ダイアリーエッセイ:自粛の日々が明けて2020年06月17日


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 東京アラートも消え、新しい生活様式で経済を回そうという時期に入った。

 昨日、3ヵ月ぶりに、電車に乗って買い物に出かけた。友人へのプレゼントの品を探して、大型ショッピングセンターに足を踏み入れる。平日の昼間とはいえ、客足はまだ半分程度。どの店頭にも消毒液が置いてあって、店を替えるたびに利用する。

美しく並んだ商品、それらを照らし出すきらびやかな照明。還暦祝いの赤い色を求めて歩いていると、心が弾んでくる。

小ぶりの花柄のバッグを手に取り、赤かピンクかと迷っていると、若い店員が精いっぱいの笑顔で寄ってきた。彼女も久しぶりの出勤を喜んでいるにちがいない。

「作家ものの手作りなんですよ」 

「どの柄も素敵ね」

売るほうも買うほうもマスク越しだけれど、ショッピングの楽しさを分かち合う。

その後、地下売り場の一角にあるお目当てのケーキ屋さんのコーヒーショップへ。このショッピングセンターに来ると、よくここで一息入れたものだ。やっとお預けだった楽しみが返ってきたのだ。

店内をのぞくと、明らかにテーブルの数が減っている。スタッフの数も少ない。入ろうとすると、止められた。

「手を消毒なさって、こちらにかけてお待ちください」

 マスクの上にフェイスシールドをつけ、青い手袋をはめたウェイトレスが、前の客の食器を片付け、丁寧にテーブルや椅子を消毒液で拭いてから、私を案内してくれた。

 香り高い熱いコーヒーと、さわやかな甘さのレモンタルト。ああ、おいしい……!

 透明のカーテン越しのレジで、レシートを受け取ると、思わず声をかけた。

「しばらくは大変でしょうけど、頑張ってくださいね。またいただきに来ますから」

「ありがとうございます。またぜひお越しくださいね」

泣きそうな笑顔が返ってきた。

 自粛の日々は明けた。感染を防ぎながらも、生の声をかけ合えることが何よりうれしいと思った。



▲客の出入りのたびに、てきぱきと消毒作業を繰り返すスタッフの人たち。

自閉症児の母として(63):今なすべきこと2020年03月14日

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新型コロナウィルスの感染防止対策で、テレワークや時差出勤が奨励されています。長男の職場も、930分の開始時刻が30分遅くなりました。

 

今お世話になっているグループホームからは、「この時期も福祉施設としてのサービスに努める」というお知らせがあり、ほっとしていたのですが、数日後には、

「電車通勤はリスクが高いから、しばらく会社には行かずに、同じ系列の生活介護の施設に通ってもらえないだろうか」という連絡が来ました。

 

息子は片道15分ほど電車に乗ります。とはいえ、手洗い、マスク着用など、普段から徹底しているし、体も丈夫で基礎疾患などもない。その点では一般的な社会人とほぼ変わりません。

グループホームの側からしてみれば、一人でも感染者が出れば、スタッフも利用者も全員が濃厚接触者となり、大変なことになるのは目に見えている。最善の策を取りたい気持ちもよくわかります。

その申し出に即答はできませんでした。

 

息子は世の中のニュースにとても関心を持っています。自閉症の彼にとって、この世界は混沌としている。だからこそ彼を取り巻く世界を、彼なりに理解し、把握していくことが、心の平穏を保つことにつながります。

ところが、現在の彼を取り巻く世界といったら、エレクトーンのレッスンもしばらく休止。大好きなJリーグも開催延期。大相撲も無観客で行われる。オリンピックさえも危うい。そして何より新型コロナウィルスはまだまだ感染の予測が難しい……。経験したことのない現在の状況のなかで、彼なりにやむを得ない事情を理解し、緊張しながらも耐えているのです。


そんななかで、大きな支えとなっているのは、日常のルーティンを続けること。グループホームで自立した生活を送り、時間は少しずれてもいつもどおりに出勤し、プライドを持って仕事を続けていくことだろうと思うのです。それなのに、未知の施設に通うとなると、それこそ彼の支えはなくなり、精神的な安定も崩れてしまうのではないだろうか。そう思えました。

 

