ダイアリーエッセイ:魔のクリスマス!?2015年12月26日


クリスマスはいかがお過ごしでしたか。

平日とはいえ、クリスマスイブの午後9時を回った街はひっそりしていましたから、きっと皆さんはご家族と暖かい夜をお過ごしだったのかもしれません。

私のイブは毎年恒例、母と長男を乗せて、近くの教会で夜のミサにあずかり、帰りは、これまた恒例、母へのプレゼント、深夜の街を走り回ってイルミネーションを見せてあげました。

行きは綺麗な月が見えていたのに、帰りはポツポツと降ってきましたが、暖かな夜でした。 


昨日25日は、38年ぶりのクリスマス&満月というスペシャルコラボだったそうですが、私の住む辺りでは雲が切れず、見ることは叶いませんでした。

 

そして、私はといえば、朝、激しい頭痛とともに目覚め、立っていることもできず、頭痛薬を飲んでも効かず、結局夕方まで寝ていました。

それだけ眠れるということが、そもそも異常です。超多忙な師走を走り終えないうちに、赤信号でダウンしてしまったようです。

 

思い起こせば1年前の1225日にも、高い熱を出し、翌日にはインフルエンザとの診断を受けたのでした。

どうも私のクリスマスには、病魔が潜んでいるのでしょうか。

 

もっとも今年のわが家は、早々と19日のうちに、クリスマス&ひとみ誕生祝いのディナーを、シェフが腕によりをかけて用意してくれました。ボリューム満点のオードブル、チーズキッシュ、カブのシチューなどなど。

大好きなグリューワインのプレゼントもありました~♡

リフォーム業者が出入りする予定があり、早く済ませてしまったのが幸いしたのでした。






 

そうはいっても、この25日はシェフが不在。もう一度薬を飲むと、なんとか快方に向かったので、ハンバーグやサラダなど、家族4人分のいつもの夕食をこしらえました。

わが家特製のハンバーグは、たくさんの美味しいパンの耳を入れたり、隠し味を何種類も加えたり……。しかもちょうど大きな満月のように、ひと塊にしてオーブンで焼いてしまいます。今では自称「おふくろの味」。

息子たちはこれを切り分けると、ご飯に載せてハンバーグライスにして食べています。

 

昼間、あんなにたくさん眠ったのに、夜はいつもどおりに眠れました。

あまり忙しすぎないで、少しはのんびりしなさい、というやさしい神様のお告げだったのかもしれない、と思います。

天使の輪10人分でしめつけられているような頭痛でしたから……





 



2000字エッセイ:ロクマルの呪い2015年04月19日

322日の「じつは、私……」は、じつは〈続く〉となっていました。

その続きを書かないままでしたが、続編の内容を混ぜ合わせて、2000字のエッセイにリメイクしてみました。

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ロクマルの呪い

好きなスポーツは、と聞かれたら、スキーです、と答えてきた。

始めたのは大学生のときで、札幌に住む叔父の家に泊まりこむと、従兄たちが手取り足取り教えてくれて、気分よく滑りを覚えた。

その後も、学生仲間でスキーに出かけた。安い宿を予約し、スキー板を担いでは電車や夜行バスに乗りこみ、ゲレンデに繰り出したものだ。その仲間には、未来の夫となる人もいた。楽しくないわけがない。

子どもができてからは長いブランクもあったが、末っ子が5歳になったころ、思い切って家族5人でスキーへ。夫婦の夢だった。子どもたちはスキースクールで手ほどきを受け、大人は懐かしい雪の感触を堪能した。

