ダイアリーエッセイ:海の日に2016年07月18日



午前中、ひと休みしようとFacebookの投稿を見て、ああ、今日は休日なんだ、と気がつきました。

夫はいつもの休日出勤、長男は特別に休日出勤、いつもぐうたら引きこもりの次男まで、学習塾の夏期講習のバイトに朝から出かけていきました。

私はというと、いつになく静かなわが家で、原稿の締め切りに迫られて、パソコンに向かっていたのです。


 

今日は、海の日でしたね。

子どもが大きくなってからは、海は入って遊ぶものではなく、遠くから眺めるだけのものになりました。

でも、4年前の7月、若いころからヨットマンだった従兄が、葉山でヨットに乗せてくれたのです。船酔いは大丈夫かと、初体験にひやひやしながらも、娘と出かけていき、最高の海のひと時を過ごしました。

船酔いの心配は杞憂に終わり、まるで波の一つにでもなったような心地よさでした。

2013年1月に、前年を振り返っての記事をアップしています

その時の写真です。



葉山沖

海の男たちが、タコを生け捕った。

潮風に乾杯!



 

昔の写真を眺めていたら、ふっと潮の香りがしたような気がしました。

ええ、ほんとうに。香りの記憶は、失われないものですね。

……素敵です。


 





旅のフォトエッセイ:Vacance en France 13 モネの庭2016年07月14日


2年前のちょうど今ごろ、娘と二人でフランスを訪れていました。

このタイトルは12回で終わってしまっています。続きを書くつもりでいたのが、2年目にしてようやく13回目をアップ。お待たせいたしました。




 

私が油絵を始めたのは、高校生のときだ。

まだ、何の知識もないころで、なんとなくいいなと感じる絵は、光をまとったような風景画。おそらくそれが印象派の作品だったのだろう。

やがて、クロード・モネの睡蓮の絵と出合う。幻想的な紫色に惹かれた。

 

高校の中庭には、小さな池があり、初夏になると、睡蓮が咲いた。

美術の時間、モネを真似て、それを描いてみた。先生は描きたいように描かせるだけ。麻布のキャンバスなどではなく、せいぜい6号ぐらいのボードだった。

混ぜれば色が濁るが、乾いてから上塗りすると、油彩画らしい色の重なりが出てそれらしく見える。試行錯誤で学んでは油絵具の質感を楽しんだ。

 

やがて大学に入るとすぐ、美術部に籍をおいて、油絵を続ける。

ある夏の合宿では、野反湖へ。湖畔にイーゼルを立てて、1本の木の枝の向こうに、湖を描いた。

秋の合評会で、部の大先輩でもある著名な画家先生がやってきて、

「印象派のような構図ですね」と、この絵にお褒めの言葉をいただいた。

しかしながら美術部では、絵の描き方より、お酒の飲み方を教わったような気がする。

 

そのころの仲間の一人と、今も一つ屋根の下で暮らしている。

彼は今でも写実的な植物画を楽しんでいるが、私はもう絵はやらない。

ときどき本物を見に出かけるだけである。

 

そして、憧れていたモネの庭を訪れるために、パリからバスに乗って1時間、ジヴェルニーへと出かけていったのだった。



バスを降りて、静かな通りを歩いて……


       小川に添って進めば……

 

              蓮池が現れた。


         日本庭園を真似て、モネは柳の木を植えたという。

そして、竹林も。


 
         よく見ると睡蓮も咲いていた。


印象派の人々は、屋外に出て、自然光を絵筆でとらえようとしたのである。

その名前の由来となった『印象・日の出』を描いたクロード・モネは、光の画家とも呼ばれた。 

ところが、残念ながら、訪れた日はあいにくの曇り空。晴れていれば、水面に光の破片が浮き沈みするのだろうに、池はおとなしく眠っているようだった。



池の周りには、寄り添うように花が咲いている。            




         私の大好きなホクシャ。

こちらでよく見かける濃いピンクのアジサイ。

         淡いピンクのガクアジサイも。


               懐かしい月見草も咲いていた。


       大輪のダリア。

  


       手入れのいきとどいたガーデン。





モネの家へ。


       入り口はこちら。内部は写真撮影禁止でございます。




家の中には、たくさんの浮世絵のコレクションが飾ってあった。

日本庭園に憧れていたモネは、太鼓橋や蓮池のある庭を造った。

彼の描く絵の中には、浮世絵が登場したり、モデルがあでやかな和服を着ていたりする。

そんなモネの住んだ家を、今は日本からの観光客がおおぜい訪れている。

 

