オススメの本:石井健介著『見えない世界で見えてきたこと』 ― 2025年12月12日

この本を知ったのは、朝日新聞の読書欄に連載される「著者に会いたい」というコラムでした。
「ある朝、目を覚ましたら目が見えなくなっていた」
それは、映画や小説ではなく、著者の石井さんの身に起きたことです。彼はその日まで健康に過ごしてきた30代の男性。彼がつづったエッセイ集だというので、読んでみたいと思い、図書館で借りて読みました。
石井さんは、はじめは絶望の淵で泣き続けても、やがて自分を客観的に見つめるようになるのです。その心の動きを的確な言葉で表現しているので、エッセイとしても光っている。不条理な運命を嘆きながらも、自分を受け入れます。
さらに、新しい世界に飛び込んだようなワクワク感さえ抱きながら、生きるすべを、生きる場所を作り上げていく。
すごい人だと思いました。
あえて言わせてもらえば、私も障害児の母として、同じ社会的少数派です。その立場からも、共感しました。もちろん、彼とは違いが大きすぎるけれど、こういうとらえ方をして、価値観を見出して行けばいいのだ、と何度も膝を打ちました。石井さんの見えない目で見たことを読み、私は見える目からうろこがぽろぽろと落ちました。
石井さんは、その自身の名前から、みずからの行動を、石が転がるイメージで表現しています。私自身にも石を渡っていくイメージがある。そんな共通点も見つけて楽しめました。
そして、彼の自己肯定感や、適応能力の高さには驚かされます。そんな石井さんだからこそ、神様は彼を選んでこの病を与えたのだろうとさえ思えたのでした。
抽象的な推薦の文章です。あえて、具体的な本の内容、エピソードには触れていません。ぜひ、この本を手に取って、彼の言葉で、彼の文章で、この本の価値を感じていただきたいと思うので。
ちなみに、私がこの本を読むきっかけとなった新聞のコラムを書いた記者は、2020年5月に、わが家にやって来て取材をし、記事を書いてくれた田中陽子さんでした。本を読み終わって新聞記事を読みなおし、初めて気がついたのでした。
(2020年05月27日)
ゴッホの「夜のカフェテラス」を見てきました! ― 2025年11月22日

今年8月4日の記事、「南フランスの旅のフォトエッセイ:⑳ゴッホの地で」の中で、この絵のことを書きました。
晩年のゴッホが暮らした地を訪れたことをアップしようと思っていた矢先に、思いがけないニュースに出合ったのです。
「夜のカフェテラス」
「アルルの跳ね橋」
オランダのクレラー・ミュラー美術館が所蔵するゴッホの代表作であるこの2点が、「大ゴッホ展」と称して2025年から28年にかけて、神戸、福島、東京の順に、日本国内を巡回するということでした。

現在、「大ゴッホ展」は9月20日から神戸市立博物館で始まっており、その「夜のカフェテラス」も公開されています。
今月、大阪に出向く用事があったので、そのついでに神戸元町まで足を延ばしました。来年5月の東京開催を待たずに、一足早くこの絵を見るために。
そこで、昨年のプロヴァンスの旅の話に戻ります。
ヴィラモンローズのご主人ダヴィッドさんには、自家用車でプライベートツアーもお願いしていました。目的のひとつは、ゴッホが暮らした場所、アルルに連れて行ってもらうこと。
ゴッホは1988年に、パリからアルルに移り住みました。
「この地は、明るい日差しが降り注いで、まるで日本のようだ」
そう言って喜んだのでした。まだ訪ねたこともない日本なのに、浮世絵などの美術作品から強い印象を受けていたのでしょう。
確かにプロヴァンスの日差しは強烈。湿気の多い日本の日差しとは少し違うように感じますが、冬は寒くて暗い天気が続くパリからやってくれば、その明るさだけでも解放されたような心地になったにちがいないと想像できます。
ゴッホはクリスチャンとしての信仰も厚く、繊細で、人との交わりが上手ではなかった彼は、少しずつ精神を病んでいきました。それでも、弟テオのような数少ない理解者の支援を受けて、貧しい暮らしの中、多くの作品を生み出していったのでした。
現在もアルルのフォルム広場にあるカフェは、修復されて、ゴッホが絵に描いた当時のように復元されている、と聞いていたし、照明の下で賑わう写真も見たことがあるのです。そこに案内してもらうのを楽しみにしていました。
ところが、行ってみると、店は閉じられたまま、放置されていました。
ダヴィッドさんの話では、店はひと儲けしようとたくらんだ人たちの手から手に渡り、今は営業停止状態だとのこと。国家の大切な遺産として、なぜきちんと保存に努めないのか、と彼も憤慨していました。私も同感でした。
憧れてきたカフェは、よこしまな人たちの思いが通り過ぎた跡地のようで、がっかりでした。