数年たったころ、スキーウェアを新調した。イタリア製で光沢のある抑えめの赤が素敵だ。値は張ったが、「還暦まで着るから」と宣言して買ったのだった。

しかし、子どもが3人もいれば、受験やら就職やら、スキーどころではない年が続く。ひと段落すると、こんどは腰痛に悩まされる。

去年あたりからそれも治った。また行きたいなあ、と思っていたところに、一回りも年上の従姉からスキーの誘いが舞い込んだ。

が、すぐには飛びつけない。6年のブランクは怖い。ふだんから運動らしいことはやっていない。うれしい反面おおいに悩む。

結局は日程の都合がつかず、スキー場の間近で地震が起きたこともあって諦めたのだが、それと入れ代わるように、札幌雪祭りの旅に誘われて出かけた。そのとき、雪の中の寒さが妙に心地よく、「私、氷点下ハイよ」などと言っては子どものようにはしゃいでいた。

帰ってくると、今度は娘からスキーの誘惑が。すっかり雪に魅せられていた私は、とうとうスキー決行の計画を立ててしまった。

それでも不安がつきまとう。体が動くだろうか。けがをしないだろうか。この年になってスキーだなんて、無謀すぎるだろうか……。

昨年の暮れに、還暦を迎えた。女優の夏木マリさんが、60歳をロクマルと言っていたので、私もマネしてみたが、あまり市民権を得ていないらしく、友人たちにはきょとんとされた。呼び名がどうであれ、60の大台に乗ったことはゆるぎない事実なのだ。

半年前から、憂うつでたまらなかった。50代半ばまでは、ただ明日が今日になって昨日へと移っていくように、誕生日が来て、59歳が60歳に切り替わるだけだ、と高をくくっていた。でも、現実はあなどれなかった。

この冬は初めてインフルエンザにかかった。それ以外に3度も風邪を引いた。体のあちこちが痛むようになった。医者には、変形した関節は治らないと言われる。

さらに、3つ年上の女性から、とどめを刺された。

「還暦になると、今までかからなかった病気になったり、けがをしたりするから、気をつけなさいね」

まるで呪いの言葉だ。冗談じゃない。

泥縄で筋トレのスクワットをせっせとやっていたら、ふとひらめいた。

そうだ、「まだスキーをする」んじゃなくて、これから「シニアスキー」というスポーツを始めるのだ、と考えればいい。娘と二人旅なら気遣いはいらない。たっぷり休憩を取り、絶対無理をしなければ大丈夫だろう。

やっと気持ちが楽になった。

そして、予言どおり、赤いちゃんちゃんこ代わりに赤いスキージャケットを着ることができた。3月はじめの越後湯沢は暖かく、快適な春スキーとなった。

自転車と同じで、ひとたび体が覚えた滑り方は忘れないものだ。とはいえ、頭では覚えていても体がいうことをきかないかもしれないから、慎重に、慎重に……。ちょっとでも疲れると、娘をゲレンデに残して、ロッジでひと休み。でもビールは飲まない。ほろ酔い滑走はみずから禁止。ここで怪我でもしたら、「年寄りの冷や水」と笑われてしまう。

23日、最後まで上級コースには近づかなかった。なだらかな斜面でのんびりゆったりの滑りを、鼻歌まじりで楽しんできた。

何度も転んだし、筋肉痛にはなったけれど、けがひとつないまま帰宅。やれやれ、呪縛を解き放つことができた。来年は従姉と一緒に滑りに行こう、と思った。

ところが、帰宅して2日目、ビルの廊下で転んだ。ぺったんこのブーツを履いていたのに、かかとが斜めに着地してツーッと滑った。次の瞬間、左ひざをガツンと着いた。まさか、こんなところで転ぶなんて……。骨折はなかったが、青あざが10日たっても消えなかった。

あ、これかぁ……。

 




じつは、私……2015年03月27日

ずっと迷ってきた。

言うべきか、いや黙っていたほうがいいのか。

 

これは2009年の2月初め、受験日で学校が休みの次男と二人、越後湯沢でスキーをした時の写真だ。

別にペアルックで赤いジャケットを着ているわけではない。息子のはたまたま、長男が紺色、次男が赤を色違いで買ったまで。

私のは、便利なポケットがたくさんついていて、着やすく、深みのある赤が気に入った。イタリア製で少々お値段は張ったけれど、思い切って買った。

「還暦まで着るから」と言い訳をして。

今から6年前のことだ。

 

