ダイアリーエッセイ:「花は咲く」を歌う ― 2015年04月07日
◎
次男は高校を卒業して2年になるのだが、母親の私は、今でも保護者会のコーラスグループに所属している。
週に一度、お腹の底から声を出すことが、私の唯一の健康法なので、そう簡単にはやめられない。
◎
今日は、冷たい雨の降るなか、中学・高校の入学式が行われた。
生徒たちが退出した後、新入生の保護者に向けて、コーラスを披露する。
歌ったのは、東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」。
◎
真っ白な 雪道に 春風香る
わたしは なつかしい
あの街を 思い出す
…………
◎
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
◎
私の大好きな歌だ。心を込めて歌うと、かならず涙が出る。
震災後に訪ねた東松島の変わり果てた姿や、被災地の人々の笑顔が浮かんでくるのだ。
だから、ステージの上では、まず音に集中する。
◎
◎
昨日までの暖かさで、この辺りの桜は散り急いでしまったのに、正門のそばの1本の木だけは、新入生を待ちわびていたかのように、まだきれいなままの枝を広げていた。
◎
わが家の4.11 ― 2015年04月11日
◎
あっ、今日は、4.11だ。
出先で思い出して、スパークリングワインとフランスパンとチーズを買って帰りました。
年齢から数えてみると、どうやら33回目です。
◎
◎
私はフランスパンをスライスして、フランスで買ってきたパテの缶詰を開けただけ。鯛のサラダやスパニッシュオムレツを作ったのは、わが家の主夫であるシェフです。
◎
シェフには内緒ですが、料理ができるというのは、彼の大きな魅力でした。だから一緒になってあげたのです。
新婚旅行先で私は風邪をひいて帰国し、熱を出しました。その日の夕食は、彼の作ったあつあつの肉うどんでした。そのときは、本当にこの人と一緒になってよかった、としみじみ思ったものです。
私は、声を大にして言いたい。
独身男性諸君、もてたかったら、料理ができるようになりなさい!
◎
このブログには、料理の話がありませんね、とコメントをいただいたことがありますが、そういうわけなのです。
◎
ローマのレストランで、ふたりでワインを2本空けて、
「小柄な日本人カップルが2本も空けた!」
と、店員にあきれられた(たぶん)のは、今は昔。今では、1本空けただけで、千鳥足になりそうです。
お互い、年を取りました。
◎
続・ジョニーからの伝言 ― 2015年04月12日
◎
2013年12月に、3回にわたって愛車ジョニーの話を書きました。
私のパートナーともいえる愛車オデッセイを3代目に買い替えるにあたり、2代目オデッセイ(通称ジョニー)の第2の人生が決まるまでの物語でした。
アフリカ行きの夢はかないませんでしたが、被災地の陸前高田にもらわれていき、今も元気に活躍しています。
◎
◎
ジョニーと一緒に写っているのが、新しい持ち主となった寝占理絵さんです。
◎
彼女は、NPO法人マザーリンク・ジャパンを立ち上げ、陸前高田を拠点にして、おもにシングルマザーへの支援活動を続けています。
被災地の母子家庭では、食料や生活用品にも事欠いているそうで、それらを運び込むお手伝いも、ジョニーはさせてもらってきました。
また、仮設住宅で暮らす子どもたちは、学校も被害にあったりして遠くまで通わなくてはならない。そのための送迎は母親にとって大きな負担だし、仕事の時間にも支障が出る。おのずと、いい条件の仕事には就けない……。
◎
そこで、寝占さんは、こうしたシングルマザーたちがよりたしかな収入の仕事に就けるよう、パソコン教室を開催する計画を立てました。
今回、クラウドファンディングを利用して、その活動資金を集めています。
目標額は100万円。5月12日までに達成しないと、決済されずに0円になってしまいます。現時点では8割が集まっていますが、あと少しの皆さんの支援が必要です。
クラウドファンディングのことや、今回の寝占さんの活動計画など詳しい情報は、READYFOR? のサイトでご覧になってください。
https://readyfor.jp/projects/3714/detail
◎
同じ母親であるお友達の皆さん、美味しいランチの1回分でもいいので、ぜひぜひ、ご協力をお願いします!
それから、かつて私のジョニーに乗ったことのある方、それも何かのご縁でしょう。ご支援をどうぞよろしくお願いいたします!
