女王陛下の葬儀2022年09月20日


昨晩は、エリザベス女王の葬儀を見続けました。


 



もう40年以上前ですが、半年ほどロンドンで英語学校に通っていたことがあります。

学校のお仲間とウェールズ地方を旅行した時に、女王陛下をお見かけしました。帽子もコートもピンクの装いでした。

誰かが「ピンクパンサーみたい!」と言うので、私たちは笑いました。当時人気のあったアニメのキャラクター。それほど親しみを持っていたのでしょう。

その時、写真を撮ったはずだけれど、今は押し入れの奥にしまい込まれており、もっか肩痛持ちの私、探すのは諦めました。




手元にある女王陛下は、この50ポンド紙幣。

これは2008年、娘とロンドンに行く時に両替したもので、当時1ポンドが200円でしたから、約1万円なり。というわけで、日本の壱万円札と並べてみました。

今後、紙幣の女王も、切手の女王も、少しずつチャールズ国王に交代していくとのこと。ちょっと残念です。このお札は、次のイギリス旅行で使おうと思っていたのですが、大事にしまっておくことにします。

 

遠い国の私でさえ、遠い昔の思い出を忘れずにいるのですから、ましてイギリス国民にとって、女王陛下は身近で特別な存在であり、悲しみは深いことでしょう。

最後のお別れをするために、ウェストミンスター宮殿まで何時間もかけて行列に並んだという国民の気持ちが、よくわかります。これこそが本当の国葬だと思いました。

女王は、天国のフィリップ殿下のおそばにいらしたのです。悲しいけれど、安らかな気持ちでお見送りするしかありませんね。


イギリスという大国を70年の長きにわたって統治してきた偉大な君主であり、国民に慕われたチャーミングでやさしい母のようなエリザベス女王に、改めて敬意を抱きます。

どうぞ安らかにお眠りください。








長崎の原爆の日に2022年08月09日

 

201811月に五島列島を旅した帰り、立ち寄った長崎平和公園。

  



77年前の夏、86日に広島に原爆が投下され、さらに9日には長崎にも投下されました。

毎年、夏休みやお祭りなど、浮かれることの多い8月は、その一方で、戦争と平和について考える大切な時期でもあります。

特に今年は、ロシアがウクライナを攻撃するという現実の戦争が起きてしまいました。核を手放したウクライナを、核によって威嚇するという卑劣な手段で、ロシアは侵攻を続けています。

日本も、他人ごとではありません。「核兵器の使用がもはや杞憂ではなく、今ここにある危機だ」と、長崎市の田上市長も、今日の式典で述べていました。

日本は、世界唯一の被爆国として、その立場をはっきりさせ、核廃絶のための努力を続ける責任があります。まずは核兵器禁止条約に批准してから、核保有国に核軍縮を働きかけていかなければ。



原爆死没者慰霊碑。花もたくさん供えてありました。

長いこと、広島を訪ねたかった。初めて原爆投下された地に立ってみたかったのです。ようやく、この5月、悲願がかないました。

77年前のその日と同じように快晴で、広島の平和公園は、きれいに手入れをされた薔薇や緑が美しく、かつての惨状を想像することはできませんでした。

原爆ドームだけが時間の止まった芝居のセットのように、そこに佇んでいました。

 

日本のカトリック教会は、広島原爆の日の86日から長崎の9日を経て、終戦記念日の15日までの10日間を「平和旬間」としています。これらの出来事を深く記憶に留め、平和について考え、平和を祈り、平和のために行動することを求めています。




 


ダイアリーエッセイ:明日はきっと晴れ2022年05月06日

 

昨年、母を見送った頃の疲れが、今頃になって出てきたのか、ここのところ体調を崩し、体中が悲鳴を上げています。

せっかく友人が誘ってくれて3月に入団したコーラスも、どうしても続けられずに、悩んだあげく断念。がっくりの気分です。

こうなったら、とことん健康回復に努め、アンチエイジングに精を出すことにしよう。転んではただでは起きまい、と決めました。

 

今日も、整形外科のリハビリへ。1時間も待たされましたが、その間にたっぷり読書ができました。

そして、帰りには息をのむようにきれいな夕焼けに出会うことができました。

明日はきっといい天気。私にも明るい未来がきっと来るはず……!