一日考えて出した答えは、息子には今までどおり通勤を続けさせようということでした。そのため、電車通勤が心配ならば、その時間を少しでも短くして、リスクを減らすことに協力する。というわけで、その日34日の終業時から、息子を職場の近くでピックアップして、グループホームまでアッシー君を務めることにしたのです。朝の出勤時だけは協力が難しいので電車を使わせてもらう。それでも、週末の帰宅も合わせれば、電車の利用は半分以下になります。

苦渋の決断でしたが、グループホームには快く受け入れてもらうことができました。

 

もともと車大好きな息子は、新たなルーティンが気に入ったようで、車での移動には問題なし。

職場の昼休みにかならず電話をかけてきて、「いつもの駐車場で待ってるからね」という母の言葉を確認して安心するようです。

車内ではまず用意したおやつを食べ、それからくつろいだ様子でゲームを始めます。

私にとって、毎日夕方2時間近い時間を取られるのは、けっしてお安い御用とはいかないけれど、息子同様もともと車が大好き。西に向かうフロントグラスには、西日がまぶしかったり、たなびく雲がダイナミックだったりと、早春の空に意外な発見があって楽しめます。コーヒー片手にサザンを聴きながら、ストレス発散のためのドライブだと思うことにしました。

 

もっとも、毎日こんなことができるのも、私のエッセイ教室や趣味の集まりがすべて中止になったからです。

小中高の学校が休みになって、仕事を持つ保護者の皆さんはさぞやお困りのことでしょう。想像に難くありません。

私もいつまでアッシー君を続けるのか、そろそろ予定を決めていかなければ。予測不能の出来事が苦手な息子のためにも。

 

今日も、みぞれが降りしきる中、昨日からわが家に泊まっていた息子をホームまで送ってきました。

 


 


切ないひな祭り2020年03月07日


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1ヵ月のご無沙汰でした。

ご多分にもれず、私も新型コロナウィルスの拡大防止のため、たくさんの予定が、中止や変更になっています。

ところが、タイミングがいいことに、ちょうど2月の下旬から、家中の模様替えを始めたところで、出かける予定がつぶれるたびに、手を付ける箇所が広がっていくのです。連日朝から軍手をはめて、古い家具を処分したり、クロゼットの棚を片づけたり、さらには大型4Kテレビや新しい家具を買い入れたり……と、断捨離と大掃除にどっぷり浸かってしまいました。いまだに終わりそうにありません。

 

先日、都内に暮らす娘に、「たまには帰れないの?」と電話をしました。

「私たち若い人は発症しないだけで、もうウィルス持ってるよ。みんなそう思ってる。家に帰ったりしたら、うつしちゃうから、帰らないほうがいいでしょ」

なんだか悲痛な叫びに聞こえて、こちらも切なくなりました。

学校は一斉に休みになっても、企業戦士たちは感染リスクが高い満員電車で出社して、働き続けなくてはならない。テレワークや時差出勤を推奨されたって、そうはいかない職種もある。職場では社員同士でそういう話をしているらしい。

わが身の危険も顧みず、身を粉にして働いていた横浜港のクルーズ船の職員たちのようだわ、と思いました。

 

遅ればせながら、桃の節句の翌日、雛人形をクロゼットの奥からようやく運び出し、2年ぶりに飾りました。帰らない娘の無事を祈りながら。





 



帰国の翌日から2019年10月25日

 

103日の夜に成田から飛び立って、58日。クロアチアの旅を終えて、10日の夜、無事に帰国しました。

 

ところが、帰る前から「史上最強の台風が関東に接近している」という恐ろしい情報が入っており、半信半疑でしたが、予報どおりの現実となりました。

帰国翌日には、スーツケースの荷解きと並行して、夫と次男と3人で台風対策におおわらわ。買い出しに行く人、ガラス窓に段ボールを貼り付ける人、懐中電灯の明かりを確認する人、カセットコンロをチェックする人、ベランダの竿を外す人、それを室内で受け取る人……。

いつもは週末の朝に帰宅する長男も、金曜の仕事が終わったら帰宅させました。

 

翌12日、夕方になると、雨も風も激しくなってきて、不安と緊張が高まります。わが家は高台にあるので、水の心配はなさそう。怖いのは風。生垣に囲まれた1階とはいえ、何が飛んできてガラスを割ってしまうかわかりません。

家族4人一緒だし、備えも万全、きっと大丈夫……と思いながら、夕食をとっていると、ぐらりと揺れるではありませんか。

「おいおい台風と地震のコラボか。冗談じゃないぜ」と息子たち。

NHKテレビの画面は、台風情報と地震情報、青い額縁が二重になっていました。


 

