自閉症児の母として(75):お金のこと2022年01月26日

 

そう、大事なお金の問題です。

皆さんのお子さんはどうしていらっしゃるでしょうか。

 

わが家の息子は、10年ほど前、障害者が働く喫茶室で、レジをやらせてもらったことがあるほど、お金の計算はきちんとできるのです。

でも問題はそこではない。自分のお金は自分で大切に守らなくてはいけない、という観念がなかなか育ちません。

街頭募金などで、私が下の子に小銭を渡している間に、さっさと自分の財布から500円玉を出して、募金箱に入れてしまう。募金の意味もどこまでわかっているのか、親としては心配でした。

作業所で働いて賃金をいただいていた頃、お給料袋をその辺にふらふらと置きっぱなしにして、行方不明になったことがありました。同僚を疑うつもりはないのですが、万一だれかに持っていかれたのだとしても、失くした息子自身の責任です。結局見つかりませんでしたが、その時は作業所から再度1万円、実際の半額程度をいただいたように記憶しています。

こんな調子では、「ちょっとお金貸して」と言われたら、平気で貸してしまうかもしれない。返ってこなくても気にしないかもしれない……。不安は今なお尽きません。

 

それでも、銀行のATMに連れていき、預けてあるお金を一緒におろしては通帳を確認させたり、給与明細を説明したりして、自分の働いたお金で生活するのだ、と自立に向けて少しずつ理解させてきたつもりです。

また、必要経費ばかりでなく、せめて収入の10分の1ぐらい、好きなことに使わせてあげたい。ゲームが趣味の息子が、高額なゲーム機器やゲームソフトを自分で買えるように、毎月3000円の積み立てをしています。

 

そして、3年前にグループホームで暮らすようになってからは、生活費として彼の銀行口座から2万円を渡して、使ったお金をきちんと記録するようにさせました。交通費は定期券を買ってあげているので、使うのはほとんど、毎日の昼食代と、毎週、毎月購入する雑誌類。ルーティンの買い物だけで、買い食いなどはしません。

几帳面な彼には、小遣い帳をつけることなど朝飯前。レシートを確認しながら小さな文字で商品名を書き、1円単位まで記入して、財布の中身の小銭を積み上げては数えるのです。

よしよし、これで無駄遣いもせずに、お金を大事に使っていく習慣ができた。そう安心していたのですが……。

 

世の中は、IT化が推し進められて、今やキャッシュレス時代。カード決済よりも一歩進んでスマホ決済へと突き進んでいる。この先、息子はこの波に乗らないまま、不便な現金主義で生きていけるでしょうか。

気になりながらも、私自身は乗り遅れまいと、カードや○○ペイに手を染めていました。

そんなある日、アッと思うような落とし穴に出くわしたのです。

 

息子は、以前から交通系ICカードのPASMOの定期券を利用しています。通勤範囲を超えて電車を利用することもあるので、便利です。残金が足りなくなると、自分でチャージすることもとっくに覚えました。

何しろ、趣味はゲームにエレクトーン。機械には強いので、一度教えればたいていのことはできるようになるのです。

毎日コンビニでお弁当を買う時に、カードやスマホ決済もやらせてみようかと思ったこともありましたが、そうすると、小遣い帳をつけるときに不便になるのではと思い、まだ思案中です。

 

息子は、PASMOにチャージをした時には「チャージ」と記しています。ときどき私も目を通すのですが、先月と今月で、その「チャージ」が1万円以上にもなっていることに気がついたのです。

遠出をしたわけでもないのに、なぜ?? 

PASMOを買い物に使っている? では何を買った?

小遣い帳をつけさせていて良かった、とは思ったのですが、本人に尋ねてもよくわからず、らちがあきません。ゲーム攻略本は読めるし、理解もできる。でも、こういう説明はできません。

私の想像は、誰かにそそのかされたか、だまされたか……?と、悪いほうにばかり膨らんでいきます。

私も最近は、私のアドレスを悪用して、様々な企業をかたる詐欺メールが舞い込まない日はありません。彼のスマホがそんなメールを受信して、彼が言われるままに動いてしまっているのでは……? 不安と猜疑心で胸がドキドキします。

 