またいつの日か、バラの花の香るころ、そしてまた、藤の花房が咲き垂れるころ、光が満ちあふれるお天気の日に、もう一度訪ねてみたい。

願いは叶うだろうか。

 




ダイアリーエッセイ:「水をしっかり飲む」2015年08月08日


今日は、横浜市磯子区民センターで開催の〈磯の綴り会〉というエッセイ教室の日です。

いつものように、車で出かけました。

首都高を降りて、赤信号で停車。すると、あらら、私の前で信号待ちをしていた軽トラックが、赤信号はそのままなのに、するすると走って行ってしまいました。青になったのは歩行者信号だけですよー!

しばらく行くと、また前の乗用車が、信号無視で行ってしまった……。

2回も立て続けに信号無視を目の当たりにするなんて、変な日です。

みんな暑さで頭がぼーっとしているのかな。気をつけてくださいよ。

 

さて、今月のエッセイのテーマは「水」。なくてはならない水だからでしょうか、どのエッセイも、テーマをぴたりと水に合わせて、ぶれない作品に仕上がっています。

 

その中のKさんの作品のタイトルが、「水をしっかり飲む」。

あるドキュメンタリー番組の紹介から始まります。イギリス人の探検家が、さまざまな自然環境の中で、体ひとつで生き抜くための方法を教えてくれるのだそうです。暑さ寒さをしのぎ、天敵から身を守り、食べ物をどうやって確保するか……。

サバイバルのなかでも重要なのは、飲み水です。食べなくても3週間は生きられるけれど、水無しでは3日が限度だとか。脱水症状が進むと、思考能力が鈍り、パニックに陥って生存率がぐっと下がるといいます。

絶対に飲んではいけないのは、海水。意外にも、山に積もった雪や川の水もNG。バクテリアに汚染されている可能性があるそうで……。

彼のエッセイは、まさに立て板に水のごとく、よどみなくすらすらと読める文章で、数々のサバイバル術をフムフムと興味深く読ませてもらいました。

 

近年の日本の猛暑は、熱中症で亡くなる人もいるほど。大自然に放り出されなくても、私たちはコンクリートジャングルでサバイバルを余儀なくされているのかもしれませんね。

 

帰り道、気がつくと、赤信号を突っ切っているではありませんか。おっと、危ない、危ない……。

そして、いつもの首都高の入り口も、なぜか通り過ぎてしまいました。暑さでボーっとしているのは、私も同じかも?!

ぐるりと回って同じ高速入り口に戻ってくる間に、片手でごそごそとバッグを探り、水筒のお水をしっかり飲みました。

 

皆さんも、くれぐれもご用心。まずは、お水をしっかり飲みましょう!


 

 




朝日新聞「継ぐ記憶 私たちに戦争を教えてください」2015年08月06日


「継ぐ記憶 私たちに戦争を教えてください」という5回にわたる特集記事が、730日から85日まで朝日新聞夕刊の第1面に掲載されました。若い世代の俳優5人が、戦争体験者に話を聞くものです。これは、来週815日にはフジテレビのドキュメンタリー番組としても放送になるそうです。

私は息子に読ませようと思い、この新聞記事を切り抜いておきました。

今年から選挙権も手にした息子たちの世代に、今こそ自分たち自身のこととして、戦争と平和についてもっともっと考えてほしい。これから先もずっと、戦争をしない平和な日本に生き続けることができるよう、歴史の教科書の中のことではなく、自分たち自身の現実問題としてとらえてほしい。

そう思ったからです。

おそらく記事の趣旨も、若い世代に読んでもらう狙いがあったのではないでしょうか。

 



それは、毎年のことながら、夏休みをのほほんと過ごしているわが家の大学生に、母親からのささやかな宿題です。

これを読んで、何を感じたか、自分の言葉で話してみて。

さて、回答はいかに……?