さらに、ネットでいろいろと調べてみたところ、ゴッホが描いた実在したカフェは、第二次世界大戦で破壊されたという説がありました。
その後、2000年代の初めに、ゴッホの代表作を基に、店を再現しようと企てる実業家たちが現れる。店は、「カフェ・ラ・ニュイ(夜のカフェ)」として、現在の広場に生まれ変わった。ゴッホの絵を細部まで再現したカフェは、ユネスコの世界遺産にも登録されて、観光客で賑わったらしい。
しかし、経営者たちの脱税行為が明らかになり、処分を受け、営業停止になるという残念な結末を迎えたということでした。
ゴッホの描いたカフェが、その後にたどった運命を想うと、複雑な思いにかられます。それでも、とにかく絵を見てみよう、そう決心して神戸へ、市立博物館の展示室へと向かいまいした。
▼神戸市立博物館の玄関前には、開場時刻の1時間前から行列が。

思ったよりも小さな絵です。
電燈の明るみを黄色で表し、テラスの壁も天井も、きらめくように黄色い。そこへやって来る人たちも、すでにテーブルを囲んでいる客たちも、白い衣装のウェイターを中心に、細かく生き生きと描き込まれています。
濃紺の空には、星々。まるで青白い花びらを付けたように描かれているのは、星の瞬きを表現したかったのでしょうか。

もっと見たい。いつまでも見ていたい。
……と思うのですが、開館前から大勢の人が並んで待っていたのです。この絵の前のスペースには、写真を撮る人、鑑賞する人の位置がロープで区切られ、移動を強いられます。写真を撮った後は、何度も場所を往復して、鑑賞しました。
絵を見ているうちに、後年このカフェを再現したいと思った人の気持ちがわかるような気がしました。
ゴッホは、フォルム広場にイーゼルを立て、夜の闇の中で、この絵を描いたそうです。妹への手紙にも、「夜の絵を現場で描くのはとても楽しい。現場で直接描いてよかった」と書いているとか。
その楽しさが、絵を見る人にも伝わってくるのでしょう。
この絵を見ていると、昨年の旅の途中、忘れられた祭りの跡のようなカフェの前にたたずんで、寂しい歯がゆい思いに浸ったことをいやおうにも思い出していました。
と同時に、確かにあの場所は、この絵を模したものだったと感じます。
この絵を愛した人たちが、オマージュのようにあのカフェを作ったのではないか。あれは、ゴッホが見つめた本物ではない。逆に、このゴッホの絵を見つめた人々の思いが結晶している。ゴッホの絵の力、名作の力が働いている。それだけで十分なのでは。
ゴッホの楽しさがこの絵に込められて、それを見た多くの人を幸せにして、後世に名作として残されていく。名作はこの絵であり、この絵こそが真実。それだけで十分なのではないか。
東京からはるばる関西に赴いて、自分なりの結論が出せました。
1年前のもやもや気分はようやく消え去り、カフェテラスの黄色い輝きに満たされたような気分になっていました。



★ちなみに、「アルルの跳ね橋」が日本にやって来るのは、2027年6月。また神戸から巡回するそうです。
中国の旅のエッセイ:「本場で食べてみた」 ― 2025年11月14日
エッセイの勉強会で、「ラーメン」とうテーマが出ました。
本場中国から帰って来たばかりで、書かないわけにはいかないでしょ……と、腕まくりしたエッセイです。

本場で食べてみた
5年前から中国の上海に単身赴任していた娘が、ようやく転勤することになった。
「10月1日からの国慶節が最後だから、一緒に旅行しない?」と誘ってくれた。
昨年の11月にも夫と上海の娘を訪ねている。まったく言葉の通じない中国で、右も左もわからない2人のために、娘は休みをとり、5日間の計画を立てて、連れ歩いてくれた。初中国は予想どおり何もかも刺激的だった。
中国料理は大いに期待していった。娘がたくさんの情報を集めては、ここぞという店に出かける。ちょうどシーズンだった上海蟹に始まって、北京ダック、ちょっと高級な広東料理から庶民の朝食の小籠包まで、ひとつとしてハズレはなく、大満足だった。
さて、今年は何を食べようか。去年食べ逃したものに、麺類がある。
「今度こそ本場のラーメンを食べよう」と、麺キチの夫もうれしそうだ。
着いた翌日は、上海から新幹線で小1時間の蘇州へ出かけた。どこもかしこも聞きしに勝る中国国慶節の混雑に出合う。今頃日本にも中国人観光客があふれていることだろう。
ここには有名な蘇州麺がある。古い街道沿いに何軒も店が並ぶ。老舗風の店に入った。テーブルには、皿やコップ、箸などを一人分ずつラップに包んで置いてある。これも70円ほどの料金がかかるのだ。
さっそく娘がメニューを読み解き、麺とトッピングを適当に選んでくれた。運ばれてきた麺は、日本のラーメンのように縮れてはいない。まっすぐな麺の束を丸めた形で丼に入れてある。野菜炒めとカニの卵とじを麺にのせ、さらに別添えのスープをかけていただく。
こちらの箸は先端でも五ミリほどの太さがあって、扱いにくい。1杯の麺を娘と2人で分けようとしたけれど、ひと苦労だった。
私は顎関節炎になって以来、硬い物が食べにくくなった。しこしこした麺の歯ごたえは苦手だが、この蘇州麺は食べやすい。
「ラーメンとそうめんを足して2で割ったような食感ね」
スープも辛くない。どろっとしたカニみそ風のトッピングもおいしかった。
記念に持ち帰った赤い箸袋の裏面には「一人一箸・健康新理念」と書いてある。「食器は消毒済みですので、安心してお使いください」とも。コロナ禍の教訓なのかもしれない。


