自閉症児の母として(81):バレンタインデー2024年02月16日

 

「僕はバレンタインデーに、ママからチョコレートをもらうよ」

長男が、1週間ほど前に、電話でこう言いました。

週末しか自宅に帰らないので、水曜日のバレンタインデーに、どこでチョコレートをもらえるのか、心配しているのでしょう。私はそれよりも、彼のセリフに感動しました。

なぜって、間違いのない日本語だったから。

自閉症の息子は、混とんとした世界で生きています。特に、人間関係の把握が苦手なので、コミュニケーションも苦手。まして、もらう、あげる、くれる、など、動作の方向性を表す言葉は、正しく言えたことがありません。

「ママが僕にチョコをもらう」だったり、「僕はママからチョコをくれる」だったり。考えてみれば、日本語は難しい。それが普通に言えるようになることこそ、不思議なことなのでは……と思えてくる。

ところが、彼の今年のチョコ催促は、完ペキ?でした。

今週は特別忙しいのだけれど、感動のあまり、待ち合わせの場所を決め、持って行ってあげることにしてしまいました。

 

バレンタインの前日は、息子の主治医のクリニックに行きました。これまでずっと、本人は行かずに私だけで1ヵ月の様子を伝え、精神安定剤を処方してもらっています。先生はこの地域の障害者福祉についても詳しいので、いろいろと相談に乗ってもらうこともあります。

その日、たまたま待合室で居合わせたのは、若い男性と私よりも少し若そうな女性の二人連れ。おそらく親子なのでしょう。男性は落ち着きがなく、ぶつぶつと独り言を口にしている様子からも、すぐに息子と同じ症状だと思いました。

「明日はバレンタインだ。明日はバレンタインだ」と彼。

「うん、そうだね」とお母さん。

しばらくすると、またその応答の繰り返し。彼もまた、チョコがもらえるかどうか気が気ではないのかな……。息子と同じだと思うと、親近感がわいて、マスクの下で思わず口元がにんまり。

 

ドクターとの面談で、たった今、待合室で見かけた母子の様子を、「息子と同じですよ。214日には、きちんとチョコレートがもらいたいんですよね」と、話しました。

「まさしく、他人の空似ですねぇ。そういうカレンダーどおりの行動がとりたいというこだわりの強い、よく似た人たちが、他人なのに確かにいるんですよね」

「自閉症スペクトラムというくくりに収まる人たち、というわけですね」

おもしろいですね。不思議ですね。二人でうなずき合いました。

 

さてさて、バレンタインデー当日、息子の仕事が終わった後、待ち合せの場所でチョコレートの包みを渡しました。さっそく箱を開けて、ふたりで1粒ずつ食べました。

その日の夜、いつものように夕食後に、グループホームの息子から電話がありました。その晩の夕食のメニューを教えてくれます。それから、

「あ、そうそう、バレンタインデーのチョコレート、いかがでしたか?」

「ちょっとぉ、それは私の言うセリフ。『いかがでしたか』じゃなくて、そこは『ありがとうございました』でしょう!」とつっこみを入れる。

「あ、そうか、チョコありがとう」

はいはい、どういたしまして。

かくして、無事に、年に一度のイベントは終了したのでした。

 

クリニックの男性も、チョコレートをもらったかしら。やっぱりお母さんからだったかな……





自閉症児の母として(80):「息子の起こした“大事件”」の番外編その22024年01月31日

 

息子の通勤に付き添ったのは、正確には夫と私だけではありませんでした。自宅にいる次男も、時間の許すかぎり、付き添ってくれました。

そして、「福祉」ではなく、有料のヘルパーさんも。

 

私は、送迎のかたわら、移動支援のヘルパーを頼もうと、区役所の相談窓口に問い合わせました。ところが、幼児や小学生向けの通所サービスはあっても、息子のケースに該当するサービスはありません。グループホームで生活し、10年以上も就労継続A型の作業所に通っている37歳の息子には、必要がない。そう決めつけられているようです。

区役所福祉課の担当者は、

「通所サービスを受けるには、両親が障害や病気、仕事がある場合に限られます。その場合は診断書や就労証明書を提出して申請してください」と言います。

高齢者の仲間入りをしている私たちに、就労証明ですって?