その翌年あたりから、私は腰痛が出たり、子どもたちの受験があったりで、スキーどころではなくなった。

それでも数年がたち、身辺が落ち着いてくると、治らないかとあきらめていた腰痛も治った。また行きたいなあ、と思っていたところに、スキーへの誘いが舞い込んだ。

……が、すぐには飛びつけない。6年のブランクは怖い。ふだんから運動らしいことはやっていない。うれしい反面おおいに悩んだ。

 

結局は、日程の都合がつかず、断ることになったのだが、36日のブログに書いたように、それと入れ替わるように、札幌雪祭りの旅に誘われて出かける。

帰ってくると、今度は娘からスキーの誘惑が。すっかり雪に魅せられていた私は、とうとうスキー決行の計画を立てた。

 

それでも、不安がつきまとう。体が動くだろうか。怪我をしないだろうか。この年になってスキーだなんて、無謀すぎるだろうか。

ふと、思った。そうだ、「まだスキーをする」んじゃなくて、これから「シニアスキー」というスポーツを始めるのだ、と考えればいい。

娘と二人旅はなんといっても気楽だ。たっぷり休憩を取り、絶対無理をしなければ大丈夫……。やっと気持ちが楽になった。

 

そして、気がつけば私は60歳。

みずからの予言どおりに、赤いちゃんちゃんこ代わりに、赤いスキージャケットを着ることになったのである。

 

冒頭、迷っていたのは、年齢を明かすべきか否かということ。

迷っているうちに、立ち止まったまま動けなくなってしまった。カンレキという言葉にこだわっていたのだ。

でも、カミングアウトしないことには、次へ進めない。

はい、私はカンレキです。生まれ変わったつもりで、どうぞよろしく。

                            〈続く〉



白い寒さにハートがふるえ……2015年03月06日

先月、札幌の雪まつりに出かけました。

夕方ホテルにチェックイン。カバンに詰めてきたあらゆる防寒グッズを身につけて、街に繰り出したのは午後5時。

まずは、人が入れるほどの超特大の氷のジョッキがお出迎え!


祭りの雪像はライトアップされて、たくさんの人でにぎわっていました。

上の写真は、ご存じ「スター・ウォーズ」のダース・ベイダー。世界初、ルーカス・フィルム公認です。

前々日の雨で一部が解けたと言われていましたが、いやいやどうして、大迫力でした。

下の写真は、ほぼ原寸大の春日大社。

夜は、精巧なプロジェクション・マッピングのショーが行われ、すばらしかったです!


日が落ちて暗くなり、時折、雪が降ってきます。スノーブーツを履いていても、油断をすると滑って転びそうな足もと。

気温はどんどん下がっていき、天気予報どおりマイナス10度だったかもしれません。とにかく寒かったです。

立ち並ぶスポンサーの出店で、ホットウィスキーやグリューワインを飲んでも、10分後には車の運転もできそうなほど、酔いが飛んでしまう。それほどの寒さです。

 

ところが、寒くなればなるほど、なんだか楽しくなってきました。

「氷点下ハイ」などと、チューハイのような名前を付けて大はしゃぎ。観光客ならではの楽しさであり、ここに暮らす人々にとっては厳しい環境であることはわかっているのですが。

寒いと、発熱を促して体がふるえだすように、私はまずハートがふるえて熱を帯びる。楽しい気分が高揚してくる。結局は動き回って体温が上がり、寒さから身を守っているだけなのかもしれない。

氷点下ハイの理由も、そんなところでしょう。

雪の降る街角にソフトクリーム屋さんを見つけて駆け寄って食べました。あまり冷たく感じられなくて不思議な美味しさでした。

 