駅の券売機で、彼のPASMOの利用履歴を調べて、駅員さんに尋ねてみました。

鉄道駅の「入」と「出」で、駅の改札を通っていることがわかる。その他に、「現金 ○○駅」という種別がチャージに当たること、「物販」とあるのがPASMOで買い物の支払いをしていることだ、と説明してもらいました。けれども、それ以上、どこで何を買ったかはわからないとのことでした。

 

もう一度、息子と向き合いました。まずは、リラックスさせます。詰問は絶対にNG。履歴の紙を見せて、

「ほら、ここ見て。16日に高津駅で5000円チャージしたのね」

「うん」

「それから、その日、チャージした後で5000円何か買ってるよね。何だろう」

「えーと、えーと……」と、いつもの口ぐせ。その後はたいてい、わかんない! と続くのですが、そうはならずに、一瞬ひらめいた表情を見せました。

「ニンテンドーショップ」

ああ、そうなの。ちょっとホッとしたのもつかの間、ショップの店員が何かした……? とまたもや疑心暗鬼に陥ります。

「何を買ったの。ゲームソフト?」

「ニコ動」

ニコニコ動画というYouTubeのサイトです。それって有料なの?

息子はニンテンドーの最新ゲーム機器であるSwitchを使ってYouTubeを見ていることは知っていましたが、有料会員になっていたとは知りませんでした。プレミアム会員になればすべて視聴できる、とかなんとか画面に誘導されるままにクリックしていったのでしょう。これまでにもゲームソフトなどは、ショップのプリペイドカードを買い、それを利用して買っていましたから、その感覚で会員料金も払ったのでしょう。

そこで、ニンテンドーのホームページで調べたところ、有料サイトの視聴料は、PASMOで支払いができることがわかりました。ショップの店員さんに教わったのかもしれません。疑ってごめんなさい。少しずつ彼のチャージの理由が見えてきて、猜疑心も少しずつ溶けていきました。

 

ニンテンドーのゲーム機器は、親も子もが安心して楽しめるよう、親を介して契約するシステムになっています。息子が初めてSwitchを購入したときは、保護者として、夫がアカウントを登録したり、制限を設けたりしたのでした。

ですからこれまでは息子が何か購入すると、夫にメールが届いていました。今回は、購入というより、年会費を支払ったので、メールが届かなかったのでしょうか。これはまだ謎です。

ゲームで遊ぶぶんには、特に心配はないだろうと安心して本人の好きにさせていたのに、いつの間にか、ゲーム機器はYouTubeと紐づけされ、年間5000円ほどの視聴料を取るようになっていました。

改めて、Switchのアカウントを調べると、そこに残金として1万円以上の額が入っているのを確認できました。彼はこのお金の流れがわかっていたように思えてきました。

 

それにしても、息子は親の心配をよそに、自分からデジタルの世界に入り込んで、ちゃんと楽しんでいるのです。現金支払いだろうと、キャッシュレスだろうと、彼にとってはハードルなどないのかもしれません。

いやはや、やっぱり彼は宇宙人。日本語は上手く操れなくても、人間関係は大の苦手でも、機械相手ならお手のもの、ということなのでしょうか。

 

これからのITからさらにDXへと進んでいく世の中を、果たして彼は生きていけるだろうか。今回は一件落着したけれど、この先どんな悪の手が障害者に伸びてくるかわからない……という心配が結びになるはずでした。

でもこうして書いてくると、それは高齢者である親の私たちの心配であり、ダイバーシティの将来を生きる彼には、案外付き合いやすい世界になっていくのかもしれませんね。

そう、彼は宇宙人ではなくて、未来人。

ちょっと気持ちが軽くなりました。




2021年を振り返って、22年へ2022年01月04日


【喪中につき、新年のご挨拶を失礼させていただきます】

 

昨年は、本当にたくさんの別れがありました。

2月に娘が中国に単身赴任。しばらくはオンライン上でしか会えなくなりました。

 

★そして、8月に母との永遠の別れがありました。

 

その後も、まるで訃報を吸い寄せるかのように、親しかった人が相次いで亡くなりました。

★ママ友の他界。会えばやさしい微笑みに包まれ、低い声のおだやかな口調が印象的な人でした。進行性のがんで、あっという間だったそうです。

97歳の男性の逝去。20年以上前、エッセイクラブ稲城の立ち上げに尽力され、長きにわたり生徒さんだった人です。最期までエッセイのことを気にかけておられたとのことでした。

 