 

シリーズ4回目では、福士蒼太さんが初めて原爆ドームを訪れます。

そして、当時、出征してしまった男性社員に代わって路面電車の運転をしていた女性二人から話を聞きました。

 

  継ぐ記憶 私たちに戦争を教えてください:4
  福士蒼汰さんは見つめる
   被爆した広島の街で 助け合う少女の強さ

(クリックすると、朝日新聞デジタルにリンクします)

 

今日は、広島に原爆が投下されてから70年目の「原爆の日」。






ダイアリーエッセイ:黒い蝶が舞う朝2015年08月03日

 

朝、リビングのカーテンを開けると、黒い蝶がベランダにいた。

アゲハチョウの一種だろうけれど、ほとんど模様もなく真っ黒だ。

ひらひらというより、ゆらゆらという感じの弱々しさで、ガラス戸の向こうを着かず離れず飛んでいる。まるで、部屋の中に入れて、と訴えているかのように見える。

 

……誰かの化身だったりして。

起きたばかりのぼうっとした頭で、ふと思った。

死んだ人が蝶になって帰ってくる、という話をどこかで読んだような気がする。

それを信じるような趣味は持ち合わせないが、貴婦人が葬儀に身につけるドレスをまとったようで、その力ない飛翔も、不吉な想像をかき立てるに十分ではあった。

 

このところ、毎晩寝る前に、先日直木賞を受賞した東山彰良著『流』を読んでいる。幽霊と昆虫が出てくるくだりがあるのだ。しかも、かなりショッキングだった。

私の思考回路がその影響を受けてしまっているのかもしれない。

 

蝶は、鮮やかなマリーゴールドやサフィニアにも、美味しそうな香りのゴーヤの花にも近寄ろうとはせず、ただふわふわと、庭の上を漂うように舞っていた。15分もいただろうか。やがて、姿は見えなくなった。

 

それにしても、黒い蝶の出現はなぜ……?

「虫が知らせる」という言い方も、古くからあるではないか。

……やっぱり、何かの〈知らせ〉だったりして。

 

そうだ、ブログに書いておこう。みんなに喋ってしまおう。

黒い妄想が、ただの杞憂に終わるように。

 




2000字エッセイ:「娘が巣立つとき」2015年08月02日


娘が巣立つとき

 

社会人4年目になる娘が、職場に近いマンションを借りて独り暮らしを始める、と言いだした。

メガバンクの総合職として就職した娘は、とにかくハードな勤務を続けている。早朝、ご飯も食べずに出かけ、夜遅く帰宅する。テレビを見ながら一人で夕食をすませると、そのままリビングのソファで爆睡。朝5時に携帯電話のアラームが鳴り響き、あわててシャワーを浴びて出勤する。

 とくに最初の2年間は、都内でも1、2を争う超多忙な支店勤務によく耐えた。現在は、大手町の本部に移り、乗り換えなしの片道50分の通勤だが、それでもハードな生活であることに変わりはない。

ところが、さぞ疲れているだろうと思いきや、休日はほとんど家にいない。旅行に登山、競馬にゴルフ、そして飲み会……。娘なりのストレス発散なのだろう。たまに在宅のときは、夕方まで寝ていて、家事手伝いはおろか、自分の部屋さえ散らかったままだ。

「とてもとてもこのままでは、独り暮らしは無理ね。まして、二人暮らしをや……」

私は冗談半分でため息をついたものだ。いくらタフな娘とはいえ、体を壊しはしないかと、はらはらするばかりだった。

1時間でも睡眠時間を増やしたいという彼女の理由に、異を唱える気持ちはない。地方に転勤の可能性も十分にあったので、いずれは、と心づもりもしていた。

しかも、娘は高校生のうちから、マンションの4軒隣に住む母のところで寝泊りをしてきた。お風呂は母のところで入り、食事はわが家で食べていたが、最近では朝食も夕食も外ですませるから、週に12度しか顔を合わせないこともある。片足は家を出ているような感じだったのである。

 

次の週末に、「清澄白河のマンション、仮押さえしたから」と娘が言ってからは速かった。いい物件はすぐに押さえて契約も早くしないと、ほかにも希望者が何人も待っているらしい。それも不動産業者の手なのかもしれない。父親はのんきに母親に一任のかまえだ。とにかく、娘と一緒に出かけていった。

「清澄白河」と聞いても、以前、田園都市線の終点だったから知っているだけで、降りたのは初めて。大手町からは3つ目の駅だ。歩いてみると、街のあちこちで巨大なスカイツリーが顔をのぞかせる。清澄庭園に近く、東京現代美術館の最寄り駅でもある。すし屋、和菓子屋、豆腐屋などが並ぶ商店街があり、お寺の屋根もあちこちに見え、いかにも下町らしい風情が漂うなかに、新しい感覚のショップが入り混じって、魅力的な街に変貌しつつあるようだ。

