おススメのアニメ映画『未来のミライ』2018年08月15日


わが町で家族と過ごす夏休み第2弾です。

 

夫の第二の職場は、熱帯環境植物館。つまり、生き物相手の仕事なので、職員は一年365日、交代で彼らの世話をします。世間の人々と同じ日に、休暇をとれるとは限りません。

逆に長男は、世間並みに夏休みがあるので、半分だけでも一緒に休めるように、夫が調整します。そして、毎年行くことにしているのは映画。



 

今年は、細田守監督の『未来のミライ』を観ました。

じつは、夫の職場がクレジットされているのです。どうやら、植物館がモデルになっているシーンがあるらしい。そんな興味からみんなで見に行こうということになりました。

細田監督の前作『バケモノの子』がとてもよかったという友人もいたので、それなら、という期待もありました。その程度の予備知識だけで、出かけて行ったのです。

 

主人公のくんちゃん。まだ3歳か4歳ぐらいでしょうか。お母さんが二人目の子を出産して、退院してきます。

留守宅で、くんちゃんの世話をしているのは、若々しいおばあちゃんでした。お母さんの帰宅と同時に、おばあちゃんはひいおばあちゃんの介護もあるらしく、そそくさと帰って行ってしまいます。

さて、久しぶりに帰ってきたお母さんに甘えたいくんちゃん。でもお母さんは赤ちゃんにつきっきりで、お兄ちゃんのやきもちが始まります。大好きな鉄道のおもちゃを部屋中にぶちまけたり、食べるのにもわがままを言ったりして両親を困らせます。

ここで、お父さんは自分もがんばらなくては、とやさしい。(あら、どこかで聞いたような声。もしかして、星野源さんかな……??)

仕事に復帰するお母さんと、自分の仕事を自宅に持ちこんで、育児や家事をしょい込むお父さん。夫婦それぞれに、うまくいかない部分や気持ちのずれがあって、今どきの家族をリアルに描いているなあ、と思いました。

 

そんなある時、くんちゃんは、高校生になっている未来の妹、ミライちゃんに出会うのです。その場所が、熱帯植物園なのでした。ミントグリーンの色をしたヒスイカズラが、藤の花のように垂れ下がって咲いている美しいシーンです。

アニメお得意の、時空を超えた旅ではありますが、子どもたちにわかるのかなと、一瞬思いました。いえいえどうして、むしろ子どものほうが、柔かな脳みそで理解するのかもしれませんね。

タイムスリップの行き先は、時には過去。子どものころのお母さんや、戦後間もないひいおじいちゃんにも出会います。このひいおじいちゃんは言葉少なで、くんちゃんをバイクや馬に乗せてくれる、何ともかっこいい青年です。

くんちゃんは、彼らの様子を見たり、彼らの言葉をかみしめたりすることで、少しずつ成長していきます。

 

夏休み公開のこのアニメ映画は、家族連れをターゲットに、大人も子どもも楽しめる作品になっています。くんちゃんの年頃の子どもばかりではなく、若いお父さんもお母さんも、おじいちゃんおばあちゃんも、それぞれの視点から、家族のありようや、互いの気持ちを考えるきっかけになるのではないでしょうか。

猛暑の夏休み、涼しい映画館にこもってアニメを観るのも悪くないですね。

 


ところで、あとから映画の公式サイトをのぞいてみたら、やっぱりお父さんの声は、源ちゃんでした。

そして、お母さんは麻生久美子さんで、おばあちゃんは宮崎美子さんで……おやまあ、そう言われてみれば、キャラクターのお顔もよく似ていました。

ひいおじいちゃんの若かりし頃は、なんと!福山雅治さんではないですか。どうりでかっこいいと思いました。私にとって、彼の声は男性の美声ナンバーワン。いつも、カーナビの女性の声が気に入らなくて、「福山君みたいな声ならいいのに……」と独りごちているのです。それなのに、映画を見ながら、彼だとは気が付かなかったなんて。われながら、情けない。声ファン失格でしょうか……。



今日は終戦記念日です。

このひいおじいちゃんは、戦争で負傷したため、足を引きずるようにして歩きます。彼が戦死していたら、くんちゃんもミライちゃんも、この世には存在していなかった。この映画にそれ以上の押しつけがましさはありません。だからこそ、映画を見たら、平和の意味をお子さんと一緒に考えてほしい。くんちゃんのおばあちゃん世代の私は願っています。




