映画『ムーンライト』を観る2017年04月18日


先月、新聞の8ページ全面を使ったすごい広告がありました。(写真はそのうちの4ページ)。

今月になって、その映画を観てきました。アカデミー賞の作品賞に輝いた『ムーンライト』です。アカデミー賞の白人偏重問題に対する「忖度」だとか、移民を排除しようとする現政権に対する抗議だとか、何かと話題の映画賞だったようですが。

 

これは、黒人の主人公シャロンのゲイの物語です。いじめられてばかりの子ども時代から、大人になった現在まで、3章に分かれており、役者も替わっていきます。

章が替わっても、ほとんど解説はありません。でも、寡黙にして饒舌。見ていると腑に落ちてくるのです。

全体を通して、ひたすら暗い。でも、時のたつのを忘れるほど、引き込まれます。

その映像は前評判どおりに美しい。浜辺、水の中、月夜……。青く冷たいけれど、どこか温もりが感じられます。

なんとも形容しがたい映画です。

 

映画を観たのは、桜が満開になってきた頃。桜の枝を見上げながらも、映像がふっと脳裏をよぎるのでした。

桜が散ってしまった今もなお、不思議な感動がひたひたとよみがえります。

そして、いくつかの忘れられない言葉も――

 

「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」

シャロンを不憫に思い、何かと目をかけてやる屈強な男フアンのセリフです。しかし、彼は麻薬密売人であり、シャロンの母親にも麻薬を売っている。

シャロンをかわいがるのは、その罪の意識、それとも自責の念でしょうか……? いえ、そんな単純なものではないかもしれません。

 

フアンがシャロンに泳ぎを教えるシーンでは、海に彼の体を浮かせながら、こう言うのです。

「感じるか? 地球の真ん中にいる」

 

フアンは、母子家庭のシャロンにとって父親代わりだったのかもしれません。

シャロンもまた、長じては屈強な肉体に自らを鍛え上げていました。そして、フアンと同じ生業に手を染めていったのです。

 

彼の人生は、哀しくもある。

一方で、肌の色や性別や生まれた環境がどうであっても、人間の真実……つまり、生きる意味や、人を愛する衝動は、それらを超越して、純粋で崇高なものといえるのではないか。

私は未消化ながらも、言葉にすればそんなことを感じました。 

 




新しい春が来た!2017年04月09日



かつての私にも、春にはたくさんの人生の節目があった。卒業や入学、転勤など、自分自身のことばかりではなく、結婚後は夫や子どものことで、春はいつも忙しかった。

それがなくなってきたのはいつごろからだろう。気がつくと、年度末の忙しさも、別れの切なさも、4月の新しさも、感じることが少なくなっていた。

 

今年の春は、変化の春にしよう。新しくしよう。願いを込めてそう思った。

 

1週間ほど前、胃カメラの検査を受けた。あまりに胃の不調が続き、いよいよ心配になってきたのである。

胃カメラは初めてではない。大人になり、いらいら、くよくよすることの多い私が、ストレスを胃で受け止めるようになってからは、何回もお世話になっている。

しかし、今回の医師は、鼻から挿入することを勧めた。これは初体験。痛いのでは……と怖気づいた。

 

言うまでもないのだが、胃はストレスでダメージを受けやすい。

1年前の母の入院、手術、その後の介護……。毎日、毎日、毎日、そばに住む私には大きなストレスとなってのしかかってきた。

親の介護は、物理的、時間的な負担だけではなく、精神的な負担があまりにも大きい。実の娘だからこそ、遠慮なく言いたいことを言う母。母のわがままを聞き入れてあげないのは、冷たい娘だからだろうか。残り少ない時間を、なぜ安らかに過ごさせてあげられないのか。ことあるごとに、自分を責めてしまう。

でも、私にも家族があり、仕事があり、自分の人生がある。

そのせめぎ合いに苦しむのだ。かくして、胃の痛む日が増えていく。

 

内視鏡には、胃の表層に櫛でひっかいたような赤い筋が何本も写っていた。

「気苦労が多いもので……」と言うと、

「まさにその痕ですね」と医師。

しかし、重篤な病気ではなさそうで、いくぶんほっとした。

胃痛が完全に消えたわけではないが、気にしないで大丈夫だ、と医師は薬を処方するでもなく、つれなかった。

 

介護がいつまで続くのか、見通しを立てることはできない。それはタブーだ。

ならば、他のストレスを少しでも軽くするほかはないだろう。

 