めざすマンションは、駅から住宅街を歩いて5分ほど。築2年で、新しい設備が整い、快適に住めそうだ。買い物に不便はないし、治安もいいという。私はGOサインを出した。私まで、新しく別荘ができるような浮き立つ気分になっていた。

そして、7月の3連休、猛暑のなか、引っ越しを敢行した。初日は自宅から小さな荷物を送りだし、翌日向こうで受け取る。それまでに買っておいた電化製品や家具なども、3日間のうちに配送される予定だ。街を歩き回って買い物をしたり、収納を手伝ったり、私は娘とともに肉体労働に明け暮れた。娘も、自宅に戻ってきて後片付けやごみ処理など、夜中までがんばっていた。

一人でやらせておこうかとも思ったが、あえて私は口を出し、手を出した。娘はこれからもなにかと母親の世話になる必要が出てくるだろう。そんなときには遠慮せず頼ってほしい。だからこそ、まだまだいける、と印象付けておきたかったのである。

最終日には、自宅で最後の荷物を車に積み込み、首都高を飛ばした。そして、日が暮れかかる頃には、娘と手を振って別れた。

「ありがとうございました」

「気をつけるのよ」

行きは助手席に娘がいた。帰りは一人だ。渋谷辺りで渋滞する。右側には真っ赤な夕日がまぶしい。やがて、ピンク色の夕焼け空がひろがっていく。正面にはシルエットの富士山が見える。BGMは、娘の好きな嵐の、それも別れの歌が……。

不覚にも涙があふれて、視界がぼやけた。

 

後日談がある。母から聞いた話だ。

「あの子、前の晩にお風呂をピッカピカに磨いていったのよ。今までお風呂掃除なんてしたこともなかったのに。まさしく、立つ鳥跡を濁さず、だったわ」

 母は、日頃から娘の暮らしぶりがだらしなく見えて小言が多かったが、今回ばかりは驚いたという。要領のいい娘らしい、と思った。





旅のフォトエッセイ:Vacance en France 12 オンフルールで2014年10月11日



どこが一番よかった?

帰国してから、娘に尋ねたら、「オンフルール」という答えが返ってきた。

ドーヴィルの次に向かったオンフルール。何世紀も前から、セーヌ川の河口に開けてきた港町だ。

パリからモン・サン・ミッシェルを訪ねるツアーはたくさんあったけれど、その帰り道にオンフルールに立ち寄るということが一番の決め手となって、このドライバー付きのミニツアーを選んだのだ。

大好きな印象派とは切っても切れない町で、印象派という名前は、クロード・モネがオンフルールで描いた『印象・日の出』という絵のタイトルに由来している。印象派の画家たちは、この町の海や港町の美しさに魅せられて、たくさんの絵を残した。

日本の安野光雅画伯の描いたこの町の絵も有名だ。 

 

その旧港町の写真。もう少し晴れてくれたら……と、曇天がうらめしかったが、フランス特有のアンニュイなムードは、快晴の空の下では生まれないのかもしれない、と思い直す。

サント・カトリーヌ教会。

15世紀に建てられたもので、当時、石で作る経済的な余裕がなく、船大工たちが知恵を寄せ合ってこしらえた。フランス最大の木造の教会だという。

 

鐘楼ももちろん木造。石の建造物を見慣れてきた目には、木造りの古い建物が、何やら懐かしく親しみを感じる。


町で最古のサン・テティエンヌ教会。

現在は教会ではなく、海洋博物館となっていた。

その教会と狭い路地を挟んで隣のレストランでは、この地方のりんごで作ったシードルという軽いお酒で、のどを潤す。


何とも古めかしい旧総督の館。

街で出合った回転木馬。


娘がじっと見つめていた。

彼女だって20年くらい前には少女だった。でも今はもう、乗りたかった木馬も、あの日の夢も、目の前でくるくると回っているだけ……。

彼女がこの町を気に入ったのは、そんなノスタルジーのせいだったのかもしれない。

 








旧市街で見かけた老夫婦。二人の後ろ姿が印象的だった。


                                                         〈続く〉


旅のフォトエッセイ:Vacance en France 11 トゥルーヴィルとドーヴィルで2014年10月07日


モン・サン・ミッシェルからパリへの帰路、フランス北側の海辺の町に立ち寄った。

 

トゥルーヴィルとドーヴィル。

川を挟んで並んだ二つの町。トゥルーヴィルは庶民的で、ドーヴィルは気取ったハイソな街。

それもそのはず、ドーヴィルは、19世紀に貴族のリゾート地として開発されたそうで、瀟洒なホテルや、競馬場、カジノなどが造られている。今でもセレブの保養地なのである。

 

一方のトゥルーヴィルは、魚介類が水揚げされる港町として栄えてきた。

もちろん私たちのお目当ても、海の幸をいただくこと。

建物もおしゃれな魚市場。

街中の魚屋さん。


ドライバーさんのおススメで入ったレストラン、「ラ・マリン」。

この銀のお皿に山盛りの海の幸、これで1人前! 大きなカニも丸ごと。

プレートの下には、パンもたっぷり。添えられたバターを一口食べたらとても美味しい!