そう思えた夕暮れの一瞬でした。








ダイアリーエッセイ:次男の卒業2022年03月29日


 

昨日は次男の大学の卒業式でした。


 

27歳にもなる息子の個人情報ではありますが、私は母親としての胸の内を吐露します。

彼は2年の頃に、ある挫折を味わい、「大学をやめたい」と言いだした。しかし、ここでそれを許したら、この先どんなことでも嫌になるとすぐに諦めるようなことになりかねない、と思った。休学はいいけれど、とにかく大学だけは卒業しよう。そう説得しました。それが息子のためだと思ったからです。

 

その後、コロナのせいでリモート授業一色になって、彼はまたもつまずいた。当時は、もし卒業までこぎつけたら、合格発表を見に来た日のように、私はうれしくて泣いてしまうだろうと思っていました。

 

最終的に、1年休学し、在籍期限の8年間を過ごし、合計9年かかって卒業が決まりました。

でも本人はとくにうれしそうではない。やっと足かせが取れてせいせいした……ぐらいの気分のようです。

だからか、私もなぜかあまり喜べない。馴染めない場所に通わせ続けて、本当にこれでよかったのかな、と思えてきます。


いや、これでよかった、と思える日が必ず来る。ここで学んだことがきっと生かされる日が来る。そう信じ続けよう。就職もせず、やりたいことをとことんやって、フリーランスで生きていく彼を、これからも見守っていこう、と新たな覚悟をしました。

 

昨日の卒業式は、保護者はコロナのため出席できず、本人は出席もしたくない。私は独りでキャンパスの写真を撮りに行きました。満開の桜の下、晴れやかな卒業生や保護者が大勢いるなか、ちょっと寂しかった……。

今日は、ゼミの食事会があるそうで、スーツを着て大学に行くというので、またとない写真撮影のチャンスとばかり、またキャンパスへついて行きました。

一日遅れですが、ようやく記念の写真が撮れたのでした。

次男にとっては大学卒業、私にとっては子育て卒業の記念すべき一枚です。


 

この大学には、わが子二人、姉と弟が大変お世話になりました。

私は来年もまた、思い出の桜を見に来ましょう。






ダイアリーエッセイ:娘はふたたび大空へ2022年02月27日


朝から雲一つない真っ青な空が広がる。

娘は、東京勤務の夫に見送られて、ふたたび上海へと向かう。

彼女を乗せた飛行機が飛び立つ時刻、私はひとり空を仰いだ。

 

コロナ禍の収束が見えない今、次に会えるのは何年先だろうか。

今回は日本で1週間、上海で3週間の隔離が必要とされた。重責の仕事に就く身で、そうたびたび許されることではないだろう。

さらに、この一時帰国の間に、彼女の夫のロンドン勤務が決まった。

 

娘が数年後に長期休暇をもらえる時には、帰る先は日本ではない。夫のもとに向かうのだ。二人にとっての〈わが家〉は、もう日本にはなくなるということだ。

いずれはそんな日が来ることぐらいわかっていたはずなのに。

娘と同じ志を持つパートナーと二人、海外に羽ばたいていくことを、応援してきたはずなのに。

 

先日来、まさかのロシアのウクライナ攻撃に、憤りを覚え、胸を痛めている。

一昨日のテレビで、ウクライナ人女性のインタビューを見た。

彼女は日本在住で、彼女の母親はウクライナで暮らしている。母親とはSNSで連絡が取れているという。

「大丈夫、怖くない、と母は言うけれど、その表情には恐怖しかない」

彼女は流ちょうな日本語で語り、涙をぬぐった。

 

明日は我が身などと思いたくはない。

戦争でなくても、災害や、今回のようなパンデミックで、互いに何が起きてどうなるか、未来のことはわからないのだ。

 

娘が、また遠くなった。

その思いが募るばかりで、まだ何の覚悟もできていない。

元気でいるようにと、祈るほかはない。

そして、ウクライナの人々に平和が戻るようにと祈っている。

 


ダイアリーエッセイ: お帰り!2022年02月17日


今月の初め、上海に単身赴任していた娘が、1年ぶりに帰国した。もちろん、一時帰国。まだ数年は今の職場に勤務する。

コロナの隔離期間が国内でも短縮されたばかりで、帰国者の娘も、自宅で8日間だけ隔離となった。不要不急の外出さえしなければ、食品の買い出しなどは自由だという。会社からもその間はリモートワーク中として認められ、同様にリモートワークの夫と、久しぶりの「共働き」という水入らずを楽しんでいたことだろう。

