第155回直木賞、速報!2016年07月19日

 



 以下の候補作品の中から、②が受賞しました。

 

① 伊東 潤著『天下人の茶』

 ② 萩原 浩著『海の見える理髪店』

 ③ 門井 慶喜著『家康、江戸を建てる』

 ④ 原田 マハ著『暗幕のゲルニカ』

 ⑤ 湊 かなえ著『ポイズンドーター・ホーリーマザー』

 ⑥ 米澤 穂信著『真実の10メートル手前』

 

おめでとうございます。

応援してきた湊さんは残念ですが、また次回。

そして、原田マハさんにも今回とは違った作風で、ぜひぜひがんばってほしいと思います。

 

では、受賞作を読んでみましょう。



 



ダイアリーエッセイ:海の日に2016年07月18日



午前中、ひと休みしようとFacebookの投稿を見て、ああ、今日は休日なんだ、と気がつきました。

夫はいつもの休日出勤、長男は特別に休日出勤、いつもぐうたら引きこもりの次男まで、学習塾の夏期講習のバイトに朝から出かけていきました。

私はというと、いつになく静かなわが家で、原稿の締め切りに迫られて、パソコンに向かっていたのです。


 

今日は、海の日でしたね。

子どもが大きくなってからは、海は入って遊ぶものではなく、遠くから眺めるだけのものになりました。

でも、4年前の7月、若いころからヨットマンだった従兄が、葉山でヨットに乗せてくれたのです。船酔いは大丈夫かと、初体験にひやひやしながらも、娘と出かけていき、最高の海のひと時を過ごしました。

船酔いの心配は杞憂に終わり、まるで波の一つにでもなったような心地よさでした。

2013年1月に、前年を振り返っての記事をアップしています

その時の写真です。



葉山沖

海の男たちが、タコを生け捕った。

潮風に乾杯!



 

昔の写真を眺めていたら、ふっと潮の香りがしたような気がしました。

ええ、ほんとうに。香りの記憶は、失われないものですね。

……素敵です。


 





旅のフォトエッセイ:Vacance en France 13 モネの庭2016年07月14日


2年前のちょうど今ごろ、娘と二人でフランスを訪れていました。

このタイトルは12回で終わってしまっています。続きを書くつもりでいたのが、2年目にしてようやく13回目をアップ。お待たせいたしました。




 

私が油絵を始めたのは、高校生のときだ。

まだ、何の知識もないころで、なんとなくいいなと感じる絵は、光をまとったような風景画。おそらくそれが印象派の作品だったのだろう。

やがて、クロード・モネの睡蓮の絵と出合う。幻想的な紫色に惹かれた。

 

高校の中庭には、小さな池があり、初夏になると、睡蓮が咲いた。

美術の時間、モネを真似て、それを描いてみた。先生は描きたいように描かせるだけ。麻布のキャンバスなどではなく、せいぜい6号ぐらいのボードだった。

混ぜれば色が濁るが、乾いてから上塗りすると、油彩画らしい色の重なりが出てそれらしく見える。試行錯誤で学んでは油絵具の質感を楽しんだ。

 

やがて大学に入るとすぐ、美術部に籍をおいて、油絵を続ける。

ある夏の合宿では、野反湖へ。湖畔にイーゼルを立てて、1本の木の枝の向こうに、湖を描いた。

秋の合評会で、部の大先輩でもある著名な画家先生がやってきて、

「印象派のような構図ですね」と、この絵にお褒めの言葉をいただいた。

しかしながら美術部では、絵の描き方より、お酒の飲み方を教わったような気がする。

 

そのころの仲間の一人と、今も一つ屋根の下で暮らしている。

彼は今でも写実的な植物画を楽しんでいるが、私はもう絵はやらない。

ときどき本物を見に出かけるだけである。

 

そして、憧れていたモネの庭を訪れるために、パリからバスに乗って1時間、ジヴェルニーへと出かけていったのだった。



バスを降りて、静かな通りを歩いて……


       小川に添って進めば……

 