食事もさっさと片付けて、鍋という鍋に水を入れました。浴槽もきれいに洗って水を張りました。わが家はオール電化なので、いったん停電すると、水道もトイレもガスも使えません。

9時を過ぎたころ、ふっと明かりが消えました。停電です。さっそく準備しておいた懐中電灯やスマホの照明が役に立ちます。でも、23分であっけなく復旧しました。……と思いきや、また停電。また復旧。3回繰り返した後は、長い停電が続きます。

 

することがない、と夫はさっさと寝てしまいましたが、息子二人と私は、寝るにはまだ早い。次男が珍しく部屋からギターを持ってきて、ポロンポロンとつま弾きます。3人でたわいのない話をしながら、いつもとは違う暗闇の中で、まったりとした時間が流れていきました。

家中の明かりがぱっとついてテレビの音が響いたのは、寝入った明け方3時半ごろでした。風はぴたりと止んでいました。

 

翌朝からは、各地の被害状況が刻々と伝わってきて、台風19号の豪雨災害の恐ろしさを知ることとなるのです。

神奈川県と東京都の境界を流れる多摩川も例外ではありません。慣れ親しんでいる地域が浸水し、同じ区内でも犠牲者が出ました。ご冥福をお祈りします。

その方はわが家と同じ「マンションの1階に住む60代の男性」ということで、たくさんの方に「あなたのご主人では?」とご心配をいただきました。


 

今なお、災害の傷痕深く、行方不明の方もいて、胸が痛みます。今日もまた大雨。報道から目が離せません。

そのかたわら、にわかファンとして、ラグビー日本代表チームの快進撃に大興奮。被災者のためにがんばる。勝って元気をあげたい。そんな彼らに、私もテレビの前で声援を送り続けました。

また、22日の天皇陛下ご即位の儀式にも、そのお言葉にも、大変感慨深いものがありました。

この半月ほどは、日本人だれもが、次々と心をつかまれるような出来事が続く日々ではなかったでしょうか。

 

長い前置きになってしまいました。どうしても書いておきたかったのです。

では、次回から始めます。

旅のフォトエッセイCroatia2019

どうぞお楽しみに!



 

 

ダイアリーエッセイ:この日にあたり、ごあいさつ。2019年09月29日



今日は、929日。長男の33回目の誕生日です。

「軽い自閉症ですね」と、小児科医に診断を下された日から、30年が経ちました。なんとまあ、長い歳月だったことでしょう。涙あり、笑いあり、苦しみあり、喜びあり。あらゆる思いがぎゅうぎゅうに詰まった30年間でした。

 

そして、この春、自宅を離れて自立の第一歩を踏み出してから、7ヵ月。

毎晩、夕食後に電話があり、その日の食事のメニューや、サッカーJリーグの試合結果、大相撲の勝敗などを報告してくれます。

毎週土曜に帰宅し、翌日にはホームに戻ります。

生活は順調で、小さな問題はあっても、本人が自立して暮らしていることにプライドを持ち、満足している。それが何よりも大切なことなのではないでしょうか。

 

昨晩は、家族5人が集まって、近くのレストランで夕食をとりました。

33歳の抱負は?

「ホームでの生活をがんばります」 

 



介護施設にお世話になっている母も、健康状態は良好。穏やかに過ごしているので、ここらでほっと一息、ついてもいいかな、と思いました。

そんなわけで、10月上旬、1週間ほど旅行に出ます。

 

今回も3週間ぶりのブログ更新になってしまいました。

旅行の前後がとても忙しいのは毎度のこと。「何も今じゃなくてもいいのに……」と思うような用事が、向こうから手を振ってやってくる。それをクリアしていくことで、旅行の喜びも増すというものですね。(強がり?)

次回は帰国後に、楽しい写真をご覧いただければと思います。

行き先は、クロアチアです。


 



ダイアリーエッセイ:熱帯の花たち2019年09月08日


今日は、ちょっとばかり骨休めに……


沖縄の海デ~ス……と言いたいところですが、東京都板橋区です。熱帯環境植物館に行ってきました。ミニ水族館もあるのです。

 

ここでバイトをしている家人から、

「世界で一番大きなランのタイガーオーキッドに花が咲いたから、ぜひ見に来て」と言われました。えー、この暑いのに、とブツブツ言いながら、1時間半も地下鉄に乗って出かけていきました。屋内はまさに熱帯環境“。

お目当ての花は、なんとなく地味で、名前どおりにトラ柄……というより、ヒョウ柄では? 

