娘の一時帰国2025年02月25日

 

上海に赴任中の娘が、人間ドックを受診するために帰国した。どこかが悪いわけではなく、会社からの指示。よって往復の搭乗券は会社が負担。赴任してもう丸4年がたっている。

仕事の合間を縫って、1週間わが家に滞在し、今朝、ふたたび上海に戻った。

 

久しぶりというわけではない。これまでにも、ロンドン駐在の夫と二人で、お正月に来てくれたこともあったし、数ヵ月前には、私たち夫婦が上海を訪ねたばかりだ。

でも、これまでの帰国では、なかなか母娘二人だけの時間が取れなかったし、普段のラインや電話では、あまりおしゃべりな娘ではないので、娘の本心が覗けない歯がゆさがあった。やはり今回は、一緒の時間のなかで、母と娘の会話もできて、何よりそれがうれしかった。

 

近くで見ると、頬の赤い吹き出物が気になる。髪の毛も傷んでいて、水や空気があまりよくないらしい。

食事も外食ばかりだと、中国料理はどうしても脂っこいので、健康が心配になるから、忙しい日々でも、要領よく自炊するようにしているという。果物や野菜は新鮮で安く手に入るけれど、便利な冷凍野菜は質が悪い。日本からのフリーズドライなどの食材を使って工夫しているというので、帰る時には、おにぎり用の美味しい海苔や即席みそ汁などをたくさん持たせた。

 

娘は、日本にいる間に、人間ドックだけでなく、歯科検診やら、運転免許の更新やら、美容院やら、銀行の手続きやら、免税での買い物やら、たくさんの用事をこなしていた。外国に2年以上住んでいると、店舗によっては消費税が免税になるそうだ。

もちろん、たくさんの友人たちとも会った。30代半ばの娘たちは、すでに離職、転職した人、離婚した人、家を買った人、それぞれに人生を切り開いているという。娘もいろいろと感じるところがあったことだろう。

 

最後の夜は、たまたま招待されていた、ホテルの牛肉尽くしのスペシャルディナーコースを二人で堪能した。何杯もワインや日本酒を飲みながら、私の食べきれないお肉も余分に食べながら、いつになく饒舌な娘となって、胸の内を見せてくれたように思う。今は離れ離れになっている夫との暮らしも、将来の設計図も、上海での仕事内容も、少しだけではあったけれど、私には新しい発見があった。わが子ながら誇らしく思えた。

(もちろん、企業秘密や、口外したら怒られそうなことだから、ここには書けないのが残念)

 

そして、中国ではなかなか食べられない日本の美味しいものたち。握り寿司、たこ焼き、もんじゃ焼き、あんこの美味しい和菓子、母親、父親の手料理……などなど、彼女の好物を連日食べつくして帰っていった。

 

また、いつでも帰っておいで。

中国駐在は、まだあと1年か、長くても2年か……。そして、そのあとは???

娘の成長と、生活の変化と、見守りながら楽しんでいこう。


 

写真を撮られるのを好まない娘。今朝の出発間際にやっと一枚撮らせてくれた。娘を歓迎しようと、4年ぶりに飾ったお雛様の前で。




新年のご挨拶2025年01月01日

 


皆さま、明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今日、いただいた年賀状の中にも、「ブログを読んでいます」というお言葉がありました。どうもありがとうございます。
とてもうれしく、それを励みにまだ続けていこう、と決意も新たにしました。

 

年の初めのブログに「新年のご挨拶」を載せることが恒例になりました。昨年の1月4日には前年を振り返って、


ひとことで言うと、2023年は「いい年ではなかった」。
 

などと書いています。でも今年は違います。

 

ひとことで言うと、2024年は「いい年だった」。
 

前年に脳出血で倒れた義姉も、1月にはリハビリ病院を退院し、義母と二人、実家の近くの有料老人ホームに入居することができました。24時間看護師が常駐し、隔週で往診があり、至れり尽くせりです。

103歳の義母が、78歳の義姉の車いすを押して廊下を歩く姿は、なんとも言えません。

 

肩の荷も下りてやれやれ……と、3月に夫と慰労の旅をしました。大好きな琵琶湖巡りで、レンタカーを走らせてドライブを満喫。まだまだ桜のつぼみも硬く、寒かったです。

 