 

そんなわけで、娘と会えたのは、帰国して10日目のことだった。

都内の地上40階のレストランで、あいにくの雨の夜景を眺めながら、ちょっと豪勢なディナーを楽しんだ。上海では、住まいは21階、職場も40階だそうで、わが娘ながら、高層ビルが似合っているような気がしてくる。

本来なら、まずは実家に帰ってきてもらって、わが家の手料理をご馳走したいところなのだが、あいにく次男が卒論と格闘中。提出期限を目前にしてナーバスになっているので、やむなく外食にしたのだった。

娘が帰宅したらみんなで飲もうと、大事にとっておいた美味しいお酒を手みやげにして行ったのに、なんと上海みやげを東京の自宅に忘れてきたというのだから、相変わらずの娘だ。かえってちょっとホッとする。

 

思えばこの1年、娘の不在の間に、母を見送ることになった。その時にも娘がいなくて寂しいと感じることはなかったのに、ほかの人から「娘がそばにいない」ということを指摘されて初めて、孤独を意識して辛くなったものだ。

この晩の食事の席は、どちらも夫婦連れだったので、母娘の親密な会話ができず、心残りではあった。

 

さて、昨日のこと、もう一人帰ってきた。長男である。

グループホームの利用者の一人が、通所先に陽性者が出て、濃厚接触者になってしまった。抗体検査では陰性だったけれど、5日間は隔離の必要があり、グループホームに滞在することになるという。

連絡を受け、その間、長男は自宅に戻ることにした。何の準備もないまま、職場から急きょ自宅に帰ってきたのである。

よりによって、次男の卒論提出日に、にぎやかな長男のご帰還とは……。次男はあと数時間で締め切りだというのに、まだ最後の詰めに取り組んでいる最中だ。

長男は、今回の帰宅の事情をきちんと理解できているようで、次男のことも「大事な勉強中だから」と言うと、いつもの大きな声を出さないように努力してくれた。

弟のほうも、急な帰宅の兄に、いやな顔ひとつしない。それどころか、長男がゲーム機の充電器がなくて困っていると、卒論執筆を中断して、自分の充電器をきれいに拭いて貸してくれた。やさしい弟だ。

いつもはめったに会話もしないような兄弟でも、やっぱり血のつながった家族なのだ、と思うと、つかの間のほっこり気分を味わった。ナーバスになっているのは、この私だけかも。

 

さてさて、そんなふうに誰からも大事にされてきた次男は、大学8年目にようやく卒論に手が届いた。幼い頃から、なんでも時間のかかる子ではあった。

コロナ感染が広まると、大学はリモート授業になり、朝寝坊、宵っ張りが当たり前になる。コロナ禍の弊害で、そういうケースが多いとは聞くが、息子もご多分に漏れず、すっかり昼夜逆転していた。

しかし、この1週間ほどは、提出締め切り時刻が文字どおり秒読みになってくると、数時間の仮眠をとるだけで、パソコンに向かい続けた。彼の得意とするラストスパートだ。

提出当日。締め切り時刻の17時が過ぎてしまうと、気が気でない私は、息子の部屋の前でただおろおろ。ついに、30分も過ぎた頃、ようやく卒論のアップロードが終わった、と知らされる。それでも私は、大丈夫だろうか、ちゃんと受け入れてもらえるのだろうかと、安心できないまま今日を迎えた。

 

本日、リモートでの発表も無事に終え、及第点をもらったという。

やれやれ……。親としても感無量だ。長い長い8年間の忍耐が、ようやく報われようとしている。ひとまず大きな節目を迎えられそうだ。

もっとも、次男の社会人としての人生は、これから始まるのだ。手放しで喜ぶわけにはいかない。

この子も、いつか「お帰り!」と出迎える日が来るまで、もうしばらく親の心配は続きそうである。



 


ダイアリーエッセイ: ワクチン接種2回目2021年07月17日


 

先月、接種1回目のことを書きました。せっかくなので、記録として、2回目も書こうと思います。そして、皆さんのご参考になれば……。

 

