ようやく見るようになったのは、昨年3月に長男がグループホームに入居してからのこと。彼はテレビ番組へのこだわりが強く、家族が見たい番組を自由に見ることができなかったのです。

 

番組の俳句の師匠は、和服の着こなしも板についた夏井いつき先生。梅沢冨美男氏をオッチャン呼ばわりして毒舌を吐く先生だけれど、俳句のほめ方けなし方には温かみがあり、評も解説もじつに的確で、ほれぼれします。いっぺんにファンになりました。

 

昨年の夏の番組で、作者の男性が誰だったかは忘れましたが、こんな句が出ました。お題は、屋外の水飲み場の蛇口の写真で一句。

 

  1000本ノック浴びし日のレモン水

 

高校生の時に野球部員だった作者が、夏休みの練習を思い出して詠んだとか。しごかれた後に飲んだレモン水がおいしかった。作者は青春を振り返ります。

 

それを夏井先生は、こう直しました。

 

  1000本ノック浴びし日のありレモン水

 

どう変わったかおわかりでしょうか。

高校時代のレモン水が、2文字増やしただけで、現在の手元のレモン水となりました。作者は今、それを味わいながら、そういえば高校生の頃……と、青春を振り返っているのです。


「レモン水」は夏の季語です。

先生は、「季語の鮮度を保つのも大事」と言われました。

つまり、昔の思い出だけをまとめたら、季語のレモン水はセピア色。でも、手元にあるレモン水は冷たくて酸っぱい。生唾ゴックンとなりそうなほど、フレッシュな季語となって光っている。

そこから思い出が手繰り寄せられて、時間的にも奥行きが出る句となるのですね。

 

エッセイも同じだと思いました。

例えば、子どもの頃の雷の思い出をつづったエッセイ。「蚊帳の真ん中に寝れば大丈夫だからと言われた」。今ごろになって、なぜこれを書くのか、その動機が知りたくなってきます。

「今日は午後から雷が鳴りだして、……」のような現在の視点から書いてあると、今の作者の不安感や恐怖感が、子どもの頃の思い出をよみがえらせたのだ、と納得がいきます。

 

このようなエッセイの定型として、まず、現在のことを書いて、過去にさかのぼって思い出をつづり、また現在に戻って終わる、というものがあります。この構成を、私たち仲間内では「サンドイッチ型」と呼んでいます。サンドイッチのように、過去を現在で挟むわけです。

時間の流れがわかりやすいように、時制が替わる部分に一行空けを使うといいですね。

現在(一行空け)過去(一行空け)現在

 

たった17文字の俳句と、600字でも2000字でも字数の調節可能なエッセイとは、まったく別の文芸だと思われがちですが、日本語を用いて、日本人の普遍的な感動を表現するという点では、同じではないでしょうか。

夏井先生の切れ味の良い講評を聴きながら、エッセイとの共通点を発見しては、そんな思いを強くしています。


▲私も勉強しています。

 


若かりし頃のエッセイ「エッセイ教室初日」2020年07月06日

 



(スマホの方は、こちらでお読みください)

 

エッセイ教室に新しく生徒さんを迎えると、多くの方がこのテーマでエッセイを書かれます。初めての場での新鮮な驚きや不安、あるいはワクワクした思いがあることでしょう。初心忘れるべからず、ですね。

 

今はエッセイ教室の講師を務めていますが、そんな私にも、生徒としてのはじめの一歩がありました。

 

 

   ・・・ エッセイ教室初日 ・・・

 

とんでもないことを始めてしまった、と思い始めていました。「エッセイの書き方」という教室で、Jさんの原稿のコピーが配られ、朗読が終わって間もなくのことです。 

その日、初めてこの教室に足を運んだ私は、門外漢のような顔をしてそこに座っておりました。なんでも、毎回この教室生のエッセイの中から一つ選んでみんなで合評するのだそうです。

 Jさん自らの朗読を聞いて、私はのんきにも、「あら、お上手。私もこのぐらい書けるようになるのかしら」などと感慨にふけっていました。が、それもつかの間、講師の先生の「ご意見をどうぞ」の一言を合図に、Jさんのエッセイに対する鋭い批評が教室のあちこちから一斉に飛び出したのです。あらお上手どころではありませんでした。他人の欠点はよく目につくというもの。次から次へと手厳しい批評が並べ立てられ、しかもご本人には弁明の機会は与えられないようで、それはもう〈さらしもの〉にほかなりませんでした。

新顔の私は、これはすごいことが始まったとあっけにとられていましたが、やがてその熱い雰囲気にのまれ、新顔の恥じらいも忘れ、よせばいいのに御大層に名乗りを上げて意見を述べてしまっていたのです。