でも、若いころには、こんなふうに書いたこともありました。

「冬至生まれの私の心には、いつもどこかで雪が降っている……」

おのれの心の冷たさを持て余し、言い逃れていた。肯定していたかったのかもしれません。


翌日は、小樽の雪明かりの路を歩きました。

雪深い街に、たそがれが忍び寄るにつれて、雪にしつらえられた手作りの明かりが浮かび上がる。静謐な美しさでした。

その翌朝は、支笏湖畔の氷濤まつりへ。

氷点下ハイを言い訳にして、年がいもなく氷の滑り台で笑い転げては、日ごろのストレスをおおいに発散してきました。

そして今度は、白い寒さにひかれて、スキーへ。

5年ぶりです。滑り方は体が覚えているでしょうから心配はないけれど、ギプスでもはめて帰ってきたら、年寄りの冷や水、とお笑いください。

シニアスキーを始めるつもりで、行ってきます。




節分の夜の気がかりは2015年02月03日


いつからこんなに流行ってきちゃったんでしょうね、恵方巻き。

どうもあの食べ方が好きになれません。(お上品ぶっているのではなく、歯が悪くてそれができない負け惜しみですけど)

わが家は、1200年以上も歴史があるという豆まきを、毎年欠かしません。

自閉症の長男は、毎年恒例の行事はきちんとやりたがるのです。

今年も長男が、体に似合わない小さな声で「おにはそと……」とつぶやいては、夜の庭に向かってパラパラとまきました。

以前は、節分の夜にはあちこちから「鬼は外!」の元気な声が聞こえてきたものですが、それもなくなりましたね。まかれっぱなしの豆が問題になったりして、お寺や神社だけの行事になってきているのでしょうか。

豆をまいた後は、年の数だけ福豆を食べます。

ところが、今年は大変な事態になりました。

家族みんなで食べ始めたら、福豆が足りないのです。

毎年、5粒ずつ消費量が増える計算なのに、今年は小さな袋を買ってしまったのかもしれません。

というわけで、子どもたちにはきちんと食べさせて、私は22歳も若返って食べ終えました。全部食べたらお腹をこわしかねないから、ちょうどいい。

でも、福も減ってしまうかな……




エッセイの書き方のコツ(24):テーマで書いてみたら2015年01月27日

エッセイを書くとき、自由に書くほうが好きですか。

それとも、あらかじめ決められたテーマで書くのがお得意でしょうか。

公募エッセイでは、後者のほうが断然多いですね。趣旨がはっきりしているからでしょう。

私の教室で、何を書いたらいいのかわからない、書くことが見つからない……、などの声があるときには、課題としてテーマを定めて書いてもらいます。

エッセイのお勉強のあとは、楽しいランチパーティ。

ちょっと季節外れなお話でごめんなさい。

先月の湘南エッセイサロンでのことです。

いつもは自由な内容で書きますが、たまにはテーマで書いてみましょうか、ということになりました。ちょうど12月ですから、「クリスマス」というテーマにしてみました。

海外暮らしを経験したメンバーも多く、バラエティに富んだクリスマスが読めるのでは、という思惑もありました。

はたして、ドイツやアメリカのクリスマス、日本でも昭和初期から現代にいたるまで、十人十色のクリスマスがつづられて、読むだけで幸せ気分が満ちてくるようです。

「この思い出を、初めて文章にしました」

「懐かしくて、書いていて楽しかったです」

作者の皆さんの感想でした。

写真は、レープクーヘンというドイツのお菓子。ドイツのクリスマスには欠かせないとか。


そんななかで、Tさんは、70年にわたるクリスマスを一気につづりました。進駐軍のクリスマスにあこがれて、父上にツリーを作ってもらった子ども時代の思い出から、お子さんたちのためにサンタの代役を必死で務めた楽しいエピソード、さらにお孫さんたちが聖誕劇をする話にいたるまで、盛りだくさんです。

