ダイアリーエッセイ:結婚式前夜2017年01月20日


明日は、娘の結婚式と披露宴が行われる。

入籍も、新居への引っ越しも、新郎新婦の前撮り撮影も、すべてすんで、一人娘の結婚というイベントは、いよいよ明日がグランドフィナーレだ。

この日まで、本人同士で何でも決めてきたことだから、親の出番はほとんどなかった。

 

私はせいぜい、新婦の両親としての衣装を整える。

それも終わった。二人とも、床屋さんと美容院にも行ってきた。

息子二人の正装の用意もできた。

黒いスーツに白いワイシャツ、白いネクタイ。黒い靴下と革靴。

男の子の衣装は味気ない。

間違えないように、胸のポケットには名前のメモを差し込んだ。抜かりなく。



 

そして、この二人がカノジョを連れてくる日があるのだろうか、と思う。

これが最初で最後のわが家の結婚式かも……?

 

娘たちは式場で最終準備を進めていた。

最後まで、もめていることもあるようで、心配は尽きないけれど、人生の旅はこれから。一歩離れて、あたたかく見守ってやらなくては。





 

第156回直木賞、速報!2017年01月19日

 



 以下の候補作品の中から、が受賞しました。

 

① 冲方 丁『十二人の死にたい子どもたち』

 ② 恩田 陸『蜜蜂と遠雷』

 ③ 垣根 涼介『室町無頼』

 ④ 須賀 しのぶ『また、桜の国で』

 ⑤ 森見 登美彦『夜行』

 

おめでとうございます。

いつも女性作家を応援しているので、今回はぜひ、『夜のピクニック』の恩田さんに受賞してほしいという思いから、『蜜蜂と遠雷』を電子本で読んでいるところでした。

残念ながら、まだほんの少し読み始めたばかりですが、とりあえず予想的中ということで喜んでいます。

続きを読む楽しみも倍増しました。


物語はピアノコンクールのシーンから始まります。

音楽というものが言葉で表現される。当然のことながら、その魅力にひかれつつ読み進んでいます。


皆さんも、読んでみませんか。

 

  




ダイアリーエッセイ:22年目の今年も2017年01月17日




22年前の早朝、「淡路島で大きな地震が起きたらしい」とその一報を聞いたのは、産科のベッドの上だった。空腹と、点滴の針の痛みと、ニュースの恐怖とで、一瞬ふらっと貧血状態になったのを今でも覚えている。

陣痛が始まって夜中に入院。結局、次男が生まれたのは翌18日だった。

 

入院中、どのテレビからも、地震のすさまじさを物語る映像ばかりが映し出されていた。

同じ病室に、横倒しになった高速道路のすぐそばに実家がある、という人がいた。幸い家族は無事だったけれど、里帰り出産していたら、今ごろどうなっていたか……、と話していた。

退院後も、育児のかたわらで、泣きながら報道を見続けた。

6434人が亡くなり、私は一つの命を授かった。その現実を想いながら。

 

だから、次男の誕生日は、阪神淡路大震災の記憶の節目とともにあって、どちらも忘れることはない。

 

……と、私は毎年のように、年の数だけ増やして、ほぼ同じことを書いている。思いは変わらないし、変わってはいけないと思うのだ。




 

 

自閉症児の母として(39):放課後等デイサービスのスタッフの皆さんとともに2017年01月07日





昨年12月の暮れも押し詰まった29日に、障害児向けデイサービスの現場で、自閉症児の母としてお話をする機会をいただきました。そのひとときが私の「仕事納め」となりました。

 

放課後等デイサービスという言葉をご存じでしょうか。

じつは、私はこの時、初めて知ったのでした。

障害のある小学生・中学生の子どもたちを放課後や休日に預かって、発達改善や社会適応を目的として、電車やバスの乗り方や買い物のしかたなどを訓練するもので、5年前に始まった制度だそうです。

長男が子どもの頃には、デイサービスなど何もありませんでしたから、世の中の変わりようを実感します。

 