この株の背丈はせいぜい3メートルぐらいだけれど、高いものでは7メートルにもなるらしい。▼



 

それよりも、私は甘い香りのプルメリアが好きです。▼





▲中に、実が生っているものがあって、とても珍しいのだとか。ちょっとオクラのようなサイズと形の硬い実が2本ずつ、花の間から左右ににょきっと顔を出しています。

ドラえもんのタケコプターみたい。


▲甘い香りと言えば、オンシジウム・シャーリーベイビー。

このランは、チョコレートそっくりの香りがしました。

バレンタインの贈り物にもいいですね。チョコを食べなくても、香りだけで満足できて、ダイエット効果もありそう……?

 

ところで、昨年ここに来た時に、ひと目で惹かれた絵があります。ブラジルの画家が、アマゾンのジャングルを描いた大作です。そこに生息するさまざまな動植物が描かれていて、その色づかいも筆づかいも、とても繊細で観ていて飽きません。

▼遠くから撮れない場所に展示してあり、右4分の1ほど欠けています。ごめんなさい。


昨今、アマゾンが加速度的に焼失していき、大問題になっています。かけがえのない大自然を、人間の欲望だけで変化させてしまうことのないように、解決の道を探ってほしいものですね。



川崎市登戸の殺傷事件に思う2019年06月08日


事件発生から10日がたちました。次々と明らかになる犯人の素性や犯行理由を聞くたびに、暗澹たる思いが胸をふさぎます。

書かなくては次に進めない気がして、書くことにします。

 

528日の朝、テレビのニュース速報で、

「川崎市多摩区登戸で刃物を持った男が、通行中の小学生を……」

という文字を見た時、不安が走りました。わが家のある高津区に隣接する区で、息子のグループホームも多摩区内。そしてすぐに、「カリタスの子どもたちは大丈夫かしら」と思ったのです。

カリタス学園は、姉が中学高校と通った学校。私も子どもの頃は、毎年秋の学園のバザーのたびに、お祭りに行く気分で出かけたものです。どこよりもなじみのある私立学校でした。

 

やがて、さほどの時間をおかずに、カリタス小学校の児童が被害に遭ったという続報が入ります。不安は戦慄に変わりました。

他の学校だったら平気だったというわけではなく――

その日は偶然にも、ケベック・カリタス修道会のシスターとご一緒する予定になっていたからです。しかも、その80代のシスターは、カリタス学園のために長いこと尽力されてきた教育者でもありました。

 

朝、動転したままの気持ちで、修道院に迎えに行くと、シスターはいつもと変わりない様子でした。刻々と被害者の情報が伝わり、小学生が亡くなったという知らせにも、「私があわててもどうしようもないでしょ」と、平常心で私たちに接してくれました。

シスターの携帯には、ひっきりなしにメールや電話が入ります。冷静に対処するシスターに、頭が下がりました。その落ち着いた姿に、救われました。

 

翌日、所用で南武線に乗って川崎方面に出向きました。その帰り、疲れて眠っていた私は、乗り過ごしてしまいました。降りたのは、登戸の一つ手前の駅。頭上には現場を取材に来たのでしょう、ヘリコプターが飛んでいました。

引き返そうと反対側のホームに向かいます。目の前のエレベーターに乗り、階段を降ります。……が、まだ寝ぼけていたのか、やはり同じホームに立っていました。今度来た電車に乗れば、次は登戸です。事件の現場に行ってこようか。一瞬迷いました。呼ばれているのかもしれない、と思ったのです。

でも、家族のため、これ以上遅くなるわけにはいかない。今度こそ、反対方向の電車に乗って、帰宅の途に就きました。

 

自宅でも、事件に関する報道を見続けました。近くで起こった事件に、いたたまれない気持ちがさらに膨らんでいきます。

事件から2日目、花を手向けようと、思い切って登戸に向かいました。

前夜の雨で地面は洗われ、照りつける強い日ざしがあふれ、事件の生々しい雰囲気など皆無でした。2日前に救急車が列をなしていた車道には、いつもどおりの車の流れ。テレビで見るよりも狭い歩道には、硬い表情で人々が通り過ぎていきます。