▲ヒスイカズラの花。板橋区立熱帯環境植物館Facebookページから写真をお借りしました。

こちらは、花博記念公園のサイトからお借りしました。▼








ダイアリーエッセイ:野菜の収穫2018年08月12日

 

帰省する故郷を持たない私は、この時期、ちょっとさみしい。旅行の予定もないときはなおさら。でも、人の減ったわが町でのんびりするのも悪くないと思えるようになりました。

 

今年は、思いがけない楽しみが転がり込んできました。

同じマンションの友人夫妻が、10日間の旅に出るので、彼らが借りている畑の留守を預かることになったのです。

3日前に、下見に連れて行ってもらいました。子どもたちが通った小学校の近くで、「シェア畑」と書かれたのぼりがたくさん立っています。

23日前に収穫したばかりで、まだ赤ちゃんサイズのキュウリやナスがたくさんなっていました。


3日前のオクラ。ミルク色のやさしい花が咲いていました。実はまだまだ短い。


 

そして今日、夫と行ってみると、赤ちゃんたちは、あっという間に大きくなっていて、本当にびっくり。キュウリは3倍ほどの大きさです。



昨晩は雷雨がすごかったから、水やりの必要もありません。曇りがちな空の下、連日の猛暑もなく、収穫だけで作業はおしまい。

赤と緑の二種のオクラも、シシトウのように小さめのピーマンも、亀裂が入ったミニトマトも、スーパーの店先の野菜とは何もかも違う。無農薬と新鮮さが何よりのごちそうです。

バジルは、パチンと切るだけで強烈な香りが立ち上って、食欲もわいてきました。

「今夜はイタリアンね!」と、思わずわが家のシェフ(=夫)にオーダーしました。



 

 


訃報 津川雅彦さん2018年08月09日


 

俳優の津川雅彦さんが亡くなりました。

 

6年前の2012220日のブログ記事に、津川さんと一緒に撮った写真を載せています。

▼写真中央の銀色のパンツの男性が津川さんです。



 

ひょんなことから知り合った若い女性の友人に誘われて、東日本大震災の復興応援プロジェクトに参加しました。その大勢の仲間たちと、数回にわたる宮城県東松島市の物産展のお手伝いをさせてもらったのです。津川さんも、そのプロジェクトに協力をしてくれていました。

今でも、当時のボランティア仲間たちとは友人として繋がっています。縁もゆかりもなかった東松島にも、かけがえのない友達がたくさん出来ました。

2012年の物産展をお手伝いした体験は、私の大きな宝物となったのでした。

 

だからこそ、津川さんの訃報を聞いた時には、本当にショックでした。

 

6年前に実際にお目にかかった津川さんは、相変わらずダンディで、白いおひげもカッコよく見えるほど、はつらつとしていました。少し前までおばさまたちを虜にする色男の代表格だったのですから。

ところが、愛妻家で知られる津川さんだからこそ、今年4月に朝丘雪路さんが亡くなった時にはすっかり悲しみに打ちひしがれた様子で、ご自身も肺を患っているとか、鼻からチューブを入れた痛々しい姿でした。

6年前との変わりように、大丈夫なのだろうかと心配になったものでした。

 

亡くなる当日まで、食欲もあり、仕事にも意欲的だったそうです。

さみしがり屋の奥様が呼ぶ声が聞こえて、ふっとそちらに行きたくなってしまったのかもしれませんね。

ご冥福をお祈りいたします。




旅のフォトエッセイPortugal 2018(8)聖地ファティマへ2018年07月28日

 


 ポルトガルに行くと決まったら、ファティマに何としても行きたいと思った。バチカンお墨付きのカトリックの聖地である。

 

 わが家は、父方の叔母が若い頃にカトリックの洗礼を受け、祖父母の代から親族みなクリスチャンになった。私たちの代はほとんど幼児洗礼だ。しかしと言うか、だからと言うか、熱心な信者とは言いがたい。それでも、仏壇も神棚もない家には、十字架やマリア様の絵がどの部屋にもあった。両親のしつけの根っこには、道徳のようにキリストの教えがあったようだ。