4月には京都と奈良へお花見。インバウンドですごい人でしたが、上手に人混みを避けて、まだ少し早い桜を楽しめました。

また、東山の邸宅や、嵐山の福田美術館を見て歩き、日本画家の大家、竹内栖鳳の芸術と、初めて触れあうことができました。

 

5月には、静岡ドライブの旅。35年ほど前に住んでいた清水から駿河湾のカーフェリーに乗り、西伊豆まで。お天気が良くて、富士山もきれいに見えて、感激したのはつかの間でした。まあ揺れたこと揺れたこと。まいりました。

 

という具合に、春だけで3回もミニ旅行へ。

そして、すでにブログに書いているとおり、念願の海外へ。6月には南フランス、11月には上海と、年に2回も海外旅行をしたのは初めてのこと。それだけでも、充実の一年だったと思えるのです。

 

12月末には、ついに古希を迎えました。

もっとも、「古来、希(まれ)なり」だから古希、と言ったのは昔の話。近来はざらにあることなので、キンザラというのよ、と人生の先輩から教わりました。

 

ところで、その誕生日から、夢のような、運命のような、タイムスリップのような、不思議な偶然が重なって、そのことに気持ちが持っていかれてしまっています。

今はそこまでしか書けませんが、いずれ、それを書いてみたい。

2025年からの私の70代は、ますます素敵な出来事で“満ちてゆく”。藤井風君の歌のように。その予感を信じて進みます。

 

中断していた「南フランスの旅のフォトエッセイ」も⑪から再開します。また覗きにいらしてください。

皆さまにとっても、素敵な年となりますように。


 

 


ニーハオ、上海!:③一番のお気に入りは、ここ2024年12月16日

  

「上海に、世界一大きいスタバがあるらしい。行ってみようよ」

「え、スタバなんて日本にだってたくさんあるじゃない」

上海の街を歩けばどこにだってスタバはあるし……、ただ大きいというだけでわざわざ見にいくの? とあまのじゃくな私は思いました。

 

が、しかし。

午後の便で帰国という日の朝、早起きして8時の開店に合わせて行ってみたら、いつも行列ができるらしいけれど、平日ということもあって、お客さんは少ない。

しかも、一歩中に入れば、フレッシュなコーヒーの香りに満ち満ちている。

スタバなんて東京にだってあるし……と思っていた私は、大まちがい!

ワンランク、いえ、ツーランク上の店舗だったのです。

 


スターバックス ・リザーブ・ロースタリー(Starbucks Reserve Roastery)という名称で、2014年にアメリカのシアトルに1号店ができて、上海には2号店として2017年に完成。南京西路駅のすぐそば、目抜き通りの角地にあります。
2階建ての広さは2,700㎡あるそうで、普通の店舗の10倍近い印象です。(もっとかも?)

大がかりな焙煎機の装置があり、自家製パンやケーキも店舗内で焼き、お茶の販売も、さらにはアルコール類をおくバーまであり、スタバグッズの種類も充実の品ぞろえなのです。


▼内部は、天井も、椅子もテーブルも、ほとんどが木材。


ここが焙煎工房▲


パンの販売コーナー▲ 店員さんたちはみな、それぞれ好みの帽子をかぶっていてオシャレ。デニッシュパンからクロワッサンサンドやピザまで、たくさんの種類が並んでいます。出来立てで本当に美味しそう。


迷い迷って、やっぱり大好きなデニッシュをチョイス。レーズン・ピスタチオ味と、シナモンロールを娘と半分こして食べました。どちらも直径15センチほどで、ボリュームもおいしさも満点。ちなみに1つ630円ほど。シナモンアップル・マキアートと一緒に。

クロワッサンサンドは普通のソーセージときゅうりのサンドで、1050円。店内で淹れ立てのブレンドコーヒーは3杯分たっぷりポットに入っていて、お値段1600円ほど。
決して安くはないけれど、上海最後の朝食として、思い出に残りました。


2階に上がる階段を下から見上げて一枚▲

吹き抜けになっているので、2階から1階を見下ろすこともできます▼

2階にはバーやお茶のカウンターがありました。




▲充実のグッズたち。早くもクリスマスの飾りも。


ゆっくりと店内を見て歩き、写真をシャカシャカと撮り、出来立てパンの朝食をいただいて、しっかりと自分用のおみやげも買いました。

上海限定のタンブラーは、上海の人気スポットのかわいいイラストが。

さらに、オリジナルのプリントもオーダーできるというので……▲

ちなみにタンブラーの写真は、帰国してすぐに稲城教室があり、その時に稲城のスタバで撮りました。もちろん、中には熱々のコーヒーが入っています。

 

思いがけず、素晴らしかった。
ここの魅力は、広さや美味しさだけではなく、アメリカや日本のスタバにはない、上海ならではの魅力そのものなのかもしれない。伝統に胸を張る一方で、新しいものもすかさず取り入れて、前に進んでいこうとするこの街とその人々。そんな印象を持ったのでした。

 

上海の最後に訪れて、イチ押しの場所となりました。

皆さんも上海にいらしたら、ぜひ!