▲水郷のある蘇州の街並み。赤い提灯が映える。
そして上海を去る日にも、空港内の有名チェーン店で最後の麺を味わった。娘の一押しの牛肉麺だ。これは、蒸した牛肉の薄切りが何枚も麺の上にのっていて、さらに好みでパクチーをどさっと入れる。蘇州麺の教訓から、1人1丼にした。
はて、箸がない。店の人に尋ねてみて気づいた。テーブルの下に、学習机のように引き出しがある。開けると、何本もの箸がむき出しのままケースに入っていた。一瞬だけ衛生面が気になったけれど、中国も2度目ともなれば、「まあいっか」と食べてしまえる。
ほど良い辛さと、お肉のだしのまろやかさ。これでほぼ600円なりの安さにも感激。
さすがは中国3000年の味でした。


▲牛肉麺を食べた陳香貴という店舗。上海の浦東国際空港内にある。

旅のエッセイ:「ランスを訪ねて 後編」& ランスのフォトアルバム ― 2025年11月01日
ランスを訪ねて 後編

フジタ礼拝堂は、小さな一軒家ぐらいの大きさの石造りの建物で、正面の玄関の真上に、ふたつの鐘と、てっぺんには風見鶏がついている。なんともかわいらしい。内部に椅子などはなく、四方の壁に、目の高さから天井まで、びっしりと壁画が描かれていた。
キリストの生涯をモチーフにしたフレスコ画で、つややかに光を放っている。衣のひだも、人々の表情も、生き生きとこまやかな描写だ。
十字架上のキリストに祈りをささげる群衆の中に、メガネの自画像が描き込まれているのを見つけた時、なぜか涙が出そうになった。彼はこの地下に埋葬されているのだ。
予想をはるかに超えたすばらしさ。ずっと見続けていたい。そう思いながらも、どこか現実感がない。この地を訪れたいとずっと思い続けて、ようやくその夢がかなったのに、まさに夢の中にいるような気がした。

▲キリストの生誕

▲シャンパンの生産地にふさわしく、ブドウの房を持ち、ブドウの樽に腰掛ける聖母とキリスト。背景にはぶどう畑や大聖堂が見える。聖母が樽の上に腰掛けるという構図を描くにあたって、彼はきちんと教皇の許可を得たといわれている。

▲最後の晩餐。この絵が描かれたドームの下に、1968年に亡くなった藤田とともに、2009年に亡くなった妻も眠っている。

▲キリストの磔刑図、その群衆の一人として、自身の姿が描かれている。
刺激に満ちた一日だった。暑さのせいもあり、帰りの車内ではうとうとしているうちにパリに着いた。ホテルの部屋に戻った時、はっとした。かぶっていた帽子がない。車の中に置き忘れたのだろうと思い、サトカさんにメールをした。
ところが、車内にもないという。彼女は翌朝すぐに、最後に訪問した礼拝堂に連絡してくれて、そこに置いてきたことがわかった。入口脇のデスクでパソコンに向かう男性がいた。彼が職員なのだろう。「こちらで保管しておきます」とのこと。私はすでにパリをたって南仏に来ている。取りに行くのは無理だし、送ってもらうほどの物でもない。カンカン帽の形で、ぐるりとリボンがついたベージュ色の麦藁帽。去年の南仏旅行のために買い、愛用した思い出の帽子ではあった。
でも、しかたない、諦めよう。むしろ藤田と同じ場所に眠っていると思えば、ちょっとうれしいではないか。

▲置き忘れる前日、パリのエッフェル塔とともに自撮りした帽子。
ところが、後日談が生まれた。
帰国して10日後、サトカさんから、次のようなメールが来た。
ふたたび仕事でフジタ礼拝堂を訪ねると、たまたま居合わせた女性が、ランス市の美術館全体を管理する団体の幹部の人だった。そこで、私の忘れ物の一件を話してみると、
「忘れ物はお送りしましょう。送料はランス市が負担します」
と言われたというのだ。
さっそく、その団体に宛てて、私の住所を書いたメールを送ると、1週間後に返信が来た。
「夏休みの時期なので少し時間がかかりますが、かならずお送りします」
待つこと2ヵ月。美術館のパンフレットと一緒に、緩衝材の付いた大きな封筒に入って、私の帽子が帰ってきた。少しつぶれて、日に焼けている気がした。