              蓮池が現れた。


         日本庭園を真似て、モネは柳の木を植えたという。

そして、竹林も。


 
         よく見ると睡蓮も咲いていた。


印象派の人々は、屋外に出て、自然光を絵筆でとらえようとしたのである。

その名前の由来となった『印象・日の出』を描いたクロード・モネは、光の画家とも呼ばれた。 

ところが、残念ながら、訪れた日はあいにくの曇り空。晴れていれば、水面に光の破片が浮き沈みするのだろうに、池はおとなしく眠っているようだった。



池の周りには、寄り添うように花が咲いている。            




         私の大好きなホクシャ。

こちらでよく見かける濃いピンクのアジサイ。

         淡いピンクのガクアジサイも。


               懐かしい月見草も咲いていた。


       大輪のダリア。

  


       手入れのいきとどいたガーデン。





モネの家へ。


       入り口はこちら。内部は写真撮影禁止でございます。




家の中には、たくさんの浮世絵のコレクションが飾ってあった。

日本庭園に憧れていたモネは、太鼓橋や蓮池のある庭を造った。

彼の描く絵の中には、浮世絵が登場したり、モデルがあでやかな和服を着ていたりする。

そんなモネの住んだ家を、今は日本からの観光客がおおぜい訪れている。

 

またいつの日か、バラの花の香るころ、そしてまた、藤の花房が咲き垂れるころ、光が満ちあふれるお天気の日に、もう一度訪ねてみたい。

願いは叶うだろうか。

 




直木賞祈願、湊かなえ著『ポイズンドーター・ホーリーマザー』2016年07月09日

 

10日後に発表になる直木賞候補は、以下の6名。女性は2名だ。

 

 ① 伊東 潤著『天下人の茶』

 ② 萩原 浩著『海の見える理髪店』

 ③ 門井 慶喜著『家康、江戸を建てる』

 ④ 原田 マハ著『暗幕のゲルニカ』

 ⑤ 湊 かなえ著『ポイズンドーター・ホーリーマザー』

 ⑥ 米澤 穂信著『真実の10メートル手前』

 

 

私は女性作家にがんばってほしい。

男性作家のものは概して、殺戮、暴力、死を扱ったものが多い。

乱暴な言い方をすれば、お得意の武士道だって、どんなに美化されたとしても、死を肯定しているようなものだ。

もっと、女性作家には女性なりの愛や生をうたう文学があっていい。 

私は、原則として、選挙と直木賞には、女性を応援していきたい。

今回の候補に上がった原田マハさんの作品はいまいちだと思えたので、湊かなえ著『ポイズンドーター・ホーリーマザー』を読んでみた。

これは一押し!


 


本の帯には、

「人の心の裏の裏まで描き出す極上のイヤミス6編!!」とある。

イヤミスとは、イヤな感じの後味が病み付きになるようなミステリーという意味らしい。

でも、ぎりぎりのところで、踏みとどまる嫌悪感、不快感。

どこか突き放したような乾いた筆致。

実際、人間なんて、光を当てる部分によって、悪く見えたり愛しかったりするものだ。そんなリアリティが、正しい殺意とか、いびつな愛とか、残酷な優しさとかにゆがめられて、奇抜なフィクションに昇華しているからこそ、安心して楽しめるのかもしれない。

 

同じ湊さんの『Nのために』はTVドラマでは好評だったらしいが、小説としては、設定に無理があるのか、リアリティが感じられず、個人的には評価できなかった。

 

こちらは、おススメの本です。



 



兄へ贈る「レクイエム」2016年07月06日

 

今朝、「自分は今から死んでいくのだ」という夢を見ていた。

93歳の母のそばで、ずっと世話をしてきたからだろう。健康を害して、以前とはずいぶん違ってきた母を見ていると、現実に「その時」は遠くないのだ、と覚悟を迫られているような気分になる。