2回目接種も自衛隊による東京大規模接種センターで、71412時が接種予約の日時。1回目の接種から4週間と5日目です。

 

前日の夕方になって、母の暮らすホームからの電話を受けました。

母の健康診断の結果がよくないので、明日病院に連れて行ってほしい、という内容でした。今後の治療や入院などに、家族の意思確認が必要となるからです。

さあ大変。息子を送り届ける車中でしたが、その帰りの買い物もやめて、急いで帰宅。まず予約の変更が可能かどうか、調べることにしました。

2回目の接種をあまり先に延ばしてしまうと、効果が薄れるという説も聞いたことがあります。せっかくの接種を無駄にしたくはない。とはいえ、母の容態も気になります。

接種センターの予約票には、「2回目予約の変更は、Web上でキャンセルせず、窓口に連絡を」とあったので、すぐに窓口に電話をしました。

2回目接種は、28日から38日後の間に受ける必要がある」と書いてあって、私の場合は720日までに受けなくてはなりません。

しかし、てきぱきとした女性の声で、「今、空いているのは一番早くて27日以降ですね」と言われてしまいました。

さあ、困った。どうしたものかと迷っていると、「何かご事情がおありですか」と聞かれたので、正直に答えました。

すると、「それでは、予約担当にお電話をお回ししますので、ご希望の日にちや時間帯がありましたら、3つほどお知らせください」と言ってくれたのです。この先、仕事の予定も入っているので、明日の遅い時間帯を第一希望にして、伝えました。

しばらくすると、電話の向こうから「予約係です」と、こんどはおっとりとした男性の声が聞こえました。窓口の女性から私の情報を受け、話はすべて通じていました。

「明日の遅い時間がよろしければ、18時か1830分ではいかがでしょう」

ああ、よかった!

「何時ごろなら来られそうですか」

「病院の診察ですので、まったく見当もつきません。遅い時間のほうが確かだと思います」

「じゃあ、1830分にしましょうね。以前の予約は、こちらでキャンセルしておきます」

「ありがとうございます! 本当に、助かりました」と、お礼を言うと、

「たいへんですねぇ」とねぎらいの言葉までかけてもらったのです。

事務的ではない、温かい言葉でした。


翌日、梅雨明け間近の東京は、18時を過ぎても明るく、さわやかな風が吹いていました。1回目より来場者も少なく、座ったと思うとすぐに移動。どんどん進んでいきます。

いよいよ接種のブースに入ると、待っていた打ち手は、細身の白衣の女医さんでした。口調もやさしく、針をちくりとさして、すーっと液を入れていく感じ。痛みは前回の半分以下です。

打ち終わったところで、思わず「1回目はとても痛かったですけど」と言うと、

「では、腫れたのではありませんか」と申し訳なさそうに聞かれました。まるで、今回は大丈夫ですよ、と言われたかのように思えて、ホッとして帰ってきました。

さすがは自衛隊、危機管理能力が高いのはもちろん、国民への奉仕の気持ちが伝わってきました。私が直接自衛隊のお世話になったのは、このワクチン接種が初めてのことです。この接種センターを選んでよかった、今回もそう思ったのでした。


さてさて、副反応はいかに。身構えていました。

翌朝は、頭痛と気分の悪さに見舞われ、さっさとカロナールを飲み、横になりました。夕方から、37度台の発熱。倦怠感は募りますが、頭痛は消えています。もう一度カロナールを飲むと、熱だけは下がるのですが、薬が切れてくるとまた上がります。

結局、翌々日の朝も熱があって、その日の午後からのエッセイ教室の仕事はキャンセルせざるをえませんでした。ところが、その夜には、薬が切れても熱が上がらず、頭痛も不快感も解消していました。接種からほぼ48時間後で、副反応が収まったというわけです。

もし、最初の予約どおりに、正午にワクチン接種を受けていれば、何とか午後からのエッセイ教室に出向くことができたのかもしれません。リモートではなく、久しぶりの対面の教室だったのに、残念です。お教室の方々にもご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。


そうそう、やさしい女医さんの注射は、予想どおり期待どおり、あまり痛みが残らずに、3日目の今日、あるのはかゆみだけでほぼ治っています。


    高齢者 発熱したと 自慢顔(静岡県・鈴木貞子)