ところが、Tさんは、朗読した後、ほんの少し険しい顔をして、こう言われたのです。

「楽しい思い出を書いたつもりだったのですが、こうして読んでみると、別の思いが湧いてきました。戦後の私たちは、アメリカにしてやられたなぁ、と……」

当時はなぜあれほどアメリカにあこがれたのだろうか。アメリカの真似をして、どんどん取り入れてしまったけれど、今になってみれば、日本には日本のすばらしいところがあるはずなのに、もったいないことをしたような気がする……と語りました。

言葉は多少違うかもしれませんが、そのようなコメントだったと私は解釈しています。

テーマを与えられて、初めて書いたからこそ、大事なことに気づいた。

それが、エッセイを書く意味ではないでしょうか。

この日のエッセイサロンで、改めてその思いを強くしたのでした。

 書いて初めて見えてくる真実があります。

 心の底に言葉という光を当てて、初めて形になる思いがあります。

 だからエッセイを書くのかもしれません。

      ――エッセイ集『なしのはな 第2号』あとがきより

ときにはテーマで書いてみませんか。

知らなかった自分を発見できるかもしれません。



ダイアリーエッセイ:遅ればせのサザン年越しライブ報告2015年01月09日

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


暮れには、母が入院し、私がインフルエンザに倒れ、万事休すの日々でしたが、ジコチュー主婦に徹し、大みそかには復活して、予定どおりサザンオールスターズの年越しライブに行くことができました~



NHKの紅白歌合戦には、横浜アリーナからサプライズで登場。2階席にいた私も、きらめく光の一つとして、初出場を果たしましたよ。


 

「皇居に出向いた話」もありまして、本物かどうかはわかりませんが、紫綬褒章を持ち出して、桑田くん特有のギャグにしていました。これには賛否両論あるようです。

「ラブユー東京」の替え歌で「ラブユー紫綬褒章」を歌い、「紫綬、紫綬、みんな~の紫綬褒章~♪」というサビは、大いに会場が湧きました!

 

デビュー曲の「勝手にシンドバッド」の途中から年越しのカウントダウンが始まって、ノリノリのうちに新年を迎えました。 

天井からたくさんの風船が下りてきて……


会場みんなで「一月一日」の歌を大合唱♪♫~

最後の曲は、「Oh! クラウディア」。涙を誘われて感極まったところで、深夜1時ごろ、おひらきとなりました。

 

浮き立つハートのまま、終夜運転の市営地下鉄に乗って、途中まで帰ってきたものの、そこから先の私鉄の上りは、4時まで待たないと始発が出ないというのです。一緒に誘ってくれた友人は、最終の下り電車が間に合い、帰っていきました。

しかたなく独りタクシー乗り場に並びました。すでに長い列……。20台は待つことになりそうです。それでも、次々と来るだろうと、高をくくっていました。

が、予想に反し、タクシーは来ない。30分たっても、列は半分にも減ってくれない。ときおり冷たーい北風が吹き、雨の予報だったにもかかわらず、頭上には星空が。じっと待っていると、体の芯から震えてきます。

家で寝ている娘のことが脳裏をかすめます。車なら、自宅からは15分ほど。とはいえ、さすがにこの真夜中に娘を呼び出すことはできません。

もうちょっとでタクシーに乗れる。大丈夫、きっと待てる……。

そこでこらえきれずに、このライブのために用意したグッズを取り出しました。羊の顔のフードが付いたケープです。


今回のライブのタイトルは「羊だよ、全員集合!」。そこで、羊のスタイルで参戦したのです。ちょっと恥ずかしすぎて、オバサンが着ている姿はお目にかけられませんが……。

この顔の部分は折りたたんで、ダウンコートの上からショールのように巻きつけて、寒さをしのぎました。

真冬の夜空の下、待つこと1時間20分。羊がいなかったら、本当に遭難していたかもしれません。

 

翌朝、娘にその話をすると、「電話してくれたら行ってあげたのに」とあっさり言われました。なあんだ、頼ればよかった。

そうそう、「情けは人のためならず」ですものね。

 

今年も、皆に甘え、皆に支えてもらって、やっていきましょう。

元旦夜明け前の教訓でした。


 