メルシーボク! 一人の観光客の小さな忘れ物を、わざわざ航空便で送ってくれるなんて……と、私のフランス愛はまたまた大きく膨らんだ。
サトカさんの細やかな気遣いにも、感謝したい。
旅のエッセイ:「ランスを訪ねて 前編」& ランスのフォトアルバム ― 2025年10月31日
ランスを訪ねて 前編
画家の藤田嗣治は、古き良き時代のパリで活躍した。第二次世界大戦を経て、晩年にはフランスに帰化して永住。さらにカトリックの洗礼を受ける。
彼の名前を知ったのは、私が子どもの頃だ。白髪頭に大きな鼻と口、ロイド眼鏡の奥の鋭い眼光が、私の父によく似ていた。さらに父は絵が好きだったこともあって、私は藤田になんとなく親近感を抱いてきた。
藤田は最晩年、自らの集大成として、設計から壁画まで手がけた小さなチャペルを造った。今はその場所に眠っている。それがフランス北東部のランスという古い町だった。
コロナ禍が明けたら、いつかランスを訪ねてみたい。ずっとそう願っていたら、今年の夏、チャンスが訪れた。パリから日帰りでランスへ行こう。TGV(フランスの新幹線)なら片道1時間で行ける。とはいえ、初めてのTGVだし、1人旅だし、駅の周辺は危ないという情報ばかり気になるし、心配は募る。
ネットで調べているうちに、「ロコタビ」という旅行者に対するサービスを提供する会社を見つけた。海外に住む日本人が登録し、通訳、運転、案内などなど自分にできることを提示して、有料で提供するものだ。旅行者がその中から自分に合うサービスや人物を選び出し、そのサイトを通して交渉し、料金を支払う。サービス提供者はロコさんと呼ばれる。
最初は駅から同行してもらうつもりだった。しかし、ロコさんの分の移動費も食費もこちらが負担しなくてはならず、なんだかばかばかしい気がした。「ひとみさん」という名の女性にご縁を感じたのだが、日程の折り合いがつかず、やめた。
TGVは諦めて、専用車でパリのホテルからランスまで連れて行ってもらうサービスを利用することにした。ドライバー兼ガイドのロコさんは、サトカさんという日本人。私と同年代で経験豊富な人のようだ。メールのやり取りをして、こちらの希望を伝えておいた。
一番の目的は、フジタ礼拝堂と、彼が洗礼を受けたランスの大聖堂。そして、ランスといえはシャンパーニュ地方の中心地なので、有名なワイナリーも覗いてみたい……。
6月25日、朝8時。さとかさんはホテルのロビーで待っていた。私と同じぐらい小柄で、年齢不詳に見える。大きなワンボックスカーの運転も、どこかおっとりしている。彼女は東北出身で、ご主人は日本通のフランス人だという。

私の希望をよく理解したうえで、彼女がアドバイスをくれた。有名な大手のワイナリーでは、高い見学料を払っても、フランス語の説明だけだったり、試飲できるのはほんのグラス一杯だけだったりするそうだ。
「それよりも、私が懇意にしているワイン農家にご案内させていただくのはいかがでしょうか。家族ぐるみでワイナリーを経営していて、毎年のように優秀賞を受賞しているのです。間違いなくおいしいシャンパンが試飲できますよ、もちろんすべて無料で」
この地に詳しいサトカさんにお任せするのが一番だと思い、連れて行ってもらった。
聞いていたとおり、シャンパーニュ地方は本当に心が洗われるような地域だった。白い雲が浮かぶ空と、なだらかな丘には緑色のワイン畑が広がっている。畑の脇に咲く赤いバラは、良質なブドウが実る土壌の証だそうだ。ときどき「シャンパーニュ」と書かれたブドウの絵のおしゃれな看板に出合うけれど、道路には車も人影も少ない。






そんな一角にある広い敷地のワイン農家シャルパンティエ家の中庭に到着。四十代ぐらいの女性が現れて、大きな倉庫に案内してくれた。中は寒いほどで、たくさんの装置や機械が並んでいる。ここでシャンパンが作られるのだ。彼女はこの家のお嫁さん。フランス語でひとつひとつ丁寧に工程を説明し、それをサトカさんが通訳してくれる。私1人のために。
解説を聞いた後は、明るい部屋に通され、お待ちかねのシャンパンの試飲タイムだ。辛口のブリュット、甘口のセック、ドゥミセック、アッサンプラージュ……などの言葉も教わって、いっぱしのシャンパン通になった気分を味わう。どれもこれもおいしく、至福のひとときだった。



その後、ランスのノートルダム大聖堂を訪ねた。パリの大聖堂をまねて作られたというが、パリより一回りも大きく圧巻だった。思いがけずシャガールのステンドグラスがあって感激する。堂々として美しかった。