後から聞いた話では、この辺りはフランスでも有数の美味しいバターの産地だとか。

うーん、さもありなん。私の舌もなかなかのもの……。

 


食事の後は、隣町ドーヴィルへ。

ここノルマンディー地方の建物は、木組みの縦・横・ななめのラインが装飾的で美しい。

ドーヴィルの象徴的ホテルと言われるホテル・バリエール。

次回はぜひ泊まってみたい。

デパートのプランタンも、ここではこんなにかわいらしい。

この時期、どこでもセール中。ノルマンディーの海のような、青い模様のTシャツを買った。

こちらは、ご存じエルメス。写真を撮って、おしまい。

セレブのためのカジノ。もちろん、写真を撮って、おしまい。

そして、浜辺。空はどんよりと曇り、海風は冷たく、人影もない。

夏の日差しを待ちわびるように、身を細くして、パラソルたちが佇んでいた。


ドーヴィルと聞いて真っ先に思い出すのは、あのフランス映画。

同世代なら知らない人はいないだろう。ダバダバダ、ダバダバダ……のスキャットもアンニュイで、世界中の人々のハートをつかんだ『男と女』

ふたりが出逢って大人の恋に落ちたのが、ドーヴィルだった。


写真コンクールに投票のお願い!2014年10月04日



フランスの旅の写真を整理しながら、あれこれ調べているうちに、こんなサイトに出会いました。


〈フランスの旅 フォトコンクール 2014

さっそく、私も応募してみました。

素人だってかまわない。写真に込めた思いには自信がありますとも……!

 

写真を応募しなくても、写真へのコメントや投票だけでも、素敵なプレゼントが当たるそうです。ぜひぜひ、皆さまもご参加ください!

FacebookTwitterなどにアカウントがない方でも、メールアドレスと簡単なパスワードをご自分で設定すれば、その場でユーザー登録ができます。

そして、投票は次の10点に、どうぞよろしくお願いいたします!

それぞれ、タイトルをクリックすると、サイト内の写真のページにリンクします。

89103点は、娘の撮ったもので、私のセレクトです)


 

1. カルーセルパレス

彼女だって20年くらい前には少女だった。でも今はもう、乗りたかった木馬も、あの日の夢も、目の前でくるくると回っているだけ…… 

2. ギャルリー・ラファイエット

このデパートの吹き抜けは、店内のどの商品よりも繊細でゴージャスで美しい。 

3. 日の出

きのうは、海に日が沈むのを見た。そして今日は、カモメの鳴き声で起き、海から朝日が昇るのを見る。かつてここに暮らした修道士たちもこんな毎日を送っていたのだろうか。 

4.  ホテルの看板

泊まったホテルの別館は、狭い路地の坂道、石の壁の一角に看板を下げていた。娘がそれを見上げ、抜けるような碧空がそれを見下ろしている。 

5. シュノンソー城までの並木道

木洩れ日が模様を作っている。それを踏みしめて進むと、白い城が見えてくる。 

6. 午後955分の夕焼け

ようやくパリの長い一日が暮れていく瞬間、オペラ座の向こうの空が燃え上がった。 

7. 静かなる朝

海からの風が、朝日を浴びたフランス国旗をはためかせていた。

 

8. 旧市街の夫婦

オンフルールの旧市街で見かけた老夫婦の後ろ姿が印象的だった。 

9. 夏を待つパラソルたち

空はどんよりと曇り、海風は冷たく、人影もない浜辺で、パラソルたちは身を細くして夏の日差しを待っている。 

10. モネの庭

池に浮かぶ睡蓮と、池に写る柳の枝。モネの絵がそこにあった。 


どうぞよろしくお願いします!

