自閉症児の母として(54):ワイモバイルの通信障害に思う2018年12月06日


わが家の長男、仕事から帰宅するなり、

「朝、駅の発車時刻が書かれていなかったよー!」と、嘆くように報告がありました。いつもと違うことが苦手なのです。

確かに今日は朝から、車両故障や何やら、あちこちの路線で不測の事態が起きて、ダイヤが混乱したようです。

それでも、理由がわかれば、何とか納得して気持ちを落ち着かせることができるようになっています。

 

ところが今度は、自分の部屋に入ってしばらくすると、

「インターネットが繋がらない!!」と大声で騒ぎ立てています。



たまにあることなので、お天気が悪いからねーなどと言ってはぐらかしたり、再起動をさせたりしましたが、一向に繋がらない。

私はご飯作りの忙しいときだったので、ちょっといらいら……。

がその時、テレビのニュースでソフトバンクの通信障害が報じられました。うちはドコモだから、と思ったけれど、息子の部屋だけはポケットWi-Fiを使っていて、それがソフトバンクのワイモバイルだったのです。

私がどんなに説得しても、なかなか聞く耳を持たないのに、「圏外」になってしまう理由がテレビからのニュースで明らかになると、息子は初めてほっとする。「順次復旧」の言葉に、安心して待っていられるのです。

 

子どもの頃は、こうした不測の事態に遭遇すると、どんなになだめてもすかしても、涙を流して悲嘆にくれたりしたものです。

ずいぶん成長したなぁ、と思う今日の出来事でした。

 


旅のフォトエッセイ:世界遺産の五島列島めぐり③頭ヶ島教会2018年12月02日



20187月に、世界文化遺産に登録された正式なタイトルは、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」です。

17世紀から19世紀の200年以上にわたるキリスト教を禁ずる政策の下で、長崎と天草地方において、ひそかに信仰を伝えた人々がいました。それが「潜伏キリシタン」です。

彼らが「潜伏」したきっかけに始まり、信仰の実践と共同体の維持のために日本の伝統的宗教や一般社会と関わりながらも、ひそかに行ったさまざまな試み、そして宣教師と接触することで転機を迎え、「潜伏」が終わるまでを、12の構成資産によって表したもの――それがこの世界遺産の内容です。

 

ブログのこのシリーズ①で紹介した青砂ヶ浦教会は、国の重要文化財としては登録されていますが、12の構成資産には入りませんでした。

今回の頭ヶ島教会は、構成資産の一つ「頭ヶ島の集落」の中にあります。



五島列島の最東端に位置する頭ヶ島は、かつては無人島だったそうです。そこに19世紀になって信徒が渡来し、わずかな平地を切り開いて集落を作ります。

その後も迫害を受けて、信徒たちは島を出ますが、キリスト教の禁が解けると島に戻り、念願の教会堂を建てることができました。

 

とはいえ、鉄川与助という建築家が手掛けた、日本でも数少ない石造りの教会は、完成までに10年もの歳月がかかっています。途中で資金が足りなくなったのです。それでも信徒たちは諦めずに、つましい生活をさらに切り詰めて費用を捻出し、五島石と呼ばれる砂岩を石切り場から運び出すなどの労働に従事して、ようやく完成に至ったそうです。教会は信徒たちの信仰の証そのものといっても過言ではないでしょう。

 

教会は、小さいながらも重厚な造りで、その勇壮なイメージには信徒たちの誇りが感じられました。

ところが、一歩中に入ると、がらりと違った印象です。白壁にはパステルカラーの花や葉のモチーフがあしらわれて、天国もかくやと思わせるようなやさしさに満ちています。柱はなく、天井は船底の形をした折上げ式というものだそうです。



▲教会内部は撮影禁止なので、この写真は絵はがきを撮ったもの。

外観と内部の印象の違いがお分かりいただけるでしょうか。


 

教会を出て、海へ向かいます。

途中、キリシタン墓地がありました。たくさんの石の十字架が、海を見つめて立っています。せめて近くで撮りたかったけれど、なにしろ時間がありません。先へ先へと急ぐ駆け足旅行です。



 