私が訪ねていったのは、ボランティアを通して知り合った友人が運営する川崎市内のデイサービス。数名のスタッフは必ずしも障害の専門家ではありません。毎日、自閉症の子どもたちと関わるうえで、困ったり悩んだりされているとのこと。

とはいえ、私ももちろん専門家ではない。療育に通った自閉症専門の施設の先生方から教わった知識と、それを頼りに一人の自閉症児を育てた経験があるだけです。それらが何か解決のヒントにでもなれば、と思いました。

 

私の自閉症児の子育てを振り返ると、3つのキーワードが浮かびます。

たくさん安心させて、いろいろな経験をさせて、プライドを持って生きるように育てていくこと。

30年間の話をざっとそんなふうに総括したあとは、皆さんからの質問を聞いて、皆さんと一緒に考えてみました。

 

たとえば、こんな質問が出ました。

Q:中学生のA君は、毎日通ってくると、以前は「こんにちは」と挨拶していたのに、どこで覚えたのか、「お久しぶりです」と言うようになってしまいました。どうしたらいいでしょう。

毎日会っているのだし、昨日から一日しか経っていないから、「久しぶり」ではおかしいですね。ちょうど、今は冬休み。休み明けには皆で「お久しぶりです」と挨拶をする。翌日からはまた「こんにちは」に戻る。それを実際にやってみてはいかがでしょう。

さらに、1日だけと、冬休みの6日間との違いを、カレンダーで視覚的に見せたりすれば、理解しやすいのではないでしょうか。

 

Q:別の中学生のB君は、気に入らないことがあると、「ぶっ殺してやる」とか「やっつけに行こうぜ」などと汚い言葉が口をついて出るのです。どうやって止めさせたらいいでしょうか。

B君は、それを口にすることで、心のもやもやを解消しているように思えます。自分からは不満をうまく伝えられないから、そんなすごい言葉で表現しているのかもしれません。とはいえ、こんな言葉を吐いていたら、周りの友達からも嫌われて、B君自身がかわいそう。まずは、彼の悩みを聞いてあげて、気に入らないことを解決してあげられたらいいですね。

それが難しいようなら、汚い言葉を止めさせるのではなく、代用品を与えてみる。つまり、別の言葉……例えば、CMのキャッチコピーとか、早口言葉とか、アニメキャラクターの決め台詞とか、彼が好きな歌の一節を歌うのもいい。周りの大人が率先して、代用品を口にするのです。

なにか、B君が汚い言葉を忘れるきっかけにならないでしょうか。

イソップの「北風とお日様」の寓話のように、無理に旅人のマントをはぎ取ろうとしても失敗します。温かい安心を与えて、脱いでもらいましょう。





 

ところで、昨日のNHKニュースで、この「放課後等デイサービス」の制度について取り上げていました。(NHKニュースのサイトをご覧ください)


少しずつでも、この制度が整っていき、障害児とその家族の支援に役立っていくことを願っています。障害児を苦労して育てた、一先輩母の思いです。






皆さまへ 年賀状にて ご挨拶2017年01月02日





皆さまも、健康な心と体で、

たくさんのきらめきを感じられる一年となりますように☆☆☆




ダイアリーエッセイ:花嫁の母の“べっぴん”2016年12月23日

 

娘の結婚式までひと月を切った。

忙しさのなかで17センチ四方のリングピローを作り続けてきた。結婚式で、二人の指輪を結びとめておくためのものだ。

今日、ようやく仕上がった。




 

今年7月のこと。手芸用品の店でこのキットを見つけたとき、母に作ってもらえたら、とひらめいた。胃がんを患い、入院手術を経てようやく退院できたのに、すっかり生きる気力を失った93歳の母。それまでは、手先が器用で洋服を作ったり編み物をしたりしていたのだ。そんな母が、せめて孫娘のために……と、手芸ごころを取り戻してくれたらしめたもの。だめもとでもいいからと、買ってきたのだった。

しかし、結局母は、封を開けることもないまま、3ヵ月が過ぎた。

そうだ、私が作ってみよう。刺繍なら経験がないわけではない。開けてみれば、必要な材料もすべてそろっているし、作り方も書いてあるし、何とかなるだろう。

そう思い立ってからも、なかなか時間が取れない。

 