そして、現場となったファミリーマートの駐車場には、ずらりとマスコミの取材カメラが並んでいました。気圧されて献花に近寄れない……。それでも、せっかくここまで来たのだからと、日傘で顔を覆い隠しながら、その場に近づき、ピンクとオレンジ色のガーベラを供えて、手を合わせました。この場だけは異様な静けさでした。

山のように盛り上がる献花。愛らしい色彩の花々は、亡くなった少女の笑顔のようでもあり、手向けた人たちの言葉にならない辛い思いを、吸い取って昇華させているようにも見えました。

 



数日後の日曜のミサで、くだんのシスターは、「ご心配をいただきまして……」と挨拶されました。よく通る声、凛とした姿。

「犯人を憎むよりも、あの加害者のように、今も暗闇の中で生きている人がいることに思いを馳せてください。あなたのことを心配していますよ、と心を寄せてあげてください」

そういえば、事件翌日の新聞にも、心理学者のコメントがありました。同じような事件が起きないようにするには、「社会の中で絶望を感じる人を減らすしかない」と。

 

これから何をなすべきか、少しずつ見えてきたような気がします。

けれども、私の気持ちが落ち着いても、犠牲者の遺族の悲しみは決して消えることはありません。

亡くなられたお二人が、天国で安らかに憩うことができますように。

そして、ご遺族の方々の悲しみが少しでも癒されますように。

心から祈りたいと思います。



 

ノートルダム大聖堂の復活を祈って2019年04月18日

 


おとといの朝、ノートルダム大聖堂から火の手が上がる映像に、わが目を疑いました。

次々と送られてくる写真や動画のかずかず。高い尖塔が、その骨組みを炎の中に黒く浮かび上がらせ、やがてあまたの火の粉を撒き散らしながら、ゆっくりと二つに折れ、なすすべもなく崩れて落ちていく……。その様子には、さすがに涙が出ました。

初めて訪れたのは大学生の時。その後も何度となく訪ねたものでした。

 

フランス人にとってのノートルダム大聖堂は、日本人にとっての富士山のようなものだ、と言った人がいます。そうであれば、富士山のように永遠にそこにあり続けるはずだったのに。

世界遺産としての価値にとどまらず、今なおカトリックの信仰の場でもあります。パリ市民にとって、フランス人にとって、そして、私のような遠い国の外国人にとってさえ、心の支えでした。

 

でも私は、どのような形であれ、かならずや復元されることを信じています。

 

最近訪ねたのは、3年前の春でした。


▲ここがパリのゼロ地点。



パリへ飛び立つ直前の空港で、母が通うデイサービスの介護士さんから電話を受けました。

「お母さまは顔色もすぐれず、娘さんが外国旅行に行かれるので不安なのかもしれません」

今ここでそんなことを言われても……と途方にくれたのでした。

ところで、ノートルダムはフランス語で「われらの貴婦人」つまり、聖母マリアのこと。この大聖堂は、聖母マリアに捧げられて建立された教会です。母もまた、クリスチャンネームは聖マリア。つまりマリア様が母の守護聖人なのです。

パリに着いた翌日、ノートルダム大聖堂を訪ね、母の健康と長寿のためにキャンドルを灯して祈りを捧げました。



 ところが日本ではちょうどそのころ、母は病院で診察を受け、胃がんが見つかっていたのです。手術をしなければ、余命半年。私がその事実を知らされたのは、5日後に帰国した夜のことでした。

93歳という高齢でしたが、胃の3分の2を摘出する手術を受けました。その後の経過は順調で、若い人の何倍も時間はかかったものの、完全に回復することができたのです。

だから、あの大聖堂はきっと再建される。私にはそう思えます。今こそ、母を救ってくれたノートルダムのために、今度は私が祈りを捧げましょう。

 

しかも、悲劇が起こったのは、もうすぐイースターというこの時期でした。来たる日曜日が、イースター。つまり、キリストが十字架にはりつけになって亡くなり、3日後に復活した日にあたります。

そのことにむしろ明るい希望を感じるのです。大聖堂も、きっと復活を遂げるにちがいない、と。

キリストのように3日で復活は無理でも、すでに1日にして1000億円もの寄付が表明されているとか。また、再建に向けた募金活動も各方面で始まっています。世界中の人々の気持ちが、祈りが、悲劇を乗り越える大きな力となって、復活を実現させていくことでしょう。