 子どもの頃は教会学校に通わされた。高校生になると、教会で出会う友達も増え、神父様とも仲良くなり、教会は楽しい場所になる。信仰の厳しさもないまま大人になり、苦しいときの神頼みはカトリックの神様にお任せ。クリスチャンだと名乗るのも申し訳ないお気楽な信者だった。

 私が20代後半の頃、当時の教皇ヨハネ・パウロⅡ世が来日する。「空飛ぶ聖座」という異名をとる行動的な教皇だ。2月の小雪が舞う日の午後、東京ドームが出来る前の後楽園球場で野外ミサが行われた。オープンカーで場内を回る教皇に、私たちが「パパさまぁ!」と手を振ると、人懐こい笑顔でこたえてくれて、カリスマ的なアイドルのようだった。 


 

 最近になって、聖地ファティマについて調べてみて、驚いた。この教皇に深い関わりがあることがわかったのである。

 ファティマは、ポルトガル中部に位置する小さな村だった。村の信心深い羊番の子どもたち3人の前に、あるとき聖母マリアが出現した。何回か現れては予言を行い、奇跡を行ったという。大昔の話ではない。時代はほんの1世紀前、第一次世界大戦のさなかのこと。聖母は戦争の終わりを予言する。さらに、教皇の暗殺をも予言した。

 それから64年後の1981年、予言どおりに時の教皇がバチカンで銃撃されるという事件が起きた。その方こそ、ほかでもないヨハネ・パウロⅡ世だった。幸いにも一命を取り留めた教皇は、「聖母のご加護のおかげ」と感謝してファティマを訪れる。暗殺未遂が起きたのは、来日した3ヵ月後の513日。それはファティマの聖母出現の記念日だったのである。

 

 


▲ファティマの街に入ると、マリア様と出会った3人の子どもの像がありました。(小さくてわかりにくいですが、ポールの右側に羊を連れています)







▲十字架を頂く高い塔がそびえるファティマのバジリカは、半円を描くように両側に回廊が伸びている。その屋根には大天使や聖人たちの像が並ぶ。バチカンのサンピエトロ大聖堂を模して造られたそうで、なるほどと思った。

▼バジリカの聖堂内部。



 

 その前には競技場のように広大な広場があり、祭礼の日には10万人もの巡礼者がここを埋め尽くすという。でも、私たちが訪れたその日は、三々五々と人がいるだけで、閑散としていた。




▲バジリカから見て右手、聖母が現れた場所に建てられた「出現の聖堂」がある。ガラス張りの開放的な造りだ。そこには、カボチャ型の王冠を頭に載せた聖母像が、やさしげな表情で小首をかしげて佇んでいる。


▼(写真が撮れなかったので、買ってきた本のページを写したものです)




 大小のろうそくをささげる場所があり、娘と二人で火をともす。▼ 




 バジリカを背にして広場を歩き始める。緩い上り坂だ。遠方からもバジリカの祭壇が見えるようにという工夫なのだろう。

 途中、ヨハネ・パウロ二世の大きな石像があった。パパさま、お久しぶりです。▼

 



▲巡礼者の中には、白い道をひざまずいて祈りながら歩を進める人もいる。



 広場の向かい側には、10年前に建てられた近代的な教会「聖三位一体教会」がある。内部にいくつもの聖堂があり、一日中どこかでミサが行われるそうで、覗いてみると、どの聖堂にも祈る人々がいた。

 残念ながらミサにあずかる時間はなかったが、聖堂に入って祈りをささげた。障害を持つ長男や、道に迷う次男、生きがいをなくした高齢の母、そして、わが身の来し方行く末のこと……。こんなに真剣に祈ったことがあったろうか。私はこのファティマの地で、巡礼者の一人に過ぎなかった。

 

 

 ふたたび広場に戻り、バジリカを仰ぎ見る。もう夕刻だというのに暖かく、冬の西日がベージュ色のバジリカを照らし、浮かび上がらせている。その背景には、澄んだ青空に白い雲がたなびいていた。なんという清らかな世界だろう。

「神様が近くにいるような気がするわ」

 私が呟くと、

「気持ちいいね」と、言葉少なに娘が答えた。

 