ニーハオ、上海!:②上海の美味しいものたち2024年12月08日

  

中国初上陸で、中華料理は大きな楽しみのひとつでした。

そんな親の思いにこたえようと、娘があれこれ考えて選んで、必要なら予約も入れておいてくれました。

 

夜に到着して、翌朝はまず街に繰り出して朝ごはんです。8時ごろでも下町風の商店街はすでににぎわっていて、湯気の上がる店もありました。営業は朝だけという店もあるそうです。

中国では女性も仕事に出るので、朝ごはんを家族そろって自宅で食べるという習慣はあまりない、と聞いたことがあります。

娘のおススメは、焼き小籠包。小籠包なら日本でも食べたことがあるけれど、この〈焼き〉が美味しいのだとか。目星をつけておいたという店を目指します。

 

新装開店の店には行列が▼


肉屋の店先で、ハガキより大きいぐらいの包丁で肉を切り分ける(というより、ぶった切るという感じの)人、それを見守る人たち。


これが、焼き小籠包。大きな鉄板のような鍋で転がして焼き、ゴマとねぎをトッピング。

調理は店の奥ではなく、道路に面したガラス張りの調理場。女性が何人もいて、せっせと手を動かして、作っていました。

店内は、ちょっとレトロな雰囲気。一人で朝ごはんを食べている男性客が多かったです。



アツアツのところに、お酢の利いたタレをつけて食べます。まあ、美味しいこと! 

初中国の初シャオチー(軽食)は、本当にハオチー(美味しい)。忘れられない味になりました。


 

11月といえば、上海蟹のシーズンです。この貴重な時期に行くことになったのは、ラッキーこのうえなし。2日目の昼食に、新光酒家という人気のお店へ。





カニ丸ごとよりも、むき身の料理がとても美味しい。アスパラと炒めたり、ソースと絡めたり。とくに、パクチー大好きな娘と二人で、山のようなパクチーと大豆と炒めたような一皿、ぺろりと堪能いたしました。

もちろん、陶製のボトルに入った紹興酒も、毎日飲んでいたあっさりしたチンタオビールも、大変おいしゅうございました。


 

3日目のランチは、ミシュラン2つ星の中華料理店へ。

喜粤8号/CANTON 8という元は香港料理のシェフが、上海らしい広東料理にアレンジした高級店だそうで、娘の一押し。

下町のようなごみごみとした地域に、タクシーでたどり着きました。





店構えはこざっぱりとして、従業員の制服はちょっとおしゃれ、食器類もちょっとあか抜けている印象で、お客さんたちも、いかにもちょっと……という雰囲気。

 




 


フランス料理でおなじみのオマールエビは、くどいホワイトソースではなく、あっさりとやさしい味で、エビのうまみがよくわかります。

ありふれた酢豚とはいえ、今まで食べた中で一番! 周りはカリッと、中はジューシー。プロの味です。

たかがチャーハン、されど広東料理のチャーハンは逸品でした。

広東料理の特色は、甘辛醤油味。それが濃すぎずまろやかで食材本来の味をしっかり残していて美味しい。

私は四川料理のような辛すぎるのは苦手だけれど、一切それを感じませんでした。


 

ただし、最後のデザートのこれは!