昼食は、セレブなレストランのテラス席。雄大なブドウ畑が見渡せる。その名もベルヴュー(美しい眺め)というレストラン。料理はおいしかったはずだが、とにかく快晴の空の下、テラスのパラソルも役に立たないぐらい暑くて、アスパラガスの前菜も、魚料理の濃厚なソースも、その味をよく覚えていない。サトカさんは遠慮してか、お豆のポタージュしか注文しなかった。
このレストランがあるのは、国王やナポレオンも滞在したという由緒あるホテルだったが、7年前にリニューアルされて、ラグジュアリーホテルに生まれ変わったとか。一流のシェフの手による料理だったのに、とても残念。




街中には、ポメリー、ヴーヴ・クリコなど、有名なシャンパンの会社が建ち並び、お城のような建物が目を引く。


▲ポメリー社の門を抜けると、子どもの遊園地のような公園や、おとぎの国の建物が見えてくる。ワインの瓶で作った大きなタワー、その後方、背丈よりも高いビーター(料理用の撹拌機)、巨大じょうろなど、大人でも楽しい。浜松のスイーツバンクを思い出した。
夕方、最後に向かったのが、G.H.マム社。以前から藤田と親交があったそうで、その敷地内に、フジタ礼拝堂はあった。
▼G.H.マムの中庭。


(後編に続く)
大阪万博に行ってきました! ― 2025年10月01日
絵文字が使えるなら、汗マークを10個ぐらい並べたい。
9月15日からの3日間、超猛暑と大混雑の大阪万博で、ひたすら忍耐の時間を費やしてきました。



どこにも予約は取れないままでしたが、なんとかなる、なんとかしようという気構えで、万博見物の先輩がたの教えに従って準備を整えていきました。
まずは暑さ対策。日傘や帽子はもちろんのこと、教えてもらったクールおしぼりを首に巻いたり、持参した栄養ゼリーを並びながら飲んだり……。それでもじっと並んでいるだけで、顔から汗がしたたり落ちるのです。
体力維持に一番役立ったのは、万博の5人に1人は利用している感じの携帯チェア。高さが7センチから45センチまで調節可能で、行列中にちょっと腰かけて、またちょっと前進という動きには他のどの椅子よりも便利だったと思います。
さらに、背の低い私は、この椅子を30センチくらいの高さにして上に立ち、人込みの後ろから、ショーを見ることができた時には、椅子のありがたみを実感しました。重さ1キロあるのですが、夫が持ち歩いてくれて助かりました。(夫のありがたみも実感)


初日、夕方から、暮れなずむ空や、ライトアップされていくパビリオンを眺めながら、2時間並んで憧れのフランス館に入りました。
さすがはフランス、美の表現、センスの良さには言うことなし。





手すりの向こうに広がるパリの夕暮れをバックに、ダンスのパフォーマンス。じつは手すりは実物ですが、その向こうはスクリーン上の映像です。
迫力満点で魅了されました。動画をご覧いただけなくて残念。

夜間のライトアップでは、パビリオン全体がフランス国旗のトリコロールに色が刻々と変化していくのです。夕闇に浮かび上がる様を、大屋根リングの上から眺めて楽しみました。

翌日は、人気のアメリカ館へ。パビリオン外壁のスクリーンには、次々と合州国の映像が映し出されていて、並びながらそれを眺めていたので、あまり飽きませんでした。ときどき、トランプ大統領が、来場者に挨拶をする映像もありました。
内部では、月ロケットに乗って旅に出るというディズニーランドのアトラクションのようで、それなりに楽しめたのでしたが、しかし、この宇宙はみんなのものだ……というメッセージで締めくくられ、大統領の政策との食い違いが気になって、ちょっとしらけましたね。映像で挨拶までしてもらっていたのですが……。




▲われらがヒーロー、アメリカで大活躍のショーヘイ君の映像もありました。

そして3日目。
ここまで訪ねてきたのだから、最高の展示だといわれているイタリア館にも挑戦しようと決心。前夜9時からのドローンショーも諦めて、早めに宿に帰り、翌朝の出陣に備えました。
結局入場したのは午前9時半ごろで、しかも夫が自信満々で間違った方向に突き進んだおかげで、すでに6時間待ちの行列ができていました。それでも今日はここにすべてを掛ける覚悟でしたから、最後尾に付きました。
幸い、列は大屋根リングの下にくねくねと出来上がっていて、比較的涼しい場所。すぐ横でお笑い吉本のステージが賑やかでした。ときどき夫と交代で列を離れ、空腹を満たしたり、みゃくみゃくのマスコットを買ったりして時間つぶし。
6時間待った話をすると、「その間、何をしていたの?」とよく聞かれるのですが、他の予約を取ろうと、ひっきりなしにスマホを操作していました。結局どこも取れませんでしたが。
夕刻4時過ぎにようやく館内に入った時には、もうそれだけで達成感を味わいました。
待たされたから余計に素晴らしく感じるのかもしれませんが、聞きしに勝る豪華な展示でした。
中でも、感銘を受けたのは、カラヴァッジョの「キリストの埋葬」。写実的な手腕、光と影を用いた感情の表現。17世紀初めに描かれた彼の最高傑作と言われています。縦3メートルの大きな絵で、いつまでも見ていたいと思いました。▼