浜辺に着いたとたん、遠い記憶がよみがえりました。

次男の修学旅行の一枚の写真。制服を脱いで、ワイシャツの袖もズボンのすそも捲し上げ、無邪気に遊んでいる生徒たち。

あの写真はここで撮った。なぜかぴんときたのでした。

 

私たちが訪れた時は曇っていましたが、それでも海は少し緑がかった青さでおだやかに空を写していました。

息子たちの旅行中は晴れて暑かったと、のちに先生方から聞きました。晴れていれば、海は青く輝いていたことでしょう。生徒たちも、教会巡りが続いてやれやれ、波打ち際ではしゃぐひとときは、楽しかったにちがいありません。

9年前、息子はこの海を見ていた……そう思うと、不思議な気持ちになるのでした。

 

帰ってから、自分の写真と、学校通信に載ったモノクロ写真とを、見比べてみました。

遠くの島影も水辺の岩も、ぴたりと一致しました。





 

次回、「④旧五輪教会」に続きます。

 



旅のフォトエッセイ:世界遺産の五島列島めぐり②「心に残る」2018年11月30日


五島に行きたいと思うようになったのは、9年前にさかのぼります。
次男の忘れられない出来事にあるのです。

当時、それをエッセイにつづりました。まずはお読みいただきましょう。

 

 

    「心に残る」――母バージョン

 

ゴールデンウィークが明けた日、ひさしぶりに一人の静けさを味わっていると、次男の中学校から電話がかかってきた。

385分のお熱がありまして、今保健室で休んでいるのですが……」

車を飛ばして20分後、保健室には青い顔の息子がいた。

 

ちょうど、アメリカ帰りの大阪の高校生が、重症になりやすい新型インフルエンザで隔離された、というニュースが日本列島を不安に陥らせていた頃だ。

保健室の先生の話では、息子のクラスにもインフルエンザの生徒が数名出ているという。

私も青くなった。中3の息子たちは、5日後に長崎への修学旅行を控えていたのである。

「でもご安心ください、B型ですから」と、先生はにこっと笑った。

恐怖の新型はA型で、学校では安心のB型というわけだ。おそらく息子もその菌をもらったのだろう。

「発熱して1日たたないと菌が出ないことがあるので、検査は明日のほうが確実かもしれませんね」

とりあえず息子を連れて帰って寝かせる。夜には40度になり、解熱剤を飲ませた。大丈夫、出発まで5日ある。諦めるにはまだ早い。

あいにく私は、翌日の午前中は自分の習い事、午後からは仕事先の年に一度の総会が控えていた。しかたがない。午前中は休むことにして、医者に連れて行こう。総会では大事なお役目もあるから休むわけにはいかない。薬を飲んで眠っているうちに出かけてこよう。

 

翌日、午前中にかかりつけの小児科に連れて行く。検査の結果は予想どおりのインフルB型。

「ほうっておいても寝てれば自然に治るんだけどね」と医者は前置きして、「一刻も早く治したい事情があるということなので、特効薬を処方しましょう」。

薬はリレンザ。従来のタミフルは、副作用でまれに幻覚や妄想が起こるとされている。子どもの患者が異常行動で亡くなって以来、未成年には許可されなくなった。

「リレンザでも同様の副作用があるという報告もあります。服用したら24時間、目を離しちゃだめですよ」

大声を上げて外へ飛び出したり、窓から飛び降りたりする可能性もあるというのだ。

 

万事休す。午後からの総会もあきらめ、急きょ欠席のお詫びを入れて、代理を頼んだ。

吸飲式のリレンザは、簡単な器具に薬のパックを装てんして投与する。息子はやがて眠りについた。1時間おきに部屋をのぞいても、いつも死んだように眠っていた。

結局その日は、夜まで息子の爆睡を見守っただけだった。総会に出かけても大丈夫だったのに、と思う。でもそれは結果論だ。

わが家にはもう一人保護者がいるのだが、夫の育児への協力は土日祝日限定である。育児のために仕事を犠牲にするのはいつだって私。収入の多寡だと言われればそれまでだけれど、仕事である以上、私にも社会的な責任はあるんだけどな……。

 

翌日には息子の熱も下がり、リレンザのおかげで快方に向かった。2日間平熱が続けば完治とみなされる。旅行の前日には医者の診断書をもらって、午後からは登校できた。なんとか修学旅行に間に合ったのだ。