  717日付け 朝日新聞 朝日川柳より



 


 

ところで、母の容態は、差し迫ってどうのというわけではありません。また来週の検査結果で、今後の治療を決めることになりました。それよりも、ほとんど口をきかず、反応がないことが心配になりました。コロナ禍で、家族が会いにも行けず、施設のイベントもなく、刺激のない生活を送っているせいかもしれませんが……

ワクチン接種が終わった今、これからは母の心配を抱えることになりそうです。


ダイアリーエッセイ:ワクチン接種、行ってきました。2021年06月13日

 

ご挨拶 私モデルナ 僕ファイザー(福岡県・桑原正彦)

 

11日の朝日川柳に載っていたお作です。

ちなみに、私は、ファイザーからモデルナに鞍替えしました。

 

ワクチン接種は地元川崎市の集団接種で一応予約はできたのですが、朝、パソコンが目を覚ますのに時間がかかり、予約開始から5分後には1ヵ月先まで埋まっていて、取れた予約日は7月初め。

その後、自衛隊による大手町の大規模接種センターが空いていると聞き、ネットで予約をしたら、3週間も早めることができたのです。

 

さすがは危機管理能力の高い自衛隊のこと、地下鉄の改札口から10mおきに方向指示のポスターが貼られ、要所には案内係が立ち、迷いたくても迷えないぐらい誘導が見事で、現地に到着。

 



最初の受付から、4色に色分けされたグループごとに移動、どこもパイプ椅子が整然と並んでいて高齢者にやさしい。大勢のスタッフに案内されるがまま、問診と接種を済ませて15分様子見して、次回の予約をして、出口を出るまで30分とかかりませんでした。

ちなみに、予約の際、ABCDのグループ分けがあり、あまのじゃくの私は、最後のDを選びました。確たる証拠はなく、私の推測ですが、これが色分けのグリーンに相当したのでは。グリーンはなぜか椅子の列も少なく、エレベーターに乗るのも、移動するのも、少人数で迅速だったような気がします。



 注射は、全然痛くない、と聞いていたけれど、痛かった!! インフルエンザの70%ほどの痛み。もっとも、針を刺した一秒間ほどです。

 

「今夜の入浴はかまいませんが、お酒はやめておきましょう」

と言われてがっくり。しかたなく帰りは駅から遠回りして、地元で一番おいしいケーキ屋さんでティラミスを買い、デザートに食べて満足しておきました。

 

夜は頭痛がしました。気圧が降下していたので、いつもの気圧痛か、ワクチンのせいか、よくわからず。大したことはなかったのですが、念のため常備薬のバファリンを服用しました。

今日は、片手だけで重い荷物を持っていたかのように、打った上腕のみ、かなりの筋肉痛。頭痛もあります。今日も気圧が降下中なので、原因は判別できません。

副反応は若い人ほど強いそうですね。私はまあまあ、年相応?

2回目は1回目より重くなるというので、要注意です。

 

帰宅後、「2回目の接種は7月半ば。その2週間後の7月末には効果が出てくるはず」と、次男に告げると、

「そうか。8月までは、何とか逃げ切ってくれよ!」と言われました。

彼は、私の誕生日も母の日もいつだってスルーのくせに、1年に1回ぐらいは、母親がほろりとする言葉を口にする。末っ子の性分は憎めないのでありました。


 



ダイアリーエッセイ: 100歳の誕生日はリモートで2021年03月29日

 


夫の母は、義姉(あね)と二人で、都内の自宅で暮らしています。

本日、義母(はは)はついに100歳の誕生日を迎えました。

 

ここ数年は100歳までのカウントダウンのように、大勢で集まってはお祝いしてきましたが、昨年から新型コロナウイルスの感染拡大で会えなくなりました。

「うつったら死ぬから、だれもうちに来ないでね」と義母みずからロックダウン。だれも寄せ付けず、ドアから一歩も外に出なくなりました。

 

とにかくバリバリのシャッキシャキの元気。頭も体もしっかりとして、コロナ以前は、歩いてどこへでも出かけていました。耳もよく聞こえます。

「健康には人一倍気を遣っているのよ」と義母。

「私も気を付けていますけど」と言えば、「私はあなたの10倍は気を付けているの!」と返ってきます。

毎朝起きたら、15分間、全身ストレッチと耳つぼマッサージをする。自分でニンジンのスムージーをこしらえて飲む。130品目を食べるのが目標。二人の食事も、いまだに義母が作っているのだとか……。