8年間講師を務めてきた横浜の教室を、さまざまな事情から終了しました。一人ひとりと繋いでいたはずの手を、私のほうから離してしまった。その思いは今もちくりと残っています。コロナ禍が長引かなかったら、続けていたかもしれません。

 

2021年は、もうこれ以上ないほど、落ち込んだ年でした。

でもそれは、見方を替えれば、ここからは昇っていくだけ、ということでもあります。

それに、悪いことばかりではなかった、と今にして思うのです。うれしかったことのベスト3を上げてみると……

 

8月にグループホームを追い出された長男が、11月にはかねてから「ここがいい!」と決めていた新しいホームに晴れて入居できたのです。

(もっとも、その入居の時にもふたたび長男が去っていく寂しさに見舞われてしまいましたが)

 

☆それから、ずっとオンライン配信だったサザンの桑田君のライブが、ついに正真正銘の生で開催されました。11月にさいたまスーパーアリーナまで、いつものように長男と二人で出かけていきました。

ああ、やっと再開したんだ! なんと長い間、我慢を強いられてきたことだろう……と、こみ上げてきて、マスクが涙と鼻水でぐしょぐしょになりました。

 

☆そして、特筆すべきは、藤井風君との出会い。コロナ禍での母の最期の頃に、ハンドルを握ってヴェゼルを走らせる私の、かけがえのないパートナーとなってくれたのでした。

(彼のことは、昨年6月「藤井風の不思議」の投稿記事に書いています)

大晦日にはNHK紅白に出場し、ゆるぎない音楽の才能と、不思議な魅力を、テレビ画面からもまき散らしていました。

2022年も私の〈推し〉として輝き、パワーを注いでほしいものです♡

 


風君は、お正月のYouTube配信の中で書初めをして見せると、「ふじい・そよかぜ」と読みました。今年も、彼のやさしい風に吹かれてみたい……。
そこで私は、思ってみるのです。そよ風のように心地よくなくてもいい、微風は「びふう」のままでいいから、私の書く駄文が、読み手のなかに小さな風を起こすことができたら、と。


今年もどうぞよろしくお願いいたします。



 


母を想う日々 3:テーマ〈愛着〉で書く「タイムスリップはもうおしまい」2021年12月04日


 

タイムスリップはもうおしまい

           

母はこの20年間、わが家と同じマンションの4軒隣で一人暮らしをしてきた。母亡き後はその住まいを売却しよう。生前からきょうだいとも話し合っていた。私が譲り受けたとしても、母の思い出の染みついた部屋を維持するのはつらいだろうと思ったのだ。

今年の8月、とうとうその時が来た。遺品を整理し、それぞれが持ち帰ったあとは、バザーやボランティアに供出し、古物商に引き取ってもらい、廃棄業者に依頼し、すべてが消えていった。最後は、せめてもの思いから、なじみの清掃業者にぴかぴかにしてもらった。

肩の荷が下りた。寂しさよりも2ヵ月半でやり遂げた達成感が湧いた。がらんとした部屋には柔らかな秋の日が差し込んでいる。それを見て思い出したのは、意外にも、母を飛び越えて30年以上前のことだった。

 

最初にこの部屋を購入したのは、私たち家族だった。当時、都内の社宅に住んでおり、マイホームを求めてこの辺りを探し回った。出合ったのが築1年のこの部屋。駅から近く、子育て環境も良さそうだった。

引っ越しまでの間、3歳の長男と1歳の長女を連れて、ときどきやって来た。レジャー用の白いプラスチックのテーブルと椅子を室内に置き、お弁当を食べたり、子どもたちをお風呂で遊ばせたりして過ごす。

「まるでリゾートマンションね」と、夫と笑ったものだ。

引っ越してしばらくたっても、外出先で長男は「うちに帰ろう」と言うところを「リゾートマンションに帰ろう」と言っては私を苦笑させた。

 やがて生まれた次男は、この床の板目に沿ってミニカーを何十台も並べた。洗面所の壁一面の大きな鏡の前で、毎朝娘の髪を結った……。つぎつぎと記憶がよみがえってくる。

その後、私の両親が同じマンションの広い部屋に移り住んだ。母が一人になると、家族が増えたわが家と住まいを交換したのである。

 

母の部屋を売り出して1週間、買い手はすぐに決まってしまった。




 


自閉症児の母として(74):映画『梅切らぬバカ』を見て来ました!2021年11月15日

 