12月になってしまった。気持ちばかりが焦る。

ドキドキしながら麻の生地にはさみを入れたのを手始めに、ちくちくと針を刺し、ビーズを通し、リボン刺繍をほどこしたりして、完成をめざした。

 

手を動かしながら、子どもたちの小さいころを思い出していた。私もよく洋裁をしたっけ。子供服の作り方の本を買って、兄妹おそろいの生地で半ズボンとスカートをこしらえたり、イニシャルの刺繍を入れたり……。同じ焦げ茶の小花模様で、娘はベスト、私はマタニティワンピースを作ったこともあった。捨てられず、今も押入れの奥で眠っている。

 

私は「門前の小僧」だった。物心ついた時には、すでに母がミシンをかけたり編み機を動かしたりするそばで遊んでいた。私の服は下着から学校の制服にいたるまで、すべて母の手作りだった。

小学校で手芸部に入り、中学の家庭科ではパジャマを縫った。どうしてもわからないところは、母が教えてくれた。

家を離れ、自分が子供服を縫うころには、母がそばにいなくても、気がつくと母の手つきをまねて、要領よくこしらえていたのだった。

 

洋裁も手芸からも遠のいて久しい。

そして今、母が作れなくなった小さな手芸品を、私が代わりに作っている。

何十年という歳月を想いながら。

 

おりしも、NHKの朝の連続ドラマは、子供用品店「ファミリア」の創始者のお話。あまり好みのドラマではないのだが、毎朝ケチをつけながらもついつい見てしまう。

「下手でも思いを込めて作ったもの、それがべっぴん」

子どもを残して逝ったヒロインの母親の言葉が、心にしみた。

 

私も、娘のために、“べっぴん”を仕上げることができた。

達成感とともに、いろいろな想いが込み上げて、思いがけず涙がこぼれる。

今から泣いていたら、式の当日はどうなることやら……。

 

 



自閉症児の母として(38):発達障害者支援の方がたに向けて2016年12月16日



今週14日には、昨年と同様、東京都発達障害者支援センター(TOSCA)において行われた支援者の研修のなかで、20年来の長男のママ友と二人、自閉症児の母としてお話をさせていただきました。

 

このTOSCAは、社会福祉法人「嬉泉」が、東京都の委託を受けて運営しています。私が30年間、長男を育ててこられたのも、3歳のときから一貫して、嬉泉でお世話になったからです。

そんなご縁もあり、現在の私がお話しすることで少しでもご恩返しができればと思い、機会があると、二つ返事で引き受けるのです。

 

お話しするテーマは、

【子育てを通して親が学んだこと、支援者に望むこと】

 

私が学んだことは、嬉泉のなかの「めばえ学園」に通いながら、自閉症専門の先生がたに教わったことがすべてだと言っても過言ではありません。

それらを5つの項目にまとめてみました。

 

1.

最初に学んだのが「受容的交流方法」。あるがままを受け入れて、心を通わせていくという子育てのやり方は、私の基本でした。

キーワードは3つ。「安心」をさせて、「経験」をさせて、自分の意思で行動できるように、ひいては「プライド」を持って生きていけるようになることが目標です。

 

2.

子育ては自分ひとりではできません。みんなに助けてもらうことが大切です。

家族だけではなく、親戚、ご近所、学校、地域の人々……みんなに理解してもらい、見守ってもらい、助けてもらいました。

本当に感謝してもしきれないほど、温かい人々に支えられた歳月でした。

 

3.

うちの子に限って、どうして……と私もずいぶん思いました。子どもたちにも見えないように、台所の片隅にうずくまって泣いたこともありました。

そんなおり、園長先生は私たちにこう言われました。

「現在、自閉症児は1000人に1人の割合で生まれると言われています。皆さんが苦労してお子さんを育てているからこそ、ほかの999人のお母さんはフツウの子育てを楽しんでいられる。つまり、皆さんは、1000人の代表として自閉症児を育てているんですよ」

ああ、私たちは選ばれたんだ、神様に。そう思えました。

その時から、私は「うちの子に限ってなぜ」と思うことはなくなりました。

神さまに選ばれたプライドで、前を向いてひたすらがんばることができたのです。

 

4.

