自閉症児の母として(53):「息子の頭が……」の後日談。2018年10月29日

 




息子は、坊主頭にした1週間後、「のどが痛い」と言い、37度台の熱を出して、仕事を休みました。頭が涼しくなりすぎて風邪を引いたようです。

大したことはなく、薬を飲んで翌日には平熱になり、元気よく出勤していきました。

 

その5日後、私も同様の風邪をひいてダウン。まだ治りません。

 

その3日後、次男ものどの痛みを訴えて、風邪がうつったようです。

 

明日あたり、夫が危ない……?

 

坊主頭を疫病神のように言うつもりはありません。

むしろ、坊主頭になった息子にショックを受けたこと自体が、偏見だったかもしれない。そのバチが当たったかな、と思っています。

仏の教えを説くお坊さんにしても、元気いっぱいの高校球児にしても、スタイリッシュなスキンヘアで活躍する人々にしても、受刑者とは無縁の存在です。たまたま刑務所の話を聞いた直後だったので、悪いイメージが先行してしまいました。ごめんなさい。

 

朝晩冷え込むこの時期、風邪が流行っているようです。

皆さんも、くれぐれもご用心くださいね。

 




自閉症児の母として(52):ショックです! 息子の頭が……2018年10月16日

 

朝、息子は出かけるときに、「今日は髪を切ります」と言っていました。

帰宅した息子を見て、絶句。坊主頭になっていたのです。ショックで息が止まりそうでした。

 

もう何年も前から、駅なかの1000円ぐらいで簡単にカットしてくれる床屋さんにお世話になっていました。最初は私がついていきましたが、すぐにチケットを買うやり方も覚えて、一人で行かれるようになりました。

その店が閉店になっても、隣駅や商店街などで、別の床屋を見つけてはそこで散髪していました。コミュニケーション障害のある彼が、理容師さんとどんなやり取りをしているのかと、ちょっと心配ではありましたが、いつもこざっぱりとして帰ってくるので、理容師さんにも何とか理解してもらえているのだろう、床屋に関してはすっかり自立した、と安心しきっていたのです。

 

息子は、私が驚いても、さほど悪びれるでもなく、「バリカンで??」などとおどけている。「床屋さんには何と言ったの」と聞いても、そういう説明は彼には無理なのです。あまり突っ込んで尋ねても、息子が傷ついても困るし、坊主頭が悪いと思い違いをされても困るので、あまり悲しい顔はできません。

おそらくは、「短くしてください」と頼んだら、「バリカンで?」と理容師さんに聞かれた。わけもわからず「はい」と答えた……といったところなのではないか。憶測するばかりです。

 

今日はたまたま、刑務所の話を聞いてきたのです。服役を終え出所した人の社会復帰を支援しているシスターの講話でした。なぜか、息子が受刑者のように見えてしまい……、ショックです。

話が通じているようでも、見かけと違って、息子の理解能力はかなり低い。そのことを改めて思い知らされたこの一件。いえいえ、行き違いがこの程度のことですんでよかった。そう思っておきましょうか。

髪が伸びるまでの1ヵ月、母は反省しながらじっと我慢の毎日です。

 


東国原さんみたいで、とても正面からの写真はお見せできません。

ただひとつ、頭の撫で心地だけは快感ですけどね。

息子は今夜も、何事もなかったように、ルーティンの食器洗いをしています。



旅のフォトエッセイ:ちょっと京都の旅①2018年10月12日

 

夕刻にひとり京都に降り立ち、ホテルにチェックインした後、東華菜館という北京料理の老舗へ向かいました。

鴨川のほとり、四条大橋の脇に、南座と向かい合って建つ、五階建てのレトロな洋館です。

(写真は「じゃらん」のサイトからお借りしました。▼)




玄関からして荘厳な構えです。▲

  

早く着きすぎたので、中には入らず、混雑する四条通をぶらぶらしていると、「全員お待ちかね」とお呼びがかかってしまい、あわてて引き返しました。


 

大正15年に建てられたそうで、2階へと案内された古めかしいエレベーターには、蛇腹の扉がついていました。日本橋三越にも同じようなエレベーターが残っていますが、どちらもアメリカのOTIS社製で、こちらは現存する日本最古のものだとか。▲

 

▼男性諸氏が待っていてくれたのが、この部屋。

(写真は「東華菜館」のホームページからお借りしました)


 

種を明かせば男性諸氏は、大学の美術部の1学年上の先輩がたと、同期のお仲間。卒業後も交流が途切れることなく、特に男性はリタイア組も増え、昨今は集まる機会も増えてきました。

この秋、京都出身の男性が京都ツアーを企画して、わが夫も含めて男性ばかり10名ほどが参加。旅の二日目の夜は、この伝統ある北京料理の店で夕食を、という予定だったので、私もなんとか都合をつけて、この席に駆けつけたのでした。

はい、夫は私の1年先輩でした。(今では上下関係が逆転しているかも?)