さて旅行当日の朝、最後のリレンザを吸いこんで、いざ出発……のはずが、トイレに入ったきり出てこない。薬の副作用から下痢を起こしたようだ。今度は下痢止めを飲ませる。ぎりぎりの時刻まで待って、集合場所の羽田へ向かわせた。中学生にとって、修学旅行に行かれないことぐらい悲しいことはない。そんな私の信念が、息子を送り出したのだった。

 


34日の旅を終え、元気に帰ってきた息子は、開口一番、こう言った。

「ありがとう、母さん!」

初日は辛かったけれど、2日目からは食欲も出たという。五島の海の青さ、班長として班別行動をとった思い出……口下手な息子の話でも、楽しかった様子が想像できた。

母さんが治してあげたわけではないけど、でもよかったね、みんなと行けて。

 

1ヵ月後、さらにおまけがつく。

国語の苦手な息子が書いた「心に残る」というタイトルの修学旅行記が、学校通信に載ったのである。

「仕事を休んでまで看病してくれた親のためにも、楽しめなければ悪いという気がした」

旅行記は、私の心に残る“最高傑作だった。




 ぎりぎりセーフの病み上がりで出かけ、元気になって帰ってきた息子。彼が見た海を、いつか私も見てみたい。願いは9年目にかなったのでした。

次回、「③頭ヶ島教会」に続きます。

 

 

旅のフォトエッセイ:世界遺産の五島列島めぐり①青砂ヶ浦教会2018年11月18日




ずっと以前から行きたかったのです。長崎県の五島列島、キリシタンの聖地。

今年7月、世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」には、五島列島の中の4つの集落が含まれています。

 

今回の旅は、なるべく効率よく回れるようにと、一般のツアーに参加。キリシタン関連で訪れたのは、4つの教会とキリシタン洞窟だけでしたが、それでも念願の五島の地を踏んで、感慨もひとしおでした。

 

まずはハイライトから――



 

▲最初に訪れた青砂ヶ浦(あおさがうら)教会。

中通島の海を見下ろす丘の中腹にたたずむレンガ造りの聖堂です。

 

1549年、フランシスコ・ザビエルが来日してキリスト教宣教が始まりますが、その約30年後には早くもバテレン追放令が出て、信者たちは弾圧を受けるようになります。それでも彼らは、仏教徒を装ったり、神道の習慣に従ったりしながら、密かに信仰を守り続けたのでした。

300年の時を経て、明治6年、ついにキリスト教が許されるようになると、信者たちは、彼らの信仰の証として、自分たちの教会の建立に力を注ぎます。ただでさえ貧しい暮らしのなか、さらに生活を切り詰めて資金をつくる。自らの手で海辺の砂岩を切り出し、船で運ばれてくる資材を肩に担いで丘に運び上げる。血と汗のにじむような努力の結果、明治43年、この教会は出来上がりました。

ついに自分たちの教会堂を建てることができた! その喜びはいかばかりであったでしょう。

 

この日のガイドさんは、言葉遣いも丁寧で、知識も豊富、素晴らしい語り口に、感心して聞きほれていました。

彼女は、内部の見学を終えて外に出ると、「もう一度玄関の上の方を見上げてください」と言いました。


「『天主堂』と書いてありますね。教会堂という意味ですが、わざわざ書かなくてもわかるのに……。今の教会には、このようなものはあまりありません。でも、当時の信者たちの気持ちを思ってみてください。長い迫害の時代を経て、ようやく自分たちの手で神様の家を作り上げた。皆で祈りを捧げる場所ができた。その喜びが、『天主堂』という文字の中に表れていると思いませんか」

私はガイドさんの言葉に、本当に彼らの気持ちが伝わってくる気がしました。

信者さんですかと尋ねると、「私は仏教徒ですよ」と笑うガイドさん。だからこそわからないことも多く、もっと知りたいと思うのだそうです。この地に生まれ育った彼女の郷土愛なのかもしれません。熱心に学んで伝えようとする真摯な態度には、ガイドとしての誇りを感じました。


 ▼白い手袋がガイドさん。


 


▲この写真は、バスの中で、ガイドさんが見せてくれたもの。観光客には、教会内部の写真撮影が許可されていません。

 