お汁粉のようです。確かに小豆で作られています。が、ひとさじ口にすると、ほんのりと甘い小豆の味の最後に、舌の奥に柑橘類のピールのような苦みが残るのです。「私の体の半分はお砂糖でできている」と豪語するスイーツ大好きな私ですが、どうしても食べきれず、残しました。ごめんなさい。デザートを残すなんて、生まれて初めてかも。

 

ちなみに、このレストランは、2年前に銀座に上陸したとのこと。懐かしくなったら、行ってみようかと思ったり、いやいや上海だったからこそ美味しかったのだと思いとどまったりしています。

どうせなら、ふたたび上海へ……というのがいいかな。 

 

                (③に続く)

 


ニーハオ、上海!:①びっくり7選2024年11月22日

「南フランスの旅のフォトエッセイ」も中断したままだし、前回の投稿がちょうど同じ日付の1022日。1ヵ月もご無沙汰しておりました。娘の駐在先の上海へ行っていたのです。準備にも、帰国後の忙しさも、目の回る1ヵ月でした。

 

初体験の中国です。まず観光とはいえ、ビザが必要で、申請も受け取りも江東区有明にある中国ビザセンターに出向き、それぞれ狭い部屋で2時間半待たされました。それだけで気持ちが折れそうでした。

とはいえ、娘がどんな場所でどんな暮らしをしているのか、この目で見てこよう。そんな強い思いで、夫とふたりで、かの地へ向かいました。

娘が上海に行くことになったいきさつは、2021210日の記事につづっていますので、そちらもお読みいただけたらうれしいです。

コロナ禍の真っ最中に単身赴任してから早くも3年半。娘もさることながら、聞きしに勝る中国とそこに住む人々のおもしろさに圧倒されるやら呆れるやらの5日間でありました。

 

びっくり・その1

まずは初日、仕事帰りの娘が空港に迎えに来てくれるので、夜に到着。出口で待っていた娘は、タクシードライバーと電話でやりとりしています。もちろん、中国語。彼女が中国語を話すのを初めて聴いたので、まずびっくり。3年半も暮らしてきたのだから、当たり前だとはわかってはいても、感動してしまったのでした。

 

その2

彼女のひとり暮らしの住まいが立派なのでびっくり。26階建てのホテル兼レジデンス。2回お掃除が入ると聞いてはいたけれど、要するにホテル住まいだから、タオルも寝具も取り換えてもらえる。キッチンや大きな冷蔵庫はあっても、ほとんど外食だとか。広い寝室もバスルームも2つずつあって、私は高級ホテルのシングルルームに泊まった気分。ああ、うらやましい。(と私が言うのがわかっていて、これまで娘は詳しく話してくれなかったようです) 


その3

まあ、街中の賑やかなこと。車はクラクションをブブブーと鳴らして走り、バイクは歩道さえもビービー鳴らしながら通行人を縫うように走るのです。これにはいつもびくびくして歩いていました。

人々は大きな声で会話をします。近くの人とでも。まるでけんかしているみたい、と言われるとおりでした。

 

その4

上海は都会ですから、人口も多い。その混み具合は、東京とあまり変わらないでしょうか。ただ大いに違うなと思ったのは、どこを歩いていても、人がよけてくれないこと。いつも向こうから突進してくる人をこちらがよけている、という感じがしてなりません。こちらを人間として見ていないの? 物体のように思ってる? ……とすら思えてくる。娘もそうなのよ~と同意。日本なら、どちらからともなくぶつからないように自然と身をかわすのに。

とはいえ、あちこちでぶつかって倒れる人もいないので、うまくすれ違っているのでしょうね。ひと月もすれば慣れるのかもしれないけれど、新参者としては戸惑うばかりでした。


▲南京東路・西路と呼ばれる繁華街。いつでも歩行者天国でにぎわっていました。

 

その5

同じように、地下鉄の中でも、当たり前のように電話をしています。しかも、スピーカフォンで、相手の声まで聞こえてくる。これもまた日本ではありえない。

みんながみんな同じようにしていて、お互いさまだから?

話し声も大きいから、電話だって同じ?

「車内ではお静かに」というマナーはないのかもしれません。


 珍しく空いていたので、撮ってしまった地下鉄の車内▲ なぜか樹脂製の硬いシートの車両も多く、お尻が痛くなりました。


その6

さすがに中国は、日本の先を行くIT社会です。

まず、出発前に娘の指示どおり、中国のAlipayというアプリをダウンロードして、アカウントの初期設定をしました。中国の人民元で支払いをするためのアプリで、娘が夫と私のそれぞれのアカウントに、滞在中に使う程度の人民元をチャージしてくれました。手持ちのクレジットカードも登録すれば使えますが、その都度3%の手数料がかかるので、使ったのはチャージした元だけ。地下鉄に乗るときも、改札口にQRコードをかざすだけで、アプリから電車賃が支払われます。買い物の支払いも、店頭で同様にQRコードだけで決済が完了します。