「もう一つの行動支援というのは、送り迎えだけではなく、外出先でも一緒にいて支援をするものです」

職場の中まで一緒に、というのでは、これはちょっと違う、と判断しました。

 

そこで、つぎは民間の相談支援センターに出向きます。

ここで、有料のヘルパーを派遣してくれる法人がいくつかあることを知りました。料金はいろいろだけれど、実費で柔軟なサービスが提供されるのです。3ヵ所の担当者とそれぞれ面接をし、ようやく1ヵ所と契約をして利用できるようになるまで1ヵ月半もかかりました。しかも料金は本人の収入に見合うものではありませんでしたが。

それでも、夕方だけ数回依頼すると、毎回同じおとなしそうな若い男性が付き添ってくれて、とても助かりました。

 

今回の一件では、いくつかの印象に残る言葉がありました。

「モトさんに適した福祉サービスがないのなら作ってください、ですよね」

区役所の福祉課でもらちが明かず、困っていた私たちに、グループホームの責任者がそう言いました。つまり、バスに乗るために付き添いが必要なのに、そのサービスが受けられないなら、新たなサービスが作られるべきなのだ、という考え方です。障害者一人ひとりに適した福祉サービスを提供すること。それが福祉だと彼は言いたかったのでしょう。

さすがに支援者のプロとして働く人は、視点が違うと思いました。頼もしい支援者です。

 

主治医のドクターは言います。

「障害者差別解消法という法律は出来上がっていても、まだまだそれを実践していく具体的な条例や施策が追い付かないんですね」

確かにそうです。今回のことで痛感しました。

それでも一歩ずつ、だれもが暮らしやすい社会になっていきますように!

 



自閉症児の母として(79):「息子の起こした“大事件”」の番外編その12024年01月28日

息子は思春期の頃から、パニック発作を起こすことがありました。

激しい怒りや、小競り合いなどの敵対する感情など、テレビのワンシーンからでも、自分の中に取り込んでしまうのです。サッカーの試合ばかりではなく、かつてのプロ野球中継でも監督が怒りを表すシーンや、お笑い芸人の真剣なふりをした怒りに対しても、同様でした。

 

それはなぜか。少しだけ答えが見えています。

彼の世界観、つまり、息子がどのようにこの現実世界をとらえているのか、37年間に及ぶ彼の子育てで、ようやくここ数年前からわかってきたように思っています。彼の頭の中を覗き込むことはできませんから、あくまでも私の想像にすぎませんが。

彼の世界は、混沌としている。自分と相手の区別がつかない。だからこそ、その混沌を少しでも秩序を持たせるために、時間やカレンダーに興味がある。予定表があれば安心できる。逆に、予期せぬことが急に起きると、冷静な判断が難しい。

だから、熱中してくると、テレビ画面の向こうの世界も、それを見ている自分の空間も、区別ができなくなり、一緒になって暴れてしまう。面白いシーンで一緒になって大笑いするのと同じように。

 

ただし、このようなパニック発作が、かならずしも自閉症の特徴ではありません。誤解のないようにお断りしておきたいのです。同じ世界観を持っているかもしれませんが、自閉症のだれもがパニックになるわけではありません。残念ながら、息子の個性、性格的な部分からくるものでしょう。

そして、息子は同じ状況になると、パニックを起こすスイッチを入れてしまう傾向がある。そのルーティンを自分で断ち切ること、それが彼の重要な課題です。

 

37年間に及ぶ子育て」と書きました。今なお、彼は成長しているからです。まだまだ、親の役目、苦労の種は尽きません。その分、息子の成長を感じる喜びがあります。たくさんの方がたに支えてもらいながら、もうちょっとがんばっていきますね。

 