◎
続々・ジョニーからの伝言 ― 2015年04月16日
マザーリンク・ジャパンへのご支援、どうもありがとうございます!
おかげさまで本日、支援してくださった方の数は110名になり、目標の100万円を超えたそうです!
◎
寝占理絵さんからも感謝の声が届きました。
今朝起きたらご支援者がちょうど100名に達していました~♪♪
本当に励まされる思いでいっぱいです。
ここ数日低迷していたのに昨夜から急に伸びました。何があったのでしょう?? どちらにしても本当に嬉しいです♪♪
きっと、このブログの読者の皆さんのご支援ですね!?
彼女に代わって、私からもお礼申し上げます。どうもありがとうございます。
◎
今後は陸前高田だけでなく、大船渡、気仙沼でも同様のパソコン教室を立ち上げて支援活動を繰り広げたいとのこと。
「本当の目標は300万円です!」
4月11日発売の「週刊東洋経済」に、彼女の記事が載りました。
シングルマザーの想像を絶する実態が語られています。
◎
寝占さんの支援活動など詳しい情報は、READYFOR? のサイトでご覧になってください。現在の資金支援状況もわかります。
https://readyfor.jp/projects/3714/detail
◎
文字どおり私財をなげうって活動を続ける彼女を、これからも応援していきます。
皆さんも温かいご理解とご支援、どうぞよろしくお願いいたします。
◎
2000字エッセイ:ロクマルの呪い ― 2015年04月19日
3月22日の「じつは、私……」は、じつは〈続く〉となっていました。
その続きを書かないままでしたが、続編の内容を混ぜ合わせて、2000字のエッセイにリメイクしてみました。
***********************************
◎
ロクマルの呪い
◎
好きなスポーツは、と聞かれたら、スキーです、と答えてきた。
始めたのは大学生のときで、札幌に住む叔父の家に泊まりこむと、従兄たちが手取り足取り教えてくれて、気分よく滑りを覚えた。
その後も、学生仲間でスキーに出かけた。安い宿を予約し、スキー板を担いでは電車や夜行バスに乗りこみ、ゲレンデに繰り出したものだ。その仲間には、未来の夫となる人もいた。楽しくないわけがない。
子どもができてからは長いブランクもあったが、末っ子が5歳になったころ、思い切って家族5人でスキーへ。夫婦の夢だった。子どもたちはスキースクールで手ほどきを受け、大人は懐かしい雪の感触を堪能した。
数年たったころ、スキーウェアを新調した。イタリア製で光沢のある抑えめの赤が素敵だ。値は張ったが、「還暦まで着るから」と宣言して買ったのだった。
しかし、子どもが3人もいれば、受験やら就職やら、スキーどころではない年が続く。ひと段落すると、こんどは腰痛に悩まされる。
去年あたりからそれも治った。また行きたいなあ、と思っていたところに、一回りも年上の従姉からスキーの誘いが舞い込んだ。
が、すぐには飛びつけない。6年のブランクは怖い。ふだんから運動らしいことはやっていない。うれしい反面おおいに悩む。
結局は日程の都合がつかず、スキー場の間近で地震が起きたこともあって諦めたのだが、それと入れ代わるように、札幌雪祭りの旅に誘われて出かけた。そのとき、雪の中の寒さが妙に心地よく、「私、氷点下ハイよ」などと言っては子どものようにはしゃいでいた。
帰ってくると、今度は娘からスキーの誘惑が。すっかり雪に魅せられていた私は、とうとうスキー決行の計画を立ててしまった。
それでも不安がつきまとう。体が動くだろうか。けがをしないだろうか。この年になってスキーだなんて、無謀すぎるだろうか……。
◎
昨年の暮れに、還暦を迎えた。女優の夏木マリさんが、60歳をロクマルと言っていたので、私もマネしてみたが、あまり市民権を得ていないらしく、友人たちにはきょとんとされた。呼び名がどうであれ、60の大台に乗ったことはゆるぎない事実なのだ。
半年前から、憂うつでたまらなかった。50代半ばまでは、ただ明日が今日になって昨日へと移っていくように、誕生日が来て、59歳が60歳に切り替わるだけだ、と高をくくっていた。でも、現実はあなどれなかった。