結局、滞在中は中国の紙幣も小銭も、現金には一切触れず、目にもせず、でした。

 

タクシーにも何度も乗りましたが、すべて娘がアプリで手配。近くのタクシー乗り場を指定すると、利用する車のナンバーや、あと何分で来るかもわかり、安心して待っていればいいのです。

日本でもたまに「GO」のタクシーを利用しますが、それより進歩していて便利なように感じました。

ちなみに電車賃もタクシー料金も、およそ日本の3分の1程度でした。

 

なんともかわいかったのは、娘の住むレジデンスのロビーで、充電しながら待機している青とピンクのロボット2体。日本でもファミレスなどで料理を運んでいるのを見かけるようになりましたね。

このビルでも、ときどきエレベーターに乗っていたり、扉が開くと降りてきたりして驚いたものです。ビルの玄関先まで届けられた居住者宛ての配達物を、従業員が受け取り、ロボットたちに指令を出すと、それを間違いなく部屋のドアの前まで届けるのです。娘も熱々のご飯や通販での買い物など、しょっちゅうお世話になっているようです。

ちなみに、彼らの名前は、トムとジェリーですって。かわいい働き者たちでした。

 

その7

こうやって、驚いてばかりの初めての異国を、中国語しか通じない街で、老夫婦ふたりが迷子にもならず、けがもせず、(当局に捕まりもせず?)歩き回れたのは、ひとえに娘のおかげです。

思い起こせば、3人の子どもたちが小さい頃、私たち親は苦にもせずに車を運転したり、電車に乗せたりしては、あちこち連れて行ったものです。

それが今、まったく立場が逆転してしまった。感無量の思いです。娘がここまで成長したのも、親の力なんてほんのわずか、自分の努力と我慢をたくさん積み重ねてきたからだと、私は思っています。

立派になったね。ほめてあげたい。

 

☆びっくりの番外編です!

これを書いている最中に、たった今、ニュース速報が入りました。

「日本人の中国訪問 短期ビザ免除再開へ 今月30日から」

1ヵ月早かったら楽だったのに……。


▲有明の中国ビザセンターからの眺め。ビッグサイトが見えます。もうここで待たされなくとも娘に会いに行けますね。

 

★次回は、美味しい中国料理のかずかずや、上海の人気スポットなど、たくさんの写真とともにアップするつもりです。お楽しみに!

 



ロングエッセイ:「最後の愛車」2024年05月04日

         

私が運転免許を取ったのは、結婚した年だった。費用は家計費からねん出して取得すればいい、と学生時代から考えていて、そのとおり実行した。夫は免許を持ってはいても、運転はあまり好きではなさそうだ。そのせいか、私の運転に協力的で、助手席に座り、文字どおり私の運転助手となった。

子どもが生まれると、車のある暮らしは何かと便利だった。しかし、その必要性がはっきりしたのは、長男が2歳半の頃。息子は自閉症という障害があり、いわゆる多動児で親と手をつなぐのも嫌がり、勝手にどこかへ行ってしまう。買い物も、通院も、遊びに行くのも、チャイルドシートから降ろすとベビーカーに乗せ、どこへでも出かけたものだ。

子どもが2人に増えても、リトラクタブルライトの付いたスポーティブな車の後部座席に、チャイルドシートを2つ並べて子どもたちを乗せる。それを見た友人から、「ミスマッチねー」とあきれられたこともあった。カーナビなどない時代、高速道路の出入り口を事前に頭に入れておいたり、膝の上に地図を広げたりしては、あちこち走りまわった。

家族で旅行をする時には、全行程ドライバーは私で、到着後の子どもの世話や食事のしたくは夫の役目。この分業はスムーズだった。

そして、子どもが3人になった頃、ワンボックスカーが主流になり、7人乗りのホンダ・オデッセイを選んだ。大きい分、パワフルで運転しやすく、見晴らしもいい。車内も広く快適だ。オデッセイはほぼ20年にわたって3台乗り替えた。その頃にカーナビという画期的な道具が生まれ、これさえあれば地の果てまでも運転していける気がして、うれしかった。