▲ミケランジェロの彫刻「復活のキリスト」は、たくましいキリスト。


ルネサンス期の画家ティントレットの描いた「伊東マンショの肖像」▲
天正遣欧少年使節の一人です。使節団の少年たちの数奇な運命は、原田マハの小説『風神雷神』にも書かれていて、興味深く感じました。また、7年前にポルトガルを訪れた時に、彼らが演奏を聴いたといわれる大きなパイプオルガンも見たことがあります。
ちょっと松下洸平に似ている気がして、当時でもイケメン日本人だったのかなと……、おっと、それはおばさんの独りごと。でも、いっそう身近に感じられたのは本当です。

さてさて、400年も昔の少年使節団ほどではないけれど、大変な思いをして、万博に行ってみました。誰のための、何のための、万博なのだろう。税金から大枚をはたいて、にわか作りのお祭りを開催して、本当に意味があるのだろうか。長時間炎天下で待たされながら、思ったことでした。

イタリア館で、目玉の一つとされていた展示に、レオナルド・ダ・ヴィンチの直筆の素描や文章がありました。さすがにガラスケースに入っていて、大勢の人が順番を待っている。もちろん私も並んだけれど、スタッフは叫ぶのです。
「立ち止まらないでくださーい。歩きながら見てください! 写真撮影は歩きながらお願いします!」
チラ見しかできず、そんな写真を撮るぐらいなら、今ならいくらでもネットを駆使した映像で、自宅に居ながらにして鑑賞できるでしょうに。
自分の目で実際に見ることのほうが、そんなに大事?
楽しみながらも、なんだかな~と首を傾げたくなることもあった万博でした。
ともあれ、お疲れさま!

旅のエッセイ:「古希の大冒険に旅立てば」後編 & パリ散歩のフォトアルバム ― 2025年09月04日
古希の大冒険に旅立てば 後編
羽田からパリへは無事に到着。しかし、空港からホテルまでの移動も、不安要素だ。去年のニースの空港では、夜遅く着いたのに、予約したハイヤーが現れなかった。友人と二人だったから、何とかなったけれど、今回は一人でタクシーに乗るつもりだ。
私が大きなスーツケースを引きながら、出口を通り抜ければ、さっそうと男性が現れて、どちらへ、と聞いてくる。アブナイ。一瞬身構えたけれど、「旅行案内」と書かれた赤いベストを着ている。本物だろう。タクシー乗り場へ行きたいと言うと、こちらへ、と案内してくれて、並んで待つようにと足跡マークを指さして、去っていった。
パリは去年のオリンピックのおかげで、なにかと整備が進んだようだ。今では空港からパリ中心部までのタクシー料金も一律に定められている。ホテルの名前と住所と金額を記した紙を用意しておき、運転手に渡した。東洋系の運転手はまったく無駄口をたたかずに、ごみごみとした市内を巧みに走っていった。

▲ドライバーは、襟巻をしている。暑くないのかな、と心配したが、そうではなかった。首にサポーターをしているのだ。追突されたのだろうか。だとすれば、無茶な運転はしないだろう……と、ちょっと安心する。
ホテルの入口はアーケードの中にあった。ビルはかなり古い造りで、ドアを開けると、小さなエレベーターをぐるりと取り巻くように階段が続いている。薄暗く、紫色のカーテン、あやしい壁画……。まるで、占いの館といった雰囲気だ。スーツケースがあるので、仕方なく2階のフロントまでエレベーターのボタンを押す。

▲ホテルは、パッサージュ・ジュフロワという名のアーケードを入っていき、右側に入口がある。

▲入り口を入ると、階段がぐるりとエレベーターを取り巻いている。フランスのビルには多い造りだ。
フロントには、不愛想なドレッドヘアのおにいさんがいた。ホテルマンには見えない。気軽に質問したら怒られそうだ。
狭い廊下で、スーツケースを転がすと、ずるずるとカーペットにしわが寄る。部屋も、従業員の部屋かと思うほどの安普請。カウンター下の冷蔵庫置き場は空っぽだった。さすがにフロントに問い合わせると、問題が多々あって撤去したという。無いほうがよほど問題だ。夜の外食は避けようと思っているのに、部屋でお水もワインも冷やせない。
これでもアメリカのホテルチェーンの名を冠した3つ星ホテルで、旅行会社にグレードアップしてもらったのだ。オペラ座から徒歩10分という地の利だけが唯一のメリットの、ハズレのホテルだった。
こんな時、一人じゃなかったら、さんざん愚痴をこぼし合って、運命を呪って、留飲を下げたことだろう。一人旅は、タクシー料金を一人で払うだけではなく、トラブルも悩みも怒りも、一人で背負って飲みこんで、一人で解決するしかない。
「古希の大冒険に行ってまいります」などと息巻いて、自分を鼓舞して、パリにやってきたのだ。カヨさんと合流するまであと3日、何とか楽しい一人旅にしよう。このホテルだって、トイレやシャワールームはきれいだし、目をつぶれば寝心地も悪くない。そう思いなおして眠りについた。
翌朝は、真っ青なパリの空が、私を見下ろしていた。
さあ、9年ぶりのパリの街に出かけよう!