この冬は初めてインフルエンザにかかった。それ以外に3度も風邪を引いた。体のあちこちが痛むようになった。医者には、変形した関節は治らないと言われる。
さらに、3つ年上の女性から、とどめを刺された。
「還暦になると、今までかからなかった病気になったり、けがをしたりするから、気をつけなさいね」
まるで呪いの言葉だ。冗談じゃない。
泥縄で筋トレのスクワットをせっせとやっていたら、ふとひらめいた。
そうだ、「まだスキーをする」んじゃなくて、これから「シニアスキー」というスポーツを始めるのだ、と考えればいい。娘と二人旅なら気遣いはいらない。たっぷり休憩を取り、絶対無理をしなければ大丈夫だろう。
やっと気持ちが楽になった。
◎
そして、予言どおり、赤いちゃんちゃんこ代わりに赤いスキージャケットを着ることができた。3月はじめの越後湯沢は暖かく、快適な春スキーとなった。
自転車と同じで、ひとたび体が覚えた滑り方は忘れないものだ。とはいえ、頭では覚えていても体がいうことをきかないかもしれないから、慎重に、慎重に……。ちょっとでも疲れると、娘をゲレンデに残して、ロッジでひと休み。でもビールは飲まない。ほろ酔い滑走はみずから禁止。ここで怪我でもしたら、「年寄りの冷や水」と笑われてしまう。
2泊3日、最後まで上級コースには近づかなかった。なだらかな斜面でのんびりゆったりの滑りを、鼻歌まじりで楽しんできた。
何度も転んだし、筋肉痛にはなったけれど、けがひとつないまま帰宅。やれやれ、呪縛を解き放つことができた。来年は従姉と一緒に滑りに行こう、と思った。
◎
ところが、帰宅して2日目、ビルの廊下で転んだ。ぺったんこのブーツを履いていたのに、かかとが斜めに着地してツーッと滑った。次の瞬間、左ひざをガツンと着いた。まさか、こんなところで転ぶなんて……。骨折はなかったが、青あざが10日たっても消えなかった。
あ、これかぁ……。
◎
◎
あなたにとっての〈戦後70年〉を教えてください ― 2015年04月29日
戦後70年にあたる今年、『わたしの戦後70年』という合同作品集を刊行するプロジェクトに関わっています。
戦争体験を語れる方がたが少なくなっていく今こそ、書き残していただくことが、私たちの仕事です。
〇
「あなたにとっての〈戦後70年〉を教えてください」
〇
私たちの呼びかけに、たくさんの作品が集まりました。
筆者のほとんどが70代、80代ですが、中には90代の方がたも。
〇
手書きの原稿には、戦争で亡くなった肉親への思い、子どものころに引き揚げてきた思い出などがつづられています。
涙なしには読めないものもあります。
心の傷を抱えての70年でした。
〇
あるいはまた、戦後の復興を支えた企業戦士の苦労話もありました。
ご自分で道を切り開き、成功を手にした方が、晩年になった今、満ちたりた思いで自分の歴史を書き残す。それはそれで素晴らしいことです。
〇
どんな作品も、最後は「戦争は二度としてはならない」「平和であり続けるように」という切実な願いとともに結ばれています。
私たちは、その願いを受け継ぐ責任があると、ひしと感じています。
〇
今日は、昭和の日。
〇
〇
自閉症児の母として(24):東田直樹さんのドキュメンタリー番組 ― 2015年04月30日
重度の自閉症を持ちながら作家でもある東田直樹さん。
彼のことは、昨年3回にわたってご紹介してきました。
〇
11月20日 自閉症児の母として(21):東田直樹さんのこと
11月25日 自閉症児の母として(22):続・東田直樹さんのこと
12月4日 自閉症児の母として(23):息子は直樹さんではないけれど……
〇
ご興味のある方は、お読みいただければ幸いです。
〇
〇
彼の著書を翻訳したイギリスの作家との出会いが、世界中の自閉症の家族に希望をもたらしたのです。
二人の出会いを描いたNHKの番組『君が僕の息子について教えてくれたこと』は、平成26年度文化庁芸術祭のテレビ・ドキュメンタリー部門で、大賞を受賞しました。
その番組が、5月4日午後1:05から再放送されます。
見逃してきた方、ぜひご覧になってください。
(番組タイトルをクリックすると、番組紹介サイトにリンクします)
〇
〇