 

さて、待ちに待った特別おめでたい誕生日です。コロナ禍だからと、お祝い会を中止にはできません。当日よりも2日早く、みんなが揃う土曜日に、ビデオ通話でつながることにしました。いつもはご無沙汰ばかりのダメ嫁の私も、たまにはいいところを見せなくちゃ……と腕まくりのチャンスです。

1週間前から準備開始。まず、デパートの花屋さんに足を運び、花の種類や色を指定したアレンジフラワーを注文して、配送を頼んでおきました。

それから、パソコンを使って、オリジナルなバースデーカードを作成。わが家の全員集合写真に吹き出しを付けて、そこにそれぞれが直筆でメッセージを書き込みます。早めに仕上げて義母のもとへ郵送しました。


一番大事なのはLINEで全員がつながること。わが家の男性陣はLINEのような今どきの交流を好まず、まずは私とつながるところから始めます。操作が不得手な義姉のタブレットとつながるのも四苦八苦。初めはなかなかうまくいかず、それでもすったもんだの挙句、当日午後2時に、ようやく画面が6等分され、中国にいる娘も、グループホームで暮らす長男も、全員の顔が揃いました。

そこでみんなで「ハッピバースデー、トゥーユー♪♪」を大合唱!

義母はたいそう喜んでくれて、孫の顔を一人ずつ大きくして眺めては、お仕事しているの? 学校には行っているの? などと会話を楽しんでいました。

その後、上海に赴任したばかりの娘からの現地リポート。窓からの景色を実況中継してみたり、街で撮った写真を見せたりしてくれました。

気の重くなるようなコロナ禍の今、なごやかな祝いのひとときでした。

かくしてリモート誕生会はつつがなく終了。仕掛人の私もほっとしたのでありました。

 

義母からは、温かいねぎらいの言葉をもらいました。以前はちょっと苦手な姑でしたが、今となっては、敬愛してやまない長寿のお手本です。私もあんなふうに家族をこよなく愛して、明るく元気なおばあちゃんになりたい。


LINEのビデオ通話中の映像です)


義母いわく、

「コロナが収まってみんなで会えるようになったら、どこかでまたお食事会をしましょう。私が全部計画して、手配して、席順まで決めてあげますからね」

いやはや、100歳のゴッドマザーは、まだまだ健在です。

次の目標は、長寿日本一、はたまた、ギネスに挑戦かしら??


(わが家からのお祝いの花とカードは、内閣総理大臣から贈られた銀杯と、小池都知事からの立派な花瓶とともに、飾ってくれました)

 

 

ダイアリーエッセイ:ステキな一日!2021年02月17日

 

日本でも、ついにワクチン接種が始まった。明るい希望のニュースだ。

初めは心配だったが、有効性が高く、副反応のリスクは低いそうだ。特異体質ではないので、ぜひ喜んで受けたいと、今は思っている。

 

午前中から、仲良しグループのラインが入る。

「次の月例会の日時を決めましょう。みんなでおしゃべりして笑い合って、そうやってみんなで年を取っていこうね!」

うれしくて奮い立った。けじめをつけて、緊急事態宣言が解除になったらすぐにでも……。こうして春3月の最初のお楽しみ行事が決まる。

 

関西は冷え込んだらしいけれど、東京地方は青い空が広がり、朝から春の日差しが暖かい。近所の郵便局へ。お気に入りの風見鶏の家の前を通ってみたら、ミモザの花が、もう咲き始めていた。



夕方、ポストに入っていたのは、友人が上梓したエッセイ集。白い地に生き生きとした金木犀の絵が楽しい。誘われるように開くとオレンジ色の装丁がまたオシャレ。彼女の朗らかで闊達なエッセイが、今の季節にふさわしい気がした。


 

郵便局へ出向いたわけは、年賀はがきのお年玉が当たっていたので、交換に。

3等賞の切手シートだけれど、85枚のうちの5枚。確率は悪くない。今年はツイているかもね。

おまけに、なぜか郵便局で、ミツカンのお酢を配っていた。


 

酢テキな一日でした!(お粗末)

 



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