そこで、思い切って仕事の断捨離をした。

一時期は5つも抱えていたエッセイ教室を3つに減らす。そして、NHK学園の通信エッセイ講座の専任講師も、職を離れることにした。

これで、仕事は半分になったといえる。

 

自由な時間が増えた。少なくとも、月に7日はフリーになる。

さて、何をしようか。新しく何かを始めようか。

まずは、のんびり、ゆったり、考えることからだ。自分のための時間の使い道に、楽な気持ちで思いを巡らす。

胃に優しく、そしてなんと贅沢なひとときだろうか。

  

  

 


自閉症児の母として(41):セサミストリートの放映を!2017年03月24日




セサミストリート。

残念ながら、日本では放映されなくなってしまいましたが、子どもたちの小さい時は、よくテレビを見ていました。

自閉症の長男は、とてもお気に入りでした。毎月テキストを買っていましたし、小学校に上がってからも、しばらくの間は、土曜の朝の放送を見終わってから登校することを大目に見てもらっていました。

給食袋などや手提げバッグなど、キャラクターの生地でたくさん作ったものです。

 

今度、セサミストリートに、自閉症児のキャラクター、ジュリアという女の子が登場するそうですね。おうむ返しにしゃべったり、音に敏感に反応したりするらしい。

そして、ジュリアのマペットを操る女性は、自分も自閉症の男の子の母親だとか。きっと、きめ細やかなパフォーマンスを見せてくれることでしょう。

 

ところで、以前にも書きましたが、毎月息子の精神安定剤を処方してもらうため、精神科のドクターのクリニックに出向いています。息子は連れて行かずに、私が彼の状況を話し、相談に乗ってもらうのです。

今日もドクターを訪ねました。深刻ぶることなく、いつも穏やかで明るい先生とお話をしていると、それだけで息子の問題が軽くなる気がして、私が癒されるようなひとときです。

「余談ですけど」と、先生が言いました。ジュリアの話題でした。

「女の子というところがいいですね。女の子の自閉症は、見過ごされることがあるんですよ」

ジェンダーの問題でもあるのですが、いかにも女の子らしく刺繍や編み物などに熱中していると、こだわりの強い自閉傾向が気づかれにくい。また、女の子の割合は低いので、疑われることも少なく、発見が遅れるのだそうです。

そういえば、これまで自閉症を主人公にしたドラマや映画は、どれも男性でした。もう少し、女の子の自閉症にも目を向けてもらう意味で、ジュリアが救世主になるかもしれませんね。

 

番組を見る子どもたちが、楽しみながら自閉症を理解して、自分の周りに同じような子どもがいても、戸惑うことなく仲良くできたら、すばらしいと思います。

そして、ぜひ日本でも番組が復活してほしいですね!



 

 


 


自閉症児の母として(40):「桜の風」で宿泊体験2017年03月21日




昨年9月15日に、障害者支援施設「桜の風」を見学した記事を書きました。

あれから、その施設利用の登録手続きを済ませ、申し込みをして、体験入所の日取りを待ち続けて、ようやく実現の運びとなりました。

半年もかかったのです。まだまだ、施設の数が少ないのでしょう。

 

自立の第一歩として、たった一人で宿泊体験……とはいっても、支援員の方が何かあれば対応してくれます。

これまで息子は、家族と旅行に出かけても、それほど問題はありませんでした。養護学校の修学旅行にも行きましたし、入院中には付き添いもなく一人で夜を過ごしたこともあります。

場所が変わっても、ルールに従い、きちんと決められたスケジュールどおりに過ごすことができるだろうと思い、あまり心配はしていませんでした。



 

319日の午前11時に、車で送っていきました。

ボストンバッグには、着替えのほか、自由に過ごすためのゲーム機やゲームソフト、そのためのWifiなどが、ずっしりと入っています。たいくつすることもなさそうです。

個室は、畳に布団。1100円でレンタルできるテレビもあります。

息子は音楽やさまざまな音に過敏なため、大きな音量でテレビを見る利用者の方とは離れた部屋にしてくれました。

担当の支援員の方と荷物のチェックをすませると、早々に親は帰されました。

 

息子を託すのは、24時間。翌20日午前11時には迎えに行きました。

支援員のお話では、何の問題もなく、食事の時だけは食堂でみんなと会食ですが、ほとんどの時間は個室にこもりきりで、ゲーム三昧だったようです。

午後には、他の利用者と一緒に、車に乗せてもらって外出し、コンビニでおやつを買い求め、施設に戻ってから、それを食べたそうです。

何を買ったの、と聞くと、「ジャガリコとコカコーラでした」との答え。

消灯時間の930分になると、自分からきちんと電気を消して眠りについたとか。時間厳守は相変わらずですが、自宅では12時を過ぎても起きているのは、どうしたことでしょう。