3年前の内部の様子。美しいステンドグラス「バラ窓」なども、被害を受けたようです。







祭壇のあるこの辺り、昨日の映像では、屋根が焼け落ち、ステンドグラスも抜け落ち、床にがれきが積もっていました。十字架だけは同じところにありました。▲



 ▲セーヌ川クルーズをした時、船の上から大聖堂の裏側を撮りました。崩落した尖塔がそびえていました。




 



自閉症児の母として(60):シチリアのお皿のように2019年03月30日

 


この地域の桜が、今日にも満開を迎えようとしています。


3日前の千鳥ヶ淵。まだ五分咲きから七分咲きでした。)

 

ちょうど1年前の今ごろは、長男の問題に悩み、人知れず涙の日々が続いていました。(いずれ書く日も来るとは思いますが、今はまだ書かないでおきます)

それでも、いつもの友人たちと連れ立って、目黒川のお花見に行きました。



 

川沿いの道に、シチリア島の陶器を扱う小さなお店があります。

そこで目をとめたのが、このお皿。引き寄せられました。


 

思わず手に取って、思ったのです。

息子もこんなふうに明るく笑うお母さんが好きなのだろうな……。

もちろん買って帰りました。

 

それから1年、息子は家を出ました。

この1年間、宿泊訓練を積んで、息子なりにがんばってきました。

私はこのお皿のような笑顔になれたのでしょうか。まだわかりません。泣き笑いの顔をしているかもしれません。

少なくとも息子の問題は解消したように思います。

「長男の巣立ち」の記念として、今日、このお皿を飾りました。

 

どんなに障害を持っていても、成長しない子どもはいない。

私はいつでもそう思っています。

平成が終わって元号が新しくなるこの時に、私の子育ても一つの区切りを迎えて、新しい次のステージに移っていきます。

だから今、子育てに悩むお母さんたち、諦めないで。

かならず笑顔になれる日が来ますから。 

 

 



24年目の1.172019年01月17日



24年前の早朝、「淡路島で大きな地震が起きたらしい」とその一報を聞いたのは、市内の病院のベッドの上だった。空腹と、点滴の針の痛みと、ニュースの恐怖とで、一瞬ふらっと貧血状態になったのを今でも覚えている。

予定日を10日近く過ぎて、陣痛が始まって夜中に入院。結局、次男が生まれたのは翌18日だった。

 

入院中、どのテレビからも、地震のすさまじさを物語る映像ばかりが映し出されていた。

6人部屋の病室には、横倒しになった高速道路のすぐそばに実家がある、という人がいて、「里帰り出産していたら、今ごろどうなっていたか……」と話していた。

退院してからは、次男に母乳を飲ませながらも、泣きながらテレビ報道を見続けた。

阪神淡路大震災。6434人が亡くなり、私は一つの命を授かった。その現実をかみしめていた。

 

毎年のように、この日のエッセイを書く。震災が起きたことと、次男出産の記憶とは、私のなかでしっかりとリンクしている。それを書かずにはいられない。

 

今年は、前日に『BRIDGE はじまりは1995.1.17神戸』というドラマを見た。関西出身の友人がFacebookにアップした記事で知ったものだ。

震災で分断された鉄道を復旧させるため、技術者たちは崩れかけた駅舎を復元しなければならなかった。2年以上はかかると言われた工事を74日で成し遂げた男たちの物語だ。たくましく誠実に難工事に立ち向かう姿も感動的だが、その駅を取り巻く人びとの温かな人情や、犠牲者への悲しみも描かれ、丁寧に作られた見ごたえのあるドラマだった。

 

私がどうも気になったのは、春日という少年。震災当時、世をすねて盗みを働くようなワルだった。23年たった2018年の彼も語り部として登場するのだが、なんとも得体のしれない人物である。彼は罪を償わないまま、大人になった。そのことが彼の心の傷になっているらしい。それぞれ野村周平と椎名桔平が好演している。




春日のような悪さをしたわけではないのに、次男が春日にダブって見えた。

明日24歳になる次男は、大学に入ってから挫折を味わい、卒業の見とおしも持たずに、人生に迷子になっているように思える。

いつも、彼の誕生日が近づくと、世の中はあの大震災を振り返り、犠牲者を悼むとともに、災害への備えを話題にする。それに呼応するように、私の気持ちのなか、次男の誕生日には暗い影が落ちる。明るく素直に喜べない気がするのだ。それは震災のせいばかりではないのかもしれないが……

 


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