ダイアリーエッセイ:図書館の新兵器?!2020年09月09日

 

私の人生、あまり図書館を利用してこなかった。

10年ぐらい前だったろうか。たまには覗いてみようかと、近くの図書館に行ってみた。その空気の悪さ、湿気とカビ臭さにぞっとした。手に取った本も汚れていて、気持ちがしぼんで、やっぱり足は遠のいた。

 

でも、最近になって、図書館を上手に利用している友人を見習い、お世話になろうと思い立った。高い本代もばかにならなくなってきたし……。

昨年の秋、市の図書館に登録すませ、新聞の書評欄で目に留まった本を借りようと、初めてネット予約を入れた。奥田英明著『罪の轍』。およそ300人待ちだ。すぐに読みたいというわけでもないので、気長に待つことにした。

 

そして、その本をようやく手にしたのが、今日の午後。なんと11ヵ月もかかったのだ。さぞや手垢で汚れているのではないだろうかと、特にコロナ禍の今は、心配になる。

が、しかし。

カウンターから出口に向かう途中、思わず足を止めた。

「除菌BOX」!!

大型の電子レンジのような機械で、中の棚に本を置き、扉を閉めて待つこと45秒。紫外線が照射されて、本が除菌される、らしい。

懐疑的な私も、ちょっとだけ安心して、本を抱いて帰宅した。



 


このマシン、以前からあったのですか。 

私は図書館の浦島太郎だったのでしょうか。

マシンの扉を開けたら、煙が出て、真っ白い髭が生えたりして……

 



おススメの本、遠田潤子著『アンチェルの蝶』2020年09月05日

 

前回のおススメ本に続き、今回はこの本をおススメします。

 

ところで、『ザリガニの鳴くところ』の少女の母親が、なぜ子どもを置き去りにして家を出たのか。それは夫の暴力でした。子どもたちも父親に愛想をつかして出て行ってしまうのです。

この小説もまた、その部分が偶然にも同じでした。

 


物語は、主人公・藤太が大人になっている現在から始まります。痛む膝を引きずるようにして、ひとりで飲み屋をやっている。荒んだ雰囲気で、ときに強い酒をあおって酔いつぶれる。そんな藤太が、突然小学生の女の子を預かる羽目になる……。謎めいたストーリーを予感させます。

 

そして物語は過去へ。

藤太の父親も、酒に酔っては暴力をふるうどうしようもない男でした。母親が去り、父親と二人で暮らしながら、高校にも行かせてもらえない。飲んだくれの父親に代わって、小さな飲み屋を手伝わざるをえない。それでも父親は息子を殴る。どん底の暮らしでした。

 

中学生の藤太には、二人の親友がいました。同じクラスの優等生男子と、バレリーナを夢見る少女と。三人は固い友情で結ばれ、互いに信じあい、支えあいながら、中学校生活を続けるのです。

三人の共通点といえば、父親がひどすぎること。ろくに仕事もせず、賭け麻雀をしては、酒に酔い、とんでもない悪事に手を染めている……。

 

三人の絆の意味が少しずつ解明され、秘密めいた話の真実が明かされていきます。

それでも、暗く重い話の先に、藤太の明るい希望が見え隠れするのですが……

そこから先は、ご自身で読んでみてください。

 

三人の仲間も、藤太の店の常連たちも、暗い過去を抱え、世の中に背を向けているようでも、どこか正直にまっとうに生きたいと思っている。どん底から這い上がろうとしては、希望と絶望とに翻弄される。読み手は、そんな姿から目が離せない。もっともっと先を読みたくなるのです。

 

ちなみに、遠田潤子氏は、私が今一番注目している作家です。

今年上半期の直木賞でも『銀花の蔵』が候補になりました。いずれ受賞するのでは、と熱い期待を寄せています。

 



おススメの本、ディーリア・オーエンズ著『ザリガニの鳴くところ』2020年09月04日


今年は、本の当たり年!