▼ホテルからオペラ座まで歩いて10分。残念ながら、改装中なのかシートがかけられていた。巨大なBOSSのペッカムが、オペラ広場を見下ろしている。

マドレーヌ大通りをまっすぐ歩いてきて、本日最初の目的地に到着。オランピア劇場だ。藤井風くんが2週間後にやって来て、ここでライブを開催する。
昨年秋の上海公演の時も、私はたまたま上海赴任中の娘を訪ねて、先に来てしまった。しかたなく会場を外から下見して終わったのだった。その時も同じ2週間違いだった。そして今回も中には入れない。▼


▼パリはマクドナルドもおしゃれ。ピンクの夾竹桃の花の生垣に囲まれ、夜は2階の窓のイルミネーションがきれいなんだろう。けれど、一人で夜は出歩けないのが残念。


マカロンのラデュレ。▲
11年前、娘と店内に入り、白いお皿にいくつも並べて楽しんで食べた。
▼11年前、チュイルリー公園のこの池のほとりでは、ピエール・エルメのマカロンを買ってきて、娘と食べた。あの二人旅で、いったいいくつのマカロンを食べたことだろう。




調べてみると、次のロサンゼルス五輪まで、ここに設置されるとのことだった。
昨年のフランス旅では、オリンピックで混むだろうからと、パリを避けたのだった。


この後は、メトロに乗って、次の目的地へ向かった。
旅のエッセイ:「古希の大冒険に旅立てば」前編 ― 2025年08月31日

古希の大冒険に旅立てば
昨年夏に初めて南仏のコートダジュールを訪れて、すっかり魅了された。ニースへはそんなリピーターも多いと聞く。私も「また行きたい」と言い続けていたら、友人のカヨさんからお誘いがかかった。憧れのリピーターになるチャンス到来、夢のようだ。
二つ返事をした後で、詳しく聞いてみると、彼女は別の友人から、「イタリアに住む親類に会うため、一緒に行ってほしい」と懇願された。事情があって6月中には行くそうで、お役目を果たした後、イタリアからニースに寄りたい、ということだった。
日本からニースへは直行便がない。そこで私は、どうせパリ経由で行くなら、パリにも寄っていこうと思いたち、いつもの旅行会社で3拍のホテルを予約した。一人旅には慣れているし、大丈夫……と軽く考えてしまったわが身の浅はかさ。慣れている一人旅は日本国内のこと。ヨーロッパで一人旅をしていたのは、まだ怖いもの知らずだった20代の頃のこと。あの頃の私と今の私とは、もはや別人。体力も記憶力も判断力も順応力も、ことごとく劣化しているというのに。考えれば考えるほど、だんだんと不安が募ってくる。夜も眠れないし、体調不良の日が増えていく。
でも、もう後へは退けない。ワクワク気分を引き寄せようと、あれこれ情報を手に入れ、安全で楽しいパリの一人旅を計画していった。がんばれ、私……!
羽田をたつ便は早朝なので、前日は空港近くのホテルに泊まることにして、夕方出発。電車で10分の主要駅から空港バスに乗った。
バスが走り出して20分ほどたった頃、高速道路を走行中に、突然大音量の車内放送が響いた。
「緊急地震速報! 強い揺れにご注意ください。緊急地震速報!」
心臓がドキンと跳ねた。どうしよう、こんな場所で……。きょろきょろと辺りを見回す。しかし、高速道路上で揺れは感じられず、周囲の車も走り続けている。
しばらくして、ふたたび緊急放送が入る。
「緊急地震速報が、鹿児島県に発令されました!」
なぁんだ、と気が抜けた。人騒がせな、と思ったけれど、地震がどこで発生しても、この速報は日本中を駆け巡るのかもしれない。運転手も乗客も終始無言だった。
やれやれ、また不安と緊張が高まってしまった。とんだ旅立ちとなった。
(後編に続く)

▲空港に向かうバスは、海を見下ろしながら、順調に走っていたのに……。

▲その晩のホテルの窓からは、川の向こう岸に羽田空港が見えた。
オススメの本:千早茜著『なみまの わるい食べもの』 ― 2025年08月25日
次の旅のシリーズを始めたいと思いながら、前回のシリーズを終えて、すっかり燃え尽き症候群に陥っている。書けない。気力がわかない。まさにスランプ……