 そのとき、鐘の音が聞こえてきた。四時を告げる鐘だ。なぜか私は、そのメロディを一緒に口ずさんでいた。

「アベ、アベ、アベマリアー……」

 ああ、子どもの頃に習った歌だ。こんな遠い場所で、懐かしい歌を歌うなんて……。ここにやって来たのも、あの頃の神様に呼ばれたのかもしれない。

 途中から胸がいっぱいになって、歌えなくなった。






「半端ないって」どう思う?2018年06月30日


サッカーワールドカップ、盛り上がってきました。

わが家もご多分にもれず、今週は寝不足状態が続いています。長男は職場で居眠りして、厳重注意のイエローカードをもらってしまいました。

(その母である私は、朝食後こっそり朝寝をしたなどと、口が裂けても言えません)




 

コロンビア戦で勝ち越し点を決めた大迫選手をたたえるあのフレーズ、

「大迫、半端ないって!」

が、私たちエッセイ仲間で、話題になっています。

どうしても気持ち悪いという人が多い。言葉遣いの問題です。

え、何が問題?と思う方は、きっとお若いのでしょう。

本来は、「半端ではない」というべきです。

話し言葉だとしても、「半端じゃない」となりますね。

それが、若い世代で簡略化されて、「半端ない」となった。

私個人としては、若ぶっているわけではないけれど、会話では使っていたような気がします。

 

現時点でも、今年の流行語大賞の有力候補となっているようですから、この先の決勝トーナメントでも大迫選手の活躍に合わせて、「半端ない!」が市民権を得る日が来るかもしれませんね。

言葉は、時代の流れの中で変容する生き物です。進化するか退化するかは、私たち現代人の使い方にかかっています。大切に育てなければなりません。

 

ところで、海外メディアでも大迫選手をめぐる「hampanai」という褒め言葉を紹介しているそうです。英訳すれば、awesomeincredible、つまり、すごい、すごくいい、というわけです。

かつて、「もったいない」がエコを象徴する言葉として世界に紹介されたように、こちらも海外進出するのでしょうか。

 

日本代表チームの健闘ぶりはもちろん、この言葉にも注目していきたいと思っています。



 

▲二子玉川駅の近くに並んでいた厚さ3センチの選手たち。 


がんばれ、ニッポン!!






 

 

 


自閉症児の母として(49):NHKさん、どーも!2018年06月10日




息子は、子どものころから、NHKのテレビ情報誌「週刊ステラ」を毎週欠かさず買っている。おそらく、「みんなのうた」や「おかあさんといっしょ」の番組からの興味で、創刊号から買い始めたのだと記憶する。



ちなみに、何歳から買っているのか、息子に聞いてみた。

4歳かな~」

ウィキペディアで調べてみた。創刊は1990523日。確かに彼は4歳だった。今から28年前である。ざっと数えても、年に約50回発行されるから、創刊号から1400冊ほどを購読してきた計算になる。

NHKから表彰されてもいいのでは、と思う。

 

いつ頃からだったか、クロスワードパズルが掲載されていて、息子はマス目を埋めるようになる。とはいえ一人では完成できず、週末には家にいる娘が、よく助け舟を出していた。

3年前の夏、娘が家を離れた翌週から、その役目が私に回ってきた。息子が自分で書きこんだ部分を見ると、難しい四文字熟語を答えていたり、流行りの言葉を知っていたり、と思えば、ヒントのやさしい漢字が読めなかったりと、彼の知識の偏りがおもしろい。

すべてが埋まったところで、指定されたマスの文字を拾ってクイズの答えがわかると、「できたー!」と満足するのだった。

 

そのパズルが、この4月から、ナンバープレースに替わってしまった。数独のクイズである。私はクロスワードのほうが断然好きだ。語彙がひらめくと自己満足に浸れる。数独は、時間をかけて解いていけば、かならず正解にたどり着けるはずだ、と高をくくっていた。

仕方がない、息子に付き合おう。彼こそ数字には強いから、解き方のコツさえ覚えれば、すぐに一人で解けるようになるだろう。

案の定、初回からルールを飲み込んだ。9つの四角の中と、縦と横の列の中に9つの数字がダブらないこと。それだけだ。

そのうちに、私より先に答えを書き込むようになり、やがて何回目かにはほぼ一人で仕上げてしまった。ナンプレ自立である。



ふと見ると、

「正解者の中から抽選で3人に、以下のプレゼントを差し上げます」

おなじみの文句が目に入った。せっかくだから、初応募してみようか。

「西郷どん どーもくん手ぬぐい」だって、いいじゃない。

はがきに、住所・氏名・年齢など必要項目を書かせて、投函する。

 

そして1ヵ月が過ぎた今日になって、届いたのである。

NHKステラと書かれた、ふにゃふにゃした分厚い封筒が。

 

Congratulations モト様!