コロナ対策の自粛生活のおかげで、本を読む時間が増え、いつもよりたくさん読めているだけではなく、いい本に巡り合っている気がします。

友人が回してくれる本はどれもすばらしい。いつか読もうと思って本棚に眠らせている本の中にもいいものがありました。じっくり味わう心の余裕があるのも一因かもしれません。

 

2019年にアメリカで最も売れた本 600万部突破」

という新聞広告に目がとまりました。読者のコメントには、感動の言葉が並んでいます。これは面白いにちがいない、読んでみようと思ったのが、この本。さっそく電子本で読み始めました。


 

「湿地の少女」と呼ばれる主人公は、環境の悪い地域に暮らす貧しい階層の家族の末っ子でした。ある日、母が去り、姉たちも、仲の良かった兄も、最後まで残っていた父親までも家を出ていき、彼女は置き去りにされてしまいます。

それでも、温かい救いの手を差し伸べてくれるのは、黒人の夫婦。やはり差別の中で生きる人々でした。

孤児に教育を受けさせようと、役所の担当者が現れて、学校に連れていくのですが、[dog]のつづりも知らないのかと笑われ、二度と学校へは行きませんでした。彼女は幼いながらもプライドを持ち、自由であることを選択したのです。

 

たった一人で小屋に住み、孤独と闘いながらも、湿地の生物たちと友人のように心を交わします。とはいえ、ただのサバイバル小説ではありません。彼女は知性を持ち、字を覚えると、たちまちたくさんの本を読み、生物学的な知識を持った湿地の研究者に成長していくのでした。


やがて思春期を迎え、人並みに恋を知ります。それでも、宿命のように置き去りにされ、ふたたび孤独が訪れる。孤独と偏見と差別に苦しみながらも、彼女はけなげに生きて抜いて、一人の女性として自立していきます。

 

物語は、過去と現在を行き来しながら、もう一つの殺人事件を追っていくのです。その事件と彼女との関係が明らかになって、裁判へと発展していく頃には、読み手はがっちりと物語に捕らわれてしまい、もう逃げられない……。

叙情豊かな文章の中にも、陪審員裁判というリアルな現実が入り込んできて、その落差に揺さぶられるような読書感覚でした。

 

これだけ書いてしまっても、たいしたネタバレではないはずです。

アメリカの根強い人種差別問題などが盛り込まれ、しかも手に汗握るエンターテイメントとして十分読める。ベストセラーになった理由がわかりました。

ぜひ本をお手に取ってみてください。

読み終えるころには、こんな下手な紹介文で想像するよりも10倍面白かった、と言われることでしょう!




エッセイ教室へのお誘い2020年09月03日


 

新型コロナ対策の自粛が長引いているうちに8月もあっという間に過ぎ去り、9月になりました。

6か月にわたって休講を続けてきた浜松のカルチャースクールも、ようやく再開へ。スクール側も、受講する皆さんも、出向く講師も、感染防止の対策を徹底して、2時間の講座を行います。

 

けっしてコロナが終息したわけではありません。まだ感染者は増えています。

それでも政府は、経済が立ち行かなくなるからと、GoToキャンペーンを開始しました。

私には時期尚早と思えましたが、立ち行かなくなるのは、何も観光業界に限ったことではありません。

 

カルチャースクールもしかりです。エッセイ講座の再開を待っている受講者の方々にとっても同じではないでしょうか。

あまり長引くと待ち疲れて、気持ちがなえてしまう。エッセイなんてもういいや、という思いになってしまう。

まして、若い世代の方なら、いくらでも再開を待てるでしょう。安全が確立されてから再開しても間に合います。また、リモートなどの新しい方法で、これまでの楽しみを続けることもできるでしょう。

でも、ご高齢の方には難しい。

(高齢者の領域に足を踏み入れた私自身の思いでもあります)

 

それこそが、私が一番危惧することです。

高齢者の楽しみを、不要不急などといって、軽んじてはなりません。

年を重ねていくこの時期こそ、社会との関わりを止めてはいけない。第二の人生を歩む今、趣味のお仲間と語り合い、触れ合い、楽しい時間を共有するということこそ、必要とされることではないでしょうか。

QOL、つまり人生の質を高めることに大きな役割を果たすのです。




そんなわけで、猛暑も峠を越し、再開にふさわしい9月になりました。

「エッセイの秋」に、あなたもエッセイの楽しさを味わってみませんか。

私が講師を務めるエッセイクラブ稲城では、お仲間を募っています。

 