朝は、やはり起床時間の8時きっかりに起きてきたとのことでした。

 

やはり、期待どおりでした。最初の体験は難なくクリアしたようです。

この調子で、もう少し体験を積んだら、次のステップへと進んでいこうと思います。


この施設の周りには、本当に桜の木がいっぱい。

桜の花には一週間早かったことだけが惜しまれましたが、それはまたの機会に……。


 



フォトエッセイ:花嫁の母として⑥ 最終回2017年02月28日

 

付き合い始めたと思ったら、二人で海外旅行。家族の顔合わせも、入籍さえも済まないうちに、一緒に住み始める。平成生まれの結婚は、なんとまあ順不同なことだろう。結納も釣書も言葉さえ知らず、「仲人って何をするの?」と聞いてくる。

昭和の常識は通用しないのである。

それでも、なんとか結婚式を挙げて披露宴を行うところまでこぎつけた。

 

花嫁の母親としては、できるかぎり抜かりなく準備をしてきたつもりだった。

子どもたちの受験時代が終わってからは受けたことのなかったインフルエンザの予防接種を早めに受けた。この時期おいしい牡蠣もご法度にした。

多忙な年末に、慣れない針を持って、リングピローも手作りした。

一人ひとりの礼装も、夫の貸衣装から息子たちの黒い靴下まで、すべて私が整えた。

そうやって、佳き日を迎え、グランドフィナーレともいうべき行事を、無事にお開きとすることができた。

心から喜び、ほっとしたのだった。

 

 



ところが、翌日からは、まさに祭りのあと。気持ちが沈んでくる。反省ばかりが頭をよぎるのだ。

控室でふざけてばかりいないで、母娘の最後のひと時にかけてあげる言葉はなかったのか。マスカラが落ちようが、鼻が真っ赤になろうがかまわずに、きちんと娘の結婚に心から向き合うべきではなかったのか。後悔の念にさいなまれた。

 

プロに頼めば、老け顔でもきれいに仕上げてくれるだろう、と期待していたメイクは、がっかりだった。和装の時のメイクがいつもと違うのはわかっているつもりだ。肌だけはシミを隠してきれいになったが、まるでびっくりタヌキのようで、鏡を見たくなかった。

花嫁ではないのだからメイクのリハーサルまではないにしても、いつもの自分のメイクの写真を見せて、それに近づけてもらうよう頼めばよかったのに。

でも、わかっていた。プロのメイクが映えないのは、年齢のせいなのだ。現実を突き付けられて、落ち込んだのである。

 

思い返すときりがない。

せっかく何日もかけて留袖の柄を選んで決めたのに、まともに写っている写真はなかった。誰かに頼んで、きちんと撮ってもらえばよかった。

何しろ当日は忙しかったのだから仕方ない、とは思うのだが。

 

娘は勤めを続けながら、忙しい日々、準備を続けてきたのだ。もっと私がしっかり補ってくればよかったのではないか。

 

数日は、そんな思いばかりでつらかった。

子どもたち3人で撮った写真を見ては、涙が出た。

 


 

それでも、日を追うごとに、少しずつ気持ちを切り替えていった。否定的な言葉で思い返してはいけないのだ、と。

たくさんの招待客と、主役の二人のために、やはり私は泣き虫でいるより、笑顔でいられて良かったのだ。それに、二度と着ないかもしれない黒留袖という正装になったのだから、メイクだって特別でいいではないか。

プロのカメラマンがたくさん写真を撮ってくれた中に、私の晴れ姿もきっと映っていることだろう。楽しみに待っていよう。

 

娘が自分と同じ年齢で花嫁になった。私もその分だけ年を重ね、人生を歩いてきたのである。こんなにきれいな花嫁姿を見せてもらって、母としてこれ以上の幸せがあろうか。

 

新郎新婦は、すでにお互い伴侶となって歩み始めている。よく話し合い協力して、二人の最初の大仕事を、この日に向けてがんばってきた。私は、ときには母としてのアドバイスも与えながら、二人をきちんと見守ることができたと思う。

挙式当日だけが結婚のすべてではないのである。

 

これから先もずっと、二人の一番の理解者となって、遠く近く、見守っていきたい。

また一つ、母としての新しいステージが始まる。

私らしく笑ったり泣いたりしながら、精いっぱいやっていこう。



 