この写真は先週金曜のNHK「あさイチ」に出演した加賀まりこさん。

まず、とても77歳には見えないはつらつとした美しさにびっくり。

さらに、久しぶりの主演映画『梅切らぬバカ』で、自閉症児の母親役になると知ってびっくり。彼女自身のパートナーも、自閉症児の父親なのだそうです。

 

この映画、ぜひ見てみたいけど、忙しくていつ行かれることやら、と思っていたところに、友人からの誘いが! 「一緒に行くはずの人が行かれなくなったチケットがあるから」と私を誘ってくれたのでした。しかも、出演者の舞台挨拶がある回だとのこと。これはもう、行くしかない。万難を排して、昨日、銀座まで行ってきました。





息子役の塚地武雅さんの横で、加賀さんは小さく見えました。それでも、いつもの歯切れのよい挨拶。「映画を見て、息子を好きになって帰ってください」。

 

監督の和島香太郎氏は、背の高いイケメン。山形出身の彼は、高校時代のこと、ある映画をどうしても見たいと思ったけれど、東京でしか上映していなかったので、わざわざ山形から日帰りで見に来たことがあった。その映画館というのが、今回のシネスイッチ銀座だったそうです。それから20年後に、まさか自分が舞台挨拶に立つなんて思ってもみなかった、というわけです。

「あなた、横にも大きかったら、今ごろ相撲部屋に入れられてたかもしれないのにね」と加賀さんらしいジョークが。ちなみに彼は、元横綱北の富士の甥御さんなのですね。

この映画、最初は上映してくれる映画館が3つしか決まっていなかったのに、今では70越えにまでなっているそうです。監督も出演者も、テレビや新聞で紹介してきたおかげなのでしょう。

 

さて映画が始まりました。自閉症のチュウさんは、障害者の職場で働く50歳。母親とふたり暮らしです。塚地さんはとても自然に、自閉症特有のしぐさを交えて演じています。

母親役の加賀さんも、ちょっと気の強そうな占い師をコミカルに演じて、笑いを誘います。

ふたりは梅の木のある一軒家で穏やかな日々を送っているのですが、チュウさん50歳の誕生日に、ケーキのろうそくを吹き消そうとして、親子でぎっくり腰になってしまいます。このままでは共倒れになるのでは……と心配がよぎる。ついにグループホームに入る決心をするのです。

 

グループホームというのは、障害者が支援を受けながら、地域で暮らす家。それぞれ個室に住み、共同生活をします。そのために、近所の理解も必要になります。

この映画では、近隣とのトラブルや偏見も描かれて、ストーリーが展開していきます。

 

年齢も環境も違うけれど、チュウさんはわが家の長男とダブるところがたくさんありました。

例えば、チュウさんは気持ちがいらいらして、つい扇風機を倒してしまう。うちの息子も、よく扇風機に八つ当たりをしては壊したものです。

それでも、職場ではチュウさん同様、まじめに、几帳面な仕事をしています。

チュウさんは、ホームの利用者間のトラブルや「近所迷惑」を理由に、ホームを退去することになってしまう。これも息子と同じ。

 

結局、チュウさんは母親のもとに戻ります。そして、穏やかな生活がふたたび始まるのですが……。本当にこのままで、いいの? 私は、疑問に思いました。

このままでは、元のもくあみです。また同じことが起きて、いよいよという時に困ったことにならないでしょうか。

でも、別の思いもわいてきました。最後は少しずつご近所の偏見も薄れ、理解が広まっていくことを感じさせて終わります。そこに希望が見えます。このまま地域に支えられて暮らすことができれば理想的なのかもしれないなあ、と。

 

息子の新しいグループホームは、近所の方がたにも内部を見ていただいたりして、理解を深める努力をしています。

チュウさん親子が自宅で幸せに暮らしていくように、息子はグループホームで自立して充実した生活が送れたら、と願っています。

 

最近のグループホームでは、映画の中のホームのように、全員そろってご飯を食べるようなことはしなくなっているようです。もちろん、コロナの影響もあるのですが、それ以前に、なにも家族のようになる必要はないのではないか、個人の意思を尊重して、団体行動はとらなくてもいいのではないか、という考えも出てきているようです。

そんな違和感もちょっぴりありましたが、全体的には、温かい目線で障害者を見つめ、ユーモラスに描き、肩ひじ張らないわかりやすい映画だったと思います。

ぜひ、ご覧になってください。 

 