次の瞬間、しまった! と心の中で叫びました。考えてもごらんなさい。哀れなJさんの姿は、明日のわが身ではありませんか。いずれ私にも〈さらしもの〉の番が回ってくるはずです。どうしてもっと早くそのことに気づかなかったのでしょう。

時すでに遅し。名乗りを上げてしまったからには、Jさんだけでなくみんなが私の名前を記憶に留めておき、生意気なこの新顔のエッセイにも鋭い批評で切り込んでくるに違いありません。

なんと恐ろしいこと。その日の私が身に見えるようです。私のエッセイは酷評のつぶてを受け、私の自尊心もプライドもいたく傷つけられてしまうことでしょう。

そうとわかってからは、もう生きた心地はしませんでした。現実のJさんが〈さらしもの〉になる日の自分にすり替わり、意見が出されるたびに震え上がりました。「とんでもないことを始めてしまった」という後悔とともに、ここにいる自分を恨めしく思いながら。

 

ではなぜ、この教室に通う気など起こしたのでしょうか。

今までの私は、エッセイはおろか、自分から進んでものを書くということはめったにありませんでした。どうしても書かなければならない場合は、苦しみながらもなんとか文字を連ねてまとめ上げていましたが。

書く機会を与えられなければ、私はめったに物事を深く考えることのない、文字どおり浅はかな人間です。感性だけが物事の表面を滑っていき、それで満足してしまいます。

これではいけない。真剣に書くことを始めよう、もっと考えるために。そう思うようになったのです。

もっとも、決してそのような自己修練的な理由だけではありません。私を行動へと駆り立てたのは、エッセイストたちへの憧れであり、隠れた文才を信じる自惚れであり、いずれ本の一冊でも、という甘い夢であったのです。

それだけで十分。いまさら何を臆することがありましょう。

 

「それではJさん、反論をどうぞ」

 講師の言葉に、やっと胸をなでおろしました。Jさんにも弁明の機会が与えられたのですから。Jさんが〈さらしもの〉だと思い込んだ私のほうが、よほどどうかしていたのです。

 もっと冷静になるべきでした。この教室に足を踏み入れた時から、自分でも気づかない意気込みと興奮状態の中にあったようです。

 そして、Jさんの何気ない言葉に、目からうろこの落ちる思いがしました。

「よくわかりません。自分では見えないんです」

 自分が書きたいことを書き、他人に読んでもらうのがエッセイだとしたら、自分の目ではなく他人の客観的な目こそが、エッセイを評価しうる立場にあるわけです。それを恐れていたら、この教室に通う意味はありません。

〈さらしもの〉にでも何でもならなければと覚悟を決めて帰宅し、さっそくペンをとりました。が、またもや「とんでもないことを始めてしまった」と思いました。書けないのです。心身ともに固くなり、ペンが進んでくれません。

どうやら私の興奮状態は当分続きそうな気配です。この肩の力が抜けた時、初めてエッセイストに近づけるのかもしれません。

 

・・・・・・・・・・・・

                               

今読み返すと、なんとまあくどい文章かとあきれます。

2000字以内という規定を300字も超えていたので、今回その分だけは削って載せましたが、それでもまだ4分の1ほどは省きたい。

さらに、これを教室に提出したのだから、私も若かったものです。

28歳当時の、気負いたっぷり、自信もそこそこ……そんな自分が見え隠れして、赤面ものですが、あえてこのままお披露目することにしました。

皆さんだったら、どんなご批評をくださるでしょうか。

ちなみに、当時はどんな批評を受けたのかほとんど覚えていないのですが、ただ一つ、「何が感性だか知りませんが……」と言われた先輩のきついお言葉だけが今でも脳裏に残っています。

それにもめげず、やめようとは思わなかったところを見ると、やはり温かい愛のムチだったのでしょう。

 

 



若かりし頃のエッセイ「雨」2020年06月30日

 

いつかデータ化して保存しようと、本棚の隅に眠らせている原稿用紙の束。エッセイを習い始めた頃の作品群です。B5サイズで1200字の原稿用紙にペン書き。1編ごとに留めたクリップもさびている。

今でいうアラサーの頃、DINKSdouble income no kids)と呼ばれていた当時、私はどんなエッセイを書いていたのかと、ちょっと読み返してみました。


先日のこと、今は一人暮らしをしている生徒さんが、

「家族の風景が書けない私は、何を書けばいいのだろうかと、思案中です」

とつぶやきました。何かアドバイスが見つかれば、と思ったのですが、さてさて……。

 

皆さんにも何編かご紹介します。

今日は、午後から雨模様。このエッセイを選びました。

 

 

   ・・・ 雨 ・・・

 