自閉症児の母として(78):息子の起こした“大事件”2024年01月22日

昨年9月のある日のこと、夕方5時ごろ、電話が鳴った。

「高津警察署の地域第3課の加藤と言います」

あ、詐欺電話? 一瞬身構える。

「石渡モトさんがバスの中で暴れましてね……」

その声の向こうで、息子が何かしゃべる声が聞こえた。間違いなく本物だ。いったい何をしでかしたのだろうか。

彼には自閉症という障害があり、4年前から家を出て障害者のためのグループホームで生活している。職場へは30分足らず、電車とバスを乗り継いで通う。バスには障害者用のフリーパスを利用して乗車し、療育手帳も携帯しているので、運転手はもちろん、通報を受けて駆け付けた警察官も彼の素性がすぐにわかったようだ。

加藤さんと何度か電話のやり取りをしたあと、夫と二人で、指定された場所に車で向かった。そこはホームに帰る途中のバス停の近く、物流倉庫の駐車スペースで、辺りは暗くなっており、すでにバスも乗客の姿もなかった。

バス停のベンチにいた息子は、「スマホのユーチューブで、サッカーの試合を見てたの」と何度も言った。それだけで夫も私もピンときた。彼は以前からテレビの試合観戦で小競り合いのシーンを見ると、怒りの興奮を自分の中に受け入れてしまってパニックを起こすことがあったのだ。そのたびに扇風機を倒したり、テレビのリモコンを投げつけたりする。自宅にいる時に限られていたのに、よりによって乗客の多いバスの中で起こすとは……。

 

若い巡査が、小さなスマホの動画を見せてくれた。バスの運転席の車載カメラがとらえた映像だ。鮮明ではなかったが、チェックのシャツを着た息子が急に立ち上がって動く様子が見えた。

巡査の話によると、座ってスマホを見ていた息子が、突然右隣の若い男性を殴り、左隣の60代女性にも手を上げたが、女性は出口に向かって逃げ、その後、向かいにいた男子小学生の足を蹴った。バスは停車し、その3人だけでなく、乗客たちは全員バスを降りて、次に来たバスに乗りかえていったという。

 巡査は私たちの気持ちをなだめるように、「自分も障害者施設に仕事で行くことがあるし、いとこにも同じような障害者がいるので、よくわかりますよ」と話してくれた。

加藤さんは、「障害者ということで、今回の件は事件として成立しません。あとは、当事者同士で話し合ってください」と言った。

親として、迷惑をかけた3人の方にはお詫びの言葉だけでも伝えたかったので、こちらの電話番号を先方に知らせてもらい、電話を受ける方法をとった。ただ男性だけは、「障害者じゃ仕方ない」と言ってすぐ去ったそうなので、連絡先もわからないという。

 足を蹴られた小学生のお母さんは、その夜、電話をかけてくると、「障害のある方とは気づかず、110番してしまってごめんなさい」と、逆に謝られてしまった。「子どもはケガもしていないし、何も気にしていない様子で今もポケモンゲームで遊んでるぐらいだから、心配いりませんよ」とも言ってくれた。理解あるやさしい言葉にほろりとする。

 もう一人の女性からは、「出口に向かって逃げた時に、つまずいて足を捻挫したので治療費と、パートを休んだ分の賃金も補償してほしい」と言われた。息子は傷害保険に加入していたので、それですべて支払った。電話に出た夫に対しては、「もうバスに乗せないでほしい」などと、くどくどと小言を連ねていたようだ。当然だろう。私も同じ目に遭ったら恐怖で縮み上がって、家族に対して文句の一つも言いたくなるかもしれない。女性はその後は何か言ってくることもないので、良識ある人でよかった、と思っている。

 

 さて問題は、バス会社だった。迷惑をかけたことを詫びて、「1週間ほど、同乗して通勤に付き添いますので」と申し出たところ、営業所の責任者から、「今後二度と再発しない対策をお願いしたい。1週間の同乗だけでは、その後が不安ですよね。お客様の100パーセント安全な保障が必要です。医師などの専門家の診断を聞かせてほしいのです」と言われてしまった。

 主治医の精神科のドクターに相談する。

「付き添いをするにしても、せいぜい3ヵ月でいいのでは。ちょうど年末年始の休暇が区切りにもなるし。大事なのは、本人の意識のなかでの再発防止策、リスクヘッジが必要ですね」