母を想う日々 2:「母の遺したカレンダー」2021年11月09日

    

          母の遺したカレンダー

 

98歳で母が亡くなって、同じマンションに住む私は、部屋の片付けを始めた。まずはタンスの小引き出しや本棚からだ。若い頃から整理整頓をきちんとやる母だったが、最後は玄関先で倒れて入院したまま戻れなかった。金銭の類はいちおう預かってはいたが、もっと大事なものが出てくるかもしれない。

筆不精で書くことの嫌いな母だと思っていたのに、何冊もの手帳に細かなメモが残されていて、驚いた。目が悪くなったと言いながら、旅の記録や、家族の年表、父の闘病記など、小さな文字でつづっている。

いくつものビニール袋に入れてとってあったのは、カレンダーの束だった。朝日新聞でチラシと一緒に月末に配られるB4サイズのカレンダー。日付の横にメモのスペースがある。予定を書き込んでいたのは知っていたが、いつからかその日の出来事や、ちょっとした感想まで書くようになっていた。

 

たまたま開いてみたのは2010年。母は80代後半で、父が亡くなって8年がたち、元気で独り暮らしを送っていた頃だ。

当時、母はマージャンを楽しんでいた。どこで、だれと、勝敗のほどは、などが記されている。高齢者向けの教室に通ったり、自宅に来てくれる古くからの友人たちと楽しんだり。その合間を縫って、私の家族も母の相手をしていた。

「ヒロ、パソコンで勉強しているので、さすがに勝ってばかり」

次男ヒロは、幼い時からよく母にボードゲームの相手をしてもらっていた。

「ヒロ、国士無双できて、大コーフン」

 この時のことは私もよく覚えている。次男の手が震えてきて、高い手で上がりそうなのだとバレバレだったのに、結局振り込んだのは、母だった。

「ひとみ、新聞に投稿が出る」

 そんな親子3代、年齢差72歳の家族マージャンをエッセイにして、朝日新聞の「ひととき」欄に載せてもらったのだった。

 

さらに母のメモからは、当時は知らなかったわが家のあれこれが明らかになる。

高校生の次男は勉強がいやで、ときどき母の部屋に逃げ込んでいたこと。長女は母の一室を借りて寝起きしていたが、夜遊び、朝寝坊、散らかった部屋のひどさなどに、母が気をもんでいたことも。私が旅行に出る時は、留守家族のために母が張り切って料理をした様子も伝わってくる。

わが家だけではなく、東京に住む姉や弟の家族も、よく泊まりに来ていた。連れだって買い物に出かけたり、母と姉と3人でハワイ旅行までしたのもこのころだ。

 

そして、こんなつぶやきも残っていた。

「楽しいこと続きで、健康で、長生きできて幸せ」

 




自閉症児の母として(73):新しいグループホームに入居しました!!!2021年11月01日

 

去る916日に、それまで暮らしていたグループホームを退去したことをお伝えしました。

8月末日を退去日とする」という一方的な通達を受け、母が危篤だという事情も考慮してもらえず、母の葬儀の3日後には退去せざるを得なかったのです。

 

でも、そのブログの最後にこう記しています。

 

今、息子は自宅から職場に通っています。

次のグループホームは半年前から探し始めていたので、「ここがいい!」と思えるホームに出会うことができました。「入居決定」は体験入居をしてから、ということになります。息子も、家族も、希望を胸に、その日を待ちわびています。

ぜひとも、いいご報告ができますように

 

最初に出会ってから8ヵ月、ようやく入居がかないました。

8ヵ月も待ったのにはわけがあります。出会ったのは、新しく社団法人を始めたばかりの青年で、ホームは建設中。まだ基礎工事が終了したという段階だった。しかも、コロナ禍のおかげで木材は不足し、竣工の予定がひと月も遅れたのです。

それでも待ち続けました。そこしか考えられないと思ったのです。

 

なぜかと言えば、息子の迷惑の原因は、まず騒音と大声。このホームは、床も壁も防音対策がしっかりとされており、窓も二重サッシを使っています。

そして、建物という箱だけではなく、なにより、その法人の代表である若者に、息子を託すだけの信頼感を抱いたのでした。

 