だからあんな夢を見たに違いない、と思っていた。でもそうではないと、今気がついた。

 

 


私は、兄、姉、弟の4人きょうだいで育った。わが家はカトリックで、さほど熱心ではなかったが、子どもたちは幼児洗礼を受け、土曜の午後は教会学校に通わされた。弟が小さいころは、5つ上の兄、3つ上の姉と、3人で行くことが多かった。

「かけっこで競走して行こうぜ」

兄が言い出す。後れを取るのは目に見えているから、私はいやだ。でも、いやとは言えない。すぐ手が出る怖い兄だ。

「後ろのほうから、スタートしてやるよ」

と、いっぱしの兄貴ぶりを見せる。私は少しだけ前に立たされ、その後ろに姉、遠くに兄。よーいドンで走り出す。どんなに懸命に走ったところで、いずれ兄にも姉にも抜かされていくのだ。私を抜かすときの、あごを突き出して得意満面な兄の顔といったら……。

教会学校に着くと、お聖堂(みどう)が見渡せる中2階に上がって聖歌の練習をする。子どもたちはオルガンの前に並んだ長椅子に腰かけ、白い模造紙に手書きされた楽譜を見ながら歌う。ほとんど子供向けの聖歌だったが、私はどんな歌もすぐに覚えてしまった。「大きな声で歌いましょう」と先生の言うとおりに、大きな声で歌う。

ところが、家に帰ると、姉が言うのだ。

「ひとみは、大きな声で歌うから恥ずかしい」

そこで次の週には、口パクで歌う。でも、すぐにまた、先生の「大きな声で……」の合図で大声を張り上げる。だれもいない、いえいえ、神様だけが聞いているお聖堂に私の声は響き渡り、それはそれは気持ちがよかった。

 

そんな私が小学5年生のとき、兄は誕生日のプレゼントにレコードを買ってくれた。

「これが青春だ」という青春ドラマの主題歌で、私の大好きな布施明が歌っていたものだ。喜ぶ私を見て、兄は何も言わず、にたにたとするばかり。

翌年には同じ布施明の「恋」を買ってくれた。兄貴風を吹かせることができて、ご満悦だったにちがいない。

いつもいばり散らし、気に入らないと暴力をふるうくせに、機嫌のいいときだけ、別人のようにやさしくてお調子がよくなるのだ。彼の気分次第で、わが家の空気は左右される。だから、兄のことはあまり好きになれなかった。

 

兄は小さいときから病弱だったという。

長じても心配をかけ続けた。何年もかかって大学は出たものの、仕事は長続きせず、一人暮らしも続かない。ずっとこのまま私が世話をしていくのかしら……と母が諦めかけたころに、教会関係の紹介でお相手が見つかり、結婚。子どもも一人授かった。

人並みに家庭を持ったけれど、健康にはついぞ恵まれなかった。父が前立腺がんで亡くなった翌年には、父と同じがんが発覚。さらに、心臓の異常も見つかり、手術を受けて人工弁を入れた。

そして今から5年前、東日本大震災の年の7月、あっけなく逝ってしまった。体の自由が利かなくなっていた兄は、夜明けの浴室で、溺死したのだった。

 


 

次男の学校の保護者会には、母親たちの聖歌隊がある。6年前の11月、学内のチャペルで鎮魂歌(レクイエム)の演奏会を聴いた。カトリックでは、11月は「死者の月」とされ、亡くなった人々を悼む月である。友人に誘われるまま、その日を機会に、私も聖歌隊に入った。もう、大きな声で歌って非難されることはない。

それにしても、まさか1年後に自分の兄のために歌うことになるとは……。神様だけがご存じだったのである。

 

翌年11月、その時が来た。20名ほどの聖歌隊で歌うのは、ガブリエル・フォーレ作曲の「レクイエム」。この曲は、たびたび転調したり、半音上がったり下がったりする。まして私のパートはメゾソプラノで、ほとんど主旋律ではないからさらに難しい。新人の私は、自宅のピアノで音取りをしながら、独り特訓をした。