 

夫とは24時間ぶりですが、40年ぶりの先輩もいて、顔を見てもわからないかと思ったのに、そこは若い頃の親しい仲間。当時と変わらない冗談交じりのやり取りで、誰それの消息やら、近況やら、あることないこと、次から次へと話題が飛び出し、笑いがあふれ、楽しいひと時はあっという間でした。

 

学生時代に比べたら、痩せた人、太った人、髪の少なくなった人、白くなった人、意外にあまり変わっていない人……。見かけはいろいろです。同じであるのは、誰もが皆、同じ年月を過ぎてきたこと。

飲み過ぎて暴れたり、議論を吹っ掛けたり、もうそんな人はいない。やわらかな眼差しで、上手に言葉を交わしている。ほほ笑んでいる。

「かどが取れてまるくなった」とは、つまりこういうことなのでしょう。相手を思いやるやさしさを身につけてきたのですね。

かくいう私とて、だいぶ色香の褪せた紅一点。昔はこういう場で、今で言うセクハラまがいの会話をされては、怒ることもありました。もう、はねっかえす若さも弾力もありません。ここに集う紳士たちも、昔の淑女にぶしつけな物言いをすることはないのです。

 

そろそろお開きという頃、窓の下には鴨川のゆるやかな流れが、街の灯を映してきらめいていました。ほろ酔いの私は、40年の時の流れに思いを馳せるのでした。

 

 

夫は、初めからこのツアーに一人で参加することにしていました。

わが家には、ご存じのとおり、自閉症の長男がいます。予定外のことが起きなければ一人で何時間でも留守番はできるのですが、さすがに両親二人とも外泊するのはちょっと心配です。

今回は、彼の毎月一度の宿泊訓練を、京都行きの日程に合わせることができたので、私も夫を追いかけて(??)同席することができました。

とはいえ、翌日には帰るつもりで、夫たちのツアーではなく、関西在住の友人に付き合ってもらい、短い京都滞在の計画を立てました。

この続きは、またいずれ。







自閉症児の母として(51):自閉症児を抱えた若いお母さんたちへ2018年09月28日


今日は、長男が3歳から通ってお世話になった療育施設で恩返しをしてきました。

現在、そこに通園している自閉症児のお母さんたちに、先輩母として、お話をさせてもらったのです。十数名の若いお母さんたちは、話を始める前から、もう目が潤んでいる。人の十倍泣き虫の私も、それを見ただけで早くももらい泣き……。

それでも、将来に対する不安や、兄弟間の問題など、困っていることを少しでも軽くしてあげたいという思いで、体験をお話ししました。

 

この施設では、母親ももちろん勉強でした。わかりにくい自閉症児の育て方を学びます。最初に教わったのが「受容的交流方法」。それは、あるがままを受け入れて、心を通わせていくという子育ての基本でした。

キーワードは3つ。「安心」をさせて、「経験」をさせて、自分の意思で行動できるように、ひいては「プライド」を持って生きていけるようになることが目標です。

 

子育ては自分ひとりではできません。みんなに助けてもらいましょう。

家族だけではなく、親戚、ご近所、学校、地域の人々……みんなに理解してもらい、見守ってもらい、助けてもらいましょう。

そう教わってきました。

私たち親子も、思い出すまでもなく、感謝してもしきれないほど、温かい人々に支えられた歳月でした。

 

「私も、『うちに子に限って、どうして?』ってずいぶん思いましたよ」

と、私が口にしたとたん、ほぼ全員がハンカチを取り出していました。そう思わなかったお母さんは一人もいないのです。

当時の園長先生は、私たちにこう言いました。

「自閉症児は、1000人に一人の割合で生まれると言われています。皆さんが大変な思いをして育てているからこそ、他の999人のおかあさんがフツウの子育てを楽しんでいられる。つまり、皆さんは、1000人の代表として自閉症児を育てているんですよ」

ああ、私たちは神様に選ばれたんだ、と思えた。代表としてのプライドを持って、この子のために前を向いてがんばろう、と思えたのです。

さて、何人のお母さんにわかってもらえたでしょうね。

 