私たちは教会の椅子に掛けて、ガイドさんの説明を聞きました。

ゴシック様式のアーチ型の天井や、骨組みも柱も木造りであること。

美しい花をかたどったステンドグラスは、フランスから運ばれたこと。

その花弁が5枚ではなく4枚なのは、十字架を表していること……。

ヨーロッパの教会は、伝統的に玄関が西で、祭壇が東側。この教会も同様で、真西から日が差し込むと、その光が祭壇を照らします。祭壇左に置かれた聖テレジア像と右の聖フランシスコ・ザビエル像が、玄関上の左右のバラ窓から差し込む光によって見事に浮かび上がるのだそうです。

その日はあいにくの曇り空でしたが、話を聞いている最中に、急に日の光が差し込んできました。察知したガイドさんがすぐに電気の照明を消しました。

赤、黄色、オレンジ、緑。カラフルなステンドグラスを通して入ってきた陽光が、教会内部の空間に満ちていきます。その明るさ、美しさといったら……!

神様が私たちを喜んで迎えてくださった。そんなふうに思えました。

奇跡のような、ほんの一瞬の出来事でした。




自閉症児の母として(53):「息子の頭が……」の後日談。2018年10月29日

 




息子は、坊主頭にした1週間後、「のどが痛い」と言い、37度台の熱を出して、仕事を休みました。頭が涼しくなりすぎて風邪を引いたようです。

大したことはなく、薬を飲んで翌日には平熱になり、元気よく出勤していきました。

 

その5日後、私も同様の風邪をひいてダウン。まだ治りません。

 

その3日後、次男ものどの痛みを訴えて、風邪がうつったようです。

 

明日あたり、夫が危ない……?

 

坊主頭を疫病神のように言うつもりはありません。

むしろ、坊主頭になった息子にショックを受けたこと自体が、偏見だったかもしれない。そのバチが当たったかな、と思っています。

仏の教えを説くお坊さんにしても、元気いっぱいの高校球児にしても、スタイリッシュなスキンヘアで活躍する人々にしても、受刑者とは無縁の存在です。たまたま刑務所の話を聞いた直後だったので、悪いイメージが先行してしまいました。ごめんなさい。

 

朝晩冷え込むこの時期、風邪が流行っているようです。

皆さんも、くれぐれもご用心くださいね。

 




自閉症児の母として(52):ショックです! 息子の頭が……2018年10月16日

 

朝、息子は出かけるときに、「今日は髪を切ります」と言っていました。

帰宅した息子を見て、絶句。坊主頭になっていたのです。ショックで息が止まりそうでした。

 

もう何年も前から、駅なかの1000円ぐらいで簡単にカットしてくれる床屋さんにお世話になっていました。最初は私がついていきましたが、すぐにチケットを買うやり方も覚えて、一人で行かれるようになりました。

その店が閉店になっても、隣駅や商店街などで、別の床屋を見つけてはそこで散髪していました。コミュニケーション障害のある彼が、理容師さんとどんなやり取りをしているのかと、ちょっと心配ではありましたが、いつもこざっぱりとして帰ってくるので、理容師さんにも何とか理解してもらえているのだろう、床屋に関してはすっかり自立した、と安心しきっていたのです。

 

息子は、私が驚いても、さほど悪びれるでもなく、「バリカンで??」などとおどけている。「床屋さんには何と言ったの」と聞いても、そういう説明は彼には無理なのです。あまり突っ込んで尋ねても、息子が傷ついても困るし、坊主頭が悪いと思い違いをされても困るので、あまり悲しい顔はできません。

おそらくは、「短くしてください」と頼んだら、「バリカンで?」と理容師さんに聞かれた。わけもわからず「はい」と答えた……といったところなのではないか。憶測するばかりです。

 

今日はたまたま、刑務所の話を聞いてきたのです。服役を終え出所した人の社会復帰を支援しているシスターの講話でした。なぜか、息子が受刑者のように見えてしまい……、ショックです。

話が通じているようでも、見かけと違って、息子の理解能力はかなり低い。そのことを改めて思い知らされたこの一件。いえいえ、行き違いがこの程度のことですんでよかった。そう思っておきましょうか。

髪が伸びるまでの1ヵ月、母は反省しながらじっと我慢の毎日です。

 