☆活動日:毎月2回、第1金曜と第3金曜

1金曜は、メンバーだけで自主的に合評をします。

3金曜は、講師が出向きます。

 

☆場所:稲城市中央公民館

 京王相模原線稲城駅から徒歩10分、JR南武線稲城長沼駅から徒歩15分。

 無料駐車場もあります。

 

☆毎月1編の作品を書きます。

メンバー同士の合評と、講師からの講評とを参考にしながら、エッセイのコツを身につけて、作品を磨いていきます。

数年おきに作品集も刊行してきました。

 

☆稲城市民はもちろん、市外の方もご参加いただけます。

エッセイは初めてという方も大歓迎。時間外の特別指導で、原稿用紙の書き方から学んでいただきますので、ご安心ください。 

 

☆月会費:2500

 入会の方は、初回は無料で、添削も致します。

 

☆お問い合わせ:042-350-0966(山本)

        hitomi3kawasaki@gmail.com(石渡)

 

 

お気軽に見学だけでも結構です。ご連絡をお待ちしております。

この秋、新しい楽しみにふれてみませんか。

 


エッセイの書き方のコツ(34):「プレバト‼」から学んで2020年08月23日


「プレバト!!」という番組をご存じでしょうか。

俳句、水彩画、生け花などなど、タレントたちが意外な才能を発揮して創り上げる作品を、著名な講師が査定をして、順位をつけるというものです。

「俳句がおもしろいのよ」と、友人に勧められて、ようやく見るようになったのは、昨年3月に長男がグループホームに入居してからのこと。彼はテレビ番組へのこだわりが強く、家族が見たい番組を自由に見ることができなかったのです。

 

番組の俳句の師匠は、和服の着こなしも板についた夏井いつき先生。梅沢冨美男氏をオッチャン呼ばわりして毒舌を吐く先生だけれど、俳句のほめ方けなし方には温かみがあり、評も解説もじつに的確で、ほれぼれします。いっぺんにファンになりました。

 

昨年の夏の番組で、作者の男性が誰だったかは忘れましたが、こんな句が出ました。お題は、屋外の水飲み場の蛇口の写真で一句。

 

  1000本ノック浴びし日のレモン水

 

高校生の時に野球部員だった作者が、夏休みの練習を思い出して詠んだとか。しごかれた後に飲んだレモン水がおいしかった。作者は青春を振り返ります。

 

それを夏井先生は、こう直しました。

 

  1000本ノック浴びし日のありレモン水

 

どう変わったかおわかりでしょうか。

高校時代のレモン水が、3文字増やしただけで、現在の手元のレモン水となりました。作者は今、それを味わいながら、そういえば高校生の頃……と、青春を振り返っているのです。


「レモン水」は夏の季語です。

先生は、「季語の鮮度を保つのも大事」と言われました。

つまり、昔の思い出だけをまとめたら、季語のレモン水はセピア色。でも、手元にあるレモン水は冷たくて酸っぱい。生唾ゴックンとなりそうなほど、フレッシュな季語となって光っている。

そこから思い出が手繰り寄せられて、時間的にも奥行きが出る句となるのですね。

 

エッセイも同じだと思いました。

例えば、子どもの頃の雷の思い出をつづったエッセイ。「蚊帳の真ん中に寝れば大丈夫だからと言われた」。今ごろになって、なぜこれを書くのか、その動機が知りたくなってきます。

「今日は午後から雷が鳴りだして、……」のような現在の視点から書いてあると、今の作者の不安感や恐怖感が、子どもの頃の思い出をよみがえらせたのだ、と納得がいきます。

 

このようなエッセイの定型として、まず、現在のことを書いて、過去にさかのぼって思い出をつづり、また現在に戻って終わる、というものがあります。この構成を、私たち仲間内では「サンドイッチ型」と呼んでいます。サンドイッチのように、過去を現在で挟むわけです。

時間の流れがわかりやすいように、時制が替わる部分に一行空けを使うといいですね。

現在(一行空け)過去(一行空け)現在

 

