南フランスの旅のフォトエッセイ:⑳ゴッホの地で ― 2025年08月04日
今回は、晩年のゴッホが暮らした地を訪れたことをアップしようと思っていた矢先、思いがけないニュースに出合いました。
「夜のカフェテラス」
「アルルの跳ね橋」
オランダのクレラー・ミュラー美術館が所蔵するゴッホの代表作であるこの2点が、2025年から27年にかけて、神戸、福島、東京と、日本国内を巡回するそうです。
複雑な思いにかられて、もう1週間も書きあぐねていました。

昨年の旅で、ヴィラモンローズのご主人ダヴィッドさんには、自家用車でプライベートツアーもお願いしていました。目的のひとつは、ゴッホが暮らした場所、アルルに連れて行ってもらうこと。
ゴッホは1988年に、パリからアルルに移り住みました。
「この地は、明るい日差しが降り注いで、まるで日本のようだ」
そう言って喜んだのでした。まだ訪ねたこともない日本なのに、浮世絵などの美術作品から強い印象を受けていたのでしょう。
確かにプロヴァンスの日差しは強烈。湿気の多い日本の日差しとは少し違うように感じますが、冬は寒くて暗い天気が続くパリからやってくれば、その明るさだけでも解放されたような心地になったにちがいないと推測できます。
クリスチャンとしての信仰も厚く、繊細で、人との交わりが上手ではなかった彼は、少しずつ精神を病んでいきました。それでも、弟テオのような数少ない理解者の支援を受けて、貧しい暮らしの中、多くの作品を生み出していったのでした。
「夜のカフェテラス」
美術の教科書にも載っているような、誰でも知っている絵画の一つです。

アルルのフォルム広場にあるカフェは、修復されて、ゴッホが絵に描いた当時のように復元されている、と聞いていたし、照明の下で賑わう写真も見たことがある。そこに案内してもらえるというので、とても楽しみにしていました。

ところが、行ってみると、店は閉じられたまま、放置されていました。
ダヴィッドさんの話では、店はひと儲けしようとたくらんだ人たちの手から手に渡り、今は営業停止状態だとのこと。
国家の大切な遺産として、なぜきちんと保存に努めないのか、と彼は憤慨していました。私も同感でした。
憧れてきたカフェは、よこしまな意思が通り過ぎた跡地のようで、がっかりでした。ここで撮った写真の私は、作り笑いをしています。(とてもアップできません)
さらに、ネットでいろいろと調べてみたところ、ゴッホが描いた店は、フォルム広場ではなく、別の広場にあったのが第二次世界大戦で破壊されたという説もありました。
その後、2000年代の初めに、ゴッホの代表作をもとに店を再現しようと企てた実業家たちが現れる。店は、「カフェ・ラ・ニュイ(夜のカフェ)」として、現在の広場に生まれ変わった。ゴッホの絵を細部まで再現したカフェは、ユネスコの世界遺産にも登録されて、観光客で賑わったらしい。
しかし、経営者たちの脱税行為が明らかになり、処分を受け、営業停止になるという残念な結末を迎えたということでした。
「アルルの跳ね橋」
これも、ゴッホの代表作。アルルの水路にかかるラングロワ橋。水辺で洗濯する女性たち。明るいブルーとイエローのコントラストで描かれて、明るくのどかな絵です。

ゴッホが描いた橋も、第二次世界大戦で破壊されてなくなっています。これは、離れた場所にかかっていた、似たような跳ね橋を、ここに移築したとのこと。近くに、彼の絵を載せた案内板が置かれていました。▼


辺りには何もない。少しばかりの木立と、空き地と、誰も住んでいない家がぽつんとあるだけ。絵の中の橋は、白く輝いて見えるのに、実際には朽ち果てる寸前の動かない橋。人けのない場所で、曇りがちだったせいか、こちらもまた、絵の明るい雰囲気とは程遠いものでした。
それでも、ここでゴッホが描いたのだ、と思えばいいのでしょうか。
それとも、係員のいるカフェスタンドや、土産物のひとつでも扱う小屋があればよかったのでしょうか。
私も正直なところ、よくわからない。
ただ、ダヴィッドさんに聞いた話が、心を暗くするのです。
この辺りに、一人きりでやって来る観光客が、狙われるのだとか……。

さてさて、期せずして来日するという2点の絵を、私はどう観るのでしょう。どう観たらいいのでしょう。
はるばるアルルまで訪ねていって、落胆を持ち帰ったなんて、意味がなかった? 行く必要はなかった? そうは思いたくない。
アルルではほかにも、ゴッホが入院した市立病院の跡地や、アルルから20キロほど離れたサン・レミにある修道院の療養所なども訪ねました。
その暮らしの中で、彼は素晴らしい作品を描き続けているのです。