写真はおみやげにいただいた、自閉症者のアーティストの絵はがき。

非凡な才能がほとばしっていて、惹かれる絵です。




ダイアリーエッセイ:秋分の日2018年09月23日

 

気が遠くなりそうな忙しさの中にいる。山積の仕事が、雪崩を起こしそう。

どうしてこんなことになったのか。

気がついたら、9月下旬の10日間のなかに、教室が3つ。さらに、原稿締め切りがあり、紙面編集の締め切りがあり、エッセイ募集の取りまとめがある。6名分の作品集もおんぶにだっこさせられている。おまけに、何もこの時期でなくてもいいのに、自閉症者の母としての講演もある。もちろん美容室の予約も、長男の誕生会のためのレストラン予約もある。

関係者の皆さま、誤解のないように。どれもみんな、私の大切な仕事で、どれ一つ、嫌なものはないのですが。

私のスケジュール管理がずさんだったのかもしれないし、たまたまのことなのかもしれない。

「忙しい」という字は、心を亡くす、と書く。

こんな時期だからこそ、日曜のミサにあずかり、内省と祈りの静かなひと時を持つ。

 



主のいない母の部屋に行く。

荒れた庭にも、今年も忘れずに彼岸花が咲いている。

ああ、今日は秋分の日なのね。だから、明日は振り替え休日。そんなことも忘れていた。「忘れる」という字も、心を亡くすと書く。

 

こうやって、今の気持ちをつづってブログに載せ、パソコンの向こう、訪れてくれる人に思いを馳せることも、大切な時間なのだと気づく。

皆さん、お変わりありませんか。

 

さて、夕飯のしたくの前に、もうひと頑張り。仕事に戻ります。





 

 


自閉症児の母として(50):映画のご紹介2018年09月08日


とても興味深い映画が、昨日から全国で上映されています。

私も先ほど知ったばかりで、まだ見てもいないのですが、ご紹介させてください。


 

500ページの夢の束』という映画。

公式サイトの紹介文は、次のように始まります。

 

大好きな『スター・トレック』の脚本コンテストのためにハリウッドを目指す、自閉症のウェンディ。初めての一人旅には、誰にも明かしていないホントの目的が秘められていた―

 

これだけで、見てみたいと思いませんか。

 

ウェンディを演じるダコタ・ファニングという女優さんは、子役の頃からその愛くるしい名演技で注目されていたようです。そんな彼女が、どんな自閉症者を演じて見せてくれるのかも、興味がふくらみます。

 

映画の公式サイトはこちら


エッセイの書き方のコツ(32):繋げて広げて2018年08月31日




昨日は、海風さわやかな駅に降り立ち、湘南エッセイサロンでした。

メンバーのMさんが、こんな素敵なドイリーを作ってきてくれました。



かぎ針を使うレース編みとは少し違って、タティングレースというそうです。手のひらの中に納まるぐらいの糸巻きを、2本の指に渡した糸にくぐらせながら、さまざまな結び目をこしらえては、模様を大きくしていくのです。

鋭い針を使わないので、テレビを見ながらでもできるし、揺れる車内でも扱える手軽さがおすすめ、とのことでした。

私も手芸は好きでしたから、10年前なら試してみたかもしれません。でも残念ながら、今はボタンを留めるのも痛みが走るほど親指の関節炎がひどいので、諦めました。

 

*~*~*~*

 

そのMさんの昨日のエッセイには、とても印象的なシーンがありました。

テーマは「泊まる」。近所に住んでいた少年がアメリカに移住して8年目、アメリカ人の友人と二人で日本に遊びに来て、わが家に泊まったというお話です。

彼は、アメリカ人と日本人とのハーフで、美少年。そのせいか、いわれのないいじめを受け、辛い子ども時代を送ったのでした。

だから日本には友達もおらず、本当はあまり来たくなかったという彼。そんな彼を説得して一緒に来た友人は、日本のコミックやアニメをすばらしい日本文化だと言う。

日本で何がしたいの、と聞くと、手に持ってする花火だと答えが返ってきました。

 

二人の少年は長いこと飽きもせず、線香花火のチリチリと燃えていく様を見つめていた。

 

このくだりには、二人にそそがれるMさんのやさしいまなざしが感じられます。日本では幸せではなかった少年を案ずる気持ち、いつかはコミックを通してでもいいから、長い歴史のある日本文化にも目覚めてほしいという思い。それらが線香花火というはかなげな情感をともなって、読み手の心に届けられるのですね。