掛け布団にしがみついたまま、ようやく半身を起こすと、雨が聞こえた。毛布をなでるような優しい雨の音が、カーテンを引いたほの暗い部屋の空気に染みている。時折、車が路上の雨を轢いて遠ざかる。その響きが眠りを引きずった頭に快い。

窓を開けてみる。外気が首筋に触れて、ひんやりと冷たい。ここは地上4階。ベランダの手すりの向こう、雨は空と同じ色で降りてくる。けれど、地上に降り立った雨は暗い色。鈍い光にだけ空を載せている。屋根瓦も、木の枝も、電柱も、遠いビルも、重たげに雨をまとって動かない。

 

昨日から降り出した雨だった。いつもなら4階の住人には来訪を告げもせず、雨はいつの間にか下界を濡らし始めているのだが、昨日は違った。夕暮れ時、机に向かっていると、にぎやかな音を立てて、雨がやって来た。

窓を開けたとたん、思わず息をつまらせるほどに、雨が匂った。

雨は、ベランダからの眺めに、無数の直線を引いていた。そして、桜の花房を揺らし、若葉をたたき、屋根をすべり、乾いた土に飛び降りる。

突然の雨の訪問に、下界は慌てて雨をまとう支度にとりかかる。花も葉も瓦も土も、雨の触れるすべてのものが、ふうっと息を吐くように、匂いを放って雨に差し出すのである。降り出した雨の隙間を万物の匂いが満たしていく。

つかの間の雨と下界とのやりとり。ベランダの私は、それを見守る立会人。

雨が匂った、と思った。が、本当はそうではない。雨は匂いを運ぶだけである。むせ返るほどの匂いも、夜更けにはすっかり消えていた。雨は一体どこへ運び去ったのだろう。

 

ラッシュアワーを過ぎた電車に乗る。床に踏みにじられて汚れた雨が横たわっている。窓ガラスは灰色に曇り、外は見えない。閉ざされた車内でおしだまる乗客は、コンテナに積まれた貨物のように運ばれていく。

隣に和服姿の老婦人が腰かけた。立ち昇る着物の匂い。渋い茶色のイメージ。子どもの頃住んでいた家の匂い、それとも祖母のタンスを開けた時の匂い……。

甘酸っぱく切ない香りが鼻をつく。今立ち上がった男性の整髪料。いつか、誰かがつけていた……。

私の前に立った女性が、ガサゴソと紙袋を網棚に載せる。また何かが匂った。ナフタリンのような、シナモンのような……。知っているはずの匂い。何だろう。でも思い出せない。

雨は匂いを運び、匂いは遠い記憶を連れてくる。雨の日、私は振り返るばかりで、前に進めない。私もまた、雨をまとってうずくまる。




当時、エッセイ教室の課題として提出すると、こんな講評が書かれました。

「作者は詩を書いているのだな。それ以上には何のコメントも付けられない作品だ」

確かにそうだったかもしれません。

その日の気分や感覚を、言葉で表現することがおもしろくて、書いていたような気がします。読み手を意識するなんて二の次だった、と今の私は反省しきり。

でも、エッセイを書くことが楽しい、と思えるのも大事なこと。だからこそ、今日まで書き続けているのでしょう。


 

 



エッセイの書き方のコツ(33):こんな時こそエッセイを書こう!2020年04月08日


新型コロナウィルスの感染防止のため、ついに緊急事態宣言が発出されました。

私自身は、2月の末頃からすでに自粛の日々が始まり、今月のスケジュールは限りなく真っ白です。昨日は、長男の主治医のクリニックに出向きましたが、電車に乗ったのは1か月ぶりでした。

 

在宅時間が増えたので、気になっていた押し入れの整理を始めました。

奥のほうに入っているのは、子どもたちの小さい頃からの作品や、学校の文集など。忘れていたものばかりで、ついつい見入ってしまいます。本人たちに聞けば、口をそろえて「いらない」というのだけれど、どうしても捨てられない。文集は、本人のページだけ切り取ってファイルに収める。同じ頃の同じような絵は、一枚を代表に選んで、落選作は処分。こうやって分量を減らして、また押し入れへ。

 

さらに奥から出てきた段ボール箱には、マジックで「タイムカプセル」と書いてありました。開けてみると、独身時代の日記や、写真、手紙の類が詰まっています。結婚してからこれまで、引っ越しは5回。どの引越しでこしらえたのか、ずっと運び続けてきた箱のようです。

手紙の束の中には、私が旅先から家族に宛てて出した手紙がたくさんありました。母がとっておいてくれて、帰宅すると返してくれたものです。

今、母は介護施設で暮らしていますが、2月末から面会禁止になっています。

母の部屋からは、ホームの前の桜並木を、居ながらにして眺めることができるのです。昨年までは車いすで外に出てお花見をしたのに、今年はそれもできません。

そこで思い立って、桜模様の便せんと封筒で、母に手紙を書くことにしました。

 

 

――と、ここまで書いて約800字。原稿用紙2枚は埋まってしまう。まだまだ、タイムカプセルからは懐かしい雑誌やレコードなどが出てきて、詳しく書きたいこと、忘れられない思い出もわいてきます。

それぞれ焦点を定めてエッセイにすれば、少なくとも、56編にはなりそうです。

 

外出できなくて退屈だとか、気が滅入るとか言っている暇はありません。


 ☆ピンチはチャンス!