たった17文字の俳句と、600字でも2000字でも字数の調節可能なエッセイとは、まったく別の文芸だと思われがちですが、日本語を用いて、日本人の普遍的な感動を表現するという点では、同じではないでしょうか。

夏井先生の切れ味の良い講評を聴きながら、エッセイとの共通点を発見しては、そんな思いを強くしています。


▲私も勉強しています。

 


終戦記念日によせて2020年08月15日

 

75年前のこと。86日に広島、9日には長崎に原爆が落とされ、日本は15日に敗戦を迎えました。

8月は、戦争と平和について考え、のちの世代に平和の尊さをしっかりとつないでいく時期でもあります。

 

現在の日本も新型コロナウィルスと戦っているとはいえ、まったく異質の、人為的な長い戦争のなかで、300万人以上の犠牲者を出したという事実だけをみても、比べようもない愚かな戦いだったのです。

 

私は戦争を知らない世代ですが、先輩がたから多くのことを学びました。

辛い思い出を書き留めたエッセイも、たくさん読んできました。

「戦争体験を書いてください」とお願いもしてきました。


 

さて、先日89日の朝日新聞に掲載されたエッセイをご紹介します。

(クリックすると拡大します)



 

ご記憶の方もおいででしょう。私のエッセイ仲間、河崎啓一さんの投稿です。「感謝離」のエッセイが大反響を呼び、本まで出版してしまったという90歳の男性です。

 

掲載の翌日、彼から届いたメールは、こんなつぶやきで締めくくられていました。


「あの日を振り返ってみれば、私は中学2年生。叔父の出征を大喜びする軍国少年でした」


90歳の彼が今、かみしめている万感の思い……。深く静かに、私の胸にもしみてくるようでした。




 


自粛の日々につづるエッセイ:「空港ピアノ」2020年08月13日

 

外出自粛の日々は、期待したようには終わってくれない。また今月もいくつかの予定が消えていった。

猛暑の夕方は雷が鳴る。用心のためパソコンの電源を切り、テレビの前でアイロンかけを始めた。作業をしながら見るのはBSNHKの人気番組「空港ピアノ」の録画。

ステイホーム中にはコロナのニュースをよく見るようになった。そんな折、偶然出会ったのがこの番組だった。一度でとりこになり、それ以来、毎回録画している。当然、コロナ以前に作られた番組の再放送だ。



 

世界各地の空港のロビーや、駅や街角の一角に、ピアノが置かれる。小型の定点カメラが付いている。通りすがりの人たちが、足を止めては弾き始める。

画面のテロップで、曲名と作曲者や、演奏者の簡単なプロフィールが流れる。手短なインタビューのシーンもある。ピアノを奏でるのに国境はなく、老若男女、職業もさまざまだ。

演奏の合間には、その都市の映像と音ともに、歴史や特色などが字幕で紹介される。BGMもナレーションもない。

 

ある日の空港で、髭もじゃの男性が、つたない指遣いで「エリーゼのために」を弾いた。ピアノの勉強を始めて3か月。貧しかった子どもの頃にこの曲を聞いて、なんと美しいメロディだろう、いつか自分も弾いてみたい、と思っていた。ようやく夢に手が触れた。最近女の子が生まれ、エリーゼと名付けた、と語った。彼のエピソードは、まるで小説のように私の心に刻まれる。

 

自分にピアノを教えてくれた母は、10歳の時に亡くなった。ピアノを弾くと、母を感じる、とつぶやく若い女性もいた。

 

ほろ酔いで「男と女」を奏でる老婦人。

ときどきこの場所に来て練習するという近所に住む労働者。

幼いわが子を膝にのせて弾く母親もいれば、並んで連弾する恋人たちもいる。

コーラス隊を引っ提げて演奏を楽しむ先生、仲間とともにセッションを始めるミュージシャンたち……

 

プロのピアニストが、音楽は人生だと言う。

コンピューターのプログラマーが、音楽は言語だと言う。

若いカップルが、音楽は喜びだと笑う。

 

演奏が終わると、人々はまた旅を続けるために去っていく。

そして、ひとときの静けさをかき消すように、そこにあるがままの喧騒が聞こえてくる。行きかう足音、ロビーのカフェの物音、空港内に響くアナウンス、飛行機のエンジン音……。