当日本番、黒いスーツに身を包み、手元の楽譜と指揮者の指先だけを交互に見つめながら歌う。音程もラテン語の歌詞もまちがえないようにと、そればかりに集中した。

なんとか歌い終わって、ほっとする。

最後に、司祭である校長が言われた。

「皆さんの歌声は、チャペルの天井高く昇って、神様のもとに届いたことと思います」

円形の小さなチャペルは、ドーム型の天井が高く、音響効果もすばらしい。天井の中央には明かり取りの丸窓がある。その向こうから、そばかす顔の兄が、にたにたと笑いながら覗いているような気がした。

突然、ぽろぽろと涙がこぼれた。

 

 



今日76日は、兄の命日だったのだ。しかも兄は、今の私と同じ年齢で亡くなっている。

今朝の夢は、それを知らせてくれたのではないだろうか。

 

 



原田マハ著『暗幕のゲルニカ』を読んで2016年06月21日


原田さんにはぜひ直木賞をとってほしい。

『楽園のカンヴァス』以来、ずっとそう思ってきました。

今年こそはと、その新作に期待して、分厚い単行本を買い込んで読んでみました。

それが『暗幕のゲルニカ』です。




ピカソの大作〈ゲルニカ〉をめぐる史実に基づいたフィクションで、構想はとてもおもしろい。1937年にゲルニカの街を破壊したスペイン内戦と、2001年の米国同時多発テロから始まったイラク戦争への流れとが、二重構造となって、話が展開していきます。

そのどちらにも〈ゲルニカ〉が重要な反戦のシンボルとして存在するのですが……。

 

結論から言うと、残念ながら、今回もだめかも……。

およそ700枚を超える大作だというのに、その迫力が感じられない。人物たちの愛憎劇や情緒的なくだりは丁寧だし、史実の説明なども噛み砕いてあってわかりやすいのだけれど、全体的に繰り返しが多く、冗漫。まるで上等なフレンチローストのコーヒーを、ぬるま湯で薄めてしまった感じです。この半分の長さで書き上げたらよかったのに、もったいないことをしたのでは、と思わずにはいられませんでした。

『キネマの神様』は、スピード感にあふれ、人物のキャラもはっきりと描かれた最高のエンターテイメントでした。彼女にはこんな作風もあるのだと、才能を高く買ったのです。その直後に読んだだけに、ちょっとがっかり。

おそらくは、今度こそ『ゲルニカ』で大賞をとるべく、力が入りすぎたのかもしれませんね。「手に汗握るアートサスペンス!」とうたう広告の言葉が、むなしく見えました。

 

期待外れで読み終えた翌日、第155回直木賞候補作6点が発表されました。

本作も入っていたので、とりあえずは複雑な喜びを味わっています。

もし、素人の私の勘違いもはなはだしく、本作が受賞したとしても、それはこの作品だけに与えられたのではなく、『楽園のカンヴァス』などなど、これまでの著書すべてを賞したものということになるのでしょう。

と、逃げ道を作って、やはり私の期待外れが外れることを祈っています。

 

ご参考までに、今回の候補作は次のとおりです。 

 

 ① 伊東 潤著『天下人の茶』

 ② 萩原 浩著『海の見える理髪店』

 ③ 門井 慶喜著『家康、江戸を建てる』

 ④ 原田 マハ著『暗幕のゲルニカ』

 ⑤ 湊 かなえ著『ポイズンドーター・ホーリーマザー』

 ⑥ 米澤 穂信著『真実の10メートル手前』

 

昨年秋に、【西暦2000年以降の直木賞受賞作を読破する】という目標を達成したので、今年1月には新たに、【直木賞受賞作を発表以前に読む】を掲げました。719日には発表になりますから、目星を付けて読まないと時間がないのです。