 

*~*~*~*

 

線香花火で、皆さんは何を思い出すでしょうか。

私は、この花に思いを馳せました。


 

その名はフウリンブッソウゲ。2016919日の記事でも、紹介しています。風鈴に似ているから付けられた名前のようですが、私は目にしたとたん、「線香花火みたい!」と思ったのでした。

夫が鉢植えを大事に育てているので、毎年きれいな花をつけます。

今年は、茎が1メートル以上にもなり、庭に置いています。さすがは南の花、猛暑をものともせずに、毎日たくさんのつぼみを付け、1日咲いては落ちるのです。今日は4つの花が咲きました。

 

*~*~*~*

 

ドイリーに始まって、Mさんのエッセイ、庭の花へと、連想は糸のようにつながっていきます。そうやって、文章を広げたり膨らませたりして、一つのエッセイへと整えていくこともできそうですね。

手の中の一すじの糸が美しい模様になり、まるいドイリーに形を変えていくように。



おススメのアニメ映画『未来のミライ』2018年08月15日


わが町で家族と過ごす夏休み第2弾です。

 

夫の第二の職場は、熱帯環境植物館。つまり、生き物相手の仕事なので、職員は一年365日、交代で彼らの世話をします。世間の人々と同じ日に、休暇をとれるとは限りません。

逆に長男は、世間並みに夏休みがあるので、半分だけでも一緒に休めるように、夫が調整します。そして、毎年行くことにしているのは映画。



 

今年は、細田守監督の『未来のミライ』を観ました。

じつは、夫の職場がクレジットされているのです。どうやら、植物館がモデルになっているシーンがあるらしい。そんな興味からみんなで見に行こうということになりました。

細田監督の前作『バケモノの子』がとてもよかったという友人もいたので、それなら、という期待もありました。その程度の予備知識だけで、出かけて行ったのです。

 

主人公のくんちゃん。まだ3歳か4歳ぐらいでしょうか。お母さんが二人目の子を出産して、退院してきます。

留守宅で、くんちゃんの世話をしているのは、若々しいおばあちゃんでした。お母さんの帰宅と同時に、おばあちゃんはひいおばあちゃんの介護もあるらしく、そそくさと帰って行ってしまいます。

さて、久しぶりに帰ってきたお母さんに甘えたいくんちゃん。でもお母さんは赤ちゃんにつきっきりで、お兄ちゃんのやきもちが始まります。大好きな鉄道のおもちゃを部屋中にぶちまけたり、食べるのにもわがままを言ったりして両親を困らせます。

ここで、お父さんは自分もがんばらなくては、とやさしい。(あら、どこかで聞いたような声。もしかして、星野源さんかな……??)

仕事に復帰するお母さんと、自分の仕事を自宅に持ちこんで、育児や家事をしょい込むお父さん。夫婦それぞれに、うまくいかない部分や気持ちのずれがあって、今どきの家族をリアルに描いているなあ、と思いました。

 

そんなある時、くんちゃんは、高校生になっている未来の妹、ミライちゃんに出会うのです。その場所が、熱帯植物園なのでした。ミントグリーンの色をしたヒスイカズラが、藤の花のように垂れ下がって咲いている美しいシーンです。

アニメお得意の、時空を超えた旅ではありますが、子どもたちにわかるのかなと、一瞬思いました。いえいえどうして、むしろ子どものほうが、柔かな脳みそで理解するのかもしれませんね。

タイムスリップの行き先は、時には過去。子どものころのお母さんや、戦後間もないひいおじいちゃんにも出会います。このひいおじいちゃんは言葉少なで、くんちゃんをバイクや馬に乗せてくれる、何ともかっこいい青年です。

くんちゃんは、彼らの様子を見たり、彼らの言葉をかみしめたりすることで、少しずつ成長していきます。

 

夏休み公開のこのアニメ映画は、家族連れをターゲットに、大人も子どもも楽しめる作品になっています。くんちゃんの年頃の子どもばかりではなく、若いお父さんもお母さんも、おじいちゃんおばあちゃんも、それぞれの視点から、家族のありようや、互いの気持ちを考えるきっかけになるのではないでしょうか。

猛暑の夏休み、涼しい映画館にこもってアニメを観るのも悪くないですね。

 