 

画面のこちら側の私は、ふっと切なくなって、涙が込み上げる。外出自粛の日々だから、目を背けていたつもりだけれど、失われたものが何か気づいてしまった。

私は旅がしたい。あの場所に身を置いてみたいのだ、と。



渡辺えりさんのもう一つの言葉2020年07月24日


昨日のえりさんの記事で、もう一つ、心に響いたのは、次の一文でした。

 

マスクで表情の見えない時期だからこそ、言葉は前にもまして大事になってくる。

 

3日前のことが思い出されたのです。

仲間うちのエッセイの合評会に参加しました。アクリル板の仕切りもありませんから、皆マスクをしたままです。

合評会は、感想ばかりではなく、作品の気になる点を伝え、こんなふうに直してはいかが……と率直な意見を述べ合います。

そのとき、ふっと不安になりました。自分ではソフトな表情で伝えているつもりでも、口元を覆っていては相手に見えていないわけで、マイナスな印象を持たれていないだろうか。笑ってごまかすのは通用しない。その分、ついつい饒舌になっている気がしました。

 

同じことは、こうした書き言葉にも言えますね。

お互いに顔の見えない通信添削では、言葉を選び、言葉を尽くして伝えることに努めますが、それが本当に私の意図するとおりに伝わっているのかどうか。誤解されたり、まして読み手を傷つけたりしていないだろうか。いつも気がかりです。

 

先日の合評会では、じつはバッグの中にフェイスシールドを忍ばせていました。マスク以上に煩わしいので、結局付けずにすませましたが、やはり、これを付けてマスクを外せばよかった。今さらながらに思いました。

 

マスクをしていても、していなくても、言葉は大切です。

伝えたいことが、きちんと伝わるように、ときに表情の力を借りながらも、いつもその時その時にふさわしい、最善の言葉を選んでいきたいものですね。




自閉症児の母として(66):渡辺えりさんの言葉2020年07月23日

 

 

 

(写真はクリックすると拡大し、もう一度クリックすれば元に戻ります)


日の朝日新聞生活面に、「渡辺えりの心に残る ひととき」という特集が載っています。3ヵ月に一度の連載で、毎回3ヵ月分の「ひととき」投稿から、えりさんが数編を選んで、感想をつづる記事です。

今回4月から6月までの分で、以前ご紹介した私の投稿「ドアノブのマスク」も選ばれました。この投稿については、すでに記者による特集記事も載ったので、追跡取材はありません。

それでも、えりさんの激励の言葉が、彼女のガッツポーズの写真とともに胸にじんと来ました。

 

私と同じ年のひとみさん、良い友達がいて本当に良かったですね! 息子さんに頑張ってと伝えてください。

 

自他ともに認める泣き虫母の私。朝から涙、涙……でした。

 

本日の直木賞のゆくえは?2020年07月15日

 

本日は、静岡県浜松市のカルチャースクールでエッセイ講座の日でした。

ご多分に漏れず、新型コロナウイルスの感染防止のため、3月から休講になって4か月、ようやく再開する予定だったのですが、昨日になって急きょ延期となりました。ここ1週間ほど東京圏の感染者数増大が懸念され、関東からの方は、講師も受講者もご遠慮ください……というわけです。いたし方ありません。

 

まる一日の暇ができて、ふと思い立ったのが、私の好きな直木賞のこと。今日が今年上半期の直木賞作品選考の日。すでに午後2時から選考が始まっているそうです。

そこで勝手に予想してみました。

残念ながら、私がすでに読んだ候補作は1編だけ。遠田潤子著『銀花の蔵』。初ノミネートとはいっても、受賞しても不思議ではないすばらしい作品でした。

順当にいけば、ノミネート回数最多の馳星周著『少年と犬』でしょうか。

でも、私は犬が得意ではないので、それよりも今熱中している戦国時代が舞台の今村翔吾著『じんかん』を読んでみたい。

というわけで、この3作のうちのいずれかが、数時間の後、受賞の栄誉に輝くのではないだろうか。私の希望的推測に過ぎませんので、あしからず。





 

 

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