息子は、最初の入居希望者として名乗りを挙げ、最初に体験入居をさせてもらって「何も問題はありません。どうぞお入りください」と言われ、入居第1号となりました。

10月最後の週末は、息子の引っ越し作業に明け暮れました。衣類や生活用品を整えたり、備え付けの家具はないので、夫と二人がかりでロフトベッドを組み立てたり……。

そして本日、111日、晴れて入居日を迎えることができました。

 

息子が家に戻ってからの2ヵ月は、亡き母の住まいの売却のために遺品の整理や片付けなど、あまりに忙しい日々でした。疲れているのに眠れない夜も多く、頭痛や腰痛にさいなまれることもたびたび。それでも、2ヵ月前に比べたら、明るい希望があり、だからこそがんばれました。

 

「今のホームはやめて、新しいグループホームに入るからね」と告げた瞬間、パッと輝いた息子の顔を忘れられません。彼も、前のホームに居続けることがつらかったのでしょう。

退去してからは、何度か工事中のホームの前まで見に行ったこともあります。

ずっと楽しみにして待っていました。

 

とはいえ、一度家を出た息子が戻って家にいるのは、「やれやれ」という思いもありました。息子の入居決定を祈り、入居日を指折り数えていたのは、ほかならぬこの私。それなのに……。

今日、息子は仕事を終えたら新しいホームに帰っていくのですが、朝は自宅から出勤。グータッチをしながら「行ってらっしゃい!」と言うと、いつもと変わらずそっけなく「行ってきます」と息子が出て行ったあと、涙ぐんだのも、この私。

母心は複雑で勝手なものですね。

 

まだまだ書きたいことはありますが、今日のところは、うれしくてちょっぴり寂しいご報告まで。


▲これが息子の新居。部屋は、向こう側、南側の二階の部屋です。

ハナミズキの並木が続く坂の途中にあります。いま紅葉真っ盛り。▼

▲坂道からは、8年前まで働いていた「障害者ふれあいショップ」のある武蔵小杉の高層ビルが遠くに見えました。




800字のエッセイ:はるか遠くから2021年10月26日


     

 

はるか遠くから

 

母が亡くなって半月ほどたったころ、珍しくイギリスから手紙が届く。ミセス・マローズという差出人に覚えはない。開けてみると、やさしい花の写真のカードが出てきた。

「悲しいお知らせです。グレンダ・グラントさんが癌で亡くなりました」

 とたんに涙がこみ上げる。母の喪に服す私に、訃報を吸い寄せる力でもあるのだろうか。

 

 話は40年以上前にさかのぼる。グラント一家は、従兄がロンドンに駐在していた頃に家族ぐるみで仲良くしていたイギリス人家庭で、30代の夫婦に女の子と男の子がいた。彼の帰国と入れ替わるように、ロンドンにひとりで滞在することになった私に、従兄が彼らを紹介してくれたのである。

「とにかくいい人たちだから、頼りにしてね」

従兄の太鼓判どおり、一家を訪ねると、とても温かいもてなしを受けた。近くに住む高齢のご両親もやって来て、遅くまでダーツに興じる。気難しそうなおじいさんだったけれど、一緒に遊んだダーツの矢をプレゼントしてくれた。その夜はいかにも英国調の愛らしいゲストルームに泊まらせてもらった。

グレンダは表情豊かな明るい女性で、英語学校の教師としても働いていた。

帰国後もクリスマスカードのやり取りを続けたが、私は子育てに忙しくなり、何度か転居を繰り返すうちに、交流は途絶えてしまった。とはいえ、ロンドンの日々は青春のかけがえのない思い出。彼女を忘れたことはない。

 

 手紙の主は、グレンダの同僚だった。仲良しだったに違いない。亡くなった彼女の住所録に、私の住所を見つけたからと、わざわざ知らせてくれたのである。

 グレンダの訃報に悲しみながらも、マローズさんの心遣いに胸を打たれた。友の死に寄り添う時、大切なことは何か、教えてもらった気がする。


     






母を想う日々 12021年10月14日



201910月、友人と二人でクロアチア旅行に出かけた。新型コロナのパンデミックが始まる直前の秋のことだ。

今でも、彼女に会うと、

「あの時、行っておいてよかったね。行けてよかったね」

と二人でうなずき合う。

 

〈旅の様子は、「旅のフォトエッセイCroatia20194回にわたる連載をしましたので、よかったらお読みください〉


 