こんな時こそ、エッセイが書ける! 書きましょう、エッセイを。


 

エッセイ教室の皆さま、お会いできないのは寂しいですが、今は自粛の時。

元どおりの生活が戻ってきたら、この時期のことをテーマにして、皆さんで合評したいですね。

それまで、くれぐれもお気をつけて、お過ごしください。



 


おススメのエッセイ集:『あの日のスケッチ』松本泰子著2019年12月19日

 


古くからのエッセイ仲間でもある友人の泰子さんが、満を持して、エッセイ集を編みました。

 



落ち着いたサーモンピングの表紙を埋め尽くすように散りばめられたイラストは、すべて彼女の次男くんの描いたもの。素敵でしょう!



表紙だけではなく、ページのあちらこちらに、そのエッセイにふさわしいカットが飾られています。オリジナルのしおりまで作って挟みました。

  

ところで、泰子さんとは、20163月にふたりでパリ旅行をしているのです。

その時のエッセイ「女友達との旅」も載せてくれました。そして、そのエッセイには、白ワインのグラスの挿絵が添えてあるではありませんか。

思わず、にんまり……!

あの日の思い出が、シャブリの香りとともに、懐かしくよみがえりました。

どうもありがとう、泰子ちゃん。


 

あの旅のことを、私はほとんど書き残せなかったのです。帰国したその夜に、母ががんに侵されていることを告げられ、それからは超多忙な日々で、エッセイを書く余裕はありませんでした。

でも、今からでも、あの充実したパリの旅を書いておきたい。泰子さんの本を読んで思いました。

私が、エッセイの中でどんな登場をしているのか、って? うふふ、それはぜひ、買って読んでみてくださいな。

 

そのエッセイに限らず、どのエッセイにも、彼女の感性が光り、味わいがあり、同世代としても共感でき、聡明な女性の文章が心地よく胸に落ちるのです。

アマゾンでお求めになってお読みいただけたら、私もうれしいです。

 

また、彼女は、書き溜めたエッセイを本にまとめていく作業を、自分の「エッセイ工房」というサイトに詳しく書いています。エッセイに興味のある方、ご自分も本を出したいと思っている方、必見です。とても参考になりますよ。

こちらもおススメのサイトです。





「手元不如意」という言葉2019年08月24日



ご存じでしょうか、この言葉。

私が初めて知ったのは1年前、ある生徒さんの「詐欺にご注意」というエッセイの中に出てきたのです。

 

――高齢者を狙った振り込め詐欺が横行している。テレビニュースなどで、何百万もの額を取られたと聞くたびに、よくもまあそんな大金をお持ちで……と驚くばかり。わが家は高齢者の二人暮らしなのに、ちっとも電話がかかって来ない。きっと、お手元不如意が看過されているのだろう――

 

というものでした。

「不如意」なら知っています。思いのままにならないこと。

そして、「手元」とはつまり、お金のこと。手元のお金が思うようにならない、言い換えれば、懐が寂しいとか、持ち金が少ない、という意味だそうです。

わが家はお金持ちではなかったけれど、この言葉を両親から聞いたこともありませんでした。やはり、60代以下の世代ではあまり使われていないようです。

 

気をつけていたところ、80歳に近い女性がこう言うのを聞きました。

「手元不如意につき、受講をやめさせていただきます」

「お金がないので」などとあからさまに言わず、奥ゆかしさを感じました。

 

三浦しをんさんの小説『あの家に暮らす四人の女』の中にもありました。

 

――私は手もと不如意でカメラを持っておらず、悔しい思いをしました。――

 

離婚した父親が、わが子見たさにこっそり運動会を覗いた時のことを回想する。とはいえ、その後この父親は死んでしまい、現在はカラスとなってこの世に現れ、長々と独白するというユーモラスな内容です。そんな小説にはぴたりとくる雰囲気です。

 

若い人の間ではすでに知られていなくとも、何かの拍子にブレイクしそうな言葉だとは思いませんか。

2年ほど前に、「生まれる言葉、消える言葉」と題して、ブログ記事を書きました。その時に取り上げた「ほぼほぼ」は、ほぼほぼ定着した感があります。

この「手元不如意」も、「よみがえる言葉」となったら楽しいかもしれませんね。

 



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