④が期待できないとなると、やはり女性がんばれ!で⑤を次に読んでみたいと思います。






おススメの本、原田マハ著『キネマの神様』2016年05月28日

 

入院中の母は、おかげさまで、ようやく来週退院の運びとなりました。

とはいえ、まだまだ全快とはいえず、新しい形の介護サービスが始まります。

 

母の入院から2ヵ月半、毎日毎日、病院に通いました。

それは、単なる時間的な忙しさではなく、老いを考え、死を考え、母との親子関係を考え、自分の将来を考え続ける精神的に重くつらい日々でした。

でも途中から、そんな時だからこそ、自分の時間をおろそかにしてはいけない、と思い直し、わずかな時間を割いて若冲展に3時間並んだり、夜更けまで好きな本を読んだりしました。




 


その中の1冊がこの本。初版は5年ほど前のものです

『楽園のカンヴァス』、『ジヴェルニーの食卓』など、美術作品を題材にした小説はマハさんの真骨頂、私も大好きです。

この小説は、絵画ではなく映画のお話のようですから、おもしろさについては半信半疑で読み始めました。が、すぐにそれは杞憂だったと気づかされる。しかも、決して映画が主人公というわけではないのです。

実在する時代設定の中で、魅力的なキャラクターを持つ人物たちが登場して、奇跡のような物語が展開されていきます。

その素材として、実際の映画作品や俳優たちがちりばめられているのですが、映画通ではない私でさえ知っているものばかりで、あたかも私って映画通?と錯覚するほど気分よく読めました。

 

これ以上は、言いません。

映画通の人にも、そうではないけれど映画が好きという人にも、おススメしたい本です。

最後には素直に感動の涙を流せるエンターテイメント、とだけ言い添えておきましょう。

 




自閉症児の母として(29):グループホームを訪ねて2016年05月10日

 


長男も、この秋には30歳になります。

それに比例して、親も年をとっていきます。

障がい者といえども、社会で自立していかなくては、親はいずれいなくなってしまうのですから。

というわけで今日は、かねてから希望していた障がい者のためのグループホームの見学をさせてもらうことができました。

入居のあかつきには、支援者の助けを借りながら、そこで寝泊まりし、そこから職場に通い、週末だけ自宅に帰る。当分はそういう生活になるのです。

 

見せてもらったのは、社会福祉法人が運営する男性4名のためのホームで、JRの駅から徒歩5分。生活には便利な住宅街にありました。

普通の木造二階建ての民家を借りて、4人が個室を持って暮らせるようにしてあります。

支援者が1名、早番・遅番で、利用者の世話をしてくれます。

共有スペースは、食堂、風呂、トイレなど。個室は原則として利用者個人の自由な空間です。造りが民家なので、押入れのある部屋もあれば、収納スペースのない部屋もある。ベッドだったり、和室に布団だったり、利用者が各自でベッドやタンスなどの家具やテレビなどを持ち込んでいました。

食事は原則として、食材をケータリングして、おもに支援者が料理し、利用者は一緒にとることになっているそうです。

昭和の匂いがしそうな家ですが、支援者の方がずいぶん手を入れて、住みやすい工夫がされているようでした。

古いこと自体は気になりませんが、熊本地震で木造家屋が軒並み破壊されている映像を見たばかり。耐震については少々神経質になっています。

 



ところで、4年前の母の日に、次男から聞いたちょっといい話。

なぜ、家族のことを FAMILY というのでしょうか。


 Father And Mother I Love You の頭文字を並べたら……


ひとつ屋根の下に暮らしていなくたって、家族は家族なのですね。



 

今年の母の日には、長男がユリの花を買ってくれました。

ご丁寧に、そのレシートまでくれましたけど……

 






ダイアリーエッセイ:柏餅2016年05月05日

 


毎年ゴールデンウィークが近くなると、母のリクエストで、柏餅を買って帰った。母は、昔から「のどにぐっとくる物」が好きなのである。串刺しのおだんごや、名古屋のういろうのような和菓子が。