東国原さんみたいで、とても正面からの写真はお見せできません。

ただひとつ、頭の撫で心地だけは快感ですけどね。

息子は今夜も、何事もなかったように、ルーティンの食器洗いをしています。



旅のフォトエッセイ:ちょっと京都の旅①2018年10月12日

 

夕刻にひとり京都に降り立ち、ホテルにチェックインした後、東華菜館という北京料理の老舗へ向かいました。

鴨川のほとり、四条大橋の脇に、南座と向かい合って建つ、五階建てのレトロな洋館です。

(写真は「じゃらん」のサイトからお借りしました。▼)




玄関からして荘厳な構えです。▲

  

早く着きすぎたので、中には入らず、混雑する四条通をぶらぶらしていると、「全員お待ちかね」とお呼びがかかってしまい、あわてて引き返しました。


 

大正15年に建てられたそうで、2階へと案内された古めかしいエレベーターには、蛇腹の扉がついていました。日本橋三越にも同じようなエレベーターが残っていますが、どちらもアメリカのOTIS社製で、こちらは現存する日本最古のものだとか。▲

 

▼男性諸氏が待っていてくれたのが、この部屋。

(写真は「東華菜館」のホームページからお借りしました)


 

種を明かせば男性諸氏は、大学の美術部の1学年上の先輩がたと、同期のお仲間。卒業後も交流が途切れることなく、特に男性はリタイア組も増え、昨今は集まる機会も増えてきました。

この秋、京都出身の男性が京都ツアーを企画して、わが夫も含めて男性ばかり10名ほどが参加。旅の二日目の夜は、この伝統ある北京料理の店で夕食を、という予定だったので、私もなんとか都合をつけて、この席に駆けつけたのでした。

はい、夫は私の1年先輩でした。(今では上下関係が逆転しているかも?)

 

夫とは24時間ぶりですが、40年ぶりの先輩もいて、顔を見てもわからないかと思ったのに、そこは若い頃の親しい仲間。当時と変わらない冗談交じりのやり取りで、誰それの消息やら、近況やら、あることないこと、次から次へと話題が飛び出し、笑いがあふれ、楽しいひと時はあっという間でした。

 

学生時代に比べたら、痩せた人、太った人、髪の少なくなった人、白くなった人、意外にあまり変わっていない人……。見かけはいろいろです。同じであるのは、誰もが皆、同じ年月を過ぎてきたこと。

飲み過ぎて暴れたり、議論を吹っ掛けたり、もうそんな人はいない。やわらかな眼差しで、上手に言葉を交わしている。ほほ笑んでいる。

「かどが取れてまるくなった」とは、つまりこういうことなのでしょう。相手を思いやるやさしさを身につけてきたのですね。

かくいう私とて、だいぶ色香の褪せた紅一点。昔はこういう場で、今で言うセクハラまがいの会話をされては、怒ることもありました。もう、はねっかえす若さも弾力もありません。ここに集う紳士たちも、昔の淑女にぶしつけな物言いをすることはないのです。

 

そろそろお開きという頃、窓の下には鴨川のゆるやかな流れが、街の灯を映してきらめいていました。ほろ酔いの私は、40年の時の流れに思いを馳せるのでした。

 

 

夫は、初めからこのツアーに一人で参加することにしていました。

わが家には、ご存じのとおり、自閉症の長男がいます。予定外のことが起きなければ一人で何時間でも留守番はできるのですが、さすがに両親二人とも外泊するのはちょっと心配です。

今回は、彼の毎月一度の宿泊訓練を、京都行きの日程に合わせることができたので、私も夫を追いかけて(??)同席することができました。

とはいえ、翌日には帰るつもりで、夫たちのツアーではなく、関西在住の友人に付き合ってもらい、短い京都滞在の計画を立てました。

この続きは、またいずれ。







自閉症児の母として(51):自閉症児を抱えた若いお母さんたちへ2018年09月28日


今日は、長男が3歳から通ってお世話になった療育施設で恩返しをしてきました。

現在、そこに通園している自閉症児のお母さんたちに、先輩母として、お話をさせてもらったのです。十数名の若いお母さんたちは、話を始める前から、もう目が潤んでいる。人の十倍泣き虫の私も、それを見ただけで早くももらい泣き……。