 というわけで、その3ヵ月を、夫と私、有料のヘルパーなどで手分けして通勤に付き添うことにする。夫が休みの日にはホームに迎えに行き、バスと電車で職場の最寄り駅まで付き添う。腰痛を抱えていた私は、ほとんど車で送迎。朝夕1時間ずつかかる。誰も付き添いの都合がつかない日は、息子は欠勤した。

 

そして、もう一つの対策は、息子のスマホに視聴制限を設けること。YouTube、NHK、ニコニコ動画など、動画を見るためのアプリ9つを対象に、平日の通勤の時間帯には利用できない設定にした。ルールを破ってまで、車内で動画を見ることは、彼の几帳面な障害特性からいっても考えにくい。これが一番の決め手だと思えた。

息子は私の運転する車の中で、「ゲーム・プレイ・オンリー」と呟いてはスーパーマリオに熱中する。合間に「迷惑行為を防ぐには?」などと口にする。自分の状況はわかっているのだ。

 

かくして3ヵ月が終わろうとする頃、主治医のドクターからのアドバイスで、障害者問題に詳しい弁護士にも相談した。今回のバス会社の対応は障害者の人権を侵すもので、障害者差別解消法からすれば明らかにアウトだという。その件に関してバス会社との話し合いの場を設けるため、第三者によるあっせんをしてもらえることを知った。

しかし、バス会社には乗客の安全を守る責任もあるわけで、行き過ぎだったとも思えない、と私が首を傾げると、弁護士は、「バス会社は『今後はどうしたらいいのか、一緒に対策を考えていきましょう』というスタンスを取るべきだったんです」と教えてくれた。

大ごとにはしたくなかったので、バス会社にひとこと報告したうえで、息子は1月から以前のように単独でバスと電車に乗って通勤することにした。ときどきは、一緒に乗って見守る必要もありそうだ。

さらに「スマホの動画視聴は生涯禁止です」と言い渡しておいた。

 

息子がトラブルを引き起こした日は、彼の誕生日だった。中秋の名月が頭上に輝くころ、ようやくホームに戻って、世話人さんたちに「ご迷惑をおかけしました」と謝ったあとは、用意してあった誕生日祝いのごちそうやケーキをおいしそうに食べたという。

 

私たちがこの3ヵ月に味わった苦労は、けっして無駄ではなかったと思う。息子の脳の障害の難しさを改めて思い知ると同時に、彼は社会に守られ、理解ある人々に助けられていることを実感できた。

私は障害者の家族であり、一般市民でもある。2つの立場を行ったり来たりしながら、障害のある人もない人も、より暮らしやすい社会になるように、この経験を次につなげていきたい。

 


新年のご挨拶2024年01月04日


 

皆さま、あけましておめでとうございます。

そんな挨拶さえ、はばかられるお正月です。

元旦から大きな地震に見舞われた私たち日本人は、地震大国の地面の上で暮らし、いつ、どこで、同じ震災に遭遇するかわからない。その事実を足元から突き付けられました。明るく新年を祝う気分ではありませんね。

3日後の今なお、能登半島では余震が続き、避難所の人びと、倒れた家々の中に閉じ込められている人びとが存在します。どれほどの恐怖と、絶望を抱えていることでしょうか。暖房の利いた部屋で、おなかがすけば食事をして、テレビのニュース映像を見ているだけの私たちも、被災地の人びとの気持ちに寄り添うことはできます。他人ごとではないのですから。

 

とはいえ、たまたま被災者にならずにすんでいる私たちは、日常の生活を続けなくてはなりません。いつものように。

ちょうど1年前の1月4日にも、ブログには「新年のご挨拶」の記事を載せました。今年も同様に、この1年を振り返ってみようと思います。

ひとことで言うと、昨年は「いい年ではなかった」。

 