オデッセイ2代目の時に、初めて希望のナンバーが付いた。お気に入りの曲、桑田佳祐の「波乗りジョニー」をもじって、ナミナミ、つまり7373にした。

ところで、車をゆりかご代わりにして育った長男は、毎年発売になる自動車ガイドブックをいつからか買い続けていて、さすがに車に詳しい。また、近くのホンダカーズの担当者とも仲良くなり、行くたびに新しいホンダ車のカタログやミニカーをもらい、コレクションしている。ディーラーとは、もう30年以上のお付き合いだ。他社の車に目を向けることもなくホンダ車ひとすじのわが家は、いいお客さんだろう。薦めるでもなく売りつけるでもなく、こちらの言い分、気持ちをすべて肯定して受けとめてくれる。気がつくと、魔法にかかったように買いたくなっているのだ。

 

時は流れ、家族旅行の機会も減り、わが家の車は7人乗りである必要がなくなってきた。とはいえ、オデッセイの走りの良さは捨てがたい。そこで買い替えたのが、やはりホンダのヴェゼル。SUVと呼ばれる、走りを楽しむスタイリッシュな車だ。長男は発売当時から、街中で見かけると、「ヴェゼルだ!」と指さした。私も次に買い替えるならこれ、と決めていた。これが最後の愛車になるだろう。BGMはもっぱらサザンだから、ナンバーは12ヵ月サザン、1233とした。

ところが、である。買ってから2週間目に、夫と紅葉の軽井沢に出かけた。もう少しで到着という辺りで、ディスプレーに赤い警告が出て運転中止を余儀なくされたのだ。驚いて緊急連絡をすると、レッカー車がやって来て、新車ヴェゼルはあえなく修理工場に運ばれて行ってしまった。まる1日かけて検査をしたが異常は見つからず、コンピュータ内部にも原因は見当たらなかったという。別の車に交換してもらうこともできず、問題のない安全な車だと信じて乗り続けるしかなかった。幸いその後は、同じ警告が出ることはなかった。

さらなるショックは、半年もたたないうちにやってきた。ヴェゼルのフルモデルチェンジが発表されたのだ。担当者は「営業にも知らされなかったんです」と、とぼける。それがわかっていれば、新型車発売まで待ったのに、と悔やまれた。

新型ヴェゼルはあまりにも斬新なスタイルで、いかつい顔が好みではない。とはいえ、皮肉なことに、この新車のCMで流れる曲「きらり」を歌う藤井風にはどんどん惹かれていく。旧型ではあってもヴェゼルに乗って彼の歌を聴くことは、最高にクールな時間だった。それでも、ドライブ中にすれ違う新型車は、気になってしかたがない。

やがて、気がつくとテールゲートに何かをぶつけられたようなへこみができていた。私がぎっくり腰で歩けなくなり、医者に行くため運転を任せると、夫は2年ぶりの運転で、やはり前方のバンパーを激しくこすった。

愛車の傷は、私の心の傷となっていく。3年後の初回車検のおり、「新型に買い替えようかな」と軽い気持ちで呟くと、

「今、納車は1年先ですよ」とのこと。世界的な半導体不足で、自動車業界も厳しい状況にあるのだ。とても1年は待てないと、買い替えの件はあっさり撤回した。

 

「新型ヴェゼルの納期は3ヵ月程度になりました」

と、その半年後の定期点検の時に、担当者が言う。消えたはずの買い替えの気持ちが、また膨らみ始める。

夫は「運転するのは僕じゃないから」と、にこにこ笑っているだけで何も言わない。ただ、2人とも新型ヴェゼルがすっかり目になじんで、「いいねー」「いいよねー」と、気に入っていることだけは共通していた。

それでも買い替えをためらう最大の理由は、なんといっても年齢的なこと。今年の年末には古希を迎える。腰が痛い、ますます目が悪くなったと言いながら、新しい車が扱えるようになるのだろうか。ブレーキとアクセルを踏みまちがえたりしないだろうか。

その迷いは、試乗することで解決した。運転操作はほぼ今の車と同じ。ナビの画面は今の倍はあるし、メーターの表示も大きい。ちょっとでも物体に接近しすぎると警告音が鳴る。片足を上げればセンサーが反応してテールゲートが開く……。むしろ高齢ドライバーに優しい車ではないか、と夫も私も納得した。

そうだ、古希のお祝いに買うことにしよう。あと5年間、ドライブを楽しめればいい。ヴェゼル2号の色は「プレミアムサンライトホワイト・パール」。日の光で微妙に変化する上質な白い色。愛車人生で初の白だ。ちなみに、10台目のホンダ車である。