 

 


ダイアリーエッセイ:いつもと違う誕生日2014年12月22日

 

昨日は特別な日。×〇回目の誕生日でした。

いつもの誕生日というと、家族そろって、マンションの4軒となりに住む母も呼んで、クリスマスパーティーを兼ねた楽しいディナーを用意していました。それがうれしいようなさびしいような複雑な気分ではありますが、生まれた日の宿命です。

 

ところが……

2日前、母が急に入院してしまったのです。

91歳になる母は、2週間前にリウマチが発症して、薬を投与。つい2日前からはその薬のせいで、全身にひどい発疹が出ました。整形外科で紹介状を書いてもらい、病院の皮膚科を受診すると、「このまま入院」と告げられました。

その日の午後は、エッセイクラブ稲城に行く予定でしたが、急きょキャンセル。母宅と病院を3往復して入院の準備を整えました。

稲城の皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。

 

そのほかにも、月末までの仕事、年末のあれこれ、もちろん楽しいイベントも……。スケジュールはびっしりです。でも、万事休すに陥りました。

 

記念すべき誕生日も、すべて自粛ムードとなりました。

テーブルにいつもの母の席はなく、バースデーケーキもクリスマスチキンもなし。私が言いだしたこととはいえ、ちょっとさびしくてあとから落ち込みました。

これからは、もう少し家族に目を向けよ、という神様からのサインかもしれない。今までの私は自分のことばかりを優先しすぎていたのでは……。今日は、今までの自分をリセットする日。節目の年を迎えて、新たな自分になろう……などと柄にもなく反省までしました。

 

とはいえ、この日のために用意してきた美味しいものたちが、食べられるのを待っています。ココファームワイナリーの収穫祭ワインや、夏にフランスで買ってきた赤ワインとフォアグラの缶詰、東松島から取り寄せた生牡蠣などなど。

結局、家族5人で、母の分まで分け合いながら、それぞれの胃袋に収めました。やっぱりにぎやかな夜となりました。

これからは、形にとらわれることなく、自分なりのやり方で楽しめばそれでいいのだ、と気がついたのでした。

 

雪の結晶が飛び出てくる素敵な絵本と、わが家の小さなクリスマスツリー。

どちらも、私の大切な人たちからの贈り物です。

大好きマカロンのクリスマスバージョン。

ケーキの代わりに、自分で買って来ました。


 

皆さんも、大切な人と素敵なクリスマスをお過ごしくださいね。

おかげさまで、母は順調に快復、週末にも退院できそうです。

 

 


ダイアリーエッセイ:雪アートは、これ!2014年02月16日

朝起きるなり、ジャンプの葛西選手の結果をチェック……。
銀メダルだ! おめでとう!


年を顧みずにがんばっている彼に、私も共感して応援してきた。
41
歳。冬季五輪では最年長のメダリストとなったという。
テレビの前で拍手!!


モトと夫を助手に雪かき。お疲れさん!

さて、昨日もせっせと、マンションの駐車場の雪かきに励んだ。オバサンも負けてはいられない。
今日は、駐車場の隅に積みあげた雪の山で雪だるまアートを作ろう、と思った。ちまたでは、スヌーピーが犬小屋に寝ている雪像や、トトロの雪だるまが流行っているらしい。私はフナッシーに挑戦!とひそかに意気込んで、お昼過ぎに出ていったのだが……。
残念、その雪山にはすでにかまくらが掘ってあり、子どもたちが遊んでいた。

雪だるまはあきらめて、スロープの雪かきをした。愛車はノーマルタイヤなので、坂が凍りついたら怖いのである。
雪は少しだけかき分けてあったが、さらに整えて、車の通り道を作った。
途中から男性がひとり手伝いに来た。それまではほとんど私ひとりでやった。
終わってみたら、これもまた雪アートではないか。

マンションのスロープの雪をかいたら……

        題して、「ラージヒル」。


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