予定どおり、2月に副甲状腺の手術を受け、特に問題もなく無事に退院しました。

4つある副甲状腺のうち、腺腫のある1つを摘除。つまり、骨密度を下げる悪さをしていた原因を取り除いたわけですが、骨の代謝はそれほどスピーディではありません。半年後の10月に体の状態が正常に戻ったところで、ようやくそこから骨密度を上げる治療が開始。半年に一度注射をして、2年間で治療が終わる。気の長い治療のスタートです。

 

手術の後、6月にはコロナになりました。旅行に出る朝に熱が出て、旅行を泣く泣くキャンセルした話は714日に書きました。

それからというもの、どうも体調が悪くなり、8月にはひどいぎっくり腰にやられて、車いすを夫に押してもらうという老老介護もスタートしたかに見えました。

 

その後のことは、126日の記事に書いたとおりです。

夏に夫の姉が脳出血で倒れ、入院。姉と二人暮らしをしていた義母も、体調を崩し、わが家に移ってきた。さらに、長男のアクシデント発生。

夫と二人三脚で「3人分の介護」を続けてきました。

 

旅行を何度もキャンセルしました。友人との付き合いも、趣味のことも、仕事さえも、あれこれ減らしながら、なんとか乗り越えてきました。

あれほど多難な年はもう終わりにしたいものです。

 

さて今年は、1月からぐんぐん上に向かって進んでいきたい。そう、辰年ですから、竜の背に乗るように。

来年のお正月には、「去年はいい年でいた」とご報告がしたいですね。

そして、以前のように、明るい話題や、旅行のエッセイなど、楽しみに覗きに来ていただけるような記事を載せていきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

昨年と同じ風見鶏の家の前を通ったので、カシャリ。今日は風が強く、真っ青な空を背景に、くるくると動いていました。

 



ダイアリーエッセイ:私へのプレゼント2023年12月24日

 

1220日に、その日発売のCDが届く。



桑田佳祐&松任谷由実の「Kissin Christmas (クリスマスだからじゃない) 2023」。長男はサザンのCDDVDのすべてを買いそろえてきた。

この曲は、桑田君の以前のアルバムに入っていたから知ってはいたのだ。それでも、今回はレコーディングもし直して、リメイクしたというので、楽しみにしていた。

 

翌朝、10月からのルーティンで、車で息子をグループホームに迎えに行き、職場に送り届ける。息子は、9月にバスの車内でトラブルを起こしたため、もっか「単独乗車は謹慎中」なのである。そのドライブの時にCDを聴いた。

 

イントロは10年前と同じなのに、なんと桑田君の歌い方はやさしいのだろう! 彼のこてこてハードロックの歌いっぷりからは想像もつかない。

ユーミンの少女のような高い声も、なんとかわいらしいのだろうか。

どちらも、今の私の心にしみこんできた。

2人とも、私とはほぼ同年齢。シンパシーとリスペクト……あえてカタカナ言葉が浮かぶ。

 

そして、以前のアルバムにはなかったフレーズが聞こえてきた。

「恋人がサンタクロース♪ 本当はサンタクロース♪」と、桑田君が歌う。

すると今度は、ユーミンがスローテンポで歌う。
「だから好きだと言ってー♪ 天使になってー♪」

あの名曲、「波乗りジョニー」だ! 
目くるめく思いが沸き上がる。
もう20年以上前の曲で、あの頃の思い出をすべて乗っけて、サーフボードがこちらに向かってくるようだった。

当時、新しく乗り換えたホンダ車オデッセイのナンバーには、
7373」と付けた。曲のタイトルをもじって、この車を「ナミナミジョニー」と呼んでいたっけ。

 

歌詞のなかで、次のようなくだりがある。

「どこへ向かっているのか 時々わからなくて きっと大丈夫だよね 新しい日を夢で変えてゆける♪」(一部抜粋)

さらに、「あなたへの プレゼント……」と、ささやくように歌ってくれて、涙がこみ上げる。

今年は、激動と混乱の日々だった。必死で乗り越えてきた今、この曲は、私へのプレゼントなのだ、と思えた。

フロントガラスの向こうには、この日も冬晴れの青空が広がり、葉を落とした並木道の木々が、天に突き刺さるように並んでいる。

1221日、この日は私の誕生日だった。

 