皆さま、長い間お付き合いくださいまして、どうもありがとうござました。

このシリーズは今回でおしまいです。



 



フォトエッセイ:花嫁の母として⑤2017年02月18日




「花束もお手紙もやめてね。泣かせの演出は必要ないから」

娘には、準備の段階からそう言い渡してあった。

今まで出席した親戚の披露宴でも、テレビで見るよその人の映像でさえも、感動して泣いてしまう私だ。まして、自分がその立場になったら、爆泣き必至であろうから。

 

あれほど釘をさしておいたのに、やはりご多分に漏れず、披露宴の最後に、娘から大きな花束を手渡されてしまった。うれしくないはずはないのだが……。

さらに、手紙も読んでくれたのだった。

そこには、これまで育ててきたことへのたくさんの感謝の言葉があった。

「心配ばかりかけてごめんなさい」

「毎日お弁当を作ってくれてありがとう」

そして……

障害のある長男のせいで、娘がつらい思いをしないように、

「気づかってくれてありがとう」

もういけない。こみ上げる涙を何度も指先でぬぐった。

 

それでも、泣き虫の私にしては上出来だったと思う。せわしないながらも、披露宴のお客さまとともに、ちゃんと楽しむことができた。

帰りは、母を乗せてタクシーで帰路につく。イルミネーションが美しいみなとみらいの夜景を堪能しながら、晴れ晴れとした気分だった。



 

「おつかれさま!」

とにかく喉がカラカラ。冷えたビールがいつになく美味しいと思った。

 

花嫁から贈られたブーケは、ピンク色のバラ、大輪のガーベラ、オフホワイトのカーネーション。今までにも娘からは何度か花をもらったけれど、これが一番きれいで、一番せつない花束だった。



 

〈最終回に続く〉

 



フォトエッセイ:花嫁の母として④2017年02月14日




披露宴には80名ほどのお客さまが集った。

乾杯と同時にカーテンが開くと、部屋中の窓に港の景色が広がる。ため息と歓声が上がった。







ケーキカット、そしてファーストバイト。



 

お色直しのため退場のときに、娘はサプライズの計画があった。

私は前夜にその話を聞いて、恥ずかしがるのではと、ちょっと心配になったのだが……。

退場のエスコート役に、壇上から父方の祖母の名を呼んだのである。宴の席の最高齢だ。

姑は突然の指名に驚きながらも、新婦の元に出向いていき、涙を流して喜んだ。サプライズは大成功。

さらに、途中からは私の母も加わって、娘は95歳と93歳の2人の祖母と両手をつないで歩いた。「これで花嫁は100歳間違いなし」という声をかけられながら……! 

私にもうれしいひとコマだった。






 

娘がお色直しで着替えたのは、みなとみらいにふさわしく、海をイメージしたというドレス。歩くとブルーの濃淡のひだが揺れて波のようにみえる。

 

とにかく、花嫁の母はじっと座ってはいられない。きれいでおいしそうな料理もワインも控え、二人のビデオが映されているのも横目で見るだけ。

娘がメモを書き込んだ座席表片手に、夫と二人でテーブルを回り、一人ひとりにお酌をしては挨拶をする。


娘の学生時代の友人たちには懐かしい顔もあり、私も再会を楽しんだ。かわいかった高校生の頃とは違って、すっかり大人の女性たちだ。結婚をさておいても、一番充実している年頃なのかもしれない、と思った。





 デザートの入った小箱には、一人ひとりにメッセージが添えられていた。


こうして、あわただしく時は過ぎ、宴もお開きが近づいてくる。

さて、次は……

 

〈続く〉

 



フォトエッセイ:花嫁の母として③2017年02月04日


まだ、プロのカメラマンが撮影した写真やビデオは届いていない。

新婦の母は、とにかく忙しく、当日、カメラ代わりにiPad miniを持参して、ちょこちょこと写してはいたが、ろくな写真が撮れるはずもなかった。

 

前回、22日にアップした挙式の写真は、逆光で撮ったものを補正したせいで、新婦のドレスが赤みがかって見えるが、もちろん本物は純白のサテンだ。

(何人かの方から、「このドレス何色?」との質問を受けてしまいました)

 

120「結婚式前夜」には、息子二人の正装の準備を書いた。

当日、式場で着付けてもらう私は、一足早く家を出たので、彼らが間違いなく支度をしてやって来るかどうか、そんなことまで気がかりだった。

でも、現れた二人を見てほっとする。

長男は、新しい革靴の履き心地もよさそうで、最近太り気味の次男は、用意した一回り大きなワイシャツもぴったりだ。きれいにひげも剃ってある。




 