厳選の結果、貴方様が当選されました。

 

ステラの誌上発表によれば、当選倍率67倍とある。私はそのあたりの規約には詳しくないのだが、ひょっとしたら、抽選ではなく、特別に選んでもらったのではないか、と密かに思った。

応募はがきの項目の最後は、「本誌へのご意見・ご感想など」だった。そこに、ステラと息子の28年の歴史を、母の手で書き込んだのである。

それを読んだ編集部の方が、一人の障害者を応援してくれた。いや、長年の購読者への感謝の気持ちかもしれない。

いずれにしても、私は素直にうれしい。私たち親子を支えてくれる人に、また出会えた。息子のことでメソメソしてばかりの近ごろの私には、何よりの励ましのプレゼントだった。

 

NHKさんどーも!


 

やったね、モト君!





 

 



自閉症児の母として(48):リラックスしようか、モト君。2018年06月05日



息子は、いろいろと課題を抱えながらも、がんばっています。職場の支援員の方がた、神経科のドクター、子どものころからお世話になっている自閉症専門の先生がた……。本当にたくさんの人々に支えられて、自立に向けて歩んでいます。

 

1年前から、「桜の風」という支援施設で月に一度、1泊体験を続けてきました。さらに、半年前からはもう一つ別の施設でも宿泊体験を始めています。

グループホームの一部屋を提供してもらい、そこから職場に通うという、息子にとっては新しい体験です。

ホームから最寄りのバス停まで徒歩10分、住宅街を歩きます。まったく初めての土地なので、事前に何回か一緒に往復して、道を覚えさせるところから始めました。2回目の時は、曲がる角をまっすぐ行こうとして、ちょっと心配でしたが、それでも数回で覚えてくれました。

次は、職場からバス停まで歩く。これも10分以上かかります。でもそこは、いつも勝手知ったる隣町。途中からは私が後ろからついて歩いていることも忘れて、どんどんスピードを上げて先に行ってしまいました。

ようやく歩道橋で追いつき、上りかけた息子に声をかけると、振り向いて笑った。ああ、一緒にいたの忘れてたよー、という顔で。

ちょっぴり寂しい気がしたけれど、ほっとした瞬間でもありました。もうこの子は大丈夫、と。


 


そして、今月からは、2泊することにしました。大きなリュックにバスタオルや着替え、ゲーム機に攻略本などなど、ずしりと重い荷物を詰め込みます。この準備も、ほとんど自分でそろえる。前回忘れたものはきちんと覚えていて、言われなくても、てきぱきと荷造りをする。もうすっかり身辺自立はできているようです。

 

今朝、明日の雨に備えて、大きめの折り畳み傘をリュックに入れて、出勤していきました。夕方、仕事帰りにホームへ直行。23日の体験です。


 

息子が出かけて行ったあと、ふと気が付くと、トースターの中に、焼けたままのピザトーストが残っていました。

彼の毎日の朝食は、たいてい自分でピザトーストを作って食べます。トーストのほかにも、いろいろな種類のパン、果物、ヨーグルトなど、日によって私が用意したもの、昨晩の残りものなど、眠気覚ましのコーヒーとともに、たくさん食べるのです。

今朝も、ピザトーストを焼いている間に、シナモンロールとチーズ塩パン、デコポンを食べていましたが、それで満足してしまったとは思えません。

おそらく、忘れてしまうほど、緊張していたのでしょう。

そう思うと、母の胸はせつなくなります。

 

一見、何でもないように見えても、どれほどの緊張を感じていることか。その分かりにくさも自閉症の一つの特徴です。そして、それをストレスとして自覚できず、したがって自分でストレスを発散することも難しい。

そんなことも、つい先日、自閉症に詳しい先生から、改めて教わりました。なるほどと思います。


23日の宿泊体験が終わったら、きっと緊張の連続で疲れて帰ってくることだろう。どんな方法で、彼の緊張を解いてあげよう。何が、息子の気晴らしになるのだろうか……。

31歳の自閉症者の母として、新たな課題でもあるのです。



 