さて、今年の10月は、母の遺品の整理やマンションの片付けに追われている。

こまごました書類に紛れて、何冊も小さな手帳が出てくる。

筆不精だと思っていた母は、意外にたくさんのメモを残している。

中でも、旅の記録が多い。

それを年表のように記したページには、20回以上の海外旅行をしていることがわかる。私の旅行好きは明らかに母の影響である。

私が旅に出る時は、いつも一冊の手帳をバッグに忍ばせている。これも知らず知らずのうちに、母をまねているのだろう。

 

母の本棚には、旅のパンフレットなどの資料も残っている。

その中から、「クロアチア・スロベニア・モンテネグロの旅 12日間」という小さな冊子が出てきた。

母も、クロアチアに行っていたのである!



2年前に私が旅をした後、ホームの母に会いに行き、クロアチアの話をしたのだが、母もそこへ行ったのか行ってはいないのか、なんとなくうろ覚えで、私も半信半疑だった。

でも、確かに母は、200310月、今から18年前の同じこの季節に、80歳で、12日間のツアーに一人で参加していた。当時、私はまだ子育て真っ最中で、母が出かけた聞きなれない国に関心を寄せるひまもなく、すっかり記憶から抜け落ちてしまったらしい。

2年前のあの時、もっとよく母の留守宅を探してみればよかった。もっと母と話ができたのに、と悔やまれる。

 

遺されたたくさんのアルバムの中に、母のクロアチア旅行の写真は、残念ながら見つからなかった。

その代わり、19857月、父と母と私とで、ベルギーやオランダ、デンマークなどを旅した時の写真が見つかった。両親の旅行に私一人でお供をしたのは、これが最初で最後だった。



このツアーから戻って10日後に、御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落して大勢の犠牲者が出た。

翌年には長男を出産。私の海外旅行は長い空白が続いたのだった。

 

コロナが終息したら、まだまだ海外に行きたい。

私も母のように、80歳を過ぎても。



 



自閉症児の母として(72):グループホームを退去しました2021年09月16日


 あれほど気に入って、長男の入居にこぎつけたグループホームでしたが、2年半をもって退去しました。まずはそのご報告です。

 

はじめは、親亡き後も安心して生活できるように、グループホームでの自立を目指したのでした。ところが、コロナ禍の世の中になってしまうと、このホームはちょっと違うかも……と思うことが増えていきました。

ホームに見切りをつけたのは、今年の3月頃。ここではだめだ、他所を探そう。そう決めたのです。

その後、コロナ禍の影響もあって、息子とホームの問題は、ちょうど母の入院から危篤状態の続く夏の日々と重なるようにして大きくなっていきました。そして、とうとうホーム側から「退去」という言葉が出たのです。私にはふたつの重荷が両肩にのしかかったようで、苦しい毎日でした。

私の事情を話し、母が落ち着くまで(つまりは亡くなるまで、ということです)しばし待ってもらえないかと何度か願い出ましたが、受け入れてはもらえず、「10日後には退去してほしい」と一方的に決められてしまいました。福祉を提供するはずのこの組織のトップには、血も涙もない。それもまた、ショックでした。

そして、その10日の間に、母は亡くなりました。それでも、悲しむ間もなく、葬儀の翌日には片づけ、その2日後には退去し、息子は自宅に戻りました。

 

どんな理由があったのか、どんな経緯だったのか、とてもひとことでは言えません。

今は具体的な説明は控えますが、今後少しずつ整理して書いていくつもりです。

これからグループホームに入居することを考えている方に、少しでも参考になればと思います。

 

今回の挫折で、私は多くのことを学びました。グループホームの実態も、福祉のことも、そして息子自身についても。

息子は2年半でずいぶん成長した一方で、やはり変わることのない「自閉症」という難しい障害を持っている。改めて突き付けられた思いです。

 

今、息子は自宅から職場に通っています。

次のグループホームは半年前から探し始めていたので、「ここがいい!」と思えるホームに出会うことができました。「入居決定」は体験入居をしてから、ということになります。息子も、家族も、希望を胸に、その日を待ちわびています。

ぜひとも、いいご報告ができますように。

 


 


安らかに2021年08月24日

 

母は、安らかに天国に旅立っていきました。

前回のブログを書いた翌日、21日の夜のこと。

3度目の正直となってしまいました。

 

皆さまには一緒にお祈りいただき、どうもありがとうございました。


 


 


copyright © 2011-2021 hitomi kawasaki