もうひとつ、私がうれしかった園長先生の言葉は、

「子どもの犠牲にはならないで、自分の人生も大切に」ということでした。

どれだけ気持ちが軽くなったことでしょう。

今でも私のモットーです。

おかげで、ちょっとばかり自己チューな母になってしまったかな??

 

5.

こうやって長男を育てていくなかで、自閉症児の子育てにこそ、すべての子育ての基本があることに気がつきました。

自閉症は、いわば相手の心が見えないというコミュニケーションの障害です。だからこそこちらが子どもの気持ちに寄り添う必要がある。それは、どんな子どもにも必要なことです。そして、子どもに限らず、どんな人に対しても社会において大切なことではないか、と思えるようになりました。

長男を育てることで、親も人として育ってくることができた、といっては不遜かもしれませんが、神さまはダメな親だからこそこの子を授けてくれたのだ、とつくづく思わずにはいられません。

 

今後、障害者支援に望むことは?

・障害がわかった時点からずっと、一貫した支援のシステムがあるといい。

・母親ばかりではなく、きょうだいや、父親に対する支援の充実も望む。

二人の母の一致した願いです。

 

参加者17名の方がたは、支援の現場でいろいろと悩み、ご苦労されていることでしょう。この日の私たちの思いが伝わって、少しでもより良い支援に結びつけてもらえたら、うれしいかぎりです。




おみやげ自閉症者のアーティストグループAUTOS〉のカレンダー。




 

 



自閉症児の母として(37):保育士や教諭を目指す学生さんに向けて2016年11月22日




昨日は、千葉県松戸市の聖徳大学に出向きました。

「障害児教育」の講義の中で、テキストの一つとして私の著書『歌おうか、モト君。』を読んでもらい、障がい児の母として、お話をさせてもらいます。

年に1度か2度、ここに来るようになって、もう10年近くなります。


今回も、5時限目の時間帯、3クラス合同の100名ほどの女子学生さんが、新館の階段教室で、教壇に立ってマイクに向かう私を見下ろしていました。

学生さんたちは、初めは長男と同じ年頃だったのに、だんだんと若い「女の子」になってきて、同じ話をしても、以前はもっと受けたはず……と思うことも増えました。年齢だけでなく、若い世代の状況も変化しているのかもしれません。

 

それでも、現在の長男の仕事ぶりを、写真を使って説明し、

「時給いくらでしょう?」

という質問をすると、700円かな、800円かな……と興味しんしん。

「正解は、438円です」と言うと、安過ぎ!とびっくり。

 

そして、10年前と変わらない、彼女たちに共通する思いの一つに、

「もし、生まれてきた自分の子どもが障害を持っていたら、どうしよう。落ち込んでしまうかも……」という心配があります。

「ぜったい大丈夫。母親になれば、この子は自分が何とかしなくちゃ、という気持ちが自然と湧いてきて、がんばれるものですよ」

先輩母としての私の言葉に、ちょっぴり安心した表情を見せてくれて、私もほっとするのです。私だって、どれだけ涙を流したか知れません。それでも、前を見て立ち上がれる強さが、母親には備わっているのだと信じています。

 

私の書いた本と、この日の私の体験談が、いつの日か、彼女たちの仕事や子育てのなかで、ほんのひとかけらの支えにでもなれば、と願いを新たにして、小雨の夜道を帰ってきました。

 


 






『なしのはな』が咲いて2016年11月14日


この秋、『なしのはな』第6号が咲きました。

もう16年も続いているエッセイクラブ稲城の作品集です。

3年おきに発行されて、今回で6回目となります。

 


毎回、過去3年間に書き溜めた作品の中から、自選の2編を掲載します。

講師の私は、最終的な推敲や、校正のお手伝いはしますが、メンバーみずから印刷所との交渉にあたり、名実ともに自主的な運営を手掛けています。

 