 



自閉症児の母として(47):母の日に惑う2018年05月15日



おとといの母の日、自閉症の長男が、カーネーションを買ってきてくれました。例年なら夫がいて、二人で花屋に出かけていましたが、今年の母の日は夫が出勤で不在。息子は当然のように、一人で花屋へ行ってきました。

こんなことは初めてです。成長と言えるのかもしれません。




でもそれは、母親に対する感謝の気持ちというよりも、自閉症特有の「カレンダーどおりにイベントを行う。いつもと同じことをする」というこだわりの表れではないのか、とも思います。

本来なら、涙ながらに喜ぶはずのこの母親、手放しでは喜べず、複雑な心境です。 

 

最近、息子のことで、大きな壁にぶち当たっています。31年間に及ぶ彼の子育て史上、最大の難問といっても過言ではないでしょう。

今は書けません。いつの日か、穏やかに振り返って書けるときが来たら、書くつもりです。

 

あ、たったこれだけのことを書いただけで、人の十倍泣き虫な私は、またも涙……。泣いても笑っても、私は彼の母親です。愛情こめて、育ててきました。そしてこれから先もずっと。

 

モト君、きれいなカーネーションをありがとう。

 




ダイアリーエッセイ:みどりの日に2018年05月05日


みどりの日に、子どもたちと出かけたのは、偶然にも熱帯環境植物館でした。東京都板橋区立の建物です。



 

ガラス張りの天井の下、うっそうと茂る熱帯の植物たちが、枝を伸ばしています。鮮やかな赤やピンクの花。珍しい色や形や大きさの実。見ていて飽きません。



▲ひときわ目立つ真っ赤なハイビスカス。


ハワイのレイなどでもおなじみのプルメリア。甘い香りが漂います。▼  






▲パイナップルのようなタコノキの実。メッセージがほほえましい。▼




▲名前は忘れましたが、大きな実になるそうです。今はちょうど5歳児の頭ぐらいでしょうか。……と思って見ていたら、後ろから家族とやって来た男の子がマルコメクンそっくりの、きれいに剃り上げた頭をしていて、この実と並ぶと双子のようでした。シャッターチャンスを逃したのが残念です!


種の内側に、ペンキを塗ったのではありません。自然の色だそうで、その美しいブルーにびっくり! タビビトノキの種です。▼



 

▲「むっちゃん!」と呼ぶと、こちらを見上げてにじり寄ってくる。かわいい。洗面器ほどの大きさです。何歳ぐらいかしら。

「そりゃあお母さんより若いでしょう」と娘。え??


植物館の一角には、ミニ水族館もあって、青いクラゲがぷかぷかと水中を転げ回っていたり、大きなエイが白いおなかを見せて泳いでいたり、熱帯魚の群れが所狭しと動き回っていたりします。




 

種を明かせば、この植物館こそ、夫の第二の職場です。定年後、ハローワークの学校に通って造園業を学び、ここに就職。月に15日だけ出勤するアルバイトです。

自宅からは片道1時間半ほど。真冬は暗いうちに家を出ます。生き物相手なので、365日休みなし。交代制ですから元旦に出勤することもあります。

それでも、いつも嫌な顔一つせず、本当に楽しそうに働いています。

昨日、初めて職場訪問をしてみて、その理由が分かった気がしました。

 

マイナスイオンをたくさん浴びて、花や魚に癒されて……。とてもいいひと時でした。明日も来たい。私でさえそんな気持ちになったのでした。

  


マレーシア人の画家の絵だそうです。引き込まれるように綺麗な絵でした。





旅のフォトエッセイPortugal 2018(7)飲んで食べて……2018年04月14日




「ポルトガル料理は美味しい」

かねてから耳にしていたので、朝食を楽しみにしていた。時差ぼけのおかげで早起きができ、ゆっくり支度をして地下のダイニングルームに降りていく。

中央のテーブルには、日本のホテルでもおなじみの料理が並んでいた。



その中でも目を引いたのは、分厚いスモークサーモン、真っ黒なソーセージ、ブラウンマッシュルームのバジルソテー。黒いソーセージはイカ墨ではなく、クミンシードの味がしてエスニック風、病みつきになりそうな美味しさだ。帰りの空港の売店にも置いてあったので買いたかったけれど、検閲で引っかかると面倒なので諦めた。