そこで、先ほど読み終えたばかりの本について、感動を忘れないうちに書いてみよう。
千早茜さんは、『しろがねの葉』で直木賞を受賞。受賞作品はもちろん素晴らしかったし、それまでに読んでいた小説も、それ以降の小説も、どれもハズレがない。これが私の読んだ7冊目、大好きな作家さんだ。
最新の単行本だというので、図書館で借りたら、これまで書いてきた食べ物に関するエッセイをまとめた本だった。すでに「わるたべ」シリーズはこれが4作目だという。
私は食べもの関連の本はあまり読まないので、期待もせずに読み始めたら、いつもの小説と変わりなく引き込まれた。歯切れよくリズミカルな文体、繊細で濃厚な描写、独特のオノマトペや的確な言葉選び……。それらを駆使して、美味しい食べものの魅力や、食べることへの愛情を書き尽くしている。そして、ご本人も、恋人から夫になった男性も、彼女と関わる編集者たちも、食べもの同様に魅力的に描かれていて、読んでいて楽しくなる。
そういえば、この本に先立って読んだ彼女の小説は、『西洋菓子店プティ・フール』。パティシエたちとケーキを巡る話だった。洋菓子大好きの私は、たびたび生唾ゴックン、明日はケーキを食べよう、といつも頭の片隅で呟きながら読んでいた。
ところで、この本の最後を飾るエッセイ「安息の地(前編・後編)」は、休暇をとってウィーンを旅行した話。
彼女は、「そもそも、国内旅行でも三日も家を離れれば自分の味噌汁の味が恋しくなってしなしなになる人間」なのだそうだ。え、大丈夫なの、と心配になる。
しかも、ウィーンといえばウィンナーコーヒーの国だというのに、コーヒーも生クリームも苦手だという。え、本当に大丈夫なの?
なにゆえ旅先にウィーンを選んでしまったの?
持病もあり、睡眠不足や胃の不調など、毎日体のどこかに不具合が感じられるのが常だというのに……。
しかし、不安を抱えてウィーンへ向かったところ、すべて杞憂に終わる。かの地の美味しいものたちを胃袋が受け入れ、体調もよく、「心と体が、ずっと、不思議な穏やかさのなかにあった」と振り返る。
私は、まるで自分のことのように感じた。私も、旅行前はとくに忙しさもあってか、いつも体調が悪く、頭痛、胃痛に悩まされるけれど、
「大丈夫。旅行に出れば、元気になる。旅行は私の特効薬!」
と、おまじないのように口にする。
はたして、毎回旅先ではぐっすり眠り、元気に歩き、食べ、飲み、楽しい旅を終えて帰ってくるのだ。
そんなわけで、著者の茜さんにはすっかり親近感を抱いてしまった。
まだ読んでいない小説もエッセイ集もたくさんあって、楽しみです。
そして、文中の本も併せて、甘党の皆さんにオススメです。

南フランスの旅のフォトエッセイ:㉓エピローグ ― 2025年08月11日
☆ご参考までに
プロローグとして出発前日に投稿した記事は、「南フランスへ」。
https://hitomis-essay.asablo.jp/blog/2024/06/03/9689926
帰国後に始めたシリーズ初回は、「南フランスの旅のフォトエッセイ:①ステファニーさんとの出会い」。
https://hitomis-essay.asablo.jp/blog/2024/06/21/9694865

☆ヴィラモンローズ
ダヴィッドさんと陽子さんご夫妻には、本当にお世話になり、ありがとうございました。
また、いつか日本でもお会いできたらうれしいです。
ご夫妻は、毎年シーズンオフの冬場には、日本に拠点を移して、アンティークやブロカントの仕事もされています。
ブロカントというのは、美しく愛すべき中古品といったらいいでしょうか。フランスには、長年使われてきた食器、道具、家具などを大切にして愛用するという文化が根づいており、新しい芸術を生み出す一方で、古いものにも価値を見出してきました。
お二人から、じかにその文化を感じとることができたことも、価値ある旅の記憶となりました。


笑顔がとても魅力的な町田陽子さん。リビングルームの窓辺で。▲
☆ルモアンヌ・ステファニーさん
彼女は、11月に2冊目の日本語の著書を出版する予定だそうです。
その際に来日されるとのことで、お会いできるのを楽しみにしています。
彼女の会社マイコートダジュールのサイトはこちらです。

▲ステファニーさんの一冊目の著書にサインをしてもらいました。

ルノワールの家で、3人を鏡に写してカシャリ!▲
帰国してしばらくは、Hiromiさんも私も、旅行で留守をした分、忙しい日々を送っていて、会う機会もありませんでした。
そんなある時、共通の友人から、こんな話を聞きました。
「Hiromiさんに会って、南フランスの旅行はどうだった、と聞いたら、『過去一だった!』と言っていたわ」と。
私も同感!
楽しく、おいしく、美しく、ちょっぴりスリリングで、過去最高の海外旅行でした。
1年以上もかかった、23回にわたる「南フランスの旅のフォトエッセイ」シリーズを、ようやくこれでお開きといたします。
根気よく見にきてくださった皆さま、どうもありがとうございました。
あらためて、心から感謝申し上げます。
感想やご意見など、コメント欄にお書きいただければ幸いです。