皆さん、メリークリスマス❣❣



現状のご報告2023年12月06日



 

前回の記事を載せてから、あっというまにひと月がたちました。

脳卒中で倒れてリハビリ病院に入院中の77歳の義姉と、今まで義姉と二人暮らしをしていたのに突然独りになった102歳の義母。2人の心配を抱えていることは、これまでにも書いてきました。

 

そのさなか、2ヵ月ほど前になりますが、今度は長男が、よりによって自分の誕生日に、バスの中でパニックを起こして乗客に迷惑をかけてしまったのです。

翌日から、住んでいるグループホームから職場への通勤に、付き添うことになりました。夫はバスと電車に同乗、私は車で送迎。福祉サービスの支援は受けられず、実費を支払ってヘルパーさんにお願いする日もありますが、なんとか欠勤をしないで続けています。

 

ところが、今度は義母が、体調を崩して一人暮らしができなくなり、わが家に移ってきました。

万事休すとはこのことです。長男の送迎のこともあり、予定していた旅行もすべてキャンセル、趣味のあれこれも休会、今月はエッセイ教室の仕事もお休みにさせてもらいました。

夫と2人で「3人分の介護」をしながらも、義母と半身まひの義姉がこれまでどおり一緒に暮らせる介護付き老人ホームを探して奔走しました。ようやく、実家の近くに良いところが見つかり、義母が体験入居をしたうえで、「ここにする」と言ってくれたのです。やれやれ! 

今は契約に向け、あちこち駆け回ってもろもろの手続きを進めているところです。

1月半ばには、義姉も退院して、ホームに入居することになります。

それが落ち着けば、ひとまず肩の荷が下りることでしょう。

 

長男のトラブルについては、今はまだあまり詳しくは書けませんが、3ヵ月ほど通勤に付き添って、来年からはまた単独で行動させるつもりです。

しかし、「今回の一件は障害者の人権にかかわる社会的な問題でもあるのだから」と、主治医の先生から言われました。近いうちに先生から紹介していただいた弁護士に相談することになりそうです。

そのことについても、いずれご報告できればと思います。

 



800字のエッセイ:「モヤモヤするバアバたち」2023年11月05日





         モヤモヤするバアバたち

 

私の友人たちの多くは、子ども世代の子育てを手伝う日々を送っている。

たまに集まると、孫話で盛り上がる。

 

ある時、M子がこんな話をした。

娘が幼い孫たちに昼食を用意する時に居合わせた。

「お昼、何が食べたい」と娘。

「ラーメン!」と孫たち。

「わかった」と言って娘は、スーパーに食材を買いに行き、そして作り始めたという。

「娘は、子どもの自主性が育つから、と言うんだけどねぇ」とM子は首をかしげる。「私たちの子育て中は、子どもに聞いたりしないで、冷蔵庫にある材料で、栄養も考えて作って、はい食べなさい、と与えたよね」。

 

すると、今度はA子が話し始める。

嫁が2歳の孫娘を連れて泊まった時、パンをたくさん買ってきた。

嫁は孫に、「これ好きでしょ?」とパンをちぎって与える。「これもおいしそうだね」と別のパンを与える。すぐに2歳の胃袋はいっぱいになり、ごちそうさまとなる。

そして、残ったパンを嫁がゴミ箱に捨てた時は、さすがにA子の目が点になった。

「フードロスだけはいけないよね」

私たちは昔から「食べ物を残すな。粗末にするな」と言われてきた。

 

私たちの子育ての常識が子ども世代に通用しない。わが子の気持ちを大事にするのはわかるけれど、今のご時世、なんだかね……とみんなでモヤモヤする。

でも、私たちの子育てだって、親の世代からすれば「ちょっと変」だったことだろう。時代が変われば子育ても変わる。温かく見守ってあげなくては、と思う。「でもさ、絶対譲れないことだけは、きちんと説明してわかってもらおうね」と、みんなでうなずき合うのだった。


 


数字のメモリー2023年10月21日


「シャラリーン!」

106日、見事な秋晴れのドライブ日和。1年ぶりに一時帰国をした娘を乗せて、湘南の海を目指していました。運転中に、ナビがなんとも軽やかでハッピーな音を発したのです。

初めて聞いた助手席の娘が、「なにこれ!?」とびっくり。

 

最近の車は安全のためにやたらと音を発しては警告してくれるのですが、これは警告ではなく、お知らせ音。

数キロ走ると、ふたたびシャラリーン!