オレンジやトマトのジュースは素材の味が濃厚でフレッシュだ。種類豊富な果物もチーズもしかり。




そして、何といっても、ポルトガル名物エッグタルト。▲

出来立ての絶妙なおいしさと言ったらない。パリパリのパイ生地に、とろりと甘いカスタードクリーム。期待以上だった。


飲み物のテーブルの端に、冷えたボトルを見つけてしまった。スパークリングワインだ。誰に気兼ねすることもない。遠慮なくシャンパングラスについでもらう。

「朝シャンで乾杯!」

すっきりさわやかな味が、意外と朝食に向いている気がする。まるでワインバーのような料理のかずかずとも相性抜群だ。

「養命酒の代わりになるわ」

私は最近、毎回食前に養命酒を飲むようになって、効能書きどおりに少しだけ体調が良くなった気がする。とはいえ、1リットル瓶を持ってくるわけにもいかなかった。

滞在中、毎日の朝シャンは、養命酒以上の効き目で、元気の源となってくれたようだ。石畳の坂道を娘と対等に歩き、夜はぐっすり眠り、疲れ知らずだった。日本から持参した栄養ドリンクも胃薬も頭痛薬も導眠剤も、いっさいお世話にならずにすんだのである。


下の2枚の写真は、リスボンのホテルの朝食。こちらはさらに、柔らかくてジューシーなローストビーフが逸品!




それだけではない。毎朝たいてい一番乗りでテーブルに着き、まずは乾杯に始まって、料理をおかわりしてはたっぷりと食べ、滑らかになった舌で、娘とたくさんおしゃべりをした。結婚2年目のふたりのこと、兄弟のこと、仕事のあれこれ、今後の旅行の予定など、話は尽きなかった。ふだんは、忙しい娘となかなか話すチャンスも作れないのである。

朝シャンのおかげで、思いがけずいい時間を過ごせた。



 

ポルトに2泊した後、市東部のカンパニャン駅から特急列車で3時間、リスボンに移動した。


さすがに首都リスボンは都会だ。観光客も多い。狭い坂道を行き来する人気のトラム28番に乗りたかったのに、乗り場で待てど暮らせどやって来ない。ストライキでもやっているのか、それとも平日は間引き運転なのか。


カモインズ広場を横切るレールの脇、ここにもマクドナルドがあった。


午後3時を回ると、がっつり食べた朝食も消化されて、おなかが空いてきた。ガイドブックに載っていたオシャレなカフェに入る。


▼カフェ・ノ・シアードは、店先をトラムが走っている。風が冷たかったので、テラス席はやめて、店内へ。

初老の男性がゆったりワイングラスを傾けていたり、若いグループが食事をしたりしている。



「ポルトガル人も合コンするのね」と娘。いかにもそんな雰囲気が……。



▲英語のメニューを見てオーダーしたのは、干しダラとキャベツと玉ねぎを混ぜた卵とじ。タルタルステーキの形に整えて、黒オリーブと細いフライドポテトがトッピングしてある。見た目よし、味もよし。

干しダラはバッカリャウと呼ばれ、ポルトガル料理の定番食材だそうで、塩味とタラのうまみが日本人の口に合う。もちろんワインとも合う。


小さなコロッケは、牛肉のミンチ。


 

さてデザート。メニューに「伝統的なお菓子」と書いてある。ウェイトレスにこれは何、と尋ねた。卵と砂糖と小麦粉で作る。とてもおいしい、私も好きだと、拙い英語ながら、熱心に薦めてくれたので、一つ頼んでみる。



運ばれてきたのは、厚めのパンケーキのような焼き菓子だった。真ん中は色が濃く、へこんでいる。ふたりで半分ずつ。ひと口食べると、ああ、カステラの味がする。濃い部分は、しっとりと甘くてほろ苦くて、おいしい! 

ちょうど、カステラの紙にくっついてしまう焦げ茶色の部分の、あの味だ。

子どもの頃、到来物の細長いカステラを、家族で切り分けて食べた。ここが一番おいしいんだよね、と言いながら、紙に付いたのをスプーンでこそげ取って食べたっけ……。


「ポルトガルってなぜか懐かしいのよ」

そう言った友達の言葉が浮かんできて、急に涙が出そうになった。


 




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