ブログの Vacance en France も、まだ続く予定です。




旅のエッセイ:Vacance en France 6 「パリのプチ盗っ人」2014年08月17日


写真の列挙はしばし中断して、ブログ本来のエッセイをお届けします。

どうぞお読みください。

   パリのプチ盗っ人

バスの窓の外は雨……


 

リムジンバスはシャルル・ド・ゴール空港から1時間足らずでパリ市内に入った。

 土砂降りの雨だ。傘を持っている人でさえ、軒下で雨宿りをしている。が、バスがオペラ座の横の降車地点まで来ると、雨はぴたりとやんだ。

雲の切れ間に、旅の神さまのウインクが見えるような気がした。

この7月、娘とフランスへ出かけた。1週間のバカンスだ。社会人3年目の娘が、せっかく早めの夏休みが取れるのに、早すぎて一緒に行く友達がいない、とさびしいことを言うので、じゃ私が、と手を挙げた。新婚旅行以来32年ぶりとなる。

娘は初めてのフランスだが、ヨーロッパは3回目。初回のときはやはり母娘でロンドンとバルセロナの2都市を旅した。私には娘を守らなければ、という緊張感があったのに、娘は意外と平常心。夜にホテルが停電したときも、あわてたのは私だけだった。

娘はそれ以来、毎年のようにアメリカや東南アジアを旅行している。だいぶ旅慣れて自信をつけたころかもしれない。

でも、旅慣れたころの油断が思わぬ失敗のもと。観光客が多いところは、それを狙ったワルも多いから、気をつけていこうね……。

 そう言いながら、ホテルに荷物を置くと、すぐ街にくり出した。ホテルもオペラ座の近くにあり、観光の中心地で便利な地域だ。

さっそく、そのオペラ座へ。オペラを鑑賞する余裕はないので、入場券を買って建物の見学だけにする。それにしても絢爛豪華。床も柱も壁も照明も天井も、あらゆる美を注ぎ込んで装飾の限りを尽くしている。19世紀、文化が花開き、パリが元気だった時代に、富裕層のための社交場だったのだから、うなずけるというものだ。

まだ、あのごみごみとした日本を出てからたったの10数時間しかたっていない。それなのに、とんでもない別世界にいる。圧倒されそうな美の洪水のなか、目くるめく感覚にしばし酔いしれる。

 

オペラ座と、雨上がりの空。


オペラ座を出て、次はオランジュリー美術館に向かおうと、オペラ広場を歩いた。歩道はたくさんの人であふれていた。バスの中から見た雨が嘘だったかのように、青空が広がり、夏の日が差している。浮き立つような気分だ。

娘は歩きながら、斜め掛けにしたショルダーバッグから日焼け止めクリームを取り出し、白い液を手に付ける。

「いる?」と聞くので、私も手を出した。

すると、横から「私にも!」と手が伸びてきた。ちょっと背の高い若い女の子。フランス人だろうか、イタリアあたりの観光客かもしれない。その隣の子も手を出した。

娘は、え?と戸惑いながらも、二人の手に少量付けてあげる。

「これは何なの?」と聞かれ、

「フォー・サンシャイン!」と娘。

 えー、そのブロークン、違いすぎない?と思ったが、相手には通じたらしく、

「オー、サンシャイン!」と納得して、もっと、と手を出す。もう一度付けてあげたら、次の瞬間、娘のクリームをさっと取り上げ、

「サンキュ、サンキュー! フォー・マイ・ベイビー!」

と、自分のお腹をさすって見せた。ポコリと妊婦のお腹をしている。

娘も私もあっけにとられているうちに、彼女たちはふたたびサンキューと手を振って、人混みに紛れていってしまった。

それ、お腹の子にはよくないわよ、とかなんとか、追っかけて取り返すこともできたかもしれない。でも、ふっと抑制がかかった。

 こちらのスリは巧妙なグループで、役割を決めて相手の気をそらし、まんまと盗みを働く、と聞いていた。そのことが一瞬頭に浮かんだのだ。深追いしてはかえって大ごとになる。日焼け止めクリーム1本でそれを免れることができたら安いものだ、と直感的に思ったのだった。

たぶん、なれなれしくてずうずうしいどこかの国のヤンママだったに違いないけれど、人前で目につくような行動をした娘にも責任はある。用心するに越したことはない。ここは東京ではないのだ。

ともあれ、厄払い代わりの施しをした、と割り切ることにした。クリームは余分に持ってきていたし、曇り空の涼しい時間が長く、あまり必要とも感じなかった。

それも、旅の神さまの思いやりだったのだろう。

涼しいパリ。



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