今度はさすがに、娘が素早くナビ画面を読みました。

「もうすぐ記念距離メモリーです」

……と書いてあるかどうか、じつは私もさだかではない。1秒ほどしかそのお知らせが出ないので、読み終えないうちに消えてしまうのですね。

 

またもシャラリーン!

車の走行距離には、7777㎞という数字が出ていました。

その後は、お知らせ音は鳴らなくなりました。

 

3年前、初めてこの音を聞いたときは、私もびっくりしたものです。

なになに?? 画面に何か文字が……、と思っているうちに消えてしまう。これでは、思わずブレーキを踏みたくなって、事故を起こしかねないのでは、と心配になりました。

助手席の夫が「設定で鳴らないようにできるはずだよ」と言ったのでしたが、ちょっと考えてそのままにしました。こういう遊びごころ、嫌いではない。

 

それから10日ほどたって、またしてもシャラリーン!

今度は、後ろの席で、長男が「な、なんだ?」とびっくり。

この日は8000㎞の記念距離達成でした。

 

ところで、このブログのアクセス数も、今月1日に80,000回を記録しました。残念ながら、ジャストの写真を撮りそこないましたが、皆さまが覗いてくださるおかげです。

いつも、ご覧いただき、どうもありがとうございます♡


 

ちなみに、前回の記念メモリーは、202176日の70,000回でした。






 


陽子さんをしのぶエッセイ:『深夜特急6』2023年10月03日


826日に、親しかった友人が急逝しました。

エッセイグループの月例会で、ちょうど「本」というテーマが出されたので、惜別の意を込めて、このショートエッセイをつづりました。


 

『深夜特急6』

          

陽子さんとは、40年前に木村治美先生のエッセイ教室に足を踏み入れた初日に出会った。同期のよしみである。さらに、私の夫と誕生日も同じ、しかもひと回り年上で干支も同じだとわかって、「ご縁があるのよ、私たち」と言って親しくしてくれた。

40年の間にはいろいろなことがあった。彼女は胃がんを患っても全快し、家族の健康に気遣いながら生きた。私は3人の子を授かり、障害児を抱える子育てを続ける。何があっても、私たちはエッセイグループの仲間として、たしかな絆でつながっていた。

 

最近では、木村教室を去ったもうひとりの仲間と3人で、ワイン片手に食事をしながら、おしゃべりに花を咲かせるようになった。

コロナ大流行の前年だったろうか。私がポルトガル旅行をした話をすると、2人が沢木耕太郎の『深夜特急』は読んだか、と聞いてきた。彼が若いころに、香港から陸路ロンドンまで旅をした紀行文だという。

「旅の最後にポルトガルを訪れているから、ぜひ読んでごらん」

陽子さんはそう言うと、エッセイグループの月例会の時に、自分の文庫本を持ってきて貸してくれた。

私はちょうどそのころ、村上春樹のギリシャ滞在記を読んでいた。明るい音楽のようにリズミカルな春樹に比べると、沢木の本はどうも暗くて楽しく読み進めることができない。陽子さんには正直に伝え、返す約束をした。

 

その後、コロナ禍になり、会えなくなってしまった。「いつでもいいわよ」と言われ、送ることもしなかった。ようやくこの4月、手帳の「月例会」と書いた横に「陽子さんに返本」とメモをした。すると、それを見ていたかのように彼女からメールが来て驚く。

「『深夜特急6』をお持ちください。1から買い揃えたから、全集でとっておきたいので」

当日、お詫びの品も添えて、本は返した。

 

返さなければよかった。

旅の終わりの本を返さなければ、陽子さんは今でもこの世の旅を続けていたような気がする。


 


安らかにお眠りください、陽子さん。


 


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