そして、今回はさらに、書店での販売にも乗り出しました。

もちろん出版コードが付いているわけではないので、その類の本を扱ってもらえる市内の本屋さんに交渉し、1冊330円で店頭に置いてもらうことになりました。

 

作品集はけっして販売目的で作っているわけではありませんが、エッセイとはそもそも、一般の人々に読んでもらうために書くものですから、一人でも多くの読者の目に触れることも必要です。

そういう意味で、今回の新しい展開は画期的です。

急に話題になるとか、即完売してしまうとか、期待しているつもりはありません。ただ、エッセイに目を向ける人、エッセイクラブ稲城に興味を持つ人が一人でも増えたら、講師の私もうれしいことと思っています。

 

大型書店のコーチャンフォー、お近くの方、覗いてみてくださいね。

来年の1月31日まで販売しています。









追悼 平幹二朗さん2016年10月27日

 

先日、俳優の平幹二朗さんが亡くなりました。

朝のニュースに言葉を亡くしました。

 

923日の夜、平さんの舞台『クレシダ』を観たばかりでした。

それからちょうど1ヵ月後の1023日、急逝されたのでした。

 

舞台ではもちろん、お元気そのものでした。軽やかな身のこなし、朗々とした声の響きに、だれがひと月後の死を予感できたでしょう。

連続ドラマにも出演中で、次の舞台も決まっていたそうです。まだまだ活躍してほしいと思っていました。

本当に残念です。ご本人が一番悔しい思いで逝かれたことでしょうけれど。

 

これまで、親しい友人を介して、直接平さんにチケットを手配してもらっていたので、毎回特等席でした。だからというわけではありませんが、生の演劇の魅力を私に教えてくれたのは、平さんの舞台だったといっても過言ではありません。

 

昨年2月、さいたま芸術劇場で、5月に亡くなった蜷川幸雄氏演出で上演された『ハムレット』も観ました。

このときのことは、「別世界を訪ねて」というエッセイにつづり、ブログ記にも載せました。


追悼の気持ちで、もう一度掲載します。



 

  別世界を訪ねて 

 重い扉を開けると、中は暗かった。一歩また一歩と、ゆっくりと通路を進む。空間が開けても、靄がかかっていて、なお暗い。

暗闇に目が慣れてくると、昔懐かしい古井戸が見えた。その小さな広場を、壊れかかった二階建ての木造家屋が取り囲んでいる。

突然、背後で男性の大声が聞こえた。私の横を走り抜けて広場へ向かう。

やがて、黒ずくめの服をまとった細身の男性の独白が始まる。苦しみに顔をゆがめ、ときに涙しては悲嘆にくれている。

「生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ」

 彼の口から、あまりにも有名なセリフがこぼれ出す。

2月のある日、自宅から1時間半かけて、さいたま芸術劇場にたどり着いた。舞台は蜷川幸雄演出のシェイクスピア作『ハムレット』。タイトルロールは藤原竜也だ。10年前に華々しくデビューしたのも、同じ蜷川ハムレットだった。今回、精魂込めての再演を、私は初鑑賞。彼は、一見ナイーブな美少年のイメージだが、低い声の響きも、迫力ある剣術試合の立ち回りも、じつに男性的である。

この芝居を引き締めているのは何といっても平幹二朗だ。ハムレットの父を殺してデンマーク王の座についたクローディアスと、殺された元王の亡霊との二役で、大物俳優の貫録が十二分に発揮される。その一方で、井戸の水を汲んで頭からかぶるシーンでは、80歳を過ぎた裸体を観客の目にさらすことも惜しまない。役者魂に脱帽である。

みずからの配役になりきって、よどみなくセリフを語る演者たち。人物が入り乱れるさまをスローモーションでやって見せたり、役者がお内裏様や三人官女に扮した巨大な雛壇が出現したり……と、意表を突く演出の数かず。日常を忘れ、まさしく生で創り出された別世界に引き込まれて堪能しつくした3時間半だった。




 

心からご冥福をお祈りします。

 




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