もうひとつの言い訳。私は長男の子育てで、車に大いに助けられた。便利だっただけでなく、好きな音楽を聴きながらひとりでドライブすれば、つらいことからも解放されるような気分に浸れた。そうやって苦難の日々を乗り越えてきたのだ。私にとって、かけがえのない相棒であり必需品だったといえる。長男は車とセットで授かった、と言ったら神様に笑われるだろうか。

ナンバーは、1231。今度こそ、これが最後の愛車となる。


        ▼さよならしたヴェゼル1号。


▼最後の愛車、ヴェゼル2号。

 

 


現状のご報告2023年12月06日



 

前回の記事を載せてから、あっというまにひと月がたちました。

脳卒中で倒れてリハビリ病院に入院中の77歳の義姉と、今まで義姉と二人暮らしをしていたのに突然独りになった102歳の義母。2人の心配を抱えていることは、これまでにも書いてきました。

 

そのさなか、2ヵ月ほど前になりますが、今度は長男が、よりによって自分の誕生日に、バスの中でパニックを起こして乗客に迷惑をかけてしまったのです。

翌日から、住んでいるグループホームから職場への通勤に、付き添うことになりました。夫はバスと電車に同乗、私は車で送迎。福祉サービスの支援は受けられず、実費を支払ってヘルパーさんにお願いする日もありますが、なんとか欠勤をしないで続けています。

 

ところが、今度は義母が、体調を崩して一人暮らしができなくなり、わが家に移ってきました。

万事休すとはこのことです。長男の送迎のこともあり、予定していた旅行もすべてキャンセル、趣味のあれこれも休会、今月はエッセイ教室の仕事もお休みにさせてもらいました。

夫と2人で「3人分の介護」をしながらも、義母と半身まひの義姉がこれまでどおり一緒に暮らせる介護付き老人ホームを探して奔走しました。ようやく、実家の近くに良いところが見つかり、義母が体験入居をしたうえで、「ここにする」と言ってくれたのです。やれやれ! 

今は契約に向け、あちこち駆け回ってもろもろの手続きを進めているところです。

1月半ばには、義姉も退院して、ホームに入居することになります。

それが落ち着けば、ひとまず肩の荷が下りることでしょう。

 

長男のトラブルについては、今はまだあまり詳しくは書けませんが、3ヵ月ほど通勤に付き添って、来年からはまた単独で行動させるつもりです。

しかし、「今回の一件は障害者の人権にかかわる社会的な問題でもあるのだから」と、主治医の先生から言われました。近いうちに先生から紹介していただいた弁護士に相談することになりそうです。

そのことについても、いずれご報告できればと思います。

 



数字のメモリー2023年10月21日


「シャラリーン!」

106日、見事な秋晴れのドライブ日和。1年ぶりに一時帰国をした娘を乗せて、湘南の海を目指していました。運転中に、ナビがなんとも軽やかでハッピーな音を発したのです。

初めて聞いた助手席の娘が、「なにこれ!?」とびっくり。

 

最近の車は安全のためにやたらと音を発しては警告してくれるのですが、これは警告ではなく、お知らせ音。

数キロ走ると、ふたたびシャラリーン!

今度はさすがに、娘が素早くナビ画面を読みました。

「もうすぐ記念距離メモリーです」

……と書いてあるかどうか、じつは私もさだかではない。1秒ほどしかそのお知らせが出ないので、読み終えないうちに消えてしまうのですね。

 

またもシャラリーン!

車の走行距離には、7777㎞という数字が出ていました。

その後は、お知らせ音は鳴らなくなりました。

 

3年前、初めてこの音を聞いたときは、私もびっくりしたものです。

なになに?? 画面に何か文字が……、と思っているうちに消えてしまう。これでは、思わずブレーキを踏みたくなって、事故を起こしかねないのでは、と心配になりました。

助手席の夫が「設定で鳴らないようにできるはずだよ」と言ったのでしたが、ちょっと考えてそのままにしました。こういう遊びごころ、嫌いではない。

 

それから10日ほどたって、またしてもシャラリーン!

今度は、後ろの席で、長男が「な、なんだ?」とびっくり。

この日は8000㎞の記念距離達成でした。

 

ところで、このブログのアクセス数も、今月1日に80,000回を記録しました。残念ながら、ジャストの写真を撮りそこないましたが、皆さまが覗いてくださるおかげです。

いつも、ご覧いただき、どうもありがとうございます♡


 

ちなみに、前回の記念メモリーは、202176日の70,000回でした。






 


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