すべてお開きとなって、夜、自宅に戻り、まずは缶ビールを開ける。

からからの喉に染み入るような冷たさが格別だった。

そして、朝から撮った写真を見てみる。

この写真を目にしたとき、涙がこみ上げて来て止まらなくなった。

三人だったきょうだいが、一人巣立っていったことを実感した瞬間だった。


〈続く〉



フォトエッセイ:花嫁の母として②2017年02月02日


初めてこしらえたリングピロー。娘のために、娘の小さいころからのことを想いだしながら、ちくちくと縫い、仕上げていった。

昨年1223日の「花嫁の母の“べっぴん"」で、写真とともにつづっている。

 

当日の結婚式では、介添えの女性が、うやうやしく捧げ持ってきた。

二人は、それぞれ相手のイニシャルに留めてあるリボンをほどき、指輪を手に取り、相手が差し出す薬指にはめる。

緊張してこちこちになっている新郎の指には、なぜかなかなか入らずに、参列者から失笑がこぼれたのもほほえましかった。



そして、誓いの言葉を二人で読み上げる。

「喧嘩をしたときは、お酒を飲みながら、よく話し合って……」

これには私も思わず笑ってしまった。きっと新婦の文案にちがいない。

 


ガラス張りのホールは、青い空が見え、日差しがあふれている。

ステージの右手にはチェロの生演奏、左手にはハープと女性歌手。Amazing Grace などの曲を、美しく澄んだ声で歌ってくれた。

祝福を贈るかのように、歌声に合わせて、庭の木々が風に揺れていた。

 


〈続く〉




フォトエッセイ:花嫁の母として①2017年01月27日

 

前日は雪のちらつく曇天だったのに、翌朝目覚めると、抜けるような空に日の光が満ちていた。

横浜の馬車道駅から地上に出れば、みなとみらい地区は、真っ青な空と海と、踊るような風。

すべてが祝福してくれているようで、私も心が浮き立つ。

 



私が人の十倍泣き虫なのを知っている親しい友人からは、

「絶対泣いたらダメ。新婦の母は意外と注目されているのだから、泣いてメイクが落ちたりしないように。気持ちを強く持っていれば、大丈夫」

と、くぎを刺されていた。

彼女の言いつけを守り、泣かないという強い強い決意のもと、式場に足を運んだのだった。

 

とにかく、新婦の母は忙しい。

メイクとヘアブローは、鏡の前で同時進行。それが済むと、狭い個室で留袖の着付け。これも二人がかりだ。どのスタッフからも「本日はおめでとうございます」の挨拶を受ける。にこやかに丁寧にお礼を言う。もう、それだけで非日常の世界である。

 

打ち合わせはいっさい二人に任せていたので、前日や当日になって段取りを聞かされることも多かった。

私の支度が整うと、まず新郎新婦の控室へ。娘は、長いウェディングドレスのすそを丸め込むようにして、鏡の前に腰かけていた。ドレスは試着のときに見ているのだが、それでも、この日の晴れ姿を一目見ただけで、ぐっとくる。

涙は、ぐっとこらえる。

幸い、プロのカメラマンがいて、パシパシと撮り続けている。ビデオカメラも回っている。気持ちが緩むことはない。

「とても綺麗よ」と私が言うと、

「お母様に似て」とカメラマン。

「はい、そうですね!」と返して、笑いを買う。

泣かないためには、お笑いモードでいるしかない。

 

そして、私が紅筆を持ち、娘の唇に仕上げの紅を置く。

カメラを意識しながらも、緊張と、感激と……。二度とない、貴重なひとときだった。

 

新婦が父親にエスコートされてバージンロードを歩み始める前に、母親が新婦のベールを顔にかけるという小さな儀式がある。それはずいぶん前に娘に言われ、何でもやるわよ、と喜んで引き受けていた。

ところが、リハーサルのときに、スタッフから、

「その際、ひとことお声をかけてあげてください」

と言われたのである。

さて何と言おうか。頭の中には言葉がぐるぐる、胸ドキドキで考える。



 

(何を言ったかは、ヒミツ……)

 

もう感動で胸がいっぱい。お役目がすんで、列席者の最前列に座ると、早くも涙がこぼれてしまった。

それでも、二人の「人前(じんぜん)結婚式」をきちんと見届けなくては、と思いながら、涙をふいた。

 

   〈続く〉

 


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