それでも、将来に対する不安や、兄弟間の問題など、困っていることを少しでも軽くしてあげたいという思いで、体験をお話ししました。

 

この施設では、母親ももちろん勉強でした。わかりにくい自閉症児の育て方を学びます。最初に教わったのが「受容的交流方法」。それは、あるがままを受け入れて、心を通わせていくという子育ての基本でした。

キーワードは3つ。「安心」をさせて、「経験」をさせて、自分の意思で行動できるように、ひいては「プライド」を持って生きていけるようになることが目標です。

 

子育ては自分ひとりではできません。みんなに助けてもらいましょう。

家族だけではなく、親戚、ご近所、学校、地域の人々……みんなに理解してもらい、見守ってもらい、助けてもらいましょう。

そう教わってきました。

私たち親子も、思い出すまでもなく、感謝してもしきれないほど、温かい人々に支えられた歳月でした。

 

「私も、『うちに子に限って、どうして?』ってずいぶん思いましたよ」

と、私が口にしたとたん、ほぼ全員がハンカチを取り出していました。そう思わなかったお母さんは一人もいないのです。

当時の園長先生は、私たちにこう言いました。

「自閉症児は、1000人に一人の割合で生まれると言われています。皆さんが大変な思いをして育てているからこそ、他の999人のおかあさんがフツウの子育てを楽しんでいられる。つまり、皆さんは、1000人の代表として自閉症児を育てているんですよ」

ああ、私たちは神様に選ばれたんだ、と思えた。代表としてのプライドを持って、この子のために前を向いてがんばろう、と思えたのです。

さて、何人のお母さんにわかってもらえたでしょうね。

 

写真はおみやげにいただいた、自閉症者のアーティストの絵はがき。

非凡な才能がほとばしっていて、惹かれる絵です。




ダイアリーエッセイ:秋分の日2018年09月23日

 

気が遠くなりそうな忙しさの中にいる。山積の仕事が、雪崩を起こしそう。

どうしてこんなことになったのか。

気がついたら、9月下旬の10日間のなかに、教室が3つ。さらに、原稿締め切りがあり、紙面編集の締め切りがあり、エッセイ募集の取りまとめがある。6名分の作品集もおんぶにだっこさせられている。おまけに、何もこの時期でなくてもいいのに、自閉症者の母としての講演もある。もちろん美容室の予約も、長男の誕生会のためのレストラン予約もある。

関係者の皆さま、誤解のないように。どれもみんな、私の大切な仕事で、どれ一つ、嫌なものはないのですが。

私のスケジュール管理がずさんだったのかもしれないし、たまたまのことなのかもしれない。

「忙しい」という字は、心を亡くす、と書く。

こんな時期だからこそ、日曜のミサにあずかり、内省と祈りの静かなひと時を持つ。

 



主のいない母の部屋に行く。

荒れた庭にも、今年も忘れずに彼岸花が咲いている。

ああ、今日は秋分の日なのね。だから、明日は振り替え休日。そんなことも忘れていた。「忘れる」という字も、心を亡くすと書く。

 

こうやって、今の気持ちをつづってブログに載せ、パソコンの向こう、訪れてくれる人に思いを馳せることも、大切な時間なのだと気づく。

皆さん、お変わりありませんか。

 

さて、夕飯のしたくの前に、もうひと頑張り。仕事に戻ります。





 

 


自閉症児の母として(50):映画のご紹介2018年09月08日


とても興味深い映画が、昨日から全国で上映されています。

私も先ほど知ったばかりで、まだ見てもいないのですが、ご紹介させてください。


 

500ページの夢の束』という映画。

公式サイトの紹介文は、次のように始まります。

 

大好きな『スター・トレック』の脚本コンテストのためにハリウッドを目指す、自閉症のウェンディ。初めての一人旅には、誰にも明かしていないホントの目的が秘められていた―

 

これだけで、見てみたいと思いませんか。

 

ウェンディを演じるダコタ・ファニングという女優さんは、子役の頃からその愛くるしい名演技で注目されていたようです。そんな彼女が、どんな自閉症者を演じて見せてくれるのかも、興味がふくらみます。

 

映画の公式サイトはこちら


copyright © 2011-2021 hitomi kawasaki