柏餅は、こしあんがお好み。私は粒あんを選んで、お相伴したものだ。

 

今年は、もうそんなこともできない。

胃の3分の2を切除する手術から1週間を過ぎ、ようやく口からお粥などの食事をとるようになったのだが、翌日には吐き戻してしまった。まだ、胃と小腸をつなぎ合わせた部分がうまく開通していないらしい。

ちなみに、本来、胃の出口とつながっているのは十二指腸だが、手術ではさらに奥の小腸をひっぱり出してきてつなぐのだそうだ。

そして、若い人なら術後3日目から食事をとるところを、母は年齢を考慮して1週間待った。それでも時期尚早だったのだ。振出しに戻って、経管栄養だけで様子を見る。タイミングの悪いことに、連休に入ってしまい、仕切り直しの日はさらに遠のくことになった。

朝昼晩の食事の時間に、ゼリーやババロアのようなデザートだけが出る。飲み込む力を保つためだという。

 

楽だからといって、寝てばかりいては快復が進まない。少しでも体を動かしたほうがいい、と医師からも言われているのだ。

「早く治って、また美味しいフランス料理でも食べに行きましょ!」と声をかけてみる。

ところが、返ってきた言葉は、「あなたは食べることばっかりね」。

痛い思いをして治療しているのは、ほかならぬ胃袋だ。食の喜びを取り戻さないで、何のための手術だろう。

さらに、

「私は、フランス料理はあまり好きじゃない。どちらかというと和食がいいわ」ときた。

空いた口がふさがらなかった。

日本食は家でも食べているからつまらない、どうせ食べに行くなら美味しいフランス料理ね、と言っていたのは誰だった?

もう忘れたのだろうか。

たしかに、今は食欲も皆無で、フランス料理の美味しさなど想像できなくなっているのかもしれない。だからと言って、私の車でフレンチレストランに連れて行ってもらって、舌鼓を打っていたことなど、切り取った胃袋の半分と一緒に忘れ去ってしまったのだとしたら、あまりにも寂しい。

今はもう手術直後の顔をしかめるようだった痛みのことも、けろりと忘れている。私が毎日洗濯物を持って通っていることも、退院したら忘れてしまうのだろうか。

母は、認知症の入り口に立っているのだ。いずれ深いところに進んで行って戻れなくなるのだとしたら、古い思い出は残っても、最近の記憶は消えていくのだとしたら、介護とはなんと不毛なのだろう。

それは介護をする者の身勝手な言い草だろうか。娘の恩返しをずっと覚えていてほしい。そう願うこと自体、しょせん叶わぬことなのだろうか。

 

母が完治するころには、私が胃潰瘍になっていそうな気がする。

今日は、病院の帰りに、甘党の息子たちのために、柏餅を買って帰った。





 


ダイアリーエッセイ:母の手術が終わって2016年04月18日

 



ご心配をおかけしました。

10時間に及ぶ手術を、93歳の母はがんばり抜きました。そして、胃の3分の2を切除しました。

あまりに時間がかかるので一時は気をもみましたが、意識も戻り、今夜はICUで、管に繋がれたまま眠ります。

 

長い長い一日でした。

私は姉と二人、病室で待機しながら、テレビで九州の地震の映像を見続けていました。

そういえば、21年前の1月、次男のお産のときもこの同じ病院に入院し、翌日起きた阪神淡路大震災の映像を毎日見ていたものです。

 

次男は成長して、神戸の街も見事に復興しました。

母もこれから、少しずつでも回復していくことを信じています。

九州の被災された方々も、大地震の恐怖のなか、守り抜いた命を大切にして、復興に立ち向かってほしいと思いました。

 

写真は、パリのオルセー美術館の大時計。内側から撮りました。

はるか向こうに、モンマルトルの丘が見えています。

 

皆さま、まだまだ母の快復には時間がかかることでしょう。

どうぞこれからもお祈りいただけたら幸いです。



 

 



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