ところで、あとから映画の公式サイトをのぞいてみたら、やっぱりお父さんの声は、源ちゃんでした。

そして、お母さんは麻生久美子さんで、おばあちゃんは宮崎美子さんで……おやまあ、そう言われてみれば、キャラクターのお顔もよく似ていました。

ひいおじいちゃんの若かりし頃は、なんと!福山雅治さんではないですか。どうりでかっこいいと思いました。私にとって、彼の声は男性の美声ナンバーワン。いつも、カーナビの女性の声が気に入らなくて、「福山君みたいな声ならいいのに……」と独りごちているのです。それなのに、映画を見ながら、彼だとは気が付かなかったなんて。われながら、情けない。声ファン失格でしょうか……。



今日は終戦記念日です。

このひいおじいちゃんは、戦争で負傷したため、足を引きずるようにして歩きます。彼が戦死していたら、くんちゃんもミライちゃんも、この世には存在していなかった。この映画にそれ以上の押しつけがましさはありません。だからこそ、映画を見たら、平和の意味をお子さんと一緒に考えてほしい。くんちゃんのおばあちゃん世代の私は願っています。




▲ヒスイカズラの花。板橋区立熱帯環境植物館Facebookページから写真をお借りしました。

こちらは、花博記念公園のサイトからお借りしました。▼








ダイアリーエッセイ:野菜の収穫2018年08月12日

 

帰省する故郷を持たない私は、この時期、ちょっとさみしい。旅行の予定もないときはなおさら。でも、人の減ったわが町でのんびりするのも悪くないと思えるようになりました。

 

今年は、思いがけない楽しみが転がり込んできました。

同じマンションの友人夫妻が、10日間の旅に出るので、彼らが借りている畑の留守を預かることになったのです。

3日前に、下見に連れて行ってもらいました。子どもたちが通った小学校の近くで、「シェア畑」と書かれたのぼりがたくさん立っています。

23日前に収穫したばかりで、まだ赤ちゃんサイズのキュウリやナスがたくさんなっていました。


3日前のオクラ。ミルク色のやさしい花が咲いていました。実はまだまだ短い。


 

そして今日、夫と行ってみると、赤ちゃんたちは、あっという間に大きくなっていて、本当にびっくり。キュウリは3倍ほどの大きさです。



昨晩は雷雨がすごかったから、水やりの必要もありません。曇りがちな空の下、連日の猛暑もなく、収穫だけで作業はおしまい。

赤と緑の二種のオクラも、シシトウのように小さめのピーマンも、亀裂が入ったミニトマトも、スーパーの店先の野菜とは何もかも違う。無農薬と新鮮さが何よりのごちそうです。

バジルは、パチンと切るだけで強烈な香りが立ち上って、食欲もわいてきました。

「今夜はイタリアンね!」と、思わずわが家のシェフ(=夫)にオーダーしました。



 

 


訃報 津川雅彦さん2018年08月09日


 

俳優の津川雅彦さんが亡くなりました。

 

6年前の2012220日のブログ記事に、津川さんと一緒に撮った写真を載せています。

▼写真中央の銀色のパンツの男性が津川さんです。



 

ひょんなことから知り合った若い女性の友人に誘われて、東日本大震災の復興応援プロジェクトに参加しました。その大勢の仲間たちと、数回にわたる宮城県東松島市の物産展のお手伝いをさせてもらったのです。津川さんも、そのプロジェクトに協力をしてくれていました。

今でも、当時のボランティア仲間たちとは友人として繋がっています。縁もゆかりもなかった東松島にも、かけがえのない友達がたくさん出来ました。

2012年の物産展をお手伝いした体験は、私の大きな宝物となったのでした。

 

だからこそ、津川さんの訃報を聞いた時には、本当にショックでした。

 

6年前に実際にお目にかかった津川さんは、相変わらずダンディで、白いおひげもカッコよく見えるほど、はつらつとしていました。少し前までおばさまたちを虜にする色男の代表格だったのですから。

ところが、愛妻家で知られる津川さんだからこそ、今年4月に朝丘雪路さんが亡くなった時にはすっかり悲しみに打ちひしがれた様子で、ご自身も肺を患っているとか、鼻からチューブを入れた痛々しい姿でした。

6年前との変わりように、大丈夫なのだろうかと心配になったものでした。

 

亡くなる当日まで、食欲もあり、仕事にも意欲的だったそうです。

さみしがり屋の奥様が呼ぶ声が聞こえて、ふっとそちらに行きたくなってしまったのかもしれませんね。

ご冥福をお祈りいたします。




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